Sunday, December 30, 2007

またブーツ

大晦日はAnna宅で過ごすことになった。我々の分担はシャンパンとビールとチーズいうことになって、今日、カルフールに買いに行った。

ついでに、デンマークの寒くて、暗くて、風が吹きすさぶ冬を乗り切るための靴を探した。確か前回の冬かなり暖かいブーツをカブールで買ったが、あれはゲストハウスのガードさんにあげてきた。

デザインのカッコイイものはたくさんあるが試着してみると、いまいちのが結構ある。おっ、これは行けるかなと思ったやつは微妙に縦・横・高さの組合せが自分の足に合わない。なかなか難しいものだ。条件は(1)長距離歩行で疲れないこと(といっても、通勤の20分のことなのだけど)、(2)防水加工・デザインであること(デンマークはいつもじめじめしてる)、(3)滑り止めがしっかりしてること。凍った道路を歩くのは年寄りにはもう危険なのだ。そして、(4)暖かいこと。最後に(5)自分の気に入った色・素材・形状であること。

とういう当たり前必須5項目みたいなもんなのだけど、これがなかなk総合得点になると、どれもこれも弱いのだ。妥協に妥協をかさなて、一つ選びました。カブールで買ったのは、Made in Korea だったかな。今回のはMade in Dominican Republic と書いてある。いつか写真をとってカブールで買ったブーツと比較してみよう。グローバリゼーションといっても、住む地域によって流通しているモノの生産地が微妙に違うのだろうな。生産地に色をつけて、そこのモノの流通経路にその色をつけて全世界流通図を作れば、グローバリゼーションの一端を視覚化できるだろう。小学校の社会科なんかでやってるかもしれないな。

* * *

ということで、パキスタンの政情不安にも関わらず、元旦の夜、行き場のない人達の集合場所は以下のとおり決定いたしました。


手作り居酒屋 甘太郎 千里中央店

電話番号 06-4863-7371
大阪モノレール千里中央駅 徒歩すぐ

Friday, December 28, 2007

Communication Break Down

やっとインターネット繋がりました。
以前使っていた携帯電話番号は現在使われておりません。かつ、すべての番号を失いました。かつ、i-nexus のメールアドレスも不通です。日本の関係者の皆様、もし宜しければ電話番号(及びメールアドレスも念のため)を、yoshilog オフィシャルアドレス(yoshilog@gmail.com)宛に送ってもらえませんか?あーなんかだんどり悪いなあ。

* * *

26・27日に仕入れた本:
『エコノミック・ヒットマン』ジョン・パーキンス、東洋経済新報社
『反哲学入門』木田元、新潮社
『終わらない庭』 三島由紀夫、井上靖、大佛次郎、淡交社(バカボンのパパにもらった)

Thursday, December 27, 2007

今夜はここで。ヒッヒッヒ。

『房』
住所 大阪市北区与力町2-10
電話 06-6354-7677
定休日 日曜・祝日
時間 17:30~

Wednesday, December 26, 2007

えーっこんなところで逢うなんてぇ~!

TANTE
港区赤坂 3 - 20 - 2
赤坂第3福富ビル二階
電話:03 - 5570 - 2244

赤坂見付駅から歩いて1分47秒

Monday, December 24, 2007

ケイタイから-失敗

予定通り21日に到着して、自分の家に来てみると、インターネットも電話もテレビも繋がってない。出国前に部屋をカナダ人に貸していったのだが、なんと4ヶ月近く経ってまだやってない。普通こんなことは引越しして一番先にするものではないだろうか。そのくせ、やたら中国家具やら古道具屋で二束三文で売ってるような火鉢などがところ狭しと並んでいる。浅はかでしぶといオリエンタリズムいまだ健在。

それにしても、ネットが人体の一部になってしまったような身にはこういうのは異様にストレスになる。しかも、冷蔵庫も洗濯機もないではないか。こういう家の中の些細な不便というのは家族内に険悪な雰囲気を醸成してしまう。あーなんかむかつくなあ。

一日目はほとんど寝ずにインターネットを最短で設置できる業者を探すはめになってしまった。しかし、どいつもこいつも時間がかかる。ダイアルアップの時代はスピードは遅いが、契約開始は瞬間的だった。今はスピードは飛躍的に上がったけど、契約から開始するまで1週間から1ヶ月かかるというところばかりではないか。

結局、歩いて3分くらいのところにあるケーブルテレビ会社に頼み込んで手の開いた人がすぐ来てくれることになったが、それでもちょうど1週間かかるではないか。ストレスで破裂しそうな頭で、hotspot の繋がる場所を探したら、なんと一番近くで千里中央のプロントだと。やれやれ。仕事のことを考えるとぞーっとするが、もうどうにもこうにもならん。

