Friday, November 30, 2007

通勤路

うそみたいだけど、まだ治ってない。全身が痛くて立ち上がれないというようなことはなくなったけど、まだのどの奥が火山のように燃えているのを感じる。ずっと横になっていたいのだが、クソ忙しくてそういうわけにもいかない。ぼーっとした頭で細かいエクセルの表を見ていると、ふと宇宙の空間のどこかに漂っているような気分になる。自分はいったい何をしているのだろう?と思うのだけど、ほんとに何のためにこんなことしているのか全然分からない。フツー仕事というのはそういうことを考えないものなのだろうか。

オフィスのトイレにはもう何度もいっているのに、もやっとした頭で入るとふと妙なものに気がついた。といっても、これまでも視覚には何度も入っているはずのものだ。ウェットティッシュか何かだろうとほとんど無意識に流していたと思う。それが今ぼけた視覚に妙に鮮烈に入ってくる。

手にとってみる。白い紙にオレンジ色でUNFPA。その紙を開いてみた。おー、なんとこれはコンドームではないか。オフィスの人には無料でコンドームが手に入るようになっているのだった。その箱の中にはもう三つしか残っていない。かなりみんな使ったのだ。月にどれくらい減るのだろうか。


* * *

臭い(におい)が写真で撮れないのは残念だとよく思うが、寒さが写真に撮れないのもかなり残念だ。自分の住んでいる場所からオフィスまでの景色を写真にとってみたのだが、あとで見てみると、どうも何か抜けているように感じた。たぶん、それが温度なんだろう。このそこはかとない寒さが写真からは出てこない。もっと高級な腕前になるとそれも出せるようになるのかもしれないが。

(↑)左手にならんでいる建物はだいたい築100年を越える。デンマークは建物の外装にとてもうるさく、全体の風景を壊さないようにきつく規制されている。だから、こういう建物も外見は100年前とほぼいっしょなのだろう。僕が住んでいるアパートもこのような建物の一つなのだが、内部はさすがに100年前と同じというわけにもいかず、近代化されている。
この道の右手は崖になっていて、その底に写真では見えないが線路が走っている。この道を僕は毎朝歩いて、それから線路の上の橋を渡る。

(↑)橋を渡りきって振り向いて撮った写真。さっきの写真で左手に写っていた建物がこの写真では正面に-線路の向こうに-見えるのが分かるだろうか。

(↑)橋を渡りきって、こんどは橋よりも一段低いところにある地上の道路に向う。小さな階段が見えるだろうか。

(↑)この階段ですべってこけないようにかなり用心して降りる。

(↑)いきなり出てきた感じがするだろうが、このビル群はヨットハーバーのいわゆる桟橋に相当する場所に建っている。右手は住居用ビルで、左手が国連などが入っているオフィスビル。どちらも、この写真の外になっている裏側は海なのだ。こういうデザインの新しいビルは、市街地に建てることはおそらく許可されないのではないだろうか。

Thursday, November 29, 2007

クラリスちょうだい

まだ治らん。いや、風邪のことですけど。流感ってやつかね。クラリスがあればなあ。誰か持ってませんか?送ってもらえたらありがたいんですが・・・。

デンマークの医療事情はかわってる。一人一人の市民にホームドクターみたいな人が決まっていて、その人が大げさにいうと一生面倒を見る。専門医へもそのホームドクターみたいな人を通して紹介される。患者が勝手にあっちこっちにいい医者を求めて動くというシステムにはなってない。

アメリカ人の友人はデンマークには資本主義がまだ根付いてないというけど、市場における競争という意識は確かにいろんな面で希薄だと思う。社会福祉国家と言われるけど、アメリカ人や日本人の感覚から言うと、コミュニストかって思うほどに一般人の意識が違うと思う。自分が買い物をした経験からだけ言うと、まずカスタマーサービスという概念は存在しないうように思う。売れようが売れまいがどうでもいいんじゃないだろうか。

失業しても余裕で暮らせるという感覚があると、なかなか仕事にやる気を出すのも難しいかもしれない。まあ、仕事は生活のためだけではないという哲学を持ち出せば、そんなことはないとも言えるけど。

まず、医者にアポイントをとって、何日か待って、当日また何時間か待って、やっと医者にあったら、風邪だからほっとけば治ると言われる経験を繰り返せば、なかなか医者に行かないようになるだろう。手術のための待ち時間は平均8週間だそうだ。まあ、話せば長いが、要は薬がなかなか手に入らないのであった。

Wednesday, November 28, 2007

ゆっくりしようよ

最近、病院に行くのをやめてしまった。
薬をのみ続けても、いっこうによくならない。
会社の上司から「体調が悪いなら休みなさい」と言われた。でも、治る見込みがたたないのに休んでも仕方ない。有給休暇を使い果たして、給料が減らされて、生活が苦しくなるだけだ。

仕事がイヤでイヤで仕方ない。「給料は我慢料だ」「部署が変わればきっと仕事が面白く感じられるようになる」…そう思って今までやってきた。でも、もう限界のような気がする。「自分で限界のラインをつくってしまうからダメなんだ」と言われるかもしれない。「おまえは考えが甘すぎるんだ」って言われるかもしれない。でも・・・

ストレスのせいか、食欲不振と暴食を交互に繰り返し、肌荒れもひどい。タバコの本数も抑えられない。気が滅入って、何も手につかない。気分転換に外出してもイヤなことばかり目について家に帰るころには疲れ果てている。

頭が痛い。。。

しばらくこのブログを書くのをお休みします。

と書いてるのは僕ではなくて、いきなり引用しまくって申し訳ないんですが、
The Afghanistan Journal というサイトを運営されているMami さんのDiaryからとってきました。
他人事とは思えない残酷物語があちこちで展開されているのでしょうか。

もうゆっくり休もうよ。
投げたね、僕は。

Tuesday, November 27, 2007

どこ行ったかな

ふと気がついたら、もう6日間タバコをすっていない。たぶん明日もすわないだろうから、確実に1週間の山はあっさり越える。といっても、山も川もあったもんじゃない。ただ単にタバコがすえるような状態ではないだけで、やめようと努力してるわけでもないし、そんなことを考えたわけでもない。

あまりに健康状態が悪いとタバコはすえないのだ。だから、タバコは健康のバロメータなのだ。みなさん、知ってましたか?あータバコもすえないほど不健康な状態が続く。

The Man Who Would Be King について、yoshilog かyoshilog 2.0 のどこかに書いたと思うのだけど、見つからない。別に見つからなくても何も困るわけではないので、どうでもいいのだけど、どうも気持ち悪い。

