Sunday, July 29, 2007

眩暈

もう止めようかな、
と雨に濡れたホテルの部屋の窓から 3rd Avenue と42nd Street の交差点を見おろして考えていた。

雨はそんなにひどくないようだけど、窓から見える街は全体が淡いグレーに霞んでいる。
ほんとにそうなのだろうか、とふと考える。
疲れると視力が下がる。今はよく見えてないのは分かっている。
それ以上に、頭の中そのものが霞んでいる。
寝たのか寝なかったのか分からなかった朝によくある状態だ。

ホントは今快晴で街はキラキラと輝いているのに、
僕の頭のせいでこんなに薄暗く見えるだけなのかもしれない。

今は朝のはずだけど、何時だろう?
ここに何しに来たんだったかな・・・。
とにかく寝ないと・・・。
明日することは?何か急ぎの件は?と、
寝ようと思うと同時にそんなことが頭に出てくる。
そういうのが寝る前の習慣になってしまってる。

そして、「あっ、もういいんだ。少なくともしばらくは」と気がつく。

もう考えなくてもいい、と思うのはとても不思議な気分だ。
2年7ヶ月、休みなんて結局一瞬もなかった。
もう休みなんてものはこの世に存在しなくなったと思う。
これだけ通信手段が発達してしまうと、地球上のどこにいたって常に連絡は入ってくる。
そして、入ってこないと心配になる。何かがおかしいと考え始める。

* * *

カブールを発ってから、何時間経ったのかよく分からない。
もう何日も前のような気がする。
7月28日午前5時半にピックアップというのが、この旅程の開始だった。
そして6時にカブール空港にチェックイン。
7時半に搭乗した。
飛行機は8時ちょっと前に離陸した。

カブールはこれが最後かもしれない。
と思いながら、飛行機の窓から外をちらっと見てみた。
窓側に座っているディッテが、
「これが自分の国以外でもっとも長く住んだ国」と言いながら、窓の外を見ている。
「またカブールに帰ってくることある?」と訊くので、
「当分はないと思う。でも、5年くらいしたら帰ってきてみたい」と答えた。
まったくウソでもない。

* * *

Moevenpick Hotel at Dubai on 28 July 2007
国連機のパイロットはドバイには2時間半で着くと豪語していた。そんなに速いかな。
しかし、カブール時間では10時、ドバイ時間では9時半にちゃんとドバイに着陸した。
夜中までドバイの街でブラブラするなんて気力も体力も精力もないので、ホテルにチェックインした。
それが10時(カブール時間の10時半)だったので、カブールの宿からドバイの宿までちょうど5時間かかったということだ。

シャワーを浴びて、ルームサービスでサラダとハンバーガーを頼んだ。
夜中まで時間はたっぷりあるので、食後に軽い精神安定剤のようなものをのんだ。
この一週間はほとんど寝た気がしない。疲れていた。

目が覚めたら、7時間経っていた。その間一度も目覚めなかった。
こんなことはほんとに珍しい。3年に一回くらいしかない一大事だ。

ルームサービスを運んできたトロリーがなくなっている。どういうこと?
僕が寝ている間に入って来て、下げたということだろうけど、
宿泊客が寝ているのに入ってくるかな、ふつー。
しかし、どうやって入ったんだ?半ドアになっていたのかもしれない。
さすがインド人。やるねぇ、かる~く。
ドバイはインド人、パキスタン人、バングラデシュ人等など、南アジア人の宝庫。

* * *

Emirates 航空には Chauffeur サービスがあるということをセレブ事情に詳しいユカリ嬢が教えてくれたので、
頼んでもらっていたが、念のためホテルにチェックインした時に確認してほしいと言ったら、
フィリピン人らしい、可愛く感じの良いホテルウーマンは大丈夫、と豪語していた。
近頃豪語する人が多いような気がする。
いや、そんなことはないか。
全然、人の言葉をあてにしない習慣が自分の中に深く根付いてしまっているので、
豪語にはことごとく予めカチンと来るだけなのか。
ものごとが想定通り進んでしまうとそわそわしてしまうのだ。
そんなはずはない、何かはめられているに違いない、どこかでどんでん返しが待っているはず・・・。
どうせ来るなら、早く来てくれと焦り始める。
そして、ようやく問題が発生するとホッとする。
さあ、解決しよう・・・
頭がおかしくなってしまったのかもしれない。

