Friday, December 10, 1999

イスラム・コラム No.8 「パラダイス・ロスト」

JapanMailMedia 039F号から転載。

1999年12月10日
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 ■ 『イスラム・コラム』 No.8  山本芳幸
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「パラダイス・ロスト」

 太陽がまぶしい、ミニスカートがまぶしいバンコク。安心した顔の人達が歩く。物憂げながら優しい応対をする人達。外人に向けて矢のような視線が飛び交ってない街。

 豊かな食材、素晴らしい調理法、年中良い気候、安い物価。そこに、バックパッカーがたむろする。地上のパラダイスで、彼らは何を求めているのだろうか? 苦労? それだけはここでは経験できないだろう。

 ショッピング・モール前の、サッカーコートが2面くらいとれそうな広場が屋台で埋まっている。伝統的な屋台ではなく、観光客向けにモダナイズした屋台 群。歩くのに疲れて、席を一つとってビールを頼む。メニューを見たが、面倒くさいので適当に番号を読み上げると、生の小エビが様々な香辛料の元みたいな草 にまみれて出てきた。

 屋台で生はやばいな、と思ったが、同時にそんな小賢しさに嫌悪が走り、ガサッとエビを草ごとつかみ、口に入れた。じゅっとエビの体液が飛び出て何種類かの草の香りと調味料にまじった。

 一瞬、カッとした。一皿160円でこんなうまいもん食ってんのか、こいつらは! 生エビを噛み砕きながら、アフガニスタンを思い出してしまった。なんか涙腺が緩みそうになった。

 アフガニスタンでは、配給された小麦粉で作ったパンと雑草を煮詰めてペーストにしたもの、彼らはそれだけを食っていた。ある村に行った時、今、肉をきら していて申し訳ないと何度も謝りながら、それをもてなしてくれたことがある。美味いと思ったので全部食った。今はそんなもてなしもできないかもしれない。 日本も参加している経済制裁をくらっているのだから。

 数ヶ月ぶりに飲んだビールがすぐにまわってきた。広場にいくつか作られた野外ステージでタイの若者が何か歌っている。どこに行っても必ず聞こえるような、そんな曲。例えば、My heart will go on ~♪

 モグラの糞みたいな音楽だ、なんて揶揄する気にはなれない。ありふれた風景にありふれた音楽が流れ、その中でありふれた若者達が酒を飲みエビを食べ喋くりまくっている。この一瞬の価値の大きさを考えると気が遠くなりそうだ。

 この一瞬を夢見ることさえかなわない何十億という人が存在し、この一瞬のはるか手前で彼らは方向さえ定かでない争い事の中で、あるいはその後方で、モグラの糞も聞けずに死に続けている。

 パラダイスの饗宴の中に時折、一際汚らしい格好をしたモンゴル顔の若者の集団を見かける。地元の人々に擦り寄るようでいて最も浮いている。彼らは日本人 だ。同じ東アジアのモンゴル族でも、台湾人、香港人、シンガポール人、韓国人は、こざっぱりした服装をしている。日本的にはそれは野暮ったいか、ダサい か、田舎臭いか、イケテナイか、なんかなのだろう。

 よくは知らないが観察するところ、頭のてっぺんからつま先まで細心の注意を払った清潔な薄汚さ、それが日本のトレンドらしい。人は本当に貧乏な境遇に陥 ると「金がない」の一言が言えないものだ。余裕のある人に限って「金がない」なんて無神経に連発できる。敏感なタイの若者の中には、清潔な薄汚いファッ ションを薄汚い余裕と受け取る者もいるだろう。

 清潔に貧困してみたい、安全に苦労してみたい、そんな日本の若者にはバンコクは最適な場所だ。そして、それは虫のいい話だという当たり前のことが分からなくなる。それがバックパッカーに漂う不遜さとなって現れる。

 アジアの若者でごった返す広場に、日本の歌手やグループ(という言葉はもう使わないのだろうか? シンガー? ユニット?)の曲もごく当たり前のように 流れる。  CD屋の店頭に出ていたベスト10の1位はよくは知らないが日本人らしき名前だった。アジアには日本人が知らないほど日本が浸透している。かつてオクラ ホマで牛を飼っているアメリカ人がまったく知るわけもないほどアメリカが日本に浸透してしまったように。

 アメリカ人は日本の音楽を聞いて、みんなアメリカのコピーじゃないかというが、日本人がアメリカものと日本ものをちゃんと聞き分ける程度に、アジアの若者はその二つを聞き分けている。

 そして、日本ものそっくりな曲がアジア各国で再生産され、日本のアイドル(こういう言葉ももう使わないのか?)そっくりのメークアップや髪型がアジアの美少女のものとなり、彼女達がアジアのヒロインになっている。

 このトレンドは東南アジア全域で国境に阻止されずに共有されている。そして、同じ情報がインド、パキスタン、アラブ諸国にまで衛星テレビによって到達し ている。パキスタンで見る衛星テレビの音楽番組のテレフォン・リクエスト・コーナーには、台湾からもバーレンからも若者達が拙い英語を駆使して電話をかけ てくる。

 ポップ文化圏(とでも呼べばいいのか?)は、もたつく政治をあっさり突破して東シナ海から地中海までをひとくくりにしつつある。そして、その中で一種の 憧憬の対象となる発信地に日本がある。しかし、日本はこの大ポップ文化圏に気がついているだろうか。それを楽しんでいるだろうか。その外側でいまだに世界 は欧米と思っているのではないだろうか。

 そんなところに自分の居場所を求めているとしたら、帝国主義陣営に居場所を求めて破綻した明治日本の二の舞になるのではないだろうか。

 グローバリズムが新種の帝国主義と化すかどうか、我々は非常に危うい瞬間を目撃しようとしている。バンコクの新聞もシアトルのWTOに熱い視線を送っていた。今は昔、ウルグアイ・ラウンドの苦い経験を繰り返すまいと思っている国は多いはずだ。

 はっきりしない記憶に頼って書くが、ウルグアイ・ラウンドでは、発展途上国の多くは討議内容を明瞭に理解しないまま決議にいたり、しかもその決議を遵守 するために必要な国内整備の費用は実現可能性がまったくないほど莫大であり、かつその決定を強力に推進した先進国側はそれを遵守していない、というのが僕 がこれまでに受け取っている印象だ。反論されれば、調べなおすしかないが。

 グローバリズムを純粋に経済的に説明されれば、非常にポジティブな印象を持つが、世界のいびつな現状を考慮しないかのようなアメリカのグローバリズム喧伝は、ほとんど思想宣伝のように聞こえて違和感を持たざるを得ない。

 もちろん、そんなことは世界各国はとっくに見ぬいていて、もはやアメリカにホイホイついていく国はほとんどなさそうなのは良い傾向だと思うが、さて日本の立場はどうなんだろうというと僕にはあまり分からない。

 冷戦の終結がアメリカの道義的優越感を増幅したとしたら、とても危険なことだ。グローバリズムの安直な信仰も「西側の勝利」という総括が貢献しているだろう。あれは「東側の自滅」に過ぎなかったのではないか。それは「西側の勝利」とイコールではないだろう。

 旧ユーゴスラビア及びルワンダに関しては国際戦犯裁判所が設けられているが、常設の国際戦犯裁判所を設置しようという動きがある。アメリカを含め欧米も総論では賛成なので、これはかなり実現性が高いと思われるのだが、今ネックになっているのは、やはりアメリカだ。

 アメリカの言い分は簡単にまとめてしまうと、アメリカは自国が裁かれることだけは承認できないというのだ。そんなバカなことがあるだろうか。全世界が同じ土俵に立って一つの司法制度を作ろうとしている時に、一国だけ裁く側に回るが裁かれる側に回らないとは!

 アメリカのこういう態度を見ているかぎり、アメリカの喧伝するグローバリズムも不審の目で見られるのもしかたないことなのだ。

 グローバリズムがアメリカ一国の価値観が世界を覆うということなら、それは人類の存続にとっても自殺行為だ。多様性を維持していなければ、失敗しても取 り返しがつかない。しかし、アメリカ的価値観の世界制覇に鮮烈に抵抗している集団がいる。それがイスラムだ。僕はイスラムの内容に関してほぼ完全な無知 だ。

 だから、その教義などを議論する資格はまったくない。が、彼らの自己の価値を堅持して頭をあげて背筋を伸ばして歩もうとする姿勢は、イスラム以外の全人類の将来にとっても重要なことだと思える。

 バンコクの野外広場でアジアの若者達がごちゃまぜになって同じ音楽を聴き、タイ風にビールにアイスを入れて飲み、グループごとにはしゃぎながらも、グループ間では若干の緊張と節度を維持している、この風景はなかなかいいものだと思った。

 大阪のビアガーデン的馴れ合いも、ニューヨークのクラブ的特権臭さも、ここでは無縁のものだ。とまどいが見え隠れするボロくずファッションの日本の若者 も今の日本に居場所が発見できず、今の日本そのものの世界での位置に疑問をもって、とりあえず日本では隠蔽されてしまった「貧困」や「苦労」を見学しにこ こに出てきたのかもしれない。

 そんなものはなかなか見つからないだろうが、いきなりアフガニスタンにやってきて死んでもしょうがない。外へ出るパッションを実現した事実は何もしない日常より大きな価値がある。彼らはここで何かをつかむかもしれないし、つかまないかもしれない。

 しかし、彼らのつかんで帰ったものに日本の未来が依存しているのは確かじゃないだろうか。もう日本人は日本で腐っていてはいけない。少しずつ足をのばし、やがて知の地平線の彼方に到達した日本人達が帰ってきて新しい日本を創りなおすしか、日本に未来はないではないか。

 バンコクで流行のCDを一枚買った。  明日は日本に行こう。

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山本芳幸 
・UN Coordinator's Office for Afghanistan (国連アフガニスタン調整官事務所) 
・Programme Coordinator(計画調整官)
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Friday, November 26, 1999

イスラム・コラム No.7 「クーデターを起こしたのは誰か?」

JapanMailMedia 037F号から転載。

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 ■ イスラム・コラム No.7  山本芳幸
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「クーデターを起こしたのは誰か?」


 10月12日、本当は何が起こったのか。

 実は、まだよく分からない。パキスタン国軍がクーデターを起こしたというが、ムシャラフは、テレビで中継された、ある記者会見でこのように言ってい た。クーデターを起こしたのは我々ではない、我々はカウンター・クーデター をせざるを得ない状況に追い込まれた、それで行動を起こしただけだ、と。つ まり、パキスタン政府自身がクーデターを起こした、それに対抗する措置を とったということだ。クーデターという言葉の定義からすれば変な話である。

 しかし、これはムシャラフが突然言い出した話でもない。すでにクーデター 直後の10月17日に地元紙、DAWN に『失敗したクーデター』というタイトルの コラムが出ていた。これを書いた人気コラムニスト、アルデシール・ カワスジー氏がいう失敗したクーデターというのも、ナワズ・シャリフ首相自 身が起こしたクーデターということだ。つまり、ナワズ・シャリフ首相が クーデターを起こそうとしたが、パキスタン国軍に阻止されたという解釈だ。

 古今東西、政府の声明というのは、よくもまあ、そんなことを!とあきれるしかないような勝手な話が珍しくないし、このカウンター・クーデター説もそ の類かもしれない。真相を知るにはもっと情報が出てくるのを待つしかないと 思っていた。が、最近、ナワズ・シャリフ前首相の裁判が始まり、そこでの証 言を読むことができるようになった。また、パキスタンのジャーナリスト達も 記者魂を発揮し、10月12日ムシャラフと同じフライトに乗り合わせた乗客の話 などを取材して、だんだんと輪郭がはっきりしてきた。そして、ムシャラフ自 身も11月3日になって、初めて自分で機中での状況を記者達に話した。これらを 総合して、10月12日、いったい何が起こったのかを再構成してみると以下のよ うになった。これが決定版真相などと主張する気はさらさらない。これは、今 までに知らされたこと、に過ぎない。時系列に情報を並べてみるといろんなと ころにポッカリ空いている穴があるのが分かる。まだ、どんでん返しもあるか もしれないということを念頭に置いておいた方が良さそうだ。

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●コロンボ:午後3時30分
 パキスタンには泳げない人が多い。理由は、まず学校にほとんどプールがな いからだろうと思う。そして、その理由は、まず直接的にはそんな予算がない ことだろうが、もっと重要なことは裸になるというのがイスラム文化に馴染ま ないからではないかと想像している。しかし、彼らの身体能力は、自分が一番 よく知っている日本人のそれと比べると、ものすごく高いような気がする。 彼らが本気でスポーツに取り組んだら、かなりすごいことになるのではないだ ろうか。実際、クリケットやポロは常に世界一を争うレベルだ。

 10月初旬、スリランカで南アジアの水泳選手権があった。南アジア中の10代の少年、少女達が集まった。パキスタンはここで驚くべき健闘を見せた。総合 優勝したのは、なんとなく生まれた時からみんな泳げそうなスリランカのコロンボ・オーバーシーズ・スクールであった。しかし、準優勝にカラチ・インターナ ショナル・スクール、3位にラホール・アメリカン・スクールと上位 2校がパキスタンの学校であった。パキスタンにおける水泳競技の裾野の小ささを考えれば、これはかなりすごいことではないか。

 10月12日、準優勝をはたしたカラチ・インターナショナル・スクールの28人の生徒と4人の先生が、カラチに帰るためにパキスタン国際航空のPK805便に乗 りこんだ。彼らの中には水泳競技に参加するため各国に遠征し、国際線の飛行 機に乗ることに慣れてる者も少なくなかった。搭乗する際、二人の生徒が不審 に思ったことがあった。カスタムもイミグレーションも通過し、荷物もチェッ クインし、やっと機内に入る直前の階段の真中で、私服を着た男三人と女一人 がもう一度金属探知機で乗客の手荷物をチェックしていた。この4人はパキスタンの国語であるウルドゥー語を話していた。生徒は妙に思ったが、何事もな く通過させられ、機内に乗り込んだ。