どうして、そんなことを今頃思い出したかというと、The Man Who Would Be King のDVDを見たからでした。ずっと前に買っていたのだけど、実は一度も見ていなかった。これはキプリングの原作をショーン・コネリーが主演して映画にしたもので、この映画自体にはあまり期待していなかった。ところが、見てみると意外と引き込まれる。懐かしい風景と人たちを見ていると、またあんなところに行きたいと思い始める。

ところで、僕が読んでのたうちまわったのは、キプリングの原作ではなくて、そのモデルになった人、アフガニスタンに行って王になろうとしたアメリカ人についてのノン・フィクションだった。これについて書いた記憶があるので、何を書いたか読んでみようとしたら、見つからなかったのでした。

* * *

ガンダマクのハジメちゃんが仕事を探している。
カブール在住の皆さん、何かないですかね。流暢な英語と日本語を喋るアフガン人です。
カブール在住でない皆さん、ガンダマクというのはカブールのUNHCRの近所にある地下のバーです。

Monday, November 26, 2007

浮く

お父さんがいるのかいないのか、その決着が子どもたちの間ではついていない。これから家族そろって一緒に生活するというアイデアだけが、他のすべての現実的な困難やバカバカしい忍耐を支えてきた。ところが、いざこっちに来てみると、僕はまったく時間がない。ほぼ3週間に一回アフリカとNYの間を飛び回って、やっと家に戻ってきたら疲れきっている。

子どもたちがお父さんの拠点はここじゃなかったと思い始めたのも不思議ではなかったのだ。ちがうの、お父さんは出張のあと必ずここに帰ってくるでしょ、カブールにいた時はカブールに帰ったでしょ、だから今は違うでしょ・・・という母親の説明を、二人の息子はきょとんとして聞いている。

頭では分かったとしよう、お父さんはこの家の所属であるということも認めよう、
さてそれでも残るものがあるのだ。常に人間関係には。

8歳の長男がUhh So I have to get used to Papa being around here, そして、妻もSo do I, といい、最後に4歳の次男が、Me too !と言った。

そうなんだ。僕は完全に浮いていて、家に帰っても居場所のないオヤジなのであった。しかも、その根は地球を引き裂く程度に大きく成長している。

寝るタイミング、食事をするタイミング、テレビを見るタイミング、本を読むタイミング、掃除をするタイミング、音楽を聞くタイミング、何もせず瞑想にふけるタイミング、ありとあらゆるタイミングが僕の中では一つのシステムとしてほぼ完結していた。これを破壊して作り直す作業が必要になる。理想的には最初に夫婦のそれぞれがそういう作業をすればいいと思うが、もう何にもやらずに過ぎてしまった場合は、あえて柔軟な方が折れるしかないだろう。


4歳の息子のシャワーを浴びさせないといけない。その前に必ず、彼はおしっこをする。
そして、今日の質問は「パパ、トイレはどうやって作ったの?」

・・・・答えられない。分からない。トイレ屋さんに聞いてみればいい・・・

And Papa, what is "used to" ? What does that mean? Papa?

Sunday, November 25, 2007

車のベンチ、もしくは形而上学的なベンチ

これはどうやってできたのか、というのが4歳の息子の最近の関心事だ。
ありとあらゆるものについて、それを確認しようとする。これがなかなか大変なのだ。

例えば、食べ物はどうやって出来たのか?なんて剛球を平気で投げてくる。
とりあえず、いろんな食べ物があるのだから、これは場合分けに進まざるを得ない。
そうすると、じゃがいもはどうやってできたのか?のような質問に入ってくる。
当然、これは農業全体の話をするはめになる。ほとんどない知識を総動員しても、まったく心もとない話しかできない。

しかし、食べ物の話なんてのはむしろ親に気遣った親切な質問ではないかと思う。
自動車はどうやってできたのか?何から出来ているのか?なんて話になると、素材だけで、ガラスについて、ゴムについて、プラスチックについて、鉄について等など途方もない話になるし、何百万というパーツで構成されてる車について説明するのはまったく不可能だ。

結局たいていの回答がいい加減なことになる。しかし、これでもまだ楽な質問の部類なのだ。

ある日、4歳の息子はそのキャンディはどこで買ってきたの?って調子で、

What is the world made of ?
How is the world made?

と何気に訊いた。
僕は自分の耳を一瞬疑って、自分でそれを繰り返してきいたみた。

What is the world made of ?
(世界は何でできているか?)

How is the world made?
(世界はどうやってできたか?)

すると、彼はのんきな声で、Yeah, と言って、
僕の回答をフツーに待っている。

困った。いろんな回答が存在するなんて話は回答にならないし、そもそも僕にはこれぞという回答がないのが決定的だ。自動車のパーツのようにごまかしがきく質問ではない。

「Uhhhn, I don't know. But you can find it when you grow up.(うーん、分からない。それは自分で大きくなってから見つけてくれ)」

と答えるしかなかった。
子どもの頭の中は、大人のように仕切られていないのだろうと思う。例えば、キャンディと神とたわしが同じ領域に共存したりするのだろう。

今日、彼はカラー粘土で作ったベンチと自動車、それとトミカの救急車の三つを持ってきて、説明を始めた。「This is a bench for the car (これは自動車のベンチ)。」と言ってる。聞き間違えたかと思い、A bench for the car ? と確認すると、彼は自信をもって、

「そう、車が疲れた時に座るベンチ」という。
しばらく、僕は頭の中で「車が疲れる」という概念、「車がベンチに座る」という概念をどうにかどこかに落ちつかせようとしていた。ともかく、

あーそうか、車が座るベンチか。
うまくできたね。
きれいな色のベンチだから写真を撮ろう。

と、やっと言えたのだった。

形而上学的なベンチ(↑)


Saturday, November 24, 2007

Crash

V for Vendetta はとても好きだけど、無差別に勧めようとも思わない映画だなと思う。好きそうな人には絶対見ろといいたいかもしれないが。

それにくらべて、Crash は今、この世界に住んでいる人全員が見るべき映画だと思う。
監督はポール・ハギスで、サンドラ・ブロック, ドン・チードル, マット・ディロン, ブレンダン・フレイザー, テレンス・ハワードなどなどが出演していた。