そのカナダ人が冬休みでどこかに行ってるので、彼の置いていったケイタイを使い倒すことにして、初めてケイタイでインターネットを見たりしていたら、yoshilog も見れるので一度アップしようとしたが、途中で変なことになってせっかくタイプしたのが全部消えてしまった。

呆然として、ためしにPCを開けてみると、あれっ?いくつかセキュリティなしのネットワークがあって、一つかろうじて繋がったり、切れたりする。というわけで、ためしに今yoshilog をアップしようとしてるのだけど、できるかな。

Thursday, December 20, 2007

もうすぐ

家を出ないと。
あーまだすっきりしない。鼻が詰まって息しにくい。咳がでる。のどが痛い。もう1ヶ月以上ひきずってる。今からデンマーク風邪を日本に輸出する。



* * *

20DEC07 SK 0983 CPH NRT 15:40 10:40+1
21DEC07 NH 0031 HND ITM 15:00 16:05

Monday, December 17, 2007

バグダッドはsurreal ね・・・

朝、子ども二人を学校まで連れて行く。家を8時過ぎに出るのだが、まだ外は暗い。後数日で冬至だから、今がもっとも日光の少ない日の数日前ということだ。

どうも身体がだるいのは風邪のせいだけではないようだ。日光の照射する時間が少ないと人間の身体の活動も低調になるのだろう。気分にも影響するらしく、人工日光のようなものを照射してうつ状態になるのを防ぐ機械も健康ショップに売っている、とアメリカ人の夫婦が言っていた。彼らはそれを使って冬を乗り切れたそうだ。               ↑とても朝の登校時の風景には見えない。

また風邪がぶりかえしてきた。鼻水と涙が止まらず、鬱陶しい。早めにオフィスを出て家に向って歩いていると、向こうから歩いてくる女の人と目があった。誰だろう?彼女はすれ違いざまに何か言ったようだが、i-Pod で音楽を聴いていたので、聞こえない。イヤホンをはずして振り向くと、

「私の名前はMですけど、あなたの名前は何ですか?」という教科書のような英語で話しかけてきた。その話しかける時の表情を見て一瞬で思い出した。彼女はかつてイスラマバードの国連やECで仕事していたのだった。最後に会ったのは8年前だ。

そうか、彼女はデンマーク人だったか、何人か考えた記憶がない。当然、最初の質問は「ここで何をしてるの?」だった。仕事してる。「家族は?」。ここにいる。「確か息子さんが一人いたと思うけど」。今は二人いる。「よくできたわねー、そんな生活で」。アハハハ。みたいな話をした後、「ここは閉鎖的な国だから簡単じゃないでしょう、何か困ることがあったら言って。できることあるかもしれないから」と彼女は言う。こういう言葉をデンマーク人から聞くのは初めてじゃない。ある種のデンマーク人は外国人にとってデンマークが住みやすい場所ではないということをかなり意識しているように思える。

立ち話で10年分をすべてカバーするのは無理だ。
私はいろんなところに行っていたわ、あなたもいろんなところに行っていたのをC(共通の友人)から時々聞いていたわ、私はどこにも住んでいないの、ずっと動いてる、年明け早々にインドに行って仕事を探すつもり、でも夏にはまた帰ってくるから、その時にまた会えるかも、バグダッドはsurreal ね、ね、そうだったでしょ・・・、

彼女はほんの15分くらいの間に世界中の話をしようとしているようだった。電話番号を交換して別れた。次会うのはまた10年後くらいの予感がする。家に向って歩きながら、彼女とばったりこの道で出会う偶然の不思議さを考えていた。彼女の顔には10年分の時がちゃんと刻まれていた。同じ街に住んでいた当時より、一瞬のすれ違いで出会い損ねたかもしれない今の方が彼女に親近感を感じた。これも不思議だ。

Saturday, December 15, 2007

Experimentarium

ピロリ退治のために妻に処方されたのがこの薬なのだが、これで効くのだろうか、というか抗生物質だらけなのでしょうがないのかもしれないが、ひどい吐き気と下痢と肌の痒みの副作用で痛々しい。
Metronidazol Actavis (Metronidazole)
Selexid (Penicillins)
Imadrax (Amoxicillin)
Pantoloc (Pantoprazole)

今日は長男の土曜日の日本語学校が今年最後の日で、午前中だけで終わりだったので、次男を連れて長男を迎えに行った。母は一人で家でやすむことになった。小さい子どもがいる母親が一人になる時間を作るというのはなかなか難しい。よくよく考えてみると、そんな隙間はほとんどない。世間の母親達はみんな一人の時間を渇望しているのではないだろうか。