 機内には、パキスタン国軍のトップの地位にあるムシャラフ将軍がエコノミー 席(!)の中ほどに夫人と共にすわっていた。午後5時頃、PK805便は、コロン ボからカラチに向けて飛び立った。同機は約200分後、午後6時40分頃にカラチ に到着する予定であった。

●イスラマバード:午後5時10分
 PK805がコロンボを飛び立ち、ムシャラフが機中にあった午後5時10分、 PTV(パキスタン国営放送)で、ナワズ・シャリフ首相が、パルヴェズ・ ムシャラフ将軍を解任したという速報が流された。ムシャラフ将軍の任期は 2000年4月までだった。後任として、パキスタンの情報機関である、ISI の長官、 カワジャ・ジアウディン中将が指名された。放送では、この人事の説明は一切 なかった。機中のムシャラフ将軍に解任の連絡はなかった。

 シャリフ首相にパキスタン国軍の指揮を取ることを依頼されたジアウディン は、放送直後、イスラマバードに隣接するラワルピンディのパキスタン国軍総 司令部に到着した。彼を迎えた司令官は、軍の伝統により指揮権を譲渡するた めには、ムシャラフ将軍の到着を待たなければならないとジアウディンに伝え た。予定が狂った。ジアウディンは、イスラマバードにあるムシャラフ首相官 邸に向けて車を飛ばした。

●アブ・ダビ:前日
 ナワズ・シャリフ首相が軍のトップを解任するのはこれが初めてではなかっ た。彼は軍とは常にうまく行っていなかった。ムシャラフの前任者、ジャハン ギール・カラマットは国民に向けて、パキスタンの指導者の問題について率直 に語ったために、シャリフに解任された。その後任に、シャリフ首相は序列で いえば三番目にあたるムシャラフを選んだ。ムシャラフが政治的野心がなく、 一番弱い男だと見たのだった。

 しかし、ムシャラフは兵士の中の兵士とみなされている男であった。シャリ フはそれを理解していなかったのかもしれない。1年も経たないうちに、 シャリフ首相はムシャラフとうまく行かなくなった。彼はムシャラフを解任し たくなった。

 10月11日、シャリフ首相、ISI長官のジアウディン、PTVのパルベーズ・ ラシッド、その他シャリフ首相の取り巻き計6人が密かにアブ・ダビに飛んだ。 そこで、彼らはムシャラフをスリランカの公用から帰る途中に解任し、ジアウ ディンを後任にすることを決めたのだった。

 しかし、シャリフ首相の動きを軍は察知しており、ラワルピンディの総司令 部にある第10軍団111旅団は24時間厳戒態勢をとっていた。総司令官のムシャラ フがどこにいようと、異変が起これば1時間以内にパキスタン全土を管理できる 態勢を整えていた。シャリフ首相はそれを知らなかった。

●首相官邸:午後5時40分頃
 軍に追い返されたジアウディンの報告を聞いて、ナワズ・シャリフ首相とそ の側近は次の対策を練った。結論は、PK805をカラチに着陸させないということ であった。そして彼らは、PIAのトップ、シャヒド・ハカン・アッバシにPH805 をカラチ空港に着陸させないこと、パキスタン以外のどこかへ行くよう命令す ることを指示した。

●イスラマバード:午後6時
 シャリフ首相がムシャラフを解雇した50分後、軍は行動を開始した。まず、 シャリフを官邸で拘束した。その他シャリフの側近もすべて自宅軟禁状態にお かれ、主な政府庁舎も封鎖された。PTVの放送局も軍によっておさえられ、放送 はその後3時間ストップした。電話、携帯電話も断線された。それより遅れて、 ラホール、ペシャワル、クエッタ、カラチでも軍は同様のすばやい行動を開始 した。

●PK805:午後6時45分
 カラチへの到着は6時55分くらいだろうと思っていたムシャラフの席へ秘書 のナディムが、午後6時45分頃やってきた言った。機長が何か緊急の要件で話 したいことがあるのでコックピットへ来て欲しいと。ムシャラフがコックピッ トに入ると、機長は今カラチ上空であるとムシャラフに伝えた。そして、カラ チ空港に着陸することを許可されない、パキスタン内のどこに着陸することも 許可されない、と続けた。ムシャラフは機長に機の状態を尋ねた。そしてどこ へ行けるかを。

「閣下、燃料はあと1時間分くらい残ってます。この燃料で行けるのはマスカッ トかインドだけです。高度1万5千フィートか2万フィートを飛ぶように命令され ています。現在、機は降下中で・・・」

 一通り機長は話終えて時計を見て言った。

「あと45分しか飛べません。今から到着できるのはインドだけです」

 ムシャラフは機長に応えた。

「インドに行くなら私を殺してから行ってくれ。我々はインドには行かない」

 ムシャラフは機長に現在の状況を航空管制センター(ATC)に伝えるよう命 じた。機の状態とともに、PK805はインドには向かわない、カラチに着陸した い旨を機長はATCに連絡したが、しばらく返答が返ってこない。その時点で、 ムシャラフは、おそらくATCがイスラマバードの誰か、非常に高い地位の誰か と連絡をとって指示をあおいでいるのだろうと考えていた。10分ほどして返答 があった。

「We don't care. You leave Pakistan. You won't land here (知ったこっちゃない、お前はパキスタンから出て行け、ここには着陸させないよ)」  

 しかし、この通信の後、機長は燃料はあと35分ぶんくらいしかない、インド へも行けるかどうか分からないとムシャラフに伝えた。ムシャラフは、それを 聞いて、よし、もうかまうな、カラチへ着陸しろと機長に言った。機長は ムシャラフにこたえた。

「閣下、それはできません。おそらく滑走路のライトは消されているでしょう。 しかも、我々を着陸させないために滑走路上に障害物が置いてある可能性があ ります。着陸を強行すれば大惨事になるでしょう」

 ムシャラフは機長の説明を納得するしかないと思った。しかし、彼は機長に もう一度ATCに連絡をとって、今の状況を伝えることを命じた。我々はどこに も行けない、どこに行く燃料もない、どこに行けというのだ、と。

 ATCからはまた長い沈黙が返ってきた。ムシャラフはまたATCがイスラマバー ドの誰かと電話で連絡をとっているのだろうと思った。ATCからの応答があった。 今度はパキスタン国内にあるナワブシャーに着陸を許可するという返答であっ た。ムシャラフは躊躇せずにすぐにナワブシャーに向かえと機長に命じた。

●カラチ:午後7時10分
 カラチの属するシンド州の警察庁長官、ラナ・マクブール・アーメッドとナ ワズ・シャリフのシンド州問題顧問、ガウス・アリ・シャーは、大至急ナワブ シャーの警官を駆り集め、空港に急行させること、そして、PK805が到着したら ムシャラフ将軍を逮捕し、ラナ長官とガウス顧問がヘリコプターで到着するま で拘束しておくことなどをナワブシャー警察に命令した。

●PK805:午後7時15分
 PK805がカラチ上空からナワブシャーに進路をとってハイデラバードの街が 下に見えた頃、軍のイフティカー将軍のメッセージが無線から飛びこんできた。 それは、すぐに引き返してカラチに着陸して欲しいということ、すべて問題な いということを伝えるものだった。ムシャラフはすぐにはこれを信じなかった。 これは誰が喋っているのか、いったいこれは何なのか、という疑いを持った。 ムシャラフは自分でマイクを取った。そして、軍団司令官を出すように命じた。 司令官はいなかったが、イフティカー将軍はそこにいた。彼はすべて問題なし ともう一度ムシャラフに伝えた。しかし、ムシャラフは何が起こったのか説明 を求めた。イフティカー将軍は言った。

「閣下は本日午後5時、解任されました」

 ムシャラフはこの時初めて自分が解任されたことを知った。イフティカーは 続けた。 「その後、軍は行動を起こし、全て問題はありません。カラチ空港のすべては 軍がコントロールしています。すぐに戻ってきてください」。  ムシャラフは機長に燃料の状態を尋ねた。機長は、今ならナワブシャーとカ ラチのどちらでも間に合います、と応えた。ムシャラフは考えている時間がな いことを思った。よし、直ちにカラチにひき返せと彼は機長に命じた。

●カラチ:午後7時14分
 軍はカラチ空港を午後7時14分、管理下に置き、すぐにPK805に連絡をとった。 シンド警察庁長官ラナ・マクブール・アーメッド、シンド州問題顧問ガウス・ アリ・シャー、PIA会長シャヒド・ハカン・アッバシ、PIA顧問ナディル・ チョードリーらは軍に逮捕された。シンド州知事公邸、シンド州長官公邸は軍 の管理下に置かれた。

●PK805:午後7時15分~48分
 ムシャラフはコックピットを出て、自分の席に戻った。夫人は寝ていた。す でに到着時刻を過ぎているのに、カラチ上空を舞っていることにカラチ・イン ターナショナル・スクールの女生徒、アリーナ・アーメッドは気がついていた。 何が起こっているのか、何が起きようとしているのか、なぜ何もアナウンスが ないのか、彼女は考えていた。ムシャラフと機長は乗客がパニックに陥らない ように何も伝えないことにしたのだった。しかし、着陸直前、目を覚ました妻 にムシャラフは事情を話した。夫人は泣き始めた。

 午後7時48分、PK805はカラチ空港に着陸した。残り燃料はあと7」分ぶんで あった。

●カラチ空港:午後7時48分
 カラチ空港ではムシャラフの娘がPK805の到着を待っていた。しかし、彼女は ムシャラフに会うことはできなかった。空港は軍の厳重警戒の下に置かれ、到 着したムシャラフはすぐに簡単なブリーフィングを空港で受け、カラチ軍団司 令官とともにマヒール駐屯地に向かった。「異変」が起きてから、約3時間後、 軍最高司令官の無事は確保され、パキスタン全土は軍の掌握下に入った。

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この後、夜中の午前3時、ムシャラフはテレビで会見をし、軍は行動を起こ さざるを得ない状況に追いこまれたと説明したのだった。  さて、これは誰のクーデターだったのか?

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山本芳幸(在イスラマバード)
・UN Coordinator's Office for Afghanistan / Programme Manager
(国連アフガニスタン調整官事務所 / プログラム・マネージャー)
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Friday, November 19, 1999

イスラム・コラム No.6 「No Win Situation」

JapanMailMedia 036F号から転載。
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 ■ イスラム・コラム No.6  山本芳幸
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「No Win Situation」

 この一週間はとても長かった。

 今週から三週間休みをとって、今頃は南の島でのんびりして、その後は日本にも寄りたいと思っていたが、いったい僕の休みはどうなってしまったんだろう? なんか分からなくなってしまった。チケットは?ヴィザは?ホテルの予約は?休暇の許可は?ぜーんぶ、ロケットとともに吹っ飛んでしまった。誰もそんなこと かまっちゃいない。休暇前に負えるべき仕事がそのまんま溜まって机の上がぐちゃぐちゃで触る気がしない。

  いるはずでないオフィスで、オレ、休暇中なんだよ、と恩着せがましく言って見れば、オレもだよ、という言葉が帰ってくるだけ。なんなんだ、この「休暇」と いうのは。アフガニスタンから急遽、退散してきた職員でイスラマバードのオフィスはまた満員。去年のアメリカのミサイル攻撃の後のように、また当分仕事に ならないのではないだろうか。アフガニスタンの子供は今も寒い冬の中を裸足で駆け回り、泥水を飲んで生き長らえているのだろう。何も知らなければ良かっ た、と時々思う。

1.デッドライン、その後
 国連制裁のデッドライン直前にして、アフガニスタン、パキスタンが騒々しくなった。これについては、JMMの緊急リポートとMSNニュース&ジャーナル に既に書いたので、その後、新たに分かったこと、新たに起こったことを若干付け足しておこう。

●アフガニスタン・ニューヨーク
 まず、アフガニスタンのカンダハルでおきた反米・反国連のデモに参加したのは、数千人だとMSNには書いたが、新しく入った情報によると約5万人という ことだ。前日の呼びかけでこれだけ集まるとは。その後、予想通り、アフガン人の国連制裁抗議デモは、各地に広がった。東部のジャララバード、西部のヘラー ト、北西部のマザリ・シャリフ、首都のカブールで同様のデモが数千人規模で行われ、カブールではやはり国連事務所が襲撃され、侵入された。事務所の建物、 コンピュータ、車などが破壊された。カブール中心部の群衆を静止しようと、タリバン兵士は、空に向けて自動小銃を発砲したが、むだであった。西南部のファ ラにあるUNHCR事務所には火がつけられ、燃えてしまった。大規模なデモがジャララバードの国連事務所に迫っているという連絡が入った後、無線で連絡を とろうと頑張ったが、もう事務所から全員どこかへ退避したらしく、まったく応答がなかった。

 アフガン人のデモは、アメリカの星条旗とクリントン人形を焼きながら、「オサマ、万歳!」、「オサマは偉大なムスリムだ!」、「アメリカを殺れ!」、 「女たらしのクリントンを殺せ!」、「イスラム、万歳!」を叫びながら行進した。抗議デモをするアフガン人へのインタビューが新聞に出ていたが、国連制裁 を「残酷」と表現していた。

  国連制裁に対する抗議デモはアメリカでもあった。15日、ニューヨーク・イスラミック・センターがアメリカに住むアフガン人を組織して、ニューヨークの国 連本部前で国連のアフガニスタン制裁に抗議するデモを行った。このニューヨーク・イスラミック・センターは、タリバン擁護をする組織ではない。この組織を 代表して話をしたワヒーダ・ゼヒリ女史によると、国連(アメリカ)がたった一人の男(オサマ・ビン・ラディン)とトラブっているからといって、アフガニス タン全土を対象にした制裁をするのは適切ではない、国連はもっと他の方法を採用するべきだ、という意見らしい。

  この抗議デモとその暴発によるアフガニスタン内の国連施設の被害の後、タリバンと国連の間で、ちょっと妙な、あるいは滑稽なやりとりがあった。イスラマ バードの現地国連本部のまとめ役みたいな人がタリバンに国連の警備をもっと厳重にしてくれないと困ると申し入れた。アフガニスタンからの情報によると、タ リバン兵士は暴動を鎮圧するためにかなり奮闘したようなのだが、手を抜いていたんじゃないかといわんばかりの申し入れだったので、タリバンはむっとしたん ではないだろうか。そもそも国連が決議した制裁が引き金になって、こんなことになったんじゃないかと言いたいところだろうし。しかし、タリバンはそんなこ とは言わなかった。16日、ムッラー・オマールは全アフガン国民に呼びかけた。