特にこれから大きくなっていく少年少女たち、これから外の世界と否応なく接触していく人たちには必ず見て欲しいと思う。

Crash が、この数年でもっともたくさんの人が見ればいいなと思う映画だとしたら、もっともたくさんの人に読まれたらいいなと思う本は、Reluctant Fundamentalist だ。この二つは自分の好みとか趣味とかとはもう別なのだけど、今世界を表現するもっとも成功した例だと思う。

9・11以降、日本発表現に意味がなくなったように思う。

Friday, November 23, 2007

Street

ノドの腫れがひかない。耳の奥まで痛い。もう二日間まったく外に出ていない。イソジンでうがいをしてるだけではダメだろうか。抗生剤が全部なくなってしまったのがいたい。帰国したら大量に仕入れてかえらないと。

ベッドの中でPCをひざの上に置いて仕事をしている。オフィスに行かなくてもあんまり変わらない。つまり、つまらないことをしているのだなあと思う。こんなことなら、ビーチ沿いの椰子の木陰でやっていてもいいのだ。

昨日の夜、V For Vendetta をまた見た。カブールで見た時は違法海賊版だったけど、今回は10月にNYに行った時に買ったホンモノ版。

やはり全面的にかっこいい。すべての台詞が実におもしろい。言葉の音の隅々まで配慮されている。いいかげんなところが一つもない。

最後にStreet Fighting Man 。ここでよくぞ使ってくれたと思う人も多いだろうな、これは。

ふつうの日常の生活の中でも、ここにはこの曲しかないと思うことが時々ある。自分の中の心象風景と現実が強固に合体してしまってるのだろう。

今はもうどうなったか分からないが、カブールにヘクマティヤールが木っ端微塵に壊した地域があった。そこにあった大きなストリートの両側にならぶ建物はことごとく奇怪な形の妖怪のようになって残っていた。9・11以前の、お祭り騒ぎのような事態が始まる前、そのストリートをランドクルーザーに乗って通るといつも頭の中でストーンズのSympathy For the Devil が流れ始めた。その頃は実際には音楽をかけることはできなかったのだが。

さて、お祭り騒ぎが始まってからのことだけど、2002年になってから数回そこを通ったことがある。頭の中に残っていたそのストリートはモノトーンの世界だったが、実際には趣味の悪い色をなぐりつけたように、その通りは少しずつ変わっていった。それがいいかどうかは別にして、何かが隠蔽されていくような気がした。

僕にとってのそのストリートがなくなってしまう前に、まだあまり人がいない夜明けにそのストリートをゆっくりと車で走って、Sympathy For the Devil を流しながら、ビデオに収めておきたいと思うようになった。そんな話を映像プロのゴトー・ケンジにしたことがあったが、彼は覚えているだろうか。

そんな映像はどこにも存在しないし、あのストリートももはや存在しないだろう。

Tuesday, November 20, 2007

湯気

また風邪ひいた。コペンハーゲンに来てから、もう三回目。寒いからというよりも、抵抗力の低下のせいのような気がする。全然知らない国に住み始めてばかりだから疲れて当然と考えていたが、最近ひょっとしてここは疲れる国なのだろうかって思うこともある。ずっとこんな調子だと早い目に退散した方がよさそうだ。

気候は陰気だし、街行く人々の表情は険しいし、仕事はどこもかしこも糞詰まりのようだし、これでいいのかと思っていたら、最近はオフィスの人たちもだんだん打ち解けてきて、以前は聞かなかったような仕事のグチをちょこちょこと聞くようになってきた。

みんなそれぞれに異なる仕事をしてるのだけど、それぞれの分野でストレスがたまっている。一人がポロッと一言いうと、一気に洪水のように他の人から文句が出てくる。僕がどうにかできる問題は一つもない。みんな仕事をさぼってるわけではないが、常に外を向いて、つまり他の仕事を探しながら今を耐え忍んでいるように見える。これは組織としてはかなり悪い感じではないだろうか。Google のオフィスではこんなことはないだろう。やはりカッコウだけまねしてもダメなのだ。中味がないと。

みんなが楽しいと思ってやってくる職場じゃないと、個々の知恵もわいてこないし、能力も最大限発揮されないし、仕事の効率も低下するだろう。職員を不幸にすると、結局損するのは組織なのだ。最初は楽しそうに出勤してくる新人の顔が最初の1週間は期待と戸惑いに満ち、2週間経つと曇り始め、1ヶ月経つと静かに諦めの境地に達する。自分がリーダーのオフィスだったら、絶対にこんなふうにはしたくないと思うが、流れ作業で進む工場のある一過程をこなす工員のような分際では、そんなこと考えるだけで不遜なのだろう。

フィールドでの切った張ったの仕事、怒鳴りあいをしながらも和気あいあいと付き合い続けなければいけない生活、最後にはみんなの仕事がなんとか目標の一点に収斂していかないといけない仕事環境。そういうのが懐かしい。

今かろうじて力が沸いてくる仕事は、フィールドにいるチームをいかにサポートするかってことくらいだ。いいチーム、弱ってるチーム、いろいろあるけど、彼らが幸せに仕事できるように持って行けば、アウトプットはかなり期待できると思ってる。それが楽しみだ。僕は現地で参加できないが、自分のチームという所属感も少しある。

そういうpositive なvive が僕にあれば、この工場もどきオフィスにも何か貢献できるかもしれないけど、一日中むかついて頭から湯気が出ているので、それも無理だな。

Sunday, November 18, 2007

A Mighty Heart

16NOV 2310 0530+1 KL 566 NAIROBI - AMSTERDAM

ナイロビ空港で本を二冊買った。

"emma's war - Love, Betrayal and Death in the Sudan", Deborah Scroggins.
"The Zanzibar Chest", Aidan Hartley.

どちらも援助関係者の間では有名な本のようだ。僕は全然知らなかったが、The Zanzibar Chest の方はレーコに勧められて読んでみようと思っていた。

飛行機に乗って、The Zanzibar Chest の方を読み始めたが、実に熱く、おもしろい。しかし、眠くて頭に入らないところも出てくる。もったいないので、もっと普通の時に読もうと思って、本を閉じた。でも、ちょっとだけ一節を(↓)。

"At any one time we had six wars, a couple of famines, a coup d'etat, and a natural disaster like a flood or epidemic or a volcanic eruption, all within a radius of three hours' flight from Nairobi.

You could take off at sunrise, commute to witness a battle or hear a starving man breath his last and be back home by nightfall, in time to file a story, take a shower, then hit the Tamarind restaurant downtown for mangrove crab and stellenbosch.

