Saturday, November 01, 2008

空手

毎週木曜日に長男が課外活動の空手クラブに行く。先週初めて最初から最後までその様子を見てみた。小さい子どもが11人に大人の女が二人、助手のような高校生くらいの男が一人、そして大学生くらいの先生が一人。子どもの女の子と男の子が半分ずつくらいだった。道場のようなものはないので学校の中の体育館で練習する。子どもを体育館まで送ってきた親たちは普通一度どこかに帰ってまた迎えに来るようだ。体育館には僕以外にアメリカ人のお父さんらしき人が二人残った。

一応、ハジメとか、ヤメとか、レイとか、日本語が先生の口から出てくるのだが、おそらくデンマーク人であろう先生の発音が妙に突拍子もない奇声を発しているように聞こえて、思わず笑えてくる。中には日本語の単語だろうと思うのだが、いくつかどうしても何を言っているのか分からない言葉があった。

バレーボールの課外活動にも長男は参加しているので、それも一度見たことがあるが、デンマークの学校では規律みたいなものがとても希薄で、それは空手クラブでもたいして変わりはなかった。但し、空手の先生の方ははるかに意図的に規律や礼儀や尊敬のような観念を伝えようとしているように見える。しかし、その努力もむなしく空回りしていた。

子ども達の空手の練習は壊滅的に混沌を極めていた。日本の先生なら怒鳴り散らして、昔なら(僕の子ども時代なら)おそらく二、三人は竹刀で叩きのめしていただろうと思えるような状況が展開している。それでも先生は何回かは神聖な道場にほんの1分から2分の静寂を取り戻していた。そこに、アメリカ人の父親二人が延々と話す声が漏れてくる。ほとんどずっと経済の話をしている。家を買おうと思って探しているがどうしたこうした・・・。こそこそ話しているのだが、このお喋りの邪魔さかげんには明らかに気がついていないようだ。

子どもが育っていく過程で、自由と規律の間に、どこに重心を置くかは難しい問題だ。才能というのは規律とはまったく相容れないところで炸裂するようなところがある。個々の才能を必要としない制度を作るためには完璧な規律を達成するのがもっとも効果的だろう。しかし、それでは個々の人間の存在とはいったい何なのかという根源的な問題に直面するし、そのような社会はやがて停滞し朽ち果てていくだろう。しかし、まったく全ての個々人に制御されない自由が与えられた社会というのはそもそも言葉として矛盾している。それなら社会が構成されない。ある程度の規律があるからある程度の自由が保障される。

自由の側に大きく振れている国から来た人と、規律の側に大きく振れている人の間には、大きな違いがある。日本人は後者のグループの代表的な国民だと思う。そして、日本の外に出る限り、それは明らかに偏りすぎている。個人としては勝手に自分の自由度を増加しようとして止まない大群の中では、単純に言って損をし続けるだろう。そして、さんざん損をしたあげく、社会に貢献していない分子として非難されるだろう。自由を声高に主張している人のほとんどが単に社会のフリーライダーであっても、規律正しい日本人はふんだりけったりの目に合う。

この空手はスシだなと思った。日本の外で見るスシとこの空手はよく似ている。どちらも日本発であるのだが、微妙にいろんなところが変形している。東洋に対する漠然としたエキゾチシズム、ゲイシャとソニーとマンガを繋げる不可解さ、あるいは単なる珍しいもの好き、もしくはほとんどゲテモノ趣味のようなものが入り混じって、スシやカラテが再構成されているような気がした。

練習が終わって、長男が着替えて出てくるのを外で待っていたら、アメリカ人の父親が空手の練習に参加していた女に陽気に話しかけている。

「ヘイッ、見てたよ、空手ダンスなかなかうまいじゃないか!」

衝動的に顔面に蹴りを入れたくなった。

Sunday, October 19, 2008

“ただの混乱”

米大統領選と恐慌寸前の世界経済のニュースでメディアはほとんど占領されてしまっているようだが、それでも、一般人の生活とは遠く離れたところで起きている出来事のような印象を受ける。それだから、大衆はダメなんだという意見もあるだろうが、その一方で、一般人の冷静な対応がパニック状況を未然に防いでいるという意見もあるだろう。

米大統領選は、民主党大統領候補のオバマが、フセインという名前を持つこと、黒人であること、若いということ、共和党大統領候補のマケインが、高齢であるということ、副大統領候補に若く中央政治の経験のない女性を指名したこと等など、話題を見ると、選挙というよりも、新商品のマーケティング技術やショービジネスのあらゆる専門知を結集した競争になっている。髪型や、スーツ、シャツ、ネクタイの組合せ、ちょっとラフな格好にしてみる場面、ボタンを二つはずすか三つはずすか、そでをまくりあげるかどうか、なにもかもが徹底的に計算されて選択されたのだろうというのがテレビ画面から見えてくるのも、関係ないがコッ恥ずかしい感じもする。

そう、そんな本来どうでもいいようなところに、我々の視線は見事に誘導されてしまっている。で、外交政策の違いは、どうなんだ?経済は?医療は?教育は?となると、いまいちピンと来ない。ちゃんと新聞を隅から隅まで読んでいる人には見えているのだろうが、そんな人が有権者のいったい何%いるだろうか。結局、心の底深くに潜んでいる偏見や、みもふたもない表面的な好感度だけで投票にいたるという有権者の数の方が圧倒的に多いだろう。

オバマ対マケインという構図は最後までしっくり来ない。賢い人がいろいろなことを言っているが、それをまとめると、ブッシュがめちゃくちゃにした8年間をどうするかというのが、この大統領選の本題ではないのだろうか。そうすると、オバマであろうとヒラリーであろうと、民主党には圧倒的に有利な条件の下で戦えるはずだった。オバマはそれを裏切らずにここまで善戦してきたとも言える。しかし、ここまでハンディキャップをもらっておきながら、この接戦というのは不気味でもある。状況的には圧倒的に有利でも圧勝に持ち込めない、そこが怖い。実際何が起こるかまだ分からないと思う。


* * * * * *

一方でアメリカで始まった金融破綻が世界中に広がり、世界中の政府がなんとか自国経済を守ろうとして次々に救済策を発表している。しかし、アメリカの資金投入がUS$ 700,000,000,000 とか言う話になってくると、あっという間に一般人としては感覚をうしなってしまう。そんな数字は生活の中に入ってこないからだ。崩壊過程の長い連鎖のどこかで繋がり、自分の小さな家庭を崩壊させる怒涛の嵐が、突然現れるのもそんなに遠い話ではなさそうなのだが。かといって、何ができるか言えば、とりあえずは何もすることがない。

* * * * * * 

世界全体の経済が縮小すれば、我々の業界に配分されるお金も当然減るだろう。そして、その兆候は既に出ている。来年の予算の編成期なのだから、それに敏感に対応した予算削減策を講じないといけない、というのが普通の考えだろう。ところが、100億円の予算のうちに、実際に裨益者に渡るお金が50億円だったとしよう。他の50億円は官僚組織間を通過するたびにピンはねされ、最終的には職員が食ってしまったわけだ。これだけで、言語道断と怒鳴る人が二人か三人くらいいても良いと思うのだが、もうそういう人はほぼ絶滅しつつあるのが、この業界の実情でもある。国連からの頭脳流出が始まって既に久しい。

さて、来年の予算が100億円から50億円に減ったとしたら、どうするか。ことは国際協力ではないか。なんとしてでも、裨益者の減少分を最低に抑えるべく、予算縮小を元々肥大化している官僚組織のスリム化でもなんでもして吸収するべきだというのが、まっとうな考えだろう。

しかし、予算縮小の匂いを嗅ぎ取って、真っ先に見えてくるのは、自分たちのポスト(職)の確保・維持に奔走する輩だ。いまさら驚きでもなんでもないのだが、美しく響く人道援助は、こういうあからさまな貪欲さと表裏一体になって実施されてきたというのが事実なのだ。それがどうした、と言えばどうもしないのだけど、それでもあなたやりますか?

* * * * * *

テレビを見ていたら、米大統領選と世界経済の凋落にひっかけて、日本の政治もちょろっと出てくるし、日本の株価下落もちょろっとニュースに出てくる。しかし、それは中国やインドやドバイのニュースとそれほど異なった扱いを受けるわけでもない。突然、政治部門のニュースからナショナル・ジオグラフィックのチャンネルに変わったのかと思うくらい、世界の蚊帳の外の奇妙な部族の動きを紹介しますなんて調子で日本のニュースを世界に放映している。日本の個人名はひたすら覚えにくいのだから、誰がどうしたこうしたなんて話はとんと世界には届かない。日本の政治の行く末が世界に与える影響なんてことを話す人もいるが、ブータンで憲法が施行される方が大きなニュースになるのは間違いないのだ。

到着したばかりの新潮社『フォーサイト』を読んでいたら、日本政治に関するコラムで、“ただの混乱”という見出しを見つけた。これは実にすべてをうまく物語っている、絶妙の見出しだと思った。明日、もし誰かに日本の政治のことをきかれたら、「ただの混乱」と答えることにしよう。

Friday, October 17, 2008

静かな車両

ストックホルムから帰りの座席はQuiet Zone というところに指定されてしまった。
インターネットで座席も選べるのだが、あいにく4人が固まって座れる場所はQuiet Zone にしかないらしく、何度やり直しても、同じQuiet Zone の席が出てくる。

静かに列車の旅を楽しみたい人のために、そういう車両を設けているらしい。i-Pod のようなもので音楽を聴くのもダメ、喋るのもダメだと書いてある。しかし、同じ車両がペット可の車両でもあるのが妙だ。

5歳と9歳の子どもと列車に5時間沈黙して乗るのは100%不可能だ。しかし、とりあえず昨日から子どもには明日はQuiet Zone に乗るのだから、大騒ぎしてはいけないと何度も言ったが、それさえ聞いていない。

いざ乗ってみると、我々のほかに4組の乗客がいる。4,5歳の子ども二人とお母さん、2歳6ヶ月の赤ちゃんを連れた夫婦、そしてドーベルマンを一匹連れた男、そしてマックブックを持った若い男一人。どう考えてもこの組合せで静かな車両を達成するのは不可能だと思ったが、案の上、30分もしないうちに、4,5歳の二人の子どもは喧嘩を始め、母親は怒鳴り散らし、赤ん坊は泣き喚き、ドーベルマンは主人がトイレに立つ度にクーン、クーン、と悲し気な声で同情を一身に集めようとし、わが息子二人は親の忠告をまったく無視してゲームを始めて大騒ぎしている。もう、めちゃくちゃな喧騒状態になり、唯一静かなマックブック男一人は他の車両に逃げていった。

バカ親の言い訳になってしまうが、これは鉄道会社側の企画が甘かったとしかいいようがないと思う。Quiet Zone を作るなら一人席のみにするべきだっただろう。テーブルのある席をQuiet Zone に入れてしまうと、家族連れはテーブル席を指定する傾向が高いのだから、彼らがQuiet Zone の席を占領する可能性は極めて高くなるではないか。今からでも遅くないから、Quiet Zone の実施方法を変えてみたらどうだろうか。

ところで、X 2000 の料金、後で計算してみると行きと帰りで4人の合計料金が100ドルも違う。元々安いのでこの違いは大きいかもしれない。

17 OCT 2008 (Friday)
Stockhom C - Malmo C
12:20 - 16:46
SJ, X 2000 533

Malmo C - Copenhagen C
17:02 - 17:37

Child 10 SEK
Adult 990 SEK
Total 2,000 SEK (270 USD)

Thursday, October 16, 2008

Icebar

テレビでIcehotel のドキュメンタリーを見たことがある。氷だけでホテルを作るのだが、これが大当たりして、商業的にも大成功したらしい。そこに氷だけでできたIcebar もあるのだが、今はストックホルム、コペンハーゲン、ロンドン、東京の4箇所にもあるらしい。

コペンハーゲンのIcebar は家から歩いて20分ほどのところにあるが、行ったことがなかった。人生の半分以上を大阪で過ごしたにもかかわらず通天閣に行ったことがないのと同じかもしれない。しかし、氷に囲まれたマイナス5度のバーは子どもには受けるかもしれないと思って行ってみることにした。

ウェブを見ると何ヶ月も前から予約をしてわざわざ外国からストックホルムまでやってくる人の話や、観光バスがやってきてドッと客が入ってくる話やら、どうも行く気の失せる内容が目に入る。あまりとんがった人たちと遭遇したくないので、4時半の開店早々に行くことにした。

ストックホルムの気温はすでに摂氏10度ほどでかなり寒く感じる。僕はコートを着ていたのだが、Icebar の中に入る前にコートの上からさらにぶ厚いケープを着せられた。それでも、Icebar の中は、当たり前だが寒かった。40分間の交替制らしいが、40分いるのは難しいんではないだろうか。

















氷でできたグラスでウオッカを飲むのだが、この寒さではなかなか酔わないだろうと思った。15分くらいいたと思うが、想像してたよりおもしろい体験だった。もの好きな観光客は何千万人もいるのだが、一人一回行くまで当分Icebar はもつだろうと思った。

Tuesday, October 14, 2008

X2000

予定を一日早めて先週の金曜日にNYから帰ってきたのは、翌日の土曜日から1週間ほど日本に帰って済まさないといけない私用があったからなのだけど、それが変更になり、休暇届も出していたので、結局家族でちょろっとストックホルムに行ってみることにした。

コペンハーゲンからストックホルムまで5時間ほどで行くX2000 という日本で言えば新幹線のような列車があるので、それに乗ってみることにした。最高時速は260キロだとか、振り子のように車体が動く構造になっていて揺れを吸収するとか、車内でインターネットが使えるとか、ウェブを見るといろんなことが書いてある。北欧自慢の列車なのだ。

インターネットでEチケットの予約も購入もできる。おもしろいことに、値段が変動相場制なのだ。時間や曜日によって人気度(乗車率か?)が違うので、人気の高いものほど値段も高くなっている。

Eチケットを買った後は、飛行機と同じでインターネットでチェックインすることができる。チェックインすると搭乗券みたいなものがPDFで登録したEメールアドレスに送られてくるので、それをプリントして持っていくことになる。ネットの接続とクレジットカードですべて済ませる。飛行機とまったく同じだ。

それが便利か、というと、日本の新幹線のように駅にかけこんで自動券売機でパッと買って乗る方が結局便利なような気もする。こういうのは、その土地になれているかどうかなのだろう。

乗り心地は新幹線と比べてしまうと、比較にならない。これで5時間はきついと思わせる座席だった。そんなことよりも、この振り子式というのは、どうも横揺れを感じ過ぎてよくない。久しぶりに車酔いのような状態になってしまったが、後で聞くと妻も子供もみんな同じ症状だった。

農村地域をずっと走って行くので景色はよい。食堂車もあったが、サンドウィッチか電子レンジで温めるようなものしかないので、お弁当を持って乗るといいと思う。一度乗って見るのはいいかも。
http://www.sj.se/sj/jsp/polopoly.jsp?d=10&l=en 

ストックホルム中央駅は大きかった。人がたくさんいる。お店もうじゃうじゃとある。大都市特有の小規模の混沌もある。素晴らしい。まだ、何も見てないが着いた瞬間に心に落ちつきが出てきた。これはコペンハーゲンと全然違うではないか。誰だ、似たようなもんだなんて言っていたやつは。

14 OCT 2008 (Tuesday)
Copenhagen C - Stockholm C
08:31 - 13:40
SJ, X 2000 530
Child 5 SEK
Adult 634 SEK
Total 1,278 SEK (172 USD)

Sheraton Stockholm Hotel
14 - 17 Oct 2008
8,224.98 SEK (1,106.8 USD)

Saturday, October 11, 2008

やる気をなくすとは

NYで仕事のやる気をなくしている人の話を聞いた。
自分の職場ではあまりにも頻繁に毎日聞いていることなので、別に珍しくもなんともないのだが、その人はよく考えるとかなり社会的に偉い人だし、その職種も若い人がもっとも憧れるものの一つだろうし、ものすごく難しい競争にも勝ち抜いてきたのだろうと思う。仕事のやる気というのは、そういうこととはまったく関係なく、なくなったり出てきたりするもののようだ。

いったい人はどういう時仕事のやる気をなくすのだろう?
その人の話を思いっきり要約すると、仕事の相手の多くが仕事の本質をまったく考えていない、まったく関係ない動機を元に仕事を動かそうとしている、あるいは動かそうとしていない、つまり仕事に対して不誠実極まりない、そういう相手とはやってられない、ということのようだ。そんなことを言ったら目噛んで死ぬしかないと思うくらいよく分かる話だ。

それでもやる気を出すためにはどうすればいいのだろうか。僕が遭遇した仕事相手も大多数はこの人が遭遇している人と似たり寄ったりだったと思う。偶然にも極めて特殊な人たちばかりと遭遇してきたなんて可能性はかなり低いだろうから、仕事の本質などどうでもいいというのは全世界の多数派を占めるのではないだろうか。

向こうを変えるという努力もあまりに相手が多いのでやがて挫折してしまうだろう。そうすると、そうでない人もこの人のようにやる気をなくしてしまって、多数派の一部になるのかもしれない。どうしようもない集団はますます濃度を深めることになる。

それも嫌なら、多数派からひたすら離れて、仕事の本質を追及する人たちを探し求めるのだろう。それが成功すれば、この人に似た人が集まり、極稀におそろしく仕事ができる集団が生まれるのだろう。しかし、成功しなければ・・・。飲み屋のおっさんのグチの基本構造は皆同じような気がする。

Friday, October 10, 2008

また慰安旅行かと陰口を叩かれています

今日NYから帰ってきた。昨日の午後3時にLong Island のMontauk というところからバスでQueens まで行き、そこからタクシーでJFK空港に行って、パリ経由でコペンハーゲンに着いたら、ちょうど1日後の午後3時だった。6時間の時差があるので、16時間移動していたことになる。意外と疲れていない。

JFKからの出発便はいつも遅れるが今回も遅れた。離陸してから機内で、パリの乗り継ぎ時間が1時間しかないことを考えると、もうコペンハーゲンまでの乗り継ぎ便は諦めるしかないな、パリで一泊してこの前行って感動した『円』という蕎麦屋に行こうかなどと考え始めていた。

パリからEU圏内に入るので、ジャルル・ドゴール空港で入国(入EU)審査を通過することになる。世界中から観光客を集める国なので、これが結構長い列になる。それからまたEU内便の搭乗のためにセキュリティのチェックの長い列に並ぶ。そんなステップを考えると、パリに到着した時間がコペンハーゲンまでの乗り継ぎ便の出発時刻だったので、もう100%乗り遅れただろうと思いながら、搭乗ゲートまで一応行ってみたら、もう誰も乗客はいなかったが、そこにいる空港職員の人にきいてみると、僕が乗る予定の便はまだ離陸していなかった。これに乗ることを全然想定していなかったので、かえってあわてた。乗り継ぎ客のためにわざと遅らしたのかなと思ったが、真相は闇の中だ。

それにしてもフランス人はずっと英語が下手なままだとつくづく思う。フランス語に誇りを持っているから、英語を熱心に学ばないという説があるが、それが本当なら相当に強情ではないか。インターネットの普及は一気に英語の帝国主義的拡張を加速したと思うのだが、フランス人はそれに抵抗して必死にふんばっているのだろうか。日本は必死に迎合しようとしているにもかかわらず、結果的にはフランスと同じように英語の浸透が永久に不可能な国だと思う。

デンマークのように誰でも流暢に英語を使う国に慣れてしまうと、フランスとか日本はかなり特殊に見える。しかし、デンマークでも街の中の表示などは徹底してデンマーク語でつっぱるし、英語の新聞や雑誌も出版していない。日本でさえ英字新聞が何紙もあるというのに、これまた強情だと思う。英語を喋るだけなら喋ってやるが、書くものまで英語に侵略させてたまるかという意気込みを感じる。これもやはり、フランス人のように、デンマーク人の誇りから来ているのだと思う。

NYに1週間いたので、いろいろと会いたい人もいたのだが、結局半分は計画倒れに終わってしまった。出張に行くと、僕のような通常業務が続く仕事では、それに出張先の仕事を積み上げられるわけだから、当然全体の仕事量は増えてしまう。出張の時は出張の仕事だけという仕事をやれたらいいなといつも思う。それならいくらでも出張するのだが、固定コストのように常に付いて回る業務がある身ではそれははかない夢にしか過ぎない。

しかし、今からでも遅くないかも。どなたがそんな仕事斡旋してもらえませんか?

