Wednesday, January 30, 2008

地下

最近、Baitullah Mehsudがタリバンから追放されたというニュースが出ていたかと思うと、その後、タリバンとBaitullah Mehsudはなんの関係もないという声明をタリバンが出していた(Dawn , 29 Jan 07)。メディアではなんでもかんでもタリバンって呼ぶから、何がタリバンか分からなくなってしまっているのを、タリバンが妙に丁寧に説明するはめになっている。

Baitullah Mehsud は、the Tehrik-i-Taliban Pakistan というグループの長だから、混乱に拍車をかけている。タリバンのスポークスマンは、「イラクにもサウジアラビアにもMullah Omarに誓いを立てているムジャヒディンはいるが、別に彼らがMullah OmarのOperational Control の下にいるわけじゃないでしょう」なんて例まであげて説明している。

こういう混乱が今始まったわけではないので、いまさら説明してもしょうがないと思うが、カルザイ政権との間で何か地下で動いているのかもしれない。犬猿の仲のようだったカルザイとムシャラフの間も和んできているように見えるし。もしタリバン内で過激派と穏健派の亀裂が再発しているのだとしたら、穏健派を取り込んで超過激派を切るチャンスかもしれないが、世界テロ戦争なんて漫画みたいなこと言っていたら、またこのチャンスもとり損ねるだろう。

Saturday, January 26, 2008

医学博士・伊良部一郎とマユミちゃん

奥田英朗の『インザプール』に続いて『空中ブランコ』を読み終わった。どちらも寝る直前にポツポツと読むのにちょうどいい長さの短編の集まりだった。医学博士・伊良部一郎という精神科医とマユミちゃんという看護婦が必ず出てくるシリーズだったのだが、この二人の架空の人物がだんだん好きになってくる。

うーむ、おもしろい、と唸った。どれもこれも、感じがいい。文学批評なんていう話ではなくて、とてもうまい。職人技の素晴らしさとでもいえばいいのか。これぞ、プロのライターっていうか。

全然知らなかったが、アマゾンを見てみるとたくさんあるではないか。きっとかなり有名な作家なのだろう。日本の出版事情というものに疎いとは思っていたが、ここまで疎くなっていたとは気がつかなかった。

もっと読みたい。

Friday, January 25, 2008

まちがい

どこの家でも小さい子どもがいる家はこんなに朝は騒々しいのだろうか。まずなかなか起きない子どもをなんとか起こそうとする段階で母親の最初のいらつきの芽がまかれる。そしてぐずぐすしてなかなか済まない朝食で本格的にいらつきのエンジンがかかり始める。歯を磨かせようとする頃には本調子だ。そして、服を着替える段階で最高潮に達する。靴をなかなかはけないところでトドメを指す。

どうも身体が重くてベッドから出る気がせず、騒動の成り行きを音だけで追っていた。どうしてこんなに疲れているのだろうか、昨日寝たのは何時だったかなどと考え始めて気がついた。昨日は18時間続けて仕事していた。その間に一食しか食べてない。規定の二日以上ではないか、バカバカしいと思って、オフィスに行くのはやめることにした。

しかし、よくよく考えると午後から採用インタビューの予定が三つ入っていたので、これをすっぽかすわけにはいかない。とりあえず同僚に昼頃に行くとメールを送ろうとしたのが間違いだった。洪水状態のinboxを見ると、どうしてもすぐに返答しないといけないものがいくつかある。しょうがないから、それだけ返事を出そうと思って書き始めたら、すっかり仕事モードになってしまった。結局、シャワーを浴びて、オフィスに行くことにした。

この仕事はいくら追いかけても追いつかない。しかし、ほったらかしにすると、ものすごい勢いで増加していくので、追いかけないとしょうがない。どう頑張ろうがどうせ追いつかないんだから、無理なものは無理でほっとこうと、よく同僚達と話す。ストレスを溜めないための処置としてそういうことを話すのだけど、それが効果的かというとそうでもないのだ。仕事がどんどん溜まるとそれが今後は気になってまた別のストレスが発生する。だから、やってもやらなくてもどっちにしても、ストレスまみれになるということだ。処理能力を超えた仕事量というのは精神のどこかを確実に蝕んでいくだろうと思う。

* * *

明日は長男の日本語学校があるので、金曜日は宿題を見る。ほんとは毎日少しずつ見るべきなのだけど、子どもよりもこっちが疲れていて結局いつも一夜漬けとなる。毎回漢字のテストがあるのだが、うちの長男はひらがなもあやしいし、カタカナはほとんど覚えていない。それでも、英語、日本語、ウルドゥー語に加えて最近は急速にデンマーク語も分かるようになってきた。その上に、今学校の勉強を詰め込んだところで、長期的にはたいしてメリットもないような気がするので、あんまり熱心に漢字を覚えろと言う気にもならない。

今回の宿題はなんだろうと先生の手紙を見ると、なんと俳句というのがあるではないか。そんなもの小学校一年生で教えているのかとちょっと驚いた。息子に俳句って何かしってるか、ときいても知らないという。しかし、だからと言って、どう説明したらいいのか分からない。とりあえず、poem みたいなもんだ、five letters, seven letters, five letters になってる、と言ったがこれではさっぱりなんのことか分からないだろう。いくつか例があったので、それを見せてこんなのをなんか作ってみろと言って、タバコを吸いに行って戻ってきたら、「出来た」というではないか。

「きのうぼく  カレーライスを  たべました」

「・・・・俳句というのは、そうじゃなくて」

と言いかけたが、そうじゃくていったい何なのか。確かに、five letters, seven letters, five letters ではある。まあ、いいか、そのうち分かると思って、それでよしとした。

次に音読の宿題をすることにした。毎日読むことが宿題なのだが、結局今週も一回も読まず、前日にこうやって一回だけ読むことになる。一行ずつ番号がついている短い分を読んでいく。

「1.生まれたばかり。2.大きな耳。3.一年くらい。」

ここまではなんなく進んだ。しかし、次の4で何かしばらく考えている。

「4.草を・・・、た、た、た」

・・・・?なんでそんなところで詰まるんだ?

「草を・・・、た、た、たたべるの?」

はあ?何をきいているんだ?意味なんか考えなくていいんだって。本を見ると。「草をたべる」と書いてあるだけで、それを読めばいいのだが、草をたべるという行為に息子は疑問を持ってしまって、前に進めなくなったらしい。

そんなことどうでもいいんだって、ということが子どもの勉強を見ているとしばしばある。しかし、子どもはそういうところに妙にひっかかってしまう。さっきの俳句といい、なかなか笑わせてくれる。

「牛とか草たべるでしょ。自分がたべるって思わなくていいの」と言って、とりあえずこの難局は切り抜けたのだが、よくよく考えると、息子はほとんど主語のある世界に住んでいる。しかし、日本語にはほとんど主語が出てこない。草をたべるのが自分であるという方向に想像が向ってしまってパニックに陥っても全然不思議ではない。子どものまちがいというのは、大人の正解よりはるかに興味深いものだ。

* * *

18日だったので、ちょっと古いけど、CIAも、ブットー暗殺をメフスッドの仕業って結論したみたいだな。

CIA Director Michael Hayden is now backing the Pakistani government's view.
"This was done by that network around Baitullah Mehsud. We have no reason to question that," Mr Hayden told the Washington Post.

