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Thursday, January 03, 2008

あけおめ。

1月1日
高校の同級生たち数人と会った。みんな歳とったと思うが、変わってないと言えば変わってない。もうみんな人生の終盤戦に突入し始めたわけだが、そう思うと高校を卒業してからの時間はおそろしく短かったと感じる。こんなものでよかったんだろうか。


1月2日
妹夫婦が凧を持ってやってきた。さっそく息子二人と近くの公園へ行って凧上げをした。凧上げはなかなかおもしろい。義弟は追加のたこひもを買って来なかったのをしきりに悔やんでいた。凧とセットになってついていた凧ひもだけではあっという間に足りなくなり、安定した高度まで持っていけないのだ。それでも、空高く上がっている凧を見るのは気持ちのいいものであった。次男の凧は何度か墜落して、潰れてしまい、長男の凧は同じ公園で小さな子どもがお父さんと上げている凧とからまってしまい、どちらも高く調子よく上がっているところだったので、そのまま長男の凧をその父子に進呈して、きれいさっぱり二つの凧を始末して帰宅することにした。

奥田英朗という人、つまり聞いたことも見たことも読んだこともない作家の本を妹が二冊持ってきた。『イン・ザ・プール』と『空中ブランコ』。数ページ読んでみたが、おもろい。数ページでは、まだほとんど読んでないも同然だが、もうこういう好みというのは直感的なものなのでおもろいと思うとおもろいのだ。やはり親族というのは趣味が分かるものなのだろうか。あるいは血縁関係は全然関係ないか。

その二冊といっしょに永沢光雄氏の『神様のプレゼント』も妹が下げてきた紙袋に入っていた。永沢氏についてはいつかyoshilog に書いたような気がするので今回は書かない。もし書いていなかったら、またいつか書こう。彼もまた何がどうとかこうとか言う前に直感的に好感度が沸騰するタイプの作家だ。しかし、早すぎる絶筆は痛い。

* * *

夕刻、両親のところへ行き飯を食う。
棒だらの鍋というのは異様に旨い。はもの鍋も実に旨い。しかし、どちらも親父の作ったやつでないといけない。他の棒だらやはもを食べてみることもあるが、これだけはにっちもさっちもいかない。
冬の棒だらと夏のはも。早くマスターしておかないといけない。

* * *

夜中にNYの友人がチャットをしかけてきた。ほとんど仕事の話以外はしたことがなかった相手だが、昨日は妙に話が広がった。いつかyoshilog で、これ(I do not agree with what you have to say, but I'll defend to the death your right to say it.)を言ったのが誰だか思い出せない、というようなことを書いたと思うが、それが突然彼とのチャットの途中で話題になり、Voltaire であったことがはっきりした。

去年の12月に入ってからプライベートのメールの返事をほとんど書いていない。今日こそ書こうと思ったが、結局書けなかった。


1月3日
もう日本最後の日だ。明日出国かと思うと気が重い。カブールへ帰る時にそんなふうに思ったことはなかったと思う。こういうのは健康に悪い。これが続くならやはり場所変えを早めに決行した方が良いかもしれない。と書くのは簡単だが、仕事、居所、子どもの学校、、、すべてを変えるのは実に大変だ。それを考えるのもまた気が重い。

* * *

年末に大学の先生方との会議に出た時に思ったのだが、自分がかつて書いたことや考えたことが一箇所に整理されてないというのはかなり不便だ。繰り返しの議論というのは実に多いし、確認しながら議論を進めるためにはそういう繰り返しは必要だと思うのだが、自分の過去のデータが整理されていれば、そんな繰り返しももっと効率よくできるはずだ。

HPに整理するというのが常識的な解決だと思うが、HPというのは相当に設計をうまく考えていないと実は大して使いやすいものではない。データベース機能を組み込むとなると、素人では難しい。

それで思ったのだが、データベースとしては、ブログを使うというのはどうだろうか、というよりブログというのはデータベースなのだ。時系列でソート済みのデータベースと言えるだろう。もう一つはカテゴリーというソートが使える。時間とカテゴリー、その二つで十分ではないだろうか。

一つの問題は、どこまで過去に遡って入力できるかということなのだが、このexcite ブログでは案の定2001年までしか遡れない。しかし、Blogger ならどこまでも遡れることが分かった。つまり、例えば小学校の卒業文集に書いたものをブログに入れてしまうというようなことが可能になる。そうすると、手当たりしだいに自分の書いたものを全部入力してしまえば、一つのブログに自分が一生の間に書いたものすべてを入れて時系列に並べるということが可能になる。

もう一つ問題はデータのサイズだ。一つのブログ全体のサイズの問題と、一つの記事のサイズの問題。例えば、博士論文をまるごと一つの記事として入れるとなると、調べたわけではないが、かなり困難かもしれない。フォーマットも問題になるだろう。

まあ、しかし欠点予測を延々としていても生産的でないので、どこまでブログが有効利用できるかを調べてみるのも悪くはないと思って、過去ログの制作に少しずつとりかかることにした。これはエレクトリックデータさえあればコピー&ペーストでできるので大して時間はかからない。とりあえず、excite ブログにyoshilog 3.0 を作った。2001年以前のものは2001年1月に全部入力して急場をしのぐ。しばらくの間は、yoshilog 2.0 は未来に延び、yoshilog 3.0 は過去の延びていくということになる。最終的には三つのブログを一つにしようと思う。

Sunday, December 30, 2007

またブーツ

大晦日はAnna宅で過ごすことになった。我々の分担はシャンパンとビールとチーズいうことになって、今日、カルフールに買いに行った。

ついでに、デンマークの寒くて、暗くて、風が吹きすさぶ冬を乗り切るための靴を探した。確か前回の冬かなり暖かいブーツをカブールで買ったが、あれはゲストハウスのガードさんにあげてきた。

デザインのカッコイイものはたくさんあるが試着してみると、いまいちのが結構ある。おっ、これは行けるかなと思ったやつは微妙に縦・横・高さの組合せが自分の足に合わない。なかなか難しいものだ。条件は(1)長距離歩行で疲れないこと(といっても、通勤の20分のことなのだけど)、(2)防水加工・デザインであること(デンマークはいつもじめじめしてる)、(3)滑り止めがしっかりしてること。凍った道路を歩くのは年寄りにはもう危険なのだ。そして、(4)暖かいこと。最後に(5)自分の気に入った色・素材・形状であること。

とういう当たり前必須5項目みたいなもんなのだけど、これがなかなk総合得点になると、どれもこれも弱いのだ。妥協に妥協をかさなて、一つ選びました。カブールで買ったのは、Made in Korea だったかな。今回のはMade in Dominican Republic と書いてある。いつか写真をとってカブールで買ったブーツと比較してみよう。グローバリゼーションといっても、住む地域によって流通しているモノの生産地が微妙に違うのだろうな。生産地に色をつけて、そこのモノの流通経路にその色をつけて全世界流通図を作れば、グローバリゼーションの一端を視覚化できるだろう。小学校の社会科なんかでやってるかもしれないな。

* * *

ということで、パキスタンの政情不安にも関わらず、元旦の夜、行き場のない人達の集合場所は以下のとおり決定いたしました。


手作り居酒屋 甘太郎 千里中央店

電話番号 06-4863-7371
大阪モノレール千里中央駅 徒歩すぐ

Monday, April 30, 2007

誤算

5月1日:朝早く日本に着くと、寒かった。身に着けているのはTシャツ、ジーンズ、パンツ、そしてサンダルの計4ヶ。日本はまだそういう季節ではなかった。さむっ。
がまんしようかと思ったが、リムジン・バスを待っている間に凍りそうになったので、バッグをあけてしわしわになったジャケットを取り出した。

