Monday, May 29, 2006

Being irritated

Kabul has been being irritated today. Let's see how it will go tomorrow. Ciao, ciao.

Irritatingly Catchy

Miss USA 2006 の放映がもうすぐあるらしく、しょっちゅうそのコマーシャルがテレビに現れるのだけど、そのバックにJAMES BLUNT の "You're Beautiful" が使われている。最初にほんの1秒か2秒聞くだけで、ああもうこれは軽く数百万枚突破だなというような曲で、当然売れまくっていると思う。Miss USA 2006 だけでなく、いろんなところから聞こえてくる。

先日、EuroNews でBest Song 賞のニュースをやっていて、やはり"You're Beautiful" も賞をとった曲の一つだった。そのニュースの中で、田舎の信用金庫のエライさんのような禿げちゃびん系のアナウンサー、つまりまったくポップな音楽には縁 もゆかりも興味も関心もございませんって風情のおっさんが、一目見て思わずお前はベートーヴェンか、とつっこみたくなるような、神経質な顔した髪の毛ぼっ さくの、そんなに歳寄りでないが、旧共産圏で製造したとしか思えない背広を着て、ピアノの前に座っている作曲家にインタビューしていた。

この二人の造形美だけで、僕はEuroNew の少なくともこの部分に釘付けになったから、これはディレクターの勝利だろう。ドブネズミ系のスーツが板についているアナウンサーは、いきなり、 「"You're Beautiful" は、Irritatingly catchy だけど、どうなんだい?」と切り出した。おお、鋭いな、このおやじ。ぼっさくベートーヴェンはまったく動じず、ちょっとコード進行を見てみようと言って、 ダーン、ダーン、ダーン、と弾いてみせる。そして、「まあ、ごくありふれたコード進行で、ビートルズもこういう進行の曲をたくさん作ったし、 彼は(JAMES BLUNT)は、これまでのヒット曲をよく研究したんだろうね」と言う。すると、すかさず、禿げは、「もうすべてのトリック、すべてのメロディ、すべての 組み合わせは出尽くしたんじゃないか。まだ、新しい組み合わせは可能なのか」と追求する。共産系ベートーヴェンは、少し苦笑い気味に、ほとんどそう言える かもしれないが、まだ可能性はある、みたいなことを言った。そりゃ、そうだろう。なければ、彼の作曲家という職業はどうなるんだ。

そして、画面はパッと天気予報に変わった。これがニュースかよ。なんかレベル高いことやってんな。それにしても、あの禿げは一般視聴者が思っているようなことをうまく質問してくれたもんだ。アホみたいな絶賛しか知らないアナウンサーとは一味違った。

その後、彼の使ったirritatingly catchy というフレーズが頭の中にこびりついて離れなくなってきた。そう言えば、Miss USA 2006 に出てくる51人の美女のあの笑顔もirritatingly catchy だ。思わずテレビ画面に向かって、どうせ口あけて寝てたって、鼻くそほじくったってキレイなんだから、そんなにニタニタすんなと言いたくなる。日本でも、 スチュワーデスとかキャビン・アテンダントがそのずっと後の女子アナ並に花形職業だった頃、つまり本来の業務とはまったく関係ない部分で評価されていたよ うな頃、ああいう笑顔が蔓延していた。あれがうれしい男と、あれにぞっとする男との割合は、当時は当然前者が高かったから、あういう戦略が有効だったのだ ろう。今はその割合はたぶん逆転しているのではないか。でも、よく分からない。もしそうだとすれば、日本の航空会社も戦略を転換しなくてはいけないだろう けど、どうしたかな。クソ忙しい時に何考えてるんだろう?

で、とりあえず、"You're Beautiful" ダウンロードしてみっか。

Saturday, May 27, 2006

二つ目の17日

ヨシログのページに行って、まとめて読んでみると、なんか誇張し過ぎかもと思って、19日のを少し書き直した。それと、17日に二つ書いたはずだけど、二 つ目どこかにありますか?アップしたはずなんだけど、見つからない。どこにいったんだろう?おかしいなあ、誰か見つけ方、教えてもらえます?とりあえず、 もう一度コピーしておきますが。


^---^

あった。コピー削除。

Saturday, May 20, 2006

ロンドンの雨

昨夜は酔っ払って、ぐっすり眠ったせいか、パチっと目が覚めた。まだ7時過ぎではないか。もっと寝ようかと思ったが、ロンドン最後の日なんだから、起きる ことにした。メールをチェックする。ダッダッダッダッダッダッダッダッダッダっとメールが受信箱の上から下へ動いて行く。気になるものをいくつか開けてみ る。なんてMessyなんだろう。カブールで留守番をしている優秀なアミールは当然孤軍奮闘し、怒りとため息の間でもだえ笑い狂ってるだろう。落ち込む。 遠くでできることは限られている。カブールに帰った時の対策の伏線として、いくつかメールを送った。

今日は、本屋をのぞいてみようと思っていた。ただ、その前に早急に一枚服を買う必要があった。ポロシャツとボタンダウンしかもって来ていなかったので寒くてしょうがなかったのだ。寒いロンドンをこの格好でうろうろするのは限界がある。だから、優先課題は服一枚だった。

9時頃に外に出たが、霧雨が風に舞っている。寒い。とにかくなんでもいいから何か服を買わないと凍ってしまいそうだ。あてもなく歩き始めたが、まだほとん どのお店が開いてないではないか。15分ほど歩いて、露出した僕の腕はもう凍ってきた。もう、だめだ、ホテルに戻るにはちょっと遠くに来過ぎた。どこか飛 び込めるお店はないかとあたりをキョロキョロ精力的に見回しながら、早歩きであてなく歩き続けると、サンドウィッチの「サブウェイ」が開いているのを発見 した。店内に入ったが、お客さんも従業員も誰もいない。まだ準備中なのか。

僕の気配をさっして奥の方から黒人のお姉さんが、ヨーッとか言いながら出てきた。
「もういいかな?」ってきくと、「オーケー」。どこまでも非イギリス的気さくさ。僕はメニューを見ながら、なんでも良かったのだが、「暖かいのはどれ?」ときくと、「全部暖かい」と言う。
イギリスの「サブウェイ」はみんな暖かいのか?まあ、どうでもいい。深く追求せず、イタリアン・クラブというのと、コーヒーを注文した。「寒いからチリをたくさん入れて欲しい」というと、ほんとにてんこ盛りに入れてくれた。

ガラス張りの壁にカウンターがついていたので、そこで僕は外を歩く人を見ながら、サンドウィッチをゆっくり食べた。お客さんは僕一人だ。黒人のお姉さんは また奥に引っ込んでなんか仕事している。誰かお客さんが入ってきたら、黒人のお姉さんに教えてあげないといけないなと思う。臨時店員になった気分で、責任 感に満ちてきた。

じっと外を見ていると、霧雨が風に翻弄されて、ふぁーっとあっちやこっちに方向を変えて舞っているのが良く分かる。やがて霧雨が大粒になり、一人前の雨に なった。もう確固とした意志をもって自分の行く先は自分で決められるとでも主張しているかのように、スパスパと地面を叩き始める。と思ったのもつかのま、 また雨は意志の弱い霧雨と化し、風の翻弄が始まる。