Sunday, January 20, 2008

サッカーボール

足が痛い。今日、8歳の長男の友達が家に遊びに来たので、一緒にサッカーをしたら、案の定、足首と膝と腰が痛くなってきた。全身が単に歳のせいで弱くなっているのだろうが、36年前に一度痛めた右のアキレス腱が鬱陶しいのだ。アキレス腱は20年前にまた痛めてからちゃんとボールを蹴れなくなった。インサイド・キックならなんとかなるが、インステップ・キックをするとアキレス腱を握りつぶされたような衝撃を感じる。まだ同じだろうかと、今日ちょっとやってみたら、やっぱり同じで、思わず悲鳴をあげそうになった。

ボールというのは飛行機に乗せてくれない。気圧の変化で爆発したりしたら困るからだろう。というわけで、旅行をしたりすると、行く先々で子どもにボールを買うはめになる。船便ならいいだろうと思ったが、引越し荷物でも当然ボールは嫌われた。というわけで、長男は4ヶ月以上に渡ってサッカーボールを買って欲しいと粘り強く言い続けていた。

昨日、土曜日の日本語学校の後、長男を向えに行き、やっと買い物に行くことができた。長男はいつか来る、その日のために、何番のバスにのって、どのバス停で降りて、どの店とどの店をチェックすればいいかということを調べていた。僕がまったくそういうことに関心がないことをよく分かっているらしい。

土曜日の日本語学校は午前中で終わる時と午後2時45分までの日が隔週でやってくる。昨日は午後まである日だった。学校へ行って先生と少しだけ話しをして、さっそく長男の先導にしたがって店に向った。

一軒目はBRというおもちゃ屋でトイザラスの縮小版みたいな感じだ。このBRは既に三軒くらい見たので、かなり大きいチェーンなのかもしれない。BRに着くとガラス張りの壁を通して人が中にいるのが見える。サッカーボールが置いてあるのも見えた。しかし、無情にもドアは閉まっていた。なんだ、なんだ、と思ってドアの張り紙を見ると、日程表みたいなものがある。デンマーク語なのでよく分からないが、曜日くらいは想像できる。月曜日から金曜日が朝10時から午後6時まで、土曜日は朝10時から午後3時まで、そして日曜日が休み。時計を見ると、午後3時20分だった。

土曜日の午後とか日曜日って、おもちゃ屋が一番儲かりそうな時間じゃないのか、それに週日にしても6時に閉まったら、仕事をしている親と子どもがいっしょに買い物に来るのはほぼ絶望的じゃないか、などなど少し憤ったが、こういうのももう慣れてしまうと怒りにも勢いがなくなる。

そこで虚脱していてもしょうがないので、すぐに長男が見当をつけていた二件目の店に向った。こっちはスポーツ・マスターというスポーツ用品の専門店だった。これももうすでにコペンハーゲンで何軒か見た店名なのでチェーン店なのだろう。

その日は風が強く、大人の身体も時々ふわっと浮くような気がするくらいだった。浮いてもいいのだが、これくらい強い風が吹くと寒さが厳しい。ボールも心配だが、長男が風邪をひかないか心配になってきた。デンマーク語の新聞に、今全国民の三分の一が風邪をひいているという記事が出ていたらしい。日本の学校なら学級閉鎖じゃないだろうか。国家閉鎖でもしなければいけない事態ではないのかと思うが、おしんの国はそんなことでは負けないのだろう。

スポーツ・マスターは閉まっていた。息子は放心していた。きっと明日友達が来るのでサッカーをするという計画を立てていたのだろう。子どもを見ていると不憫で、午後3時に閉まるおもちゃ屋を狙ったテロがいつ起こってもおかしくないなんて考えてみた。

目の前にマクドナルドがあったので、とりあえずそこで何か食べて対策を練ることにした。学校が終わるといつもお腹をすかしているのだが、今日はサッカーボールのことで頭がいっぱいだったらしく、何か食べたいということは一言も言わなかった。

マクドナルド指数なんてものを『 Economist 』(雑誌)が使っていたと思うけど、別の意味で異なった国でマクドナルドを試してみるのは結構おもしろい。まず、味が微妙に違うことやメニューの工夫に国の特徴が出ている。しかし、もっとも大きな違いが出るのは従業員の対応の差ではないだろうか。素早さ、丁寧さ、オーダーを受ける効率の良さなど、従業員の錬度で言えば、日本のマクドナルドは世界のマクドナルドの中で断トツで一位だろう。これまで行ったマクドナルドの中では、おそらくインドとデンマークが最下位だろう。おもちゃ屋テロ事件の直後だったので、もう少しで爆発しそうになった。

思ったとおり、息子は猛烈な勢いで自分のチキンハンバーガーに加えて、僕が食べようと思っていたチキン・ウィングスまで全部食べてしまった。僕はその間、衰えた記憶力を奮い立たせて、なんとかサッカーボールのイメージを頭の中で探り当てようとしていた。

コペンハーゲンの中心部にコンゲンス・ニュートロフというところがある。直訳すれば、「王の新広場」みたいなことになりそうだが、勘なので正式翻訳名はもっとまともなものがあるのだろう。そこに行けば、マガジン・デパートという一番高級らしいデパートがある。そのすぐそばに歩行者天国のようなストリートがあり、そこは土曜や日曜でも観光客でにぎわっているという印象が残っていた。ほとんどうっすらとした記憶しかないのだが、その当たりでBRを見たような気がしていた。その辺りのお店なら、チェーン店でも少し遅くまで開けているのではないだろうか。

息子にそのことを話したら、直ぐにでも行こうと賛成した。来週まで、ここのBRが開くのを待つのは耐え難いと僕も思っていた。むしろ、土曜日午後3時で閉まるBRには一生行かないという誓いを立てた方ましだ。

コンゲンス・ニュートロフに着くと、まずマガジン・デパートがどーんと目にはいってくる。開いている。そこが目当てじゃないのだが、もしBRが見つからなくて、その後マガジンに戻ってきた頃には閉まってるなんてことになると目も当てられない。とりあえず、開いている時間を確認しにメインドアまで行くと、なんと5時で閉まると書いてある。玄関の巨大なガラスのドアに頭突きを入れようと思ったが、時計を見るとまだ4時45分。まだ間に合うかもしれないと「スポーツ」と書いてある階に直行したが、ボールは売っていなかった。そこでしおれてもしかたない、次はおもちゃ部門だと息子に言って直行した。

しかし、サッカーボールはなかった。マガジンで売ってるサッカーボールはどうせ法外な値段だろう、それでもしょうがないと覚悟していたのに、おー、そうか、女もんパンツはフロア占領するくらい売っても、子どものサッカーボールは売りたくないか、それならもう何にも買ってやらないよ、と肩で風を切ってマガジンから、また寒風吹きすさぶ街へ出た。もう街は真っ暗になっている。

息子はもう言葉が少なくなっていて、ボーとしがちになってきた。そんなことで諦めてはダメだ、四ヶ月も諦めなかったんだから、今日がダメでも、明日がある、それに今日はまだ終わってない。もうこの段階でこのサッカーボール購入プロジェクトは僕のものになっていただろう。

子どもに、確かこの辺でBRを見たことがあるのだ、この通りをもう少し行ったところだと言いながら、頭の中ではいっこうに記憶がよみがえらないのだが、見当をつけて歩き始めた。気分悪いことに通りの店はどんどん閉め始めている。息子はもう一人諦めているのだろうか。

10分ほど歩いて、アッタッ!と息子が大声をあげた。10メートルほど先にBRが見える。ほら、あっただろう、この辺で見たと思ったのだ、という大人の自慢話は無視して、息子は通りを隔てた向こう側にある店の中の様子をなんとか確認しようとしている。また閉まっているのではないかという疑念があったからだろう。

そして、日本語で「あけてる!あけてる!おとうさん、あけてる!」とその場でぴょんぴょん跳んで怒鳴り始めた。「開いてる」っていうの、こういう時は、と言うと、また全部「あいてる!あいてる!、おとうさん、あいてる!」と言い直して、信号が青になるやいなや、全速で店に向って走っていった。

ほっとした。良かった、今日中に手に入って。妻に電話して、「あった」と伝えると、彼女もほっとしていた。時刻はもう5時45分。晩御飯を何か考えて材料を買ってきて欲しいと頼まれていたが、もうそんな気力が残っていない。話し合いの末、結局、一度家に帰って、晩御飯対策は別にすることにした。

帰り道、息子が、Papa, thank you for the soccer ball, と何度もいうのを聞いて、4ヶ月間の放置の罪に苛まれた。

Thursday, January 17, 2008

エコノミック・ヒットマン(2)

下のは3分の1くらい読んだだけで書いたのだけど、今日全部読み終わってみると、なんとこれは映画のような話だ。サウジアラビアの発展過程、米軍のパナマ侵攻、ノリエガ逮捕、イランの革命、チャべスの米対決姿勢、イラク戦争、その他なんでもありかという内容。

思わず苦笑するような記述もよく出てくる。
現代の奴隷商人は、わざわざアフリカのジャングルに分け入って、チャールストンやカルタゲナやハバナのせり売り台で高値で売れそうな最高の「売り物」を探す必要はない。単に悲惨な状況にある人々を雇い、工場を建設し、ジャケットやブルージーンズ、テニスシューズ、自動車やコンピュータの部品など、彼らが選んだ市場で売れる何千という商品をつくらせればいいだけだ・・・・
 彼らは自分たちは正しいと思っている。珍しい場所や古代遺跡の写真を家に持ち帰り、子どもたちに見せる。セミナーに参加して、互いに肩をたたきあっては、遠い異国の風変わりな習慣に対処するための、ちょっとしたアドバイスを交換しあう。・・・
」(”現代の援助”業の人をかつての奴隷商人に例えている)。