Or you were dropped off, watching the plane roar away in a cloud of red dust, and you were gone for weeks, out of contact and a thousand miles from help. And each time you returned home after a trip like that for a few days you were as mad as Gulliver talking to his horse."(pp.6-7, The Zanzibar Chest)

よく分かる、この感じ。そして、そのナイロビからさらに遠くのコペンハーゲンから僕は通うわけだから、僕の存在そのものが世界の皮肉なのかもしれない。

* * *

それから映画のメニューを見ると、見てみたいと思っていて見ていなかったA Mighty Heart (邦題は「マイティ・ハート/愛と絆」らしい)があったので、それを見ることにした。ダニエル・パールというウォールストリート・ジャーナルの記者がカラチで誘拐され、やがて首を切り落とされ、そのビデオが送られてくるという実話を映画にしたものだ。ダニエル・パールの妻役をアンジェリーナ・ジョリーがやっている。

この事件があった2002年はまだカブールにいたので、事件のことはよく覚えている。映画はパキスタンの内情をかなり正当に描いているように思えた。事件の背景などに関心がなければおもしろくないかもしれないが、退屈はしないのではないだろうか。淡々と事件を追うだけだが、そこにからまっている実情が僕にはなじみ深くおもしろかった。映画が終わってみると、見る前よりもダニエル・パールに興味がわいてきた。

映画の舞台になっているカラチの風景は懐かしい。シェラトン・ホテルのロビーが何度も出てくる。僕が生まれて初めて泊まった第三世界のホテルがカラチのシェラトンホテルだった。あれからもう15年も経ったとは。


17NOV 0745 0910 KL1125 AMSTERDAM - COPENHAGEN

ナイロビの離陸が1時間遅れたので、アムステルダム空港ではまた寿司カウンターに行くことができなかった。行ったとしても朝が早いので閉まっていたかもしれない。コペンハーゲンに着くと、寝不足で意識が朦朧としていた。

Tuesday, November 13, 2007

とっちらかってる

今回出席する会議は14・15・16の三日間なので、13日は自分の担当しているプロジェクトの人たちと一日過ごすことにしていた。飛行機の中でやっていた分析の結果を話して、解決策をいくつか検討していくつもりだったのだけど、やっぱりフィールド・オフィスは忙し、くひっきりなしにスタッフに電話がかかってくるし、訪問者は後を絶たないし、ミーティングが中断されっぱなしで、なかなか進まない。

しかも、ミーティングと並行してコペンハーゲンとナイロビを電話で繋いで、ある職に応募しているアメリカ・カナダ・スーダン・南アフリカ・オーストラリアに散らばる応募者と電話面接をするという無謀な予定になっていたので、ますます混乱する。1時間ほど電話面接をして、その結果を話し合って、そして次の面接までの間にまったく別の仕事のミーティングを続けているので、とっちらかって当然だ。

夕方には疲れきっていたが、5人の面接も終え、今動いている仕事を止めないための対策、これからの仕事のための対策について合意できたので、少し先が見えてきたように思える。そして過去の負の遺産の対策、つまり監査を入れてすべてをクリーンにするという話にもフィールド側がとても乗り気になったので、ほっとした。

ホテルに戻るとカブールから来たアミールに会った。バーに行って少し昔し話をしたが、やっぱり疲れてるので早い目に部屋に戻った。明日のプレゼンの用意を何もしていないと言うと、アミールは驚いていた。他の仕事に時間を取られて、この会議の準備は何にもしていなかったのだ。自分のメインの仕事じゃないので、紙を見て少し話すだけで終わるだろう。

眠いはずだが、また朝3時くらいまで結局眠れなかった。

挙動不審

12NOV07 0625 0755 KL1124 COPENHAGEN - AMSTERDAM

11月12日月曜日の朝3時半に目覚ましを合わせて、4時半にタクシーを予約した。といっても、結局寝なかったので、あまり意味はなかった。外は真っ暗。恐ろしく寒く感じる。眠いし、身体も重い。まったく行く気にならない。これが今年最後の出張になるはずだと言いきかせて外に出た。

コペンハーゲン空港は昔の国鉄の田舎の駅のようなイメージ。こじんまりしている。もっともインテリアーデザインはとてもスタイリッシュだけど。ウッドフロアの空港はここ以外で見たことがない。

アムステルダム空港で寿司を食べようと思ったが、あいにく準備中だった。日本とアンマンの間をよく往復していた2003年、この空港の寿司カウンターにはよく来た。特別おいしいわけでもなんでもないが、ファストフードばかり食べているよりはましかもしれない。

睡眠薬をもってくるのを忘れたので、空港内で薬局を探したら、化粧品売り場の中にほんの少しだけ薬らしきものがあった。ヒースローやガトウィックには本格的な薬局があるのに、アムステルダムにないというのはちょっと不思議だ。

店員にきいて二種類の睡眠薬を買ったが、あとで分かったことだけど全然効かない。なんなんだろう、この薬は。こんどオフィスでオランダ人のスタッフに訊いてみよう。


12NOV07 1020 2010 KL 565 AMSTERDAM - NAIROBI

通路をはさんで隣に座っている人がそわそわとして落ちつかない人だった。特になんか変なことをするわけではないが、挙動不審という印象を与える人だ。

明日のミーティングに必要なデータが整理できてないので、飛行機の中ではずっとある国のプロジェクトの財務諸表を見てメモをつくっていた。見れば見るほどエラーを発見してしまう。怒りがこみ上げてきて、そして落胆して、また怒り、そしてまた失望ということを数字が並ぶだけの無味乾燥な紙を見ながら繰り返していた。どこから手をつければいいのか、もう手のつけようがないのか。監査を頼むべきだと考え始めた。

ナイロビに近づいて何かアナウンスをしているがよく聞こえない。ヴィザがどうのこうのと行っているから、入国の案内をしているのだろう。

挙動不審オトコが急に動き出した。パーサーをつかまえて今のアナウンスが聞こえなかった、何を言ってたのだと追求している。どうやらヴィザを持ってなくて、ナイロビで到着してからヴィザを取る予定で、それが落ちつかない原因のようだった。

それは僕も同じだった。国連旅券(UNLP)の場合はナイロビではヴィザは必要ないけど、日本のパスポートだとヴィザがいる。僕のUNLPは今書き換えのためにニューヨークにいったままなので、今回は日本のパスポートしか持っていない。そしてヴィザもない。申請する時間がなかったというのが言い訳だ。