人々は、この変化を微妙につかまえて、霧雨になるとさっさと歩き始め、一人前の雨になると、さっとビルの陰に入ってつかのまの雨宿りをしている。そして、 また霧雨になると、素早く歩き始める。傘を持っている人は実に少ない。ロンドンの人はこうやって年がら年中雨とつきあっているのだろう。

雨になったからといって、一気に絶望する必要もなければ、霧雨になったからといって、小躍りして次回の落胆を増加させる必要もないのだ。ロンドンの雨は何百年にも渡って、心の深いところで人々に影響を与えてきたかもしれない、と思う。

* * *

ロンドン人のように雨の扱いに慣れていない僕は、結局、ずぶ濡れになり、寒さに凍え、あらゆる判断力を失い、今日限り一生着ることはないだろうすごい趣味 のセーターを一枚買って、その頃には本屋に行く気力など完全に失って、ホテルに帰ろうとしたが、もちろん、その頃にはもうどこを歩いているかさっぱり分か らなくなっており、ふとヴァージンが目に入ったので、そうだ、前から買おうと思っていたDaniel PowterのCDを買おう、という口実を捻出して、とりあえず店の中に入ったのだった。

アルファベット順におそろしく古いのから最新のまで差別せず、とりあえずあるもの全部並べてみましたという感じで並んでいるCD群を眺め始めて、いやはや 寒さを忘れて、顔がほころんでくるのを抑えることにしばらく気がつかなかった。僕を見ないふりして見ていた人は、僕のことをずぶ濡れになってCDをながめ てニタニタしている東洋の狂人と思っただろう。それにしても、Peter Green やJ.J. CaleやWet Willie が普通の顔して店頭に並んでるってのも不思議な気がしたが、日本でもヴァージンくらい巨大になるとこういうのは当たり前なのだろうか。

一番まじめに音楽を聞いた中学生の頃に聞いていたようなCDを何枚か買った。
1.1973年に出たByrdsのオリジナルメンバーによる録音の"Byrds"。これは実に名盤だと思う。Gene Clark, Chris Hillman, David Crosby, Roger McGuinn, Michael Clarke がメンバー。"See The Sky About to Rain" を聞くと、今でも中学校の正門から西に向かって田んぼの真ん中をまっすぐに進む道をはっきりと思い出す。サッカーの練習が終わってクタクタの気分と夕暮れ の景色は今日も終わった感に満ちていた。右を見ても左を見ても田んぼがずっと続き、前を見ると長い舗装した道が遠くに見える高層ビル群につながり、うしろ を振り返ると校舎だった。ウォークマンはなかったけど、頭の中では音楽がかかっていて、その時よく流れていたのが"See The Sky About to Rain" だった。その時、映画を作りたいと思ったのを今突然思い出した。

2. Peter Frampton の"Frampton Comes Alive"。二枚組みのライブ盤。ものすごくよく売れたレコードだったと思う。ピーター・フランプトンは泥臭いハンブル・パイというバンドを抜けて、い きなりこのアルバムでソロデビューしてアイドル・ロックシンガーになってしまった。僕はハンブル・パイが好きだったのだけど、そこでピーターなき後、泥臭 さ追求に専念していたスティーヴ・マリオットが、この16、17年後、僕がイギリスに行った時、まだ場末のライブハウスで頑張ってるのを知って驚いた。も ちろんロンドンのどこかへ彼のライブを見に行った。89年から90年だったと思う。彼は91年に亡くなった。

3. Focus "The Best of Hocus Pocus"。特に好きだったわけではないけど、あまりの懐かしさに買ってしまった。フルートがぴ~ひゃら入っていて、当時はプログレ・ロックという範疇 に入れられていたと思うが、今、聞いてみると、これぞポップスという音ではないか。皮肉なことにロックの大衆化でプログレッシヴだったのかもしれない。

4. Crowded House "Recurring Dream The Very Best of Crowded House"。これはそんなに古くない、と思う。20代に入ってから聞き始めたと思う。ただ好きな音で、また聞いてみたくなって買った。

5. Daniel Powter "Daniel Powter" 。彼のデビュー盤。Bad Day が爆発的ヒットになって、いろんなところで使われて、彼のことを知った。American IdolでもBad Day は落選した人のビデオを流す時に使ってる。Crowded House と、Daniel Powter を続けて聞いてみると、なんか似ている気がする。自分の趣味の範囲ということなのか。しかし、音楽の趣味といっても自覚的に説明できるほどのものもない し。

* * *

ヴィクトリア駅までタクシーで行き、そこから電車でガトウィック空港に行った。Swindon からロンドンまでと違って、電車の窓から見える景色が近代資本主義国家的に汚い。でも、隣に二人、前に一人、計三人の若い女性が座り、珍しくみんなそろっ てきれいだったので我慢することにした。ガトウィック空港駅に着き、ロンドン市内のATMで日本の円口座から引き出したポンドがたくさん余っていたので、 それをドルに両替した。少なくとも三つの銀行を数円ずつ儲けさせてしまった。無駄。

チェックインしてから、薬局でアルカセルツァー発見。20個入りのを4箱買った。カブールのPXでは長らく品切れ中で結構苦しんでいたので助かった。レストラン街に回転寿司があった。食べなかったから分からないけど、あまりおしそうには見えない。商売になるのだろうか。

EKのラウンジはとても広い。念のため書いておくと、ワイレスでインターネットに無料で繋がった。

ロンドンからドバイの機内で寝るつもりだったが、映画を三本続けて見てしまった。"Transporter 2"、"Lord of War"、"In Her Shoes"。三本ともこれまた珍しく見がいのある映画だった。ドバイには朝7時に着いたので、カブール行きの国連機の出発まで5時間、空港で人生を無駄 にした。

20 May 06 EK 010 C LGWDXB HK1 2115 0710+1

Friday, May 19, 2006

ソフトシェルクラブ

午前中はまたディスカッション。今後三年間の戦略ペーパーなるものを作っているのだが、サンディとマットと僕の三人で同時に違うところを書き分けて、それ を一つにするという作業を繰り返すので、頓馬なことをするといくつも変形version ができてしまう。事故を避けるために、僕のPCで常にマスターversion を維持することにして、今朝の時点では、Version 4.0 だったのが、それでも何度も右往左往し、正午にはVersion 9.0 に達していた。しかし、完成にはほど遠い。

日曜日にはカブールに着くので、月曜日にカブールで皆の衆を召集してブリーフィングをし、皆の衆のインプットを募り、月末までに完成するという空想を立て ている。たぶん、無理だろう。結局、最後には一人で暗い屋根裏部屋に閉じこもって、何の勝算もない賭けに全財産をつっこむようなペーパーを形だけでも完成 せざるを得ない苦しみにもだえる図が僕の頭の中では着々と完成しつつあった。

最後にDisaster Management Centre 所長のアラスター氏に、この二日間の成果(?)のブリーフィングをし、12時きっかりに終了した。サンディは自分の車で来ていたので、家まで5時間のドラ イブに出発した。僕はSwindon という駅から電車に乗ってロンドンに向かった。昼ごはんを食べてなかったので、Swindon 駅で、バゲットのサンドウィッチとコーヒーを買った。6ポンドほどした。1000円くらいだ。高いなあ。