大多数は単にビジネスやエンジニアリングの世界やロースクールで教わった仕事をこなしていただけだし、何が成功で何が失敗なのか、システムのあり方を身をもって示す私のような上司の指示に従っていただけだった。そして、彼らは自分が悪事の片棒を担いでいるなどとは思わなかったし、楽観的な見方をする者は、貧しい国々を助けているとさえ思っていた。

グラウンド・ゼロに行って、そこで出会ったアフガン人と話をする場面なんかは、そのまま映画になりそうだった。

全般にやや懺悔っぽいのが気になるかもしれないが(そのために書いたようなのでしょうがない)、まちがいなくおもしろい。

エコノミック・ヒットマン

 エコノミック・ヒットマン(EHM)とは、世界中の国々を騙して莫大な金をかすめとる、きわめて高収入の職業だ。彼らは世界銀行や米国国際開発庁(USAID)など国際「援助」組織の資金を、巨大企業の金庫や、天然資源の利権を牛耳っている富裕な一族の懐へと注ぎ込む。その道具に使われるのは、不正な財務収支報告書や、選挙の裏工作、賄賂、脅し、女、そして殺人だ。彼らは帝国の成立とともに古代から暗躍していたが、グローバル化が進む現代では、その存在は質量ともに驚くべき次元に到達している。
  かつて私は、そうしたEHMのひとりだった。・・・
」(『エコノミック・ヒットマン』ジョン・パーキンス、東洋経済新報社の序文から)

帰国している時に久しぶりに本屋に行って何気に買って、こっちまで持って帰ってきたのだけど、まるで映画の宣伝文句のような華々しい序文に比べると、中には非常に地味でフラストレーションに満ちた日常、あーそーそーと思わず、もがいてしまうような見慣れた風景が描かれている。トンでも本に位置づけるのは惜しい本だ。

実態として起こっていることはトンでもないことの連続なのだけど、とても興味深いのは彼らが確信的な点だ(著者自身はそれが揺らぐ例外の一人だったわけだけど)。同様のことをやるはめになり、同様の批判を浴びている組織はいくらでもあるが、そこで働く人間の多くはもっとナイーヴで何をやっているのか分からないと思う。同じことの裏と表ではあるのだが。

時代が変わるにつれ、呼ばれ方は変わってきたにしても、それぞれの時代の帝国にこういう職があったという指摘はおもしろい。それぞれの時代のそれぞれの帝国のこういう職能集団をもっと具体的に知りたいものだ。

それにしても、この書名なんとかならなかったのかな。これじゃ、売れないでしょ。

Tuesday, January 15, 2008

"A Few Short Notes on Tropical Butterflies"

まだ若かった頃。30代前半だった頃。まだ国連で仕事を始めたばかりの頃、そしてストレートにむかついていた頃。二度とこんなところで働くものかと思っていた頃。つまり、自分にはまだ無限の将来が無数の選択肢があると思っていた頃。

そんな頃に出会った友人の一人とたまにメールのやりとりがある。たまというのは1年に一回とか2年に一回とかそんなものかもしれない。彼女と仕事についてよく話した。国連はこれじゃあどうにもならない、というのはみんな話の出発点だ。でも、さて、それでどうするかとなると、個人でいろんな選択肢が出てくる。システム内に残って改善に励むというのも一つの道だろう、飛び出してえらくなって上から舞い降りてきて改善するという手もあるだろう。まったく別の道を究めて、同じ目的をもっと効果的に達成するという道もあるだろう。どれがベストなのかは、その当時誰にも分からなかった。しかし、友人たちはいろんなルートに別れていった。

僕はそれから組織を8回変わった。彼女はPh.Dを取るためにアメリカに行った。そして、Ph.D をとって今は同じ業界に戻って世界中をビジネスクラスやファーストクラスで飛び回っている。

そして、彼女は今何を思っているだろうか。僕と彼女は今、極めて同質の疑問に揺れ動いている。ものすごく簡単に言うと、われわれはいったい何をやってるのだろうか?という古典的な疑問だ。これは僕と彼女の人生の中心部を突き抜けて不動のまま残っているのだ。

とすると、一回しかない人生。考え直すことができるなら今が最後かもしれない。それが正気というものだろうと思う。できることなら、正気で死んで行きたい。

彼女が紹介してくれた本を買い物リストに追加した。"A Few Short Notes on Tropical Butterflies", John Murray. 同じような思いをして、結局、この業界から出て行った人らしい。(太字にしたところは僕の仕業です)。

(Reviewed by Poornima Apte APR 20 2003)
John Murray is a physician turned writer; his debut short story collection treads the line between the precise realms of science and the more abstract realities of everyday living. Murray skillfully etches his stories with strong characters, good imagery, and vivid storytelling. One begins to suspect here that science, which most of the stories are laced with, in one way or the other can be quite the art form.

Many of Murray's characters are in the process of coping with some personal loss. In "The Carpenter who looked Like a Boxer," a single father tries hard to cope with his wife's desertion. Danny Dalton must attend to his kids and his work while coming to terms with his new life under the intense gaze of his neighbors. Dalton hears "burrowing" noises at night probably indicative of inner restlessness.

Often, in Murray's stories, new paths are charted after seemingly chance encounters with near strangers. The meticulous and sensible Dr. Elizabeth Dinakar in "Hill Station" decides to leave her orderly life behind after she meets a man on a bus ride in India who earnestly outlines all his "assets" for her on a sheet of paper. In "All the Rivers in the World," Vitek suffers from deep fear of the sea having seen his two brothers die while doing their duties as fishermen on the ocean. Vitek's father, himself a fisherman, cannot take the guilt and many years later, abandons his wife and only remaining son to move to Florida. It is here that Vitek catches up with his father who now has a young girl friend, Chika Portini. The strong dynamics between father and son would have been more than enough for this story; an added dimension is Chika's past. It turns out that she is a doctor who has attended to refugees in war-stricken countries. She is herself fleeing from decisions made in her past. She tells Vitek, "Nothing really matters, nothing at all, except what you do in those few moments when you have to put yourself on the line for others, to overcome your own fear. It is all right to fail. It is more important to try, to do your best. This is all that makes failure acceptable." Vitek is transformed by this revelation and comes to term with his own fears.

Murray, who has served as a doctor in the third world, has set many of his stories in the developing world. His imagery of the cholera-ridden slums of Bombay or of war-torn Africa, are painfully accurate. The stories' characters are often immigrants (many are Indian Americans) learning to see both the "old country" and the new adopted one in fresh ways. In "White Flour," an American physician adopts India as his home while his Indian American wife would never return to India: "Pride was why she could never go back to India, admit that she had failed and was no longer living a privileged life."

Most striking in Murray's stories is the utter helplessness felt by people of science -- people we would normally assume have the power to make the world a better place for all of us. "Nothing we can do makes a difference," says a doctor trying to help refugees in a war, "it's like holding back a deluge of rain with a scrap of paper." A Few Short Notes on Tropical Butterflies is populated with characters who are trying their hardest to learn from past mistakes and make the best out of their lives. They do so with controlled grace and charm. John Murray's debut collection is as beautiful as the ephemeral butterflies that flit through its pages.

Saturday, January 12, 2008

メスウッド-遅れてきた青年

また一人ヒーローの誕生か、
と、Baitullah Mehsud – The Taliban’s New Leader in Pakistanという記事を読んで思った。アメリカ及びその同盟国から見れば、ヒール(悪玉)なわけだけど。

パキスタン・アフガニスタン国境付近の部族地域を統合するリーダーとして、パキスタンでは既に過去3年くらいで泣く子もだまるステータスにのし上がってきたようだ。2万人の戦士が支配下にいるとか、数百人のフィダイーン(死ぬことをなんとも思わない、あるいはもう死んだ気の戦士)がいるとか、アフガニスタン内の自爆攻撃の80%は彼の指示によるとか、いろいろ書いてあるが、こういう数字はあてにならないとしても、今彼がこの世界でもっとも脚光を浴びる地位に上昇してきたのは間違いなさそうだ。

去年9月の国連の報告書に出ているくらいだから、既にこの業界では有名だった言ってもいいのだろうが、ブットー暗殺の黒幕として名前が出てきたので、今後一般にも知名度は上がるかもしれない。yoshilog でもいつか書いたかもしれないが、部族地域のワジリスタンでは部族とパキスタン政府との間で休戦協定が成立したことがある(アフガニスタンでもイギリス軍がムサカラという村で似たようなことをやってアメリカがカンカンに怒った)。

その当時、ワジリスタンの部族のまとめ役をやったのが、メスウッドだった。だから、その頃は彼はパキスタンでは「平和の戦士」なんて呼ばれていたのだから、パキスタンにとっては、とんでもない展開になってしまったってところだろう。赤いモスク事件が縁の切れ目になったようだ。

という事件史にあまり興味はないのだが、彼が今34歳というのを見て少し感慨深いものがあった。ソ連相手の聖戦、もしくはチャーリーの戦争の真っ最中、彼はまだ小学生から中学生程度の歳だ。初めてカブールで仕事を始めた頃(1997-2002)、一番若いスタッフ達はほんの少しムジャヒディンを経験して内戦が始まったという世代だったが、メスウッドは彼らよりもさらに若い世代なのだ。

この記事を読みながら、まったく関係ないが、『遅れてきた青年』(大江健三郎)を思い出していた。傍観者の書く"凧揚げ"と"本屋"だけではアフガニスタンは分からない。このすべてのど真ん中に居続けるアフガン人が何を考えてきたのか知りたい。そんな文学がいつか現れるのだろうか。

Friday, January 11, 2008

50年ぶりって?