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3:00 pm Shuttle Bus from Montauk Yacht Harbor to Montauk Busstop
3:45 pm Hampton Jitney from Montauk to Qeens, $30
6:50 pm Taxi $28 to JFK
AF09 2250 1250+1 JFK - CDG
AF2350 1250 1445 CDG - CPH

Sunday, October 05, 2008

NYの日曜

身体の重さで目が覚めた。今日は日曜なので仕事にはいっさいタッチしないぞという概念にすでに興奮している、興奮力を利用してなんとか重いからだを立ち上がらせた。
今日の第一目標をラーメン屋の『一風堂』に絞った。
博多系のラーメンが久しぶりにおいしかった。

NYUの周辺をぶらぶら歩いていると何件かのコスチューム屋があった。当然ハロウィーンが目前に迫り、かき入れ時なのだろう。どの店も込み合ってる。息子二人の忍者コスチュームを買った。きっと大喜びするだろう、と父は思う。自分用には仮面を一つ買った。奥さんには以前怪しい黒いワンピースと黒い大きなつばのついた帽子を買ったのでいらないだろう。

その後、お決まりのBarns & Nobles に子供の本を買いに行った。しょっちゅう本は買っているような気がしたが、もう読む本がないといつもいっている。息子は二人とも本好きになっていくようだ。

息子の本を5、6冊かってから、自分の本もやはりほしくなる。買ったら重いからという抑制はあるのだがどうしても数冊は買ってしまう。


Wounded Warriors - those for whom the war never ends", mike sager, 2008.
強烈でしみじみと来ます。NYとパリの間はほとんどこれを読んでいた。








"THE WORLD WITHOUT US"
, Alan Weisman, 2007.











In the Land of Invisible Women: A Female Doctor's Journey in the Saudi Kingdom, Qnta A. Ahmed, MD, 2008.
奥さんにあげるつもりで買ったが、ちょっと読んでみるとおもしろい。全部読んでみよう。







その後に奥さんに頼まれていたセーターを買いに行くつもりだったが、もう時間がなくなった。一人でイロハ寿司で晩ごはんを食べて、ホテルに帰った。

Sunday, September 07, 2008

スリ作業中

コペンハーゲンにいる間は、家から徒歩30分圏の外に出ることはまずない。オフィスまでは毎日20分ほど歩いて行くし、コペンハーゲンの中心地まで歩いても30分もかからない。引越してきた当初は気がつかなかったのだが、都心のど真ん中に住んでいるようなものだ。

今日は次男の友達の誕生日パーティーのある場所まで行かなければいけないので、久しぶりにちょっと遠くまで電車に乗った。乗っている時間は30分ほどなのだが、ほんの少し中心部から離れると農村地になるので電車の窓から風景を見ていると遠出をしているような気分になる。日本中どこへ行っても県庁所在地の駅の周辺はやたらとコンクリートで醜くなっているが、ちょっと離れると美しい日本がひょこっと顔を出し始める、あの感じと似ている。あえて美しい日本という表現を使ってみたが、えらい人に妙な使われ方をされて以来、どうも違和感を感じてしまう。残念なことだ。

結局今日は半日ほど外で過ごした。帰りの電車が中央駅を通過する頃、車内放送を聞くでもなし聞いていると、珍しくデンマーク語と英語でやっている。スウェーデンからコペンハーゲン空港駅を通ってやって来る電車なので特別なのかもしれない。そもそも車内放送というものがめったにないし、あってもデンマーク語しか聞いたことがない。

"Please be aware that pickpockets are operating around the Central Station..."

これには笑った。語感としては「中央駅周辺でスリが作業中であるのをお伝えします」みたいな感じだ。意味は伝わるがおもしろい表現だ。

僕も2ヶ月ほど前、その中央駅周辺で財布をすられたのだが、その後遺症はまだ残っている。銀行のカードやクレジット・カード以外に自分の財布の中に何が入っていたかを正確に覚えているわけはないので、紛失による問題が発生するごとにちょろちょろとそれを思い出すことになる。pickpocket 達は今日もoperate しているんだろうな。

Saturday, September 06, 2008

ブルドーザー

5歳の次男の友達の誕生日パーティが明日あるというので、誕生日のプレゼントを買いに行った。長男は自分の友達の誕生日パーティに出かけていた。週末はほとんど誰かの誕生日パーティがある。同級生を全員招待する必要もないと思うのだが、どうやらそういう習慣が息子たちが通っている学校でも日に日に広まっている。ほとんど親の競争意識が原因ではないかと思うのだが、毎週末つぶれる結果になって結局親達が自分で自分の首を絞めるはめになっている。親は自分の子どもに関しては全世界普遍的にバカなのだろう。

日本米がなくなっていたので、それが買える店の近くでおもちゃ屋を探そうと思っていた。今まで気がつかなかったが日本食在店の斜め前がおもちゃの店だった。店の前を通りかかって、すぐに次男が気がついたのだ。

店の前のカゴにいくつかの商品がならんでいる。次男はまず凧をとりあげて、I think he likes this. と言っている。次に、全長25cmくらいのトラックをとりあげて、He likes a car.  I think he likes this. と言う。それから、もっと他のも見ようと言って店の中に入っていった。きっと自分のおもちゃが欲しくなって、それも買うはめになるだろうと、その時点で僕は覚悟していた。

しかし、次男はいっこうにそういうそぶりを見せず、友達のおもちゃ探しに専念しているように見える。次から次に、I think he likes this. をくりかえしてるが、すべてのおもちゃを取り上げてそう言ってるわけでもないので、どうも彼なりの基準、つまり彼が自分の友達が好きだと思うようなおもちゃの基準、があることは明らかだ。

しばらく店内を徘徊していて次男は大きなブルドーザーを見つけた。店頭にあったものと似ているが、大きさは2倍以上ある。次男は自分でもかなり興奮しているように見える。値札を探そうとしているが、見つからない。大き過ぎてただ持ってかえるのが面倒くさいなと思う。なんか他の小さなものを見つけてくれることを一心に願って次男を促して一応店内を一巡してみたが、全長60cmほどのブルドーザーの魅力を上回るものがない。他の店も見てみようかと言ってみると、次男はむしろそれもいいという顔をしている。

しかし、あんまり強行にブルドーザーを主張する様子がない。店頭にあった25cmほどのトラックはどうかと聞き返す。変だなと思って、あの大きいブルドーザーの方がよくないかともう一度きくと、次男は
Do you have money ? ときく。

一瞬あたまの中に、はあ?と言う言葉が浮かんだが、次の一瞬次男の考えていたことに気がついた。僕がブルドーザーを買うことに逡巡していることを感じ取って、次男は僕が十分なお金をもっていないのではないかと考えていたのだ。まだ次男の頭の中では大きいおもちゃほど高いということになっているのだろう。だから、小さい方のトラックなら大丈夫ではないかと考えていたのだ。実際おもちゃの値段とサイズが一致していた時代もあったのだから、子供がそう考えるのも大人が思うほどおかしなことでもないのだと思う。

それから、日本米と晩御飯の買い物をするとそれだけで、二つのショッピングバッグがいっぱいになってしまった。次男は自分のからだの半分くらいの大きさのおもちゃの入ったビニールバッグを両手でもって家まで運びきった。


Saturday, August 09, 2008

変な泳ぎ方

デンマーク語で解説するオリンピックの番組を見ていたら、どうもデンマーク語と中国語の音が似ているような気がしてきた。どちらも日本語にはあり得ない難しい音が入っている。激しく上がったり下がったりする点も似ている。両方分かる人に一度きいてみたいものだ。

小学生の頃、かなり真剣に泳いでいたので、今でも水泳競技が出てくると陸上競技なんかよりやや真剣に見てしまう。毎日25mのプールで2000m泳いでいた。学校代表になって校外の大会に行くと、当然50mプールなのだが、周りの人がよく言うような雰囲気に呑まれるとか、実際はそれ以前の話だった。もう、水が違うとしかいいようのない感覚を味わう。確かに自分の泳ぎが立てる波、それが戻ってくる波、何もかもが微妙に違うのだと思う。広さも深さも違うのだから、当然なのだが、測りようのないほど微々たる違いなのだろう。重油の中で泳いでいるような重たさ、溺れるような恐怖を感じたのをよく覚えている。まさか競泳に出て溺れた人は史上一人もいないだろうから、あの時溺れていたらもっともバカげた溺死として記録に残ったかもしれない。

マイケル・フェルプスはメダル8個の期待がかかっているそうだが、水中カメラが映す彼の泳ぎを見ていたら、意外なことに彼のクロールはどちらかというとクセのある泳ぎ方であることに気がつく。しかも、右と左のストロークに微妙にずれがある。どちらか一方で息継ぎをすると当然、左右のストロークを微妙にかえて調整してしまうのだが、トップスイマーはみんなきれいに、息継ぎなんかしていないかのように左右均衡のとれた泳ぎ方をしているものだ。

彼が日本の選手なら、きっと矯正されていただろうと思う。しかし、アメリカでは、そんなことしないのだろう。彼は彼の泳ぎ方にどんどん磨きをかけて世界記録を更新してきたのだろうと思う。

気になるのでネットで検索してみたら、NHKスペシャルで彼の泳ぎが取り上げられたことを知った。内容は分からないが「泡のでないストローク」という言葉があったので、きっと彼独特のかき方が分析されたのだろうと思う。

1972年のミュンヘン・オリンピックで7種目すべてに世界記録を出して、7個の金メダルをとってかえったマーク・スピッツには驚愕したが、彼のクロールも当時としてはとても個性的に見えたのを覚えている。実際は世界一速いにも関わらず、ものすごくゆっくり泳いでいるように見えたのだ。6ビートのバタ足が当然だった時代に彼は2ビートで泳いでいた。足の動きを見ていると、のんきに水中散歩でもしているように見える。その後、2ビートは珍しくもなんともなくなった。

日本では千葉すずのような選手が潰される。ちょっとした子どもの言葉に目くじらを立てるメディアに日本が滲み出ていた。日本のオリンピックの代表選考は日本そのものだ。スポーツとはまったく相容れない基準が根深く巣食っているとしか思えない。それぞれの競技で最高を目指している選手達には酷い話だと思う。

アメリカの代表選考がどうなっているのか知らないが、ニュースで知る限り、当然選ばれると思われていたスター選手が選考会で不振でぽろっと落選したりする。そこに、まったく無名で未知の可能性が入り込む余地が生まれる。過去の実績を考慮していると新旧の交代はうまく進まないだろう。

オリンピックを見ていておもしろいのは、変な泳ぎ方、変な走り方、変ないろいろが見れることだと思う。それでも、彼らは世界のトップクラスになったのだから、世界標準になったすべてのやり方以外に、まだまだいろんな可能性があるということを証明している。

マーク・スピッツと同じミュンヘン・オリンピックの平泳ぎ100mで金メダルをとった田口や、1988年のソウル・オリンピックの背泳ぎ100mで金メダルをとった鈴木大地もかなりオリジナルな泳ぎ方をしていたと思う。日本にも可能性がないはずがないと思うのだが。

Friday, August 08, 2008

グルジアとオリンピック

オフィスのフロアのところどころにあるInnovation Cafe というスペースの壁にテレビが張り付いてる。たいていBBCかCNNがつけっぱなしになってるが、たまにCartoon Network を見ている子どももいる。昨日はオリンピックの開催式典を見ようとする人が多くて、ずっとスポーツチャンネルがついていた。今後2週間ほどはオリンピックの中継が流しっぱなしになるんだろう。

オフィスではちらっとしか見れなかったが、家に帰ってテレビをつけると同じ式典を録画で流しているので、あらためて見ていた。中国は人が多いなあと、かなりとんちんかんなことを考えてしまう。オリンピックの式典なんだから、どこでやっても人が大量動員される。式典の催し物に出てくる人は多いに決まってる。しかし、ものすごい数の人をうまく使っているように思えた。ほんの数日前に見た北朝鮮のマスゲームがあまりに完璧だったので、それに比べると中国のは、やや自由度が高い、あるいはばらつきがあるように見えた。資本主義の汚染度が高くなってきている証拠かもしれない。

プーチンが映っている。ブッシュもいる。妙な気がする。今日はBBCもCNNも、すわっ、グルジアとロシアが全面戦争突入か、と凄い勢いで報道していたので、プーチンはこんなところでオリンピックを見ていて大丈夫なのだろうか、と思ったのだが、戦争とオリンピックを同時にこなせないような国家なら、それもそれで困ったことなのかもしれない。ブッシュも一方でイラク、アフガニスタン、いや全世界中で戦争中だし、中国もチベットやダルフールの紛争で延々とニュースに登場してくるが、ちゃんとオリンピックの方にも手が回っている。超大国が二つから一つになってまだ20年も経たないが、もうすぐ三大超大国になるのかもしれない。その頃、日本はどうなっているのだろう?また鎖国するのだろうか。

Thursday, August 07, 2008

も、もう負け?

あー明日始まるなと、やや高揚感を味わいながらテレビのチャンネルをバチバチを変えていると、サッカーをやっているチャンネルがあった。開催は明日なのだから、まさか五輪のサッカーとは思わない。古い録画かなんかかと思ってみていたが、五輪のマークが画面の右上にしっかり張り付いている。

ホンジュラス対イタリアのダイジェストをやってる。イタリアの勝ち。韓国対カメルーン、オランダ対ナイジェリア、オーストラリア対セルビア、コートジボワール対アルゼンチン・・・・次々にダイジェスト版が放映されている。

やっと、サッカーの初戦は開催前に始まったんだ!と納得したところで、日本対アメリカの放映が始まる。ダイジェストなので短い。あれっ?と思ったところで、1-0 で日本の負け。

オリンピック始まる前にもう負けちゃったわけですね。辛いですね、悲しいですね。負けると出る回数が減ってしまうわけでしょ。で、日本のゲームを見る回数も減ってしまうわけで、観戦の楽しみも奪われてしまうでしょ。そのへんのこともよく考えた上で負けて欲しい、一視聴者としては。
次にナイジェリアとオランダを蹴散らして・・・・いや、やるだけやってください。
でも、いろいろ言われてますなあ。ちょっと古いけど。

・オランダFWマカーイ日本の印象? I don't know(何も知らない)
・英ブックメーカー「WC、日本の優勝オッズは1001倍。(韓国は151倍)」
・オーストラリア代表ケーヒル日本の選手には本当にガッカリした。日本サッカーはアマチュアレベル
・クロアチア代表クラニチャル監督日本は無害だ。印象は危険性がないということだ
・クロアチア代表チームスタッフ注意すべき日本の選手?イチローだな(笑)」
・伊メディアかわいそうなジーコ」「ジーコは中村以外は才能のないチームの監督に当たってしまった
・ブラジルメディア日本は弱すぎて話にならない。取り上げる必要はない。ジーコがかわいそうだ
・英BBC日本-ブラジル開始前の実況)「エキシビションゲームの始まりです
・米ワシントン・ポストW杯ワーストチーム=日本を選出
・日刊スポーツ記者日本選手がミスをするたび、外国人記者から失笑が漏れる。恥ずかしさとともに、悔しさがわき上がってきた
・ブルーノメッツ今アジアのサッカーは、全般的に歴史が浅いためブーム的な盛り上がりになっている そしてそれを利用するビジネスが、サッカー以上に発達しており それが選手たちにとって非常に悪い環境になっている

Saturday, July 26, 2008

日本の映画もたまには

明日は休み、家族はいない、仕事はしないようにしようと決めていたので、夜中にテレビを見ていたら、日本の映画が出てきた。日本のテレビと同じでこっちの映画はデンマーク語に吹き替えして放映していることが多いのだけど、しばらく見ていたら字幕はデンマーク語で日本語のまま続いている。

やたら中学生が人を殺しまくる。キタノタケシが演じる登場人物の台詞のあちらこちらに日本人しから分からないような日本社会のパロディが現れている。ストーリーがあまりに荒唐無稽なので、よくこんなものを映画にしたなと思うが、解釈のしようによっては、めちゃくちゃな設定の中に日本を表現しようとしているのかもしれないとも思う。

徹底的にある一つの固有の国の映画だと思う。この映画は日本人でないといいも悪いも評価のしようもないのではないだろうか。それが悪いというわけではなく、日本という文脈を思い出す機会になった。ゲイシャもフジヤマも関係なく、日本人には、あー日本だなと分かるが、日本の外では説明するのが異様に難しいか不可能なものがある。

アメリカ映画やインド映画でもアメリカ人やインド人のみがしみじみと理解できる映画と、最初から国境を越えたaudience を想定している映画に分かれていると思う。前者の映画は日本人の僕にはとうてい理解できないものだろう。

それにしても、この映画のタイトルはなんていうのか気になったので最後まで見た。やっと最後に「バトル・ロワイアル」と出てきた。はっ!これが「バトル・ロワイアル」か、とちょっと驚いた。見たことはないが、この映画にはちょっとだけ縁があった。評判が良かったのか、ただ単に評判になっただけなのか全然知らないが、「バトル・ロワイアルII」の最後のシーンにカブール・ノートの一節を使わせて欲しいという依頼が来たことがあった。2002年か2003年だっと思う。猛烈に忙しかった上に、知らない人から毎日山ほどメールが来ていた頃だ。たぶん5%も返信できなかっただろうと思う。映画の内容も知らずにOKと返事したのは覚えてる。出来上がったらビデオくらい送ってくるかと思っていたら何も送ってこなかった。やがて、そのまま忘れてしまったのだった。

どういう映画に使われたのかが今になってやっと分かった。ウェブを見てみると、オリジナルは良かったがII は駄作という意見が多い。深作欣二監督が途中で亡くなられ、息子の深作健太が監督代行になったことを原因にあげている意見もあるが、そういうのは僕には判断のしようがない。たたし、一作目を見ただけで言うなら、「カブール・ノート」はたとえどこを切っても絶対に「バトル・ロワイアル」には合わないはずだ。バトル・ロワイアルの良さはそこにある。しかし、そういう無理な組合せをするところに監督の途中交代による映画作りの混乱が出てしまったのかもしれない。

でも、いつか機会があればII を見てみようと思った。

Monday, July 21, 2008

"You can get food out of it."