ロンドンのパディントン駅には1時間ほどで着いた。ハリーポッターを思い出すような、古めかしく大きな駅だ。少し見覚えがある。15年前に通過したのだろ う。そこから黒いタクシーに乗って、インターネットで予約したThe Westbury Mayfair Hotel に向かった。この黒いタクシーはそのまんまだ。15年前も一台欲しいと思ったが、また今も一台欲しいと思った。

ホテルはとてもイギリス的な石壁に内部は質素でダークな色合い。けばけばしさが微塵もない。部屋はこじんまりとしている。これで一泊128ポンド(2万5千円くらい)は高いような気がするが、ロンドンの相場ではこれくらいなのだろう。

今回の出張は、仕事はどうでもよいわけでもないけど、まあ個人の心情的にはどうでもよくて、それよりも、若くしてケンブリッジに学徒出陣したAさん に会うのを僕は楽しみにしていた。ショーコさんと同じ歳だから、かるく二世代くらい年下なのだが、彼が日々重ねているインプットや、それに対する彼自身の リアクションの話は、僕にとってもおもしろい。僕がするひまがなくなったインプットを彼を通してすることもできるというもんだ。

夕方、ホテルを訪れたAさんととりあえず近くのパブへ二人で行った。Aさんは何を気を使ったのか、カブールを発つ前、何通りかの組み合わせの 同行者について打診してきたのだが、今から思うと、日本人ゲストには若い女の子を連れて行くというような気も一応使わないと、なんだ気のつかない男だ!あ いつは仕事ができない!なんて、日本のまっとうな男社会人世界では思われたりしかねないからだったのかもしれない。商社に勤める友人に聞いた、日本からの お客さんを迎える苦労話を思い出した。

パブではビールを一杯だけ飲んで、次にAさんが予約していた『馳走』というお店に行った。そんなに高くない居酒屋のようなところと聞いていたが、 行ってみると、小さいけど、小ぎれいなインテリアに、小ぎれいな日本人ウェイトレスに、小ぎれいなイギリス人の女二人組みが僕とAさんの席の隣にい た。カブールのごつい世界に目が慣れているせいか、みんなどうしてこんなにちっちゃくなっちゃったんだろうとしばらく考えていた。とても華奢な身体つき に、小さな顔に、小さな服を着た女な子たちを見て、小人の世界に入ってきたような気分だった。

メニューを見ると、かなり好きなソフトシェルクラブがあったので、まっさきにそれを注文した。15年前も僕は中華料理屋でソフトシェルクラブだけを注文し、ワインを一本頼んで、一人で本を読むというのが習慣化していたのだった。

今日のメニューは、

ソフトシェルクラブ唐揚
あんこうの肝
寿司特上盛り合わせ
鮭皮巻き
牛肉のたたき
キムチ奴豆腐
豚ばらキムチ
こんにゃく味噌田楽
五目そば
五目うどん
サッポロビール小瓶1本
ミネラルウォーター小1本
焼酎ロック・ダブル無数

10時頃に店を出たのだが、僕はかなり酔っ払っていた。全部で、163.13ポンド(約3万円)。Aさんはあれっ?という顔をしていた。一人当たり 80ポンドを超えたのは初めてだとつぶやいていた。つまり、思ったより高かったらしい。ロンドンの物価事情が分からない僕としては高いのか安いのか分から ない。後でレシートを見ると、

Food: 85.70
Drink: 59.30
Service: 18.13
Total: 163.13

となっているから、食べ物的にはそんなに高くないんだろう。飲みすぎただけじゃないだろうか。何杯飲んだか覚えてないし。

外に出ると、とても寒い。小雨がパラパラと降って、夜の路面が光っている。とてもロンドンだなあと思った。また、この数日間、頭の中に繰り返し出てきた 「石文化は強い」というフレーズが訳もなく出てくる。ホテルの部屋にたどり着くと、僕はびしゃびしゃになった服を脱ぎ捨てて、すぐにベッドに入った。

Thursday, May 18, 2006

美しき村

目が覚めるとまだ午前4時過ぎだった。
もう一度寝ようと思うが、そう簡単に眠れるものでもない。しばらく暗い部屋の中で何か考えることはないか考えていた。ろくでもないことしか頭に浮かんでこ ない。シャワーを浴びる時も部屋の外に出るわけだから、やはりきっちりした服を着て行かなければならないのか、シャワーを浴びた後またすぐに服を着て戻っ てくるのか、近頃髪の毛が茶色くなってきたのは歳のせいか、カブールのシャワー水のせいか、そんなこと。

今日は陽がさして、緑がとてもきれいだ。午前中に今後三年間のコスト計算を済ませて、ランチタイムにマットの運転でサンディと三人で、Defense Academy の敷地の外にサンドウィッチを買いに行った。サンディは休暇でイギリスに戻っていたのだが、その後に続けて、ここで二泊三日の仕事をするためにやってき た。マットはイギリス防衛庁の訓練プログラムを請負う25年契約を落札したばかりの大学の人。サンディは元々軍隊に30年間もいたので、ここは居心地良さ そうだ。ミリタリー経験のない僕とマットは、どうもしっくりいかない感が抜けない。

近所の村の中を通って、サンドウィッチ屋さんに行ったのだが、実にきれいな村だ。16世紀頃に立てられた家がそのまま残っている。そういう家の価値がもの すごく高いのだそうだ。新しい家でもとんでもなく場違いな建物は一軒もないし、道の両側に果てしなく広がる緑の草原や水平線まで黄色くなっている菜の花畑 のどこにも、風景をだいなしにするようなものがない。日本の美しい風景で悲しいのはどこに行っても、まったく場違いな清涼飲料水や家電の広告看板が立って いることだ。美しい一幅の絵に、噛み倒した後のチューインガムをなすり付けるような、あの感覚は訳が分からない。

時々藁葺き屋根の家があるのに気がついた。この藁、もしくは藁葺き屋根全体をthatch というらしい。Thacher 首相は藁葺き職人が先祖だったんだろうか。マットはこういう美しい村の風景がとても好きらしく、ロンドンに住みたくないと言っていた。マットでなくても、 そういう人がたくさんいるから、村に住んで、通勤時間が1時間とか1時間半でも我慢する人が多いのだそうだ。


(↑)Thatch の家。

こうやって地域全体の風景をぶち壊さないことによって得られるものはとても大きいと思う。個々の家の価格が上がることにマットは悲鳴を上げているが、村全 体の価値の上昇率は計り知れないと思う。どうすれば、こういうことが実現するのか?この資本主義の世界では看板立てるなって言っても、ちょろっと土地を貸 してお金になれば立ててしまうだろう。そういうことを制限する法律でもあるのかと訊いたら、サンディとマットは声をそろえて、「ある!」と断言した。景観 を守ることにイギリス人はとても敏感なのだと説明する。しつこくイギリス中どこでもそうなのかと訊くと、二人ともほとんどそうだと言う。ここがイギリスで 特別きれいなところではないかと、さらにしつこく訊いたら、もっときれいなところはいっぱいあると来たもんだ。

