Friday, July 07, 2006

ノーコメント

No Comment という番組、というか、時間帯が、EuroNews にあるのだけど、これがうるさくなくて僕はかなり気に入ってよくつけっぱなしにしている。うるさくないと言っても、音はちゃんと画面から出てくる。ただ、解説とか音楽とかそんなものが一切入っていないだけで、どこかに備え付けたカメラが回りっぱなしで、その映像とそこの音が延々と流れている。

例えば、バグダッドの街角にカメラはあって、普通に街の通りを行きかう人々や普通に商いを行っているお店の様子などがずーっと流れていたりする。テレビ慣れしている人間にとっては、こんなもの延々と流していていいのかって思う。こういうのはニュース番組を作る時は、きっと編集されてしまって永久に日の目を見ない映像なのだろう。

バーンッ!という音が突如入って、その音の方向にカメラがゆっくり動くと、そこにもくもくと黒い煙が立ち上がるなんてことも時にはある。そして、普通に歩いていた人たちが一斉に何やら喚きたてながら走り回り始める。普通の顔が怒りや嘆きの表情に突然変わる瞬間が、No Commentを通して伝わってくる。

とてもリアルだと思う。

普通のニュース番組に使われているのは、このバーンッ!という音の後の、その局部の映像、ニュース編集者がここがツボだっ!と思って切り取った瞬間なのだろうし、その選択というか編集はとても正確なのだろうと思うけど、結果的にはツボをまとめて10個も20個も毎日見ていると、もう頭の中はツボだらけで、ツボがツボでなくなってしまっている。

爆弾で吹っ飛んだ建物や自動車はもちろん、血まみれの死体さえも、ツボ百万個のうちの一つになって、のっぺりとした白紙の一部になっているのだ。見る方の感覚が鈍っていると言われたら否定はしないけど、見せる方の感覚の鈍り方も負けず劣らず凄まじいのではないかと思う。そこへ、しかめっ面をして、悲惨コトデス、許サレルベキコトデハアリマセン、なんてコメントをしている顔がぬーっとテレビに出てきた日には、へそ曲がりのひねくれ坊主でなくても、ウソ臭く思ってしまうのは、「ツボだけ見せまくり→ツボ消滅」感を持っているからだろうと思う。そういう感覚を持たないコメント業にはまっているエライ人たちのこの圧倒的な鈍重さ、あるいは持っていてもそれを押さえ込んで、あえて人前で悲惨がってみせる厚顔無恥、悲惨が悲惨として見えなくなる悲惨さの感覚の欠如、それが「常識」とか「社会通念」を形成しているとしたら、もうスターリンもサダム・フセインもぶっとぶしかない圧制ではないか。普通の感覚をもって生まれてきた人たちが毎日、毎日、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、それはちがう、って言われ続けたら、よくは知らないけど、ニートやらヒキコモリやらなんやら新しい部族を作るしかないではないか。

No Comment には凄い力があると思う。ツボがツボであったことをもう一度認識させる道具立てとして機能している。但し、1時間熱中して見ていてもツボもなんにもないかもしれない。日常をただ映している映像なのだから。それでも、その後で見る伝統的ツボだけニュースの衝撃度が高まるという効果があります。今はデジタルのテレビチャンネルをかなり安く作ることができるらしいから、誰か日本でこのNo Comment のパクリ版をやって欲しい。

ところで、書こうと思っていたのはこういうことではなかった。先週、日本にほんの少し帰った時読んだ日本の新聞に、イラクの自衛隊の取材が難しいという記者の話が載っていて、ふと思いだしたのが、何ヶ月か前に見たNo Comment の映像だった。

テレビ画面には、何やら怒った顔した、でも普通のイラク人が大人も子供も含めて大勢映っていて、外国の軍用車らしきものに向かってワーワー言いながら石を投げていた。特に珍しくもなんともない映像なので、僕はその画面をチラチラ見ながら、ベッドの上でPCをひざの上においてメールの返信を書いたり、次の原稿のメモを作ったり、資料をスクロールしてみたり、わけの分からないジョークを一人で言って一人で受けているDJのラジオを聴きながら、ちらちらと積読本を開いたり閉じたり、鼻くそをほじくろうと思ってうっかり火のついたタバコを鼻の穴に突っ込みそうになったり、コカコーラを飲むつもりで灰皿を持ち上げていたり、携帯メールに返信したり、まったく何一つ集中しない、いつもの状態にあった。

そして、何度目かのチラッで、あれ?うん?日の丸?と気づき、僕は他のすべての動作を一時中断し、しばらくその映像を眺めることにしたのでした。石を投げられている軍隊は自衛隊だった。僕は何故かホホーッと思ったものの、もちろん解説も何もないので、何が起こったのかは全然分からない。何か特別の事件でもあったのだろうか?それとも一般的な不満が積もり積もって、今、噴出中ということなのだろうか。明日インターネットで調べてみようと思っているうちに、No Comment の映像は別のものに変わった。

イラクにいる外国軍に対して一般イラク人が石を投げるなんて話はもう珍しくもなんともないし、自衛隊も外国軍の一つなのだから、別に大きなニュースでもないんだろうなと思って、インターネットで調べるのも忘れて、この映像そのものをもうその日限り忘れていた。

それを突然、イラクの自衛隊取材がいかに難しかったかを書く記事を読んで思い出した。そして、ふと、あの石投げられ状態の自衛隊は日本に伝わっていたのだろうかと思い始めたら、どうもこれが気になってしかたない。自衛隊はよくやったとか、歓迎されたとか、自衛隊の国際貢献をたたえる記事はちらちらと見たけど、どこの国でも自国の軍隊が海外に出て行けば普通はそうやって称えるものだし、実際何がどうであろうとそういう記事はあって当たり前だろうと思う。しかし、まさか日本の総人口よりも多い範囲で放映されているような、しかも日本が登場するようなニュースがいくらなんでも当の日本でまったく報道されてないなんてことがあるだろうか、と思いつつも、ひょっとしてという疑念が消えず、今に至っていたのでした。どうだったんでしょう?

もし、日本人だけがまったく知らないとしたら、これは非常にまぬけなことになるのではないだろうか。世界中の人が共有知識としていて、日本人だけが知らないなんてことはこれに限ったことではないと言えば、まあそれまでだけど、コメントにあったような「世界の動向にすら乗ることができていないのではないか」とか、「歴史を創っていくことができないんじゃないか」という疑惑にはまったく同感で、他の人たちと状況認識が共有できてなければ、世界も歴史もへったくれもないというか、もう話にも何にもならないと思うのだけど、もしこういうニュースが日本だけで報道されないとすれば、日本は自分で自分の首を絞めるようなことをやっているように思えてしかたない。ま、まさかそんなことはないでしょう。えっ?えっ?ど、どうよ?

(ところで、excite に不満が一箇所あって、あちらこちらうろついた後にたどり着いたblogger なのだけど、どうもblogger の反応が遅いので、しばらく両方をアップデートして様子を見ることにした。)

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