 「アフガン人よ、忍耐と自制を示すのだ。もうデモ行進を止めよ、デモなど止めて、アッラーに祈るのだ、抑圧者に懲罰が下ることをアッラーに祈ろう!」

  オマールの言葉が功を奏したのかどうか分からないが、とりあえず抗議デモは終息した。国連はアメリカの操り人形ではないか、国連にはもう信用がないともオ マールは言っている。ともかくも、タリバンはアフガニスタン内にある国連事務所の警備を大幅に強化した。さて、誰が誰を何のために守っているのか、もうこ れを読んでいる人は分からないんじゃないだろうか。このやりとりを見て、国連はタリバンにほとんどガキのつかい程度の扱いしか受けていないと感じるのは僕 だけだろうか。国連の信用失墜はこんなところに現れるんだろう。

●イスラマバード
 イスラマバードのテロに関してはより詳細なことが分かった。
 テロはすべてロケット砲で行われた。(1)アメリカ大使館近くに駐車してあった国連ナンバーのランドクルーザー、(2)国連事務所が密集するサウジ・パ ク・タワーというビルの近くに駐車してあったランドクルーザー、(3)アメリカン・インフォーメーション・センターのすぐ近くにとめてあった国連ナンバー のパジェロ、これら三台の車に、ロケット・ランチャーが備え付けられ、リモート・コントロールで各ランチャーから二発ずつ発射された後、三台の車はいずれ も車に備え付けられた別の爆弾で爆破された。

  ターゲットにしたと思われるのは、アメリカ大使館、アメリカン・インフォーメーション・センター、サウジ・パク・タワー(国連)の三つ。WFP事務所にと めてあった職員の車に当たったロケットとState Bank of Pakistan の敷地内に落ちたロケットがどの車から発射されたものかはまだ特定できない。この二つは運悪く当たってしまっただけでターゲットになっていなかったよう だ。ということは、ターゲットにパキスタン政府(ムシャラフ政権)は入ってなかったものとして見るべきだろう。

  現在、パキスタンとアメリカ両国がこのテロの背景を調べているが、まだ犯行者が誰なのかは分かっていない。パキスタンの秘密情報機関であるISIで 、1980年代後半、長官を勤めていたハミド・グル将軍の談話が地元の新聞に出ていた。ISIは、アメリカの援助を受けてソ連相手のジハードを戦うアフガ ン・ムジャヒディンをパキスタン側で指揮していた機関でもある。ハミド・グルは、今回のテロに使われたロケット・ランチャーを見て、こう言った。「これは 手製のランチャーだ。粗野だな。ロケット・ランチャーなんかマーケットで簡単に手に入るのに、なんでこんな粗野なランチャーを使ったんだろう?」思わず吹 き出しそうになる談話だが、これがパキスタンのリアリティだ。武器なんて簡単に手に入る。改造拳銃じゃなくて、ロケット・ランチャーのいいものが。

 誰がやったかということに関する詮索が関心をひくところだが、メディアで議論になっている、いくつかの可能性を整理すると次のようになる。

(1)「タリバンあるいはタリバンの指示で誰かががやった」
 現在の国連/アメリカとタリバンの間のやりとりの経緯から見て、この勘ぐりはナイーヴ過ぎるだろう。いきなり何の証拠もなしに、「タリバンに近い原理主 義勢力がやった可能性が高い」なんて書いていたのは、「客観報道」を建前にする日本の新聞だけで、各国メディアはこのへんについて、かなり慎重な伝え方をしていた。タリバンはなんとかして制裁を回避しようとしていろんな努力をしてきた。テロがあったのはそのデッドライン前である。今、テロをやったところで、墓穴を掘るだけでタリバンにとってはなんのメリットもない。

(2)「タリバンが行ったテロと見せかけて、タリバンをもっと孤立に追い込もうとする分子がやった」
 こういうパターンは国際政治ではよくあるので、否定できない。しかし、誰にとってそれはメリットがあるだろうか。国連がテロをやるとは考えられない。そ したら、アメリカか。CIAなら簡単にできるだろうが、冷戦、華やかりし頃ならまだしも、いまだにそんなことやってるだろうか。当然、それくらいのことやってるという意見もあれば、もうそんなちゃちな茶番はやらないという意見もある。

(3)「パキスタンの反ムシャラフ派がやった」
 パキスタンの治安が悪いという評判をまず立て、それに対してパキスタン現政権の強硬策を引き出し、ムシャラフ政権の評判を落とすことを狙ったという説 だ。これも考えられる話だ。ナワズ・シャリフ前首相の裁判がカラチで始まろうとしている矢先に関心をそらそうとしたとか、11月16日の借金返済の締め切 り後に始めるといわれている借金踏み倒し組の一切検挙の妨害工作の一端であるとか、パキスタンの内政上の動機についてはいくらでも出てくるので、それなりに説得力がある。

(4)「インドのRAW(情報機関)のしわざだ」
 パキスタンで何か悪いことが起きれば、必ずこの説が出てくる。さて、そうだとすると、今回のテロによってインドはどのようなメリットを狙ったのか。

  いずれにしても、まず「テロがあってもおかしくない」という状況があって、その通りテロが起こったか、あるいはその状況が利用されたわけだ。一般のパキス タン人はどう思っているだろうか。何人かに聞いてみたら、ことごとく、何をきいているんだ、このタコ、という怪訝な顔で返事が返ってきた。誰がやったと特 定するわけではないのだが、彼らに共通しているのは、パキスタンの情報関係が絡んでいるに決まっているじゃないか、という返事だった。

  ロケット・ランチャーというのは、粗末なものであろうと洗練されたものであろうと、ハンドバッグに入れて持ち運びできるようなしろものではない。かなりでかいのだ。そんなものを真昼間に運んで、かつ他人の車に仕掛けて、ロケットを発射するところまで、誰にも見つからずに大使館や国連の密集する最も警備の厳重な地域で、パキスタン政府内のなんらかの協力なしでできると思うのか、というのが彼らの返事だ。

  確かにそれはほとんど不可能であるように思える。では、ムシャラフがそんなことしたのか?いや、たぶんそうではないだろう、政府内の反ムシャラフ派が動いたのではないか、という言葉が返ってくる。それでは、上記の(3)のようなことなのか?と問えば、いや、タリバン系の悪事に見せかけるためにアメリカの CIAがパキスタン内の誰かを使ったのかもしれない・・・。このへんになると、もう憶測の憶測になってくる。現時点で得られる情報だけでは、これ以上なんとも言えない。

 ちなみに、ムシャラフはコメントを求められて、ほとんど絶句していた。

  「これは・・・・とても深刻だ」。

  彼の言葉はこれだけだった。タリバンの最高指導者ムッラー・モハメッド・オマールはテロの直後にこれを非難する声明を出している。オマールはこのテロをア フガニスタンとアメリカ/国連の間の緊張関係を煽る陰謀であり、かつ、アフガニスタンとパキスタンの友好関係にひび割れを入れようとする陰謀でもあると言 う。そして、我々は、どこで行われようと、どのような形態であろうと、いっさいのテロに反対する、と付け加えた。これはタリバンの従来からの方針で、これまでも再三、オマールはテロ行為を非難する声明を出してきた。

●もう一つのテロ
 実はもう一つテロがあった。それはタリバンを狙ったものだ。イスラマバードで6発のロケットが発射された12日の翌日、カブールでそれは起こった。13 日、タリバンの前情報・文化大臣で現在もタリバン高官であるアミール・カーン・ムタキは金曜日のお祈りをするため、ワジール・アクバル・カーンのモスクに 行った。予定より少し遅れてモスクから出てきたところで、モスクの前に止めてあった彼の車が運転手もろとも爆弾で吹っ飛ばされた。本人は助かった。14 日、タリバンは国際社会に下手人を逮捕するために協力して欲しいと訴えた。今のところなんの反応もない。

●踏み倒し組、逃げ切る(?)
 さて、パキスタンの借金返済デッドラインも16日にやってきた。駆け込み返済に対処するために、14日の日曜日は銀行もオープン、15、16日は閉店時 刻を5時から6時まで下げてぎりぎりまで頑張ったが、今日(17日)の朝刊によると、取り返した借金総額はどうやら60億ルピー程度だったらしい。まだ集 計が終わってないので、最終的には70億ルピーぐらいになるだろうということ。しかし、当初発表された踏み倒し総額、3560億ルピーの2%にも満たな い。今日、大口踏み倒し組の一斉検挙を開始したらしいので、明日の新聞には何か結果がでるでだろう。しかし、巨額な借金をして逃げ切ろうとしてる奴はもう とっくに海外に逃亡しているという記事も出ていたのであまり成果はないんじゃないだろうか。デッドラインより先にムシャラフ政権は、巨額踏み倒し組を公職追放するいう政策を打ち出したので、なおさらパキスタンに未練もなくパリやロンドンで優雅な余生を送ることに金満一族は決心しやすかったのではないだろうか。ムシャラフは犯罪人引渡し条約を活用してでも、パキスタンに引きずり戻すと言っているが、そもそも欧米先進国はムシャラフ政権を反デモクラティック政権とみなしているから、それも、うまくいかないような気がする。ムシャラフの前途は多難だ。

 先週、予想したとおり、暗いメールになってしまった。暗くなったついでに
"Terrorism and International Law" (『テロと国際法』)という本を見つけて買ってきた。南の島でテロの勉強でもしてみるか。もうヤケクソだな。

2.No Win Situation
 オサマ・ビン・ラディンをめぐってのアメリカ(そして国連)のタリバンに対する一連の対応、なかでも国連制裁とそれに対する抗議デモ、国連事務所の襲撃、そしてそれと関連するかもしれないイスラマバードでのテロ、この状況をBBCは、No Win Situation と表現していた。で、深い分析が続くのかと思ったが、看板倒れで中身はほとんどなかった。しかし、この看板だけ使わせてもらおう。

  ある政策を実施したとして、それによって影響を受ける社会の構成員全員が利益を得るなら、それはひとまずいい政策と呼べるだろう(1)。しかし、普通そん なにうまく行くことはあまりない。タバコなんて害しかないから、全世界禁止だと決めたとしても、タバコ屋が困る。歩道で逆立ちは禁止だと決めたとしても、 大道芸人が困るかもしれない。あちらを立てれば、こちらが立たずという状況が起きることが多い(2)。こういう時の解決に、立たない集団に補償をして一応 全員立ったことにするというのがある(2')。ゴミ収集はみんなのために役に立つ、ゴミ焼却場近辺に住む人以外は。そんな時は、ゴミ焼却場近辺の人に補償をして、ゴミ収集・焼却を実施するみたいに。次に、全員にとって利益があるわけでないが、補償なんてする必要もない状況があらわれるような政策の可能性もある。社会の少なくとも一人に利益があって、しかも他の誰にも不利益がないなら、その社会は少なくとも総体としては以前よりいい状態といえる(3:パレー ト改善)。もっとも、「一人だけいい思いをして!」と、恨みつらみが発生する可能性はあるのだが。
実施可能な政策を整理すると、

(1)全員:利益あり
(2)一部:利益あり、その他:不利益+補償
(3)一部:利益あり、その他:不利益なし
となる。

 これを外交に当てはめることもできる。アメリカとタリバンの関係に当てはめてみると、少し錯綜した状況がほぐれる、かもしれない。

  まず、言うまでもなく、アメリカは一貫してアメリカの利益(オサマ・ビン・ラディンの引渡し)を主張しているのだが、それがタリバンにとっても利益のある ものかどうかというと、まったくないので、アメリカの政策は(1)でも(3)でもない。オサマをアメリカに引き渡すことによって、タリバンはパシュトゥー ン族の掟を破り、かつイスラムの教えに叛くことになる。これは国内においても、イスラム圏においても、政治的自殺である。自殺(正統性を失い政権崩壊に至 る)だから、タリバンにとって、これ以上大きな不利益はない。そこで、アメリカは、タリバンが欲している政権承認をちらつかせて、その不利益を補償しよう としている。しかし、自殺してしまっては、政権を承認してもらってもしょうがないのだ。つまり、この補償は不利益を十分に補うことができない。そして、ア メリカは次の手として制裁という手段をとった。

 これはなんなのか?