僕はだんだん元気がなくなってきた。近代化はイギリスを破壊しなかったんだな、とつぶやくと、サンディがすかさず「しなかった」と答えた。もっとも最初に 近代化を開始した国だからこその知恵なのか?景観をぶち壊すという痛い失敗をすでに繰り返した後なのか?全然分からないが、近代化と景観の関係の研究が あったら、いつか調べてみたいものだと思う。

19世紀末に日本にやってきた西欧人が残している書き物は必ず日本の美しさを絶賛しまくっているので、近代化の過程とそれに伴う資本主義の猛威が日本の景 色をここまで醜くして、日本人の美的感覚を狂わせてしまったのは、ほぼまちがいないと思うのだけど、それは21世紀の今になっても、なんとか近代化の入り 口に手をかけたような国の場合でも共通している。タイでもパキスタンでもアフガニスタンでも景色の美しさなんて巨大なお金の流れの前では吹き飛んでしまう のだ。パキスタン北部の勇壮で美しい山岳地帯にペプシの看板がポツンと立っているだけで、どれだけペプシの売り上げが上がるか知らないが、景色の破壊の大 きさは絶対的に大きい。

今日の食べ物が手に入るかどうか分からないような境遇で、景観がどうのこうの言ってられるかい、というのはよく分かる。それでも、こうやって遅れてやって きた国は、貧乏くじを引かされてるような気がしてならない。グローバリゼーションなんて音頭に乗って、キャッシュを追いかけた末に、少し長期的にやってく るのは、醜くボロボロになった国家じゃないんだろうか。美しい村の土地の価格は、醜い村の土地の価格よりずっと高くなるだろう。国家全体で景観を破壊した ら、その国家の価値はどんどん下がってしまうんじゃないだろうか。そして、それはさらなる貧困の原因とは考えられないのだろうか。貧乏は貧乏を招くしかな いのだろうか。

また日本に戻るけど、村興しなんて言って、どっちみち元の取れない産業振興策に莫大な税金を突っ込むくらいなら、景観を整える法律を作って、すでに醜く歪 んでしまった景色を少しずつ直すことにお金を使った方が、長期的には経済効果は高いんじゃないだろうか。どこか小さい村の村長になってみたいと、また空想 壁が出てきた。

Wednesday, May 17, 2006

臭く餓死する、か。

EK011便の機内に入って、自分の席にすわると、いきなり鋭い郷愁に襲われた。シートに使われているピンク・パープル・ブルーが入り混じった生地を見て突如思い出したのだ、2003年イラク攻撃の騒動を。

あの頃、何度も大阪とアンマンの間を往復していたが、北回りの時もあれば(アムステルダムやパリ経由)、南回りの時もあって、南の時は関空・ドバイ・アン マンというルートが多かった。関空・ドバイ直行便のEK機のシートの生地の柄が、ほぼ三年間まったく思い出したこともなかったが、記憶の底にこびりついて いたらしい。

あれから三年間イラクは出口なし。2002年9月、僕はもう仕事を辞めるつもりで特別無給休暇というのをとって日本に帰ったのだが、いつの間にか、妙な形 でイラク戦争に巻き込まれていく一人になっていた。2002年暮れから、NYやジュネーヴやアンマンで、いつ始まるのか、ほんとに始まるのかどうか、未だ に分からなかった戦争の準備のために調査をしていたのだが、行く先々で、この今の状態を予測する人はとても多かった。そして、その通りになったではない か。戦争の準備と書いてから、おかしな言い方かもしれないと思ったが、やっぱりそのままにしとこう。結局、戦争の表の準備と裏の準備のようなものではない か。

とんでもないことがいっぱいあったが、すぐに思い出すのは、砂のことばかりだ。砂嵐の恐ろしさ、砂を吸い込んだ赤い空気の色、砂漠の息ができないような暑 さ、砂で次々に壊れていくPC。砂はすごい、砂はすごい、という思いが、EK機のシートの生地と同じくらい深く記憶にへばりついている。こんなところで戦 争?バカじゃないのと思ったことを、夜になると驚くほど下がる砂漠の気温、圧倒的な暗黒の中で光たおす星くず、テロリストなわけないでしょって顔をした美 形のパレスチナ人の女性たちとともに思い出す。

映画を見る気にも、音楽を聴く気にも、本を読む気にもならない。ロンドンまで7時間35分かかるらしい。寝ることにした。

* * *

イギリスに来るのはとても久しぶりだ。何年ぶりか考えてみると、約15年経っていた。ちょっと前だと思っていたが、15年間何をしていたんだろうと思うと、死の恐怖のようなものを感じる。

ガトウィック空港は何度か通過しているはずだけど、何を見ても何にも思い出さない。建て替えしたんだろうかと思ってみるが、どこも新しく見えないので、そのまんまなのだろう。ただ完璧に忘れただけか。

通関で「どこに行くのか」と訊かれたが、あれっ、どこに行くのだ?よく分からない。誰かが迎えに来てくれるはずでぇ、その人がぁ、どこかにぃ、連れて行っ てくれてぇ、それでぇ、あれっ?・・・と痴呆まるだしで、もごもご言ってると、生ごみでも見るような顔で「何をしに来たのか」ときかれた。え~っと何しに 来たんだったかな。

なんか形勢不利だ、いかん、イギリスはテロを警戒しまくってるはずだから、ちゃんと答えないと入国できずに強制送還されてしまうかもしれない。でも頭がぼけていて、話せば話すほどややこしくなってくる。

ある大学でぇ、な、なんか研究やっててぇ、そのお手伝いに来てぇ、と言ってると、入国審査官のおねえさんは僕の言葉を無残に遮って「なんで手伝うのだ?」だって。

だからあ、その研究はぁ、国連がぁ、元々頼んだんだけどぉ、でもぉ、頼まれた人だけでぇやってもぉ、ほら、わかんないこともあるでしょお、だからぁ、そのぉ、このぉ、でえぇ、えーっと、何話してたんだっけ?

あ~だめだ、おねえさんの顔はますます険しくなってくる、でも、なんでこの人こんなに美人なんだろう?機嫌がよければもっときれいなんだろうな、なんて考 えてる場合かと思うが考えてしまう。彼女の顔に見とれながら、もう一度最初から詳しく話しをして、やっと納得してもらった。アホまるだし。

さて、外に出ると、迎えの人たちが名前を書いたボードなんかをもって並んでいる。おなじみの風景で少し安心する。で、一通り見てみたが、ない。僕の名前は どこにもない。遅刻したのかな、よくあることだ、少し待てばきっとやってくるに違いない、ここは先進国のイギリスなんだ、奴隷にされて売り飛ばされたりす ることはなかろう、安心すればいいんだ、でも、どうして行き先くらい聞いてこなかったんだろう。万が一誰も現れなかったら、自力でどこか分からないがたど り着かなければいけないじゃないか、どこに行くか知らないとどうしようもない・・・しみじみ心の奥底でまったくの不手際を後悔しながら、もう一度迎え人た ちを一人ずつ検証していくことにした。