Afghan Online PressToday's Afghan Newというページを見始めて10年以上になると思うけど、2008年1月11日のトップニュースは、なんと日本のニュースだった。

Japan PM forces navy bill through という見出しのBBCの記事。出だしは、

The Japanese government has invoked a rarely-used power to force through a controversial naval bill.

The ruling party used its lower house majority to override opposition lawmakers, who had voted down the bill in the upper house hours earlier.

It was the first such move in more than 50 years, and followed months of deadlock over the proposed legislation.

と書いているので、外国の人が読むと、なんか日本で大変なことが起こっているように見えるかもしれないけど、きっと日本ではこれも、もわーんと過ぎ去ったんだろうなと思いながら読んでいた。実際、どうだったんだろう?

記事の最後は、アメリカ大使の言葉だった。

The move will please the US, which has lobbied hard for a resumption of the mission.

"By passing this legislation, Japan has demonstrated its willingness to stand with those who are trying to create a safer, more tolerant world," said Thomas Schieffer, the US ambassador in Tokyo.

この6年間使われ倒して、ほとんど念仏と化したこのような言い回しを、あえて締めに置くというのは、イギリス・ジャーナリズムの皮肉であるような気がした。

Thursday, January 10, 2008

ソクラテス以前

1月はどうにもこうにも忙しい月ではないか。クライアントに提出する年次財務報告書の締め切りがいっせいにやってくる(1月31日とか2月15日だったりする)。報告書を書くのに忙しいと思われるかもしれないが、書くこと自体にはそんなに時間はかからない。

書く内容が大問題なのだ。すでに使ったお金と、残ったお金の二種類しか世の中にはないように見えるが、実はもっといろんな種類がある。

使うつもりで使途を決めて押さえていたお金、つまりコミットしたお金というものもある。そのコミットしたお金にも当然二種類のカテゴリーが発生する。コミットした分の中でほんとに支払われたものと、まだ支払われていないもの。

そして、コミットしたが、まだ支払われていないお金の中にも何種類かのカテゴリーが発生する。支払う気をなくしたもの(コミットやめたもの)、支払ったはずだがなんらかの理由で受け取られていないもの、支払われたが金額が間違ったもの、あるいは間違った相手に支払われたもの。考え出せばいくらでもある。

入ってくるお金の方も何通りかのカテゴリーがある。約束通りホントに払われたものと、払われなかったもの。前者にもいくつかの種類がある。払われたけど、間違ったプロジェクト口座に振込まれたもの、どの口座に振込まれたか分からないもの、金額が間違ったもの。

後者には、なんらかの理由で意図的に支払われていないもの、官僚主義のどこかでとまって支払い期日に入ってこないもの、どこにミスがあるかわからないがお金が届いていないもの。

これらが全部マニュアルで操作できれば、それなりにでっちあげられるのだろうが、すべてシステムに入っているので、いいかげんな操作はできないようになっている。

年次財務報告書を仕上げて期日通りに提出できなければ、僕の所属するグループだけでも次入ってくる予定の120億円の入金が遅れて、フィールドでの活動をストップさせたくなければ、借金をするはめになる。というわけで、今、トップ・プライオリティの仕事は何が何でも年次財務報告書を全部(何十個にも分かれている)仕上げて提出するということのなのだけど、問題続出で関係者全員の髪の毛が逆立って、オフィスはもう狂人の館と化してきた。

このクソ忙しい時に、論文を一つ書く約束をしてしまったし、本部の慰安旅行というまったくどうでもよいようなことを17・18日という信じ難い時期にやらかすし、本部に全世界の契約を承認する委員会があるのだが、この最悪の時期にその仕事が回されるし、2月3日から1週間NYに行かないといけないし、もう全部投げ出すしかないんではないか。

こんな時に限って、全然関係ない本を読みたくなる。日本で買って読み始めていた木田元の『反哲学入門』を最終章を残して読み終わった。僕が特に興味があったのはニーチェ以前と以後なのだけど、それがものの見事に分かりやすく説明されている。ソクラテス以前と以後で、世界の見方が根本的に変わっているということが、この本では丁寧に説明されていて、ニーチェの存在が腑に落ちるように位置づけられていた。きっとニーチェに突出感を感じる人は少なくないと思うけど、それには理由がやはりあったのですね。

ソクラテス以前・以後というのは、西洋の発生前と発生後と言い換えてもいいかもしれない。僕は日本庭園のことが頭にあって、この『反哲学入門』を読み始めた。デンマークで見るような庭園と日本庭園が根本的に異なった思想を背景にしているのは、どんな素人が見ても一目瞭然だ。自然を徹底的に外部のものとして対象化しているか、自分も自然の一部となっているか、といえばまとめ過ぎかな。この本がおもしろかったのは、実は今西洋と呼ばれている地域でも、ソクラテス以前には、自然を外部化するような超越的な視点は当然のものではなかったという話だ。つまり、現在の西洋的・東洋的という二種類の根本的に異なった思想的基盤はその頃には明白ではなかった。

ニーチェはそれに気がついた人で、かつソクラテス以後、今でいう西洋の哲学の基盤を形成する超越的な存在の想定、それを彼らの思想のボトルネックだと考え、否定しようとした。彼が神を殺さなければいけなかったのはそういうことだったのだ。だから、反哲学とは反ソクラテス以後、つまりソクラテス以前という意味だし、日本に哲学が存在しないというのも、この文脈ではあたりまえの説明になる。

ふーん、なるほどねえ、と思いながらほとんど日本の電車の中で読んだのだが、ちゃんと分かっている人が書いている本というのはなんと分かりやすいものか。分かりにくいものを書いてしまったら、それは自分が分かってないということなのだ。

Tuesday, January 08, 2008

エメラルドシティでの帝国主義ライフ

チャーマーズ・ジョンソンが映画 "Charlie Wilson's War" (邦題『チャーリー・ウィルソンの戦争』)について書いている記事を読んだ。言っていることは、以前、"Blowback" で書いていたことと変わりない。9/11もアメリカが世界で一番嫌われる国になったのも、そもそもアメリカのやってきたことに原因がある、今テロリストとアメリカが呼んでいるのはアメリカがアフガニスタンで自由の戦士としてはやしたてて育てた者たちではないかという、あのラインだ。

チャーマーズ・ジョンソンの"Blowback" が日本でどれくらい話題になったのかどうか知らないけど(そもそも翻訳されたのかな?)、彼は日本では『通産省と日本の奇跡』(1982年)の著者としての方が有名かもしれない。"Blowback" は少なくともアメリカではかなり売れたのではないだろうか。一時これに触れる記事はよく目にした。副題は、"The Costs and Consequences of American Empire"。

『チャーリー・ウィルソンの戦争』にはトム・ハンクスとジュリア・ロバーツが出ているそうなので、日本でも上映されないわけはないと思うのだが、全然聞いたことがなかった。チャーマーズ・ジョンソンによると、ろくでもない映画になっているようだが、次回NYに行った時にでもDVDを探してみよう。

アフガニスタンを舞台にした対ソ戦も、現在のパキスタンの混乱も、『チャーリー・ウィルソンの戦争』の一部であるはずだが、そう見えなければ、ほんとにろくでもない映画なのだろう。

