Wednesday, December 29, 2004

風の噂の又聞き

もう、こんなニュース、日本の新聞に出たかな?地震と津波でそれどころじゃないか。

The Japanese Embassy in Afghanistan has warned Japanese citizens staying in the country that a terrorist group may be planning to kidnap a Japanese woman and three other foreigners, embassy officials said Tuesday.
The embassy is examining information provided by a nongovernmental organization monitoring local security but has yet to pin down the purported targets, said the officials.

There are about 170 Japanese citizens living in Afghanistan, about half of them women, according to the embassy.

常にいろんな噂が飛び交っているので、誰も真剣にとりあわないのが怖いかもしれない。

Saturday, December 25, 2004

風向き

テレビを見ていると、今、カブールはマイナス一度だと出ていた。

アフガン政府の新しい内閣人事が発表になったが、12年くらい前にクエッタの事務所でいっしょに仕事していたアフガン人がある省の大臣になっていた。その彼に昨日の夜、クリスマス・パーティであったので、おめでとうと言うと、まじで照れていた。どうしよう、難しい仕事だとか言いながら。

アフガン人の間で風向きが変わってきたのを感じる。もっとも優秀なアフガン人が国連など外国機関に吸い取られる時期が長く続いていたが、それが徐々に変わってきたのだ。今、彼らの中にアフガン政府に入ることを考える者が増えてきた。すぐに政府に入るのは危険だと考えていたアフガン人が多かったのは不思議ではない。

3年間ほど様子を見ていた後、このまま安定する方に賭ける者が増えてきたというのは良い兆候なのだろう。しかし、すでに政府の中でかなり高い地位にいるアフガン人でも、自分はいつでも大臣になれるが、まだ5年くらいは様子を見ると言っていた。今なったところで、まだ何回か揺り戻しがあると彼は見ている。生れた時から危機の中で生きてきたアフガン人らしい。

かなりなじみ深い国とはいえ、風向きを敏感に察知しながら動いていかなければ生き残れない人生を生きてきた人たちの国に、世界の風向きをさっぱり読めなくなった国からやってくると、やはり強烈な落差を感じる。

Thursday, December 23, 2004

三連休

明日から24、25、26日と三連休。パーティに行くより、寝ていたい気分。

今日、やっと昔の友達と会って、クロアチア料理の店に行った。いつの間にか政府のえらい人になっているが、別に変わったところもない。彼と話していると、国造りというのはエキサイティングなんだろうなというのを感じる。バカげた「援助」の洪水の中で、まともな国を造る舵取りも大変だなあと、まるで部外者のような気分になって話を聞いていたが、ふとふりかえると自分もバカ一同の側であることに違いはない。

書き始めようとしたが、今日の話は書けない話ばっかりだ。いつか誰かが国造り裏話を書いてくれるだろう。

Wednesday, December 22, 2004

初雪

朝、目が覚めたが起きにくい。のどが痛い。明らかに昨日より悪化している。
ふらふらと部屋から出て、中庭を見ると、真っ白。初雪だ。でも、雪は止んでいる。
今日は一日中寝ていようかどうか迷うが、結局オフィスに行くことにした。
着替えて外に出ると、また雪が静かに降り始めていた。しんしんしんしん・・・・
さぶっ!

オフィスに来たら、サーバーがダウンしていた。なんかいろんなところに不都合が生じている。復旧するまで、手書きですむことをしようと思い、いくつかの国のヴィザの申請書をせっせと書いた。

僕のUNLPには入国してからやっととったアフガニスタンのビザしかない。ドバイでアフガン・ビザが用意できていると聞かされていたが何もできていなかった。ドバイではカブール空港に到着すれば用意できていると聞かされて、とりあえずカブールまで来たがやはり何もできていなかった。けっ、入国できないの?と思ったが、カブール空港で働くアフガン人の知り合いを見つけて事情を話してUNLPを預けてとりあえず入国だけはできた。アフガンビザの申請はその後自分で一からすることになった。結局、国連は何もやってなかったのだ。相変わらずイイカゲンというかデタラメというか・・・

