Friday, November 26, 1999

イスラム・コラム No.7 「クーデターを起こしたのは誰か?」

JapanMailMedia 037F号から転載。

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 ■ イスラム・コラム No.7  山本芳幸
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「クーデターを起こしたのは誰か?」


 10月12日、本当は何が起こったのか。

 実は、まだよく分からない。パキスタン国軍がクーデターを起こしたというが、ムシャラフは、テレビで中継された、ある記者会見でこのように言ってい た。クーデターを起こしたのは我々ではない、我々はカウンター・クーデター をせざるを得ない状況に追い込まれた、それで行動を起こしただけだ、と。つ まり、パキスタン政府自身がクーデターを起こした、それに対抗する措置を とったということだ。クーデターという言葉の定義からすれば変な話である。

 しかし、これはムシャラフが突然言い出した話でもない。すでにクーデター 直後の10月17日に地元紙、DAWN に『失敗したクーデター』というタイトルの コラムが出ていた。これを書いた人気コラムニスト、アルデシール・ カワスジー氏がいう失敗したクーデターというのも、ナワズ・シャリフ首相自 身が起こしたクーデターということだ。つまり、ナワズ・シャリフ首相が クーデターを起こそうとしたが、パキスタン国軍に阻止されたという解釈だ。

 古今東西、政府の声明というのは、よくもまあ、そんなことを!とあきれるしかないような勝手な話が珍しくないし、このカウンター・クーデター説もそ の類かもしれない。真相を知るにはもっと情報が出てくるのを待つしかないと 思っていた。が、最近、ナワズ・シャリフ前首相の裁判が始まり、そこでの証 言を読むことができるようになった。また、パキスタンのジャーナリスト達も 記者魂を発揮し、10月12日ムシャラフと同じフライトに乗り合わせた乗客の話 などを取材して、だんだんと輪郭がはっきりしてきた。そして、ムシャラフ自 身も11月3日になって、初めて自分で機中での状況を記者達に話した。これらを 総合して、10月12日、いったい何が起こったのかを再構成してみると以下のよ うになった。これが決定版真相などと主張する気はさらさらない。これは、今 までに知らされたこと、に過ぎない。時系列に情報を並べてみるといろんなと ころにポッカリ空いている穴があるのが分かる。まだ、どんでん返しもあるか もしれないということを念頭に置いておいた方が良さそうだ。

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●コロンボ:午後3時30分
 パキスタンには泳げない人が多い。理由は、まず学校にほとんどプールがな いからだろうと思う。そして、その理由は、まず直接的にはそんな予算がない ことだろうが、もっと重要なことは裸になるというのがイスラム文化に馴染ま ないからではないかと想像している。しかし、彼らの身体能力は、自分が一番 よく知っている日本人のそれと比べると、ものすごく高いような気がする。 彼らが本気でスポーツに取り組んだら、かなりすごいことになるのではないだ ろうか。実際、クリケットやポロは常に世界一を争うレベルだ。

 10月初旬、スリランカで南アジアの水泳選手権があった。南アジア中の10代の少年、少女達が集まった。パキスタンはここで驚くべき健闘を見せた。総合 優勝したのは、なんとなく生まれた時からみんな泳げそうなスリランカのコロンボ・オーバーシーズ・スクールであった。しかし、準優勝にカラチ・インターナ ショナル・スクール、3位にラホール・アメリカン・スクールと上位 2校がパキスタンの学校であった。パキスタンにおける水泳競技の裾野の小ささを考えれば、これはかなりすごいことではないか。

 10月12日、準優勝をはたしたカラチ・インターナショナル・スクールの28人の生徒と4人の先生が、カラチに帰るためにパキスタン国際航空のPK805便に乗 りこんだ。彼らの中には水泳競技に参加するため各国に遠征し、国際線の飛行 機に乗ることに慣れてる者も少なくなかった。搭乗する際、二人の生徒が不審 に思ったことがあった。カスタムもイミグレーションも通過し、荷物もチェッ クインし、やっと機内に入る直前の階段の真中で、私服を着た男三人と女一人 がもう一度金属探知機で乗客の手荷物をチェックしていた。この4人はパキスタンの国語であるウルドゥー語を話していた。生徒は妙に思ったが、何事もな く通過させられ、機内に乗り込んだ。

 機内には、パキスタン国軍のトップの地位にあるムシャラフ将軍がエコノミー 席(!)の中ほどに夫人と共にすわっていた。午後5時頃、PK805便は、コロン ボからカラチに向けて飛び立った。同機は約200分後、午後6時40分頃にカラチ に到着する予定であった。

●イスラマバード:午後5時10分
 PK805がコロンボを飛び立ち、ムシャラフが機中にあった午後5時10分、 PTV(パキスタン国営放送)で、ナワズ・シャリフ首相が、パルヴェズ・ ムシャラフ将軍を解任したという速報が流された。ムシャラフ将軍の任期は 2000年4月までだった。後任として、パキスタンの情報機関である、ISI の長官、 カワジャ・ジアウディン中将が指名された。放送では、この人事の説明は一切 なかった。機中のムシャラフ将軍に解任の連絡はなかった。