午後11時半にChauffeur さんはホテルに来て待っていたらしい。
部屋に荷物を取りに来たベルボーイが車がもう来てるから先に車にのせて置くと言ってあくせくと出て行った。
午前0時ちょうどに車に乗って空港に向ったけど、出発が午前2時なのでちょっと遅かったかもしれない。

空港とホテルの間の送り迎えは、各航空会社間のサービス競争であるだけでなく、
航空会社業界とホテル業界の業界間の競争になっているような気がする。
ホテル・空港間を無料で送迎する航空会社がある一方で、
送迎に課金するホテルもあるのはおかしな話だ。
そういうホテルはやがて絶滅の危機に瀕するのではないだろうか。

ドバイ空港はDeparture のビルがクラス別に完全に分離されているけど、
さらにNew York へ向う便だけ恒久的に分離されている。
なぜだろう?
アラブからNew York へ一直線ということを考えると、テロ対策と関係あるのだろうかと思ってしまうが、そうでもないかもしれない。
New York へ行く便はOnline Check-in ができないというのもむずむずさせる。
考えてもしょうがない、世界はもうこうなってしまったのだと思う。

イラク戦争のあった年、つまり2003年はEmirates の飛行機によく乗ったが、今回は久しぶりだ。
Emirates のマイレージカード(Skyward)の個人情報が古くなっているのでアップデートしようと思ってウェブサイトに行ったが、パスワードを忘れてしまって入れない。
なんどかごちゃごちゃ触っているうちにめちゃくちゃにしてしまった。

ドバイ空港のSkyward Office に行って調べてもらったら、案の定収拾がつかない状態になっていた。
しかたないので新しい番号をもらって一からSkayward の人生をやり直すことにした。
意気消沈した僕に同情したSkyward Office のインド人は、
普通は6週間から8週間かかるが、24時間ですべてやってあげると豪語した。
また豪語しやがったと思ったが、素直に、ありがとう、期待している、と言って撤退した。

搭乗時刻が1時15分なのに空港に着いたのは12時半で、こんなことしてると、空港ではほとんど時間がなかった。
Duty Free Shop でMarlboro Light Menthol を2カートン買って搭乗ゲートに向った。

* * *

EK 203 DXB JFK 02:00-07:50 29JUL07
「日本人の方珍しいですねえぇ~」、と一人だけいた日本人のスチュワーデスさんが言う。
外国の航空会社のスチュワーデスはJALやANAに比べると異様に気さくに見える。
ドバイ・ニューヨーク便にはほとんど日本人が乗ることはないと彼女は言っていた。
日本からいらしたんですか、って訊くから、「いえ、カブールからです」と言うと話はそこで終わった。

14時間は長い。実に長い。睡眠薬をのんで一度熟睡しても良かったかもしれない。
でも、なぜか飛行機ではのむ気になれない。
統計的には飛行機の非常事態が起きる確率はどんな移動手段よりも小さいと思っていても、
かついったん何かが起こったらほぼ生存の望みはないのだから同じことだと思っていても、
それでも万が一何かが起こった時に睡眠薬が効いていた状態ではまずいと思ってしまうからだ。

On-demand のビデオやマッサージ機で遊ぶのも限界がある。
ラップトップでインターネットに繋ぐことも可能になっていたけど、
使えるのはメールだけらしいので、いまさら仕事のメールを読む気にもならない。
読みかけの"Twice As Good" を開いたが、頭に入らない。
結局、いろんなことを考えることに14時間のほぼすべてを費やしていた。

カブールで起こったこと、話したこと、いろんな場面を頭の中で再現していた。
自分のセクションのことがやはりどうしても一番気にかかってくる。
サジアが泣いていた情景が何度も頭に出てくる。
彼女はブルーのシャツとそれに合うネクタイのセットをくれた。
聡明で美人で性格が良い女の子だった。
こういうアフガン人女性が幸せになれる場所にはアフガニスタンはまだなってない。
あと、数百年のスパンで考えるべきだろう。
サジアの時代には何も変わらない。とすれば、彼女は外に出るのが最善策なのだけど、
まっとうな家庭の独身女性が外国に一人で出るというのはアフガン的にはあり得ない話だ。
もったいない。もったいなさ過ぎる。