 これは、もう一つ別種の不利益を持ちこみ、(2)との比較を迫っているということだ。具体的に書くと、a. 「オサマの引渡し+政治的自殺+政権承認」と、b. 「経済制裁+孤立化」の間で選択をしろとアメリカはタリバンに迫る。どうだ、b. の不利益を被るくらいなら、a. の不利益+補償を選択した方がましだろうということだ。

 非常にネガティブなアプローチだが、それはともかく、これはアメリカの計算違いに基づいていると思われる。この計算の基本的な考え方は、アメリカが相手 にとらしたい選択よりはるかに大きな不利益を押し付けて、その選択を採らざるを得なくするということだが、タリバンにとって、a. の選択肢はしつこいが自殺なのだ。もうそれを選択すればタリバンは存在そのものが消滅する。だから、それを上回る不利益など存在しない。すなわち、このネガティブ・アプローチは決して成功しない。

 ということは、このゲームはタリバンの勝ちか?いや、そうではないだろう。
アメリカは決して勝てないが、タリバンもその生命の維持の次に絶対に必要な政権としての承認を絶対得られないという立場に追い込まれている。つまり、勝者のいないゲームに、この両者は迷い込んだ。これは、No Win Situation だ。

 この状況を打開するには、どうすればよいのか。
 もう一度、(2)に戻ろう。アメリカのもっている切り札は政権承認だ。これがアメリカが与えることのできる最大の補償ということだ。この補償が効くため には、(2)の選択肢をとった場合の不利益が、その補償より小さくなければいけない。自殺は論外だ。つまり、オサマのアメリカへの引渡しという選択にアメ リカが固執するかぎり、この補償は効かない。つまり、タリバンを自殺させない範囲で、かつアメリカにとって最大の利益を引き出すような提案をアメリカが出 すことができれば、この問題はあっさり解決するだろう。オサマがアフガニスタンから出て行って最大の利益を得るのは、実はアメリカではなく、タリバンであ るということを考慮すれば、新しい提案ができるはずだ(あとは自分で考えろ!)。タリバンはオサマにアフガニスタンにいてほしいわけでは決してない。パ シュトゥーン族の掟を裏切らない、イスラムの教えを破らない、この二つを死守しなければいけないだけなのだ。

  だから、オサマ・ビン・ラディンがアフガニスタンを勝手に出て行くという形をタリバンは暗に提案したのだ。これなら、その後、オサマに何があっても(アメ リカに捕まっても!)、タリバンは自殺から救われる。しかし、アメリカはこれに乗らなかった。アメリカは状況を読み違えているのではないだろうか。この辺 の事情はイスラムの人にはよく分かるだろう。最近、サウジ・アラビア王室がオサマは脅威でもなんでもない、騒ぎすぎだと談話を出したのも、アメリカへの牽制のような感じに読める。

 アメリカがバカなら、アメリカにそそのかされて 勝者のいないゲームに飛び込んだ国連はもっとバカなのだろう。しかし、アメリカはいずれ軌道修正するのではないかと思う。国連はその時、アメリカが電撃的に中国と国交を回復した時の日本のようにあわてるだろうが、アメリカはそんなこと知ったこっちゃないだろう。

 11 月2日、アメリカ上院の南アジア外交小委員会で、ミルトン・ビアーデンが証言をした。彼はかつてスーダン、パキスタンのCIAのチーフを勤めていた。特に、ソ連相手のアフガン聖戦時にパキスタンに駐在したCIAのリーダーだったので、アフガニスタンの状況には詳しい。彼がまずパキスタンとの今後の付き合い方について証言した。彼は、ムシャラフはアメリカにとって非常に重要で強力な機会を提供するだろうと証言した。詳細は省くが、ムシャラフとうまくつき あっていくことがアメリカにとっての利益であるということを彼は力説していた。その後、アフガニスタンにも少し触れるのだが、そこで彼は、タリバンはアメリカと同じくらいオサマをアフガニスタンから出したがっている、アメリカ政府はタリバンとの対話を再開して(re-engage)、アフガンの文化と伝統を尊重していることを示すべきであると証言した。さらに、彼は、もし我々がアフガン人を挑発し、またミサイルで脅したりしたら、勝者はいないだろう、と忠告した。まったく、その通り!と僕は思わずはしゃぎたくなった。

 ミルトン・ビアーデンは、パキスタン、アフガニスタン、あるいはイスラム圏一般の感情や文脈、そこでの世界の見え方のようなものをよく理解しているのだろう。だからこそ、小委員会の証言に引っ張り出されたのだろうけど。

 そういう人をちゃんと見つけて連れてきて話をする機会を与えてみんなで聞く、そしてそこに引っ張ってこられた人も、世の趨勢とはまったく反対のことで も、国内文脈では絶対反発くらうようなことでもちゃんと話す、そういう意見の共有が制度的に保証されている、こういうところにアメリカの底力があるのを認 めざるを得ない。しばしば、バカではないかと思うようなことをするにも関わらず、こうやって自力で軌道修正する力をアメリカはまだ持っている。これは世界 にとって、ちょっと安心なことである。そういう能力を失った時、アメリカは人類の脅威になってしまうだろう。その時は、誰がアメリカを止めるのか、かなり気になるのだが、そんなこと気にしてるより、日本のミルトンは(いたとして!)、決して国会に呼ばれないし、呼ばれた人は台本通りにしか喋らないし(間違わずに読めたとして!)、誰もまともに聞いちゃいないし、聞いたところで誰も理解もできない、という日本の寒々しい状況を気に病むべきなのだ。
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山本芳幸(在イスラマバード)
・UN Coordinator's Office for Afghanistan / Programme Manager
 (国連アフガニスタン調整官事務所 / プログラム・マネージャー)
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Friday, November 12, 1999

イスラム・コラム No.4 「二つのデッドライン」

JapanMailMedia 035F号から転載。
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 ■ 特別寄稿               山本芳幸
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No.4 「二つのデッドライン」

●略奪と公的資金

> From: ryu murakami
>今日28日の日経朝刊の国際面に、「パキスタン前首相、拘禁の家族に電話」
>という見出しで、以下のような小さな記事がありました。
>(ニューデリー 大沢正英)
>「パキスタンのシャリフ前首相は27日、軍事クーデターで12日に解任されて
> 以来初めて、家族と電話で約1時間話をした。前首相の家族は北部ラホール
>に郊外にある自宅で軍部隊に拘禁されており、家族を監視しているアティ
>クゥル・レーマン少佐がまず電話を受け、家族に渡したという。シャリフ氏
>の所在は不明だが、一応無事であることが確認された。
> シャリフ前首相の自宅は180ヘクタールの敷地に24の建物が建ち、総大理石
>造りで新築した大邸宅は27部屋ある」

> いくらパキスタンが土地が安いからって、180ヘクタールって何ですか?
> 普通ヘクタールという単位は山林とか田畑とか牧場とかに使うものです。
> 驚きました。

 何なんでしょうね、180ヘクタールの敷地・24の建物・27部屋って?
 何億光年とか何ナノとかそういう単位とほとんど同じレベルになってしまって、なんかよく分からない。坪に直してあったりすると、ちょっと助かるかもしれないんですが。いや、おんなじだ。五十四万五千四百五十四坪と直してもさっぱりイメージできなかった。

  いくらパキスタンの物価が安いといっても、日本風に言えば4LDKのこじんまりした庭付き一戸建てをイスラマバードで買おうと思えば、土地を含めて600 万円くらいします。坪数で言えば、40坪くらいでしょうか。それの約13636倍ですから、単純に値段も13636倍とすると、818億円以上になります よ。どうするんですか。

 ナワズ・シャリフ前首相の年収は440万円だそうですから、その18594年分です。
こんな家をローンで買ったりするとキツイでしょうね。利子抜きでも今後18世紀以上返済に追われてしまいます。これは、やっぱり踏み倒すしかないでしょう。

  シャリフ前首相がどうやってこの「自宅」を手に入れたか知りませんが(正当な経済活動の報酬によるという可能性も含めて)、上に書いたような冗談としか思 えない話が現実に起こっているのがパキスタンだったわけです。その踏み倒し総額は、3560億ルピーと10月24日の新聞に出ていました。USドルになお すと約69億8千ドル、日本円で約7469億円です。この総額の約3割を、たった322のファミリーもしくはグループ---例えば、ブットー一族とかシャ リフ一族というようにまとめたのだと思います---が負っているそうです。日本で金融機関救済のために投下された公的資金は7兆5千億円だそうですが、そ れに比べたら約10分の1です。しれているかもしれない・・・。

 しかし、経済の規模を見ると、これは結構ひどいことになっていたと思います。
 ちょっと数字が古いですが、97年のパキスタンのGDPは460億ドルです。日本円に換算すると約5兆円です。日本のGDPは約480兆円です。GDP で経済規模の比較をすることがどれほど実態をよく表すのか分かりませんが、日本とパキスタンの経済力の差は、100対1ぐらいであるというのが僕のイメー ジです。もし、パキスタン並みの踏み倒しが日本で発生して、それを公的資金で救済するとなったら、その額は、7兆5千億円でなく、75兆円になってしまい ます。これぐらいになると、日本人もやはり「暴動!」というキナクサイ衝動くらいは持ったかもしれません。パキスタンの借金踏み倒しは、それくらいひどい ことになってたわけです。

  ところで、日本の不良債権の話はJMMの議論でも相当つっこんで議論されてきましたが、僕は実はいまだにあのお金はどこ行ったんだということがピンと来な いんです。あれだけ言っても分からないかと言われそうですが、どうも酒飲んで寿司食って無くなる程度の額じゃないと思考能力の限界を超えてしまうようで す。とにかく、もうどこにも無いらしいから国が払うことになった、つまり僕の払った分も含めてみんなの税金で他人の借金払ってやったというイメージなんで すが、しかし、お金が無くなるってどういうことなんですかね。一円、一円に寿命があって、やがて死ぬんなら分かるんですが、お金が死ぬわけないでしょう し。無くなったっていったって、どこかで密かに(おおっぴらに!?)生きているわけですよね。そのお金がどこにいるんだということが、なかなかピシッと分 からない。信用取引などない時代なら、一つ一つのコインとか紙幣に名前つけて追跡調査すれば、あるコインの一生なんかが白日の下に晒されて分かりやすかったでしょうが。

  ともかく、パキスタンではとんでもない額の借金がいったんは踏み倒されたってことなんですが、これをムシャラフ政権は今、懸命に調べていて、全部取り返そ うとしているわけです。取り返すんですよ、取り返す。やばい銀行に公的資金を注入して救うんじゃなくて。分かりやすいなあ、と僕は思った。どこ行ったか分 からないんでなくて、まだちゃんと分かるわけです。ある銀行員は新聞記者のインタビューに答えて、こんなふうに話していました。この巨大な借金を返してい ない人達というのは、いつでも返せる人たちなんです、お金は持ってる、だから返せるはずなんですが・・・。

 僕は、ひょっとしたら、ルピーの札束を自宅の倉庫に山のように積み上げているんではないか、なんて想像するんですが、いくらなんでもそんなことは・・・、いや、やりかねない。

  地元新聞は、この巨大な借金を踏み倒して逃げ切ろうとしている人達のことを、「融資を受けた」ではなく「略奪した」者という言葉で表現しています。分かり やすい。ムシャラフは、この「略奪者たち」に11月16日までに自主的に返済する猶予を与えています。それを過ぎても返さない奴に対しては、アクションを とると。どんなアクションなのかは言明されてませんが、これはちょっと注目してます。

  約7469億円の不良債権の中には、確かに「略奪」としかいいようのないものもあり、それがほとんどパキスタンの物価水準から考えれば想像を絶する巨大な ものなのですが、普通の並みのまじめな融資が焦げ付いたという例もあります。そのほとんどは零細農家で、借金の額は日本円でいうと一件で1万円とか2万円 という額なのですが、多くは綿花の不況で返せなくなってます。パキスタンでは、公務員や会社員の初任給が5000円前後ですから、1万円~2万円というの は結構大きな額なのです。

 困ったことに、巨額債務者が借金を返したという 例は新聞にはトンと出てこないのですが、こういう貧農が今、農業開発銀行などの金融機関に急き立てられて、パニックに陥り、土地、家屋、挙句の果てに農機 具まで売って借金を返しているという記事がありました。ある一家は15000ルピー(約3万円)の借金を返すために、唯一の財産である、つがいの牛2頭を 売ってしまった。弱みにつけこまれて買い叩かれたものだから、12000ルピー(約2万4千円)にしかならなかった。足りない。借金返せない。農業も続け られない。どうしよう、という悲惨な話も出てました。記事の論調は、こういう貧しい農家をいじめてはいけない、彼らは略奪者ではない、略奪者とまじめな債 務者の間に線を引いて対処するべきだというものでした。

 何があっても損するのは貧乏人なのかという憤懣が積もった上に、金満「略奪者」が逃げ切ったりした日には、爆発するパキスタン国民が出てきても不思議で はないと思います。今度こそ「銃声と流血」騒ぎになるかもしれない。これはムシャラフ政権、金満一族の踏み倒しを阻止することももちろん大事ですが、早い うちに貧農保護に何か手を打っておかないと、やばいのではないでしょうか。

●もう一つのデッドライン

 前節を書いたのは先週なんですが、僕が心配するまでもなく、ムシャラフは月曜日(11月1日)の記者会見で「貧農保護」を打ち出し、我々が狙っているのはBig fish であるというような言い方で、大富豪の踏み倒し組を逃がさない決意を示していました。

  ところで、借金のデッドラインの他に今もう一つ気になるデッドラインがあります。こっちの方はアフガニスタンに関することです。10月15日、国連の安全 保障理事会は、タリバンがオサマ・ビン・ラディンを1ヶ月以内に引き渡さないと、国連加盟国による制裁を開始するという決議を出しました。原案を書いたの はもちろんアメリカです。制裁の内容はタリバンが運営する航空機(アリアナ航空といいます)の発着を加盟国は禁じる、加盟国にあるタリバンの銀行口座、資 産をすべて凍結するというものです。要するに、タリバン封じ込め策を発動するということです。このデッドラインが11月14日です。

  もう20日が過ぎましたが、この間色々な外交劇がありました。まず、タリバンの最初の反応は、イスラムを裏切るようなことはできない、というものでした。 つまり、タリバンの論理は、助けを求めてやってきた客人に庇護を与えるのはイスラムの教えである、であるから、オサマをアメリカに引き渡すというのはイス ラムの教えに背くものである、我々はいかなる犠牲を払ってもそのようなことをする用意はない、というものです。また、タリバンは、アメリカもしくは国連が 我々に経済的、軍事的圧力をかけて要求が通ると思っているなら、それは間違っている、と言っています。

 まったく予想された反応で、『カブール・ノート』No.4 で書いたようなことを知っている人なら驚かなかったと思います。むしろこんな決議を出したことに僕は驚きました。アメリカはすでに単独で経済制裁に踏み 切っていたのですが、まったく効果はありませんでした。それで、アメリカは国連を巻き込んだというわけですが、目的を達成する見こみがほとんどないだけで なく、全然国際政治に関係なく餓死寸前でなんとか生き長らえている人達を一番先にヒットするようなことをするとはトホホ、と思ったのです。もう少し慎重に なるべきではないかと。もっとあざとい感想を言えば、ああこれでまた仕事がしにくくなる、というのもあったのですが。