カブールに着くと恒例のセキュリティ・ブリーフィングを受けることになる。現在のevacuation plan には逃げる方向として三つのオプションがある。飛行機が可能な場合は、ドバイ(UAE)もしくはタシュケント(ウズベキスタン)、飛行機がダメな場合は、陸路でトルハム(パキスタン)かテルメス(ウズベキスタン)を越えて逃げる。つまり、UAEとウズベキスタンとパキスタンのビザを常に持っている必要がある、とセキュリティ・オフィサーは力説していた。

オフィスに到着して、何人かにこれらの国のビザを持っているか訊くと、予想通り、はあ?という返事だった。日本のパスポートならUAEの入国にビザはいらないし、僕の場合はパキスタンのビザは常に持っているから、いざとなればなんとなかなりそうだけど、UNLPに三国のヴィザを持っているに越したことはない。

オフィスのヴィザ担当という人に申請書をくれというと、UAEとパキスタンのはすぐに見つかったが、ウズベキスタンのが見つからない。記入事項についても、全員が同じことを記入しなければいけないような情報を彼は見つけられない。あっちへ行ったりこっちへ行ったり無駄な時間を過ごす。このオフィスにはシステムってものがない。

そのうちにサーバーが復旧した。子どものクリスマス・プレゼントは買って家に置いてきたが、妻には何も買ってなかった。NYで買って送ろうと考えたがそんな時間もなかった。ずるずると時間が過ぎ、結局インターネットで買い物をして家に届けてもらう作戦に至った。花とプレゼントを買ったが、クリスマスには間に合わないだろうな。

Tuesday, December 21, 2004

休暇と風邪

カブールの外国人人口が思いっきり減っている。クリスマスとニューイヤーを母国で過ごそうとする人は多い。僕のオフィスもインターナショナル・スタッフの半分くらいが休暇でカブールを去り、残った半分のうちの半分以上が風邪をひいている。今日は風邪をひいているうちの半分くらいが熱を出してゲストハウスで寝ている。今日は僕も身体の節々が痛くなってきた。明日は病欠か。

Monday, December 20, 2004

Tourists and travelers

ゲストハウスに何枚かころがっているDVDの中にベルトルッチの"The Sheltering Sky"があったので、ノートPCの小さいディスプレイで見てみた。砂漠の写真がパッケージにあったので、なんとなく見てみようと思ったのだけど、砂漠はあんまり関係なかった。たいしてストーリーがあるわけでなく、強いて言えば男と女の感情が主題になっているのだけど、作者の意図としては、詩的に味わってもらわないと困る映画なのだろう。砂漠も詩的に意味があって、歴史的にも民俗学的にも社会学的にも解釈してはダメっぽかった。娯楽ではなく、芸術なのだ、と説教されそうな気がした。

まあ、どうでもいいんだけど、冒頭のメインの役者三人の会話が記憶に残った。これから旅に出ようとする三人の会話なのだけど、一人が tourists と言う言葉を使うと、別の一人が自分たちは tourists ではないと言う。彼によると、「tourists というのは、出発した時から戻ることを考えている人なのだ」という。そして、彼は自分たちはtravelersだという。そこで三人目がすかさず、「travelers というのは、戻ることを考えてない人なのだ」と言う。

tourists:戻ることを考えている人。
travelers:戻ることを考えていない人。

おもしろい使い分けだと思った。確かに、現象としてそういう違いは存在する。ただ、どの言葉がそれぞれに当てはまるかが合意されてないだけで。たぶん、これからも、tourists と travelers の、この使い分けは定着しないだろうし。

十年ほど前にりっつぁんに紹介してもらって読んだ筒井康隆の『旅のラゴス』が僕にとっての旅のイメージだけど、あれはどっちだろう。やはり travelers かな。内容をほとんど忘れてしまったので、判断できない。

Sunday, December 19, 2004

一週間

今日でカブールに到着して一週間経った。早いものだ。今日はISAFのPXで買い物をした。マルボロが1カートンで10ドル40セントだった。成田のDuty Free よりはるかに安い。冷凍のチキン・コルドン・ブルーや瓶詰めアンチョビやパルメザン・チーズも買った。しばらくは晩飯作りに退屈しないだろう。いっしょに行った日本人スタッフのレイコは赤ワインを四本買っていた。日本人スタッフというより、レイコは部下になるのだが、20代の日本人女性が部下だとは全然知らなかった。有能でnativeみたいな英語を喋る日本人女性はこうやってみんな外に出てしまうんだな。