 シャリフ首相にパキスタン国軍の指揮を取ることを依頼されたジアウディン は、放送直後、イスラマバードに隣接するラワルピンディのパキスタン国軍総 司令部に到着した。彼を迎えた司令官は、軍の伝統により指揮権を譲渡するた めには、ムシャラフ将軍の到着を待たなければならないとジアウディンに伝え た。予定が狂った。ジアウディンは、イスラマバードにあるムシャラフ首相官 邸に向けて車を飛ばした。

●アブ・ダビ:前日
 ナワズ・シャリフ首相が軍のトップを解任するのはこれが初めてではなかっ た。彼は軍とは常にうまく行っていなかった。ムシャラフの前任者、ジャハン ギール・カラマットは国民に向けて、パキスタンの指導者の問題について率直 に語ったために、シャリフに解任された。その後任に、シャリフ首相は序列で いえば三番目にあたるムシャラフを選んだ。ムシャラフが政治的野心がなく、 一番弱い男だと見たのだった。

 しかし、ムシャラフは兵士の中の兵士とみなされている男であった。シャリ フはそれを理解していなかったのかもしれない。1年も経たないうちに、 シャリフ首相はムシャラフとうまく行かなくなった。彼はムシャラフを解任し たくなった。

 10月11日、シャリフ首相、ISI長官のジアウディン、PTVのパルベーズ・ ラシッド、その他シャリフ首相の取り巻き計6人が密かにアブ・ダビに飛んだ。 そこで、彼らはムシャラフをスリランカの公用から帰る途中に解任し、ジアウ ディンを後任にすることを決めたのだった。

 しかし、シャリフ首相の動きを軍は察知しており、ラワルピンディの総司令 部にある第10軍団111旅団は24時間厳戒態勢をとっていた。総司令官のムシャラ フがどこにいようと、異変が起これば1時間以内にパキスタン全土を管理できる 態勢を整えていた。シャリフ首相はそれを知らなかった。

●首相官邸:午後5時40分頃
 軍に追い返されたジアウディンの報告を聞いて、ナワズ・シャリフ首相とそ の側近は次の対策を練った。結論は、PK805をカラチに着陸させないということ であった。そして彼らは、PIAのトップ、シャヒド・ハカン・アッバシにPH805 をカラチ空港に着陸させないこと、パキスタン以外のどこかへ行くよう命令す ることを指示した。

●イスラマバード:午後6時
 シャリフ首相がムシャラフを解雇した50分後、軍は行動を開始した。まず、 シャリフを官邸で拘束した。その他シャリフの側近もすべて自宅軟禁状態にお かれ、主な政府庁舎も封鎖された。PTVの放送局も軍によっておさえられ、放送 はその後3時間ストップした。電話、携帯電話も断線された。それより遅れて、 ラホール、ペシャワル、クエッタ、カラチでも軍は同様のすばやい行動を開始 した。

●PK805:午後6時45分
 カラチへの到着は6時55分くらいだろうと思っていたムシャラフの席へ秘書 のナディムが、午後6時45分頃やってきた言った。機長が何か緊急の要件で話 したいことがあるのでコックピットへ来て欲しいと。ムシャラフがコックピッ トに入ると、機長は今カラチ上空であるとムシャラフに伝えた。そして、カラ チ空港に着陸することを許可されない、パキスタン内のどこに着陸することも 許可されない、と続けた。ムシャラフは機長に機の状態を尋ねた。そしてどこ へ行けるかを。

「閣下、燃料はあと1時間分くらい残ってます。この燃料で行けるのはマスカッ トかインドだけです。高度1万5千フィートか2万フィートを飛ぶように命令され ています。現在、機は降下中で・・・」

 一通り機長は話終えて時計を見て言った。

「あと45分しか飛べません。今から到着できるのはインドだけです」

 ムシャラフは機長に応えた。

「インドに行くなら私を殺してから行ってくれ。我々はインドには行かない」

 ムシャラフは機長に現在の状況を航空管制センター(ATC)に伝えるよう命 じた。機の状態とともに、PK805はインドには向かわない、カラチに着陸した い旨を機長はATCに連絡したが、しばらく返答が返ってこない。その時点で、 ムシャラフは、おそらくATCがイスラマバードの誰か、非常に高い地位の誰か と連絡をとって指示をあおいでいるのだろうと考えていた。10分ほどして返答 があった。

「We don't care. You leave Pakistan. You won't land here (知ったこっちゃない、お前はパキスタンから出て行け、ここには着陸させないよ)」  