2週間経ったら、全部枯れているんじゃないだろうかと思いながら、家の中にある植物の鉢に水を大いめにやってから2週間前家を出たのだが、帰ってきてみると、みんな弱っていたがちゃんと生きていた。すぐに全部に水をやり始めたが、全部で11個の鉢に水をやるのは結構面倒なものだ。

コペンハーゲンに帰ってきてから二日目、鉢を見てみると見違えるように植物がピンとしている。土を触ってみると、もう乾いている。昨日やった水はきっと吸いきったのだろう。また11個に鉢に水をやることにした。

実はこれ以外にも三つ鉢がある。鉢というかプラスチックのコップなのだが。
前回カブールから帰ってきた時だから、6月のことだが、キッチンに行くと三分の一くらいの深さまで土を入れた、小さなプラスチックのコップからちょろちょろっと植物の芽が出ているではないか。5歳になったばかりの次男がそのコップの中に土とありとあらゆる種を入れていたのは母親から聞いていたから知っていたが、それが芽を出していたのだ。こういう生命の誕生を見ると、なぜか興奮するものだ。たまたまキッチンのイスに腰掛けてミルクを飲んでいた次男に、おいっ、見たか、植物の芽が出てきたぞっ!と興奮を隠し切れず話しかけると、次男は、軽くうなずいて、

"You can get food out of it."

と一言。
うん?それで食べ物が取れるよと言ったのだが、そういう見方をしていたのだ、次男は。

この次男はあらゆるものの根源を知りたがって、すべて質問するのだ。これは何でできているのか、どうやってできたのか、自動車から野菜から果物から家具から視界に入ったものはすべてきいたのではないだろうか。この質問に答えるのは実に難しい。科学技術が進めば進むほどすべてのものがブラックボックス化していくという未来学者が何十年も前にいたが我々を囲む世界は実際その通りだ。テレビはどうやってできているかとか、冷蔵庫はどうやってできているかなんて説明できる人はほとんどいないだろう。しかし、次男の質問はすべてそういうブラックボックスの中身に迫る質問なのだ。

次男のこれまでの、そういう経緯を考えると、なるほど土から芽が出てくるという現象を前にしての、次男のこの落ち着きは納得できる。彼は今一つの謎---ある種の食べ物がどうやってこの世に出現するかという---の解を実際に自分の目で見て、確認して、落ち着きを得た満足にひたっていたのではないだろうか。

「分かる」とか「知る」ということの本質を大人は忘れてしまっているが、子どもにはまだその本質しかない。子どもの会話することによって、大人は、あれっ?という立ち止まりと共にようやく本質に引き寄せられる。そして、自分の世界に戻ると、いかにうわべだけで中味のない生活に終始しているかということに思いがいたりぞっとする。

プラスチックのコップから出ていた芽はあまりにも弱っていた。もう茶色くなっているものもある。土もからからにひび割れしている。もうダメだろう、コップごと捨てよう、と一時は思った。しかし、どうしたものか、次男が帰ってきた時に現実を見せる方がいいのではないだろうか。そして、ほんの少しだ、生き返る可能性もある。別の種が芽を出し始めることもあるかもしれない。

結局、三つのプラスチックのコップにも水をやって捨てないことにした。

Saturday, July 19, 2008

混沌というか・・・

今日、イスラマバードからコペンハーゲンに帰ってきた。
イスラマバード空港でチェックインしようとすると、パスポートのコピーを出せと言う。ホンモノのパスポートを見せているのに、おかしなことを言う奴だと思って「そんなもの必要だなんてきいたことない」と言うと、チェックイン・カウンターの男は「20年間そういうシステムが続いているのだ」と真面目な顔して言う。思わず笑ってしまった。「その20年間にこの空港に100回はチェックインしているが、パスポートのコピーなんて一度も出せと言われたことない」と一応言ったが、どうも笑えてきて、本気で言い返す気力が出てこない。しかし、向こうは他の乗客のパスポートのコピーの束を出してきて、勝ち誇ったような顔をしている。本気で20年話を押し通そうとしているらしい。

実にバカバカしいのだが、実にパキスタン的でその束を見てまた笑ってしまった。そして、なんと、いつの間にかちゃんとパスポートコピー専門コーナーみたいなものがチェックイン・ロビーに出来ているではないか。そこに言ってコピーをしてこいと言う。20年話のプライドを傷つけても何も得るものはない。そっとしておくことにして、さっさとコピーをとってくることにした。

こういう第三世界の空港に行ったことがないと想像し難いと思うが、だいたい何も問題がなくても空港そのものが混沌の極地なので、プライオリティは、あるべき世界像(あるいは真でも善でも美でもよいが)を求めることではなく、モノゴトを進めるということに集中するべきなのだ。こんなところで目くじらを立てている人はだいたい第二、第三のもっと本格的なやっかいごとに巻き込まれる。

おそらく最近パスポートコピーという専門職を手にしたばかりであろう若いパキスタン人の男は誇りに満ちた顔をしていた。それもそのはずだ。値段をきくと35ルピーだという。1ドルが70ルピーくらいなので、ほとんど判読不能なコピーが1枚50円以上することになる。パキスタンでは法外な値段だ。特殊なスキルが要求される職として認知せざるを得ない。

混沌も使い方しだいでは役に立つ。イスラマバード滞在中のある日ふと思い立って、いつも日本の医者にもらう睡眠薬が手に入らないだろうかと考え始めた。睡眠薬でも2週間分しか出してくれないものと、2ヶ月分だったか3か月分だったか忘れたが、一回でかなりたくさん出してくれるものがある。日本の医者に行くたびに両方を限度まで出してもらうのだが、とっくに全部なくなっていた。それからはNYに行くたびに32錠入りの市販のもの(Unisom とかそれの類似品)を5箱ずつくらい買っていたが、これがあんまり効かない。こういうのは抗ヒスタミン剤の眠くなる効果を利用しているらしい。風邪薬みたいなものだ。

日本でもらっていた薬の商品名を外国で言っても分からないだろうから、外国での商品名をまず発見しないといけない。ネットでいろいろ調べてみると、日本でかなりたくさん出してくれる睡眠薬の成分はどうやら Zopiclone とか Zolpidem というものらしいということが分かった。各国、各地域で異なる、それらを含むいろんな商品名(Amoban, Ambien,Hypnogen, Myslee, Nimadorm, Nitrest, Sanval, Stilnoct, Stilnox, Zoldem, Zolfresh, Zolt)も出てきた。

これらの知識で武装して(ノートの切れ端にメモしただけですけど)、薬局に行ってみた。日本の薬局はどちらかというと静かなイメージがあるが、パキスタンの薬局はなぜかわいわいとにぎわってる。みんな薬が好きらしい。他の客をかきわけてやっとカウンターにいる一人のニーちゃんにいろいろと薬の名前を言ってみるが、なさそうな雰囲気。ちょっと待て、と言って、カウンター係りの元締めみたいなオヤジにききに言った。

ひょっとしてとんでもない薬の名前を口に出したのではないだろうか。この場で逮捕されたりしないだろうか、などと考えて少し動揺しそうになる。このニーちゃんを一人で行かすのは危険だと思い、元締めの近辺までついていった。

すると、この元締めはこんなことも分からないのかとでも言いそうな形相で若いニーちゃんをジロッと見返して、カウンターの中の壁にぎっしり張り付いているような数々の薬の一つを顎だけで指示した。よくそれだけで特定できるものだ。若いニーちゃんをさっそくそれを取って、その箱を見せてくれる。薬の名前は Xolnox と書いてある。こんな名前はなかった。成分を見ると、Zelpidem Hemitartrate と書いてあるではないか。どうやら類似品には違いない。

しかし、問題は医者の処方箋がないことだ。うん、これはなかなか良さそうだと言う顔をして、一ついくら?ときいた。一箱に20錠入って、190ルピーだという。300円くらいだ。やすっ!さて、何錠必要というか。一箱だとすぐになくなってしまう。三ヶ月分くらいは欲しいところだ。しかし、そんなに売ってくれるだろうか。おどおどしてると怪しまれるので、思い切って5箱と言ってみた。950ルピーと即座に返答された。あれっ?何にもきかないのかな、と思っているうちにさっさと5箱を紙袋に入れて手渡してくれた。あっけない。そんなんでいいのか。薬害の心配とか考えないのか、ひどいものだ、と思ったが、いまさらどうしようもない。いや、内心うきうきしてスキップして帰りそうになった。

これに味をしめて、出発の前日また今度は前行った薬局の隣の薬局に行って、同じものを5箱頼んでみたが、やはりあっさりとくれた。というわけで全部で200錠も買って帰ってきた。もっと買おうかと思ったが、調子にのって飲みすぎるといけないのでやめた。

その後、Vanguard Book Store に行って、"Murder in Samarkand - A British Ambassador's Controversial Defiance of Tyranny in the War on Terror", Craig Murray を探したがなかった。ずっと以前に書評を読んでいつか読もうと思っていた"Osama: The Making of a Terrorist", Jonathan Randal があったので買った。コペンハーゲンまでの機内で読み始めると、これがおもしろくてやめられない。オサマ・ビン・ラディンについて調べたのはもう10年も前のことだ。その当時に調べたようなこと-「カブール・ノート」や「イスラム・コラム」に書いた-がこの本でも出てくる。オサマという名前の商店の名前や子どもの名前が増えた当時の様子や、オサマをアフガニスタンから追い出すか、追い出さないか、タリバン内部の葛藤。おそろしく月日が経つのが速い・・・。

Wednesday, July 16, 2008

Books and Movies

記録を見ると、4月23日から5月1日までがニューヨーク出張になってる。その時に買った The Bottom Billion: Why the Poorest Countries Are Failing and What Can Be Done About It , Paul Collier, 2008.をカブールで読もうと思っていて持って行くのを忘れたのはここで書いたかもしれない。カブール出張は5月23日から6月8日までになってるので、それからまた一ヶ月以上経っていることになる。今度こそイスラマバードで読もうと思って持ってきた。が、なかなか手をつけられない。

2週間の休みをとって来たはずなのだが、結局休みにならない。誰が休みを取ろうがそんなこと関係なく、膨大な量のメールが延々と入ってくるし、誰かが処理しなければならない仕事は常にあるのだがら、その処理をしろと言う人がいないと結局仕事がすすまなくなるので、ほっとくわけにもいかない。どこから電話がかかってくるかも分からないし、どこにかける必要が出てくるかも分からない。こっちに来てからロンドン、コペンハーゲン、ニューヨーク、東京、カブールから電話がしばしばかかってくる。コントラクタとの新規契約の許可申請をしたり、予算改定したり、もうずるずるだね。

しかし、そういうことだけが The Bottom Billion に入り込めてない理由ではない。休みならではの理由もある。まずイスラマバードに来て早々本を買ってしまった。当然、僕の頭の中の焦点がそっちにいってしまい、それをぱらぱらと開き始めると、もうそっちの方に関心がしゅーっと行ってしまう。

買った本。
Descent into Chaos, Ahmed Rashid, 2008.まだ読んでない。最初の数ページだけ読んでみたが、この人の文章はやはりジャーナリストの文章だ。内容がジャーナリスティックだと批判しているのではなく、そのスタイル。プロのライターと言った方がイメージが沸きやすいかな。彼の『タリバン』の翻訳書は読んだことないが、日本語になると、そんなスタイルはろ過されてしまうかもしれない。内容とは別に、学者には書けない文章のリズム、子気味良さがある。それが世界で何百万部も売れた理由の一つだろう。

と書いてThe Bottom Billion の方を思い出したが、正真正銘の学者、Paul Collier の文章はものすごくcrisp なのだ。内容の深刻さとは対照的に爽快感のあるスタイル。だから、学者の本と言えども、一般人も引き込まれてしまうのだろう。

FORGOTTEN WARS - The End of Britains's Asian Empire, Christopher Bayly, and Tim Harper
まだ読んでない。サイード・ブックストアで見つけて、パラっと開いてみてどうしても読みたくなった。裏表紙にこんなことが書いてある。
---The Second World War ended officially in 1945, yet for Asia the conflict was far from over. Britain's Asian Empire was engulfed in a new series of diverse, intense and bloody wars, which raged throughout Indonesia, India, Burma, Malaya and Vietnam as an unstoppable wave of nationalism swept the old colonial ways aside. This is the story of the struggles of military commanders and revolutionary leaders, but also of orginary people caught up in the insurgency, rioting and turmoil that heralded the birth of a new Asia---

日本の文脈で出てくる「日本はアジアを西洋の植民地支配から解放して日本は感謝された」論を、イギリスの視点から見たらどうなんだという興味もあるが、そんなことよりも、戦争でいったん機能不全に陥った国が再び機能し始めるまでの道程をこういう具体的に歴史で見てみるのは実に興味深いと思う。かなり前BBCだった思うが、アフガニスタンの復興事業の数々をとりあげて、例えば税関の制度とか、警察制度とか、そういうものがいったい他の国では成立して機能するまでにどれくらいの年月がかかったかというのを比較して、映像として紹介してるプログラムがあった。いわゆる国際社会の、Nationa-buildingやら State-buildingやら Peacebuilding の勇ましいスローガンがいかに幼稚な絵空事に過ぎないかをあぶりだすようなプログラムだった。目次だけで中味のない本のようなものだ。その基礎にあるのは、人類が何百万年にも渡って蓄積してきたであろう社会の成立のためのありとあらゆる知恵に対する圧倒的な過小評価と無知があるのだろう。それは、たとえば民主主義なんて一言に還元できるものであるわけがない。

Occupational Hazards, Rory Stewart, 2007.
一気読みした。躊躇なく★★★★★★★
やっぱりOccupational Hazards については感想をいつか書こう。








さて、パキスタンといえばDVD.買いましたよ。

SUPERHIRO MOVIE:
ゴミですね、これは。

Lions For Lambs:★★★
これは会話、上院議員とジャーナリストの会話は素晴らしい出来だった。トム・クルーズとメリル・ストリーブが演じるのだが、彼らの会話をする時の演技は実に素晴らしかった。これは日本では『大いなる陰謀』という邦題になったそうだが、いまいちずれてる。この会話を字幕で追いかけるのは不可能だろう。大学教授と学生の間の会話、これも一つの柱だったのだが、これもいい。実にいいシナリオライターがいて、こういう台詞の言い回しを作ることができたのだろう。映画としての出来には不平もでるかもしれないが、この会話だけでも十分価値のある映画だった。ある意味で、これが21世紀のイージーライダーなのかもしれないと思った。

RENDITION:★★★
上記の映画もこれも結局、9・11以後の同時代を描こうとしているのだが、一個の映画としてまとまりよく成立しているのはこっちの方だろう。

Blood Diamond:★★★★★
強烈。しかし、現実はもっとはるかに陰惨で強烈で救いがないのだろう。しかも映画のような結末もない。構成やカメラやシナリオどれをとってもSuperb。そしてデカプリオの演技がすごく良かった。南アフリカ訛りをすごくうまく出していた。
現在も20万人のチャイルド・ソルジャーがいるそうだ。後藤健二の『ダイヤモンドより平和がほしい - 子ども兵士・ムリアの告白』を合わせて読むと分かりやすいかも。

Saturday, July 12, 2008

川遊び

昨日イスラマバードから北の方へ向った。マリを越えてナティア・ガリに行って、そこで一泊してイスラマバードに戻るというだけの小旅行。この地域はヒマラヤ山系のふもとにあたり、標高が高いのでインド・パキスタンがイギリスの植民地だった頃、the Chief Commissioner の夏の本部が置かれていた。今でも、パキスタン軍の施設がたくさんある。

マリにはパキスタンでもっとも由緒正しいLawrence Collegeがある。19世紀、戦死した英軍兵士の子ども達のための施設としてつくられたそうだが、パキスタンが独立してからも存続し、パキスタンでもっとも優秀な子ども達が集まる学校になっている。広大な緑の敷地に伝統的イギリス風の建物が並ぶ。ケンブリッジ大学の一画のようなものを想像すればいいかもしれない。

