Sunday, January 30, 2005

さぶっ!

現在の
気温:16 °F / -9 °C
天候:Partly Cloudy
風の体感温度:Windchill: 6 °F / -14 °C
湿度:Humidity: 49%
露がどうしたこうした?:Dew Point: 0 °F / -18 °C
風速:Wind: 7 mph / 11 km/h from the WNW
気圧:Pressure: 30.21 in / 1023 hPa
視界:Visibility: 1.9 miles / 3.0 kilometers
紫外線:UV: 3 out of 12
雲の高さ?:Clouds (AGL): Few 20000 ft / 6096 m

Saturday, January 29, 2005

携帯電話

雪でカブール空港は二日間発着ができなかったけど、昨日から再び飛行機が飛び始めた。
でも、まだカブールの雪がとけてなくなったわけではない。

今朝電話をしようと思ったら、もうクレジットがありませんというアナウンスが返ってきた。オフィスからもらった携帯電話は、プリペイド・カード方式なの で、払ったカード分のクレジットがなくなるとかけられなくなる。相変わらずというか、間が抜ているというか、当たり前というか、オフィスからはすべてのス タッフに一律同じ額のプリペイドカードが支給される。それがなくなったら、自分でプリペイド・カードを買って足さないと使えない。

スタッ フの業務はそのポジションによって全然違うし、当然電話の必要度もまったく違う。毎日NYに1時間は電話しないといけない人と、例えば2年間一度も業務で は外国に電話する必要のない人がいる。それでも、すべてのスタッフに一律同じ金額のプリペイド・カードを配り続ける。不幸なことに僕はたまたま前者のグ ループに属する。

普通の日本人ならアホではないかと思うだろう。普通の国連スタッフなら「アハハ、あり得る」で終わる。もうこういうこと に文句を言うのにみんなが疲れているので(言い出したら、こんなこといくらでも出てくるので、いったいどれから言えばいいのかも分からないだろう)、結 局、まぬけなこともずっとほったらかしで延々と続く。

朝、オフィスに行く途中にプリペイド・カードを買う必要があるとドライバーに言っ て、ぼーっと白いカブールの景色に見とれていたら、道沿いにプリペイド・カード売りの人たちがいっぱい並んでいるところに出てきた。プリペイド・カードを 買える場所は、携帯電話会社のオフィス、野菜やタバコを売っている屋台、そして、道端でプリペイド・カードだけを持って立ちんぼをしている人、の三種類に 大別できる。

今は減ったかもしれないけど、日本でも改造テレフォンカードを売るイラン人などがかつてたくさんいた。なぜ彼らの多くがイラ ン人だったのか知らないが、ともかくなんか「違法偽造」みたいなイメージがあるので、カード売りの立ちんぼをしている人からプリペイド・カードを買うとい うことはまったく想定していなかった。

ところが、ドライバーはスピードを落として立ちんぼの品定めをし始めた。あれ、この人たちから買 うってことだろうかと思っていると、やがて止まって立ちんぼの一人を指定している。当然、周りから別の立ちんぼもわさわさ寄って来て、売り込みを始める。 ドライバーは譲らず、自分の指定した人に話しかけている。

その立ちんぼは一本しか足がなかった。他の立ちんぼは足が二本あった。他のすべてにおいて、例えば、薄汚れてボロボロになった服、サイズの合わない靴からのぞく靴下をはいていない足、ホコリと車の排煙で黒くくすんだ顔、やせた身体などは、共通していた。

と もかく、僕はドライバーが指定した人からプリペイド・カードを買うことにして、100ドルのカードを一枚と頼んだ。ところが、その一本足の人も周りのわさ わさしている二本足の人たちも一瞬黙ってしまった。何かおかしなことを言ったのだろうかと思ったのとほぼ同時に、彼らがビニールの袋に一枚ずつ入れてぶら 下げているカードが視界に入り、あわてて50ドルと言い直した。どうして20ドルと言わなかったのか、10ドルと言わなかったのか、5ドルと言わなかった のか。分からない。