 しかし、この通信の後、機長は燃料はあと35分ぶんくらいしかない、インド へも行けるかどうか分からないとムシャラフに伝えた。ムシャラフは、それを 聞いて、よし、もうかまうな、カラチへ着陸しろと機長に言った。機長は ムシャラフにこたえた。

「閣下、それはできません。おそらく滑走路のライトは消されているでしょう。 しかも、我々を着陸させないために滑走路上に障害物が置いてある可能性があ ります。着陸を強行すれば大惨事になるでしょう」

 ムシャラフは機長の説明を納得するしかないと思った。しかし、彼は機長に もう一度ATCに連絡をとって、今の状況を伝えることを命じた。我々はどこに も行けない、どこに行く燃料もない、どこに行けというのだ、と。

 ATCからはまた長い沈黙が返ってきた。ムシャラフはまたATCがイスラマバー ドの誰かと電話で連絡をとっているのだろうと思った。ATCからの応答があった。 今度はパキスタン国内にあるナワブシャーに着陸を許可するという返答であっ た。ムシャラフは躊躇せずにすぐにナワブシャーに向かえと機長に命じた。

●カラチ:午後7時10分
 カラチの属するシンド州の警察庁長官、ラナ・マクブール・アーメッドとナ ワズ・シャリフのシンド州問題顧問、ガウス・アリ・シャーは、大至急ナワブ シャーの警官を駆り集め、空港に急行させること、そして、PK805が到着したら ムシャラフ将軍を逮捕し、ラナ長官とガウス顧問がヘリコプターで到着するま で拘束しておくことなどをナワブシャー警察に命令した。

●PK805:午後7時15分
 PK805がカラチ上空からナワブシャーに進路をとってハイデラバードの街が 下に見えた頃、軍のイフティカー将軍のメッセージが無線から飛びこんできた。 それは、すぐに引き返してカラチに着陸して欲しいということ、すべて問題な いということを伝えるものだった。ムシャラフはすぐにはこれを信じなかった。 これは誰が喋っているのか、いったいこれは何なのか、という疑いを持った。 ムシャラフは自分でマイクを取った。そして、軍団司令官を出すように命じた。 司令官はいなかったが、イフティカー将軍はそこにいた。彼はすべて問題なし ともう一度ムシャラフに伝えた。しかし、ムシャラフは何が起こったのか説明 を求めた。イフティカー将軍は言った。

「閣下は本日午後5時、解任されました」

 ムシャラフはこの時初めて自分が解任されたことを知った。イフティカーは 続けた。 「その後、軍は行動を起こし、全て問題はありません。カラチ空港のすべては 軍がコントロールしています。すぐに戻ってきてください」。  ムシャラフは機長に燃料の状態を尋ねた。機長は、今ならナワブシャーとカ ラチのどちらでも間に合います、と応えた。ムシャラフは考えている時間がな いことを思った。よし、直ちにカラチにひき返せと彼は機長に命じた。

●カラチ:午後7時14分
 軍はカラチ空港を午後7時14分、管理下に置き、すぐにPK805に連絡をとった。 シンド警察庁長官ラナ・マクブール・アーメッド、シンド州問題顧問ガウス・ アリ・シャー、PIA会長シャヒド・ハカン・アッバシ、PIA顧問ナディル・ チョードリーらは軍に逮捕された。シンド州知事公邸、シンド州長官公邸は軍 の管理下に置かれた。

●PK805:午後7時15分~48分
 ムシャラフはコックピットを出て、自分の席に戻った。夫人は寝ていた。す でに到着時刻を過ぎているのに、カラチ上空を舞っていることにカラチ・イン ターナショナル・スクールの女生徒、アリーナ・アーメッドは気がついていた。 何が起こっているのか、何が起きようとしているのか、なぜ何もアナウンスが ないのか、彼女は考えていた。ムシャラフと機長は乗客がパニックに陥らない ように何も伝えないことにしたのだった。しかし、着陸直前、目を覚ました妻 にムシャラフは事情を話した。夫人は泣き始めた。

 午後7時48分、PK805はカラチ空港に着陸した。残り燃料はあと7」分ぶんで あった。

●カラチ空港:午後7時48分
 カラチ空港ではムシャラフの娘がPK805の到着を待っていた。しかし、彼女は ムシャラフに会うことはできなかった。空港は軍の厳重警戒の下に置かれ、到 着したムシャラフはすぐに簡単なブリーフィングを空港で受け、カラチ軍団司 令官とともにマヒール駐屯地に向かった。「異変」が起きてから、約3時間後、 軍最高司令官の無事は確保され、パキスタン全土は軍の掌握下に入った。

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この後、夜中の午前3時、ムシャラフはテレビで会見をし、軍は行動を起こ さざるを得ない状況に追いこまれたと説明したのだった。  さて、これは誰のクーデターだったのか?

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山本芳幸(在イスラマバード)
・UN Coordinator's Office for Afghanistan / Programme Manager
(国連アフガニスタン調整官事務所 / プログラム・マネージャー)
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