最初の一週間はオフィス中の人に一人ずつ30分から2時間ブリーフィングを受けたが、今日やっと自分の部署のブリーフィングをレイコにしてもらった。思いっきり複雑なプログラムになっている。人道からreconstruction、商業活動に市民チャリティ、はたまた平和構築プロジェクトといろんなものが並行してしまっている。日本の中でやかましく議論されていたなんやらかんやらがのどかなお伽話のように思える。

PXの入り口に"Weapon Unloading Place"という標識があったので、ここで兵隊さんも武器を置いてから店の中に入るのだなと思っていたら、店の中では黄土色系の軍服を着た兵隊さん達が腰にピストル、背中にマシンガンを忍者のようにかけて買い物していた。誰も咎める者はいない。

買い物をダンボール箱に詰めて、外に出ると、米軍のハンビーが2台停まっていた。どちらにも一人ずつ兵隊さんが乗っていた。買い物をしている同僚を待っているようだ。その一人と目があった。すかさず彼はアメリカ人らしくHow are you doing?と言ってニコッと微笑んだが、すぐに前を向いて暗い顔になっていた。もうカブールも長いのかもしれない。

そう言えば、自分のオフィスのインターナショナル・スタッフにも少しメンタルにやばいんじゃないだろうかと思える人が何人かいる。

おっ。

一晩寝て、起きたら、トラックバックなるものが一つひっついている。こういうことか。
って、実はまだよくわからんが。
しかし、コメントはどこにつけるんだ?そのうち分かるか。ついでに過去のも全部可にしてやった。ウェブといえば、どこもかしこも公衆便所の落書き状態になるのが嫌で、一方通行で通そうと思っていたが、便所化が始まったらまるごと削除すればいいわけだし、まあいいか。

Saturday, December 18, 2004

ねむ

カブールへ来てから本を読んでない。まだ、時差ぼけたままだし、なんかだるいし、すぐに疲れてしまう。標高が高いから、それにまだ身体が慣れてないせいかもしれない。本を開いても読む前にすぐに寝てしまう。

イブン・バットゥータの『三大陸周遊記抄』をNYからひきずっているが、同じところを何度も読んでいるみたいで(よく覚えてない)、全然進んでいない。でも、これはおもしろいから、楽しみが長続きするという特典もある。

同じところを何度も読んでいるという点では、Karen Armstrongの"Islam - A Short History"もかなりいってる。イスラムに関しては、いったい何なんだ?という無知蒙昧から発する素朴極まりない疑問から、いろんな本に手を出してきたのだけど、明らかに子ども向けに書かれているような本でさえ、宗教本特有なのかもしれないが、過剰な文飾に嫌気がさして、ほとんどつまみぐいばかりでまともに読みきれない。

そういう点で、Karenさんの本は気に入っている。文章がとてもコンパクトでシンプルで分かりやすい。だから、この本はほとんどイスラムの辞書のように使ってしまっているけれど、ホントはちゃんと最初っから最後まで通して読んで味わいたい本なのだ。でも、いつも途中であっちこっち行ってしまって、また「最初から最後まで」路線が崩れてしまう。そして、また思い直してふりだしに戻る。でも、これも何度読んでも、モハメッドさんの登場時期などがあっさり書かれているわりに、かなり感動的で、いつか自分で読みきれるイスラム史を書いてみたいと思い始めるきっかけになった本でもある。実現可能性は極めて小さいのだが。

もうすぐ消灯時間だ。少しくらい読んでみよう。
ところで、トラックバックって何だ?いつも不可のところにチェックしてるが、チェックをはずすとどうなるのかね?今回はコメント不可のチェックもはずしてみよう。

Friday, December 17, 2004

Ugly

今日は金曜日なので、オフィスは休み。でも休まない人も多い。いまだにemergency mentality を引きずっている。システム事態がemergency modeから脱しきれてない点も多々ある。そして相変わらず恐ろしく効率が悪い。
僕は今日は完全に休むことにした。どうせ、引きずっている仕事があるわけでもない。ドキュメントを読んで早く現状に追いつかないと。