息子二人はしょっちゅう兄弟喧嘩しているが、4歳の弟は常に8歳の兄の後を追いかけている。次男に長男を迎えに行こうというと喜んでついてくる。学校についてから、先生と他の生徒のお母さん達と少し話をしてから(実は名前も知らないのだが)、学校の近くにあるピザ屋に行った。

ここのピザはおいしいので時々来る。種類が100種類くらいあって、もちろんデンマーク語なので注文にてこずるのだが、少しは単語も覚えてきたので、だいたいの見当をつけて注文する。ピザを目の前で作ってる人も注文を取る人もデンマーク人ではないので、外人どうしの連帯感のようなものも発生する。コインで全部払おうとしたら1クローネ(25円くらい)足りなかったのだが、もういいよという手振りをしてまけてくれた。貧乏そうな移民風情の東洋人が小さい子ども二人を連れて三人で一枚のピザを買いに来たら、世界中どこに行っても25円くらいまけてくれるものかもしれない。

それから、やっと長男がずっと行きたがっていたExperimentarium に向った。同級生の誕生日会がよくここで行われるのだが、今まで引越したばかりで落ちつくのに忙しくて長男は一度も参加できなかったのだ。可哀そうなことをしたと思う。

これは実におもしろい場所だ。名前の通り、いろんな実験が行えるような装置があって、それを入場者は自由に使える。視覚や聴覚に関するものから、自然界の水や風に関するものまで、いろんなものがあって、とても一日ではすべてじっくり試すことは無理だ。子ども以上に大人も楽しめる。いつか一人で来て三日間くらいかけて全部味わい尽くしたいと思った。まあ、永久に実現することはないと思うが。

4時くらいにExperimentarium を出て帰ろうとすると、長男がバッグをピザ屋に忘れてきたことに気がついた。長男は実にこういうことが多い。それにくらべて、次男は実に細かいことに気がつき、几帳面で、まったく正反対だ。

まだデンマークに着いたばかりのある日、次男と母親はホットドッグを持ってバスに乗った。当然それをバスの中で食べていたのだが、次男が母親に、You are not supposed to eat it. という。母親がなぜかと聞くと、次男はバスの中に壁に貼ってある絵を指差した。そこには三枚の絵があって、タバコの絵に×印、飲み物の絵に×印、食べ物の絵に×印がしてあった。それを見て、4歳の子どもが、ものを食べてはいけないということを解釈して母親に伝えるということにまず驚愕したが、そういう絵に気がつくこと自体とても彼らしい。

話は戻るが、ピザ屋に着くと、さっきと同じピザ焼き職人みたいなトルコ人っぽい人がニコリと笑って、バッグの置いてある方向を指差してくれた。そのまま帰るのも気が引けたのでアイスクリームを三つ買って三人で食べながらバス停まで歩いて行った。まだ5時前だが、もう真っ暗で風が強くとても寒い。寒い時に食べるアイスクリームはどうしてこんなにおいしいのだろう。母親がいたら絶対に許さないだろうが、まあたまにはいいではないか。

帰りのバスの中で次男は寝てしまった。家に着くと今日は妻の具合がかなり悪いようだった。息子二人にオムライスとレタスのおひたしを作った。ケチャップの好きな次男はケチャップのついている卵を先に全部食べて、後から中のライスを食べていた。長男はそれを見て、ちゃんと食べろと叱っている。彼は母親の調子が悪いことをとても気に病んでいて、イライラしがちだ。心配症なところは母親に似てしまったのだろう。

今晩はオフィスのイヤーエンドパーティだけど、とても行く気力も体力もない。

Friday, December 14, 2007

Triage

お金が動くのも人事が動くのも年内は12月15日が最後なので、明日中に動かない仕事は来年に持ち越しになる。というわけで、土壇場の支払いや採用手続きでオフィスには坊主が走り回る喧騒が現れる。が、その一方でオフィスの半分はとっくにクリスマス気分におおわれていたりする。

年内に終えたいと思っていることを全部できるかどうか考えてみると、どうも無理だという結論に達してしまう。結局、To-Do List にあるものを、「年内にできそうなこと」と「年内にはできそうにないこと」に分けて、当面は前者に集中せざるをえなくなる。できそうにないグループには今はとりあえず死んでもらうしかない。

Triage みたいなものだ。ウィキペディアによると、Triage では以下のような分類が使われるそうだ。

黒 (Black Tag) カテゴリー0:死亡、もしくは救命に現況以上の救命資機材・人員を必要とし救命不可能なもの。

赤 (Red Tag) カテゴリーI:生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置が必要で救命の可能性があるもの。