飛行機の中でずっと仕事をしていたので、眠くてしょうがない。
家に着いてすぐに寝ようと思ったが、そんなに簡単にはいかない。2時間くらいは3歳の次男と遊んで、やっとベッドに入った。
それから2時間くらいしたら、7歳の長男が学校から帰ってきた。
「したいことリスト」を作っていたらしい。それを持ってきたので、カレンダーを持ってきてスケジュールを作ることにした。
計画を立てるということはまだ学校で習ってないようだった。有限の時間と無限の欲望の間で苦闘している。
世間の約半分くらいは恐ろしくだんどりが悪いし、4分の3くらいはプライオリティがつけられないし、5分の4くらいは人生を最適化していないことに気がついてないように見える。
子どもの頃に真剣に遊ばなかったせいではないだろうか。

夜、こどものご飯がおわってから、大阪の街に出てみた。
中学・高校が同じという、ほんの数人しかいない友人と魚専門の居酒屋に行った。
居酒屋の風景があまりに変わっていないのには、ちょっと驚いた。
きっと会話の中味もまったく同じなんだろう。

居酒屋を出た後、郊外まで戻って、以前一度だけ行ったことのあるバーに行った。
そのバーをやっているバツ一のおにーさんはウィンドサーフィンでオリンピックをめざしているらしい。
昼は毎日海に行って、夜はバーをする。なかなかいい感じではないか。
一度行っただけだけど、ぼくの音楽の趣味を覚えていたらしく、おもしろい曲の選択をする。

ふと時計を見ると、もう午前3時を過ぎていた。やばいっ!と思ったが当然遅すぎる。
帰るまでにカップルが3組と一人で来た男が3人いた。男二人で来たのはぼく達だけだった。
バーのおにいさんは今日はお客さんがたくさん来たので、もう明日は休んでもいいとか言っていた。
そんなこと言う店にはまた行きたくなる。

途中、近所のオミズ商売のおねーさんらしき人が「あらっ?」とか言いながら、ひょこっと客席側ではなくバーの内側に顔を突っ込んできた。店の入り口からバーの中へ直行したのだ。
全然知らない人だが、あきらかに間違えたふりをしてるように見えた。
バーのおにいさんはそのおねーさんの方を振り返りもしない。
全然関係ないのだが、いいのかな、いいのかなと少し焦りを感じ始めた。
しかし、その時店内にいた一組のカップルも一人もんの男たち二人も全然関心を示さない。
結局、そのおねーさんは誰の注目も得られず撤退した。
バーのおにいさんは間違ったふりして入ってきて注目を浴びたかったおねーさんを最初から最後まで完全に無視し尽した、という解釈でいいのだろうか。
そういうわけだったんですかって訊いてみると、くせになりますからね、とおにーさんは一言。
ぼくは一人で笑ってしまった。この人はいい人だと思った。

家に着いてから、仕事の続きをした。子どもが起きだす少し前にベッドに入った。

* * *
5月2日:さっき寝たと思ったら、あっという間にベッドから引きずり出された。
急がないといけないらしい。どんな計画だったか思いだ出せない。
そうか今日は、ブラジル人家族の家にやってくるブラジル人のトラックの行商に行く予定だったのだ。
頭にまだアルコールが残っていたが、スケジュールを立てる見本をみせた手前行かないわけにはいかない。

行ってみると、トラックの中にブラジルの食品がいっぱいつまっている。大阪にもブラジル人がいっぱい住んでいるのだろうか。
二日後にどこかでBBQをするということなので、ブラジルの牛肉と鶏肉を買った。何か違うんだろうか?

買い物が終わって、やっと帰って眠れると思ったが、長男を迎えに学校へ行くと、なぜかいきなりスポーツ大会が始まってる。
ここまで来て、これは何ですか、と訊くのもかなりアホっぽいが一応その辺に歩いている父兄らしき人に訊いてみた。
どこかの企業がグラウンド全面を覆う人口芝を寄付して、それの貼り付けが完了した記念の大会なのだそうだ。
これはスケジュールもれだ。それならそうと予め分かっていたら、カメラくらいもってきたのに、と思ったが、もう遅い。
後で長男には計画というのは常に破綻する可能性があるものだということを言っておこうと思った。

Friday, June 23, 2006

囁く声

今ネットは、日本一次リーグ敗退の戦犯追求でかなり荒れていますが、最大の戦犯は日本そのものでしょう。もう国力の次元で違うとしか思えない。野球は強いとか、柔道はまだいけるとか、モノ作りはちょっとましとか言ったって、だいたい何やっても弱いんだから。

日本には、ロナウジーニョやネドベドみたいな、ずば抜けた天才がいるわけでもないし、アメリカやオーストラリアのように歩兵部隊が着実に前進するみたいな 組織力もないし、今回の参加国の中で一番ヘタか一番弱いかは知らんけど、相手に一番脅威を感じさせないチームであったのは確実だと思う。

アメリカの歩兵部隊に突撃されて、イマジネーションの腐ってしまったイタリアだったけど、チェコ戦では、まさに華麗に舞い続けるネドベドを抑えるために、 イタリアの才能ありまくりのスター選手たちが一致団結して組織防衛に入っている姿は素晴らしかった。日頃はどれだけイタリアのスターとしてちやほやされて いても、敵の大将ネドベドはとんでもない奴だという意識が伊チーム内で共有されて、古代ローマ軍のように隊列を組みなおして戦うって気概がプロだなあ。そ して、結局勝つわけだから、カエサルが見たら喜ぶだろうな。関係ないか。

ネドベドの姿はほんとに美しかった。彼の疾走する姿から、彼のタッチしたボールから才能がほとばしりでていた。でも、その彼の姿が古代ローマ歩兵軍団に阻 止され続けて、だんだん哀愁を帯び始める。元々それぞれが才能ある歩兵なのだから、ネドベドの敵は史上最強の歩兵軍団なのだ。そして、歩兵に偽装したイタ リアの天才たちは一瞬の隙を逃さず、ネドベドの背後を急襲したのであった。

ネドベドは一次リーグで消えてしまった。とてもつもない天才には哀愁が似合う。神話に出てくる英雄のようなプレーヤーだ。

こんなゲームを見ると、日本がワールド・カップに出ていいのかって思う。一国だけなんか違うことやってるように見えてしょうがない。同じアジア圏の、韓国 だって、サウジアラビアだってすごい迫力で戦ってるっていうのに、日本は迫力どころか、どうしてあんなにおどおどしているように見えるのかね?

* * *

まだ胃腸の調子が悪い。朝、医者に行った。子供の浮き袋を買って帰った。午後も調子が悪いので、昼寝をする次男の横になった。いつの間にか熟睡していた。

耳元で何か囁く声がするので、目をあけた。三歳になったばかりの次男がベッドの横に立って、真剣な顔でなんか言っている。ああ、次男はもう起きていたのか と思う。長男とお母さんは学校に行っていて、家にいるのは二人だけだった。何か伝えたいのだろうが、起こしたら怒られるという恐れもあって、次男はひそひ そ声で語りかけていたらしい。

でも、何を言っているのか分からない。What did you say ?ときくと、やっと普通の声で、A man is waiting there... と言って玄関の方向に指をさしている。えっ?誰かいるのか?!一瞬、危機感が全身に走り、とび起きた。こういう時、あらゆる嫌な事件のニュースが頭に駆け 巡る。寝ぼけた頭を振り切りながら、玄関に行くと、ドアが少し開いていて、その向こうにネズミ色の作業服を着たおっさんが立っていた。次男もうしろに付い て来ている。一瞬カブールのPXで買った金属製警棒のことを思い出したが、もう遅い。

「あのぉ、ガスの点検に来たんですがぁ、ま、ま、また、今度にしましょうか?」と妙にうろたえながら、おっさんは言った。なんじゃ、それ。「今でいいです よ。やってください」と言ったが、「五月に今日の点検の案内は出しまして、それで・・・」とかなんとか別にしなくてもいい言い訳みたいなことを言ってる。 いかにも、なんじゃ、お前!という気配がこっちに漂っていたのかもしれない。

