Friday, January 07, 2000

イスラム・コラム No.9 「イラクからの手紙」

JapanMailMedia 043F号から転載。

 ■ イスラム・コラム No.9  山本芳幸


「イラクからの手紙」

 新大阪からタクシーに乗ると、「韓国行ってきはったんでっか?」と運転手がきく。

 大きなバッグを三つ持って新大阪駅から出てくる、これだけの情報ですごい連想だ。虚をつかれてうっかり、「いや、パキスタンです」と僕は答えてしまった。バカじゃないだろうか。こういう場合は、たいてい面倒な会話に巻き込まれる。東京からと答えればよかったのだ。

 「あんなとこ、危ないでっしゃろ」ときた。

 危ないとはどういうことなのか、なんと応答すればいいのか、考えがまとまらない、考える気にならない、めんどくさいなどと思いながらも、口からは「いや、どうかな・・・」という言葉が出ていた。

 「夜なんか外、歩けまへんやろ」と来る。

 「夜?夜も昼も歩けますよ。夏は暑いですけど」と言ってしまった。また面倒な展開を呼び寄せてしまった。アホまるだしだ。彼の頭の中にちゃんと出来あがった筋書きに乗ればよいものを。

 危ないですよ、大変なとこなんです、食べ物が口にあわないし、言葉が分からないし、習慣は違うし、いやあ、苦労しますよ、女はね、へへ、みたいな話を引き出して、運転手がそれを慰労する。そして、やっぱり日本はいいですねえ、早く寿司食べて風呂に入りたいですよ、そうそう日本が一番、というあたりで目的地に到着、いや、どうもご苦労さんでした、と何がご苦労だか分からないがとりあえず言いながら、つり銭をもらう、というあたりが理想的なタクシーの運転手と客との会話だったはずではないか。

 面倒臭い話はしたくないという一心で、「日本も危ないんじゃないですか」と僕は言ってみた。勝手に語ってくれ、頼む。

 「そうでんなあ、最近はこわーて。若いのが何しよるかわからへん。せやけど、あんなとこ、何しに行きはったん?観光でっか?」

 「あんまり観光客は来ないみたいですね。山登りの人はかなり来るようですけど」

 「あっ、仕事でっか」

 「はあ、そうですね」

 「そうでっかあ、せやけど大変でんな、あんな危ないとこ」

 何を話しても、「あんな危ないとこ」というイメージを彼は死守するだろう。
むきになっても疲れるだけだ。彼は客思いの良い運転手で、僕は話の分からない変わり者なのだ。彼と僕の二人だけの最小の人間関係を規律するルールを僕は破っているのだろう。このルールがこの国のすべての空間に隈なく行き渡っている。分かり合っていることを確認し合うという儀式に過ぎない「会話」をできない奴はバカなのだ。「あなたのことが分からない。あなたも私のことを分からない」という世界がこの国の外には存在する。そこでは、そんなバカでなければ生きていけないのだが。

 タクシーの窓から冷たい鼠色のビル群を見ながら、僕はバクダッドの街並みを想像しようとしていた。

 「この惑星のある片隅で起きていることは、また別の片隅で起きるかもしれない。」

 バクダッドに住む友人はそう書いていた。彼の言葉はタクシーから見えるこの風景には決して届かないのではないだろうか。この日本の片隅がバクダッドの片隅と同じ惑星の上にあるというのは、冗談でしょ。彼はそれくらいのことは想像しているらしく、次のような書き出しでイラクの話を始めていた。

 「君がイラクの状況をどの程度知っているのか僕は知らない。制裁については知っているだろう。状況は非常に悪い。イラクは鉛筆でさえ輸入することが許されていない。鉛筆の芯がAtomic Energyに変換される可能性があるからだって!信用しないかもしれないが、ビスケットも検査されるんだ。大量破壊兵器製造物質を含んでいる可能性があるからだと!」

 僕はその程度も知らなかったというのが事実だ。イラクの状況についてのレポートは少なくとも英語メディアでは珍しくはない。子供が栄養失調で毎月6000 人死んでいるという報告を見たことがある。制裁の理由がなんであろうとこれはメチャクチャな話であるはずだ。しかし、大地震一回ほどの注目も集めない。

 「イラクの子供の状況は、とても、とても悪い。助けがいる。教室にはドアも窓も家具もない。暖房器具もエアコンもない。バクダッドの気候は極端だ。冬は雪が降るし、夏は摂氏50度になる。