ナイロビに到着したらなんとかしないといけないので、それはちょっと心の重荷のようになっていたが、最悪のケースを考えても、入国できず送還されるだけのことなので、もうどうでもよかった。仕事的には大打撃だけど、それがいったいどうしたっていうのだろう。人が死ぬわけでもあるまいし、心配するだけバカバカしいと思って、飛行機に乗った以上考えないことにしていたのだった。コペンハーゲンを出国する時にケニアのヴィザは?と訊かれたが、「必要ない」と答えて出てきた。

挙動不審オトコはパーサーに黄色い紙をもらって記入を始めた。それは何?って訊くとヴィザ申請用紙と言うので、僕もパーサーに一枚もらって記入することにした。

ケニア空港に着いてヴィザ申請用紙を入国審査官に渡すと、彼はその紙をほとんと見もせず、うしろの方にほり投げて一言「50ドル」と言うだけだった。50 ドル払うとスタンプをバーンと音がするほど強く押して、終わりだった。ウェブサイトには申請してから数週間かかると書いてあったが、申請する意味があるのだろうかと思ってしまう。

空港の外に出るとマリーにばったり会った。彼女はNYから一日早くきて会議の準備をしていたのだ。まさか僕を向えに空港に来るわけはない。何してんの?って聞くとロズウィータを向えに来たとのことだった。ロズウィータはNYから来る大ボスなのだ。僕はマリーを残してHoliday Inn に向った。40人ほどがそこで三日間缶詰になるのだ。

チェックインして部屋で書類の整理をしているとマリーから電話がかかってきた。今からロズウィータやコンゴから来たタニヤとプールサイドのバーに行くので来ないかという誘いだった。僕はもう眠さの極地だったし、まだ明日の準備も終わってないし、行かないといって断った。後で大ボスの誘いを断ったってことに気がついてまずいなと思ったが、もう遅い。これで誰かが死ぬわけじゃないし・・・

アムステルダムで買った睡眠薬は効かず、結局朝5時くらいまでもだえ続けて2時間ほど眠って、プールサイドのレストランに朝ごはんを食べに行くと、ロズウィータがいた。彼女は陽気にアハハハと笑って、やっと会えたわねと言った。昨夜行かなかったことはやはりまずかったようだ。

Sunday, November 11, 2007

パスワード

コペンハーゲンに引越してから、よく「おしん」を思い出す。街全体がおしんの色をしてる。人の表情もおしんっぽい。といっても、実は僕はおしんを一度も見たことがない。いつ頃やってたのだろうか、とちょっと考えてみたが、さっぱり分からない。知っているのはNHKの朝の連続ドラマだったということだけだ。貧乏で不幸な境遇の女の子が成長していく物語という程度の認識しかない。それだけで、おしんを語るのは不遜なことかもしれない。

でも、コペンハーゲンを表すのにおしんのイメージは僕の頭の中ではぴったりなのだ。一年のほとんどの間ひどい気候の中で文句も言わずじっと耐えている人たち。街の中で見かける顔はみんな懸命に何かに耐えているように見える。僕はそんな表情を見て、おしん、おしんと思いながら歩いている。

ここはいつも風が吹いている街だ。そのせいで気温以上にものすごく寒く感じさせる。特にオフィスのあるヨットハーバーは風がすごい。誇張でなく、ほんとに風でふわっと身体が浮きそうになる。そう言えば、この2ヶ月ほどで11キロ痩せた。もちろんダイエットなんてするわけもなく、ジムに通うわけでもないが、勝手に痩せた。全身に余計な油がついていたので、それが溶けてなくなったような感じがする。痩せたというより、風船が縮んだようなものだ。

考えられる原因は毎日通勤で片道20分歩くということと、間食をまったくしないということだ。胃に入る固形物は昼のサンドウィッチと夕食だけで、カブールにいる時のように、仕事をしながらジャンクフードを食べることがない。次回、日本に帰った時に、痩せないと死ぬぞと脅していたいつもの医者に会うのが楽しみだ。

今日、オフィスに入って20歩くらい歩くと案の定警報が鳴り始めた。オフィスビルに入る時はいつも個々のスタッフに配給されている小さいコインのようなマグネットをドアについているキーボードのようなものにあてて、その上で個々のスタッフ専用のパスワードを入力して入る。それから自分のオフィスの部屋に入る時はまた別のカードキーをスライドさせて、またパスワードを入力する。そこまではいつも同じなのだけど、勤務時間外にオフィスに入る時はさらに部屋に入ってから、アラームを解除しなければいけない。それにもまた別のパスワードの入力が必要になる。

今日は日曜だけど部屋に入ってもアラームがならないので、なんだ壊れてるんだと思って歩き始めたら、やっぱり鳴り始めた。あわててアラームコントロール機まで走っていって、パスワードを入力したが、間違えたみたいだ。まだ鳴り続けてる。これが続くと、警備会社がやってきて、えらい騒ぎになってしまう。もう一度落ち着いて入力し直すと、鳴り止んだ。面倒くさい話だ。人を全然信用しないと社会は実に効率が悪くなる。子どもの学校も同じように入り口でパスワードを入力しないとドアが開かない。それも週日と週末(日本語学校)で同じ校舎だけど、パスワードが異なる。

毎日必要なイントラネット、eメール、プロジェクト予算システム、支出報告システム、人事管理システム、銀行ATM、携帯電話用SIM、携帯電話器そのもの、インターネットバンク4種類等などが日常的にパスワードが必要なものだけど、頭の中がパスワードだらけで、もう覚えられない。ワイヤレスネットワークや、インターネットで使ういろんなサービスのパスワードなんかを数え始めるともうきりがない。全部同じパスワードにしようとしているのだけど、変更できないものや、異なったルールを要求するのがあって、ちょっと変えるだけで、もうこんがらがってしまう。

サインや印鑑がパスワードになっただけの話だろうが、生体認証システムがもっと進んで、個々のアイデンティティを証明するものが自分の身体以外何も必要なくなるようになった方がもう楽だと思う。そんなことを言うと、完全管理社会を警戒する人たちにボコボコにされるだろうし、そういう警戒感はよく分かるけど、今さらそんなこと言っても、もう遅いではないかと思う。パスワードに人格を乗っ取られているような気分ではそんな議論をする気にもならない。