おっさんは家の中に入り作業を始め、僕は落ちついて、次男のことを考えてみた。呼び鈴がまずなって、次男は玄関に行ったのだろう。そして、ドアをあけた ら、お母さんでも長男でもなく、知らないおっさんが立っていた。そして、僕を呼びに来たのだ。作業中のおっさんに、この子が出てきたんですかと訊いてみ た。「そうなんですよ、なんかドアの内側でカサコソ音がしたんで犬でいるのかなとおもたら、この子が出てきましてね、へえ、へへへ」。

自分が家にいても、内側からカギをかけておかないといけないと思った。

Thursday, June 22, 2006

ゲロ

なんてこった。昨晩から胃腸が壊れている。お腹が苦しくて、気分が悪くて、眠れないが、起きていても何もできない。アルコールはまったく飲んでないし、変 なものを食べた覚えもないのだが、日本に帰ると、急にいろんな食物に目がくらみ、食べ過ぎる傾向があるから、胃腸がついていけないのかもしれない。

昨晩はふとんに入って、もがきながら、うつらうつらしていたが、口の中にあふれてくる生暖かいもので、はっと目が覚めた。胃液があがってきたようだった。トイレに駆け込んで吐いた。未消化の食物がいっぱい出てきた。時計を見ると、午前4時過ぎになっていた。

今日は、長男の学校の集まりに行く予定だったが、朝まだ苦しくて起き上がれない。ずっと寝ていた。午後になって、ずっと寝ている僕を見に来た次男が、 You have to put dawai in your mouth. という。dawaiというのはウルドゥー語の薬だ。病気だから、薬を飲めと言いたいのだ。put --- in your mouth という言い方がおもしろい。彼の実体験からそういう表現になったのだろう。薬を嫌がる次男はそうやって、口の中に薬を掘り込まれるからだ。

次男は今日でちょうど3歳と一ヶ月になった。

Tuesday, June 20, 2006

要約から意見へ

やっと家に帰り着くと、『国語総合』という本が届いていた。もう忘れていたが、高校の教科書に「カブール・ノート」の一節を載せるという話が1年ほど前にあった。とうとうあれができたのだ。

開いてみると、現代文と古文と漢文が入っている。今の高校の科目割りがどうなっているか全然分からないのだが、国語総合というのは、どうやらそういう科目のことらしい。

実に丁寧に作られている。自分の文章の荒さが目立つ気がする。現代文編には25個くらいの文章が入っていて、それらが五つの「表現の扉」に配分されてい る。「カブール・ノート」は、「表現の扉2 要約から意見へ」というところの「記録」という場所に収まっていた。「要約から意見へ」というのは、「カブー ル・ノート」に実にぴったりだ。

ちなみに他の扉は、「表現の扉1 メモからの発想」、「表現の扉3 調べて発表する」、「表現の扉4 体験を聞く」、「表現の扉5 話し合いから文章へ」で、最後の5には文が入ってない。ここで、生徒の実践ということになるのだろう。全部読んでみようと思った。

この教科書は30年前の高校生にはまったく想像つかないことだったな。

Wednesday, March 29, 2006

しんど。

帰国したら、家で使ってるルーターが潰れていた。いつも使ってるノートPCが終了しなくなった。下の子が熱を出した。それに続いて、上の子も、そして僕も 熱が出てきて寝込んでしまった。三日間ほとんどずっと寝ていた。1週間もふらふらしていた。すべての予定はホゴになった。何をしに帰ってきたのやら。明後 日、出国する。

Saturday, January 07, 2006

移動

カブールに戻るという実感が全然わかない。
まったく寝ていないので頭がボーっとしたまま伊丹空港に向かった。タクシーに乗ってすぐに洗面道具など一式を入れたバッグを忘れたことに気がついた。たい したものが入っているわけでもないので、取りに戻らないことにした。今日のうちに伊丹から成田、成田からバンコク、バンコクからイスラマバードへ向かう。 考えると面倒くさい。

成田で家に忘れてきた電気髭剃りを買う。その時に爪切りや歯ブラシも買えばよかった。あとでバンコクの空港で探したのだが、そんなものはなかった。カブールで探すのかと思うとうんざりする。なんせ今や街の中の一般の商店には行けないのだ。

成田を発って『魔王』伊坂幸太郎を読み始めた。人気のある作家らしいが僕は全然知らなかった。伊坂ワールドという言葉も見たので、作風が確立しているのだろう。

「今、この国の国民はどういう人生を送っているか、知っているのか?テレビとパソコンの前に座り、そこに流れてくる情報や娯楽を次々と眺めているだけだ。 死ぬまでの間、そうやってただ、漫然と生きている。食事も入浴も、仕事も恋愛も、すべて、こなすだけだ。・・・」なんて登場人物に言わせているところを読 むと、『愛と幻想のファシズム』なんかをちょっと思い出すが、村上龍の膨大な調査量に比べるとあまりに軽い。

「インターネットによる伝達は凄まじい。人の揚げ足を取り、弱みに付け込み、誰かが困惑で死にそうになるのを喜ぶ者たちが、インターネットを操っている」なんてくだりを読むと、確かにそうだ、よく見ているなと思うが。

しかし、そもそもこの本の主題にとって、超能力のようなものを登場させる意味が僕は分からなかった。あるいは、超能力が登場するという伊坂ワールドが先に あって、この作品の主題はちょっと目先を変えてみたという程度のことなのか?うまいエンタメ作家ということなのだろうか。

読み終わった頃にイスラマバードについた。宿に着いた頃にはもう12時をまわっていた。明日はまた朝6時半に出なければいけない。実に眠い。いよいよ困っ たことになってきた。明日が『フォーサイト』1月号の原稿締め切り日なのだ。まだ一字も書いていない。しかも構想ゼロ。決まっているのはテーマだけ。日本 を発つ前の日に書いて送ればいいと思い挫折。飛行機の中で書こうと思い挫折。イスラマバードで書こうと思い、それも挫折しようとしている。こんなにネムい 頭で書けるわけない、明日カブールに着いて速攻で書いて、その日のうちに送れば、まだ締切日中じゃないかと自分をだまくらかし、やっぱり寝ることにした。 僕の人生は実に挫折に満ちている。

Friday, January 06, 2006

冬休み最後の日に、

やっと散髪に行くことができた。

12時半に妻の病院の予約があったので、ますそこに行って前回念のために行った乳ガン検査の結果をきくことにした。心配することは何もなく、ほっとした。 時間通り行ったのに、40分待って医者に会ったのが3分、220円の支払いをするのに30分待った。ワークフローを危機的に改善すべきではないだろうか。

その後、天気が良かったので歩こうということになって、住宅とマンションに侵食されるなか、かろうじて残っている墓場や田んぼのわきを散歩しながら、僕の大阪の散髪屋があるヴィソラ方面に向かった。子供たちには、墓場や田んぼが珍しいらしく、きゃっきゃとはしゃいでいた。

ようやく国道に出ると、子供専用の家具屋があったのでそこに入る。またしても、子供たちはそこではしゃぐ。上の子は、日本式なら今年の4月から小学1年生。息子はインターナショナル・スクールなので、去年の9月から1年生になった。

しかし、机もランドセルもなんにも持っていない。宿題もしない。なんにもしないで遊んでいる。こんなことでいいのかとも思うが、僕の同級生たちは、さんざ ん勉強していい大学行って、いい会社行っていったいどうなったのだと思うと、まだまだほっとらかしでいいと思ってしまう。ただ、宇宙飛行士か忍者かレー サーになりたいと言っているので、そのためにはすべて世界で一番じゃないとなれないとは言っている。勉強なんて自分で必要を感じた時にすればいいのだ。