昨日は、カブールからジャララバードの方へ向かう道沿いに作られた、ちょっと郊外にあるUNAMAのオフィスにIDカードを作りに行った。驚いた。巨大な敷地に整然と新築の黄土色の建物が並んでいる。何十にも張り巡らされた厳重なセキュリティ設備。数百台はあるだろう、UNナンバーのランドクルーザーやトラックが整然と並ぶ。なんなんだ、これは?僕には軍の基地にしか見えなかった。国連はアフガン人の社会からは完全に隔離されている。

国連ボランティアのゲストハウスが敷地内につくられ、これも整然と並んでいる。ずらっとならぶ各部屋に取り付けられたエアコンがビルのデザインのように見える。こんなところに住んでいたら発狂しないだろうかと思った。何より、これではアフガニスタンもアフガン人も何も分からないではないか。

広大な敷地の中でIDカードを作っているセクションの場所がどこにあるか、誰にきいても誰も知らない。きっとこの敷地内には世界中から来た外国人とアフガン人を合わせて数千人の人たちが働いているのだろう。お互いに誰が何をしているかなんて分かるわけがない。国連といえば外国人もアフガン人もみんなが顔見知りであった時代はとっくの昔になくなっていた。

UNAMAからカブール市内のオフィスに戻る時に、ふとカバブが食べたいとドライバーに言ってみた。現在のセキュリティの指示によると、public place/bazaar には行っていけないことになっている。しかし、いったいどこがpublic space/bazaar で、どこがそうでないのだろう。カバブ屋が並んでいる通りを僕はよく知っている。例えば、あそこはどうなのだろう、と思っていたのだ。ドライバーはそういうことを知っているのだろうか。

ドライバーは、あっさりとシャリ・ナウに行こうと言った。僕もそのあたりを考えていたのだ。かつて住んでいたUNのゲストハウスも、かつて働いてたオフィスもそこにある。カバブよりも、そこに行くまでの街の風景を見たかった。

これがあのカブールか。
カブールは醜い姿に変わり果てていた。いたるところに建てられた大使館や国際機関のビルはすべてがほとんど砦と化している。4,5メートルの高さの外壁に、一辺1メートルほどの立方体の土嚢が四段に積み上げられ、一分のすきもなく敷地を取り囲む。そんな城壁に沿って所々に作られた監視塔には武装兵が外を睨んでいる。最初はそれらが全部、軍の基地なのかと思ったのだが、そうではなかった。

外交使節や国際機関の建物の城砦化は、外国人とアフガン人の間に築き上げられた壁を象徴している。完璧な失敗の象徴。リスクをババ抜きのように次々にシフトし続けるだけで事を済まそうとする国際社会の無能ぶりの象徴。リスク・マネジメントの理論は言う。軍が城砦化する、そうすればリスクはcivilianにシフトされる。もちろん何も解決されていない(リスクは消滅していない)。civilianの中では、金持ちの外交使節や国連が城砦化する。そうすれば、リスクはもっと貧乏なcivilianにシフトされる。もちろん何も解決されていない(リスクは消滅していない)。カブールがこうなるのも不思議ではないのだろう。世界規模でリスクのたらい回しが進んでいるのだ。そして何も解決しない。

静謐と澄んだ空気の街は、白痴のように鳴り響くクラクションとひどい空気汚染の街に変貌をとげている。鼻の穴の中が真っ黒になった。やっと道端のカバブ屋にたどりついた。2年ぶりくらいではないだろうか。しかし、そのカバブは、堅く、ひどい臭いがこびりついていた。元々カブールのカバブはまずい。カバブは少し郊外に出ないとおいしいものが手に入らないのだ。それでも、こんなまずいカバブは食べたことがない。客をバカにしているのか。こんな気分は東京の飲食店以外では感じたことがない。一きれ食べて捨てた。

これがアフガン人が欲しかった”国家”なのだろうか。彼らが切望し、待ち望んでいた”平和”なのだろうか。まだ判断するのは早い。もっと見てから考えよう、もっと他に何かあるかもしれない、そう自分に言い聞かせてオフィスに帰った。

Wednesday, December 15, 2004

疲れた

カブールに到着した日は飛行機が遅れて、夜になったので空港から直接ゲストハウスに行ってオフィスに行かなかった。まだオフィスに三日しか来ていないのに、1ヶ月くらい経ったような気がする。体重が減り始めたのが自分で分かる。もともと過剰な水膨れ状態だったので、ある程度までは減った方が健康的だと思うが。