オフィスを出ると、雪が降っていた。強い風に流されて、雪が正面から顔に当たる。なんて冷たいんだろう。おしん、おしんとつぶやきながら、暗く冷たい道を家まで歩いて帰った。明日の夜明けナイロビに向う。

Friday, November 09, 2007

葡萄

朝、子どもを学校まで送っていって、それからオフィスに行って、そして2時半にもう一度学校まで子どもを迎えに行って家まで送り届けると、もうオフィスに戻る気力がなくなってしまった。よくよく考えれば、オフィスに行っても結局コンピュータに向かって仕事してるだけなのだから、家でやっていても何も変わらない。それなら、そもそもなんでこんなところにいるんだという根本的な疑問も出てくる。世界中のどこにいても同じことではないかと。そんな話は日常的に繰り返し出てくるが納得のいく回答はITの発展と共にますます減っていく。

毎週金曜日はFriday Breakfast という催しものがある。各フロアの半分ずつくらいがグループになってオフィスでいっしょに朝ごはんを食べるのだ。当番になった人がパン、ハム、チーズ、フルーツ、ジュースなんかを買ってもってくる。

明日は、僕とJ の当番の日なので、今日は昼休みにスーパーマーケットまでいっしょに買い物に行った。このクソ忙しい時にっ、という思いもあったが、頭の熱を下げるためにもよいことだと思い直して寒風吹きすさぶ波止場に出て行った。

意外なことに、才気煥発かつ天真爛漫だと思っていたJ にも相当ストレスがたまっているらしかった。延々と明るく喋り続けることに変わりはなかったが、仕事の重圧は相当きついらしく、僕と同じようにオフィスの外の空気をただ吸うということに救いを求めて買い物に出てきたのだった。

スーパーマーケットに入ると、J はいきなり大きな葡萄のパックやメロンをまったく品定めもせず、値段も見ず、パッパとかごに入れていく。朝ごはんにこんなものいるだろうかとふと思ったが、これもストレス故のことかもしれないと思ってだまっておくことにした。明日の朝の焼きたてのパンを予約して、全部で合計すると、300クローネくらいだった。日本円だと6500円くらいだろうか。ちょっと買い過ぎではないだろうかと口に出してみたが、「いつも何人くるか分からないっ」というJ のきっぱりした言葉でこの会話は終った。

オフィスに戻って、また直ぐにソマリアのプログラムと電話会議。なかなか繋がらず、繋がったと思ったらすぐ切れる。それだけで、相当にイライラするが、話の中身はもっと深いフラストレーションを発生させる。1時間15分でエネルギーを消耗し尽してしまった。

来週はまた一週間ナイロビに出張だ。あと一日しかないのに、膨大な仕事がたまってる。お先真っ暗。机ごとひっくりかえして、投げ出したい。一生に一回でいいから、いつかそういう機会を設けてみたい。

Thursday, November 08, 2007

南海の孤島

家族全体に疲労が蓄積してる。遠い国へ引っ越してきて、まったく何も分からず、ホテル住まいを始めて、住む場所を探して、契約して、引越しして、家具やら生活道具を手に入れて、新しい学校に入学して、学校に必要なものを買い揃えて、銀行口座を開いて、テレビをつないで、インターネットを契約して、電気・ガスなどをつないで、切符の買い方の分からない電車やバスにのって、言葉が分からず品物の内容が分からないお店で買い物して、まったく知らない人たちと次々に知り合いになり、ぎこちない付き合いを始めて、迫り来る寒さに準備をして、毎日とりあえず何かを食べて、おしっこもうんこもして、寝て、シャワーを浴びて、なんとか生存していくというのは、ストレスのたまるものだ。それに加えて、まったく訳の分からない仕事で頭がおかしくなりそうになりながら、出張ばかりで、僕はもうそれだけで疲れきっていたが、今や家族全体の疲労のピークに来ている。

人事の会議をやっていたら、家から電話がかかってきた。明らかに声がおかしい。インフルエンザにかかったようだ。晩御飯を作る気力がないので、早く帰ってきて何か作って欲しいとのことだった。もう5時前だし、4時を過ぎると帰宅してしまう人も多いので、すぐに帰ろうかと思ったが、フィールドで待っている案件が山積みで動けない。ある国のプログラムで10月分のローカルスタッフの給料が払えず困っているケースが途方もなくもつれていて、なんとかそれだけを処理したかった。即効でキーボードを叩きまくって、一度も読み返さず本部と地域事務所のFinance に送って、やっとオフィスから出てきたら、5時半だった。記録的に早い帰宅だ。

急いで駅前のスーパーマーケットで買い物をしてぜいぜいいいながら家に帰ったら、上の階に住むクリスが家に来ていた。うちにあるヒーターの調子がおかしいので、それを直してくれていたのだ。イギリス人の彼は何かと助けに来てくれる。ここに入居して初めて知り合った日、夜の食事(その頃は外食ばかりだった)から戻ると、ドアのノブにビニール袋がかかっていて、ワインが二本。Welcome to my neighbor !と書いたカードとともに入っていた。それがクリスだった。それ以来、うちの息子二人におもちゃを買ってきてくれたり、DVDをダウンロードしてもってきてくれたりする。彼はイギリス人だが、ノルウェー人の彼女もたまにノルウェーからやってくる。彼女はこっちにくると、毎日うちに遊びに来て妻とお茶を飲みながら話をしているそうだ。

クリスにやーっと言って、ドアを閉めようとすると、隣のドアからマイケルが出てきた。彼は有名な弁護士さんらしく、そこを事務所にしている。僕の部屋も彼の所有らしく、マイケルはつまり僕にとっては大家でもある。彼とは細かいことでいろいろ行き違いもあって、一時険悪な仲になったが、いつまでもそんなことしてられない。今は普通につきあってる。しかし、まだ続いている契約の話を少ししていたら、下からMさんと二人の娘さんが上がってきた。Mさんはデンマーク人の男性と結婚した日本人で、クリスと同じように、うちの上の階に住んでいる。このビルの知り合いはこれで全部なのでその全員と一度に会ったことになる。珍しい瞬間だった。

Mさんの娘さんは土曜日の日本語補習学校に行っていて、うちの上の子も学年を一つ下げてそこに行くようになったので、Mさんが時々宿題を一緒にみてくれてほんとに助かってる。うちの上の子はインターナショナルスクールでは三年生だが、日本式の4月から始まるサイクルだとまだ二年生ということになる。そして、彼には二年生の日本語は難しいので、日本語補習校では一年生に入れてもらった。だから、英語で三年生と日本語で一年生を同時にやるという妙なことになってるが、僕はできるだけ彼の負担の少ないようになればいいと思っている。