・・・あった、僕の名前だ、なんとピシッとしたダークスーツにネクタイ、短い髪、高い背、がっしりした体格。ハンサムなおにいさんが僕の名前を書いた紙を もって静かにたたずんでいるではないか。おお、『トランスポーター』だと僕は思った。『トランスポーター』の主人公そっくりではないか。ヨレヨレのジーン ズをはいて、機内ですっかりくしゃくしゃになったコットンのボタンダウンシャツしか着てない自分をふりかえると、急に可哀相な浮浪者の気分になってきた。 いきなり萎縮してしまう自分に情けなくなり、いっそう浮浪者気分が高まってしまう。

やっと空港ビルを出たあたりで、『トランスポーター』に「どこかでタバコ吸えないだろうか」って訊くと、ちゃんとした英語で「車をとってくるから、そこで 待っててくれ、その間にそこで吸えばいい」と言う。おお、どこで習ったんだ、その英語。ちゃんとし過ぎ、そんな英語しゃべる奴、国連には3人くらいしかい ないぞ、と不必要に心の中でうそをついてみたが、この『トランスポーター』の粗探しはどうも実りそうにない。

タバコを吸いながら、しばらく待っていると、キャー、なに、それ?アウディの新型かよ、それでスーツ着て何?『トランスポーター』そのまんま?まいったな あ、もういいよ、あんたはかっこいいって、分かったから、もう少し手加減した方が恨まれなくていいよって思っていると、さっとドアをあけて、「プリー ズ」ってか、おいおい映画じゃないんだからさ、調子に乗るのもいいかげんにした方がいいよ。そのうち鬱屈した日本人に殴られるよ。あっ、でも『トランス ポーター』は喧嘩強いんだな、これが。

ハイウェイの両側はずーっと緑が続く。どこもかしこも圧倒的に土色の国から来ると、緑がとても贅沢に思える。緑は美しい。緑が豊かさの象徴であると思う。 どれくらいかかるの?って『トランスポーター』に訊くと、「それは道路事情しだいだ。1時間30分から1時間45分の間に着くだろう」だって。そんな細か いこと訊いてねえよ。で、それだけ?もうちょっとなんか、こう軽くくだけた世間話とかしないわけ?無口なんだね。仕事だからね。でも、パキスタンとかドバ イのドライバーはうるさいよ。子供は何人いる?とか、月給いくら?とかそんなことまで訊いてくるもんね、それがプロというもんだろ、えっ違うか?って思っ たけど、絶対不利になるので、黙って寝ることにした。

眠りこけていたら、『トランスポーター』に起こされた。ああ、よく寝た。「あそこでパスをもらわないとここから先は入れない、あなたの名前は分かっている はずだ」とかなんとか、『トランスポーター』が言ってる。そういうのって、あんたの仕事じゃないのかなあ、なんかよく分からないけど、僕は車を降りて、 ゲートに併設されてるビルに入っていった。

ここはどこなんだろう?とまだ寝ぼけながら、「パスがいるって運転手が言ってるんだけど」、バカでしょ、あいつ、お客さんにパスとってこいなんて、まった く近頃の若者はダメだね、なんて顔をして、おばさんに声をかけると、「イエッサー」だって。いやはや、それほどでもないんだけど、で、パスってもらえる の?

「あっ、これですね、ミスター・ヤマモト、あなたの名前は連絡を受けております、キッチュナー・ホールまで行って下さい。ここをまっすぐ行って、あっちま がって、こっちまがって、どうのこうのです。ゲートを通過する時は、これを見せてください。敷地から出る時は必ずこのパスを持って出てください。パスを 持ってないと、戻れなくなりますから。最終日にはゲートにまた返してください」。なんだ、なんだ、厳重だなあ。

「おーい、パスもらったよ、キッチュナー・ホールってとこに行くんだって」と『トランスポーター』に声をかけると、オーケー、それならすぐそこだ、とかなり無愛想に『トランスポーター』は答えて、ゲートに向かって発進した。

軍人がゲートを見張ってる。どこもかしこも最近は軍人が大はやりだなあ、でも、ここはイギリスでしょ、アフガニスタンとかイラクとかそんな物騒なとこじゃ ないのに、どうして軍人がゲートで見張ってるんだ?と、ちらっと思ったが、美しく緑で充満した広大な敷地に息をのんだ。緑と緑の間にレンガ作りの古典的な 建物がポツン、ポツンと建っている。

で、ところどころに異様な物体。戦車、ロケット、などなど・・・なんだ、これは?ここはどこ?ひょっとして、軍事基地?突然気分がそわそわしてきた。『ト ランスポーター』は相変わらず無言で運転しているが、キッチュナー・ホールにはすぐに着いた。そこで、僕をおろすと、『トランスポーター』は、ではここ で、とかなんとか言って、さっと消えてしまった。ここでって、ここで何をすればいいんだよ?まったく。

とりあえず、キッチュナー・ホールとやらの中に入って、受付のようなところに行ってみる。「あのぉ、田吾作田舎ノ介ってぇもんですがぁ、ここに来るように 言われたんだけど、ひょっとして、僕のこと連絡されてたりしますうっ?」と訊くと、この受付のおばさんも、また「イエッサー」だって。不気味なんだよ、そ れ。やめてくんない?と思ってる間もなく「あなたはここに二泊して19日に出発です。417号室があなたの部屋です。これが部屋のカギ、これが建物全体の カード・キー、そしてこのカードがダイニング・ホールのパスです。チェックアウトの時にすべて返却してください」。キッチュナー・ホールって旅館だったの か、それならそうと早く言ってくれたらいいのに、まあ、いいか、まだ眠たいし、とりあえず部屋に行ってみよう。


(↑)部屋の窓から外を撮った写真。この敷地には、こんな緑の景色がこの百倍続いている。

質素な部屋。電話もテレビもLANもなんにもない。ひぇーこんな環境久しぶり。「いらっしゃいませキット」一式のようなものが部屋の机の上にあったので、とりあえず手にとってみる。表紙を見て、えっ?えっ?えっ?と?が連発。

Officer's Mess (将校宿舎)だって?Defence Academy(防衛大学)だって?どういうこと?なんで僕はここにいるの?読み始めると、とんでもないことが書いてある。

ドレス・コード:最低限の基準:常にカラーのあるシャツとズボン。スポーツシャツ・ジャージ・フリース・リクラなどの素材を使ったものは不許可。ジーンズ は全敷地内で一切許可されない。ダイニング・ホール、バーでは、ネクタイとジャケット、もしくは制服を着用しなければいけない・・・

延々と細かな規則が書いてある。困った。ここは正真正銘の軍人の館ではないか。そんなことはどうでもいい。僕はすでに規則を破っているではないか。ジーン ズをはいてのこのこ入ってきたのだ。そして、着替えのズボンはない。つまりジーンズ一つだけでやってきたのだ。ネクタイもジャケットももちろんあるわけな い。困った。どうしよう。ここで二泊三日部屋の中に閉じこもって餓死するべきだろうか。

部屋の中を見渡しても備品のようなものは何もない。うわっ、軍人さんはきっと生活に必要なものはなにもかも一式持ってるんだろうな。僕はタオルさえ持ってない。どうしよう、二泊三日シャワーも浴びれない。どうして、こういうことを前もって連絡してくれないんだ?