それでも、あちこちで紙とペンを取り出して絵を描くので、都合の悪いこともあり、かつ掃除が大変であるという苦情もあり、机を買って、息子が一箇所に定住 できるようにしようかと最近考え始めていた。だから、子供用家具屋は僕も見たかったのだが、自分が欲しくなるような家具がいっぱいあるではないか。次回帰 国した時に一つ買おうと思った。

家具屋から僕は散髪屋に行き、妻と息子二人はヴィソラをぶらぶらするということになった。1時間ほどすると、息子二人が散髪屋に入ってきた。ぶらぶら歩き も終わったのだ。その後、気が進まなかったが、さかもとクリニックに年末にやった血液検査の結果をもらいにいった。結果だけ下さい、診察はいりませんと 言ったのだが、結果が悪いので診察も受けてくださいと看護婦さんが大きな声で言うではないか。

診察室に入ると、すべての数値が悪化していることを知らされた。何かが壊れた時、こういう数値になるんですけどね、という。なんじゃ、それは?何かが壊れたのか・・・?とりあえず、薬の量を増やして様子を見るらしい。

状況の悪さを察した妻が何を言われたか述べよと詰問調でいうのだが、特に何かが発見されたわけでもなく、説明のしようがない。

その後、暗くなってきたので、「かごの屋」に行って、しゃぶしゃぶを食べることにした。大人は2,980円で、子供は1,500円で、食べ放題の店だ。こ れが値段のわりに、なかなかおいしいのだが、食べ放題と言われても、ニキビ面の体育会系男子高校生でもない限り、そんなに食べれるものではない。食べ放題 でない2,200円の方を選んだ方が得かもしれない。

明日の朝6時にタクシーを予約した。事情の分からない下の子はまだはしゃいでいるが、上の子は泣きそうな顔をしている。パッキングもまだしていなかったが、子供が寝るまでいっしょに遊ぶことにした。結局、一睡もせず、出発することになった。

Thursday, January 05, 2006

カレー

今日はランチに近所にある「つちたちこどもクリニック」の医療事務のおねえさんがやってきた。子どもが二人とも、しょっちゅう風邪をひいたり、熱を出した り、かつ下の子がアトピーで喘息気味なので、すぐ近所に小児科があるのはとても助かる。それでも、僕がいない時は日本語の分からない妻一人と小さい子ども 二人になるので、子どもの病気や怪我の時どうなるかがとても心配になる。

「つちたにこどもクリニック」のつちたに先生も看護婦の人たちも医療事務のおねえさんもなんとか英語を駆使して、しばしばかけこむ我が家の三人の世話をほ んとによくしてくれる。一度下の子の喘息の発作が夜中に出て救急病院に行き、その翌日すぐにかかりつけの「つちたにこどもクリニック」に行かなかったこと を妻はつちたに先生に怒られたらしい。

妻は怒られたことよりも、つちたに先生の真剣さに感動していた。「つちたにこどもクリニック」のおねえさんをランチに招いたのはそういう事情であった。但し、妻としてはいろんな人を招いたつもりだったようだが、そこはコミュニケーションがうまく行かなかったようだ。

妻がカレーとカバブを作っている間、このおねえさんの相手をするという役割を授かったのだが、こんな若い女の人といきなり対面で座ったところで、何を話せ ばいいのか分からない。幸い子どもが邪魔をしてくれたので、それに乗じることにした。子どもはお客さんが来るととにかく喜んで遊びたがるので助かる。

今回帰国して一日目に妻が近所の日本人たちがとても親切なことに感動する話をしていたので、僕はちょっとほっとしていた。そもそも日本人の親切や好意とい うのは微妙なところがあり、異文化の人には伝わりにくいし、「外人」や「よそ者」に対する警戒心もあるので、日本は外国人にとって決して住みやすい国では ない。しかし、日本人のマヌケなほどの善良さというのは世界的に見てもトップクラスだと思う。それが伝わるには時間もかかるだろうし、そもそもちょっとし たネジレでまったく伝わらなくなることもあり得る。

我が家は都会から離れた山の麓にあり、昔から住んでいる人も多く、伝統的な人間関係がまだ残っている。狭い世間というものが存在し、そのような場所には夏 目漱石のような近代的自我にとっては不愉快なこともあるだろうが、良いところもあるものだ。少なくとも隣に住んでいる人が誰だか分からない殺伐さというも のはない。

近所の床屋にしろ、薬局にしろ、スーパーにしろ、みんな僕以外の我が家三人を知るようになり、やがてこの伝統的共同体の一員として見なすようになったらし い。そうなると、日本人というのは堅苦しいことを抜きにした親切さを発揮できるようになる。妻はこれにとても驚き、感動していたのだ。バスの運転手が日本 語が読めず乗るバスを間違えた我が家の三人から運賃を取らなかったとか、停留所のないところで降ろしてくれたとか、来る時間が遅くなったタクシーが運賃を 取らなかったとか、そんな話を聞くと僕も驚いてしまう。こんなことは、僕にもなかなか起こらないだろう。

妻は、日本人はどうしてこんなに自信がないのかということを疑問に思っている。何の根拠もなく自信満々の人々に囲まれて辟易としている僕とは対照的な世界に住んでいるのだ。

* * *

『国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて』佐藤 優(新潮社)を読んだ。話題になったことさえ、全然知らなかったが、どこかでこの書名が言及されているものを読んで買ったのだった。どこでこの書名を見た のかな。まったく思い出せない。この記憶力の衰退にはホントに困ったものだ。脳のどこかが毀損したのではないだろうかと思ってしまう。

ものすごい量の書評が書かれたそうだし、ネットで検索してもドバッと出てくる。賛否両論、話題になった本であることが分かる。しかし、カブールに持って帰る本を減らしたい一心でかなりいいかげんな速読になってしまった。

この本の外務省や検察庁に関する記述がそれほど話題になるというのも妙だなと思った。こういうことはもう延々と言い尽くされてきたことではないか。今さら 感はぬぐえない。それにしても、組織がこういう人を内部に包容できなくなれば、組織は腐っていくとは思う。それこそ、今さらか。もう腐っているってか。

著者は「国際的スタンダード」という言葉を使い、常にそれが念頭にあるせいか、しばしば「国家」とか「政府」という無国籍な概念を使って分析を行うのだ が、著者が絡めとられていくのは、国際的には極めて特殊な日本的「村」社会だ。それを意識した上で、なおかつ日本という「特殊」を認めないという立場なの だろうか。

著者が繰り返し述べる仕事に情を挟まないという姿勢(自分のプライドなんかに判断力を鈍らせないみたいな)と、行間から感じる著者の持つ情(信頼を裏切ら ないみたいな)のギャップが興味深い。明示的には前者を主張し、黙示的に後者を表現するというもくろみを持って書いたのか、たまたま隠し切れないものが現 れてしまったのかは分からないが、このギャップが読者に義憤を感じさせることに貢献していると思う。「忠臣蔵」を思い出す物語構造だ。

著者は同じ構造で罵倒や中傷の言葉を使わずに登場人物の多くのバカさかげんを表すことに成功している。日常において(つまり事件化以前において)冷静な分 析能力に欠け、国家、いや組織レベルの目的さえ見失い、せいぜい所属課レベルの論理で走り回り(つまり、狭い世間の情にからまり尽くす)、いざ自分が事件 の渦中に入ってしまうやいなや、情も信頼もかなぐり捨てて自己保身のため冷酷無比な人間となる人々として描かれている。

A型:日常(表層):利・理、非日常(内面):情・心
B型:日常(表層):情・心、非日常(内面):利・理

という対比が物語の中で使われたら、B型の人はとてつもなくアホで醜く見える。著者が意識して、このような物語構造を採用しているのかどうかは分からな い。もしそうだとして、外務省時代に身につけた情報操作の技術を使っているのか、あるいは個人的にシェークスピアやギリシャ神話に造詣が深く、趣味的にそ んな書き方をしているのか。