家族はみんな一日10時間は寝ないとつらいようだ。僕は平均すると一日5時間くらいなので、生活のパターンがかなり違う。この5時間の時差の間に僕は自分のしたいことをおさめるべきだと思っているが、それがオーバーフローすることもある。簡単に言えば、家族が起きている間は僕は一切自分のことに手をつけず、家族が必要なことに専念するべきだと思うのだが、なかなかそれができない。家族といっしょに生活することに慣れていないので、まだパターンが出来上がっていないのだ。出張で僕の生活が細切れにされるのも不利に働いている。

今の仕事上のストレスのたまり方もちょっと異様なものがある。不健全というか、本部の性格上しかたないのかもしれないが、他の人たちのストレスのたまり方を見ていても、フィールドのストレスとかなり種類が違うのが分かる。にっちもさっちもいかないという言葉がぴったしなのだが、それがもしにっちもさっちも行ったら、どうなんだってことが誰にも具体的な像としてあるわけでない。それがフィールドとの大きな違いだ。こうあるべきものとか、達成すべきものみたいなものがフィールドでは比較的同僚たちの間で共有されやすい。それに向かって、にっちもさっちもいかない状況があれば、クリアしていくことには自然と motivation も上がってくる。

本部にmotivation のある雰囲気は全然ない。もちろん、数人のトップレベルの人はいつもそれを鼓舞するような話をするが、聞いているスタッフはまるで選挙演説を聞いているような顔でボーっとそれを見ている。どうもおかしい。

人生はもう終りかけてる。あと一種類くらい全然別の仕事もやってから、終りたいと最近つくづく思う。南海の孤島のリゾートホテルのマネージャーとか、そういう仕事どこかにないもんだろうか。

Tuesday, November 06, 2007

ちょちょ切れる

数日前、外科医の友人が自分で書いた小説を送ってきてくれた。さっそく読んでみたが、おもしろいストーリーだった。"Reluctant Fundamentalist" (Mohsin Hamid) を読んで以来、もう日本では小説は書けないだろうと思っていたが、こういうパターンがあるかとちょっと感心した。なんのことか全然分からないだろうな。興味のある人は"Reluctant Fundamentalist" (Mohsin Hamid) をグーグルしてみてください。それでもっと興味がでれば読んでみてください。

なんて書けば、面倒くさい話に見えるかもしれないが、日本のテレビドラマに使えそうな気もするようなストーリーだった。もっとも日本のテレビドラマをほとんど知らない僕がそんなこと言っても、全然あてにならないと思う。僕にとっては日本の雰囲気を思い出す懐かしい気分にさせてくれる話だったという方が正確かもしれない。

小説の中に僕をモデルにしたという登場人物も出てくるのだが、ずっと若い頃の僕がモデルになっているのが分かる。今の僕とは相当イメージが違う、と僕は思った。作者の彼と頻繁にあっていたのはかなり前のことなので、そういうズレはしょうがない。

読んだ後に知ったのだが、小説の中に登場する女子大生のモデルは彼の娘さんだった。この小説を彼は娘さんの誕生日にプレゼントするそうだ。こうやって書いてみると、カッコよすぎて涙ちょちょ切れる話だな。

映画かテレビのシナリオのように構成されていたが、Rewrite してみたい気にさせるストーリーだった。そんな時間はいつかできるのだろうか、とナイロビとコペンハーゲンを繋いでソマリアのこんがらがったケースの解決策を探るために始めたが、肝心の担当者がキンシャサに行ってしまったことが発覚してまったくにっちもさっちもいかない話で途方にくれる電話会議と、音が割れてほとんど聞き取れないが和気あいあいと談笑する声だけがNYから聞こえてくる電話会議と、議長が何度修正しても横道にそれてしまうNYとコペンハーゲンのビデオ会議の合間に吐き気をもよおしながら、ふと思った。

こんなことしているくらいなら、小説を書く方が世のためになるのではないだろうか、と思いながら、i-Pod でBlue Grey を聞いて、雹の叩きつける暗く寒い波止場を歩いてサンドウィッチ屋に着くと、W とF がいた。顔をあわせて、なぜか三人で爆笑した。

未来への言葉:Do whatever you want あるいは、勝手にしたら

カブールではずっと絶え間なく微熱が続くような忙しさだったけど、ここにいるとラジエターの壊れた車になったような気分だ。今から思えばの話だけど、フィールドは詩的だと思う。よく考えれば、ずっと一点を見つめる生活ではないか。

ここはとても無機質だ。常に頭の中が四方八方に散乱して、すぐに過熱状態になって何度も部屋を出て頭を冷やしにいく。といっても、同僚と論争するわけでもなんでない。自分のPCと二人きりの会話なのだ。フィールドで時々経験するような怒りがわくわけでもない。ただ単純にタコメーターがレッドゾーンに入ったまま運転し続けてるようなものだ。あまりこの状態を続けていると吐き気に襲われるので面倒くさいが適当に間をあけなければいけない。それがまた時間の浪費だという思いが離れず、また熱くなる。

このオフィスは若い人が多い。まだ開店して一年ほどなので、近所のヨーロッパの若い人がいっぱい応募して入ってきたのだ。周りにいるのは僕より15~20 歳くらい若いスタッフばかりだ。オランダ人のWはまだ大学院生のインターンだが、とてもしっかりしていて礼儀正しく頭のよさが端々ににじみ出ている。

スウェーデン人 F はとても温厚でまじめな男だ。F は、フラストレーションの爆発を抑えて黙々と仕事をしている。時々、彼は正論をボスにぶつけている。彼は自分でお弁当を作って持ってくる。オフィスビル内のカフェテリアがあまり好きになれない僕は一人でヨットハーバーの(というかオフィスビル全体がヨットハーバー内にあるのだけど)、サンドウィッチ屋に行くことが多いのだけど、彼は自分のお弁当を持ってついてくる。外で海を見ながら食べるのがいいらしい。

J もスウェーデン人だが、才気煥発という言葉がぴったしの、未来とか夢とか希望とかそんな言葉をはにかまずに普通に言えるような、かつスカンジナビアのイメージを絵に描いたような金髪の可愛い女の子だ。たまに僕がが国連の深い闇を口からもらしても、彼女はきっぱりと「私はまだ希望を捨てない」なんて言葉を発するのでたじろいでしまう。