  一般的に言って、「経済制裁」は目的達成という点では全然効果ないじゃないか、経済的には確かに打撃を与えるのだけど、それはほとんど直接にかつ痛烈に一 番貧しい人々に打撃を与えて、制裁を実施する国に対する反感を煽るだけに終わる、と僕は思っています。第一次世界大戦から1990年までの間に115の 「経済制裁」があったそうですが、そのうち部分的にでも成功と言えるのは、たった34%だそうです。この115件の「経済制裁」を1973年以前と以後に 分けると、73年以前の成功率が44%であったのに対し、73年以後の成功率はなんと 14%だそうです。これは素人の直感にかなり一致しています。つまり、「経済制裁」の効用は凋落傾向にあるのですが、これに加えて、「経済制裁」は友好国 間では効果が高いが元々友好国でなかった場合は効果が非常に低いという研究結果もあります。アメリカのキューバ、イラク、アフガニスタンなどに対する「経 済制裁」の失敗がそのよい例でしょう。ちなみに115のうち77件がアメ リカによる経済制裁です。(「経済制裁」の研究に関しては、Institute for International Economicsを参考にしま した。)

  話がそれましたが、アフガニスタンの話に戻ると、今カブールの郵便局は男女が長い列を作ってごったがえしています。というのは、アリアナ航空が外国へ飛ん でいけなくなると、外国への郵便物が届かなくなる、そうなる前に外国にいる家族や友人に手紙を出したいというわけです。約20年の戦乱の間に、難民として 隣国で生活するようになったアフガン人だけでなく、欧米に移り住んだアフガン人も相当います。正確な人数はわかりませんが、メディアでは数百万という数字 が出ています。電話線が寸断されているアフガニスタンでは、こういう外国にいるアフガン人とアフガニスタンに留まっているアフガン人との間の唯一のコミュ ニケーション手段が郵便なのです。衛星電話という手もありますが、普通のアフガン人は普通の日本人と同じようにそんなもの使わないでしょう。一度は大見得 を切ったタリバンですが、この事態を重視したのか、制裁の中から郵便だけは除外して欲しいと国連に申し入れしました。が、今のところ、何も反応はありませ ん。

 10月19日、ワシントンでタリバンの代表とアメリカ国務省の間でオ サマ問題に関して、話し合いが持たれました。そこで、タリバンは、アフガニスタン、サウジアラビア、その他のイスラム国の宗教家が集まり、オサマ問題の解 決方法を討議するということを提案したのですが、アメリカを拒絶しました。タリバンにとっては、オサマを庇護するということはイスラムの教えの問題である ので、宗教的な自殺行為(オサマを追い出す)をなんとかして避けなければいけないわけです。そこで宗教家によるなんらかの決定が欲しいということになる。

  ところで、オサマ・ビン・ラディン自身もタリバンの窮状を見かねたのか、10月15日の国連安保理の決議が出た後、タリバンに「もうアフガニスタンを出て 行く」という手紙を出しました。それには二つ条件があって、一つはアフガニスタンを安全に出国できるようタリバンがオサマを護衛すること、もう一つはオサ マの行き先を誰にも言わないこと、というものです。なんだか当たり前すぎて、ほのぼのとしたものを感じてしまった。タリバンはこれに対して、オサマのその 決心がなんらかの外からの圧力によるものでなく、自由な意志決定によるものであることを確認できるかぎり、オサマが出て行くのを止めない、と発表しまし た。しかし、これに対してアメリカはまったく関心を示しませんでした。

 10 月15日以来、タリバンが新しい提案を出す、アメリカが拒絶するという同じパターンが続いていたのですが、結局オサマがアフガニスタンを自ら出国する用意 ができたにも関わらず、アメリカの態度が軟化しなかったために、タリバンはアメリカはオサマ問題を解決する気が無い、オサマを口実にしてイスラムを敵視し ているだけだと言っています。なんでこんなにこじれてしまったのか。この20日間のアメリカとタリバンの応酬に、両者の基本的姿勢が顕著に出ています。 が、長くなるので、また次回に報告します。
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イスラム・コラム No.5 「共同体との対決」

JapanMailMedia 035F号から転載。
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 ■ イスラム・コラム No.5  山本芳幸
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「共同体との対決」

龍さん

 すんません、先週はとうとうデッドラインに間に合わなくなって。
 他人のデッドラインの話を書いていたら、自分のデッドラインに間に合わなくなった。デッドラインの怨念ですかね。

  本質的な責任はギリギリまで原稿を出さない自分にあるのですが、世間体のいい言い訳を探すと、電話線が切れて右往左往している間に時間を浪費してしまった というのがありました。そこで、散々検討した予定をまた変えて、電話線の話から始めたいと思います。電話線が切れるなんてことは、日本で生活する限り ちょっと経験できないことだと思うので詳しく書きたいと思ったわけでなく、この電話線切断騒動にもクーデターの余波を感じたからです。
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 ある日、突然電話が通じなくなる。パキスタンではこんなことに誰も驚かない。

 あっ、またか、と思い、電話局になんとかして連絡する。「すぐ行く!」という調子のいい返事が返ってくる。1時間、2時間、3時間、その日は誰も来な い。パキスタンではこんなことに誰も驚かない。翌日、また電話局に連絡する。昨日、すぐ行くなんて言って、誰も来なかったじゃないか、と詰問調で迫ってみ る。相手は、決して謝らない。全然こちらの言葉を聞かず、性懲りもなく「すぐ行く!」を連呼する。

 パキスタンではこんなことに誰も驚かない。こういうことを1週間くらい繰り返してみる。1週間後に電話が繋がっていたら、運が良かったと家族みんなでお 祝いをする。1ヶ月くらいで繋がったら、自分は並みの人生を歩んでいるなと納得する。それ以上経って、繋がらなかった場合は、借金をしてカラシニコフ屋さ んに行く。そういうのがパキスタンだ。

 電話線が繋がらないと僕はとても困るのだ、コンピュータに繋ぐのだぞ、これで日本でもアメリカでも繋がるんだかんな、市内通話料金だけでいいんだぞ、おい、分かってんのか、このっ!

  こういう恫喝めいた、やや帝国主義的腐臭も漂う話を何度したことだろうか。電話が繋がらない時には必ず緊急な用事がある。マーフィーの法則はイスラム国に も適用できるらしい。たかが電話線一つ切れたくらいで、先進国人の苛立ちは一気に沸騰点に達してしまう。それぐらい電話線が肉体化してしまっている。自分 の肉体の一部を切り取られたら、誰でもカッとするだろう。電話線が切れたという一大事にのんびりヘラヘラ対応しているパキスタン人を見ると、もうダメだ。 この世は理不尽だ!正義はどこにある?!神は我々を見捨てたのか?!と要は世界が理解できなくなってきて、あらゆる究極の審判者を持ち出してきて、電話線 が切れたという不正を正してもらいたくなるのだ。

 こうやって、あなたの信じていたものが何一つ動かない世界に入って、完全な無力感に打ちひしがれている外国人にもやがて神の使者かと見まがうような人物が必ず登場するだろう。それは外国大好き権力者だ!

  外国人のお友達がたくさんいる、外国人に顔が利く、外国人が集まるハイ・ソサエティな(ケッ!)パーチーに呼ばれる、などなどをステイタスの象徴にする田 舎もんが全世界の首都なんかにドッといるのだろうけど、パキスタンでは不幸なことに、そういう人達が権力を牛耳ってきた層と相当、いやほとんど丸々重なっ ている。あなたも遅かれ早かれ彼らの網に引っかかる。ものすごく意気投合するかもしれない。あるいは、一度会ってうんざりするかもしれない。

 いずれにしても、彼らがあなたの家にやってくるのは時間の問題だ。しつこい電話攻勢に負けて、気の弱いあなたは彼らをうっかり晩御飯に招待してしまうかもしれない。慈悲深いあなたは、うっとおしいけど、お茶ぐらい招待するしかないかと思うかもしれない。

  いや、外国生活に慣れていると自負するあなたは気の進みもしない相手を招待してしまうようなことは決してしないと信じているかもしれない。が、それでも、 無駄だ。ある日突然、いや~、ミスター○○ッ~、ハウ・アー・ユー~と言いながら、なんだこいつ?とまだ状況が飲み込めずボーっと玄関口に出てしまったあ なたを彼らの一人が力強く抱きしめるだろう。彼らの手には、チキン・ティッカ、マトン・カライ、シシカバブ、ダイー、ナン、などパキスタン名物一式が入っ たビニール袋がしっかり握り締められており、ちょっと近くまで来たついでに寄ったと(そんなわけないだろう!)言い張りながら、決してそこから立ち去ろう などという気配を微塵も見せず、満面に笑顔をたたえて、権力者はあなたの優しい一言を待っている。もう逃げ道はどこにもない。しょうがない。「どうぞ、まあ、ちょっと中へ」と言った瞬間、権力者の顔に一瞬険しい表情が戻り、後ろを振り向き、すかさず二次攻撃の指令を出している。

 すると、今まで見えなかった男どもがわさわさと現れ、なっ、なんだ、なんだ、おい、その鍋はなんだ、その大皿は、おいおい誰だ、そいつ?専属のコックだっ て?何する気だ、うわっ、マンゴー一箱も持ってきてここで商売する気かよ、とうろたえているあなたを尻目にあっという間に、あなたの家は大晩餐会の会場と なっている。

 とんでもないなあ、も~、などという不機嫌用語がありありと顔に出ているあなたにはまったく気づかないふりをして、権力者は仲間たちを次々に相互に紹介しあって、彼らの富と権力をあなたの前でたたえあっているだろう。

 一通り、それに満足すると、次は好意に満ち溢れた質問攻勢が始まる。

なんか困っていることはないか?
なんかしてやれることはないか?
なんでもできるんだぞ、えっ、なんかないか?

 いや、別に、などと決して答えられない雰囲気がひしひしと伝わってくる。何か見せ場を彼らに与えないといけないのだ。なんか困っていることないかなあ、そう言えば、ビザがもうすぐ切れるな、と言った瞬間、

ノープロブレム!

とひときわ大きな声が胸をそり返した権力者の口から返ってくる。あれ?そうですか、あれ結構時間かかるんすよ、うちの事務所では切れる2ヶ月前に申請することにしていて・・・・。

ノープロブレム!ファイブ・ミニッツ!5分でできる、

と言い張る。そうかあ、便利だなあ、そうだ、運転免許証も切れてんだなあ、と口に出すや否や、

ノープロブレム!トゥモロー!明日持って来るある、5分で新しいのを発行してみせよう。

 あれまあ、そんな簡単なの?普通3ヶ月くらいかかるんだよ、まあいいか。それくらいで満足していると、さらに追い討ちを駆けられるだろう。

もうないのか?それだけか?えっ?もうないの?

 と、権力者一同はつまらそうな顔をしている。なんだか気の毒になってきて、一所懸命あなたは自分の不幸一覧表をあたまに思い浮かべるだろう。そうだなあ、電話線がよく切れて頭に来てますが、

ノープロブレム!今度切れたら、すぐに連絡しろ、5分で直して見せよう。

 そんな大げさな、と僕の場合は思った。

 しかし、彼らの言ったことは全部本当だった。5分が10分になるような誤差はあったが、本当に彼らはなんでもできるのだ。何にもまともに動かない、この パキスタンで。これがパキスタンの癌となっており、ムシャラフが今、撲滅しようとしているFavoritism だ。Favoritism とは、身内、仲間、同郷者、などを法的な根拠なしにエコヒイキすることと解説しておこう。これには、電話線の修理から大臣のポストまで、生活・人生のあり とあらゆることが影響を受ける。

  もとはといえば、仲間同士では、決して対立したくないという非常に日本人に分かりやすいメンタリティがパキスタンには良く残っていて、それを憲法で定めた 近代的な国家制度にそのまま持ちこんでしまっているということなのだと思う。そういう環境下では近代的選挙制度が極めて漫画的に働く。地縁・ 血縁・部族縁みたいなものが強力に投票者の心を拘束しているのだから、伝統的な紐帯で固く結ばれた集団ごとに同じ投票がなされる。デモクラシーは確か個を 基礎にしているはずだったが、ここでは選挙制度は、各共同体の固い結束を確認することにのみ役立つ。だから、外からそんな制度を持ってきてポッと適用しよ うなんてしてもダメなのだという話は日本を含めてアジア・アフリカ各国にあるでしょう。面倒くさいけど、付け足しておくと先進国でも程度の差はあれ、同じ 現象はあるのですが。

  借金踏み倒しもFavoritism が元凶になっている。借金する、返さない、ノープロブレム、と言ってしまう。パキスタン人にとって、法に厳しくしたがって、親戚や同部族の者たちに対して エコヒイキしないというのは非常に難しいことなのだろうと思う。しかし、それを止めなければ、国家制度はまともに機能しないし、公正な競争による市場経済 の発展など期待もできないし、踏み倒しもなくならない。ムシャラフが直面しているのは、こういう問題なのだ。

 Accountability の実現は、先進国でいうほどシンプルな問題ではない。それは、共同体メンタリティとの正面からの対決でもあるのだ。そこに注目すれば、ムシャラフのやろう としていることに、近代革命(!)としての側面があることに気づくだろう。パキスタンは今やっとこさ、自分達で共同体と対決するという地点に達したと言え る。だからこそ、パキスタンの地方に厳然として残る封建性の一掃が地元メディアを賑わすムシャラフ応援歌に必ず入ってくる。

  恐ろしく困難な事業に今パキスタンは乗り出している。だから、半世紀弱で四回も軍政をやらかして、どうせまた今度もダメだろうと揶揄したり、マニュアル通 りに「デモクラシーへの復帰を」などという念仏以上の意味がない声明を繰り返している外国政府、外国メディアにはほとんど悪意しか感じない。悪意がないな ら、単に無能なのだろう。

 電話線に戻ると、今回、僕は「身内の」権力者に 頼まなかった。なんかそういうことをするのはムシャラフさんの事業の足をひっぱるようで嫌な感じがして、普通の手続きでどうなるか見てみようと思ったわけ です。切断後三日目まで毎日、僕は電話局に連絡して「すぐ行く!」を聞き続けていた。しかし、三日が限度で、もう癇癪を起こす寸前まで来てしまった。そし て、とうとう、一人の権力者に電話してみた。もはや失墜しているのではないかと思ったが、彼はのうのうと同じ椅子に座っていた。ノープロブレム!も同じよ うに返ってきた。しかし、これで繋がるとは今回僕は思っていなかった。彼の干渉はひょっとしたら効果ないかもしれないと思っていたのです。