ここに仕事のことを書く気はしないけど、今のところはそれ以外に何も書くことがない生活。毎日6時に起きて、コーヒーを飲んでナンを少しかじって、7時半にオフィスに行く。昼飯はまだ一回も食べてない。外出禁止の始まる10時ちょっと前にゲストハウスに帰る。到着した晩は同じゲストハウスにいる他のスタッフが食べたものを食べた。二晩目は何も食べず寝てしまった。三晩目は翌日から休暇に出るスタッフが作った晩飯を食べた。そして四晩目の今日は、いくつか選ばれたレストランへ行く許可が出たので、タイレストランに行って、トムヤムクンとカオパッドを食べた。腰が痛い。疲れた。

Tuesday, December 14, 2004

着いた

一昨日(12日)カブールに着いた。ゲストハウスになんとワイヤレスLANがあった。変わったもんだ。でも、curfew は夜10時から朝6時まで。レストランでの食事は禁止。買い物も禁止。歩行も禁止。security は悪化している。

カブールへ行く前の日にドバイで書いたのだがPCに残っていたので追加。
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041210
Emirates Airlines 202 New York JFK Dubay 2330 2105 (+1)

今日は朝からずっと霧雨だった。傘を持っていないので、あちこちうろうろするたびに濡れるがすぐに乾く。DPKOのオフィスで朝からミーティング。カブールとNYをつないでTele-conference をするのだが、なかなか繋がらず、繋がってもすぐ切れて、frustrating なミーティング。その後、NYのスタッフだけでミーティングをやって午前中にすべて終わる予定だったが、結局全部終わったら午後3時半になっていた。それから、UNFCUという国連の人だけを顧客にしている銀行に行って口座を開いた。ジュネーヴが本部の時はスイス銀行の口座に給料などは振り込まれていたが、今回はNYが本部になるのでそれでは不便ということで新しく口座を開いた。

早い目の夕食をとってJFKに向かった。ラウンジにはなぜかビーチにあるようなパラソルとリクライニングチェアのセットが並んでいる一角があり、そこで横になることにした。一応PCを開いてみると、やはりWireless LANが繋がったけど、場所が悪いのか、電波が弱くてどもならん。すぐ諦めて、コートを頭からかぶって寝た。ドバイ行きのアナウンスが耳に入ってふと目覚めると、なんと2時間もそこで寝ていた。不思議だ。半分寝て、半分覚醒していたのだろうか。ちょうどゲートに行く時間だ。

また12時間半のフライトはつらい。隣はタンザニアの女の人。気さくな人だけど、うるさくなくて助かった。それでも、これだけ長いと、いろいろ話すこともある。フライトも半分も過ぎると、もう同じ苦難(フライト)を乗り越える同志という感じだった。

ドバイに着くと、30軒くらいのホテルの迎えが来ているが、僕のホテルの向かえは案の定来ていない。30分ほど待ったが、もう諦めて勝手に違うホテルに行く決心をして最後の一回りをしていたら、全然違うホテルの人がどこのホテルを探しているんだと訊くので、もらったメールのプリントをそのまま見せたら、その人が自分の携帯でそのホテルに電話してやるという。彼はまるで僕の代理人のように、そのホテルに電話して、もう1時間も待っているのに(誇張している)何してるんだ!と抗議している。ホテルの人に向かえに来ているはずのドライバーの携帯の番号を訊いて、今度はそのドライバーに電話して、いったいどこにいるんだと怒っている。どうやら、ドライバーは空港に着いたとこらしい。僕のいる場所と服装を説明して、すぐに来いといっている。電話を切った後10秒くらいでドライバーはあたふたとやってきた。そのドライバーと歩き始めると、また別のホテルの人たちが口々にあっちにもいるぞ、こっちにもいるぞと、そのドライバーに告げている。このホテルを待っていた人たちが他にも何人かいて、だれかれに訊いていたのだろう。そのドライバーはひどく恐縮した顔で自分の顧客を拾い集めていた。