ブットー暗殺についてInternational Crisis Group が書いているものをパラパラと読んでみたけど、暗殺はいけないし、民主主義は良いし、憲法は維持しないといけないし、選挙はするべきだしって、いったいそんなことを書いて何の役に立つんだろう?そりゃそうです、でもどうすればいいわけということに実際パキスタン人は何十年も悩み続けて試行錯誤して、そして『チャーリー・ウィルソンの戦争』のようなものにちゃちゃ入れられて、もうすでにふんだりけったりの状態の国の人たちにとったら、大きなお世話として聞こえないのではないだろうか。

まるで真空の中でゲームをやっているような話とは違うことをMoshin Hamid のような人ならきっと書くだろう、と思うがまだ何も読んでいない。クーデタと呼べるかどうか怪しいクーデタでムシャラフが実験を握った時も、世界中が「一刻も早い民主主義への復興を!」なんて連呼していたが、Moshin Hamid は起こってしまった事態をもっと現実的に見ようとしていた。それだけに、その後のムシャラフ政権の状態、特に最高裁判事罷免にはひどく落胆していた。

ブットー暗殺直後にパキスタンのエリート官僚と少し話しをしたけど、彼はまったく驚いていなかった。以前、ムシャラフの行状に彼がひどく怒っていたことを覚えていたので、またえらい剣幕で怒り出すんではないだろうかと思っていたので、拍子抜けした。しかし、よく考えてみれば自分の国のことを真剣に考えている人なら、これも予測できる範囲内のことだっただろう。

歓迎したくはないが予測はしてしまうような凶事に満ち溢れている国で、その国のことを真剣に思うMoshin Hamid や彼のような人たちは今何を考えているだろうかと思う。凶事が起これば非難して終わりというほとんど自動化された運動のようなことを繰り返すアウトサイダーとは、まったく無縁の地平に立って考えざるを得ない人たちだ。パキスタンにとって今打てる手はなんなのか僕にはさっぱり分からない。結局のところ、僕が何を考えたところで、ICG とたいして変わりないようだ。

"Charlie Wilson's War"の近辺をうろついていたら、"Imperial Life in the Emerald City"という本が映画化されることを知った。エメラルドシティって何のことかと思ったら、バグダッドのサダム・フセインの宮殿あとのことだった。今はアメリカ軍が使っているが、彼らの囲いこんだ地域をグリーン・ゾーンと呼んでいるので、エメラルドシティってわけだろう。僕がそこへ初めて行ったのは、2003年4月27日だ。米兵が人道援助のコーディネーションをしようと涙ぐましい努力をしていたのだが、そのブリーフィングが行われているのが、サダム・フセインの宮殿だった。米軍のハンビーに乗って、米軍の配給食糧のおすそ分けを食って、のこのこと壊れた学校の調査に出かけたりしていた。その後の大混乱を考えると信じ難い話だ。

この本もおもしろそうなのでNYお買い物リストに入れておこう。アマゾンにいくつかレビューが出ていた(↓)。引用の引用なので問題はないだろう。

From Publishers Weekly
As the Baghdad bureau chief for the Washington Post, Chandrasekaran has probably spent more time in U.S.-occupied Iraq than any other American journalist, and his intimate perspective permeates this history of the Coalition Provisional Authority headquartered in the Green Zone around Saddam Hussein's former palace. He presents the tenure of presidential viceroy L. Paul Bremer between May 2003 and June 2004 as an all-too-avoidable disaster, in which an occupational administration selected primarily for its loyalty to the Bush administration routinely ignored the reality of local conditions until, as one ex-staffer puts it, "everything blew up in our faces." Chandrasekaran unstintingly depicts the stubborn cluelessness of many Americans in the Green Zone—like the army general who says children terrified by nighttime helicopters should appreciate "the sound of freedom." But he sympathetically portrays others trying their best to cut through the red tape and institute genuine reforms. He also has a sharp eye for details, from casual sex in abandoned offices to stray cats adopted by staffers, which enable both advocates and critics of the occupation to understand the emotional toll of its circuslike atmosphere. Thanks to these personal touches, the account of the CPA's failures never feels heavy-handed. (Sept. 22)
Copyright © Reed Business Information, a division of Reed Elsevier Inc. All rights reserved.

From The New Yorker
This revealing account of the postwar administration of Iraq, by a former Baghdad bureau chief for the Washington Post, focusses on life in the Green Zone, the American enclave in central Baghdad. There the Halliburton-run (and Muslim-staffed) cafeteria served pork at every meal—a cultural misstep typical of the Coalition Provisional Authority, which had sidelined old Arab hands in favor of Bush loyalists. Not only did many of them have no previous exposure to the Middle East; more than half had never before applied for a passport. While Baghdad burned, American officials revamped the Iraqi tax code and mounted an anti-smoking campaign. Chandrasekaran's portrait of blinkered idealism is evenhanded, chronicling the disillusionment of conservatives who were sent to a war zone without the resources to achieve lasting change.
Copyright © 2006 Click here to subscribe to The New Yorker

From The Washington Post's Book World/washingtonpost.com
When President Bush announced in May 2003 that he was appointing L. Paul Bremer as the top U.S. civilian official in Iraq, I received an e-mail from one of his former business colleagues: "I just heard that Jerry [Bremer's nickname] will be running Iraq. And the Iraqis thought that the worst we could do was to bomb them."

At the time, I just smiled and dismissed the message. Three years later, Rajiv Chandrasekaran's extraordinary book made me realize how tragically prescient that e-mail had been. Imperial Life in the Emerald City is full of jaw-dropping tales of the myriad large and small ways in which Bremer and his team poured fuel into the lethal cauldron that is today's Iraq. He was not alone and had many eager and powerful partners in Washington, Baghdad and elsewhere. Still, by reporting on daily life and decision making inside the Green Zone, the cloistered compound that housed Bremer's Coalition Provisional Authority (CPA), Chandrasekaran shows how incomplete our conventional wisdom is about what went wrong in Iraq.

That common wisdom holds that while the decision to invade Iraq and topple Saddam Hussein is still open to debate, American mismanagement of the country after the invasion is not. Even the Bush administration's staunchest supporters now accept that "mistakes were made" and admit that, for example, dismantling the Iraqi army and driving out officials tied to the old dictatorship's Baath Party (both policies that Bremer championed) were bad ideas. But often implicit in this dominant interpretation is a complacent understanding, even a justification, of U.S. mistakes made during the occupation. After all, goes the thinking, ethnic divisions, suicidal Islamist fanatics, decades of oppression and decay, and all sorts of other obstacles conspired against the success of the bold American enterprise.

It is hard to hold that view after reading this book. Chandrasekaran, now an assistant managing editor of The Washington Post, was The Post's Baghdad bureau chief in 2003-04 and has a keen eye for the small detail that illuminates larger truths. He clearly suggests that the self-inflicted wounds created by CPA ineptitude, arrogance and ignorance were far from inevitable. Nor, he shows, were they minor causes of the mess the United States faces today in Iraq. Imperial Life in the Emerald City documents the way that an avalanche of unjustifiable mistakes transformed a difficult mission into an impossible one.

Take, for example, the story of Frederick M. Burkle Jr., a Navy reserve officer and physician with two Bronze Stars whom a colleague describes as "the single most talented and experienced post-conflict health specialist working for the United States government." Burkle was ousted a week after Baghdad's liberation because, he was told by his superiors, the White House preferred to have a Bush "loyalist" in charge of health matters in Iraq. Burkle was replaced (fully two months later) by James K. Haveman Jr., a social worker whose experience as the community-health director for Michigan's former Republican governor, John Engler, had followed a stint running "a large Christian adoption agency in Michigan that urged pregnant women not to have abortions." Haveman had also traveled widely "in his capacity as a director of International Aid, a faith-based relief organization that provided health care while promoting Christianity in the developing world." (That pro-life stance was not uncommon in the CPA: Two staffers report being asked during their job interviews if they supported the Supreme Court's Roe v. Wade ruling.) Chandrasekaran's rendition of Haveman's performance in Iraq makes for unnerving reading: the launch of an antismoking campaign while hospitals lacked pain killers; the emphasis on preventive medicine in a country ravaged by a bloody insurgency; an attempt to refashion Iraq's health care system with a U.S.-inspired model based on private providers, co-payments and primary care while newborns routinely died for lack of incubators.

Or take the case of Capt. John Smathers, a reservist and personal-injury lawyer charged with bringing some order to the chaotic traffic jams that ensued after U.S. authorities eliminated all import duties and the country was flooded by imported used cars. The solution? Download Maryland's motor-vehicle code from the Internet, translate it into Arabic and, after much haggling and revision, have Bremer sign it into law. CPA Order 86 included provisions such as, "Pedestrians walking during darkness or cloudy weather shall wear light or reflective clothing."

