Thursday, June 04, 2009

キャンディ

こどもの英語がもろネイティブでだんだん分からなくなってくる。
多言語環境で育つと耳がとてもよくなるのだろうと思う。単一言語環境で育った僕には区別のつかない音がこども達にははっきりと聞き分けられるようだ。まず聞き分けられないと発音のしようもないから、土着日本人の僕にはLとRの発音を仕分けるなんてことは顔面神経痛になる勢いでも無理だ。

長男がデンマーク語の分厚い本を持ち歩いてるから、読めるのかときいたら、読んでいるという。当たり前か。ここで漬物石の代わりに使おうと思っているなんて回答は望んでも出てこない。

長男のデンマーク語はどんなものなのか聞いてみようと思って、ちょっと読んでみ、と言って適当に本を開いて指差すと、なんとまったく分からない発音で読み始めた。まるでデンマーク語だ。どうやってそんな音を出すのか想像できないが、僕が中学生の頃に、学校で教えられたような舌を上の歯茎の裏側につけてとか、下唇を噛み切ってとか、そんな習い方をしたわけではないのは想像に難くない。今から思うと、あの英語発音の教え方はホントにアホではないかと思う。

デンマーク語は発音がヨーロッパで一番難しい言語だとどこかのサイトで読んだことがあるが、ほんとに把握不能な音がいっぱいあり、さらに奇妙に音が上がったり下がったりして、この言語の発音は中国語と同じくらい難しいんではないかと思う。

夕方、空手クラブに行ってる長男を迎えに母親が家を出て行って、次男と二人きりになったら、ソファに寝そべってテレビを見ていた次男は何やら英語で長い話を始めた。なんかこうやって一つのかたまりになった話をするのは何事かと思って聞き直すと、僕が理解しなかったのを見て取って、何度かフレーズを変えて説明し始めた。

要約すると、他の子供の誕生日会に行くとその子のパパとママが、little people(と次男はこどもたちのことを呼ぶ)がキャンディとかロリーポップの包み紙をむくのに困ってたら助けてあげる、だから、明日の自分の誕生日会兼お別れ会で、困ってる子がいたらパパもキャンディとかロリーポップの包み紙をむいたりするのを手伝わないといけない・・・。

なるほど。最初はまったくコンテキストが読めず、いきなり何を言うのかと思ったが、どうやらこれは真剣なお願いごとだったのだ。神妙に聞いて諾と返事をした。自分の親が他の子供の親と同じようにしてくれるか心配でたまらなかったのかもしれない。母親のいないすきにささっと言うというその心にもまた何か深い意味がありそうだが、分からない。6歳の頭の中で何が考えられているのか、大人には決して想像できないと思う。実に興味深い。

明日は仕事は早引きしてキャンディとロリーポップの包み紙をむきに行く。



この汚い(としか大人には見えないが)ぬいぐるみの犬が、次男のクラスの大人気ものなのだ。ペドロという名前で、普段は教室に住んでいるのだが、持ち回りで子供たちが家に連れてかえって世話をする。ちゃんと寝かせてあげて、翌朝は遅刻しないように連れてきてくださいという先生の手紙といっしょに子供たちはペドロを家に連れて帰ってくるのだ。見ていると、自分が世話しないといけないものという存在が現れることによって、責任を感じているのが分かるから、おもしろい。ペドロは自分用の旅行カバンももっており、それもいっしょに持ってかえって、子供はペドロの服を着せ替えないといけない。こんな経験から責任感とか達成感とかやがて責任から解放感とか、いろんな感情の種類を味わうことができるのだろう。実におもしろい。うまくできたメソッドだと思う。