ナティア・ガリは緑が美しく、濃い霧に包まれて神秘的な雰囲気をもっている。そして、寒い。標高2500メートルくらいらしい。ジャケットを持って行こうと考えていて、イスラマバードを出てくる時に忘れた。半袖のシャツ一枚で富士山に登るようなものだ。

イスラマバードから北へ続く道の西側はカシミールだ。妻の姉・妹もいっしょに行ったのだが、姉の方はカシミールで1年ほど地震被害の救援・復興の仕事していたので、その状況がいかに凄まじかったかを語っていた。アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットに会ったか、ときこうかと思ったがやめた。

北から南を目指してイスラマバードへ帰る途中、川沿いに車をとめて昼食をとることにした。そこにマスの唐揚げのようなものを名物にしてるお店がある。客が来ると合成樹脂のイスとテーブルを川の中に持ち出してくる。せいぜい20センチくらいの深さのところに置くのだが、靴をぬいではだしで足元だけ水の中ということになる。水の流れはかなり速く、しかもかなり冷たい。しかし、10分もすると何も感じなくなった。

子ども達は大はしゃぎしてる。特別にここに何かがあるわけでないが、早い流れの川の浅瀬で遊ぶのは楽しいに違いない。暑い地域から来たパキスタン人家族が他にもたくさんいた。大人も子どももおそろしく無邪気に水遊びをしている。水着などを着ている人は一人もいない。みんな服のまま川の中にどっぷりつかって、流れと格闘して大騒ぎしている。マンゴーをプラスチックの籠に入れて、その籠にひもをつけて川の流れの中でのんびり冷やしているお父さんらしき人もいた。小さい頃、キャンプに行った時、両親が同じようにスイカを川の中で冷やしていたのを思い出した。

洋風の服を着ているパキスタン人もいるし、あごひげボウボウで小さい円形の敷物のような帽子風のものを頭にのせているいかにも厳格イスラム教徒っぽいオヤジもいる。ほぼ全身黒づくめで目の部分しか見えないような女の人もやっぱり川遊びをしてる。

川の対岸にカシミールが見える。タバコをすいながら、プラスチックのイスにすわり足を川の中につけて、イスラム教徒たちの無邪気な川遊びを眺めていたら、ふと、みんなで川遊びすればどうだろう、と思った。パキスタン人とインド人とアフガン人とイラン人とイラク人とユダヤ人とアメリカ人とイギリス人と・・・等など。

イスラマバードに戻って、こっちに来て三日ほど前に買った"Occupational Hazards", Rory Stewart を読み終わった。思わず、その通りだっ、と一人でうなる場所が多々ある。レビューを一つだけ載せておこう。

This review is from: Occupational Hazards: My Time Governing in Iraq (Paperback)
In the absence of an index, I can't easily verify whether Al Qaeda get only one solitary mention (and that as just one of a list of suspects) in all the 400-odd pages of this book. They are conspicuous by their absence throughout, and that strikes me as being one of the most significant aspects of the story. To this day I am hearing about the need to defeat Al Qaeda in Iraq, and to this day I am puzzled as to what makes that so important. If we want to find their local operatives who actually plan the bombings in America and Europe we ought to be searching in Europe; and if we want to find their main leadership we should look in Afghanistan or Pakistan. However if the Al Qaeda presence in Iraq is as insignificant as it might seem from Stewart's narrative then it adds to the sense of confusion regarding the coalition's objectives.

Stewart served for a year as Deputy Governorate Coordinator in two provinces, often being left in effective charge. He was no more than a freelance contractor, but his previous experience ensured that his job-application was gratefully snapped up by HM Foreign Office, doubtless short of volunteers from within its own ranks. He restricts his narrative to what he saw at first-hand. He took up his post in a genuine attempt to make the ostensible coalition objective of a democratic and peaceful Iraq work, and he does not analyse or evaluate that and the other supposed objectives. However his direct involvement included reporting periodically to Bremer in Baghdad, and anyone able to put 2 and 2 together in such a manner as to make 4 and not 22 can easily read between the lines. Imagine the following pronouncement from the colonel in charge of strategic planning, for instance. 'What we are hoping to do is to lay out some philosophical underpinnings of a plan...to begin a journey of discovery for building a more cohesive implementation of plans and policies in the five core areas.' A fine time to be getting round to that in April 2004, Stewart seems to say. Elsewhere he notes Bremer's MBA from Harvard and it's not hard to read into what he says his exasperation at the know-all fatuity of Bremer's 7-point plans for privatisation and such like and at the ghastly gobbledegook ('best practice gaps analysis' etc) in which language seems to function not as a vehicle for thought but as a substitute for thought.

Back at the ranch Stewart was having to confront the realities of the situation. There were, he says and I believe him, some genuine successes before and independent of Gen Petraeus. The trouble was -- few if any Iraqis believed in the successes; or if they did it was not for long. Any seeds of improvement the coalition was sowing had roots too shallow to have much hope of permanence. Stewart's own despairing conclusion comes in his last sentence - however bad the native Iraqi movers and shakers might be, local loyalties always revert to one or other of these, and foreign-imposed improvements, some of them real others just speculative and hopeful, do not stand a chance in this culture. He was trying to make order out of chaos, but they preferred the chaos. He was trying to win hearts and minds, but the minds never stayed with him for long because the various men of power and influence had their own fluid and shifting agendas and alliances, and whether anyone's heart was ever with him is anyone's guess.

It stands to elementary reason that Stewart was in no way opposed to the occupation of Iraq. He went there at all because he believed that some good could come of it. As I read his account, he sees no prospect of success for it now, although he is not explicit about whether a totally different approach might have fared better. He was battling with bureaucracy, incompetence, ignorance, infighting, grandstanding and pretence from Bremer's outfit in Baghdad, opposition to his own role from his own coalition military let alone from the populace he was trying to help, and near-ludicrous ineptitude from the Italian component of such military day in and day out. He was improvising most of the time, and while he has no illusions that his snap decisions were always or even mainly right, the real truth of the matter seems to me to have been that in most cases he didn't rightly know whether he had been right or wrong, because there was no real criterion for judging of that.

The book has been put together from such notes as the author managed to take and retain, but in conditions of such pressure some of the material depends on his memory. I have no reason to suppose that any of these are unreliable, and mental honesty is shiningly apparent throughout, not least in his candour about the minor lies he felt he had better tell from time to time. Whether his own bravery was apparent to him I can't tell, but it's apparent to me. There is much quiet tongue-in-cheek humour, and the tongue comes right out of the cheek in his account of the exploits of the Italians, who were, in the homely Lancashire phrase, as much use as a one-legged man in an arse-kicking competition. His particular angle on the events is one that we don't often see recorded, let alone recorded as well as this. It does not purport to give the wider picture, but he is free of the temptation to blow his own trumpet, and I expect future historians will derive more solid benefit from Stewart than from, say, the memoirs of Gen Franks. He stayed his year's course, he had nothing more to stay for, and he leaves me wondering what the rest of them, even the admirable Gen Petraeus, can possibly hope to achieve. There were successes before and independent of him, they put down no roots, and it looks as if lasting successes will require divine intervention rather than human generalship.

Sunday, June 15, 2008

だるい

久しぶりに自分のブログをのぞいてコメントがあることに気がついた。
う~む、カブールからの報告か。何にも書いてないな。
報告するようなことは何もないとも言えるし、何もないという結論を事細かく書けば書くことはいくらでもあるとも言える。どっちにせよ、この日々の忙殺状態に埋没している日常は何も変わらない。
6月8日にコペンハーゲンに帰ってきたから、2週間ほどの旅の様子がぽっかりと抜けてしまった。
帰ってきてからの1週間はほんとに目が回って車酔いのような気分で仕事していた。
今日は一日動けずベッドの上でもがいていた。ちょっとキッチンに行っても妻の言葉にイライラした返答をしてしまう。そんな時はたいてい逆襲されるのだが、今日の僕の状態はあまりによれよれだったので、30分くらいしてから、Are you OK?ときいてきた。逆襲にも及ばないということだったのだろう。なんか体調悪いと言ってぼくはまたベッドに入った。
しかし、このままではいかんと思い、起き上がり子どもをお風呂に入れる手伝いをしようとしたが、途中で挫折。メールをチェックすると、NYの大ボスがそのまた大ボス、つまり会社でいうと社長と仕事の話をしていてそれについて話したいから、電話してこいという連絡が入ってる。週末はここにいるからと、電話番号が書いてある。どうしたものか。遠い世界での出来事のような気がして、電話をする気には全然なれない。結局したけど、出ない。ラッキー。メールで明日電話するからと返事しておいた。
少しずつ遡ってこのブログ埋めていくかな。

Saturday, May 24, 2008

中途半端な時間

泥沼にはまったように寝ようと思っていたのに、10時くらいにパッチリと目が覚めてしまった。同じホテルに二日続けて部屋を予約できなかったので、今日はこのホテルをかえないといけない。正午ちょうどくらいにチェックアウトして、昨日行ったSUSHIに一人で昼飯を食べに行った。昼のセットメニューならそんなに高くないだろうなんて思っていたが、やっぱり高い。これも後で計算してみると、7,467.10円だった。瞬間的に値段のイメージがわいていたら、きっと入っていなかっただろう。しかし、店員は感じいいし、まずくないし、まあいいかと納得してみる。

それから、ブラブラとホテルの中を散歩してみる。スパがあったので、ここで時間を潰そうと思って入った。マッサージの予約をして、バスローブに着替えて、シャワーを浴びてジャグジーに向おうとするところで、バスローブのポケットに入れていた携帯電話を落としてしまった。硬い石の床の上に落ちて、かつ水に濡れている。もう死んだだろう。拾って開けてみたが、うんともすんとも言わない。あー面倒くさいことになった。電話自体はもう古いのでどうでもいいが、別の携帯を手に入れるまで、とにかく面倒くさいではないか。しかも、腕時計の電池が切れたようで時計まで止まっている。ジャグジーを目の前にして瞬間イライラ度がかなり高い状況に入っていた。

今すぐには何もできない。イライラせずにお湯につかろう。ジャグジーにはもう一人白人の60歳くらいのおじさんが入っていた。別に挨拶するわけでもなく、もちろん話もしないが、お互いの視界にお互いの映像はちゃんと入っている。彼は湯につかりながらずっと宙をみている。僕の視界の右端に位置する、その人の人生はどういう人生だったんだろう?今は何をしているんだろう?もう引退しているのだろうか?今も現役でバリバリ仕事しているのだろうか?あと少しで僕もあの人と同じ歳になる、その頃僕は何をしているだろう?いろんなことを考えてしまう。

そのうちに、さっきのいらつきは消えていった。時間とコミュニケーション。その二つの道具。決定的で致命的。爆発しそうなイライラは、僕の生活を象徴している。たぶん、ほとんどの現代人の生活を。永遠を自分で勝手に小刻みに区切り、その破片に追い回される。実は誰ともコミュニケートできていないことの言い訳にしか見えない電子的コミュニケーションにまた追い回されている。時間とコミュニケーション、暫定的な座標を決めないと現代人はそこなしの不安に陥る・・・そんなことを思いながら、マッサージを受けているうちに寝てしまっていた。

夢の中で肩をトントンとたたかれている。うんっ?目を開ける。終わりましたよ、という声。ああ、そうか、マッサージを受けていたんだ、と思う。ほんの1時間ちょっとのはずだが、ジャグジーにいたのが何年も前のように感じる。どうしたんだろう?なんか変だな。疲れてるなと思いながらベッドの上に起き上がると、マッサージをしていたおにいさんが呆れたような顔をして肩がガチガチに凝ってますよ、肌がものすごく乾燥してるし、といろいろと”症状”を説明し始める。彼の顔が何かを懇願しているような顔に見える。分かってる、また来るよ、と言って部屋を出た。

この1年いったい何千キロの移動をしただろう。いつか計算してみようなんて考えながら、もう移動のない生活をしたいと思いながら、次のホテルに向った。

チェックイン。いつもと同じ儀式。名前を言う。パスポートを見せる。クレジットカードを見せる。キーをもらう。スモーキングの部屋であること、インターネットがちゃんと機能してること、荷物をすぐに持ってくること、を確認する。それ以外のことは何も言わないで欲しい。時間の無駄。みんな早くチェックイン済ませよう。

もう夕方。どうも中途半端だ。夜中の2時にはチェックアウトしないといけないので、今から寝るのが一番だが、寝れるわけない。街に出て、携帯電話や時計を買うというのがもっとも効率のよい時間の使い方かもしれないが、どうも動く気になれない。結局、部屋の中でHouse to House の続きを読むことにした。

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24 May 08 Radisson SAS Hotel

Friday, May 23, 2008

カブールへ

久しぶりにカブールに行く。いつも通り前日にパッキングできるわけもなく、2時間ほど寝て夜明け前にパッキングを始めた。午前10時10分発の飛行機なので、7時半にタクシーを呼んであわてて家を飛び出した。子ども二人に挨拶する時間もなかった。後で知ったことだが、長男は追いかけて4階から1階まで階段を走って降りてきたがもうタクシーは出た後だった。泣いて帰ってきたらしい。僕がカブールに到着する日に5歳になる次男は、僕が勝手に出て行ったと言って怒り狂っていたそうだ。どちらもカブールに着いて電話をするまで知らなかった。

コペンハーゲン空港に着いて、今回の出張中に読もうと思って楽しみにしていた本を忘れてきたことに気がついた。どうしようもなくいらつく。今さらどうしようもない。空港の本屋に行ってみたが英語の本は当然少ないし、5分くらい見渡してみたがろくでもないものしかない。それでも、何にもないよりもましと思って一冊だけ選んだ。House to House, David Bellavia. ペーパーバックの表紙に、The most terrifying battle of the Iraq War - through the eyes of the man who fought it.と書いてある。なんかB級戦争映画臭いなと思ったが、パラパラと開いてみると、どうやらファルージャの戦闘が舞台になっている。読んだことある人もあるかもしれないが、僕は以前ファルージャについて連載を書き始めたことがあった。結局、途中でほったらかしになって、今となってはどこまで書いたかも思い出せないのだが、実際にそこで戦った米兵の話という点に興味がわいた。

12時10分にパリのシャルル・ドゴール空港に着いたが、パリからドバイに向う空港が13時15分発になってる。65分はちょっとやばいかもしれない。コペンハーゲンとパリは両方ともEU内なので出国手続きはパリになる。最近はやたらとセキュリティチェックにも時間かかるし、間に合うかなあと思っていたが、案の定空港内で走るはめになった。

ここからは長いので、コペンハーゲン空港で買った House to House を読み始めた。19ページのPrologue を読んだだけで完全にはまった。スチュワーデスの気持ち悪い愛想笑いの数々を完全に無視してドバイまでの機中、僕の頭の中はずっとイラクの土漠と砂嵐でいっぱいになっていた。

ドバイには約30分くらい遅れて到着したみたいだ。ホテルに着くともう午後11時くらい。やっと1日の移動が終わった。荷物を部屋に置いて、ロビーで待っていたAさんとすぐにホテルの中にあるSUSHIという名前の寿司屋に言った。ドバイでは1、2を争う寿司屋らしく、うまいとは思うが、Aさんは伝票を見て高いと言っていた。クローネ・ドル・ディルハムの関係が頭の中でまだ整理できてなくて、ぴんと来なかったのだが、後で計算してみると、二人で45,951.38円だった。確かに高い。

翌朝ドバイからカブールへ向う予定だったが、出発が約20時間遅れて翌々日の午前3時にチェックインすることになった。ドバイにもう一泊しないといけないが、ハルシオンをのんで思いっきり寝ることにした。

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23 May 08 AF 1751 10:10-12:10 Copenhagen-Paris CDG
23 May 08 AF 526 13:15-21:55 Paris CDG-Dubai
Grand Hyatt Dubai

Sunday, May 04, 2008

If you leave me now

American Idol のSeason 7 もトップ5まで来た。Brook Whilte はトップ6で落ちてしまった。American Idol のサイトを見ると、彼女の人柄を嫌う意見が途中から多く出てきた。あまりに良い子、というイメージを嫌悪する人たちが多くいる。スターを作るのは難しいものだ。純粋に歌唱力を競うのではなく、アイドルを探せというのが、American Idol の趣旨なので人気コンテストとしての要素が終盤戦になると強く表に出てくる。それでも、ジャリタレ合戦にならないという点がアメリカのマーケットの力のように思える。でも、Brook は必ず売れるCD を出すだろう。

誰が歌ってもオリジナルを越えられない曲というものがあるものだ。ビートルズのYesterday は、その代表だろう。日本語に訳した日には目も当てられないことになる。「きのお~♪」なんて出だしの歌をかっこよく歌うのは不可能だと思う。でも、Syesha Mercado Yesterday は、おっ!と思わせるものがあった。Syesha は序盤戦はあまり目立たなかったが、歌のうまさだけなら、トップ3に入るだろう。ずっと残って、CDを出して欲しいものだ。



トップ20で落ちてしまったが、 Alexandréa Lushington の歌う "If You Leave Me Now" はとても良かった。審査員のサイモンは、この歌はそれが出た時代にあまりに強くからみついていて、だから、誰もカバーしようとしない、そんな歌を選曲するAlexandréa は間違いだというようなことを言っていた。彼の言っていることはおそらく正しいのだろうと思う。このメロディが流れた瞬間に、もう時代が変わる、というくらいあまりに特定の時間にこびりついている。それでも、Alexandréa が歌う"If You Leave Me Now"は彼女のヴァージョンだった。甘く流れそうなところを危うくコントロールしていた。良かったと思うけどな。是非一度聴いてください(↓)。

Saturday, May 03, 2008

Charlie Wilson's War

Charlie Wilson's War をやっと見た(この映画については少し2008年1月8日に書いている)。
意外とおもしろかった。Charlie Wilson という下院議員はとんでもないエロおやじだった。なぜか好感がもてる。こういうシンプルな人がアフガニスタンの対ソ戦の背景にいた、というのがおもしろい。アフガニスタンの対ソ戦と言えば、ケーシーというCIA長官が有名だけど、それ以前に、政治家として重要視されていないCharlie Wilson が一人で走り回っていた。その様子が滑稽に描かれている。
付録にほんもののCharlie Wilson が出ていたが、なるほど30年前は好感のもてるエロおやじだったのだろうと思わせるものがあった。We fucked up the end game というCharlie Wilson の言葉が引用されていた。エロおやじは9/11を予感していたのだろう。