Micromanaging and emulating U.S. institutions was also the instinct of Jay Hallen, the clueless 24-year-old in charge of reopening the Baghdad stock market. His approach was to create one patterned after the New York Stock Exchange. (No, it didn't work.) Nor was Hallen the only inexperienced twentysomething CPA staffer given responsibilities for which he was utterly unprepared. Six of the "ten young gofers" that the CPA had requested from the Pentagon to handle minor administrative tasks found themselves managing Iraq's $13-billion budget. Where did the Pentagon recruit them? From the Heritage Foundation; they had sent their resumes there, looking for work in that conservative think tank.

When so much money is combined with organizational chaos, a state of emergency and the expectation that powerful friends in Washington would provide any needed cover, corruption is inevitable. Sure enough, Chandrasekaran offers tales of corruption among American contractors that read like dispatches from a kleptocratic banana republic.

Readers should avoid the temptation to dismiss Imperial Life in the Emerald City as yet another book documenting America's misadventures in Iraq. That of course it is, but the book offers more than a dispatch from the trenches. Chandrasekaran does not set out to score partisan points or unveil large geopolitical lessons; he is, essentially, a reporter telling readers what he saw. Yet it is impossible to read his book without thinking about the larger implications of the story he tells.

What caused the massive collapse of common sense that doomed the CPA and undermined the U.S. gamble in Iraq? That is the question that every page tacitly forces on the reader. American ingenuity, pragmatism and practical approaches to problem-solving are legendary. But Chandrasekaran shows that what reigned in Iraq was massive incompetence, patently unfeasible schemes, naive expectations and arrogance fueled by ignorance. His book methodically documents the baffling ineptitude that dominated U.S. attempts to influence Iraq's fiendish politics, rebuild the electrical grid, privatize the economy, run the oil industry, recruit expert staff or instill a modicum of normalcy to the lives of Iraqis. Nor are the book's complaints Monday-morning quarterbacking. The CPA's failings caused widespread grumbling at the time. Chandrasekaran tells of a message board on which some Marines had drawn a gravestone inscribed with the words "COMMON SENSE." The caption underneath it read: "Killed by the CPA."

Why? What happened? Chandrasekaran does not try to answer these questions directly. But his indispensable book offers powerful hints as to what the likely answers are. Bremer's regency suffered from too much unaccountable political power, too much carelessly spent money and too many ideological certitudes. Those conditions allowed incompetence, petty partisanship, patronage, nepotism and corruption to thrive. That is why "mistakes were made" -- and Chandrasekaran gets us away from that passive-voice formulation to show who, precisely, made them. Those mistakes go a long way toward explaining why success in Iraq is proving so tragically elusive.

Reviewed by Moisés Naím
Copyright 2006, The Washington Post. All Rights Reserved.

From Bookmarks Magazine
Rajiv Chandrasekaran, assistant managing editor of the Washington Post and its former Baghdad bureau chief, knows the landscape in Iraq as well as anyone, having spent two years in-country as a reporter. His careful, evenhanded reportage amplifies the seriousness of the problems that America still faces in Iraq. As Adam Dunn points out, "the Iraqis don't fare much better than their occupiers" under Chandrasekaran's judicious gaze. The book covers ground similar to that of Larry Diamond's Squandered Victory (2005) and Anthony Shadid's Night Draws Near (2005), though the author's proximity to the events he reports in this "withering assessment" (Andrew Metz) separates Emerald City from the spate of books being published on the war in Iraq.

Copyright © 2004 Phillips & Nelson Media, Inc.

From AudioFile
"The Green Zone" is the American military's heavily fortified and painstakingly Americanized home in the Saddam Hussein palace complex area of Baghdad--picture food franchises, sports bars, lots of pork and beef. The area soon acquired the moniker "the Emerald City," which refers to the fantasy world it contains, the major fantasy being that U.S./Iraq policy is working. Narrator Ray Porter delivers the author's story of hubris, corruption, excess, and destruction (courtesy of the Bush Administration and Halliburton et al.) with the perfect degree of revulsion, outrage, and disdain. Author Chandrasekaran, former Baghdad bureau chief for the WASHINGTON POST, misses not a detail or nuance in this unintentional black comedyâ nor does the highly professional Porter. D.J.B. © AudioFile 2007, Portland, Maine-- Copyright © AudioFile, Portland, Maine --This text refers to the Audio CD edition.

From Booklist
It is now more than three years since American and so-called coalition forces launched the invasion of Iraq. Despite the immediate military success, the U.S. remains mired in the swamp--afraid of the consequnces of leaving yet unable to shape an acceptable reality while staying. Given the fissures in Iraqi society that our intervention revealed, perhaps the current state of violent chaos was inevitable. However, Chandrasekaran, an assistant managing editor of the Washington Post and the former Post bureau chief in Baghdad, maintains that shocking American arrogance and blundering during the first year of the American occupation virtually destroyed any hope of a "successful" occupation. The Green Zone was the headquarters for the American occupation in Baghdad, but like the inhabitants of the Emerald City of Oz, the Americans entrusted with the task of rebuilding and transforming Iraq lived in an isolated fantasy world divorced from the reality outside their walled compounds. This is perhaps a one-sided account, but it is still a devastating indictment of the post-invasion failures of the Bush administration. Jay Freeman
Copyright © American Library Association. All rights reserved

Review
“Extraordinary . . . Indispensable . . . Full of jaw-dropping tales of the myriad large and small ways in which Bremer and his team poured fuel into the lethal cauldron that is today’s Iraq . . . [Chandrasekaran ] has a keen eye for the small detail that illuminates larger truths . . . [he] documents the way that an avalanche of unjustifiable mistakes transforms a difficult mission into an impossible one . . . Chandrasekaran does not set out to score partisan points or unveil large geopolitical lessons; he is, essentially, a reporter telling readers what he saw. Yet it is impossible to read his book without thinking about the larger implications of the story he tells.”
-Moisés Naím, The Washington Post Book World

“Mr. Chandrasekaran’s book, while nonfiction, is as chilling an indictment of America’s tragic cultural myopia as Graham Greene’s prescient 1955 novel of the American debacle in Indochina, “The Quiet American.”
-Frank Rich, The New York Times Op-Ed

“Chandrasekaran’s detail-rich reporting and firsthand, candid narrative is what sets his contribution apart [from other books about the Iraq war] and bolsters his withering assessment . . . Using nearly two years of reporting in the country for the Washington Post and an impeccable eye for the tragic and outrageous, Chandrasekaran unveils the occupation authority compound as a Middle East Oz, grossly out of touch with the harsh realities of the real Iraq . . . The book is an eye-opening tour of ineptitude, misdirection and perils of democracy-building”
-Andrew Metz, Newsday

“With acuity and a fine sense of the absurd, the author peels back the roof to reveal an ant heap of arrogance, ineptitude, and hayseed provincialism”
-Amanda Heller, Boston Globe

“A devastating indictment of the post-invasion failures of the Bush administration.”
- Jay Freeman, Booklist

“In Imperial Life in the Emerald City [Chandrasekaran] draws a vividly detailed portrait of the Green Zone and the Coalition Provisional Authority (which ran Iraq’s government from April 2003 to June 2004) that becomes a metaphor for the administration’s larger failings in Iraq . . . His book gives the reader a visceral–sometimes sickening–picture of how the administration and its handpicked crew bungled the first year in postwar Iraq, showing how decisions made in that period contributed to a burgeoning insurgency and growing ethnic and religious strife . . . The picture Mr. Chandrasekaran draws in these pages often reads like something out of Catch-22 or from MASH.”
- Michiko Kakutani, The New York Times


“Extraordinary . . . Indispensable . . . Full of jaw-dropping tales of the myriad large and small ways in which Bremer and his team poured fuel into the lethal cauldron that is today’s Iraq . . . [Chandrasekaran ] has a keen eye for the small detail that illuminates larger truths . . . [he] documents the way that an avalanche of unjustifiable mistakes transforms a difficult mission into an impossible one . . . Chandrasekaran does not set out to score partisan points or unveil large geopolitical lessons; he is, essentially, a reporter telling readers what he saw. Yet it is impossible to read his book without thinking about the larger implications of the story he tells.”
-Moisés Naím, The Washington Post Book World


“This is a devastating account of the American occupation of Iraq. It shows how Americans arrived in Iraq full of big plans (and/or lucrative contracts) to help the country become more like the United States, but wound up living an isolated existence while the lives of Iraqis deteriorated around them. No other book has described so well what Iraq looked like and felt like in the aftermath of the invasion.”
–James Mann, author of Rise of the Vulcans