 「とりわけひどいのは、生徒のイスと机がないことなんだ。もし、ミルクの空き缶やレンガが手に入ればその上にすわる生徒もいるが、何も手に入らない生徒は床に座る。生徒の健康状態もとても悪いよ。いつも咳をしてる。

 「学校にはまともな部屋などない。もちろん食堂もジムもない。運動施設も何もない。ボール一つないんだ。生徒数500人の、ある学校は、やっとバスケットボール二つを許可されたところだ。電気がないし、教室の壁は剥げ落ちている。チョークも黒板もない。学校の建物そのものが絶え間ない爆撃でボロボロなんだ。

 「教室の床もひどいことになっている。洪水のように溢れ出した下水が学校の敷地を流れたりする。校内に便所もない。学校に行かなくなる生徒も多い。彼らは乞食になるか、タバコを路上で売ったりしている。もう少し大きな子供は建設現場で働く子もいる。まるで、国連がチャイルド・レイバーを奨励しているようなもんだよ。

 「先週、ある学校をモニターしてた時、学校のすぐ近くに爆弾を落とされた。"Allies Bombers" だ(注:国連の決議によって湾岸戦争でイラクと戦った連合軍をAllies と呼ぶ)。子供達はパニックになって爆弾と炎から逃げ惑った。僕は国連のオフィサーだよ。国連安全保障理事会決議986号の遵守をモニターする僕がこんな身の危険にさらされるんだ。イラク南部のナシリヤという町だった。僕はトヨタのランドクルーザーで逃げたよ。なんてことなんだろう。

 「ちょっと想像してみてくれ。君の美しい子供がこういう状況にいるところを。僕は君にひどいことを言ってると思う。でもな、この惑星のある片隅で起きていることは、また別の片隅で起きるかもしれないよ。

 「君はどう思うか教えて欲しいんだが、イラクの子供一人につき世界の子供少なくとも一人とリンクさせていけないかと思っているんだ。子供が子供を助けていけないだろうか。先月、ヨルダンの子供が1万本の鉛筆を寄付してくれた。日本の子供はどうだろう?」

 「ところで、僕は2月の契約更新はもうしないつもりだ。しばらく国に帰るよ。最近、僕のラクダをもう少し森の深い方へ移した。今はそういう季節なんだ。ラクダの肉を食ってラクダの乳を飲むのが楽しみだ。早くラクダと一緒にサバンナで過ごしたいよ。しばらく、すべての形態の文明から逃避したいんだ。もう 18ヶ月も続けて、車、トラック、飛行機、コンピュータ、テレビ、ラジオ、時計、その他あらゆる機械の騒音を絶え間なく聞いてきた。僕達アフリカ人は、人は時折、リアリティを取り戻し、人間のルーツに戻るために、自然界に戻らなければいけないと信じているんだ。」

 彼はリアリティを大文字で書いていた。彼にとっては、この一つの惑星に一つのリアリティがあるのだろう。僕ならあっさり小文字で、しかも複数形を使っていたかもしれない。

 彼はかつてアフガニスタンで勤務し、その後タジキスタンに移り、数ヶ月前コソボからバクダッドに転任した。彼の国も内戦状態が続いている。彼自身もかつて難民となりカナダに受け入れられカナダ国籍をとったのだった。これほど続けて悲惨を目撃しても、彼は僕ほど悲観的ではなさそうだ。大文字のリアリティには希望がある。悲惨が希望を生むのだろうか。

 イラクの子供の話は僕にとってはアフガニスタンの子供の話のように聞こえる。アフガニスタンへの制裁が発動されて2ヶ月目に入った。制裁がじわじわと子供の首を締め始めるだろう。毎月6000人の子供を殺しても達成しなければいけないものとは何なのだろうか。自分の子供がそのようにして死んだら、子孫末裔まで復讐することを言い残して制裁者に対する決死のテロに走るかもしれない。

 タクシーの窓から見える普通の人々が、この惑星のどこか別の場所の普通の人々に決して消え去ることはないだろう復讐心を植え付け続けていることは、この国では知らされないようだ。窓から見える街並みが、架空の遠い場所の風景のように見えてきた。


山本芳幸
・UNHCR FO Kabul, Officer-in-Charge