この本では当然ムネオ・マキコ抗争にはかなりページが割かれているが、当時からメディアが煽る「ムネオ=悪玉 vs マキコ(+某NGO)=善玉」という構図については、アフガニスタンが少しからんでいたこともあり、いろんな人から異論を聞いた。その後、そういう異論も メディアに出たのだろうと思うが知らない。

マキコを持ち上げるバカさかげんについては多くの人が言及していたし、ムネオの実像についてもまったく反対の話を聞いた。それよりも、当時、体制にとって 良い子であるというポジションに着くNGOには疑問が残ったのを覚えている(NGOが良い子であることに異論はないけど)。それなら、NGOなんて存在す る必要があるのだろうか。大きな日本のNGOの場合は、活動資金における政府からのお金の比率が高くなる傾向があり、その結果、限りなくGOに近くなって しまうという現実が現れていただけとも言えるが。

Wednesday, January 04, 2006

ウーウー

今日はオーストラリア人一家のプルーデンス婦人の家に呼ばれて行った。プルーデンス婦人は日本の大学に来て日本語を勉強したらしく、並の日本人よりもまと もな日本語を喋る。だんなさんのジョンは在日オーストラリア大使館勤務で日本に来たが、その後外務省をやめて日本でビジネスを始めたそうだ。15歳のマ シューと13歳のダニエルという二人の息子はうちの上の子と同じ学校に行っている。二人とも金髪で背が高くハンサムだ。

我が家の他にカッチン一家も招かれていた。カッチンは日本人だが、だんなさんのマックスはアメリカ人で、彼らにも二人息子がいる。13歳のカイと6歳の ジュリアンで、ジュリアンがうちの上の子と同じクラスだ。カッチン家には一度家族で行ったことがあるが家の中にエレベーターがあるので驚いた。

プルーデンスの家にはとても素敵なホンモノの暖炉にホンモノの火がついていて驚いた。二階には長~い廊下があり、ベッドルームが四つ並んでいた。キッチン だけで四人家族が住めそうな広さで、そのキッチンが子ども用ダイニングと大人用ダイニングを分けるように配置されていた。日本にもこんな家があるのだな あ。

プルーデンス家に着くと、子どもはすぐに2階の子どもだけの世界に収容され、大人はとても趣味の良い、かつ数々のゲージツ品が展示されている居間に通され た。僕以外の5人は当然ワインを飲み(部屋が暖かかったので、僕は冷やっこいビールを頼んだ)、談笑ということになる。妻がカバブを作って持ってきたの で、それをつまみにした。作るたびに味は変わるのだが、今日のカバブはかなりおいしかった。

2時間半ほどして七面鳥が焼きあがったのでディナーということになった。三家族にそれぞれ二人ずつ息子がいるので、6人の男の子がいっしょに子ども用ダイニング、そして大人6人が別のダイニングで夕食を食べるようにセットされた。

6歳から15歳までの男の子5人はワーワー言いながら食べ始めたのだが、うちの下の子がウーウーと言ってごね始めた。やはり、お母さんといっしょが良いの かと思って、大人用ダイニングに連れて行こうとしても嫌がる。子ども用ダイニングに連れ戻してもやはりウーウーと嫌がってイスに座ろうとしない。きりがな いので、妻に先に始めるように言って、僕は下の子のウーウーにしばらく付き合うことにした。

そのうちに、他の5人の子どもは食べ終わって2階へ遊びに行き始めた。もう食べさせるのはあきらめて、下の子を2階に連れて行こうとしても嫌がる。まった く何がしたいのかさっぱり分からない。カッチンが様子を見に来て、こっちに来ていっしょに食べようと誘うがやはり下の子はごねて動かない。かなりイライラ する。

妻が食べ終わったので僕と交替に来たが、下の子の機嫌はなおらない。その日は11時前までプルーデンス家にいたのだが、結局下の子は最後までグズグスいったままだった。

何を望んでいたのか、何が気に入らなかったのかは、ホントのところは分からずじまいなのだが、後で考えると一つだけ思いつくのは、子どもと大人が別れると いう事態が理解できなかった、ということだ。2歳7ヶ月の下の子にとって、おかあさんと離れて食事をするということ自体かなり冒険である。そういうことに まったく慣れていない。それに加えて、代わりの大人が誰もいないという事態に混乱したのではないだろうか。

考えてみれば、プルーデンス家では最初から最後まで子どもと大人の区分がはっきりしていた。大人も子どもも入り乱れてごちゃごちゃに食事をするというのは 実にアジア的なのだ。カッチンだけが下の子を大人用ダイニングに連れてきてなんとか事態を打開しようとしたのは興味深い。

親は子どもの人質になってはいけない、親にも親の人生がある、子どものために親が自分の人生を失うのはフェアーじゃないというようなことが西洋の子育て本にはよく書いてあるが、プルーデンス婦人もそのようなことを言って、妻をいたわっていた。

これで思い出したが、初めての子どもが生まれる時、日本とアメリカの、出産から育児に関する定評のある本を読み比べて、言語と書き方の違い以外に内容にほ とんど変わりないのだが、一点だけ顕著な違いを発見した。それは、親はすべての理由がなくなっても赤ん坊が泣き止まないような夜に必ず遭遇する。その時、 アメリカの本はほったらかしにしておいて親も赤ん坊も慣れることを勧める。そこに自我の確立の第一歩を見ているようだ。日本の本は、そういう時、親が優し く抱いてやることを勧める。

結局のところ、親に分かる赤ん坊が泣く理由なんて限られていると思う。ほとんど分かっていないかもしれない。日本風とアメリカ風のどちらが良いのか分からないが、結果的には泣いている赤ん坊をアメリカ風に突き放すことは無理だと思ったのは覚えている。

Tuesday, January 03, 2006

今日はノリコ家の人々がやってきた。自家製の米10キロと交換にスワットの木窓を引き取りに来たのだ。

スワットというのはガンダーラ美術で有名なところなのだが、どこでも掘り起こせば紀元前2世紀の仏像が出てくるという時代はとっくに終わっていて、今はガ ラクタを磨いて売り飛ばすというのが商売になっている。この辺は隣接するアフガニスタンのカフィリスタン(今はヌーリスタン県)と呼ばれる地域同様、樹木 が豊富なので、木彫りが盛んな地域で、窓やドアやその他家具なんでも木のものは彫り物だらけになってる。

そんなものはスワット人には当たり前なのだろうけど、外国人が見るとおっ!ということで、なんでもかんでも売り飛ばすことが20世紀後半に始まった。それ に目をつけてかたっぱしから、古い家具や家の一部の木彫り部分を引き剥がしては買い叩いて、ちょこっと磨いて売る専門の商人もやがて現れた。

イスラマバードに住んでいた時、僕も木窓を二つ買ったのだが、日本に持って帰っても飾る場所がない。一つは玄関を入ったところの壁にかけたのだが、もう一つは埃まみれになって捨てられる日を待つのみであった。

年末にウメ一族の一味としてノリコさんがやってきた時、彼女は目ざとく玄関にある木窓を見つけていたのだ。この一見汚らしい木窓に関心を寄せる人はめったにいないのだが、さすがに建築家だけあって、汚いとは思わなかったようだ。

使いようのない一つは邪魔になるだけなので、何度も捨てようかと思ったのだが、いざ捨てるとなると惜しい気がしてなかなか捨てられなかった。かといって、 どうせ誰かにあげるなら価値の分かる人に引き取って欲しいという欲もわいてくる。そもそも欲しがる人がいないという根本的な問題もあったのだが。