J はよくコーヒーを飲みに行こうと誘いにくるのだが、最初は忙しいのでと断っていた。断ると机まで持ってきてくれると言う。それもなんか悪いので断ると、だんだん感じが悪くなってしまう。最近はJ が誘いに来る時間がいつもかなり正確に朝10時だということにも気がつき、10時を頭の冷却時間にすることにして、自分も快くいっしょにコーヒーを飲みに行くことにした。

コーヒーを飲みに行くといっても、やはりオフィスビルの一番上にあるカフェテリアなのだ。すぐ近くには店らしいものがサンドウィッチ屋以外にないのでしかたない。どういう仕組みか分からないが、挽きたての豆で作るコーヒー(カフェラテ・カプチーノ・エスプレッソもある)はいつでも無料だ。

オフィスフロアにはイノベーション・カフェとかいう変な名前のガラス張りの部屋があって、そこでもコーヒーが無料だ。そこで呆然とテレビを見ている人や、子どもを連れてきて遊ばしている人もいる。家具類はすべていわゆるデザイナーブランドで、かつ遊びの空間をふんだんに取り入れたフロアープランになっている。ホッケーゲームに熱中している人や、チェスをしている人もいる。グーグルのオフィスもかなりすごいらしいが、これが最近のオフィスのトレンドなのかもしれない。その哲学について書かれたものを着任した時にもらって読んだけど、それなりに一貫したものはあった。ただ最大の欠点は音だろう。空間デザイナーが音デザイナーを雇わなかったばかりに、声があちこちに反響して、仕事に集中するのはかなり難しく、僕はi-Pod を聞きながら頭から湯気を噴いている。

しかし、この組織は国連の中では珍しく自分で利潤を出して運営することになっているので(ドナー国から直接拠出金をもらうことができない)、それなりに言い訳ができるのかもしれない。今はどうか知らないが、たぶん20年くらい前、世銀の職員がどこへ行くのもファーストクラスで行くことを非難された時、世銀は自分たちで利潤をあげている(金を貸して利子を取ること)のだがら、文句を言われる筋合いはないというような返答をした、という記事を読んだことを覚えている。それが妥当な返答なのかどうか、知ったこっちゃないが、少し似ているかもしれない。といっても、僕のような下っ端に適用される国連のルールは、9 時間未満のフライトはエコノミー、9時間以上のフライトはビジネスと決まってる。ファーストクラスとかそういうのは知らないけど、例えば、国連事務総長などは当然ファーストクラスなんだろう。

W も F も J も未来についてよく話す。30歳前後なのだから当然かもしれない。誰も今やっていることを永久の職などとは考えていない。これをいかに利用するか、これをいかに不利に作用しないようにするか、緻密な計算をしようとする。どうせ、そんなことしても無駄だよ、なんて言える雰囲気ではない。彼らは僕を引退した老人か何かのイメージでとらえているのだろう。フィールドの生活から、応募書類の書き方までいろんなことを訊かれる。彼らのような上質な部類には本来何の助けもいらないはずだが、下等支配制がまだまだはびこるこの業界では、苦労もするだろう。しかし、残念ながらそういうことに関しては僕には何の力もない。

こういう未来の潜在力に対して僕にできることはなんなのだろうかと考え込んでしまう。僕が今から国連トンデモ話をたくさんしておけば、彼らが将来発狂しそうなくらいバカ気た事態に出くわした時のショックを若干和らげることはできるかもしれない。しかし、どうもそれは建設的でない。

彼らが未来の夢と希望を持続させ、それを実現してしまえばいいだけの話だ。そして、彼らの前にはまったく想像力を超えた困難でかつアホらしい壁の連続があることは彼らも感じているようだ。したいようにすればいいさ、それで困難に当たれば、解決する、そしてまたしたいようにすればいい。Do whatever you want. それくらいのことしか言うことはない。グレードがどうのこうの、採用プロセスがどうのこうの、ごまかし、ウソ、陰口、足のひっぱりやい、出世のためには手段を選ばない人々、全部そのとおりだけど、それをいっさい無視しても、まだ道はあるだろう。やりたいことをやればいい。勝手にすれば。

結局、それ以外に僕には言葉がない。

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Sunday, November 04, 2007

ゴミ

NYに行っている間に日本から船便で送った荷物が届いていた。大きなものはほとんど置き去りにしてきたので、コペンハーゲンに来るのは本と服ぐらいだと思っていたが、相当のゴミを送ったらしい。運送会社には本の箱以外は全部開けて空箱を持ってかえるように頼んでおいた。それでも全部で130個くらいあった段ボール箱が、40個くらいは手付かずで残っている。

昨日やっと自分の箱に手をつけ始めたが、箱をあけて本を出すという単調な作業だけで腰が折れそうになる。しかも、借りたアパートには元々本棚がなく、大家に二つ付けてもらったが、それでは圧倒的に足りない。結局、本を床の上に積み上げるはめになる。しかも、悲しいことに捨ててもよい本が半分くらいはあるだろう。日本ではそんな整理をする時間もなかったので、なにもかもコペンハーゲンにやってきてしまった。

日本のアパートは居住空間だけを計算すれば、130平方メートルくらいで、ここは170平方メートルくらいなので、問題はないはずなのだけど、どうも収まりが悪い。日本の住居は狭い場所をうまく使うようにできているのだと思う。日本では各部屋に備え付けのクロゼットがあったので、タンスのような家具を買う必要もなかった。

しかし、このアパートの部屋はどれもただの空間。大人用と子ども用のベッドルームにはそれぞれクロゼットをつけてもらったのだが、それでも足りない。こっちの方が広いはずなのにどうも変だなあと思って考えてみたら、廊下というものが相当に空間を食っていることに気づいた。日本ではあまり見ないような廊下がずどんとアパートの真ん中に一直線で通っているのだ。いつか写真を撮ってみようと思うが、広角レンズでも使わないと収まらないかもしれない。

自分の机だけは気に入っていたので、日本から送ったのだが、昨日これを組み立てている時に嫌なものを見てしまった。Made in Denmark と書いてあるではないか。僕は日本でデンマーク製の机を買って、それをデンマークに送って使っているということだ。かなりアホくさい。

普通は子どもの部屋だけはなんとか先に整えようとするだろう。そして生活に即影響を与えるベッドルームやキッチンというように優先順位がつけられる。そうやっていくと、必然的に僕の部屋が最後に残る。

というわけで、今僕はゴミの中でこれを書いている。