一本足の人が持っているプリペイド・カードはどれも1枚5ドルのカードだったのだ。国家公務員の月給がまだ40ドルの 国で100ドルと言えば、日本で言えば100万円を越える感じかもしれない。アフガン人で、プリペイド・カードに100ドル(あるいは100万円)使うバ カはいないのだ。

一本足の人が一瞬はにかんだ顔を見せた。周りのわさわさした人も誰も100ドルのカードを持っていない。よし、おれが探 して来てやる、とでも言ったと思うのだが、そのうちの一人が大きな声をあげて、少し離れた道路沿いに並んでいる立ちんぼ軍団に訊きはじめた。やがて、その うちの一人が何か応答をした。大声の立ちんぼは走ってカードを取りに行き、戻ってきた。

ほらっと得意気に車の窓からカードを差し出す。 20ドルのカードが2枚と10ドルのカードが1枚だった。彼らの商うカードは20ドルが最大なのだった。OK、といって僕はとにかくその3枚のカードを買 おうとした。そして、また新たな困難が発生するかもしれないことに気づいた。

僕は100ドル札しか持っていなかった。50ドルのおつりな んてあるだろうか。僕は恐る恐るドライバーにきいた。ドライバーの顔が曇ってしまった。申し訳ない気持ちでもうここで死んでしまいたいと思ったが、一応 走ってカードを取りに言ってくれた立ちんぼの人にこれしかないんだと100ドル札を見せると、また彼はすばやく振り向いてなにやら大声でわめく、するとど こからともなく50ドルが現れた。助かった。これで商談は成立したのだった。

そこを離れて雪まみれのランドクルーザーが動き始めると、ド ライバーは前を向いたまま独り言のようにカタコトの英語で話し始めた。「彼らはとても貧乏な人たちなんだ。携帯電話の会社はものすごく儲けている。とても 金持ちだ。あんなお店で買う必要はない」というようなことを言っていた。きっと立ちんぼの人はカードを一枚売っていくらかのコミッションをもらえるのだろ う。ほんの微々たるものだろうけど。ドライバーはなぜ一本足の人を指定したかは言わなかった。結局、彼から買わなかったことを思い出し、僕はひどい気分で オフィスに向かった。
            ↑オフィスから迎えに来た車。

Tuesday, January 25, 2005

白いカブール

昨日はカブールは雪で真っ白になっていた。視界が悪くてカブール発着の国連機は全便キャンセル。寒い。

家のメンテナンスが悪くてどうしようもなかったので、22日に住む場所を変えた。前の家の住人は、日本人・スペイン人・コロンビア人・イギリス人だったが、次の家はスウェーデン人とネパール人と僕の三人だけ。二人とも前から知っている人なので気が楽。

毎日、英語ばっかり書いているので、久しぶりに日本語を書くと変な感じだ。慣性の法則みたいなものか。なんかひっかかるような感じがする。

白いカブールを見ながら、ふと妙なことを考えた。アフガニスタンに関心のある人は、どうしてアフガニスタンに関心があるのだろう。ソ連の侵略も内戦もアメリカの爆撃もなかったとして、それでもアフガニスタンに関心のある人は、そのうちどれくらいいるのだろう。たぶん、僕は今ボツワナのことを何にも知らないのと同じ程度にアフガニスタンのことも何にも知らなかっただろうと思う。

Friday, January 21, 2005

Through the Narrow Gate

昨日のテレビのニュース番組はブッシュの就任式ばかりうつしていた。いっしょにテレビを見ていたイギリス人は、「あ~、やめてくれ~」と喚いていたけど、僕は一応ブッシュが何を言うか確かめたくて、21分の演説を全部聞いていた。まさに美辞麗句の洪水なのはしかたないとしても、こんなにいいそうなことばかりで埋まっている演説も珍しいのではないだろうか。結果的には聞く必要は全然なかった。でも、聞かないと確認できないし。

今日もFox Newsは昨日の就任式の話題を引きずっている。ブッシュ大統領は就任式の後のBallで奥さんと8分54秒ダンスしたそうだ。そんなことはどうでもいいのだが、昨日の就任式でアメリカ国歌が歌われたけど、聞きなれないメロディだった。あれが正式の国歌だったのか?いっしょに見ていたイギリス人もやはり、あれっ?という顔をしていたので、アメリカの国歌と言えば、あれじゃないのかと二人してメロディを口ずさんでみると、二人ともジミヘンの歴史的な演奏を口でグィーン、グワァーンとかやっていた。あれは国歌じゃなかったのか?