だから、ノリコさんが木窓に気がついたという時点ですぐにあげようと思ったのだった。但し、家で米を作っているということを聞いていたので、とっさにそのかわり米をくれと言ったのだった。

三つくらい年上のヒカリちゃんとうちの息子二人はすぐに遊び始めた。言語的コミュニケーションはそれほどうまく行かないはずなのに、子どもにはそういうことはあまり障害にはならないようだ。

夕方になると上の子の学校の友達のパキスタン人一家が遊びに来た。ここのお父さんはNational Bank of Pakistan (日本の日銀にあたる)のエライ人なのだが、毎朝、上の子を学校まで車で送ってくれるからとても助かっている。彼の二人の息子と一人の娘の三人が合流して 子どもが全部で6人になって、みんなで遊んでいるが、やはり言語はあまり関係ないようだ。

みんなが帰ってから、妻が焼きそばを食べたいというので、上の子とピーコックに材料を買いに行った。豚肉とエビと竹輪とキャベツともやしとピーマンで作り 始めたのだが、年末に買ってあまっていた竹の子も使えと妻が言うので、やや不安もあったが、それも入れたら意外にもおいしかった。焼きそばの作り方を教え て欲しいというが、そもそも焼きそばにも作り方があるのかと思ってしまう。見れば分かるだろうなんて言わずに、見て分かるように作る以外なさそうだ。

みんな帰ってから、上の子はヒカリちゃんは次いつ来るのかと訊いていた。またいっしょに遊びたいということだ。やはりコミュニケーションは存在したのだろう。

Monday, January 02, 2006

1月2日

今日は家族みんな昼近くまで寝ていた。
午後は、下の子のイラン人の友達、アロウシュの家にお茶に誘われて行った。お母さんのナディアは典型的なイラン美人。お父さんのラミンはとても人の良さそうな人だった。日本の航空会社の国内線のパイロットをしている。

一家の誰も日本語を喋らないのにもう日本に6年も住んでいる。たいしたもんだと思った。ラミンはキャンプが好きらしいので、いつかいっしょにキャンプに行きたいと思う。

夕方は、紀ノ国屋に行き、本を買った。24冊をメモしていったが、17冊買った。メモと重なっていたのは、そのうち4冊だけだ。目当ての本がある場合はアマゾン、何気に本状況を見たい場合は本屋、というふうに使い分けするべきだろうと思った。

その後、ウメとhigashiura と居酒屋で合流、半時間ほどして、ホンイデンが合流、そのまた半時間後でテツが合流した。みんな高校の同級生だが、高校時代に5人で集まった記憶はない。 今もなぜこの5人なのかと問われたらまったく分からない。同じ時期に同じ場所にいたということは確実なので、それなりに共通のものはあるのだろうと思う が。

この5人が知っている同級生の一人が年商6000億円の一部上場企業の社長になったらしいが、我々の想像を絶するとてつもないことだという以上のことは誰 にも分からない。ドップラー効果について思いをめぐらすニューギニア高地人のようなものだ。そもそも一部上場ってなんなのか僕には分からないのだ。

ホンイデンが同級生の女子(という言い方になってしまう)が載っている本を一冊持ってきていた。彼女は、僕は一度も見たことないが、テレビのある番組にレ ギュラーコメンテーターとして出ているらしい。政府のなんとか委員とやらでもあるらしい。つまり、有名人らしいのだ。どうして有名になったのかと訊いた が、有名であるという以外、誰も知らなかった。それくらい有名なのだ。

ウメは『宣戦布告』という本を持っていた。戦争ものが好きらしい。「男たちの大和」は反戦映画かと訊くが、そうでもないと思うが、この説明は難しい。見た らよいとしかいいようがない。が、同じお金をつかうなら、『イラム・ノグチ』を読む方が価値あるかもしれない。ホンイデンは樹木の医者なので、イサム・ノ グチのことはさすがによく知っているようだった。日本人みんな『イサム・ノグチ』を読んで恥ずかしい思いをして欲しいものだ。

二軒目で飲み始めた頃に妻から電話がかかってきた。早く帰れと言う。なんでかと訊くと、早く帰ってきて欲しいからと言う。そういう理由のない理由は常に正 しいものだ。この店が最後だからと言って電話を切った。とはいえ、ウメもテツもホンイデンもみんな苦難を乗り越えて外出してきているはずなので、そうやす やすと席を外すわけにはいかない。しかし、御堂筋線の千里中央行き最終に乗って帰った。電話がなければきっと朝まで飲んでいただろう。

Sunday, January 01, 2006

謹賀新年

あけましておめでとう。



『イサム・ノグチ 宿命の越境者』を読み終えた。テーブルや照明器具のイメージしか持っていなかったが、大天才ではないか。芸術家と呼んでも気恥ずかしさ を覚えずに済む、そんな人がつい最近まで生存していたとは。深く静かに圧倒された。いつか、モエレ沼公園とイサムノグチ庭園美術館に行こう。

「現在の世界で、日本から学ばないのは日本人だけですよ」(イサム・ノグチ)

Saturday, December 31, 2005

あと一周

歩いて3分のところに住んでいる両親のところへ家族で晩飯を食べに行った。カニをどこかから送ってきたのでそれを食べに来いという口実だった。プライドとK-1を見ながら食べることになった。どちらも当初の生々しさがなくなって実につまらない。他にたいした番組もないので救われているのだろうと思う。

年が明けてから、家に帰ることにした。近所にある神社に行ってみようということで親子四人で歩いていった。これも家から歩いて3分くらいのところにあるのだが、少し奥まったところにあるので、家族も両親も誰も知らなかった。僕は夜明けに一人で散歩がてら、近所をかなり探検していてこの界隈の地理には結構詳しくなっている。

神社には焚き火をしているじいさん・ばあさんがいて、参拝する人にお神酒とおつまみを配っていた。息子二人に小銭を渡してお賽銭箱に入れることを教えた。こういうところに来るのは妻も子どもも始めてだったのでまったく要領が分からずきょとんとしていた。なんでお酒をくれるの?なんでお菓子をくれるの?なんでお祈りするの?・・・・・・・

焚き火と神社の建物が興味深いらしく、上の息子はしばらく観察した後、忍者が住んでいたところかと訊く。忍者とか侍がいた頃からあった建物だと言うと、かなり満足気な顔をしていた。神社の由来を書いたものがあったので、読んでみると起源は13世紀まで遡るらしい。それを説明すると、妻も感嘆して、これは絶対におじいちゃんとおばあちゃんにも教えなければいけないと、言っていた。まあ、こんなものどこにでもあるんだけど、とはもちろん言わなかった。

家に帰って年越しそばを作ったら、もう何も食べれないくらいお腹一杯だったはずの子ども二人がまたちゃんと食べきったので驚いた。慣れない夜更かしをするとお腹がすくのだろうか。今年は戌年か。あと一周で還暦だ。なんと凡庸な一生なことかと思うと戦慄が走る。夢もロマンも必要なくなったが、せめて子どもが高校を卒業するまでは生き延びたいものだ。

Friday, December 30, 2005

冬のバーベキュー

二人の息子を連れて100円ショップへ行った。テレビのお絵かき番組でやってた押し絵とやらを上の子がやりたいというので画用紙と絵の具などを買いに行ったのだ。ついでに紙ねんども買った。家に帰ると、いきなり紙ねんどでの遊びが始まり、絵の具と画用紙のことは忘れたみたいだ。なんとか遊び場を一箇所に集中させようとしたが、その努力もむなしく半時間もすれば家中、紙ねんどだらけになっていた。案の定、妻は怒り狂う。夕方にアナ・カリナ母子が遊びに来るので朝の間に掃除したところだったのだ。怒るのもやむなしか。