ホテルに着くと、もう午後11時だった。飛行機に乗ったのが10日の夜だったが、11日はこうして実感することなく終わった。

Thursday, December 09, 2004

バグダッドのレッド・ツェッペリン

9時半にミーティングのはずだったが、起きたら9時20分だった。0.5秒くらいの間に三つくらい言い訳を考えたが、1.5秒後くらいにバカバカしくなって、ゆっくりシャワーを浴びることにした。1時間遅れでミーティングに行ったが、向こうもやることは山ほどあるのだろう。その順番を変えただけで別にどうということもなかった。何してた?と訊かれたので、寝ていた、と答えた。

ブリーフィングを受けるうちに、これは予想以上にchallengingな仕事であることが分かってきた。fix してほしいとか、reality-check を期待しているとか、喧嘩して欲しいとか不穏な言葉が連発される。過剰な期待をかけられているようで、やや焦るがその方がやりがいはあるというものだ。しかし、できんのかいな。

一日中ブリーフィングの嵐でくたくたに疲れてホテルに帰ったが、夕食はブルックリンのカツさんの家ですることになっていたので、ちょっと横になって、またすぐにホテルを出た。雨が降っていて、なかなかタクシーがつかまらない。やっとつかまえたタクシーのドライバーはブルックリンをよく知らないという。道を説明するからと言って、そのままそのタクシーでブルックリンに向かった。ブルックリンなんて行ったことないんだけど。

タクシードライバーはジャマイカ人で、日本から中古車を輸入してジャマイカで売る仕事をするのが夢だと言っていた。もうタクシーの運転はうんざりだそうだ。日本のことは知っているのかと訊くと、ブルックリンよりはよく知っていると答えた。ジョークの言える人で安心した。それからは結構楽しく話しながら、カツさんに聞いたとおり道を説明していると、なんなくカツ宅に到着した。

* * *

カツさんとタッキー夫妻は裕福ではないながらも、幸せな生活をしているのが見て取れた。今の日本にはなくなったようなものがここにあるような気がした。素朴で質素で現在に中心があり、それでも安心のある生活。これでは日本の生活はバカバカしくてやってられないだろう。

カツさんがイラクで撮ったビデオがあったので、途中で合流したテレビのディレクター二人とみんなで見ていた。車の中で常にかけていた音楽と映像がよく合っていて、全然退屈しない出来になっている。ディレクター二人もしきりに感心して、何かに使えないかと話していた。それにしても、バグダッドの映像にはレッド・ツェッペリンがとても合っている。なぜだろう?

ヨシログ開始!

ヨシログをよろしぐ、なんて絶対書いてたまるかなんて思いつめていると、いつまで経ってもこのフレーズが頭から離れないので、やっぱり一度書いておくことにした。

12時間半のフライトは長過ぎ。背骨折れるかと思た。JFKに着いて、入国審査の列にぼーっとした頭で並んでいると、どっかで見たことある顔がある。じろじろ見ていると、それを感じているらしいが決してこっちを見ようとしない。いろんな人にじろじろ見られることに慣れているようだ。でも、不機嫌な顔をせず、微笑が顔に浮かんでいる。性格良さそう。アディダスのバッグを背中に背負って、黒いセーターに黒いパンツに黒い運動靴(っていうかなんというかしらんが上等そうなスポーツもんの靴)。足はスラッと長く、どこにも贅肉がついていない。ショートカットが似合う。う~む、これはやはりあの人だ、と思うが、それがどうした?うん?

やがてBaggage Claim のところに行くと、カートに今から引越しでっか?と訊きたくなるような荷物。それでもまだ待っている。すべての荷物からスポーツもんの臭いがぷんぷんする。やはり、これはあの人にちがいない。でも、あまりジロジロ見て嫌われたくないので(嫌いもへったくれもないとは思うけど)、あえて目をそらして横を通り過ぎて出て行くことにした。伊達公子は可愛い。

やっと外へ出て、即タバコに火をつけた。と思ったら、タクシーの客引きがうるさく寄ってくる。二年前のちょうど今頃、JFKに来た時と同じや。もううるさいなあ、と思いつつも、さっきの伊達公子を思い出し、笑顔で「ちょっと待って。タバコくらい吸わせてくれ」と言うと、タクシーの中で吸ってもいいという返事。しかも、僕のバッグを持ってスタコラサッサとタクシーの方へ持っていく。まるでパキスタンやがな。