カブールに戻ってきてから、寝る前は、Karen Armstrong のA History of God を毎日少しずつ読んでいたのだけど、これは少し読むと考え込んでしまうので、あまり寝る前に読む本としては適当ではなさそうだ。何冊か別の本をぱらぱらとめくっているうちに、同じ著者のThrough the Narrow Gate を開くことになった。昨日少し読んで見ると、やめられない。これは面白すぎ。世界のベストセラーになったのも納得できる。これを読み終わるまで他の本は読めないだろう。

今晩は、大使館のT君のところで鍋物をやるので、食べに行く。

Thursday, January 20, 2005

「分断された音の記憶」

今日からイードで国連は四日間の連休だ。アフガン政府は昨日から休みに入ってる。
この休み中に近所のイスラマバードやドバイに行くスタッフが多い。僕は仕事がたまりまくってるので、ずっとカブールにいる。

昨日は、朝からずっとミーティングばかりでオフィスに戻ったら6時前になっていた。それからやっとコンピュータをひらいたら仕事のメールが49通入っていた。読もうと思うと、「ちょっといいですか」で入ってきたスタッフとまたミーティングになってしまう。それが終わると次の「ちょっといいですか」で別のスタッフが部屋に入ってくる。結局、8時まで何もできなかった。8時から夕食の約束をしていたので、もうオフィスを出なければならない。一本のメールも読まず、一字も書かず、話だけで終わった一日だった。だから、イード中が仕事をするチャンスなのだ。

『カブール・ノート』の中の「分断された音の記憶」を某出版社が高校一年生の教科書に使いたいと連絡があった。いったいどんな文章だったのかと思って読んでみたが、うーん、このまま使えるのかなあと思った。注釈も必要だろう。「アルジャーノンの哀しみ」なんて、アルジャーノンを読んでないとなんのこっちゃさっぱり分からないだろうし。少し手直ししたりするんだろうか。07年から載るそうだが、自分の息子がその教科書を使うようなことになれば、おもしろいと思う。でも、そんなことはないだろう。親の身勝手ということになるのかもしれないが、もう自分の子どもは日本の学校に入れたくないと思ってる。そう言えば、「分断された音の記憶」には、僕の日本の教育制度に対する絶望が書かれているはずなのだが、それが教科書になるとは・・・。

Saturday, January 15, 2005

Don't do anything for the people without listening to them first

日本に4日間だけ帰っていた。今はカブールへ戻る途中でバンコク。今日の夜
はドバイで一泊し、明日の朝はカブール。

日本で久しぶりに報道ステーションを見ていたら、
NHKのこともその会長のこともすごくストレートに話している人のビデオが流れていたので、
この人は誰だろうって考えていた。
画面の隅の方に「NHK職員」と書いてあるのを見ても、
「元」という字が抜けているのだろうかと思ったりしていた。
公共に向けてあまりにすらすらと自社であるNHKの批判をしているのが
非常に奇異な感じだったのだ。
NHKに全然関係ない人が演技をしているようにしか見えない。
何度も、僕は「元」という字がないか確認してしまった。
ほんとにこの人は現役のNHK職員なのだろうか、
もしそうなら、NHKはものすごく健全な会社ではないか、と思ったりしながら、
あとでテレビ関係の友人にこの人のことを知っているかどうかきいてみようと思っていた。

友人の話を聞くと、ああ案の定・・・、NHKは健全でもなんでもない、
そして、あの人は自爆攻撃をやったんだ、ということを確認した。
えらい人だなあ、というため息が出る。