ここで途方に暮れていてもしょうがない。僕は善後策を立てるために受付に戻った。まず、軽く「タオルを借りることはできるだろうか?」って訊くと、おばさんはあっさり貸してくれた。次にさらに深刻な問題をとりあげた。

「ジーンズは許可されないって書いてあったんだけど、そうなんですか」
「許可されません」
「アハ、ジーンズしか持ってないんだけど、どうしたもんでしょう?オホ」
「誰かにズボンを借りるか、どこかで買うかしないとしょうがないですね。誰か知り合いの人はいませんか?」
「もう一人来ると思うんだけど、彼は僕より小さいし。あっそうだ、マットって人に会うことになってるんだけど、彼に連絡をする方法はないでしょうか?」

憐れみに満ち溢れた微笑を満面にたたえて、おばさんは電話を貸してくれた。

「マット、着いたよ。今、キッチュナーホールにいる。ジーンズ許可されないんだけど、ジーンズしかないんだよ。ネクタイとジャケットがないと食事もできないらしい。」と言うと、とりあえずこっちまで来ると言って、マットは電話を切った。

結局、僕はその日から三日間、マットのズボンをはいて過ごしたのでした。そして食事はすべて外食。昼はサンドウィッチを買って、きれいな緑の芝生の上で食べて、夜は外に出かけて、一日目はインド料理、二日目はイギリス伝統料理。

美しく広大な敷地に村上春樹みたいに過不足なく整理整頓が行く届いた施設。過剰と欠乏が恋しくなった。僕に軍人は向いてない、死ぬまでヘラヘラしていたい、と思った。

根真面目

ドバイ空港のラウンジでPCを開くと、ワイレスでインターネットに繋がっていた。よく覚えてないが、ウィーンもJFKもトロントも無料で繋がったんではな いだろうか。日本の空港は有料の何社かに繋がる仕組みだったと思うが、これもよく覚えてない。が、とりあえず全世界ワイレス無料にしてください。

栄花均の「札幌から出直します」で、後藤健二も松島倫明もブログをやっていることを知ったので(どうして今まで知らなかったんだ?!)、ちょろっとのぞいてみた。頭がぼやけたままで、ちゃんと文章を読む気がしないのだけど、ぱらぱらぱらぱらぱらぱらっと読んでみた。

いや~驚いたね。二人とも、ものすごくまじめ。今どき、こんな人間がいたのかと思うくらい、冗談一つ言わず、書いてやんの。いや、尊敬します。これはも う、表面はたわけ者であっても、根っこがまじめなのだと思わざるを得ない。ほっといたら、どこまでも崩れて行く自分を知っている僕としては、異部族に遭遇 した気分だ。

それに比べると、栄花均の文章に出てくる感動癖や根っこの朽ちやすさは自分に近いものを感じる。部族的に言えば、またいとこくらいの関係にありそうだ。しかし、彼は文章うまいな。僕が編集者なら彼に目をつけるけどな。

『INDEPENDENT PRESS 』が、後藤健二
http://ipgoto.com/blog.php

『書籍編集者の極私的備忘録(たまに玉の話も)
人生で大切なことは全て撞球場で学んだ。』が、松島倫明(タイトル、長いよ)
http://blog.goo.ne.jp/matsushima-m

* * *

というところで、いきなり切れてしまいましたが、何か異変があったわけではありません。ふと気がつくと、ガトウィック行きEK 011便のラスト・コールをしていたので、あわててPCのふたを閉めて、ゲートに向かったのでした。

EK 011 C 17MAY DXBLGW HK1 0245 0720

Tuesday, May 16, 2006

こっちも今回は全員実名で

笑った。あっ、またトラックバックが付いている。いまだにトラックバックが何か理解していないのだが、とりあえずクリックしたら、「札幌から出直します」 ページが出てきたではないか。トラックバックとはそういうものとすると、驚くのはかなりアホなのだろう。まあ、どうでもいい、僕は一人で笑いころげた。目 から涙がにじみ出てきて、PCのディスプレイがぼやけてしまったくらい笑った。といっても、悲しいわけでも、感動したわけでもない。ただ、あまりにバカバ カしくて、笑いが止まらなくなって、笑いで顔面が歪んだまま、元にもどらず、涙が物理的に目から搾り出されただけなのだ。人が失業して、これからどうやっ て家族を養っていこうかって時に、「パリでバーをやらないか」だって?後藤健二、ほんとバカだよなあ。でも、そういうの好きです。死ぬまで、そのままでい てほしい。素っ頓狂と天才は紙一重だから、後藤健二にもいつか爆発してほしい。

ところで、松島倫明も出張かよ。NYなんか行ってヘラヘラしてるから、離縁されたあげくに、原稿も集まんないだって。ちょっとは、「フォーサイト」の ショーコさんを見習ったらどうだ。原稿集めて、結婚して、もうすぐ一児の母だぞ。とまあ、これも言い訳の一貫で、とっくに企画は没になった後で、いつか松 島倫明が人生のすべてを後悔するような原稿を送りつけてやろうと、しみじみと二日に五分くらいのペースで僕はまだ松島発注の原稿を考え中なのでした。

ああ、眠すぎてハイだ。夜、帰宅した頃はたいてい疲れ果てていて、ベッドにどっと横になる。そのまま寝てしまうのだけど、たいてい30分とか1時間で目が 覚めてしまう。その後が悲劇だ。シャワーを浴びたり、料理をしたり、テレビを見たり、本を読んだり、原稿のことを考えたりするのだが、もう眠れない。

そうやって、もがいているうちに、一昨日はハッと気が付くと、朝の5時半になっていた。もう寝るのは完全に諦めて、僕はキッチンのある階に下りて行き、 朝っぱらからアーティチョークのガーリック炒めを作って、生ハマといっしょにそれをパンではさんでサンドウィッチを作った。これはおいしいぞ。みなさん、 試してみてください。

BBCを呆然と見ながら、サンドウィッチを食べて、7時半頃に車を呼んで、その日はとっととオフィスに行った。僕の顔を見たアミールが、Oh, my God, you didn't sleep、とあっさり言ってのけた。僕の顔はぼけまくっていたらしい。あまりのしんどさにその日昼休みにゲストハウスに帰って、昼寝をした。1時間くら いだけど、これは異様に快適だった。

そして、またオフィスに戻り、明日から出張なので、いろいろと片付けだすと、あっという間に9時になっていた。今日もまた眠れないだろうと思っていたが、 どうせ明日は朝6時半にチェックインしないといけないし、最初っから寝る気はまったくなかった。カブールからドバイへ向かう飛行機の中で寝ればいいし、ド バイのトランジットが14時間もあるので、ホテルを予約していたから、ドバイで眠りこければいいと思っていたからだ。

そして、案の定というか、予定通りというか、僕はまったく眠らずドバイ行きの飛行機に乗ったのでした。2時間半の飛行中たぶん1時間は寝ていたと思う。ホ テルにチェックインして、PCをつないでくそメールの山をダウンロードして、ちらちらと仕事メールを見たら、気分が悪くなってきた。「パリにバー」で命拾 いしたようなもんだ。今のうちに寝よ、寝よ。出発まで、まだ12時間ある。