JFKに着く直前に、あの日本人のスチュワーデスがまたやってきた。
「日本人のお客さん、珍しいのでこれをあげます」と言って、
Godiva のチョコレートを一箱くれた。なんのこっちゃ?と思ったが、
ものすごく人恋しかったのかもしれない。
もっとちゃんと話すべきだったと思った。
降りる時に名刺をあげようかとも思ったが、よく考えると、
もう使わない電話番号とEmail アドレスしか載っていない名刺をあげても意味がないのでやめた。

* * *

The New York Helmsley Hotel on 29 July 07
空港ビルの外へ出ると、ここでもEmirates 航空のChauffeur が待っていた。
黒いスーツを着たちょっと長い目の金髪の男だった。
黒塗りの、いかにも"アメ車"っぽい車なので、マフィアの出迎えの一場面のような気もする。
タバコをすいたいのでちょっと待ってもらえるかと訊いたら、
もちろんどうぞと答える。New York なのに英語が分かるらしい。

一服すると、くらっとした。こんなところで倒れると恥ずかしいので、
今でてきたばかりの空港ビルの壁にもたれて、めまいが去るのを待った。
14時間経ってすうとこんな効き目があるのか。
こんなものを立て続けに何本もすっていたとは恐ろしい。

黒いスーツの男は実はmusician だと言っていた。
ふだんはドライバーをやって働き、週末はどこかでライブをやってるのだそうだ。
いかにもNY っぽい話だ。
高校生の頃は僕もそんなことしてたよと言うと、
Steve Vai はどうだ?Stevie Ray Vaughan はどうだ?Jimi Hendrix はどうだ?
と延々とギタリストの名前を列挙し始めた。
全部好きだと言った。

* * *

そんな話をしていると、マンハッタンまではすぐに着いた。
Smoking room は空いてないというので、しかたなく入った部屋だったけど、
14時間に一回だけすって、毎回あのめまいを感じるというのもいいかもしれない。
毎日14時間の禁煙をして快楽は大幅増。
一挙両得ではないか。
窓から 雨のNew York を見ながら、そんなことを考えていた。
もう止めようかな、タバコ。

Wednesday, July 04, 2007

迎合

イスラマバードからバンコクに来る飛行機の中では、いつも日本語の新聞と日本語の週刊誌をパーッと見る。日本語活字欠乏症の発作みたいなものだ。読んでる内容はろくに頭に入ってこないし、実際ちゃんと一つの記事を読み通さないことも多い。

いつもの飛行機の中にある週刊誌に"ちょいわるオヤジ"とかに関する連載があるのは知っていた。が、ちゃんと読んだことはなかった。書いている人はきっと有名人なのだと思うけど、全然知らない人だ。"ちょいわるオヤジ"という言葉自体はこの1年か2年の間に聞くようになっていたけど、いったいそれが何なのか深く考えたこともなかった。なぜか今回ふと読んでみた。

本気・・・?

というのが読後に頭の中に出てきた唯一の言葉だった。
しばし、呆然。
いくらなんでも、こういうことが世間で語られている?まじで?
ちょっとだけ、わるぶってみる?で、こういうおやじ達はちょっと自分のことをカッコイイって思ってるわけですね?
まず、アホでしょ。確実に。

クラリーノの全天候型シューズを履いて、2年に一回しか買わないサバとかアジみたいな色の背広着て、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ半世紀にちょっと足りないくらいの期間会社に通い続けて、最後に年金がなくなってしまったお父さんたちをどうしてくれるんだ?えっ?叛乱起こすぞ、こらっ!人数だけは一番多いんだからな。

"ちょい"っていうのがまたせこいじゃないか。ちゃんとわるになれないんなら、潔くクラリーノ履けって。そのままプールに飛び込んでも大丈夫なアクリル100%のスーツ着ろっちゅうに。

でも、アクリルのサバ着てるオヤジは"ちょいわる"にちょっと憧れて、こんな週刊誌の記事を毎週、会社でこっそりコピーしてファイルしたりしてるんだろうか?

そうやって、社会全体が若くてバカな女に迎合していくと、こんな国ができあがります、ってこと?

* * *

こんなことを書く予定ではなかった。うっかり指がすべってしまった。
ロビーでメールの返事を書きながら、一人でBlack Russian をがぶ飲みしていたら、えーっと、何を書こうとしてたのか忘れた。明日にしよっと。

(↑)今日は柱の向こうでジャズ・ピアニストがポップスを弾いていた。