Sunday, April 27, 2008

本を買う

今日も朝はスターバックス。8時半くらいに行ったのだが、日曜の朝だというのに、15席ほどしかない小さなスタバにラップトップを睨みつけている人が三人いた。

エリス島に行きたいと思っていたが、雨がしとしと降っていたのでやめた。昼が近づくとむしょうに吉野家の牛丼が食べたくなってきた。11時くらいに吉野家を目指してスタバを出た。42nd Street をひたすら西に向って歩く。ブロードウェイを越えるともう一息だ。タイムズ・スクエア周辺は観光客でごった返している。近くの公園でチベットの人たちの集会をやっている。

牛丼大盛りを食べてから、紀伊国屋に行った。外国人が日本関係の英語の本を探すなら、ここが一番早いだろうな。
自分用に、"The Bottom Billion", Paul Collier と"The Politics of Chaos in the Middle East", Olivier Royの二冊を買った。こんな本を買うなら、紀伊国屋である必要は全然なかった。
それから、本来の目的は子どもに日本語の本を見に地下に降りていった。
もうすぐ5歳になる次男に『エルマーのぼうけん』(R.S. ガネット)と『昆虫とあそぼう』(とだこうしろう)を選んだ。日本語は読めないどころか、ほとんど分からないのだが、日本語の本を読んで聞かせるとじっと聴いている。そのうち分かるかもしれないという淡い期待を持って読み続けることにしている。「エルマー」シリーズは自分が小さい時に読んでおもしろいと思った記憶がまだ残っているので、是非読ませたいと思った。

7月に9歳になる長男には『ファーブル昆虫記4:サソリの決闘』(奥本大三郎)を選んだ。今回は昆虫シリーズにすることにしたのだ。兄弟二人とも虫に興味があるのは、自分の子どもの頃のことを思い出すと、よく分かる。男の子はみんな、ある時期虫に熱中するようだ。

辞書が欲しいと言っていたので、何か買おうと思ったが、よく考えるとどういう辞書が必要なのか分からなくなってくる。ふだんは英語で勉強しているのだから、英英辞典が必要ということになるが、それならわざわざ日本製の英英辞典を買うよりも、英米で出している国語辞典みたいなもの(英語辞典)を買えばいいのだということに、いまさら気がつく。土曜日の日本語学校の教科書に出てくる日本語の意味が分からないとよくきくので、和英辞典を一冊買うことにした。ひらがなに慣れるために、Romanise していない和英辞典を選ぶことにした。いろいろあったが、『ライトハウス和英辞典』が一番印象が良かった

もう一冊長男には算数の参考書のようなものを買おうと決めていた。インターナショナル・スクールのカリキュラムで出てくる算数の内容は日本とはかなり違う。いきなり小数と分数がいっしょに出てきたりして、分かっている子には効率が良いが、分かってない子には厳しいというかんじがする。学校の宿題をいっしょにやっても、長男がどこまで分かっているのはなかなか判定するのも難しい。それで、日本ではどうやっていたかを思い出そうとしていたのだが、覚えているわけはないので、日本の参考書を見てみようと思っていたのだ。『小学3・4年算数自由自在』をパラパラとめくってみると、全部インターナショナル・スクールでやった範囲のものだった。自分が小学生の頃『自由自在』が好きだったのは覚えている。長男はどうだろうか。

Saturday, April 26, 2008

Starbucks で仕事

8泊続けて予約できるホテルがなかったので、一泊目がAKA United Nations、二泊目から七泊目がDiplomat Hotel、八泊目がBest Western という実に面倒くさいことになった。AKA United Nations とDiplomat Hotel は長期宿泊者用のアパートで、全部スイートルーム・キッチン完備でかなり期待していたのだが、Diplomat Hotel は150ドルというNYではあり得ない価格なので用心もしていた。NYで普通にきれいなホテルに泊まろうと思えば、サービス料・税金込みで300ドル以下ではほとんどないだろう。
AKA United Nations は清潔で従業員の態度もよく、快適そのものだった。305ドルでは安いくらいだ。
そして、Diplomat Hotel に二日目にチェックイン。やってくれた。広いが内装はいまいち。そんなことは実際はほとんどどうでもよいのだが、なんとインターネットの接続がない!信じられないがない。爆発しそうなストレスを感じる。

長期滞在している住民に会ったのできいてみると、近くのスターバックスで繋いでいるという。
というわけで、今日はオフィスは休みなので朝からスターバックスに行くことにした。
どこに行ってもそういう風景を見かけることはあるけど、自分はしたくないと思っていた。が、とうとうやるはめに。

繋いでみると、ものすごいメールの洪水になっている。となりに座ったアメリカ人のおばさんが、「私はそういうのはやらないね、みんなそういうのにはまって。私はやらないから」と別にききもしないのに、一人で言っている。「もう身体の一部みたいなもんだから、はまるもはまらないもないんすよ」と言うと、「そう、そう、みんなそうなのよ」と哀れまれた。近代を憂うおばさんなのかもしれない。

しばらくして、AとBを呼んだ。昨日、し損ねたミーティングをスターバックスですることにした。契約がどうとか、入札がどうとか、資金のトラッキングがどうとか、スターバックスで男3人がラップトップをにらんで真剣にやっている姿を、自分もその一部なのに、どうしてももう一人の自分が遊離して客観的に見てしまう。実にむさくるしいというか、美しくない。

ランチをいっしょに食べるというオプションもあったはずだが、結局午後に解散して、それぞれ散らばっていくことになった。三人とも、もう十分という気分は共通していたのだと思う。Aはトイザラスにおみやげを買いに、僕はDVDを買いに出た。

"Charlie Wilson's War"が今回はあっさり見つかった。奥さんが見ていないという"007 Casino Royale"、そして次男の好きな"Cars"、それ以外に子ども用に、"The 11th Hour"、"Stardust"、"Peter Pan"も選んだ。Milla Jovovichのシリーズもの"Resident Evil"と"Resident Evil: Apocalypse"の2枚セットを自分用に買った。ストーリーにほとんど意味のない、たわいのない映画なのだけど、頭が破裂しそうに熱くなった時に、呆然とMilla Jovovichの動きを眺めるのは沈静効果があるような気がする。Ultra Violet は僕の中ではほとんどトランキライザーと化していた。

Friday, April 25, 2008

おっさんは不滅です

クライアントとランチを食べているとAに電話がかかってきた。Aはさっと席を立って携帯電話を耳に張り付けたまま店から出て行った。
女だな、と思った。
案の定、Aは帰ってこない。ランチはお開きとなり、店から出ると、Aはしかめっつらをして、携帯電話を耳に張り付け、道路につっ立っている。
オフィスに戻って、BにAは当分帰ってこないと思うよ、と伝えた。AとBと三人で午後全部つかってミーティングする予定だったのだ。
Aに何が起こっているのか僕は何も知らないし、何をきいても解決できるわけでもないのできく気もない。
トラぶってるみたい、とだけ言って、それ以上何も言わなかったが、Bは「そういうことはあるもんだ」と言って、すべてを察したようだった。こういう時、なぜか男どうしは優しくなる。連帯感のようなものだろうか。
じゃあ、Aが戻ってからにしようということになったが、どうにもならないだろうと僕は思っていた。
結局、Aは3時間以上話していたみたいだ。
疲れ果てた様子でオフィスに戻ってきたAに「死にたいって言ってたか」と言うと、Aは何かもごもご言った後、手首を切るって言われたら、太ももの静脈を切った方が速いって言うんだというアドバイスをする友人の話をして、ヒクヒクと引きつった笑いをしていた。アーメン。

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日本人おっさんA
「アフガニスタンって分かる?」
日本人ネーちゃんA「あっ、南米のどこかでしょ?」
日本人おっさんA「無理しなくていいんだって」
日本人ネーちゃんA「えー、ちがうの?どこお?」
日本人おっさんA「インドとか、中央アジアとか、あっちの方の、あっ中央アジア分かる?」
日本人ネーちゃんA「えー、イラクとかあ?」
日本人おっさんB「南米、南米。アフガニスタンは南米」
日本人ネーちゃんA「ほらーっ」

日本人おっさんA「ビン・ラディンさんとかがいてね、あっビン・ラディンさんって知ってる?」
日本人ネーちゃんA「知ってますよ~」
日本人おっさんA「無理しなくっていいから。えらいことやらかした人だよ」
日本人ネーちゃんA「えー、ワールド・トレードセンターの人でしょ」
日本人おっさんA「何した?」
日本人ネーちゃんA「えー、違うの?」
日本人おっさんB「地下鉄で痴漢して捕まった人だよ」
日本人ネーちゃんA「・・・そ、そ、その人でしょ」
日本人おっさんB「うん、ワールド・トレードセンターでも痴漢したらしい」

日本人おっさんA「君はNYで何してるの?」
日本人ネーちゃんB「ダンスの勉強してるんです」
日本人おっさんA「何の?」
日本人ネーちゃんB「ヒップホップ系でえ、かなり黒いっていうかあ・・・」
日本人おっさんA「ラップか?」
日本人ネーちゃんB「???うーん、それもありますけどお」
日本人おっさんA「どこから来たの?」
日本人ネーちゃんB「舞鶴出身です」
日本人おっさんA「岸壁の母だね」
日本人ネーちゃんB「火曜サスペンスですよね」
日本人おっさんA「はあ?君、岸壁の母を知らないのか」
日本人ネーちゃんB「えー、火曜サスペンスじゃないの?」
日本人おっさんA「無理しなくていいんだって。岸壁の母というのはね、(ここから約10分続く)」
日本人おっさんB - 沈黙を貫き通す。

凄まじい。日本のおっさん会話は永遠に不滅だなあと思った。
ちなみにB は僕です。

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懐かしいおっさん文化の復習をして外に出ると、
TokoJawsって?
確かにそう聞こえた?トコジョーズってなんだ?トムジョーンズって言ったのかな。
「TokoJawsな子がいっぱいいますよー」
うん?それは床上手?こんな言葉実際に使ってる人みるの初めてかもしれない。
古代語?Bed Goodder ?そんな英語にしてみたい一言。
ニューヨーク52番街2丁目と3丁目の間を歩いていると、そんな勧誘に次から次にからまれる。でも、大阪の東通り商店街のような強引さもあつかましさも怖さもない。非常に丁寧。
しかし、アメリカ人はきっと知らないんじゃいだろうか、こんなことがここで起こっているなんて。日本人による日本人相手の商売だからねえ。

日本は不滅だな、と思いながら宿まで歩いて帰った。

Thursday, April 24, 2008

予定にない

朝4時くらいに目が覚めた。もう一度寝ようと頑張ったが妙に空腹感に苛まれて寝れない。
8時くらいにOmus b に行って、おむすび二つと味噌汁の朝食セットを食べたが、まだお腹がすいているので、おむすびをもう二つ食べた。朝から食べすぎだ。

オフィスに行って、いろいろと計画してたことを済まそうとするが、何一つうまく行かない。まず、ビルのカードキーとオフィス階のカードキーを手に入れるのに四苦八苦する。にっちもさっちもいかない官僚主義は慣れていても、毎回いらつく。次にオフィス内のワイヤレスのアクセスポイントが機能していないのが発覚。しかたないので、ケーブルを繋いだが、コペンハーゲンのサーバとニューヨークのサーバの間に問題があるらしく、コペンハーゲンのサーバに溜まっているメールがダウンロードできない。イライラすることが続くので、アミールと二人で近くのカフェに行って、そこで実質的なブリーフィングの開始。去年の夏まで自分がいたプログラムなのに、かなりいろんなことが変わっている。こりゃ大変という印象を持った。

午後、オフィスに戻ると大ボスのロズウィータ女史が来ていた。昨日のことを詫びると、着いた日だからしょうがないわよとあっさり流されて、いきなり仕事の話に入った。それから、全然予定にない会議に誘われ、予定にない仕事を頼まれた。予定のない会議が終わって、さあと思ったら、全然会う気もなかった同僚に当然予定のない会議に呼ばれた。計画を立てて、一つずつこなしていくという仕事の仕方が好きなら、もう切腹したくなるだろう。

夜、饗屋にルーとアミールとあと一人、予定になかったアメリカ国連協会の若い女性の四人で食事。美しく、旨いが、高い。四人で560ドルだった。

Wednesday, April 23, 2008

Newark

コペンハーゲンの家を朝7時半に出たのだが、今回は直行便だったので、昼過ぎにNewark空港に着いた。マンハッタンのホテルまでタクシーで71ドルする。JFKから来るより高い。
ホテルにチェックインしてから、直ぐにめんちゃんこ亭に行って、皿うどんとおにぎり2個セットを食った。
夕方、アミールと合流して、クリス、ルー、サイモンが飲んでいるバーに行った。
アウトドアーで、ちょうど良い気温だ。
僕とアミールは時差ぼけで眠くてしょうがない。2軒目にパブに行ったが、もうビールでお腹いっぱい。どうしてアングロ・サクソン人はあんなにビールがたくさん飲めるのだろう?アミールと僕は強いアルコールで激酔するのが好きなので、ビールの生酔いのような状態には弱い。大ボスの家に7時半に行く約束を思い出したが、もう遅い。8時半くらいにヨレヨレになって、とっととホテルに帰って寝た。

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Wed, 23.04.2008 CO 123 CPH - EWR 09:05 - 11:55
COPENHAGEN DK,COPENHAGEN APT

Monday, April 21, 2008

Gmail からっぽ

とんでもないことをしてしまった。Gmail をすっかり空っぽにしてしまった。とほほだ。大切な記録もあったはずだが、みんな消滅してしまった。IMAPの設定をしてメールソフトでGmail を読めるようにしていたのだが、メールソフトに溜まったのを全部消去したら、ウェブのも全部消えてしまったのでした。見事にIMAP設定が機能している。POPの設定でメールソフトにGmail をダウンロードしているだけだったら、こんなことにはならない。何を言っても、もう遅い。

明日からまたニューヨーク。そしてまた日本食三昧。カブールから来るアミールとも合流するので、久々に泥酔の予感がする。また、アフガニスタンを担当することになってしまった。ニューヨークから戻ってしばらくしたら、またカブールに行くだろう。わくわくするような、どうでもいいような・・・。

Friday, April 18, 2008

クロアチア土産

お土産はBionicle が欲しいと言う息子二人に、そんなものスロベニアとかクロアチアにはないと思うよ、と言って出かけてきた。クロアチア最後の晩にホテルの中のおみやげ物屋さんを吟味してみたが、もちろんそんなものはない。

このあたりの家を模倣した10センチ四方くらいの小さな石造りの家は興味深いので買おうかと思ったが、荷物が重くなるのと、家に着いた頃には潰れてそうな気がするので断念した。

他のコーナーを見ると海綿がたくさん売っていた。あわびのような貝殻を添えて、それを網に入れたりしておみやげ物らしく工夫している。家のバスルームに一つくらいあってもいいだろうと思って、貝殻のついてない海綿だけのものを一つ買った。

こういうの↑。(ウェブにあったので取ってきた)

良い絵があれば買おうと思ったが、小さくプリントしたものしかない。陳列してある額の中に一つ、文字だけが額の中に入っているものがあった。見たことのない文字なので、店員にきいてみると、今は使ってない昔の文字だと言う。Glagolitic alphabet と言われるものらしい。ウィキペディアの日本版を見ると、

グラゴル文字(ロシア語:Глаголица、グラゴーリツァ)は、主にスラヴ系言語を記述するために作られたアルファベットで、スラヴ圏最古の文字である。正教会のキュリロス(827年-869年)とメトディオス(826年-885年)が、855年か862年から863年のころ、聖書やその他の文書をスラブ諸語に翻訳するために作成した。ギリシア文字を元にして作られたものと思われるが、極めて独特の外見を持つ。 「グラゴル」の名前は古スラヴ語の「音」を表す「Глаголъ(glagolə)」から来ている。また、Gに相当する文字の名称にもなっている。「グラゴル」から派生した動詞「グラゴラーティ」は「話す」を意味するので、「グラゴーリツァ」は「話すための印」程度の意味になる。 現在スラヴ圏で広く用いられているキリル文字(その名称はキュリロスに因む)は、キュリロスの弟子らがグラゴル文字を改良して作ったものだとされ、グラゴル文字とはほぼ一対一で対応している。グラゴル文字は、正教会の勢力圏では間もなくキリル文字に取って代わられたが、カトリック圏に属するクロアチアに伝わり、クロアチア語の表記に近代まで一部で用いられた。

原カナン文字→ フェニキア文字→ ギリシア文字→ グラゴル文字という道のりを辿ってきたらしい。興味深いので買うことにした。

グラゴル文字(↑)。


スプリット空港のDuty Free をのぞいて見ると、なんとBionicle が売っている。世界中の子どもがBionicle で遊んでいるのだろうか。それとも、そもそもクロアチアもヨーロッパだから、LEGO社の勢力範囲に深く取り込まれているということなのだろうか。二人の息子に一つずつ、二つ買った。

全部揃えてみると、実に奇妙な取り合わせのお土産だ。

Bionicle の一例(↑)。実に良く出来ている。
バランスがよく、相当変な格好をさせても立っていることができる。
人体の骨格をよく研究してデザインされているのだろう。
一つ作ってみると、他のも欲しくなってしまう。

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Fri, 18.04.2008: SPLIT - VIENNA OS 746 1525 1645
Fri, 18.04.2008: VIENNA - COPENHAGEN OS 305 1730 1925

13.04.2008: Stay at Hotel Austria Trend, Ljubljana, Slovenia
14.04.2008: Stay at Hotel Austria Trend, Ljubljana, Slovenia
15.04.2008: Stay at Hotel Ivan, Solaris Complex, Sibenik, Croatia
16.04.2008: Stay at Hotel Ivan, Solaris Complex, Sibenik, Croatia
17.04.2008: Stay at Hotel Ivan, Solaris Complex, Sibenik, Croatia

Thursday, April 17, 2008

Croatia

という国に初めて来た。
リュブリアナから4台の大きな観光バスに分乗してやって来た。いったい我々の一行様は全部で何人くらいいるのだろう?何をやってるかは、ここに載っている。道中の景色をほとんど見ることがなかった。ちらちらっと見る景色はちょっとアフガニスタンに似ているなと思ったが、それ以上追求することもなく、シベニクという街の近くのSolaris Holiday Resort Complex という、たわけた場所に到着した。ビーチ沿いに何軒かのホテルが点在している。その全体をまとめてリゾート・コンプレックスと呼んでいるようだ。

バスの中でリュブリアナ最後の晩に買った『S.― A Novel about the Balkans』という本にどっぷりとはまった。景色なんかどうでも良くなった。一番後部の座席を全部一人占めして、寝転んでずっとそれを読んでいた。小説だから真実を書けるという見事な例だと思う。

クロアチアは、スロベニアに比べるとまた一段と素朴な雰囲気がある。物価もはるかに安い。ビーチで見る海水はとても澄んでいた。

今日は一人でタクシーに乗ってシベニクまで出かけてみた。海岸ぎりぎりの丘陵に石造りの家がぎっちりと張り付いている風景はとても興味深い。15世紀に建てられたというCathedral を見た。これも石以外何も使っていない。UNESCOの世界遺産に登録されているそうだ。

アドリア海がすぐ目の前に見える。シベニクの前の海でアドリア海から来る海水と川の真水が混ざり、いちばんいい魚がここでたくさん獲れると、タクシーの運転手は自慢気に話していた。イタリア側ではいい魚が獲れない、ヒッヒッヒ、みたいなことを言っていた。これ(↓)がシベニクの街。

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Editorial Reviews

Amazon.com
"While she was in the warehouse S. feared uncertainty. Any kind of certainty seemed preferable to her. Now she was at least rid of that fear. There was no more uncertainty. She was in a storehouse of women, in a room where female bodies were stored for the use of men."
The use of rape as a mode of warfare was one of the atrocities that made "ethnic cleansing" such a horrifying euphemism in the '90s. The number of Muslim rape victims has been hard to establish (estimates are as high as 60,000), and the depths of the damage even more difficult to comprehend. Hidden behind the newspaper accounts--the mind-numbing policy changes, drawn and redrawn borders, and fluctuating statistics--are the stories of what happened to thousands of Muslim women and how they have since dealt with their experience. In S: A Novel About the Balkans, the journalist Slavenka Drakulic uses a fictional everywoman, S., to convey the complex psychological torture of the victims of large-scale, systematic rape during the Bosnian War.