“Rajiv Chandrasekaran has not given us “another Iraq book.” He has given us a riveting tale of American misadventure. . . . He shows us American idealism and voyeurism, as well as the deadly results of American hubris. And by giving us the first full picture from inside the Green Zone, he depicts a mission doomed to failure before it had even been launched.”
–Samantha Power, author of A Problem from Hell: America and the Age of Genocide

“This is a dazzling, important, and entertaining work of reportage about the American civilians who tried to remake Iraq, and about the strange, isolated city-state in Baghdad where they failed. Every American who wants to understand how and why things went so badly wrong in Iraq should read this book.”
–Steve Coll, author of Ghost Wars

“This amazing book pulls back the curtains of deception and reveals in stunning fashion what really went on inside the Emerald City in the crucial year after the military overthrow of Saddam Hussein. Chandrasekaran’s reporting is vivid and relentless as he documents the mix of idealism, confidence, energy, hubris, political miscalculation, cultural blindness, and fantastical thinking of those who came to save Iraq yet made a difficult situation worse.”
–David Maraniss, author of They Marched Into Sunlight

“An extraordinarily vivid and compelling anatomy of a fiasco. Imperial Life in the Emerald City is an indispensable saga of how the American liberation of Iraq turned to chaos, calamity, and civil war. Chandrasekaran takes us inside Baghdad’s Green Zone as no one else has.”
–Rick Atkinson, author of The Long Gray Line


Book Description
An unprecedented account of life in Baghdad’s Green Zone, a walled-off enclave of towering plants, posh villas, and sparkling swimming pools that was the headquarters for the American occupation of Iraq.

The Washington Post’s former Baghdad bureau chief Rajiv Chandrasekaran takes us with him into the Zone: into a bubble, cut off from wartime realities, where the task of reconstructing a devastated nation competed with the distractions of a Little America—a half-dozen bars stocked with cold beer, a disco where women showed up in hot pants, a movie theater that screened shoot-’em-up films, an all-you-could-eat buffet piled high with pork, a shopping mall that sold pornographic movies, a parking lot filled with shiny new SUVs, and a snappy dry-cleaning service—much of it run by Halliburton. Most Iraqis were barred from entering the Emerald City for fear they would blow it up.

Drawing on hundreds of interviews and internal documents, Chandrasekaran tells the story of the people and ideas that inhabited the Green Zone during the occupation, from the imperial viceroy L. Paul Bremer III to the fleet of twentysomethings hired to implement the idea that Americans could build a Jeffersonian democracy in an embattled Middle Eastern country.

In the vacuum of postwar planning, Bremer ignores what Iraqis tell him they want or need and instead pursues irrelevant neoconservative solutions—a flat tax, a sell-off of Iraqi government assets, and an end to food rationing. His underlings spend their days drawing up pie-in-the-sky policies, among them a new traffic code and a law protecting microchip designs, instead of rebuilding looted buildings and restoring electricity production. His almost comic initiatives anger the locals and help fuel the insurgency.

Chandrasekaran details Bernard Kerik’s ludicrous attempt to train the Iraqi police and brings to light lesser known but typical travesties: the case of the twenty-four-year-old who had never worked in finance put in charge of reestablishing Baghdad’s stock exchange; a contractor with no previous experience paid millions to guard a closed airport; a State Department employee forced to bribe Americans to enlist their help in preventing Iraqi weapons scientists from defecting to Iran; Americans willing to serve in Iraq screened by White House officials for their views on Roe v. Wade; people with prior expertise in the Middle East excluded in favor of lesser-qualified Republican Party loyalists. Finally, he describes Bremer’s ignominious departure in 2004, fleeing secretly in a helicopter two days ahead of schedule.

This is a startling portrait of an Oz-like place where a vital aspect of our government’s folly in Iraq played out. It is a book certain to be talked about for years to come.


About the Author
Rajiv Chandrasekaran is an assistant managing editor of The Washington Post, where he has worked since 1994. He previously served the Post as a bureau chief in Baghdad, Cairo, and Southeast Asia, and as a correspondent covering the war in Afghanistan. He recently completed a term as journalist-in-residence at the International Reporting Project at the Johns Hopkins School for Advanced International Studies, and was a public policy scholar at the Woodrow Wilson International Center. He lives in Washington, D.C.

Monday, January 07, 2008

初日潰す

正月休みがあるわけでもないので、初仕事というイメージはあまりないが、今日が2008年にオフィスに行く最初の日であった。年末にオフィス全体のセキュリティ・システムをアップデートしていたが、今日オフィスビルの玄関でカードキーを入れるとillegal と出やがった。PINの入力さえできない。あまりに案の定過ぎる。

どうやら、セキュリティ・システムのあっちこっちに不具合が出ているみたいで、結局スタッフ全員のIDカードを一から作り直すはめになってやんの。担当者が各スタッフの座っているところまでIDカード用の写真を指定した時間に撮りに回るので、その時にじっとしているようにというお触れがメールで来ていた。以前も一度イントラネットの個人サイト用に写真を撮りに来たのだから、それを使えばいいのにと思うが、担当部署が違うとそういうことは想像もしないのだろう。

おそらくどんな職場にもバカバカしくてやってられない仕事はあるのだろうが、これは確実に世界ランキング入りしそうだと思う仕事で今日は一日潰れてしまった。今年1年間の仕事量を数値化して今日中に提出しろだと。5枚のエクセルシートにそれぞれ10項目から30項目を月ごとに入力して各項目別、カテゴリー別に必要な時間が出ることになっている。平均して各シート20項目X12ヶ月X3(件数・所要時間・総時間に分かれている)X5シートで、3600セルを埋める必要がある。素晴らし過ぎてちびりそうでしょ。

いかにも科学的っぽいが、項目が細分化され過ぎていて、項目間に重複があり、かつ各項目の定義が不能だったりして、現実にはほぼ無意味だ。例えば、「2500ドル以下の発注」とか(そのレベルじゃフィールドでやってるんだから、結果を見るまでこっちで分かるわけないでしょ)、「ファイリング」とか(アシスタントじゃないの、それ?)、「財務表モニター」とか(そんなの毎日見るわけでしょ。どうやって件数数えるわけ?)、「チーム・ミーティング」とか「マネジメント・ミーティング」とか(どう違うの?)、「契約書準備」とか(どこからどこまでが準備?どの部分を数えるの?)。いかにもマネジメントのお勉強はしたが仕事はしたことがないなんて人がやらかしそうな企みだ。そもそも致命的なのは、1年が終わったところで最終的に実際に起こったこととの比較をしてこの計画じみたことの評価をすることが不可能なことだ。評価のできない計画はすべて無駄だ。

あまりにアホらしくて卒倒しそうになったが、隣に座っているミケーラがとにかくどうでもいいから全部埋めてNYに送ってしまおうとしつこく言うので、完璧な痴呆になる努力をして3600セルを埋め尽くした。トータルの仕事量はどれくらいだろうかと一応最後に計算してみたら、2200時間ほどだった。年200日仕事するとしたら、一日平均11時間ということになる。何気にそれっぽい数字だ。アホらしい仕事は数々してきたが、これは記憶にある限り断トツでランキング1位だ。当分は首位独走が続くだろう。

コンサルタント契約で仕事をしているジェニーがJPOの1次選考に通過したと喜んでいた。90人応募して5人残ったそうだ。2次選考は一日かけて心理テスト、語学テスト、集団面接、電話面接などがあるらしい。心理テストを入れているところに、日本のJPOとは選考の視点が違うのが現れていて興味深い。夢と才能にあふれてそうな(+容姿端麗の)彼女のような若い人たちがこのアホらしい業界を改善する力になればいいのだが、今まで見てきた限りではこういう可能性のある層は去っていくばかりだ。

今年1年の出張予定もだいたい分かった。どうせ1月からめちゃくちゃに変更につぐ変更になるだろうけど、一応こんな感じのようだ。
1月ナイロビ・ソマリア、
2月NY、
3月ナイロビ・エリトリア・エチオピア、
4月スロベニア(これはちょっと楽しみ)、
5月NY、
6月エリトリア・エチオピア、
8月NY、
10月エリトリア・エチオピア、
11月NY
のようだ。誰かどこかで都合のつくかた会いませんか?ないか。

出張費だけで1千万円を超えてしまうのではないだろうか。僕が出張したところで、それに見合う効果はあるとは到底思えない。出張し倒して忙しくなって、それだけで何か重要な仕事をしていると思い込んでいる人がこの業界にはこりゃまた多い。「ビジネスクラスに乗って世界を駆け回る忙しい私」にもうメロメロ。身体が空間を移動したからといって、それ自体は何も達成していないと思うんですが。これまでフィールドで出張者を数々受け入れてきた経験から言えば、単に無駄である可能性はかなーり高い。自分がそうはなりたくないもんだ。