その後、下の子が昼寝を始めたので、上の子と二人で今晩のバーベキューの材料を買いに業務スーパーへ買い物に行った。このくそ寒い冬にバーベキューは成立するのかという懸念もあったが、アナはここのバルコニーでするバーベキューが好きだと妻が言うので、そういうことになった。

業務スーパーというところは、卸売り市場のようなところなので、大量に食料品を買う人にとっては、格安でよいのだが、少量しか必要のない一般家庭の人には無駄な買い物になってしまいかねない店だ。「漬物」とか「冷凍焼き鳥」とか「つぶあん」とかなんでも1キロ単位で売っている。安いのだが、普通の核家族なら全部食べる前にダメになってしまうだろう。

バーベキューにする牛肉もスライスした手ごろな量のものがなかったので、1キロのかたまりを買った。必要な分だけ家でスライスして残れば冷凍にしておこうと思ったのだ。野菜はほとんど家にあったので、中国産のしいたけだけ買った。これも1キロだ。もやしキムチも1キロ買った。子ども用のソーセージ、自分用のトリ皮なども買った。

6時頃にアナとカリナがやってきて、バーベキュー・スタンドを暖めようとして、なんと火のつきにくい木炭しかないことを発見。なんとか火をつけようと30 分ほど頑張ったがダメだった。食材の用意は妻にバトンタッチし、アナの運転でマッチで火がつく炭をコーナンまで買いに行った。

じっとしていると寒いが、バーベキューというのは結構忙しいので、それほど寒さは感じなかった。アナのだんなさんは仕事が忙しくてほとんど家にいないこと(今も中国に出張中)、カリナはロシア語、日本語、英語のトリリンガル環境で成長せざるを得ないこと、など我が家と共通点があるので、そういう泣き笑い人生が話の端々に挿入される。

走り回って遊んでいるカリナと上の子に負けじと下の子もついて走り回る。当然歳の違いなどというコンセプトはまだないだろう。自分では同じ仲間だと思って一緒に遊んでいるのだ。年齢や国籍や言語や宗教などあらゆる違いが子どもには何の影響も及ぼさない。何歳くらいまで、こういうふうに生きていけるのだろうか。

Thursday, December 29, 2005

ラーメン

「希望軒」のラーメンとギョーザはむちゃおいしい。
雑誌に載ったり、テレビに出たりしないで、地道にやっていってほしい。
行列ができるようなラーメン屋だけにはなってほしくない。
食い物屋に行列ができるようになると、もう味は終わってしまう。

今晩はアナとカリナと我が家の6人で「希望軒」に行った。
べラルース人母子には、ごまだれとんこつチャーシューメンを頼んだ。
彼女たちももやはりおいしいと感激していた。

今晩はウメ一族が焼き鳥屋に行こうと言っていたのだが、ラーメンを食べるともうお腹いっぱいで行く気がなくなった。電話すると、ウメ一族も焼き鳥を食い終わったみたいなので、こっちに来ないかと誘うと、焼酎とワインをもってやってきた。

ウメ一族に誰がいるのか聞いていなかったのだが、総勢5人の酔っ払いがインターフォンのカメラに現れて、妻もアナも驚いていた。アキヨ、カーコ、ノリコ、アリさん、ウメの5人でみんな僕の高校の同級生だ。ウメは相変わらずスーツにネクタイをしてやってきた。他に服がないらしい。

というわけで、大人8人、子ども3人の11人が我が家にたむろすることになった。いつも一番うるさい下の子が慣れない状況のせいか妙に静かだ。日本語の嵐で戸惑っているのかもしれない。

こういう時は、(自称)英語の成績が一番良かったというアリさんがここぞとばかり英語をしゃべるので、日本の英語教育の欠陥が見事に証明される。「チェリーブロッサム・シュリンプ」がなんとかかんとか言っているが誰もなんのことか分からない。アリさんとしては「桜エビ」のことを言いたかったらしい。これはもう笑うしかない。

上の子は日本人の大群を見て日本語をしゃべろうとしている。日本人がしゃべっているつもりの英語が英語に聞こえないのだろう。しかし、本人は最近、全然日本語を使ってないので、アクセントや単語の選択が微妙にずれている。コミュニケーションは難しい。


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Wednesday, December 28, 2005

掃除

今日は下の子のアトピーの医者と妻の乳がん検査の予約が重なってしまった。もし悪かった場合の緊急性を考えて妻の検査の方に行くことにした。マモグラフィーとかエコーとかいろいろ検査したが、決定的に悪い知らせはなかった。それでも念のため注射器のようなものを乳房にさして中味を少し抜き取って検査するということだ。結果は来年の1月11日に分かるというので、それでは遅すぎると言うと6日にしてくれた。

アトピーはほんとに可哀相だ。痒くて痒くて眠れないのだ。痒いところをかきむしるので傷がついて、そこにばい菌が入り、化膿したりする。どういうわけか、顔だけきれいに直ったのが幸いだ。アトピーは見かけによる精神的な影響もかなり大きいのだ。それにしても、イライラせずによくもいつも陽気に走り回っていてくれると思う。自分がアトピーなら、癇癪起こしまくっていたのではないだろうか。

兄弟はみかけはそっくりなのだが、性質が全然違うのがおもしろい。上の子はまったく手がかからず赤ちゃんの優等生のようなものだったが、下の子は病気につぐ病気で大変だった。何よりも本人が一番大変だっただろうと思う。こういう子どもの場合、回りの大人、つまり親がイライラしてしまうので、そのとばっちり、という逆境にも遭遇する。そのせいかどうか分からないが、下の子はとてもセンシティブに育ってきたようだ。

僕と妻が少し声を荒げて何か言い合いをしかけると、下の子はすぐに「アーッ!」と言って止めに入る。上の子が親に怒られていると、お兄さんを守ろうとしてゲンコツをふりあげて親に対して攻撃にくる。そして、自分が仲間に入れられていない状況が発生すると、なんとしてでも仲間に入ろうとしてくる。2歳7ヶ月でも、ちゃんと自分の自我がある。妻もあの子は自分で自分の世界を切り開いてきたと言っていた。

ソファーに寝そべって、うつらうつらとテレビを見るでもなく見ていたある晩、下の子が目の前をチョロチョロと動いていることに気がついた。少し寝たような気がして、また目を開けると、下の子がおもちゃを持ってそれをどこにおこうかと見回しているところだった。テレビのある部屋がきれいになっている。いったい何をしているのか?さっきから、彼は掃除(!)をしていたのだ。

子どものいる人なら分かるだろうが、幼児というのはありとあらゆるものを家中散らかして1日の終わりには家の中は大変なことになっている。いちいちかたづけていてもきりがないので、かたずけるのは一日の最後に一回ということになる。だから、もうこんなものだと思って、ちらかりまくった部屋のソファーで僕はぐったりしていたのだ。

しかし、この2歳7ヶ月の子は、床に散らばったおもちゃやお皿やコーヒーカップやスプーンや絵本を拾ってはあるべき場所を探しては移動させていたのだった。不思議だなあと思って、妻に訊いてみた。掃除しろと言ったのか、あるいは掃除を教えたことがあるのかと。そんなことは全然していないが、母がやってることをただまねしているということだった。

Tuesday, December 27, 2005

エイリアン

今日は、妻のエイリアン・カードの更新に行った。滞在許可(ヴィザ)を更新したので、エイリアン・カードも更新することになる。あの悪名高き「外国人登録証」というやつだ。エイリアンねえ。

あっ、そこでくびをかしげている方、日本人と結婚しても、日本国籍は即とれないのだ。でもって、人口減ってやんの。バカじゃないの、この国。

「日本人には外人を自分たちと同等の人間として受け入れない差別体質がある。日本人の血をもつ人間だけが日本人であり、その他の人間はすべて「外人」というわけだ。日本人は純血のみを絶対とする民族です」(皆が同じでなくてはならないという日本人の排他思想を、アメリカのジャーナリストに、イサムが説明した言葉)

あらゆる努力をして、イサムを日本人として育てようとしたイサムのお母さんは11年後、挫折した。13歳のイサムは一人でアメリカに帰った。偉大な才能をこうやって日本は失い続けてきたのだろうなと思った。もっとも美しい日本人を戦争でまっさきに殺し、もっとも優れた才能は受け入れられず、残っているのはカスだけ?