Saturday, May 13, 2006

At the Breakfast Meeting

とても天気の良い朝、やっと冬が去ったのははっきりしてるけど、まだ夏の暑さまで少しある、春と呼ぶにはシャープな日差し。そんな日の朝。

「オーケー、ちょこっとbreakfast meeting で300万ドル。悪くないわね、そう思わない?」と言って、金髪の彼女は机の上の書類を片付けながら立ち上がり、こっちをちらっと見て、 いたずらっぽく ニッコリ笑った。僕は気分を害するどころか、そんな彼女の言葉、動作、表情の組み合わせに好感をもった。ジンメルなら、これだけでものすごく難しい論文を 書くだろう。イエスでもノーでもない、身をゆだねるのでも拒否でもない、所有でもない非所有でもない、が矛盾はどこにもない、みたいなことを延々と書い て、なんのことはない、なんとか女性特有の魅力をさす概念であるコケティッシュを解明しようとした彼の論文「コケットリー」を僕は思い出した。(『社会学 の根本問題(個人と社会)』に入ってる)

その朝、僕はあるドナー国の大使館で拠出金の交渉の最終段階の打ち合わせをしていた。簡単に言うとお金をもらいに行ったのだ。今、ものすごい財政危機で、 あと何日で100万ドル必要!みたいな計算を毎日やりながら、なんとかやりくりしているのだが、例えば来週までに1000万ドル下さいなんて言って、すん なりくれる国があるわけはない。拠出金の交渉は普通は1年以上前からちゃんとやらないと、それぞれの政府の事情があるわけだし、どうにもならない。

この日訪れた国とはすでに2400万ドルの交渉をやっていて、それがまとまりかけていたのだけど、あまりの金欠に同情して(?)、さらに追加して別予算から300万ドルほど回せる可能性があるという連絡があったので、その話を聞きに行っていたのだった。

こういう時に用意する書類(たいていはProposalと呼ばれている)のフォーマットは国によって異なっているが、そのフォーマットに埋め込まれている 論理構成に大した違いはない。面倒くさいので、細かいことは書かないけど、究極のゴールから個々の活動との間を結ぶ垂直の論理(例えば「桶屋を儲けさせ る」という究極のゴールのために「風を吹かせる」という活動を行うという論理的つながりを示す)と、垂直の論理の各段階を成立させる前提と垂直の論理を横 につなぐ、水平の論理と呼ばれるものを組み合わせてマトリックスを作り、そのマトリックスを一本の線に再構成したもの(すべての文章は線形なので)が フォーマットになっている。

良いproposalは簡単にマトリックスに再構成することができるが、ダメなのは再構成できない。このマトリックスをロジカル・フレームワーク(ログフ レ)と呼ぶのだけど、これは考える過程を補助する道具であって、提示するためのものではない。これをペタッと貼ってあるproposalもあるが、それは 別に飾りと思えばよいとしても、文章の内容を読むとまったくログフレと一致していなかったりして、それでは、わざわざこれは悪いproposalですよと 宣言しているようなものだ。形だけ先行して内容がついていってないということだけど、ありとあらゆるものが形だけで進むことを見慣れている日本人には大し た驚きでもないだろうと思う。いちいち小姑のように他人の作った文書に文句をつけてる時間もないので、見て見ぬふりをして通り過ぎるのだけど、いわゆる専 門家と呼ばれる人たちの文書の中にもそんなわけの分からないのは山とあるので、今勉強中の人や見習い中の人はおじける必要はないと思う。それでも生きてい ける。

しかし、どんなに普遍的に立派な文書を作ったところで、それだけでは現実にはまったく意味がない。個々の政府にはそれぞれの国内事情があり、それに合わせ た文書が必要なのだ。我々のような外部の者と政府の出先機関(外交使節)との間で合意ができた後、それぞれの首都での国内的攻防があるのが普通だ。各国内 部にお金を出そうとしている人(外務省とか)とお金を握り締めている人(財務省とか)がいるのだから、我々としてはいかに前者の援護射撃をうまくするかと いうことを考えないといけない。その朝、僕が訊きに行っていたのはそういう話だった。本国政府の担当者はどういう内容がお好みか、文章はどれくらいつっこ めばいいか、予算の詳細のレベルはどの辺におけばいいか、大雑把なのが好みかシンプルなのが好みか、というような話を15分ほどしたのだった。妥協できな いこちらの論理は維持するが、あとは人格のないライターになり切って徹底的に相手の好みに合わせる文書にする。そうやって、ちまちまとお金を集めているの でした。

そして、最後に彼女が言った言葉が「breakfast meeting で300万ドル。悪くないわね」だった。僕はアハハと笑いながら、立ち上がり、彼女と話をしていた間ずっと背中の暖かさが気になっていたので、うしろを振 り返った。壁はガラス張りになっていた。壁際は端から端までベンチのようになっていて、そこにカラフルなクッションがいくつか置いてある。クッションと クッションの間に鉢植えがポツン、ポツンと並び、明るい日差しがクッションのパステルカラーと鉢植えの緑に当たって反射している。アフガニスタンの砂色の イメージも、政府機関のドブ鼠色のイメージもそこにはなかった。彼女は自分の国をここに作っているのだろうか。もう一度、彼女の方を振り返ると、さっきは は気がつかなかったけど、明るい日差しが彼女の金髪と横顔にあたって光っていた。こういう効果もひょっとして計算に入っているのだろうかと思ったりしなが ら、僕は彼女が自分で作ってくれたお茶のお礼を言って、今後の連絡のために名刺を渡して、彼女の部屋から出た。最後に名刺交換なんて、日本とはまったく逆 だけど、肩書きで仕事をするほどえらい身分ではないので、ちゃんとコミュニケーションさえ成立し、話が進めば、名刺なんてどうでもいいのでした。そんなこ と言ってるから、僕はほとんどいつも名刺を忘れ続けているのだ。

建物の外に出ると、庭の芝生が日差しを反射してまぶしい。あらためて建物をふりかえってみると、とても質素だ。政府機関とは思えない。でも、ある種の趣味 が一貫して主張されているのを感じる。芝の向こうの、外界と敷地を隔てる外壁の方を見ると、外壁より高い外の並木が壁に沿って木陰を作っている・・・。そ れを見て、やっと気がついた。外交使節の建物にはお決まりの巨大な土嚢をここは積み上げてないではないか。軽い衝撃を門番のアフガン人にばれないように胸 の中に隠して、僕は敷地の外に出た。すぐに外壁に沿う並木を見てみた。やっぱり巨大土嚢の山はない。良い趣味という言葉を今朝はなんども頭の中で使ってい たが、これは趣味ではなく哲学ではないか。哲学のある国か。日本の哲学なんてことを考えると憂鬱になるので、それを頭の中から振り払った。迎えの車はまだ 来ていない。涼しい木陰の下で外壁にもたれて、タバコに火をつけた。地面には葉の形がくっきりとした影になって写っていた。葉と葉の間は砂がまぶしく光っ ている。今朝のほんの30分くらいの出来事を頭の中で僕はもう一度リプレイする。そして、そうだ、ジンメルではなく、アーウィン・ショーだ、彼の文体をま ねて、短編を書いてみたいとふと思った。