Drakulic's plain, graphic prose is starkly effective; not surprisingly, her book is most powerful in the passages detailing the women's treatment by the cadres of Serbian soldiers. But S. is not just a passive victim: even in such conditions, there are moral choices that must be made and consequences to one's actions. S. discovers this through her "arrangement" with the camp commander, who chooses her for a more elaborate form of rape that involves candlelight dinners and her playing the role of a seductress. Submitting to the fantasy in order to remove herself from the gang rapes of the "women's room," S. refrains from using her new status to improve the lot of the other prisoners. The tradeoff risks the respect of her fellow victims ("You've sold yourself cheap," one of them says to her), and the future psychological cost isn't clear. When she discovers she is pregnant--the father could be any one of a hundred soldiers--she faces another set of difficult decisions. Should she bring a child born of such hate into the world? And should she tell the child about its origins? Or is she instead obliged to tell the truth about the war? "Which is the greater," she wonders, "the right to a father or the right to the truth." Though not overtly political, S. forces us to consider the long-term tragedy of the female victims of the Bosnian War, and is all the more valuable for its inclusion of these gray-area compromises and their painful aftereffects. --John Ponyicsanyi --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

From Publishers Weekly
S. lies in the Karolinska Hospital in Sweden, where she has just given birth to a baby boy. She refuses to nurse him. Maj, in the next bed, is worried and shocked, but she is not aware of the trauma in which the baby was conceived. It is March of 1993, and S. spent the previous summer in a Bosnian prison camp. She cannot guess which of the men who raped her there was the baby's father. As she lies in the hospital bed, S. remembers the summer of 1992, from the day when the soldiers rounded up the occupants of the Muslim village of B., shot the men and herded the shocked, obedient women onto buses. She remembers life in the camp, where she was assigned to help E., the nurse, tend the sick, and the horrible rumors about the "women's room," where women are taken for the Serbian soldiers to rape. Soon it is her turn for the "women's room"; surviving rape and dehumanization, she develops a protective need to forget. But she cannot forget the other women in the room, their struggles, their wounds, their deaths. All she has succeeded in obliterating is her previous life, in which she was a teacher, with parents and a sister who once lived in Sarajevo. They have vanished, and she would have disappeared, too, if she had stayed with them. She has vanished, anyway, into the depersonalized world of the raped, the refugee, the woman without a country. This novel by journalist and novelist Drakulic (The Balkan Express; The Taste of a Man) is a terrifying, graphic story of a country's lost identity, told through the suffering of the nameless inmates of the camp and their attempts to rebuild their lives after liberation. (Feb.)
Copyright 1999 Reed Business Information, Inc. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

From Library Journal
The anger that echoes through this review is the natural reaction of a feminist sensitive to the subject of rape. But how else can any woman react to the barbaric treatment of women during the Balkan civil war? Drakulic once again explores the bigotry of the Balkan mentality (as in Caf? Europa, for instance), here coming unbearably close to the actual truth of the rapes of Bosnian women between 1992 and 1995. The simple story unfolds from the protagonist's perspective: before she can rebuild her life after surviving unthinkable physical abuse in a Serbian concentration camp, S. first has to face its consequence and give birth to an unwanted child. Drakulic delineates the most intimate moments with controlled precision and stops your pulse with sentences like this: "She was in a storehouse of women...where female bodies were stored for the use of men." A fully authentic novel, S. is also an important historical document at times reminiscent of Primo Levi's Survival in Auschwitz (1949). Readers may try to comfort themselves that this kind of savagery happens only far away from home, but that is not true--which is precisely the bitter point. Every paragraph makes you fearfully aware of the unpredictable nature of even the most civilized human conduct. Highly recommended.
---Mirela Roncevic, "Library Journal"
Copyright 1999 Reed Business Information, Inc. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

The New York Times Book Review, Rand Richards Cooper
Drakulic has set out to convey the experience of captivity in conditions of physical and psychological torment so extreme that, as we commonly say, they defy description. The prose she brings to this task is plain and unmetaphoric, and at times the novel achieves a terse factuality, letting the terror speak for itself. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

From Booklist
When Serbian forces overrun her village, a young Muslim schoolteacher, S., is taken prisoner and transported to a death camp for Bosnians. At first unable to believe what is happening, S. slowly adapts to life in the camp, trying to ignore the horrors around her. When, however, she is chosen to live in the "Women's Room," in which the more attractive prisoners are kept for the pleasure of Serbian soldiers, her sanity begins to slip, and she finds that she is increasingly uncertain of her identity. Tortured and repeatedly raped, the young woman is eventually released and sent to a refugee camp, pregnant with a child who constantly reminds her of her time as a prisoner. This deeply moving story of courage and renewal shockingly demonstrates the power of war to dehumanize aggressor and victim alike. Drakulic explores the psychology of captivity, documenting the soul's struggle to remember itself despite the body's degradation. Bonnie Johnston --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

From Kirkus Reviews
Justly acclaimed as a journalist and an essayist, Drakuli chose the novel for her latest tale of the terrors of the breakup of the former Yugoslavia. While the authors reputation in the US is largely based on her reporting (Cafe Europa, 1997, etc.), work typically marked by a certain dry, black humor, her fourth novel (after Holograms of Fear, 1992, etc.) is somber, relentlessly bleak, until its disappointingly predictable life-affirming close, which is regrettably rather flat. S., the title character, is a young schoolteacher living and working in a small Bosnian village when the Serbs overrun it in late May 1992. She and all of the towns women are taken prisoner and removed to a concentration camp, where shes raped repeatedly by Serb soldiers. When the survivors of this nightmarish experience are exchanged for Serb prisoners, S. finds herself pregnant, goes to Sweden, and gives birth to a boy whose father could be any of the many men who brutalized her. The story opens in the hours after the infants delivery, as S. fights against her nurturing instincts toward the child, whom she plans to put up for adoption. This grim account will be familiar to anyone whos been reading the newspapers in the past decade or whos dipped into the copious literature of the Holocaust. Sadly, Drakuli is unable to give voice to S.s plight in a fashion that doesnt continually remind you of other, better works of this sort. S.s narrative, in first- as well as third-person, never rises above the clichs of the genre, and Drakuli is ill-served by a translation that is both banal and clumsy. Its always depressing when a serious book by a gifted author on an important topic is a failure. This one is more painful than most. -- Copyright ©1999, Kirkus Associates, LP. All rights reserved. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

The Nation
...Slavenka Drakulic has given the world a gift, digging into the twisted reality of war...a novel of cataclysmic power.

Iris Chang, bestselling author of The Rape of Nanking
"I shuddered as I read each page of this terrifying, brilliant novel. Slavenka Drakulic forced me to inhabit the soul of S., a Bosnian woman made pregnant by months of gang rape in a Serbian prison camp. Every chapter resonates with truth, horror and remarkably, even -- hope." --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

Los Angeles Times, February 6, 2000
Slavenka Drakulic is the very voice of pain. She is dripping with pain. Her novel "Marble Skin" housed the pain of a girl's sexual competition with her mother. "The Taste of Man" contained all the pain a woman could feel from a man. All her books contain the political pain of being born in Croatia in 1949 and living for the last 50 years in the Balkans. "S." is about the pain of rape in concentration camps created by the Serbs in the early 1990s. It is told in the voice of a woman who in 1992 is taken from her village and placed in a camp. Shortly thereafter, she is chosen with eight others to live in "the woman's room," from which Serb soldiers choose each night whom they will rape. The novel is about what she sees: the 13-year-old girls who are raped, the fathers who are forced to rape their sons, the mothers who kill their newborn infants born from rape. Reading these things is nothing like living through them but conveys some of the same gut reactions: shame for being human, for being safe and warm, for knowing about these things and doing nothing. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

Book Description
Set in 1992, during the height of the Bosnian war, S. reveals one of the most horrifying aspects of any war: the rape and torture of civilian women by occupying forces. S. is the story of a Bosnian woman in exile who has just given birth to an unwanted child-one without a country, a name, a father, or a language. Its birth only reminds her of an even more grueling experience: being repeatedly raped by Serbian soldiers in the women's room of a prison camp. Through a series of flashbacks, S. relives the unspeakable crimes she has endured, and in telling her story-timely, strangely compelling, and ultimately about survival-depicts the darkest side of human nature during wartime.

Language Notes
Text: English (translation)
Original Language: Serbo-Croation --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

About the Author
Slavenka Drakulic is a world renowned journalist and novelist. She contributes to The New York Times, The Nation, The New Republic, and other international newspapers and magazines. She divides her time among Sweden, Austria, and Croatia. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.

Monday, April 14, 2008

Slovenia

という国に初めて来た。
たった二日間の滞在だし、ミーティングばっかりなので、ほとんど何も見れないけど、そこはかとなく好感の持てる国だ。タクシー・ドライバーのちょっとした対応とか、ホテルの従業員の態度とか、レストランのウェートレスの愛想とか、そんな部分で国の印象というのは大幅に変わってしまう。たかがそんな表面的なことで、とも思うが、そもそも好感なんてものはそんなところで左右されるものだし、しょうがない。

Ljubljana(リュブリアナ)という街に泊まっているのだが、とても静かできれいな街だ。建物の概観はコペンハーゲンと共通するものがあるが、道にゴミが散在していない。風のきついコペンハーゲンの街はいつも紙くずが舞っている。日本人の目にはおそろしく汚く見える。久しぶりにゴミくずが舞ってない静かな石畳の街、リュブリアナを見ると、とても新鮮に感じる。

今回の出張中は毎晩レセプションが入っている。毎晩同じようなパーティ料理では飽きてしまう。今晩はレセプションを早めに出て、街の中心部を見に行った。ホテルを出る前に、まさかここに日本料理の店なんてあるかな、と若いホテルマンにきいてみたら、一軒だけある!とうれしそうな答えが返って来た。すぐにお店に電話をして予約を入れて、タクシーを手配をする。そういう動きがすべてテキパキしている。小さいが自分の国が出来た喜び、これからもっと良くしていこうという意欲、そんなものがこの国にはあるように見える。

Sushimama(寿司ママ、と書いてあった)というお店に、たいして期待もせず入った。これが大当たり。最初に出てきたお吸い物がちゃんとした味でまず驚く。次に寿司はネタが豊富でこれにまた驚く。コペンハーゲンは海に囲まれているというのに、どうしてあんなにネタの種類が貧しいのだろうとまた思う。あれだけの経済力があるのだがら、やる気になればどんなネタでも手に入るはずだし、やたらとあちこちに寿司屋があるところを見ればコペンハーゲンの寿司市場は小さくないはずだ。しかし、どこに行っても、マグロ、サーモン、エビ程度のものしかない。勢いというものをまったく感じない国から、こういう若々しい国に来ると、国家の年齢みたいなものを考えてしまう。

スロベニアは今夜が最後だし、次回いつ来るかはまったく分からないので、是非とも本屋をのぞいてみたかったのだが、寿司ママを出ると、もう9時半だった。本屋は開いてないだろうなと思って、石畳の町並みをぶらぶらと歩き始めると、なんと5秒で開いている本屋が見つかった。それほど大きくないが、お店に入った瞬間に、ああここには本好きがいると思った。そういうことを感じる本屋が日本でもめっきり少なくなった。本屋に限らずあらゆるお店が量販店のようになってしまうと店の味がなくなってしまう。

スロベニアの歴史について何か英語で書いたものはないだろうかと聞くと、いかにも知的美人という言葉が似合いそうな黒ブチのメガネをしたおねえさんが、にっこり笑って数冊あるわと言って、さっと立ち上がり、その本の場所まで連れていってくれた。一冊ずつとりあげて、簡単に内容を説明する。素敵だな、この人、メガネの奥の目が意外とセクシーだなんて思いながら聞き流してしまった。説明が終わるとさっと彼女は自分の持ち場に帰っていってしまった。

結局、しばらくその場に立ち尽くし、彼女の紹介してくれた本すべて、それ以外にも数冊とりあげて、中味を比べてみた。全部欲しくなるが、重くなるので三冊だけ選んで買って帰った。

明日はクロアチアに行く。

今日買った本。
The Making of Slovenia, Ljubljana, 2006.
Slovenia 1945 - Memories of Death and Survival After World War II, John Corsellis and Marcus Ferrar, 2005.
S. - A Novel About the Balkans, Slavenka Drakulic, Penguin Books, 2001.

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Sun, 13.04.2008: COPENHAGEN - VIENNA OS 302 1050 1235
Sun, 13.04.2008: VIENNA - LJUBLJANA OS 7037 1340 1430

Friday, March 21, 2008

善い人

コペンハーゲンのテレビでは、American Idol のシーズン7がやっと24人の決勝ラウンドに到達した。ウェブで見ると、既にトップ11人にまで来ているので、かなり遅れて放映されていることになる。

シーズン7は予選の段階から、Brooke White と David Archuleta の二人が突出しているように思えたが、決勝が始まるとやはりこの二人が他を引き離してリードしている。二人とも当然実力派なのだけど、それ以上に画面からあふれ出てくる、人のよさ、素朴さみたいなものが圧倒的な人気の要因のように見える。ウェブには二人ともモルモン教徒だという話が出ているが、だからどうだという論争になっている気配もない。今、American Idol を毎週見て投票している人たちはとにかくこの二人に好感をもっているようだ。見ているだけで気分がよくなる、そう思わせるのも才能のうちだ、みたいな書き込みもどこかで見た。今のアメリカの社会がそういうものを求める気分になっているのかもしれない。これもPost-Bush America 現象なのだろうか。

David Archuleta の方が歌はうまいと思うが、個人的にはBrooke White が好きだ。キャロル・キングやジェームス・テイラーやカーリー・サイモンを聴いて育った僕の世代の人はみんなBrooke White を応援したくなるのではないだろうか。

Brooke White の予選の一部


Brooke White が16歳(8年前)の頃のビデオ


Brooke White が歌う Let It Be


Brooke White が歌う You're So Vain


David Archuleta の予選の一部


David Archuleta が歌うImagine

Race Speech

Race Speech とは、また妙な響きだと思った。
最初、ライブで聞いていたのだが、後でもう一度聞いてみようと思わせるものがあった。
非常にレトリックがうまい。すごい高給のライターやブレインが集まって作ったのだろう。Race is an issue this nation can't afford to ignore right now. のような言い回しは他の候補者にとって、実にうざいのではないだろうか。もはや人種問題を正面からとりあげないと、逃げていることになってしまう。彼はこのようなレトリックの連続を見事に自分のものにして話している。おそろしく頭が良さそうだ。

それにしても、Race Speech とは・・・。人種問題をあえて正面からとりあげるのは選挙戦略としては、誰もが避けたいのではないだろうか。少しぶれれば大火傷をするだろうし、当たり障りのないことを言うだけなら、ボンクラに見えるだけで何も得にならない。きっかけがあったにしろ、彼が人種問題に直球勝負に出る決意をさせたのは何だったのだろう?