業務報告
1.気がついた方もいるかと思いますが、ブログのリンクを三つ左横につけました。三者三様の逆上あり。

2.どうも僕へ出したメールから返事が来ない、おかしいなあと思っている方は、もう一度出してみてください。僕が読む前に削除されているケースが発覚したので、念のため。

3.Windows On The World は、イベント時でなければ、そんなに高くないです。なんか恐慌に陥ったようなメールが来たので。ランチビュッフェなんかはお母さん集団でいっぱいのようです・・・。

Monday, December 26, 2005

クリスマスの後

予約時間に30分遅れたが、今日の「さかもとクリニック」は土曜日ほど混んでいなかった。

「どうですか、元気ですか」
「まだ大丈夫です」

という、いつもと同じやりとりで始まり、血を採って、僕が欲しい薬を言う。あれ出しときましょか、これもいっときましょか、みたいな八百屋で買い物をしているようなやりとりだ。

その後、焼きたてのパンがいつも食べ放題というファミリーレストランに毛が生えたような「バケット」という名の店でハンバーグを食べながら、ショーコさんがおもしろいと言っていた『イサム・ノグチ』を読んで少し時間を潰した。この本を昨日読み始めてから、ずっと引き込まれっぱなしだ。

* * *

「この冬は寒すぎて、気鬱な毎日でした。イサムは風邪ばかりひき、その看病に明け暮れました。また私は”田舎”へのホームシックにかかっています。日本でもアメリカでもどこでもいい、広々とひろがる土地と住んだ大気の田舎で暮らしたい。この手で大地を掘りおこしたい。可哀相に、イサムもいま、小さなシャベルを手に下駄をはいてうろついています。”何をしているの?”と尋ねたら、”何もない、ママ、どこも掘るとこない”と答えました。ああ、私たち母子はこの東京に閉じ込められて一生を終わるのでしょうか。でも、すでに梅が咲いています。もうすぐ日本の美しい春です」(イサムの母からアメリカの友人への手紙。イサム3歳の頃)

「ついに自分を受け入れてくれる人々のなかにいる、という意識がはっきりとあった。ぼくのような混血でも、自分たちとすこしも違わない仲間としてあたたかく迎えてくれた。森村学園ではフリーク扱いされなかった」(イサム、6歳4ヶ月の時の回想)

「子どもというのは正直なものだ。隠すことなく差別意識をあらわにしてみせる。アイノコのぼくは、彼にとって、まぎれもないフリークだった」(イサム、1年2学期に茅ヶ崎の尋常小学校へ転校後の回想)

* * * 

「バケット」のハンバーグはあまりおいしくなかった。僕はチープな食べ物、ジャンクフードにはうるさいのだ。ハンバーグはサンタの缶詰が一番おいしいと頑なに信じている。そんなもの、もう売ってないかもしれないが。

味は別にどうでもいいが、週日の昼間にこんな店に来ると、小さい子どもを連れたお母さんグループに必ず会う。こういう時はいつも、みんなが僕から視線を外すような気がする。社会のはぐれものは可哀相だし、いつ逆上するか分からないから、目が合わないようにしましょうというお触れが出ているのではないかと思う。そういう居心地の悪さは、大学教師をしている義弟も話していたことがあった。真っ昼間という、まっとうな社会人にとってはとんでもない時間に自宅のあるマンション界隈をうろうろしていると、やはり胡散臭い光線を感じるようだ。

しかし、子どもがうるさい。したい放題、叫び放題だ。お店のウェイトレスの表情もかなり険しくなっているが何も言わない。お母さんたちは自分たちの話に没頭している。だんだん腹が立ってくる。こういう時は腹なんか立てずにさっさと席を立って注意をしに行くべきなのだろうか。しかし、他人に注意されて聞くようなお母さんなら最初からこんな状態を放置しないだろう。

聞きたくもないがお母さんたちの話の内容まで腹が立ってくる。もう少し他に考えることはないのか。まるで新聞のテレビ番組欄を見た時と同じような絶望感に襲われる。なんなのだろう、このアホらしさかげんは。イサム・ノグチのお母さんはこんなに苦労してイサムを育てたんだぞ、分かってるのか、そのへんのとこ、えっ?どうや?

このままではホントに逆上する社会のはぐれものになりそうだったので、店を出ることにした。まだ、2時35分まで少し時間があるので、本屋に入った。また、記憶にない買おうと思った本を探すということになった。

しかし、なんなんだ、この本屋は。三分の一がコミック、三分の一が実用本、残り三分の一が中途半端な品揃えの文庫本だ。これを本屋と呼んでよいのだろうか。しかし、それでもほんの少しだが”文芸”という一画もあった。こういう本屋とも呼べなさそうな本屋でも置いている文芸書とはいかなるものであるか、ということに少し前向きに興味を持って見てみることにした。

が、文芸という概念をこの本屋は間違えて使っているのではないかと思わざるを得なくなった。期待していたわけではなかったが、ここまで行くとたいしたものだ。本という概念さえ、もう壊れているのかもしれない。

それでも『半島を出よ』はちゃんと置いてある。これが売れる本というものか。たいしたもんだ。

ようやく2時半になったので、僕は映画館に急いだ。『男たちの大和』を見るためだ。チケットを買う時、「男たちのダイワ」と言ってしまわないか、ちょっと緊張した。僕は時々そういう間違いをして、顔が爆発しそうになることがある。

5人くらいしか見ていないのではないかと思ったが、館内は三分の二がうまっていた。へぇーっと思いながら、当然回りに誰も座っていない前から三列目の真ん中の席に僕は座った。メガネを忘れたので、そんな前の席を買ったのだった。

こらえる間もなく、あっという間に涙がこぼれ落ちていた。そんなことが上映中何度も繰り返された。すすり泣く音、鼻水をずり上げる音が回りからも聞こえる。これを涙なしに見る人はいるのだろうか。どうにもこうにも泣けてしまう映画だ。

ずーっと昔のことだが、吉田満の『戦艦大和ノ最期』を読んだ時、その美しさに打たれたものだが、その時、この美しさを映画にできないものだろうかと思ったことがあった。だから、今回『男たちの大和』という映画の存在を知った時、すぐに見に行こうと思ったのだ。原作は異なるが、あの大和が映画になるということでは、僕の頭の中で同じことになっていた。

泣き暮れた映画だが、終わってみるとどうしようもなく怒りが蓄積している。どうして、こんな日本にしてしまったんだ、ああやって死んでしまった日本人にどういう言い訳をするのだ・・・どうもはぐれものの逆上が本格化しそうになってきた。

一応書いておくけど、戦争を美化したいわけでも、日本はえらかったとか、昔は良かったとかそんなことを言いたいわけでも毛頭ない。戦争当事者間に道徳的な善側と悪側があるような歴史観は、歴史から何にも学ばないというのと同義であるとは思っている。良い殺人と悪い殺人、良い強姦と悪い強姦、良い拷問と悪い拷問・・・そんなものあるか?

『ALWAYS 三丁目の夕日』は昭和33年(僕が生まれた年)を舞台にしているらしいではないか。カブールに帰る前にはどうしても見ておきたい。

『Mr.&Mrs.スミス』は妻が、『キングコング』は上の子が、見に行きたいと言っているので、なんとか行きたい。

『スタンドアップ』『博士の愛した数式』『七人のマッハ!!!!!!! 』も行きたいが、これは始まるのが出国してからだ。