正義に訴えるあらゆる手段が奪われた時に自爆攻撃は起こる。
パレスチナ人が自爆攻撃をしても、
自爆攻撃者と同じ環境を共有する普通の人の間には、
その結果のもたらす直接的悲劇のもたらす哀しみとは別に、
やはり「尊敬」という感情がわきおこっているのだろうと思う。
それの行くつく先に9・11があったのだと思う。
それは、現代世界の正義を考え直す絶好の機会だったのに、
我々はそれをまったく逆に不正義の飛躍的な増加の機会にしてしまった。
自滅の道を進んでいるとしか思えない。
それとも、僕の頭がおかしくなってしまったのだろうか。

昨日、東京で国連本部のASG(Assistant Secretary General)の一人と話す機会があった。Counter-Terrorismが話題になった時、僕はCounter-Terrorismという名目で行っていることが、あまりに稚拙な理論に基づいた暴力に頼った行為なので、実際の効果としては、Counter-Counter-Terrorismになってしまっていると言うと、彼女は吐き捨てるような勢いで、言いたいことはよく分かる、なぜテロが起こるか考えなければいけないのに!と言って、あとは口ごもっていた。ASGともなるとさすがに、特定の国の批判になるようなことはぺらぺら言えないだろう。

* * *
バンコクの新聞の一面は、津波関係の記事でうずまっている。金髪の小学生くらいの、とても可愛いが、うつろな目をした女の子の写真が大きくのっていた。津波で両親がなくなり、本人の顔も傷だらけだ。この女の子は何も覚えてないという。誰か知っている人がいないかと、この子が収容されている病院が探している。

一番大きな見出しは、Govt 'has aid priorities wrong' というものだ。"The government does not give the people what they want but give them what they don't want"の一文で要約される話だ。要するに、トンチンカンな援助を批判している。
妊婦や幼児、老人を一刻も早くテントから、まともな施設に移すべき時に、政府は、permanent houseの建設に取り掛かっているとか、海の近くで船の世話をしなければいけない漁師達のために政府が急いで建築している家が内陸奥深くにあるとか、そんな話だ。
政府のトップーダウンのやり方が厳しく批判されているのだが、これらはバンコク・ポストとポスト・トゥデイという二つの新聞社がプーケットで主催した「The Giant Waves: The Turning Point of the State and Society」というタイトルのセミナーで表明された意見だ。津波から約3週間だが、早くもこれまでの対応に対する反省が始まっているということだ。このセミナーの結論は、次の言葉で集約されるだろう。「Don't do anything for the people without listening to them first.」

ホテルのテレビに入っているNHKでは、自衛隊の人がインタビューにこたえて、今月末(!)には医療活動を開始したいとか言っていたが、いったいなんのこと?まさか同じ津波の話ではないでしょ、としか思えなかった。そんなにゆっくりやってくるんなら、医療より、それこそpermanent houseの建築を手伝うとか、タイだけで、生き残った人の1割、800人以上の人が身体障害者になってしまったそうだが、そういう人たちのリハビリとか必要な器具や施設を供与するとか、タイでは身元不明の死体のデータの収集とプロセスでもめているのだが、そういう処理の協力をするとか、非常に長期的な取組が必要になる生き残った人のメンタル・ケアに50年くらいのスパンで取り組むとか、なんかもっと現実的に必要なことをすればいいと思うのだが、のこのこと一ヶ月もたってから「緊急医療施設」をオープンするなんて、もうこれは日本の単なる人気取り(ポピュリズム)としか思われなくてもしょうがないだろう。

Tuesday, January 04, 2005

津波

オフィスのメールサーバが二日間止まってる。えらいこっちゃと思うが、

毎晩、ゲストハウスに帰るとテレビをつける。ニュースはBBC と Fox News と Sky Newsが入る。NHKも入ったり入らなかったりする。
Sky News はこのところ24時間、津波関係のニュースだけを流している。まったく他のニュースを流さない。一切なし。思い切った決断だと思うが、弱小ニュース番組としては、これが最適の作戦なのだろう。僕もついついSky News を見ている。自分の家族や親族や友達なんかがこの津波に巻き込まれたりしていたら、やはりSky News を見続けるだろう。BBCもFox News ももちろん津波のニュースを精力的に流しているが、その直後にまったく素っ頓狂なCMが入ったり、笑顔で流すしかないニュースが続いたりするから、さっきまでのキャスターの深刻な顔がウソみたいにに見えてしまう。