最近白タク被害が多いので気をつけてくださいというアナウンスが入国審査の時にやってたのを思い出した。もううっとうしいなぁ、白タクぅ?ウソやろぉ?こんな朝っぱらからぁ、的不愉快な気分で客引きの方を見ると、やはりタクシーが並んでいるところとは違うところへ向かっている。「タクシー乗り場あっちやで」と忠告してあげると、「ああ、あれはブルックリンに行くタクシー」というウソまるだしのウソ。一瞬伊達公子を捨てるかどうか迷ったが、「どれに乗るねん?」と訊くと、パーキングビルの中でひっそり一台だけ停まってるタクシーを指差す。なんやイエローキャブやないかえ。抜け駆けして客を取るタクシーやったわけや。

「ほんまにタクシーの中でタバコ吸うてもええんか?」と念を押すと、ええという返事。もうええか、どうせ、マンハッタンまではflat rate や、抜け駆けタクシーに乗ったからって乗客の犯罪でもあるまいし、ということで乗ることにした。

NYのイエローキャブは公共政策の教科書によく出てくるので、アメリカの大学院におる時にちょっと読んだことを思い出した。イエローキャブは許可制になっている。誰でも勝手に黄色い車にメーターをつけてタクシー業に参入できるわけではない。その許可の数というのが制限されていて、例えば許可数が100なら、タクシードライバーが1000人いても、そのほとんどはタクシー業にはつけない。たいてい1台を二人くらいで交代で使ってるから、タクシードライバーになれるのは200人だけということになる。タクシードライバーになれたら、人によって差はあっても、ある一定の収入は確保できるということでもある。それが例えば、年収5万ドルなら、タクシーの許可というのは年に5万ドルを生み出す価値があるということになる。そこで、この許可が売買されるということになる。あるいは許可が通貨のように流通すると見ることもできる。

だから、イエローキャブが悪いことをするなんてことはめったにない。許可を失う損失よりも大きな利益が得られると思えばなんかしでかすこともあるかもしれないが、そんな大きな(やばい)仕事をするなら、もっと他の手段でとっくの昔にやらかしてるやろう。イエローキャブなら一応安心するというのはそういうことなんだけど、常に例外はあるから、抜け駆けするようなタクシーには乗ることを勧めようとは思わない。(ちなみに、公共政策でイエローキャブを取り上げるのは、許可数を制限することは社会全体にとってどのような(良い・悪い)効果があるのかということで、抜け駆けタクシーに乗るべきかどうかということは何の関係もない話。)

* * *

ホテルに着いたら、早すぎてチェックインまで二時間ほど待ってくれと言われた。眠くて死にそうだったが、お腹もすいていたので、荷物だけ預けて近所をブラブラすることにした。ホテルはブロードウェイと47th St.の交差するあたりにあるので、マンハッタンのど真ん中。アメリカ中の田舎もんが集まってきているような場所だ。どこもかしこも観光客でごった返して歩きづらい。まだ11時前なので、ピザとかハンバーガーの店以外は、まだランチが始まってない。ファーストフードは食う気せんなあと思いながらぶらついていると、今まさに暖簾を出そうとしているラーメン屋があった。のぞいて見ると、ごはんもありそうだった。NYに来ていきなりラーメン屋も風情がないが、そんなことにはあんまり拘らないので、そこに入って親子丼を食べた。感動のない味だったけど、まあどうでもええかという気分で店を出て、ロックフェラーセンターのアイススケートを見たり、おもちゃ屋をのぞいたりして、なんとか時間をつぶしてホテルにもどった。ああ、これからミーティングなんて行っても、また生ゴミ状態やなあと思いつつ、オフィスに電話してみると、今日はゆっくり休んでくれという美しくも人間愛に満ちたお言葉。即、ベッドに入って爆睡。

* * *

6時半頃、ブルックリンに住む友人から電話があり、いっしょに韓国焼肉を食べに行くことになった。いっしょにバグダッドへ行った友人なので、その頃の話に花が咲く。ちょっと食い過ぎた。32丁目はどこもかしこも韓国語が氾濫していた。アカスリという看板がいくつかあったので、焼肉を食べた後、少し散歩をして、一人で行ってみた。思いっきり本格的。アンマンのトルコ風呂に出てきた筋骨隆々のにいちゃん達に負けないくらいすごい筋肉質の韓国人のにいちゃんにしごきまくられた。これで、12時間半のフライトで腐った身体が少し楽になったような気がする。