例えば、もう絶体絶命というところまで追い込まれている候補者なら、最後のあがきで一発勝負に出たということも考えられる。しかし、彼の場合はそうではない。逆に今追い風が吹いているところだ。だとしたら、ここで一気に差をつけて勝負をつけたいと考えたのだろうか。

選挙戦術的にはいろんな理由があり得るのだろうが、そういう戦術的なことではなく、彼がほんとに人種問題を彼の政治の中心に位置付けている、あるいは彼をそもそも政治に向かわせたのは人種問題であった、というような見方もありえる。大統領選にしたら、あまりにナイーヴな見方かもしれないが、それもブッシュ後に現れてくる現象の一つと思えば、それほど奇怪なことでもないかもしれない。オバマの登場自体がPost-Bush America の象徴のように思える。

Tuesday, March 18, 2008

寒痛い

今日は日光が射す珍しい日だったが、昨日はものすごい吹雪だった。オフィスの壁はほとんど全面、窓のような造りなのでヨットハーバーの上をすごい勢いで舞う雪を見て、仕事をしていたが、終業時間が近づくと自転車で通勤している人たちはタクシーを呼んでいた。僕は家まで歩いて20分なので大丈夫だろうと思って、外に出たが見ていたよりも雪のスピードがすごい。斜めというよりもまっすぐ横から顔に叩きつけてくるので痛い。10分くらい歩くと、顔の冷たさが耐えがたくなってきた。凍傷になって顔が潰れるのではないだろうかと心配になってきた。手で頭や顔に溜まる雪を取り除きながら歩いたが、そうすると雪が水になり顔に張り付いた水がより冷たく感じる。こんなに雪になることを予測していなかったので、底のつるんとしたブーツを履いてきたので、あまり早く歩けない。あっという間に雪は10センチくらい積もっている。まずいことになってきた、ここで挫折したら、このままコペンハーゲンで凍死するかもしれない、と思っていた頃に駅ビルに到着したので、そこのスーパーマーケットに入って身体を温めることにした。ここからは後5分ほど歩けば家に到着する。顔の痛い冷たさがなくなってから、もう一度外に出たが、今度はほんの二分くらいでまた顔の冷たさが戻ってきた。後少しだと自分で叱咤激励しながら歩いたが、頭も痛くなってきた。平衡感覚が少し狂ってきたのがふらふらする。あと一ブロックというところで、もうほんとに限界を感じた。ほんの先に自分の家が見えるのに、あと一本道路を渡る数秒が耐えられるか分からなくなってきた。不思議なことに全身の寒さはまったく感じない。顔と耳と手の痛い冷たさが突出している。ようやく家のドアにカギを差し込むところで、生き延びたと思った。

家に入ると全身に雪の積もった僕を見て、子どもたちはSnow Monster ! と言ってはしゃいでいた。

Sunday, March 16, 2008

従順な日本

WIRED でTED 2008: How Good People Turn Evil, From Stanford to Abu Ghraib を読んでみたら、コメントの方がおもしろかった。日本=従順なサル論は根強く残っているのを感じる。

日本語版は少しだけ、ここに載ってる、 人が悪魔になる時――アブグレイブ虐待とスタンフォード監獄実験

アフガニスタンやイラクやイランを徹底的に叩いて石器時代に戻してやれという戦争肯定派は(原始時代レベルまで"復興開発"したいらしい)、しばしば日本の例を成功例と持ち出すから、また虫酸が走る。あれだけWWII で、こてんぱてんに叩いてやったから、ようやく日本も文明国らしくふるまうようになって、従順に言うことを聞くようになったではなかと、だからいずれアフガニスタンもイラクもそうなるんだ、という意見。もうこれは無知の複雑骨折としかいいようがないと思うのだが、そう見られている日本のえらい人たちの方には何かご意見はおありなのだろうか。

夜、デンマークのテレビで、イラク戦争に行ったアメリカ人の追跡ドキュメントをやっていた。彼らは母国に帰っても結局居場所が見つけられない。ホームレスというわけではない。自分が帰属しているという感覚をもう持てなくなっている。なんとかしてイラクであったことを考えないようにしているが、一日中それが頭から離れない。顕れ方や程度の差はあれ、みんなPTSDに悩んでいるのだ。2001年から、現在までの数人の仲間たちの追跡ドキュメンタリーなのだが、結局一人はイラクに帰っていった。死ぬまで僕の心は平和にならないってことが分かったんだ、他のやつらが目の前に死んだんだから、と言って。

アメリカのイラク侵略戦争はイラクの悲劇とは別にアメリカに悲劇を増産している。ブッシュは21世紀最低の大統領として、それでも歴史に名を刻むのだろう。

人が悪魔になる時

エキサイト・ブログの方はどうやら本格的に潰れてしまったようだ。それなら閉鎖しようかと思ったが、ログ・インできないとそれもできない。ほっとくしかないか。

3月20、21、24日がイースターとかなんとかで休日なので、明日から三日間休むと、3月15日から24日まで10日間の連休になるところだった。先週末からオフィスの人が減り始めたような気がする。明日はほとんど誰もいないのではないだろうか。10日間の連休には僕も目がくらんだが、どうにもこうにも忙し過ぎる。オフィスが静かなうちにあれとこれとあれをやってしまおうなんて考えてしまう。

WIRED で、TED 2008: How Good People Turn Evil, From Stanford to Abu Ghraib という記事のコメントを読んでいたら、現在のアメリカに否定的な方が圧倒的に多いようだが、肯定する側、つまりイラクとかアフガニスタンを叩きのめして石器時代に戻してやれみたいな意見の方(ほんとにそういう言葉を使ってコメントしている)の中には、日本の例がまたぞろ出てくる。WWIIで日本を叩きなおしてやったから、日本も少しはサル知恵で文明と民主主義を学んで、従順になったではないか、というやつだ。

日本はそんな位置づけなんですが、それでいいんでしょうか、という話が一つと、ある社会が武力で他のある社会を武力でねじ伏せて民主化が達成できるという概念の根本的なおかしさが一つ。最後に無知が覆い尽くす先進国の危険性にションベンばちびりばすたい。

興味のある方は上記サイトの本文よりもコメントをお勧めします。中にはアメリカの開国以来の歴史がすべて戦争と侵略の歴史であったではないか、本を読め!とお叱かりしているコメントもありました。日本語でも全訳かどうか分かりませんが、要約は読めると思います人が悪魔になる時――アブグレイブ虐待とスタンフォード監獄実験

そんなのをちらりほらりと読んだ後で、デンマークのテレビをぼんやりと見ていたら、イラクへ出征した兵士たちの行く前、行ってから、本国に帰ってきてからの連続追跡ドキュメントをやっていた。元はアメリカ制作だった。字幕はデンマーク語だったので、かなりつかみそこねら。

イラクへ行く前の明るい青年たちが、イラクから帰ってきて感じるのは、もうアメリカは自分の所属する場所ではなくなったいうことだった。彼らは不眠症に悩み、PTSDに悩み、一日中、イラクのことが頭から離れられないので、山に逃げる者、政治運動に参加する者、強烈に肉体を酷使し続ける者、アジアに放浪の旅に出る者、いろいろいるのだが、一人はもう一度イラクに戻ることに決心した。結局は自分が死ぬまで自分の心に平和は戻ってこないと感じて、二回目の出征に向った。

かなり重いドキュメントだった。

Saturday, March 01, 2008

またか

また風邪ひいた。先週の木曜日に調子が悪いのに気がついた。その日は午後早く帰ったが、次の日には悪化し始めた。のどが腫れて耳の奥が痛い。いつものやつだ。年末に帰国した時にもらった抗生剤があるのでのみ始めた。明日には仕事できる状態になってないと実に困るんだけどなあ。

Saturday, February 16, 2008

世界の片隅問題

BBC News:16 Feb 2008

UN troops 'trapped' in Eritrea
The United Nations has condemned Eritrea, accusing it of preventing hundreds of peacekeepers from crossing from Eritrea into Ethiopia.

The UN ordered its regional force to withdraw to Ethiopia after the Eritrean government cut off its fuel supplies.

But the UN says only six vehicles have been allowed to leave, some troops have been threatened at gunpoint and now their rations have been stopped.

Eritrea denied blocking their departure saying its supplies had simply run out.

In an emergency session on Friday, the 15-member UN Security Council expressed "deep concern about the impediments and logistical constraints" faced by the force.

Jean-Marie Guehenno, head of the UN Department of Peacekeeping Operations, told reporters: "It's a very serious situation. We're running out of fuel, we're running out of food."

こんな世界の片隅で・・・・
誰も知ったこっちゃないだろうなあ・・・・
実に面倒くさいことになってきた。
年次財務報告書(と訳すのかどうか知らないが、そのようなもの)が修正に修正を加えてやっと終わったと思ったら、PKO Mission のエリトリアからエチオピアへの移動がごたごたし始めたではないか。時間がかかればかかるほど、予定外の出費は増える、その場しのぎのやりくりでは追いつかなくなる。しかも今年の予算がまだ口座に入ってこない。去年の残りでしのいでいるがこのままでは現金まで足りなくなりそうだ。前借りの準備をした方がいいだろうか、それも許可されるまで数週間かかる。絶対絶命ですか?

このタイミングでこういうニュース(↓)が配信されてくるのが笑える。エリトリアは世界の観光地のトップ・セブンの一つだそうだ。おもしろいので、エリトリアの事務所に転送してやった。

Eritrea: Country One of World's Top Tourist Destinations - Lonely Planet Institution
Shabait.com (Asmara)

12 February 2008
Asmara

A well-known tourism institution, Lonely Planet, indicated that Eritrea is one of the world's top tourist destinations.

The institution, citing the year 2008, pointed out that Eritrea is one of the world's seven best tourist destinations. It further indicated that Eritrea is endowed with breathtaking landscape and pristine coral reefs.


It is to be noted that visiting tourists from different parts of the world have been expressing admiration to Eritrea's rich tourism potentials and its hospitable people, noting that Eritrea is an island of peace in the war-torn Horn region.

Lonely Planet further pointed out that the other six top tourist destinations are Malaysia, Armenia, Bhutan, Montenegro in Serbia, Mozambique and Papua New Guinea.

Lonely Planet has published over 650 titles in 118 countries, with annual sales of more than six million guidebooks.

アルメニアと、モンテネグロと、モザンビークと、パプア・ニューギニアに行ったことがない。モンテネグロは近いのでデンマークにいる間に行ってみたいものだ。

Thursday, February 14, 2008

仕事は夢の中

猫も杓子もERP。
とうとう国連事務局もERP 導入に踏み切ることになったそうだ。潘基文さんが連れてきたIT部門のトップの人が頑張ってるとか。ERP 導入のための予算が欲しいなんて言われても、加盟国の外交官でそんなこと知ってる人はまずいないんではないだろうか。IT専門家から外交官になるって例は、あるかもしれないが、きいたことない。

先週、NYに行った時にある外交官にERP って何か訊かれたけど、説明するのが難しい。Enterprise Resource Planning system をERP といっているのだけど、これは一般名称で、商品名はいろいろある。いろいろと言っても、あまりに巨大なソフトで一般人がお店に言って買うようなものではないので、今は実質的には合併統合などの後、二社の独占になっているようだ。

ウィキペディアを見ると、Enterprise Resource Planning (ERP) systems attempt to integrate all data and processes of an organization into a unified system. A typical ERP system will use multiple components of computer software and hardware to achieve the integration. と書いてある。分かったような分からないような。

これを毎日相手にしないと仕事にならないので、よく分かっているかというと、全然そんなことない。ERP のロジックには難しいことはない。そもそもロジックに難しいも易しいもないかもしれない。しかし、現実に使いこなすというレベルにまで到達するのは簡単ではないと思う。何千ものファンクションがあるだろうけど、知っているのは1%くらいか、それよりも少ないかもしれない。

それにもう覚えられない。もともと記憶力は悪いのだが、日に日に悪くなっていく。一つのことをするのにいくつものステップを通過しなければならないシステムはもう覚えられない。Mac のように直感に連動するようにデザインされているわけでもない。あくまでも、ユーザーがERP さんのロジックをフォローしていかなければうんともすんとも動かない。

ERP を組織に導入するには、何億円とか何十億円とか全然分からない額のお金がかかる。しかし、パッケージ商品を買うだけではまず使えない。その組織に合うようにカスタマイズしなければいけない。これがまた巨大な資金を必要とするそうだ。今、僕の組織が使っているERP はカスタマイズのお金をケチったので、まったく使い勝手が悪い。用語さえ、実際に使う用語と一致しないので、頭の中で翻訳しながら使うようなはめになる。 ERPのあの言葉は、うちの組織のあの言葉に相当する・・・というような作業が頭の中で起こっている。

ウィキペディアにもこんなことが書いてあった。Customizing an ERP package can be very expensive and complicated, because many ERP packages are not designed to support customization, so most businesses implement the best practices embedded in the acquired ERP system. 実にその通りだ。

最初はまったく何も分からず呆然としたが、3ヶ月ほど経過して、結局何もかも分かっている人は一人もいないのだということに気がついた。みんな綱渡りのようにERP を使っているのだ。そして、毎日がトラブルの連続で、それを解決するのが毎日の仕事になってしまう。実に効率悪いと思う。これはいったい何のためのシステムだったのか。

ERP を国連事務局が導入することを、どう思うかと訊かれた時にまっさきに思ったのは、いったい誰が使うんだということだ。今いる人を徹底的に再トレーニングするつもりなのか、それとも新しくERP 要員のような人を雇うのか。ERP システムにかけるお金よりも、人にかけるお金を考えないと、まったく無駄な投資に終わってしまうだろう。

ウィキペディアにはこう書いてある。Success depends on the skill and experience of the workforce, including training about how to make the system work correctly. Many companies cut costs by cutting training budgets. ほんとその通りだ。僕がトレーニングを受けたのはたったの二日間だけだった。

ERP はオンラインで世界中つながっているので、オフィスで終わらない仕事を結局家でやるはめになる。午後10時には睡眠薬を飲んで寝ようとするのだが、そんなにすぐ寝れるわけでもない。起きている間に少しでも処理しておこうとERP につないでしまう。そして、いつか寝て、また起きる。

不思議なことに、翌朝何も覚えてない。何をどこまでやったのか。そもそも手をつけたのか。覚えてないのだ。オフィスに行って、またERP に繋いでみる。今日しようと思っていたのが終わっていたりする。あれっ、誰だ、これやったのは、なんて一人でうなるのだが、自分しかいない。背筋が冷たくなる。夢の中でやっているようなことで、めちゃくちゃではないだろうかといちいち仕事の後をトレースしてみるが、まちがっていない。実に不思議だ。こういうシステムの時に使う脳というのはものすごく偏った部分にあるのではないだろうかと思う。他は寝ていて、そこだけが動いているというような気がする。

飲んでいる薬をウェブで調べてみたら、副作用に健忘症とあった。単に薬のせいなのかもしれない。

Saturday, February 09, 2008

食べ物

今日コペンハーゲンに戻ってきた。暖冬NYの後なので、思いっきり寒さを覚悟していたら、拍子抜けするような生暖かさだった。と思ったら、次男と妻が風邪をひいてもがいていた。やはりコペンハーゲンの冬はまだ続いている。

食べ物回顧録。
2月3日、NYのホテルに着いたらもう午後10時前だったので、外に出るのはやめて、ルームサービスでハンバーガーをとった。巨大な皿に入りきらないくらい巨大なハンバーガーをのせて、巨体のおばさんがもってきた。「大きいなあ・・・」というと、「そうよ、大きいわよ、ウッシ、ウッシ、ウッシ」と身体をゆすって笑った。賞賛されたと思ったのだろうか。半分ほど食べて挫折した。

4日。昼はクライスラービルの一階にできた回転寿司屋にAと二人で言った。コペンハーゲンの状況報告みたいな話をした。夜は最近「酒蔵(Sakagura)」の近くにできた和食屋にBと行き、串焼きとそばを食った。本格的な日本食の店がまた一軒増えた。店の名前を忘れてしまった。

5日。昼はクライアントのEと、フィールドのFの三人でパブのようなところへ行った。EとFはハンバーガーを、僕は好物のバッファロー・チキンを発見してちょっと小躍りして注文した。久しぶりに食べる。僕の立場にとって、Eはお金の入り口、Fはお金の出口に当たるポジションにいるので、この3点セットがうまく行かないと仕事はうまく行かない。いがみ合いの3点セットなど珍しくもなんともないが、EとFとはうまくいっているので幸運だと言えるだろう。仕事の話をさっさと済まして食うことに専念した。

その日の夜も、E+Fの三人で飲みに行く予定だったが、マンハッタンからかなり遠いところに住むEの家にFが泊まっており、そこで飲むらしく、それには時間が足りずキャンセルすることにした。まあ、昼飯いっしょだったのだから、いいだろう。一人の時間ができるとほっとする。一人で「めんちゃんこ亭」に行って、皿うどんを食べた。

6日。昼はややこしい案件の話を今回コペンハーゲンからいっしょにNYに来たCと、クライアント側のD+Eとする予定だったのだが、このCがまた話の分からない人で、かつ話し相手を微妙に苛立たせる人で、きっとDと全面衝突するだろうとこの日の朝5分くらい思い悩んでいた。

結局、ミーティングの前にDと二人で話しをして片付けておく決意をして、ミーティングを1時間遅らせて、Dを連れ出して二人でランチをすることにした。D がイタリアンに行こうと言うのでついて行ったら、去年の夏アミールと行ったところだった。かなりおいしい店だと思う。が、これも店の名前を忘れた。店員の英語のイタリア語訛りが強くてわかりづらい。話は予定通りの暗礁に乗り上げ、予定通りの着地点に到着した。オフィスに戻ってミーティングをすると、5分で終わった。その後、自分のオフィスへの帰り道、Cはいかに自分が話をうまくまとめたか延々と語っていた。こういう人は出世するだろう。

そう言えばその前日にCがどこか夕食に行こうと言うので、「僕はもう毎晩予定が入ってる」というと、般若のような顔になった。「どうしてだ?」と追求してくる。そういう時は何もきかず引き下がるのが礼儀だろうと思うが、Cにはそういう配慮がいっさいない。「NYに5人ガールフレンドがいて、5日しかないので一人ずつに時間を配分するのが難しい」と言ってみると、「NYに5人ガールフレンドがいるのか」と真剣に聞き返してきた。アホか、こいつは。「ただの友だちだよ」と言って立ち去ろうとすると、今度はヘチマのような顔をして、ふーんと言ってるのが聞こえたが、もう無視してホテルに向った。Cは仕事中も一日中喋り続けている。どうでもいい話ばっかりなのだが、それがすべて何か/誰かを罵る話なので、だんだん気分が滅入ってくる。しかも、仕事になると、必ず一言目に「どうしてあたしがそれをしないといけないのか」と呪い始める。そのくせに、お偉方の前になると、いかに自分が仕事がよくでき、熱意を傾けて取り組んでいるかというのを、相手が男だったりすると、猫なで声もところどころに交えて、実にうまく話すのだ。鼻が効くというのだろうか、きっちりそういうポイントは逃さない。Cが国連に来る前に所属していたNGOの人があれはbitch だと言っていたが、彼らもそんなのをまんまと国連になすりつけてうまくやったものだ。