栄花さんの人材募集 に応募しようかなあ。実にそそられる話だ。栄花さんはかつての部下だが、彼の下で働くというのもまた一興かもしれない。彼には華がある。僕には裏がある、いや影がある。ちょうど合うかもしれないっすよ、栄花さん。給料は現状維持程度で文句はいいません。どんなもんでしょ?ええ仕事させてもらいまっせ。

Saturday, January 05, 2008

ねむ

AF291 04 JAN 08 KIX CDG 12:35 17:20
AF1250 04 JAN 08 CDG CPH 19:10 21:05

朝8時に家を出る予定だったが、1時間以上遅れてしまった。関空に着くと、ほとんど待ち時間もなく搭乗することになった。パリ経由なので、さすがになんというか「パリ行ってきます」と「パリに帰るぜ」っぽい人たちでいっぱいだ。飛行機というのは行き先によって、乗客の人相がガラっと変わったりする。

パリまで12時間40分。パリの気温は10度だとアナウンスしていた。乗り継ぎの時間は1時間50分だが、ここでEU圏内に入るので、入国手続きに相当することをするのはここになる。パリからコペンハーゲンはEU圏内移動なので、いわば国内線に相当する。そんなことをして、かつターミナル間を移動していると、1時間50分というのはぎりぎりだ。

それにしても、シャルル・ドゴール空港はこんなにこんがらがった空港だったかな。この時点で家を出てからもう14、5時間経っているので、子どもはかなり疲れている。バス停のように小さい空港ができないものだろうか。

やっと乗り継ぎ便の機内に入ったと思ったら、離陸の順番待ちで50分待機だと。混んでいる空港はどこでもこんなことになる。飛び立ちさえすれば、1時間20分で着くのだが、なかなかもどかしい。

コペンハーゲンに着いて外に出ると、痛い寒さだ。機内ではマイナス2度とアナウンスしていたが、凄まじい風が吹いているので、マイナス10度くらいに感じているのかもしれない。

結局、Door-to-door でカウントすると、ちょうど24時間の旅だった。家族全員疲れきっている。僕一人だけ、旅程を完了した時に感じる小さな達成感と今回日本から運んできた海外仕様の電気炊飯器その他の無事到着で少し高揚していた。明日は土曜日なので、長男の日本語学校がある。初日なので勉強はせずに書き初めをしてお雑煮を食べるだけだそうだ。無理させる気はなかったが、もし起きたら行ったらいいよと、長男に言うと、キッチンの方から、「明日は誰も起きないわよ!何を考えてるの、あなた?!!」という鋭く研ぎ澄まされた短剣がスパっと飛んできた。長男も僕も沈黙を守った。こういう時の処置は、お互いに何もなかったようにふるまうことになっている。そうだよな、無謀だような。しかし、僕は万が一時差ぼけで長男が目が覚めて眠れなかったりしたらってことをいいたかったんだけどな。まあ、流すしかない。

機内で『イン・ザ・プール』を読み終わった。思ったとおり、終始一貫おもろかった。

Thursday, January 03, 2008

あけおめ。

1月1日
高校の同級生たち数人と会った。みんな歳とったと思うが、変わってないと言えば変わってない。もうみんな人生の終盤戦に突入し始めたわけだが、そう思うと高校を卒業してからの時間はおそろしく短かったと感じる。こんなものでよかったんだろうか。


1月2日
妹夫婦が凧を持ってやってきた。さっそく息子二人と近くの公園へ行って凧上げをした。凧上げはなかなかおもしろい。義弟は追加のたこひもを買って来なかったのをしきりに悔やんでいた。凧とセットになってついていた凧ひもだけではあっという間に足りなくなり、安定した高度まで持っていけないのだ。それでも、空高く上がっている凧を見るのは気持ちのいいものであった。次男の凧は何度か墜落して、潰れてしまい、長男の凧は同じ公園で小さな子どもがお父さんと上げている凧とからまってしまい、どちらも高く調子よく上がっているところだったので、そのまま長男の凧をその父子に進呈して、きれいさっぱり二つの凧を始末して帰宅することにした。

奥田英朗という人、つまり聞いたことも見たことも読んだこともない作家の本を妹が二冊持ってきた。『イン・ザ・プール』と『空中ブランコ』。数ページ読んでみたが、おもろい。数ページでは、まだほとんど読んでないも同然だが、もうこういう好みというのは直感的なものなのでおもろいと思うとおもろいのだ。やはり親族というのは趣味が分かるものなのだろうか。あるいは血縁関係は全然関係ないか。

その二冊といっしょに永沢光雄氏の『神様のプレゼント』も妹が下げてきた紙袋に入っていた。永沢氏についてはいつかyoshilog に書いたような気がするので今回は書かない。もし書いていなかったら、またいつか書こう。彼もまた何がどうとかこうとか言う前に直感的に好感度が沸騰するタイプの作家だ。しかし、早すぎる絶筆は痛い。

* * *

夕刻、両親のところへ行き飯を食う。
棒だらの鍋というのは異様に旨い。はもの鍋も実に旨い。しかし、どちらも親父の作ったやつでないといけない。他の棒だらやはもを食べてみることもあるが、これだけはにっちもさっちもいかない。
冬の棒だらと夏のはも。早くマスターしておかないといけない。

* * *

夜中にNYの友人がチャットをしかけてきた。ほとんど仕事の話以外はしたことがなかった相手だが、昨日は妙に話が広がった。いつかyoshilog で、これ(I do not agree with what you have to say, but I'll defend to the death your right to say it.)を言ったのが誰だか思い出せない、というようなことを書いたと思うが、それが突然彼とのチャットの途中で話題になり、Voltaire であったことがはっきりした。

去年の12月に入ってからプライベートのメールの返事をほとんど書いていない。今日こそ書こうと思ったが、結局書けなかった。


1月3日
もう日本最後の日だ。明日出国かと思うと気が重い。カブールへ帰る時にそんなふうに思ったことはなかったと思う。こういうのは健康に悪い。これが続くならやはり場所変えを早めに決行した方が良いかもしれない。と書くのは簡単だが、仕事、居所、子どもの学校、、、すべてを変えるのは実に大変だ。それを考えるのもまた気が重い。

* * *

年末に大学の先生方との会議に出た時に思ったのだが、自分がかつて書いたことや考えたことが一箇所に整理されてないというのはかなり不便だ。繰り返しの議論というのは実に多いし、確認しながら議論を進めるためにはそういう繰り返しは必要だと思うのだが、自分の過去のデータが整理されていれば、そんな繰り返しももっと効率よくできるはずだ。

HPに整理するというのが常識的な解決だと思うが、HPというのは相当に設計をうまく考えていないと実は大して使いやすいものではない。データベース機能を組み込むとなると、素人では難しい。

それで思ったのだが、データベースとしては、ブログを使うというのはどうだろうか、というよりブログというのはデータベースなのだ。時系列でソート済みのデータベースと言えるだろう。もう一つはカテゴリーというソートが使える。時間とカテゴリー、その二つで十分ではないだろうか。

一つの問題は、どこまで過去に遡って入力できるかということなのだが、このexcite ブログでは案の定2001年までしか遡れない。しかし、Blogger ならどこまでも遡れることが分かった。つまり、例えば小学校の卒業文集に書いたものをブログに入れてしまうというようなことが可能になる。そうすると、手当たりしだいに自分の書いたものを全部入力してしまえば、一つのブログに自分が一生の間に書いたものすべてを入れて時系列に並べるということが可能になる。

もう一つ問題はデータのサイズだ。一つのブログ全体のサイズの問題と、一つの記事のサイズの問題。例えば、博士論文をまるごと一つの記事として入れるとなると、調べたわけではないが、かなり困難かもしれない。フォーマットも問題になるだろう。

まあ、しかし欠点予測を延々としていても生産的でないので、どこまでブログが有効利用できるかを調べてみるのも悪くはないと思って、過去ログの制作に少しずつとりかかることにした。これはエレクトリックデータさえあればコピー&ペーストでできるので大して時間はかからない。とりあえず、excite ブログにyoshilog 3.0 を作った。2001年以前のものは2001年1月に全部入力して急場をしのぐ。しばらくの間は、yoshilog 2.0 は未来に延び、yoshilog 3.0 は過去の延びていくということになる。最終的には三つのブログを一つにしようと思う。