Monday, May 08, 2006

Quixotic な、あまりにQuixotic な

「これはドン・キホーテ的営みではないだろうか」という一節が締め切りを5日遅れて昨日やっと送った「フォーサイト」の原稿の中にあるのだけど、またも怒 涛の一日から帰ってベッドに仰向けに横たわって、白い壁に両足の裏をつけて足と壁とベッドの直角三角形を作って、ぼんやりと天井を見ていたら、ふと「ド ン・キホーテ的」っていうのは日本語として意味が通じないのではないかということに気がついた。書いている時は、ただまったくもう Quixotic だなあという気分を日本語に翻訳したつもりだったのだけど、アルファベットをカタカナにしただけで翻訳になっていないではないか。

でも、日本語にすると何が当てはまるのだろうかと考えても何も出てこない。電子辞書に入っている「ジーニアス英和大辞典」を見てみると、

1.[時に Q~]ドン・キホーテ式の。
2.空想的な、紳士気取りの、幻想的な、現実離れした。
3.衝撃的な。

となっているが、どれもぴったしこない。「空想的な」と「現実離れした」が近そうだけど、「空想する」という行為が前面に出てしまうと、それさえ気づかな いトンチンカンさの味が出てこないし、「現実離れ」にすると、現実との距離の大小が問題なのではなく、現実との絶対的絶縁が問題なので quixotic の本質からずれてしまう。辞書を作る人に quixotic な気分は似合わないからしょうがないかもしれない。ついでに同じ電子辞書に入っている「Oxford Advanced Learner's Dictionary」も見てみると、

「having or involving imaginative ideas or plans that are usually not practical」

と書いてある。言語間で単語を一対一対応させないと気がすまないらしい辞書よりは親切だと思うけど、こうやってきっちり定義的に書かれてしまうと、やはり 漏れるものも出てくる。理想的なのは、現実に使われているケースを100個くらい列挙して、辞書を引いた人に体得してもらう(感得か)ことだろうけど、そ うなると辞書が分厚く成りすぎる。しかし、電子辞書なら分厚くならないのだから、もう辞書の成り立ち方を根本的に変えてしまっても良さそうな気もする。 IT会社の若い社長が辞書業界に殴り込みをかけて、単語を定義せず、感じさせるだけの電子辞書を作って老舗の辞書編纂会社を蹴散らしていただきたいもの だ。

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20代半ばの頃のことだから、20年以上前のことだけど、大阪のミナミにQuixotic Bar というバーがあった。御堂筋の西側の、つまり貧乏臭い方の(東側には心斎橋筋が通っていてそのまた東側にはおしゃれな、というかバブリーなお店が当時は次 々出来ていた)、汚いビルの地下に幅1.5メートルくらいの通路が通っていて、その両側にみっちりと小さなお店が並んでいた。いつも臭くて、じっとりと 湿っていて、照明はたいてい半分くらいは切れているような薄暗い通路で、こんなところにわざわざ飲みに来る奴はどんな人間なのだとよく思ったものだが、ど うも自分のことを振り返る余裕はなかったようだ。Quixotic Bar は開店するのが午前二時くらいなので、当然その頃にはもう泥酔しているわけで、まともな思考力が撲滅した後でしか Quixotic Bar には行ったことはなかったはずだ。

Quixotic Bar の中は通路よりもさらに暗く、目がなれるまでは深海の洞窟に潜む盲ウナギの気分を味わうことができる。と書けば、完璧な静寂を思い浮かべてしまうかもしれ ないが、実際は爆音なのか音楽なのか分からないような大音響で60年代から70年代初期のロックやブルースがうなりまくっていた。例えば、Allman Brothers とか Grateful Dead とか。たぶん6畳くらいしかない店内に小さなテーブルが二つあり、壁際にワンルーム・マンションのキッチンのように小さなバーがへばり付いていた。いった いどうやってみんなこの場所を嗅ぎつけてやってきたのか分からないが、Quixotic Bar には常にびっしりと人が入っていた。この爆音の中で、まだ会話をしようとするバカ者も当然少数はいたが、ほとんどは声を出すことを諦めて、ただ暗黒と爆音 の中で沈黙して、グラスを握り締め、泥酔の身体に鞭打ってゆれながら突っ立っていた。目の前にどれだけ人がいようが、お互いに会話することを諦めているの だから、他人の存在は礼を失することなく無視できる。今から思えば、この爆音の中でのみ得られる静寂が人を寄せ集めていたのかもしれない。時代はまだ、ひ きこもりという手を発見していなかったのだ。

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先週、ゲストハウスのキッチンでグリーンアスパラガスとサーモンのスパゲティを作っていたら、いつものようにひょっこりとユワン・マクロードが現れた。 ジュネーヴが拠点なのだが、2、3ヶ月に一回カブールにやってくる。いつも1週間くらいしか滞在しないが、その間に一晩くらいはかなりみっちりと話し込む のが慣例になっている。スパゲティを食べた後、今回も庭に旧ソ連人(アゼルバイジャン人)のニアジのウォッカを勝手に一本冷蔵庫から持ってきて1時くらい まで、いろんな話をした。ユワンは今や希少化する一方の大英帝国的・古典的知識人であるので話したいことはいくらでも出てくる。それに、現在のアフガニス タンのバカ騒ぎが始まる以前の艱難辛苦を共有していること、自分の国籍とは違う人と結婚し、子供の年齢が近いこと、かつてイギリスのライバル校に在籍した こと、などの理由でユワンと話し出したら、ネタはつきない。ただ、話を続ければ続けるほど、この世界を思春期の青年のように憂い、お互いに抑うつ的な状況 にはまり込みがちなのだが、別に眉間に皺を寄せて深刻な顔で話しているわけでもない。話は常にジョークで次へ移る。

「結局、」と言って彼はちょっと間を置き、「僕は、the best part of the last 200 years を過ごしたのだから、ハッハッハ」と彼はよく話を締める。彼は青春を60年代に過ごしたということを言っているのだ。一番おいしいところを取ったのだか ら、今、何がどうであろうと、それがどうした、ハッハッハ、というわけだ。それを聞くたびに、彼の勝ち誇った顔を見て、僕は負け惜しみ笑いで顔を醜く歪ま せ、もだえ苦しむしかないではないか。Quixotic Bar には、過去200年間で一番おいしいところの残りカスがあったもん、なんて口が裂けても言えない。

ユアンの経験と知識と考察を世間で共有できたらいいのにと僕はいつも思いながら、最終的には酔っ払って何が何だか分からなくなって、具体的な話になったこ とはなかったが、今回は、彼が9月にケンブリッジ大学でする講演原稿を僕が翻訳して日本界にデビューするということ、そして日本のどっかの大学で彼の講演 をする、という二大決議をしたのであった。これは是非とも実現したいものだ。決議一はともかく、決議二は僕が大学を探してこないといけない。大学の講堂な んてしょぼいので、今度帰国したらサトーセンセに東京ドームで彼の講演を企画する気はないかきいてみよう。


モスクの改修工事。あんな足場でええんか?労災なんてないんだろうな・・・