6日の夜は、G と「饗屋(Kyo Ya)」に行った。ここの和食のレベルの高さは日本でもすごいだろうと思う。行く前にちょっと風邪にかかったような気がしたので、薬局で風邪薬を買って飲んでいったのだが、少しお酒を飲むと頭がくらくらしてきた。タバコのせいか、お酒のせいか、と思うが、今になって考えると薬と混じったせいではないだろうか。カブールでG と飲んでいて、一度泥酔したことがあるが、この日もかなり酔ってしまい、最後の方は何を話したのかとんと覚えてない。泥酔しやすい相手というのがいるのだろうか。G にはどんな話もすぐ通じるのでリラックスし過ぎるのかもしれない。

7日の昼は、同じ部署の人たちと国連本部の中のレストランでお食事をして親睦を深めようという主催だったのだが、忙しい人が多いので結局半分くらいは親睦ランチに出ず、オフィスでふんばっていた。出張に来ている分際ではさすがにぶっちぎるわけにも行かず、出席したが、おもしろくもなんともなかった。食事の帰りに、ずっとNYに住んでるHが国連の切手を作ろうと言い張る。写真を撮ってそれを切手にしてくれるのだ。冗談かと思ったら、本気で作りたいらしく、恥ずかしいからやめようとごねてみたが、結局、HとIと三人いっしょの写真の入った切手を作った。Hが持って帰ったが、あれを貼ってほんとになんか送ってきたらかなり恥ずかしい。

夜はJ と「蘭(LAN)」に行った。ここはお肉も寿司もおいしいので、最初にお肉を食べ過ぎて、最後のお寿司が全部食べられなかった。とても無念だし、お店の人に申し訳ない気持ちで土下座したくなった。J は業界は違うが接点もあるので共通の話題も多いが、視点が違ったり、分野による知識の濃淡が同じ業界の人とは異なるのでおもしろい。
食べたもの:
- 黒枝豆
- 日本産真鯛の刺身熱々オイルがけ
- 鮪と梨のタルタルアボガドのせ
- ホタテとローストビーフのなんとかかんとか
- 黒豚のハニーロースト 生姜とニンニクの焦がし醤油
- 寿司二人前
飲んだもの:
- 瞑想水
- 神の河

8日の昼は、以前、慰安旅行みたいなワークショップをやったコンサルの人を呼んでブラウン・バッグ・ランチをオフィスの大親分が催した。またかよっていう気分がオフィス中に蔓延していた。もうこの日の夜にはNYを発つので出発までに片付けたいことが山ほどあるので、僕もその蔓延する気分の一部であったのは確実だと思う。ところが、クライアントのE が彼の同僚を呼んでランチを企画したので、僕はそっちに行くことになった。C もいっしょだが、オフィスの中で仕事を気にしながら、もんもんとサンドウィッチを食べるよりましだろう。また5日と同じパブみたいなところに行ったので、またバッファロー・チキンを頼んだ。

午後10時10分発の飛行機なので、8時には空港に着かないといけない。JFK はセキュリティがうるさいので脅しでなくて本当に時間がかかる。空港に向う前に買い物をしておきたかったので、5時くらいにコートを着て荷物を片付けていたら、C がやってきた。「コート着て何してるの?」とまるで泥棒を見つけたような口調で言う。「はあ?今から買い物行くんだよ」と言うととたんに人相に般若が入ってきた。「じゃあ、どこで会うの?」とまた追求してくる。「僕はホテルに荷物を預けてあるから、買い物をしたらホテルに行って、そこからタクシーに乗るよ」というと、「自分はスーツケースをオフィスに持ってきたのだ、ホテルから荷物を持ってオフィスに戻ってくる気はないのか」といいはなった。あと20歳若かったら顔面に蹴りを入れていたかもしれない。「ない、そんなことしたくないから、ホテルに預けたんだ」ときっぱり言うと、今度はヘチマの顔になった。その時、般若とヘチマをトータルすると、ガラパゴス海亀に似ているかもしれないなとふと思った。「じゃあ、空港まで別々に行こうと言い出してくれ」と念力を発してみたが、それも通じず、ホテルで待ち合わせすることになってしまった。

ショッピング・リストはほとんど無駄に終わった。リストの中で買えたのは、Imperial Life in the Emerald City だけだった。日本の本屋には行く時間もなかった。子どもの本を数冊とDVDを2枚買った。

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3-8 Feb 08 Radisson Lexington Hotel
8 Feb 08 Northwest 8644/KL644 22:10-11:30+1 JFK-AMS
9 Feb 08 Northwest 8431 15:10-16:30 AMS-CPH

Sunday, February 03, 2008

惜しい。

NYに着いた。予想(予報?)通り、全然寒くない。
Door-to-door の時間を計算すれば、全部で16時間くらいかかっている。疲れるわなあ。

アムステルダムの空港が全面禁煙になっていた。去年の11月に通過した時はまだすえたのに。
乗り継ぎの時間が6時間近くあったので、空港ビルの外に出てすうことにした。しかし、タバコを2本すうためだけに入国と出国の手続きをするはめになった。

『神様のプレゼント 永沢光雄・生きた 書いた 飲んだ』 永沢光雄/永沢昌子 (著)を読んだ。アムステルダムを発つ前に読み終わってしまった。

惜しい。ほんとに惜しい才能がまた一つ地上から消えて行った。

Saturday, February 02, 2008

右往左往

全然知らなかったが、来週の火曜日から二日間、東京でアフガニスタン復興について国際会議があるらしい。

TOKYO, Feb. 2 (Xinhua) -- Japan will host a two-day international conference on Afghanistan's reconstruction started from next Tuesday in Tokyo, officials from the foreign ministry said on Saturday.

Delegates from 24 countries and international organizations will take part in and to hold discussions on the topics of security, economic development and further financial donations for the war-torn country.

こういう会議でリアルタイムの現実を反映するのは難しいものだが、かといって、もうすでに現場からの自己批判がおおっぴらに出てきている今となっては、あんまりのーてんきなことを言うのもかっこがつかないだろう。いったいどういう基調で運営していけばいいんだろう。担当者は苦しいだろうな。

明日からまたNYだ。費用対効果を考えると、これもまた疑問だらけ。そんなことより個人的には、ともかくめんどくさい。まったく電話も会議もメールも入ってこず、誰も話しかけてこない、仕事だけに没頭できる、そんな日が一週間に一日あれば、全体としてはものすごく仕事の効率があがると思うのだが、そんなビジネス論はないのだろうか。

NYに行くと言っても、「めんちゃんこ亭」の皿うどんと、「酒蔵」のそばと、「蘭」の寿司と・・・・、和食を食べる予定しか頭に浮かんでこない。まるで日本に帰るような気分だな。

今日は午前中で終わる日本語学校に行っている息子を迎えに行こうと準備をしていたら、エリトリアのオフィスから電話がかかってきた。エリトリア・エチオピアの国境紛争の停戦を監視する平和維持活動に関する安全保障理事会と国連事務総長の発言が矛盾して、どうも困った事態になっている(はあ?)、エリトリア政府がガソリンの配給を止めたので備蓄でしのいでいるが、あと1週間ももたない(そう)、撤退の準備を始める(はあ)・・・

やっと2008年度の予算が承認されたと思ったら、あぁぁーーー、もう知らないよ、勝手にしてくれ、と言いたくなったが、結局1時間くらい話していた。運良くか運悪くかどうせ月曜日はNYなので、DPKOの担当者と話をして、どういうシナリオが想定されているのか聞かないと。

それと同時に、とりあえずローカル・スタッフの給料と当分もぬけのからになるかもしれないオフィスの家賃を半年分くらい払える処置をしておかないと、ゴタゴタが始まってからではめんどくさいことになる。言うのは簡単だが、恐ろしく非効率な官僚システムの中ではこういうことが一番うざい。胃が破裂して血が噴出しそうなくらいフラストレーションがたまる。今から遭遇することを考えただけで、もう胃が捻り上げられるような感覚がある。

しかし、エリトリアのオフィスの人は明日、アディス・アベバに当面の引越し先を確保しに行くと言っているし、文字通り右往左往の状態なのだろう。こっちでお金のことくらいバックアップしないと、フィールドの人は困ったことになってしまう。なんとかしないと。

NYは暖冬らしい。ウェブの天気予報を見るとコペンハーゲンよりも平均して5度くらい高い。何着ていこうかな。ダウンは邪魔かもな。あーパッキング面倒くさい。唐突だけど、マドンナなんて一生自分でパッキングなんてしないんだろうな。


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3 FEB 2007: Northwest 8428 12:15-13:40; CPH-AMS
3 FEB 2007: Northwest 8643 18:10-20:10 AMS-JFK

Friday, February 01, 2008

部族性

Oxfam がアフガニスタンに対する国際社会の対応を憂う、みたいな声明を出したせいか、同様の路線の記事が目立ってきたように思うのは気のせいか。

Economistの ”In the dark"(Jan 31st 2008)も、その一つのように思える。パクティア県、パクティカ県、ホスト県の強力な部族勢力をタリバンと区別して書いていたのは、珍しい。これらの県はISAFがコントロールできないと言っていたところだが、たいていメディアはこういうところをタリバン一色みたいに扱う。しかし、タリバンにとっても難しい地域であるとこの記事が書いているところを見ると、Economist はちゃんとした情報源を持っているのだろう。

タリバンの二大特色のように語られている宗教性と部族性(パシュトゥーン性?)を抜いてみると、混乱した時代の世直し運動みたいなものが残る。つまり、とてもローカルなもの、ある特定地域・国に限定しないと意味のないものだ。そのへんで、アル・カイダのような地球まるごとの変革を志向しているようなグループとは、少なくとも短期的にはギャップができる。このギャップにはとても大きな意味があると思うのだが、世界テロ戦争がそれを見えなくしてしまう。

しかし、6年間すったもんだしたすえに、ようやくそれがアフガニスタンに展開する各国軍にも明らかになってきたということなのだろう。世直しをもとめる一般民衆がタリバンしか求めるものがないという状況を打破しない限り、どうにもならないということがいろんな形で語られているだけのように思う。カルザイ個人はともかく彼の政権には一般民衆がもっとも嫌悪する人々が大挙して巣食っていた。これはカルザイにはとても大きなハンディキャップだが、それも国際社会のとんでもない勘違いの産物で、彼にはどうしようもなかっただろう。

タリバンに関するもっとも根本的な誤解は、タリバンを宗教性と部族性で特色付けることだろう。この二つは突き詰めれば根本的に相容れないものだ。宗教の普遍性に対して、部族の個別性はどこかで衝突せざるを得ない。イスラム教はそもそも砂漠の部族間抗争の混沌から目を覚ます役割を果たしていた、と井筒俊彦は書いていた。実際タリバン時代に仕事をしていたわれわれは、仕事相手の大臣がタジクだったり、コマンダーがハザラだったりしていたので、タリバンを部族性(パシュトゥーン性)でまとめるのはおかしいと感じていた。しかし、対立する相手が部族として固まっているわけだから、部族間抗争に見えたのもしょうがないかもしれない。

Economist の記事はこういうタリバンの非部族性としての部族性みたいなことを書いているので、よく見ている人がいるものだと思った。

Wednesday, January 30, 2008

地下

最近、Baitullah Mehsudがタリバンから追放されたというニュースが出ていたかと思うと、その後、タリバンとBaitullah Mehsudはなんの関係もないという声明をタリバンが出していた(Dawn , 29 Jan 07)。メディアではなんでもかんでもタリバンって呼ぶから、何がタリバンか分からなくなってしまっているのを、タリバンが妙に丁寧に説明するはめになっている。

Baitullah Mehsud は、the Tehrik-i-Taliban Pakistan というグループの長だから、混乱に拍車をかけている。タリバンのスポークスマンは、「イラクにもサウジアラビアにもMullah Omarに誓いを立てているムジャヒディンはいるが、別に彼らがMullah OmarのOperational Control の下にいるわけじゃないでしょう」なんて例まであげて説明している。

こういう混乱が今始まったわけではないので、いまさら説明してもしょうがないと思うが、カルザイ政権との間で何か地下で動いているのかもしれない。犬猿の仲のようだったカルザイとムシャラフの間も和んできているように見えるし。もしタリバン内で過激派と穏健派の亀裂が再発しているのだとしたら、穏健派を取り込んで超過激派を切るチャンスかもしれないが、世界テロ戦争なんて漫画みたいなこと言っていたら、またこのチャンスもとり損ねるだろう。

Saturday, January 26, 2008

医学博士・伊良部一郎とマユミちゃん

奥田英朗の『インザプール』に続いて『空中ブランコ』を読み終わった。どちらも寝る直前にポツポツと読むのにちょうどいい長さの短編の集まりだった。医学博士・伊良部一郎という精神科医とマユミちゃんという看護婦が必ず出てくるシリーズだったのだが、この二人の架空の人物がだんだん好きになってくる。

うーむ、おもしろい、と唸った。どれもこれも、感じがいい。文学批評なんていう話ではなくて、とてもうまい。職人技の素晴らしさとでもいえばいいのか。これぞ、プロのライターっていうか。

全然知らなかったが、アマゾンを見てみるとたくさんあるではないか。きっとかなり有名な作家なのだろう。日本の出版事情というものに疎いとは思っていたが、ここまで疎くなっていたとは気がつかなかった。

もっと読みたい。

Friday, January 25, 2008

まちがい

どこの家でも小さい子どもがいる家はこんなに朝は騒々しいのだろうか。まずなかなか起きない子どもをなんとか起こそうとする段階で母親の最初のいらつきの芽がまかれる。そしてぐずぐすしてなかなか済まない朝食で本格的にいらつきのエンジンがかかり始める。歯を磨かせようとする頃には本調子だ。そして、服を着替える段階で最高潮に達する。靴をなかなかはけないところでトドメを指す。

どうも身体が重くてベッドから出る気がせず、騒動の成り行きを音だけで追っていた。どうしてこんなに疲れているのだろうか、昨日寝たのは何時だったかなどと考え始めて気がついた。昨日は18時間続けて仕事していた。その間に一食しか食べてない。規定の二日以上ではないか、バカバカしいと思って、オフィスに行くのはやめることにした。

しかし、よくよく考えると午後から採用インタビューの予定が三つ入っていたので、これをすっぽかすわけにはいかない。とりあえず同僚に昼頃に行くとメールを送ろうとしたのが間違いだった。洪水状態のinboxを見ると、どうしてもすぐに返答しないといけないものがいくつかある。しょうがないから、それだけ返事を出そうと思って書き始めたら、すっかり仕事モードになってしまった。結局、シャワーを浴びて、オフィスに行くことにした。

この仕事はいくら追いかけても追いつかない。しかし、ほったらかしにすると、ものすごい勢いで増加していくので、追いかけないとしょうがない。どう頑張ろうがどうせ追いつかないんだから、無理なものは無理でほっとこうと、よく同僚達と話す。ストレスを溜めないための処置としてそういうことを話すのだけど、それが効果的かというとそうでもないのだ。仕事がどんどん溜まるとそれが今後は気になってまた別のストレスが発生する。だから、やってもやらなくてもどっちにしても、ストレスまみれになるということだ。処理能力を超えた仕事量というのは精神のどこかを確実に蝕んでいくだろうと思う。

* * *

明日は長男の日本語学校があるので、金曜日は宿題を見る。ほんとは毎日少しずつ見るべきなのだけど、子どもよりもこっちが疲れていて結局いつも一夜漬けとなる。毎回漢字のテストがあるのだが、うちの長男はひらがなもあやしいし、カタカナはほとんど覚えていない。それでも、英語、日本語、ウルドゥー語に加えて最近は急速にデンマーク語も分かるようになってきた。その上に、今学校の勉強を詰め込んだところで、長期的にはたいしてメリットもないような気がするので、あんまり熱心に漢字を覚えろと言う気にもならない。

今回の宿題はなんだろうと先生の手紙を見ると、なんと俳句というのがあるではないか。そんなもの小学校一年生で教えているのかとちょっと驚いた。息子に俳句って何かしってるか、ときいても知らないという。しかし、だからと言って、どう説明したらいいのか分からない。とりあえず、poem みたいなもんだ、five letters, seven letters, five letters になってる、と言ったがこれではさっぱりなんのことか分からないだろう。いくつか例があったので、それを見せてこんなのをなんか作ってみろと言って、タバコを吸いに行って戻ってきたら、「出来た」というではないか。

「きのうぼく  カレーライスを  たべました」

「・・・・俳句というのは、そうじゃなくて」

と言いかけたが、そうじゃくていったい何なのか。確かに、five letters, seven letters, five letters ではある。まあ、いいか、そのうち分かると思って、それでよしとした。

次に音読の宿題をすることにした。毎日読むことが宿題なのだが、結局今週も一回も読まず、前日にこうやって一回だけ読むことになる。一行ずつ番号がついている短い分を読んでいく。

「1.生まれたばかり。2.大きな耳。3.一年くらい。」

ここまではなんなく進んだ。しかし、次の4で何かしばらく考えている。

「4.草を・・・、た、た、た」

・・・・?なんでそんなところで詰まるんだ?

「草を・・・、た、た、たたべるの?」

はあ?何をきいているんだ?意味なんか考えなくていいんだって。本を見ると。「草をたべる」と書いてあるだけで、それを読めばいいのだが、草をたべるという行為に息子は疑問を持ってしまって、前に進めなくなったらしい。

そんなことどうでもいいんだって、ということが子どもの勉強を見ているとしばしばある。しかし、子どもはそういうところに妙にひっかかってしまう。さっきの俳句といい、なかなか笑わせてくれる。

「牛とか草たべるでしょ。自分がたべるって思わなくていいの」と言って、とりあえずこの難局は切り抜けたのだが、よくよく考えると、息子はほとんど主語のある世界に住んでいる。しかし、日本語にはほとんど主語が出てこない。草をたべるのが自分であるという方向に想像が向ってしまってパニックに陥っても全然不思議ではない。子どものまちがいというのは、大人の正解よりはるかに興味深いものだ。

* * *

18日だったので、ちょっと古いけど、CIAも、ブットー暗殺をメフスッドの仕業って結論したみたいだな。

CIA Director Michael Hayden is now backing the Pakistani government's view.
"This was done by that network around Baitullah Mehsud. We have no reason to question that," Mr Hayden told the Washington Post.