 電話局の人達も普通の職員はムシャラフ支持でしょう。権力者の干渉にもう屈しなくてよいと思っているのではないか。かえって逆効果かもしれない。いや、効果があってはいけないのだ。

  権力者の干渉が効果なければ、すなわち僕の電話が5分以内に繋がらなければ、ムシャラフに未来はある。すぐに誰かが飛んできて電話の修理を始めるような ら、ムシャラフの未来は暗いということです。電話は繋がって欲しいが、誰も来ないで欲しいというようなアンビバレントな気持ちで待っていた。

 5 分経ち、30分経ち、1時間経ったが誰も来ない。3時間経っても誰も来ない。やっぱり権力者の効用は消えていた。ムシャラフ効果は相当すみずみまで浸透し つつあると考えていいのではないか。その後、僕はやや安心した気持ちと爆発寸前の癇癪を抱えて、夜の町を電話局を探しに出て行くことにした。

  交換機センターと呼ばれるところに辿り着き、苦情受け付けに、3日間、毎日修理を頼んでいるのに誰も来ない、どういうことなんだ?と押し殺した怒りが丸だ しの声で言うと、「すぐ行く!」が返ってくる。いや、すぐ来なくていい、そんなこと毎日聞いている、今から技術者を僕の車でいっしょに連れて行くから一人 出せ、と僕は主張しました。しかし、技術者は外に出ていて、そこから直接現場に行くから家で待ってろ、という返事。もう僕は諦めた。エコヒイキも効かな い、制度も動かない、そんな大変な国になってしまった、パキスタン、厳しいぞお、と思いながら、そのまま買い物に行った。

 2 時間ほどして家に戻ると、門柱の脇の真っ暗な闇の中でうずくまっている男が一人いるではないか。そこには外からの電話線が来ているボックスがある。雨がシ トシト降っていたが、傘もささず汚い布で鉢巻をして、懐中電灯一つでバラバラにした電話線を一本一本調べていた。今頃、のこのこと!とまだ腹立つ気ちも 残っていたが、このオヤジさんには何の罪もないのだと思いなおして、家から非常灯を出してきて貸してやった。

  夜の9時、雨の降る中、カッパも与えられず、ろくな道具も持たず、真っ暗な中で電話線を修理するこういう人の給料は想像を絶するほど安いんだろうなと思い ながら、僕はしばらく彼の作業を見ていた。こういうオヤジさんに正当な報酬が来る日がいつかは来るのだろうか。その日がくるためには、エコヒイキを与える ことを拒絶しても社会的制裁をくらわないように誰かが保証してやらないといけない。ムシャラフ政権にどこまでそれができるだろうか。エコヒイキを要求する のは、電話線ごときで苛立つ外国人だけではない。武装した地方豪族だっていっぱいいるのだ。電話局の普通のオヤジさんがこういう輩のエコヒイキ要求を、生 命を危険にさらさずに拒絶できなければ、ムシャラフは失敗する。

 僕の電話は三日間繋がらなかった。しかも三日後、正規の苦情ルートを通じて今繋がろうとしている。エコヒイキがともかく麻痺した。そして、正しい制度があまり効率的とは言えないが機能しようとしている。これは良い兆しではないか。

  暗闇でうずくまるオヤジさんは、断線の原因をつきとめた。問題はここにはないと断言する。他のどこかにあるらしい。今からそこへ行って修理するという。な んだか言い訳臭くて僕は半信半疑で聞いていたが、何も抗弁する根拠がない。彼は1時間で繋がるという。僕が分かったと言うと、彼は自転車に乗って暗闇の中 へ消えて行った。

 約1時間後、電話がかかってきた。三日ぶりだ。受話器を取ると電話局だった。繋がってるか?ときく。当たり前だろ、繋がってるから今、受話器取ったんだと思ったが、繋がってると答えた。OK?とうれしそうにきくので、OKと僕もうれしそうに応えた。

 危うい出だしながら、なんとかパキスタンは良い方向に向かっているのではないか。

 電話がなかなか繋がらないのは良い知らせだったのだ。
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というのが、電話にまつわるクーデター話でした。

原稿の遅れでここまで壮大な言い訳を書いた奴はいないでしょう。
しかし、未来のある話を書くと気分がいいもんですね。

タリバンとアメリカの確執については、次回に延期します。が、 次の配信時(11月19日)までには、二つのデッドラインは通過してますね。 その経過によっては、また別の話になるかもしれません。
これは気の重い話になりそうです。

では、また。
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山本芳幸(在イスラマバード)
・UN Coordinator's Office for Afghanistan / Programme Manager
 (国連アフガニスタン調整官事務所 / プログラム・マネージャー)
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Friday, October 29, 1999

イスラム・コラム No.3 「欧米では不満の声があがっている」

JapanMailMedia 033F号から転載。
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 ■ 特別寄稿               山本芳幸
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No.3 「欧米では不満の声があがっている」


10月22日(金)

 日本人のジャーナリストに会う。
 JMMに僕が書いたものを読み、抗議の電話をかけてきたので、サシで決着をつけることにした。

 案の定、面会と同時に乱闘状態になり、ようやく流血の惨事が発生し、これでやっと記事が書けると彼は喜んで帰っていった、みたいなことは何にもなかっ た。実際は、国連クラブという、酒あり女あり---いや、女はない、かわりに豚肉がある---のイスラムもパキスタン文化も完全無視の植民地主義全盛かと 思われる、たわけた治外法権地で晩飯を食いながら、彼を取材しただけであった。いや、彼が僕を取材したのかもしれない。

  もうほとんどみんな帰ってしまいました、とその日本人は言った。今、残っているジャーナリストはみんなムシャラフとの会見を狙っているそうだ。地元の新聞 記事はムシャラフが自宅でBBCと会見した模様などを詳しく伝えていた。それには、今ムシャラフは一生懸命マイルドなイメージ作りに励んでいるように書い てあった。結構簡単にインタビューなんかできそうな気がしたが、そうでもないのだろうか。JMMから突撃インタビュー要員を送ったらどうだろう?

  日本の新聞はどうしてあんなに薄っぺらいんだろう、と僕は言った。いや、そんなことはない、日本の新聞は30ページくらいある、厚い方です、アメリカの新 聞は分厚いけど、ほとんど広告でしょう、というようなことを彼は言っていた。どうも気に障ったみたいなので、いや、そうではなくて、内容が薄っぺらいので すと言いかけたが、場が悪化しそうなので止めた。

 記事が断片的で文脈が見 えない、たぶん普通の読者には何も伝わらないのではないだろうか、と言ってみた。客観主義の建前がそういう記事を作ってしまう、日本の新聞では意見のよう なものは別枠で載せるようにできていて、記事と分離している、というように彼は説明した。だからあ~、そこを~、と高校生風に喋ってみたくなったが、やは り止めた。

 客観的な記事なんて書けるでしょうか、ファクトなんて言ったっ て、並べ替えただけで別の印象を作ることできるでしょう、とネチネチと迫ってみた。確かに客観的な記事などありません、と彼が言うやいなや、どうせ書けな いのに書いたふりをするのはたちが悪い、欧米のメディアの強引な文脈形成には腹が立ちますが、もうそれはそれとして分かっているので、読者は自分の責任で その記事を受け入れるかどうか判断できるのです、あなたも客観主義止めてみませんか?のようなことを言ってみた。

 いや、そうは言ってもタバコを止めるような具合には行かないのです、と答えてくれたらおもしろかったのだが、彼は日本もだんだん変わって来てます、と言って僕の挑発には乗らなかった。

 それにしても、歴史の流れの中に「事件」を位置づけるというような作業をしないで放り出されたファクトって何か意味あるんでしょうかと言ってみた。僕もかなりしつこい。あっ、それ上司がよく言ってます、と彼は言う。カクンと僕のひざが抜ける音が聞こえた。

 確かに我々に勉強不足のところがあるんです、と彼は言った。そこで僕は、だったら勉強すればいいじゃないか、とは流石に言わなかった。もっと根性の悪そ うな人だったら、「お前は何様だ!」という絶叫を引き出すまでねばったかもしれないが、この人は根性悪ではなかったので、もうこの話は止めることにした。

 彼はほっとしたのか、いや、なかなか記事にできないことは、他の形で書いてフラストレーションを消化しているというか、そんな感じなんですねえええ、と 彼はパキスタンで食べるポークのスペアリブという奇跡に気づかず、つぶやいていた。だから、食べ物一つでも文脈を見落とすと・・・くどい。彼も日本の善良 な一会社員なのだった。


10月25日(月)

 驚いた。龍さんから督促状が届いていた。また、育英会からの催促かと思った。いや、実際は督促でも催促でもなく、控えめな舵取りみたいなものだが、なんか先日の底意地の悪い会話を聞かれていたような気がしてオロっとした。ちょっと長いけど、引用してみよう。

>今日の朝日新聞朝刊と日経には、
>
>「ムシャラフ参謀総長が25日から3日間の予定で、
>サウジとアラブ首長国連邦へ訪問する。
>無血クーデター以来初めての外国訪問」
>
>という短い記事が載りました。
>NY Times をウェブでチェックしようと思ったのですが、
>キューバのバンドのコンサートがあって時間がありませんでした。
>
>パキスタンやアフガニスタン情勢の報道について、
>アメリカのメディアと日本では何か違いますか?
>あ、そうか、山本さんは日本のメディアの様子がわからないんですよね。

 ウェブで日本の新聞記事を見ることはできるけど、確かに様子はよく分からない。
 それはもちろん主観アパルトヘイトのせいだ。味も色も臭いもないような「客観的」な記事が列挙してあるだけでは、様子というのは分かりにくい。日本の新聞社にマンデラはいないのか。

 とまた何様的なことをいっても、日本の新聞をほとんど見ていないので、いくつか日本の新聞サイトをのぞいてみた。うっ、マンデラはいるらしい。●●の視 点とか、そんな感じの「主観です用語」をタイトルにしたコーナーをいくつか発見した。しかし、ああでもないけど、こうでもないけど、ああでもないから、こ うでもない、みたいな主観揉み消し工作癖が抜けないような「視点」であった。どれを読んでも六字以内でまとめると「色々あった。」になりそうだ。

  視点を明瞭にできない、というのは客観主義とは何の関係もなくて、自分の発言の責任は自分が引き受けるという当たり前のことから逃避しているだけではない のだろうか。だから、話題がなんであろうと、結論はいつも「人それぞれ色々ありますね」みたいなことで逃げ道を最大限確保し、色々間の闘争にはちっとも 入っていかない。このフニャラフニャラとした態度、何があっても自分には絶対責任などないという態度、あらゆる立場を自分は理解しているのだけどどれにも 自分はコミットしないという態度、自分は常に偏向から免れていて公正中立な立場に立てると信じこむ態度、こういうのは新聞よりテレビの方がいっそう丸だし になっていたような気がする。

 普通の日本人は、とっくにそういうウソまる だしの社会の公器的茶番にうんざりしていたと思う。でなければ、「識者」という職業の人がたくさん集まって徹底討論と称して延々と朝まで一方通行の咆哮大 会をやってるような番組を見たいと思う人はそんなに多くはいなかっただろう。なんでもいいからとりあえず意見を言う人を見てみたかった、のではないだろう か。

 しかし、こういう趣向の番組も飽きられてしまったようだ。理由の一つは、対話が持つ緊張が、「私の意見」の一方的開陳には本質的に欠けているからだろ う。テレビ局は、また新しい目玉商品を作るのに大変なんだろうが、視聴者が主観垂れ流しにもすぐ飽きたということ自体は、いいことだと思う。

 上滑りの奇麗事、つまりウソくさい言葉が社会を覆うことが危険なのは、人々がそういうことにうんざりしてその反動で、なんだか強いことをガンガン言ってくれる人が登場した時、ホロリと行ってしまうことなのだ。

 そういうことが我が国でも外国でもあったではないか。だから、これもあっさり飽きたというのは、日本の普通の人々は「識者」業界の人ほど鈍っていないということではないか。


10月26日(火)

 クーデター直後の日本の新聞記事はウェブで見たが、みんな揃って「軍部強硬派やイスラム原理主義勢力」 vs 「シャリフ首相」という図式を採用しているのが奇異に感じた。これはインドとの対立という一つのキーだけに依存してパキスタンを見ていたからだろう。

 「カーギル(カシミールの紛争地)からの撤退→インドへの屈服かつアメリカへの屈従→軍部強硬派・イスラム原理主義勢力が不満持つ→シャリフ首相倒せ→ クーデター」というストーリーを前提に記事は書かれている。その結果、「軍部強硬派やイスラム原理主義勢力の動きが懸念」され、そこから一気に「核はどう なる?」という話に飛ぶ。

 しかし、このストーリーは一つの視点の採用に過ぎない。
 客観主義など最初っから崩れているのは言うまでもない。その後の経過を見れば、ムシャラフの最優先課題が内政の立て直しにあるのは明らかだ。腐敗しつく した官僚機構を立てなおすことが最も緊急な課題となっている。そして、カシミール紛争をめぐっては最前線からの一方的な自主的撤退を宣言して早くも実行し た。つまり、日本の報道が前提にしていたストーリーは勘違いもいいところだ。

  なんらかの情報源を鵜呑みにして、密かにそれに依拠して記事が書かれる。そうすると、元の情報源の視点がそこに乗り移る。そういうことが起こっている。そ れが客観主義の実態に過ぎない。シャリフ元首相に対する不満は、司法への介入、政府機構の私物化(組織的な汚職)、メディアの弾圧、経済政策のずさんさ、 など複数の原因が元になっており、インドとの関係だけが問題ではない。そして、もっと重要なことはシャリフ元首相を最も嫌ってきたのは、一般の国民であっ たということだ。