アンダマンのある島で自分の子どもが三人行方不明になってしまったお母さんがあちらこちらのキャンプを訪ね歩く映像が出ていたが、見ているのもつらい気分になる。しかも、そんなお母さんが何千人か何万人かいるとは。

国連の人道調整室のトップの恐ろしくもたもたした会見がテレビで流れていたが、ああいうのを見ると、結局、米軍の素早い動きに頼らざるを得ない現実が、いよいよ明白になってくるなあ、なんてことを思っていると、昼間別のところで会った友人(国連職員)が国連が調整なんて乗り出してきて津波の被害者に同情するよと言っていた。もっと悲惨なことになるだろう、と。確かに・・・。

Saturday, January 01, 2005

共通点?

Kylie Minogue, Ashley Judd, Faith Hill, Charlize Theron, Lauren Holly, Angelina Jolie, この6人の共通点は何だろう?

たわいのない話。
ゲストハウスでぼやーっとテレビを見ていたら、トム・クルーズの「マイノリティ・リポート」が始まった。なんかトム・クルーズの映画は、映画を見せるより、トム・クルーズを見せるという感じで、日本のアイドル映画みたいになってしまうなあと思っていると、最近、飛行機の中で見た「コラテラル」を思い出した。これはトム・クルーズを使う意味が全然ない映画だと思ったものだ。もっと地味で渋い俳優を使えばいい映画になったかもしれないのに、トム・クルーズの人気に頼るという意地汚い根性を出したばっかりに駄作になってしまっていた。
トム・クルーズが悪いとは思わない。「カクテル」とか「トップガン」では彼が似合っていると思う。

そんな話をゲストハウスにいる別のスタッフとしていると、誰がかっこいいと思うかという話になった。いろんな名前が出てきたが、知ってる名前はほとんどなかった。はっきり分かるのはキアヌ・リーブスくらいで、僕も彼はカッコイイと思う。

さて、女性では誰だろう?と考えて、思い出したのが上の6人だった。


全然話は変わるけど、「Where has the aid money gone?」というタイトルの記事が元旦のAfghan On Line News のトップに出ていた(オリジナルは12月30日に出たようだ:By Abdul Baseer Saeed in Kabul (ARR No. 155, 30-Dec-04) Source: Institute for War and Peace Reporting)。

小見出しは、「The international community defends the projects it has undertaken in the country but some Afghans feel there is little to show for the billions being spent. 」

つまり、国際社会の側はがんばったと言い張ってるのだが、アフガン人の中には何十億ドルもつかったわりには何も変わってないがなと思っている人がいるという話なのだけど、これはこっちに来てから、普通の市民であるドライバー達から政府高官にいたるまで何度も話題になった話だ。

「Despite the enormous amount of international aid being pumped into Afghanistan, some people in the country feel there are few visible signs of improvement.
It is estimated that Afghanistan has received nearly 14 billion US dollars in the past three years.」

「過去三年間に14億ドル近く使って、目に見える改善はほとんどないと感じてるアフガン人たちがいる。」

「Yet roads and buildings are still in ruins; power supplies are irregular; medical facilities are poor; school construction is lagging; and there is not enough fresh drinking water.」

「道路も建物もボロボロのまま、停電はしょっちゅう、医療施設は貧弱、学校の建設は遅々としている、飲料水も十分でない。」

こういう話に続いて、アフガン人がインタビューされ、その言葉が引用される形で、目に見えて改善したのはカブール・カンダハル道路くらいではないか、しかし、どうしてカブール・ジャララバード道路はいつまでたっても終わらないのだ、こっちの方がもっと使うじゃないかとか、カブールの穴ぼこを埋めている暇があれば、もっと他のことにお金を使えとか、いろんな話がでてきて、最後にラマザン・バシャール・ドストという暫定政権で計画大臣をやっていた人が登場する。この人はNGO批判をしばしば行ってきた人だ。

"Around 67 million dollars was allocated to reduce unemployment, but the number of unemployed has risen.

「失業を減らすために6700万ドル使われたが、失業者は増えた」と彼は言う。しかし、そういうことはどこの国でもあるだろうと思うのだが、

"The government must explain its policies on aid. Our engineers are paid 60 dollars a month but the government brings in people from abroad at vastly inflated salaries with no knowledge of the country to undertake projects that don't meet the needs of the people.

「アフガン政府のエンジニアの月給は60ドルだが、アフガン政府は外国からとてつもなく高い給料のエンジニアを呼んでくる。彼らはこの国のことを何にも知らず、アフガン人のニーズに合わないようなプロジェクトをやりにやってくる」と彼はいい、そして、彼は続ける。「彼らは金をもらったら、さっさと逃げるだけだ」。

確かに、月給60ドルでアフガニスタンにやってくるエンジニアはいないだろう。最低でも、その100倍、いや保険やらなんやらを入れたら、国際社会から「援助」にやってくるエンジニアのコストは一月当たりアフガン人の200倍は超えるだろう(日本からやってくる「専門家」ならそれどころじゃない)。これを高いと見るか、妥当と見るかは、国際社会からやってくる「援助ワーカー」の質と密接に関わるだろう。つまり、アフガン人の200倍の質(and/or 量)の仕事をやってくれるなら、月12000ドルのコストは高くはない。しかし、せいぜい10倍くらいの質や量の仕事をやってくれるくらいなら、貴重な援助のお金をそんな「援助ワーカー」に使う必要があるだろうか、ということになる。そして、彼の憤懣やるかたないところはまさにそこにあるのだろう。アフガン人の質の何倍かなんて議論するどころか、国際社会からやってくる「援助ワーカー」はアフガニスタンに関して無知まるだし、まったくろくでもないプロジェクトをしていると言いたいのだと思う。

さて、これは事実だろうか?僕はアフガン人ではないので、判断に自信がない。しかし、僕の目で見るだけで、なんでこんなバカなプロジェクトをやっているんだろうというような例は枚挙にいとまがないというのは残念ながら事実だ。それがアフガン人から見てもそう見えるのか、アフガン人から見たら非常にいいものに見えるのかはもちろん分からない。

この後、このアフガン人記者は精力的に国際社会側を取材している。EU、アメリカ、日本、ドイツの現地代表者に当たる人をインタビューして、彼らの話をほとんどコメント抜きで載せているのだが、どうも反駁として強力なものにはなっていないように思う。ここは誤解を招いて外交問題になるといけないので、そのまま載せておこう。

■John Myers, director general of the European Commission's humanitarian aid organization, ECHO:
"Whether or not all of the schemes we have undertaken are successful or not I cannot say but we will carry on until the government is in a position to take over. One of the major problems we have is that we cannot force NGOs into areas where there is no security."

■Patrick Fine, mission director of US Agency for International Development:
"In general terms, we are satisfied that they carry out their functions properly. We are constantly evaluating their work."

■Norihiro Okuda, Japan's ambassador to Afghanistan:
"We are very pleased with what has been achieved and at how our contributions are used," he said. "But there is still so much more to be done."

■Mirco Kreibich, the first secretary for development, cooperation and humanitarian Aid at the German embassy:
"And how successful are these projects? Twenty years of war has left Afghanistan with much to rebuild and I cannot say that everything we attempt will be guaranteed one hundred per cent success,"
"But we have to keep on trying, don't we?"

挑戦し続けるしかない、っていう文句はカッコイイのだけど、やめた方がいいってこともあるかもしれないではないか、と思うのはひねくれすぎだろうか。

僕のいないクリスマス、とお正月

「サンタさんに矢印を作った」
「・・・そうか、サンタさんに矢印を作ったのか。それは良かった」

子どもと話をしていると、何を言っているのかすぐには理解できないことがしばしばある。しかし、そこには必ず何か私の知らないこと、知らない文脈 がある。 お前の言っていることはさっぱり訳が分からない、なんて言うのは論外であるとしても、それを、つまり自分の理解していないものをなんであるかを直接聞き出 そうとするのも、まずほとんど例外なく訊問のようになってしまい、子どもとのコミュニケーションの小さな入り口であるかもしれない瞬間をぶち壊しにしてし まう。

異文化の人々との後悔に満ちた経験を重ねた後、私は子どもに出会った。私はおそらくまた子ども相手に同じ失敗をしでかし、苦い後悔 を繰り返すだろうということを覚悟しながらも、なるべく小さな後悔ですむように願っている。そして、鈍った感受性を補完するために、私はしばしば時間をか せぐ手に出る。

「で・・・」と私が言いかけた時、子どもはすかさず「サンタさん、ちゃんとプレゼント持ってきた」と言ってくれた。矢印とサンタとプレゼント。この三つを私は素早く繋がなければならない。矢印がサンタさんを誘導してくれたのか?