 日本のメディアが軍部の一部強硬派によってクーデターが起こされたというような印象を日本人に与えていたとしたら、それはほとんど事実の捏造だ。

 17日のムシャラフの演説に関して、案の定、具体的な日程が含まれていなかったことを指摘する日本の新聞記事があった。その記事はそれをこのように伝えていた。

 「欧米では不満の声もあがっている」と。

 欧米っていったい誰のことなんだろうと思う。
 欧米にはいろんな国が含まれているが、まさかみんなが声をそろえて不満を言っているということを言いたいのだろうか。その中の一部の国が不満を言ってい るのなら、なぜその国名を出さないのだろう。それに国そのものが声を出すわけではない。声を出すのは人間だ。いったい誰が言ったのか。

 一般の通行人にインタビューしたのか、学者が言ったのか、政府の公式発言なのか。言うまでもなく、そんなことを追求してもしょうがないのだ。

 これは日本人なら馴染み深い、レトリックの一つなのだから。
 「みんなそう言ってる」という表現を我々は持っている。「欧米では・・・」は、あれの親戚なのだ。子供が何か親に買って欲しい時、「みんなエアナイキ履いてる」、ピアスをして親に咎められた時、「みんなしてる」、ウリがばれた時、「みんなしてる」・・・・。あれだ。

 この表現は形式としては、単なる「客観的」な描写だ(descriptive)。しかし、描写という形をとって、なんらかの意見を主張している (prescriptive)。「エアナイキが欲しい」というかわりに「みんなエアナイキ履いてる」、「ピアス(ウリ)してどこが悪い」というかわりに 「みんなしてる」、そして「私はこう思う」というかわりに、「みんなそう言ってる」。

 このタイプの表現は、自分の意見の根拠を「みんな」に求めている。「みんな」という特定集団があるわけでなく、それはなんとなく「世間」のことを指している。

 日本が「世間」が意見妥当性の根拠として使える社会だからこそ、存在する表現とも言える。このような表現を使うことを一方的に子供じみているというわけ にはいかない。なぜなら、「みんな」がそうならしょうがないと認める社会、あるいは「みんな」と同じであるべきという規範を持つ社会がはじめにあるからこ そ、子供はこういう表現の有効性を察知して使うのだ。自分の意見を検討する時に例えば「神」を参照する社会で育った子供なら、ウリをしてるのがばれても 「みんながウリしてる」は使えない。なんとかして「神がウリを認めている」という理屈を発見せざるを得ないはめに陥る。おそらく不可能だろうが。

  「みんなそう言ってる」型の表現は、意見の表明であるにもかかわらず、形式上は描写であるために、責任追及の手を逃れられるという特性を持っている。あな たはそう言ったじゃないか、というような追求をされたら、「いや、みんなそう言っていると言っただけで、私がそう思っているとは言ってない」とかわすこと ができるのだ。

 「みんなそう言っている」が使われた文脈では、その表現は「私はそう思っている」ということを伝える道具になっているのだが、まずくなれば「みんなはそ う思っているかもしれないが、私はそう思っていない」と逃げることができる。なんと都合のいい言葉だろう。この表現の責任逃れ体質が嫌われることを察知し た子供は、成長するにつれ、だんだんこういう言い方をしなくなっていくのだろう。

  さて、「欧米では不満の声があがっている」は何だったのか。正確な事実の描写でないことは明らかだ。この一文によって、なんだムシャラフの演説はたいした ことなかったのだ、という印象が十分伝えられる。しかし、記者にそうだったのかと聞けば、いえ私はそうは言ってません、欧米がそう思っているのですと切り 返すだろう。

 「欧米では」が「みんな=世間」の役割を果たし(だからこそ、どこの国の誰かということが特定されない)、「欧米=みんな=世間」に責任をかぶせ、どこ で拾ってきたのか分からない印象を適当にばらまく。しかも、これらはちゃんと「客観的」な装いをもって行われる。予め責任逃れの体制が整備されているの で、その内容、それがばらまくであろう印象、そのインパクトなどが熟考されていない。

 つまり、「欧米では不満の声があがっている」は、幼児性を脱しないメンタリティの現れとも言えるし、究極の審判者の位置に「神」でも「理性」でもなく、「世間」が座っている社会の必然の産物とも言える。

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山本芳幸(在イスラマバード)
・UN Coordinator's Office for Afghanistan / Programme Manager
 (国連アフガニスタン調整官事務所 / プログラム・マネージャー)

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山本芳幸氏は友人です。文藝春秋に連載中の『希望の国のエクソダス』のパキスタン北西辺境州の取材の際にもお世話になりました。氏のレポートは龍声感冒 http://www.ryu-disease.com/jp/kabul/(*) でもご覧になれます。
パキスタンのクーデターだけではなく、イスラム世界の現状について、山本氏のレポートを不定期連載します。わたしのとのメール交換の形になるかも知れません。
                                村上 龍
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(*)i-NEXUSに移行。

Friday, October 22, 1999

イスラム・コラム No.2 「非常事態な日常」

JapanMailMedia 032F号から転載。
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 ■ 特別寄稿               山本芳幸
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No.2 「非常事態な日常」


10月15日(金)

午後6時頃、帰宅してウェブに繋ぐと、龍さんからのメールが届いていた。

> このクーデターを期(?)に、イスラム世界のレポートを、
> ぼくとの交換メールの形で、お願いしようと思っていましたが、
> 非常事態宣言が出て、「交換」では追いつかないので、
> パキスタン情勢が落ち着くまで、
> レポートを連載していただけませんか?

最初、何が書いてあるのか、よく分からなかった。何かよくないことが龍さんの身辺に起こったのだろうか。それとも、突発的な仕事が入って動きがとれなくなっ たのだろうか。少し心配した。信じがたいかもしれないが、この時、僕はまだパキスタンで非常事態宣言が出たことを知らなかった(!)。

もう、これだけ書けば、現地の状況のほとんどは理解できたかもしれない。
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 今朝起きて、まず最初に僕がしたことは銀行に電話を入れることだった。昨夜ウェブを見ると、やはり銀行の外貨取引が停止されたと出ていたからだ。口座の残額をきいて、今日引きおろせるかどうか尋ねた。銀行員の「イエ~ス、ユ~、キャァァ~ン」 という面倒くさそうな声が「お前はタコか」と言っているように聞こえた。みんな(タコ以外)変わりない日常を送っているのだった。しかし、それでも、せこい抜け駆け根性が働き、取り付け騒ぎの気分で、今日中になんとか銀行へ行こうと思った。

 それから、新聞もウェブも見ずに僕はオフィスに行き、銀行に行きそびれ、やっと午後6時頃、帰宅した。そして、龍さんのメール。日本の文脈で言えば、笑ってしまう話だろうけど、今日は帰るのがとても遅く(!)なってしまったのだった。

  金曜日は、イスラム教では安息日だから、本来仕事してはいけない。数年前まで、パキスタンでは金曜日は全国的に休日であった。しかし、やり手ビジネス・マ ンとしてパキスタン経済の立て直しを一身に担って登場したナワズ・シャリフ首相、いや元首相は、金曜日休日制を廃止した。他国経済との取引上、不利である からだという。グローバリズムが国家の休日を変えた例かもしれない。

 それ以後、在パキスタンの国連事務所もそれまでの「木曜半ドン、金・土休日」というイスラム体制から、「金曜半ドン、土・日休日」という世界標準体制に移行することになった。

 信じられない話がもう一つある。今日一日オフィスで「非常事態宣言」を話題に出した人は一人もいなかったということだ。皮肉なことに、みんな、来年の非常事態の値段の計算に没頭していたのだ。これには少し説明がいる。

  このところ毎年年末に、全世界の国連の緊急・人道援助プログラムへの拠出金を求めて、各国連機関が共同で、『グローバル・アピール』というものを出すのが 恒例となっている。世界の各紛争地ごと個別に、しかも各国連機関が別々に、ちまちまと拠出金を加盟国にお願いしても、なかなか金が集まらないから、世界ま るごとみんなで一緒にお願いしようということになったのだ。

 10月15日 は、その『グローバル・アピール』へ載せる予算提出の現地レベルでの締め切り日だった。しかし、よく考えれば、「来年度」の「緊急・人道援助」(英語で は、emergency,humanitarian, relief などの語が使われるが同じカテゴリーの援助を指す)の「予算」とは、訳の分からないコンセプトである。平和な地域で行われる「開発援助」なら、長期的展望 に立って予算をつくることができるが、将来、起こるかもしれない非常事態を予測して予算を立てるなど、厳密に言えば、できるわけがない。

 結局、何をするかと言えば、今ある不幸が継続すると前提して、その対策経費を計算するのだ。来年、起こるかもしれない新しい不幸に関しては、ほとんど博打的な予算だ。起こるかもしれない不幸の値段を計算する。我々は悪魔の手下か。

 つまり、今日我々は、来年のemergency のための予算を立てるために、 state of emergency が宣言されたばかりの空間の中で、仕事という日常に没頭していた。

 「締め切り」という極めて日常的な非常事態は、国家の「非常事態宣言」よりも強力に我々を日常に縛り付けたのだった。現在のemergency と未来の emergency に挟まれて、それでも、強情に日常を生きる・・・
 何を書いているんだろう?
 僕はもう何が日常で、何が非常なのか分からなくなってきた。

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10月16日(土)

 午前10時頃、魚売りの少年が家にやってきた。時々、彼は自転車の荷台に魚を入れた木箱をくくりつけて、はるか北の町から、首都イスラマバードにやってくる。

  外人、汚職官僚、腐敗政治家らの住んでる家を一軒一軒訪れて、北方の川で獲れた魚を売り歩くのだ。木箱をのぞくと、かなりでかい魚が四尾ゴロンと入ってい た。一尾は鯉に似ていたが、よく分からない。あとの三尾は全然名前は知らないが、パキスタンではよく見る魚だった。それを一尾買った。約2キロで、145 ルピー(300円)。

 この魚売りの自転車にはかならず後続車がついてくる。魚のさばき屋だ。客がまんまと魚を買うと、後続の自転車をひく男がすばやく七つ道具を自分の木箱から取り出し、玄関先でさばく。なかなかいい連携だ。

  路上で解体されつつある魚の鱗が秋の日差しに光るのを見ていた。ふと、この二人の若者は「非常事態宣言」を知っているだろうかと思った。あまりに、平和で のどかな風景ではないか。「日常事態宣言」でも出すか。しかし、僕のウルドゥー語で、そんな話をするのは無理なので何もいわなかった。

 様々な香辛料にこの魚を数時間つけて、カリッと揚げて食った。ピリッと辛くクリスピーな皮と柔らかい白身のコントラストが効いて、実に美味い。

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10月17日(日)

 午後8時半に始まったムシャラフの演説を見た。いい人が出てきたな、と思った。単なる直感だ。あてにはならない。しかし、いっしょにテレビを見ていた妻も「He is a good man ! 」と言った。
 少なくとも二人の視聴者が好感を持った演説であった。

  もっと具体的な日程の発表などを期待していた人達は落胆したかもしれない。そのような形式を整える演説を作るのは簡単だし、早くも「軍政」にプレッシャー をかけ始めている国際社会に対してもその方がウケがよかったはずだ。しかし、それをあえてしなかったところに誠実さが現れていると見た。腐敗構造を本気で 一掃する覚悟だと僕は解釈した。期待し過ぎか。

 「デモクラシーの一刻も早 い復帰を」とか、「憲法の回復の早期実現を」とか、各国の声明を見ていると、マニュアル通りにしか喋らないファーストフードレストランのお姉さんを思い出 す。「クーデター→非難すべき→デモクラシー復帰すべし→憲法尊重」という教科書(マニュアル)で覚えた回路を繰り返すのが仕事なんだろか。としたら、 ファーストフードと政治の意外な近似性。

 いったい、どのデモクラシー、ど の憲法に復帰しろといいたいのだろう?首相の権限強化のために憲法を改変し、大統領を飾り物にしてしまい、司法に干渉して最高裁を骨抜きにし、メディアを 弾圧し、親戚一同・仲間うちで政府要職を占め、議席は「遺伝的」に継承され、よってたかって国家の予算を食いつぶし、税金・電気代・水道代・ガス代・電話 代も払わず、経済政策といえば税金を上げることしか知らず、政府批判が高まると関心をそらすために宗派間抗争を煽り、いよいよ足元がグラグラゆれてくると アメリカに助けを求めに行く、そんな政府が好きだった?

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10月19日(火)


 昨日、今日と、地元の新聞を読むのが楽しい。クーデター以来、犯罪率が激減したという記事があった。汚職がバサバサと摘発される。悪代官のように振舞ってきた官僚が次々にクビになる。一般のパキスタン国民は胸のすく思いだろう。

  各政党は世俗的なものからイスラム原理主義的なものまでみんな揃ってムシャラフに大きな期待をかけている。彼等が言っていることを一言でまとめると、どん どん腐敗分子を追放して、また一からゲームをやり直そうということだ。そのためには、しばらくムシャラフさんにいてもらわないとしょうがないという点で彼 等は一致している。

 引退した軍の最高指導者や元大統領なども、こまごまとしたアドバイスをムシャラフに送って応援している。変な奴を側近に選んだら失敗するのだぞ、注意するんだぞ、騙されたらダメだぞ・・・と。

 小学校に入学した息子を送り出すように、心配と期待で熱くなりながら息子を見守っているというようなイメージを持った。なんか泣ける話ではないか。

  今、パキスタン国民はとてもシンプルな目標をもって、上から下まで一致団結している。国を建て直すんだという熱い空気が伝わって来る。ほんの数日前まで、 諦めと停滞だけがこの国を覆い尽くしていたのが、もうウソのようだ。日本にはないことを龍さんが発見した希望がここにはある。そんな国の新聞は読むのが楽 しいものなんだということを発見した。

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  メディア的には劇的なことは何も起こっていない。銃声も流血もない。イスラマバードのマリオット・ホテルに大挙して詰め掛けた日本人ジャーナリストは退屈 してるだろう。映像メディアが権力を握って以来、銃声と流血が事の重大性の尺度になってしまっている。文字メディアも、不幸なことに独自の尺度を利用でき る特権を忘れて、映像メディアと同じ尺度を使う。「メディア的」とはそういう意味で僕は使っている。

 無血の『名誉革命』が今のような状況で起こったなら、歴史の項目は一つ減ったかもしれない。事の重要性を認識して、歴史に位置付けるという作業をする能力は、あくびをしながら銃声と流血を待っているジャーナリストには無縁のものだ。

  『グローバル・アピール』などという田舎政治家がやりそうなパファーマンスを我々がやるはめに陥るのも、原因は同じところにある。世界には悲惨な状況がい くつも同時に並行して存在する。その悲惨は想像力の範囲を越えている。映像はそれを大いに助ける。BBC、CNNで放映されると、視聴者は驚く。政治家は そういうところに手柄のチャンスを見つける。政府が動かされる。お金が集まる。BBCとCNNはメディア的に劇的なところにしか来ない。慢性的に静かに想 像を絶した悲惨がいくら続いても、メディア的にはおもしろくない。

 政治家はそんなところに点数を稼ぐチャンスを見出さない。政府も動かない。お金が集まらない。悲惨はさらに悪化する。そして、ニーズと予算の間に著しい不均衡が起こる。それを是正する努力が必要になる。それが『グローバル・アピール』だ。

 メディア的につまらないパキスタンの現状は非常に興味深いものだ。
 クーデターに対する外国政府からの非難や制裁は、クーデターが憲法を超越 した行為である、すなわち民主主義の破壊行為であるという、形式上、正しい議論に基づいている。しかし、パキスタン国内では、今まで見た限り、すべての論 説がそれに反する議論を展開している。すなわち、シャリフ政権は民主的な手続きを利用して独裁制を作り上げた、もう合法的な手続きでは政権を交代させる道 は閉ざされていた、そして手付かずで残された最後の国家機関、軍をシャリフが独裁政権の支配下に置こうとした段階で、軍はそれを阻止した、だから軍の行っ たことは正しい、という議論だ。立憲民主主義という形式を尊重していると、息の根を止められる、というギリギリのところまで追い込まれたあげくの決断で あったということだ。

 事実、ムシャラフは、二百数十名の一般乗客もろとも墜落する7分前にようやくカラチ空港に着陸することができた。

 民主主義の範囲内で合法的に独裁政権が成立した場合、どのようにして国民はその独裁政権を倒すことができるか。その独裁政権の下で国民は形式的な合法性を尊重して独裁体制に甘んじるべきなのか、あるいは合法性の枠を出てレジスタンスを実行するべきなのか。

 地元新聞のある論説は、ナチズムを例に出していた。ナチズム体制下で、合法的に国家の命令に従った者は、戦後罪あるものとして裁かれ、違法にレジスタン スを展開したものは、戦後ヒーローになった、その裁判をやった同じ国家が今、パキスタンのクーデターを非難する、おかしいではないか、という論旨であっ た。ここには、常に出てくる西洋諸国のダブル・スタンダードに対する批判も重なっている。

  ムシャラフが乗っていたのと同じ機に乗っていた一般乗客の話が報道されていた。その機には、スリランカでの水泳競技に参加した高校生がたくさん乗ってい た。その一人がどうしても喋らせてくれといって話した言葉が載っている。「メディアで知ったんだけど、西洋諸国はデモクラシーをパキスタンに回復しろと 言ってるけど、罪のない一般人の生命を危険に陥れるデモクラシーって、いったいなんなの?」

 ムシャラフは、合法性の問題に18日の演説で触れている。「10月12日、手足を犠牲にして身体を救うか、手足を救って全身を失うかという選択の前に我々は置かれました」というように表現している。身体とはnationのことであり、手足とはconstitution のことである。

 「constitution はnation の一部です。だから、私はnation を救う方を選んだ。しかし、それでもconstitution を犠牲にしないように配慮した。constitutionは一時的に停止されただけである。これは、martial law ではない。デモクラシーに至るもう一つに道に過ぎない。 軍はパキスタンに真のデモクラシーが繁栄するための道を開くために必要である以上の期間、政権に留まる意図を持っていない。」

 身体と手足という比喩が適切かどうか分からないが、彼の意図は国民に十分に伝わり、理解されたようだ。

 nation は人々の集まりを指す。constitution はその人々の集まりがより幸せに暮らせるような枠組み、ルール、構造を定めるものだ。だから、nation みんながそれに従ってもらわないと困る。しかし、constitution を維持するために、nation を苦しめるとしたら、それは本末転倒である。

 constitution で定められた構築物を、state と呼ぶ。あるnation がある種のstateを選び取ることに合意して、nation とstate が幸福な結合を果たすと nation-stateが成立する。これを国民国家と訳すことに何の意味があるのかさっぱり分からないが、社会科の教科書ではそう出ている、あれのことだ。

 しかし、現時点でのパキスタンは、極めて平和である。state を支える constitutionがタイムをとり、西洋近代の信仰では常にセットであるべき 『law and order』の半分が欠損した、非常に危うい状態にあるにもかかわらず、国民(nation )の自発的な意志で秩序は保たれている。

 秩序が、『  and order 』の下で発生している。一種の驚異である。
今から、state を作りなおして、出直すのだという意気込みでnation が一致団結している。おそろしく困難な事業だろうと思う。失敗するかもしれない。しかし、失敗したとしても、他にパキスタン国民に行く場所はないのだ。こ こで頑張って自分達(nation)を幸せにするstate を作り上げるしかない。やはり、これは制裁を与えるのではなく、応援するべきではないだろうか。

 非常事態宣言下のパキスタンで続く日常を今、僕はこう解釈している。パキスタンでは今、驚くべき事態が発生している、と。

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山本芳幸(在イスラマバード)
・UN Coordinator's Office for Afghanistan / Programme Manager
 (国連アフガニスタン調整官事務所 / プログラム・マネージャー)

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山本芳幸氏は友人です。文藝春秋に連載中の『希望の国のエクソダス』のパキ スタン北西辺境州の取材の際にもお世話になりました。氏のレポートは
龍声感冒 http://www.ryu-disease.com/jp/kabul/
でもご覧になれます。
パキスタンのクーデターだけではなく、イスラム世界の現状について、山本氏 のレポートを不定期連載します。わたしのとのメール交換の形になるかも知れ ません。
                                村上龍

Friday, October 15, 1999

イスラム・コラム No.1 「静かなクーデター」

JapanMailMedia 031F号から転載。
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■ 特別寄稿               山本芳幸
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No.1 「静かなクーデター」

10月12日

 携帯電話が突然通じなくなった、と思ったら、クーデター。待ってたわけではないけど、「とうとう」というか、「やっと」というか、あまり感慨がない。街は軍が制圧してるらしいが、まったく抵抗がないのだろう。とても静かだ。

 パキスタン人は大喜びだろう。もちろん悲しんでいる人も中にはいるのだろうけど。

  しかし、また外貨口座は凍結になりそうだ。先週解除されたばっかりだったのに。タイミング悪い。手元には3000ドルくらいしかない。家族でとりあえずバ ンコックくらいまで行けるかな。いや、空港閉鎖されてるのか。こういう時に現金が乏しいと不自由感がつのる。プラスチック・マネーは化けの皮がはがれる。 悪化しないことを祈るしかない。

 ナワズ・シャリフ首相は、アイデンティ ティを模索する、国民の期待に応えられなかったようだ。危なくなってアメリカに応援を求めて国民の誇りに傷をつけてしまった。小銭で(実に大金なのだが) 右往左往する首相は、ショップ・キーパー(ガキの使い)と蔑まされ、パキスタン人の自画像に一致しなかったのだろう。

 インドに一発かます、アメリカに肘鉄食らわす、そういうリーダーを国民は求めている。その点、インドも同様だ。インドでは強烈な指導者であるヴァジパイ首相がまたもや今回の選挙で地位を強固にした。

 問題はその後だ。国民の誇りを守った後に、どうやって国民の飯を確保するか。

 この順序を逆にしない「援助」は可能かを考える。日本だけがそれをできる立場にあると思うけれど、現実はほど遠い。惜しいことだ。

(午後9時頃)

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 と書いて送信しようと思ったら、電話が不通になっていた。携帯電話だけ止めてもしょうがないことに、軍も気がついたか。とりあえず、クーデターのマニュアル通り、コミュニケーション手段は制圧したらしい。

  いよいよ雲行きが怪しくなってきたのかもしれない。明朝9時からの会議はあるだろうか、なんて日常的なことを考えている自分に笑ってしまう。あるわけない だろ。今頃、セキュリティ担当はすべての連絡手段が絶たれて、大慌てのはずだ。全職員に無線機が配備されているはずだけど、それはマニュアルだけで実際に は誰も持っていない。担当者は責任問題を予想して(職員の危険ではなく)真っ青だろうな。

  とりあえず、今何をすればよいだろうか。水と食糧はかなりある。1週間くらいの篭城ならもつだろう。移動となると荷物をまとめる必要があるか。しかし、あ まりやる気にならない。いつもやってるからすぐにできるだろう、という怠け心に負ける。あるいは、もっと危機感が必要なのか。しかし、車にガソリンがあま り入ってないことに気がついた。一人で出ようとしたが、妻もいっしょに行くというので、二人でクーデターの街に出てみた。

 ほんとに静かだ。人が歩いていない。車もほとんど走っていない。いつもこんなに静かなら良いのにと思う。ガソリンスタンドも閉まっているかと思ったが、開いていた。

 満タンにして戻ってきた。 まだ、電話は不通。

 BBCとCNNもネタ切れで同じことばかり繰り返している。新鮮な情報が入らなくなると息苦しくなるもんなんだな。

  とここまで書いたら、なんと電話がかかってきた。もう回復させたらしい。どうも平穏に終わりそうな気配。BBCとCNNはムシャラフの会見を生中継すると 言ってる。クーデターを阻止するような動きはまったく伝えられていない。まるでクーデターが政権を交代させる正当な手続きみたいだ。

(0時10分)

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10月13日

 その後、僕はずるずると午前4時くらいまで起きていた。とりあえずムシャラフ陸軍参謀長の会見を聞いてみたいと思っていたのだが、それよりも何か重大なことを忘れているような気分で寝る気になれなかったからだ。

  ムシャラフの会見は短いものだった。しかし、メッセージは非常にはっきりしており、おそらくパキスタン国民の多くが納得するだろうと思った。クーデター発 生直後に、「パキスタン人は大喜びだろう」と僕は感じたが、ムシャラフのスピーチは、そのようなパキスタン人を代弁するようにできていた。

 それにしても、ナワズ・シャリフ首相はせこいことをしたもんだ。気に入らない奴(ムシャラフ)を外国出張中にクビにしたりしたら、一国の指導者としての威信に傷をつけると思わなかったのだろうか。

 しかも、帰国するムシャラフの載っている民間航空機をパキスタン国内に着陸することを阻止しようとしたという。幼稚であるだけでなく、政治のために一般乗客の生命を危険に陥れたのだから、彼のやったことは犯罪でもある。

 朝刊は一面クーデターに関する記事で埋まっていた。

 「アメリカ大使館と国連オフィスは閉鎖」という小さな記事を発見した。やっぱり9時からの会議はないのかと思いながらも一応事務所に電話してみた。新聞 記事は疑うべし。やはり通常通り開いているのだが、新聞の誤報で混乱してまだ、誰も来ていないということだった。なんだか、のんびりした空気が伝わってき た。

 実に静かなクーデターだ。クーデターが静かというのは、妙な話である。

 それは、転覆される国家が抱える問題が底無しに深かったということだ。国家は法によってある秩序と構造を維持している。問題があれば、その法秩序の定める手続きにしたがって解決することになっている。
 首相が気に入らないなら、手続きに従ってクビをすげ替えればよいのだ。

 この法秩序というのは、一つの小さなコスモスといってもよいだろう。
 その小コスモスの中でいろんなゲームが行われるのだ。クーデターというのは、このコスモスの外からやって来る。コスモス内の一切のルールを無視して、コ スモスの変革を迫る。クーデターのクー(coup)は一撃という意味だ。クーデターは、法秩序としての国家に対する一撃という意味だ。

  従って、コスモス内でどのような激しいゲームを行っていようと、(例えば、CTBTをめぐって、カシミール問題をめぐって、アフガン政策をめぐって、イス ラム原理主義をめぐって、テロリストをめぐって、宗派間抗争をめぐって等々)コスモス自体の破壊者が現れたら、プレーヤー達は一致団結して戦うべきなの だ。プレイグラウンド自体が消滅するかもしれないのだから。「軍がconstitutional limit を越えないことを望む」というアメリカの声明も、「constitutional order を尊重することを望む」というドイツ、フランス、イランの声明も同じ意味である。

 コスモスの法秩序と構造を定めているのがconstitution だ。
 つまり、コスモス自体を破壊するな、と言ってるのだ。

  とすると、静かなクーデターとは何なのだろうか。今日の新聞が載せている財界、政党、宗教団体などの談話は一様に、このクーデターの責任はナワズ・シャリ フ自身にあると言っている。もちろん、クーデターという事態は悲しむべきだが、という留保をつけて。街には何事もなかったかのように、普通の日常が続いて いる。

 守るべきコスモス内のルール、法秩序、つまり国家が正当に持つべき 制度、それに対する期待が国民の中にはもうなかったのだ。パキスタン人はそれらがウソだと諦めていた。クーデターに対する抵抗が一切見られなかったのは、 破壊から守るべきもの、それを国民は誰も見出さなかったということだ。今のところ、パキスタン国民は、Let it go 的な態度で一貫している。

 「制度とリアリティが究極まで乖離した国家では、クーデターがいとも静かに達成される。」

 これは日本人も覚えておいた方がよいかもしれない。

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山本芳幸
・UN Coordinator's Office for Afghanistan
 (国連アフガニスタン調整官事務所)
・Programme Manager
(プログラム・マネージャー)
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山本芳幸氏は友人です。文藝春秋に連載中の『希望の国のエクソダス』のパキ スタン北西辺境州の取材の際にもお世話になりました。氏のレポートは
龍声感冒 http://www.ryu-disease.com/jp/kabul/でもご覧になれます。
パキスタンのクーデターだけではなく、イスラム世界の現状について、山本氏 のレポートを不定期連載します。わたしのとのメール交換の形になるかも知れ ません。
                                村上龍
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