「あのね、バルコニーにね、矢印をつけておいたから、サンタさんが来た」
「そうか、良かったな、それでサンタさんはちゃんとプレゼントを持ってこれたのか」
「うん」

おぼろげながら、彼の言っていることがのめてきた。
彼 はクリスマスに自分の欲しいおもちゃをサンタ・クロースが持ってきてくれるかどうか、かなり長い間深刻に心配していた。私はそれが仮面ライダーブレイドの 使うブレイブラウザーという武器であることを知っていた。12月初旬に日本を発ち、クリスマスも正月も日本には戻れないだろうということが分かってから、 私は日本を発つ前にそれを買って自分の部屋に隠しておいた。クリスマス・イブの夜に妻がそれをクリスマス・トゥリーの前に置いておくという手はずであっ た。

カブールへ行く途中に立ち寄ったニューヨークから家に電話をした時も、カブールに着いてから電話をした時も、そのおもちゃの名前を知 らない彼は何度も私にそれがどんなものであるか説明しようとしていた。それは実際かなり説明の難しいものなのだ。トランプのカードがその武器のカードトレ イに入り、そしてどういうわけかそれが武器でもある・・・私にもさっぱり分からない。

分かった、ちゃんとサンタに伝えておく、というのが 私のお決まりの返事になっていた。そして、やがて私はカブールで家族のいない仕事だけの生活に徐々に没頭し始め、彼は日本で父のいない生活の中でサンタ・ クロースが自分の欲しいおもちゃを確実に持ってこれるように一人で考え込んでいたのだった。

彼はある日サンタ・クロースがどこから来るの かと妻に訊いたそうだ。玄関のドアから来ると思っていた彼は、そのカギを開けておかなければいけない、ということに気がつき、心配になってきたのだ。妻 は、サンタ・クロースはバルコニーからやってくると答えた。すると、彼は別のことが心配になった。集合住宅のバルコニーは外から見ればどこも同じに見える ということに思いがいたったのだ。彼はサンタに自分がどこにいるか知らさなければいけない。彼は画用紙を取り出し、子どもの絵を描いた。それは自分だ。そ して、それを指す矢印を大きく描いた。それはここに自分がいるという表示であった。その画用紙を彼はバルコニーに面するガラス戸に貼り付けて、クリスマス を待ったのだった。

しかし、彼はそれでも安心しなかったらしい。一人でクリスマス・カードを作り始めた。サンタ・クロースに宛てて。

そ して、自分のおもちゃを一つ取り出し、それを紙で包んで、クリスマス・カードと共にクリスマス・トゥリーの前に置いたのだった。それは彼からサンタ・ク ロースへのプレゼントだった。彼はサンタ・クロースがやってきて、自分へのプレゼントがなければ怒って帰ってしまうとでも思ったのだろうか。それとも、自 分が欲しいプレゼントをもらうためには、自分も何かあげなければいけないと考えたのだろうか。

子どもは何を考えてどういう行動をとったの かなど、すすんで説明しようとはしない。私はただ電話でそういう成り行きを妻から聞いただけだ。子どもが考え、そしてその考えのもとにとった一連の行動を 話しながら妻は楽しそうに笑っている。私も笑った。確かにおもしろい。5歳の彼は目に見えないサンタ・クロース、まったく手のうちの分からないサンタ・ク ロースを相手になんとかして自分の意思を伝えようとしていたのだ。私は胸のあたりが少し苦しくなるのをこらえながら、雪の降り始めたカブールで妻の話を聞 いていた。

大晦日。雪が解けてぐちゃぐちゃになったカブールの路地。