黄 (Yellow Tag) カテゴリーII:今すぐに生命に関わる重篤な状態ではないが、早期に処置が必要なもの。

緑 (Green Tag) カテゴリーIII:救急での搬送の必要がない軽症なもの。

カテゴリーIIとIIIに入るものは、とっくに後回しにしているのだが、カテゴリーOに入ってるものは意外としぶとく生き残る傾向がある。これを早く手放さないと助かる命も助からなくなるから、残っている仕事をカテゴリーO か I に分けて、この1週間は I に専念することにしていたのでした。それでも、カテゴリーII や III や O に属する仕事についてもやんやと催促が来るので、うるさくてしょうがない。もうそれは年内はとりあえず寝てもらうことにしましたとも言えないのが苦しいところだ。

一人で仕事していたら、きっと O から III まですべてやってしまおうとしていただろう。家族といっしょに生活すると、そういう点で歯止めがかかる。子どもを学校まで連れて行ったり、仕事の帰りに晩御飯の買い物をしたり、ゴミを捨てにいったり、子どもの歯磨きをしたり、いろいろとやることも増えて、すべての時間を仕事に使うということは不可能になる。

生活の形態は仕事のやり方に影響を与える。そういうことを理解しない上司に当たったら不幸だろうな。で、たいていの上司というのは、自分の頭で想定された仕事のやり方の外に思考範囲がひろがっていない。つまり、たいていの人は不幸な仕事環境に置かれて、そして自分が上司になると、不幸の再生産にせっせと励むということになる。

上司も部下もない仕事というのは決して楽ではないと思うが、バカに囲まれる悲惨を上回る魅力もあるにちがいない。

Thursday, December 13, 2007

鼻曲がり文

ここのオフィスに来てから、同じオフィスの同僚に送った仕事メールの返事に「今日は家で仕事してるんだけど」という前置きのついてるものがちょこちょこ来る。最初は体調でも悪くて休んでいるのに、家でメールをチェックしたりして、結局仕事をするはめになっているのかなと思っていたが、どうもそうではないようだ。「家で仕事してる」メールが多過ぎる。というわけで、最近はなんかそういう制度があるのだろうと思っていたのだが、特に追求もしていなかった。

今日"Work-Life Policy"というSubject のメールがやってきた。オフィスでは直接仕事に関係しないメールを読んでいる余裕がないので、家に帰ってから読んでみると、これが仕事と生活のバランスを改善しましょうという意気込みのメールであった。

全然聞いたことなかったが、前の国連事務総長がフレキシブルな労働環境を奨励していたそうなのだ(興味のある人は国連のホームページでこれをダウンロードできると思う→ST/SGB/2003/4)。で、トップがそういうこと言い出すと、下々の部隊もそれにならわないといけないわけで(たとえ5年遅れであっても)、2008年1月から実施する"Work-Life Balance"を改善するための実験的措置(パイロット)を通告するというのがこのメールの趣旨であった。

まず最初に原則として、6項目が挙げられている。

1.仕事と家族生活のバランスを改善すること。
2.職員のクリエイティビティと生産性を最適化すること。
3.上司と部下の間でアカウンタビリティと信頼を構築すること。
4.この措置の実施によって組織にいかなるコストも発生しないこと。
5.フレキシブルな労働環境(working arrangement)は権利(entitlement)ではない。
6.この政策の効果のあるものにする責任は職員の側にある。

まーなんというか、今さらですが、役所臭くて鼻曲がりそうでしょ。

その後に具体的な措置について書いてあるのだけど、一つ目のオプションが、Compressed work schedule というタイトルで、要は全仕事時間は一定にして、出勤する時間を減らそうってもの。

1.週の最初の4日間、一日9時間仕事して、金曜日を半ドンにする。
2.一日45分ずつ多く仕事して、2週間に一回金曜日を休みにする。
3.週の最初の4日間、一日10時間仕事して、金曜日を休みにする。

一日の仕事時間が12時間以下ってことはまずないし、土日まったく仕事をしないってこともまずないなんて実情は完全に念頭にないのだろう。上の三つとも1日8時間・週5日間という仕事が前提になっている。

そして二つ目のオプションは、Telecommuting というタイトル。1週間に1日を限度として、職員のコスト負担で家もしくはどこか他の場所でネットを利用して仕事するというもの。もうすでにどこにいようがネットで繋がって結果的にはどこでも常に仕事するはめになっている実情のはるか後方にいるのがよく分かる。むしろこの猛烈なITの浸透によって、仕事に侵食され続ける職員の私生活をどうやって仕事と切り離すかってのが組織の課題でしょうが。

こりゃ、サル芝居ですか。形だけなんか整えたように見せているけど、中味について真剣に考えたとは思えない。こういうのをお役所仕事っていうのだろう。

とかなんとか言って、夕方になると、ほとんどのお店が閉まってしまい、週末になると生存の危機を感じるほど何もかもしまってしまうコペンハーゲンでは、出勤を週四日に限定してしまうと、お店の開いている時間に行動が自由になるわけで、そのメリットはかなり高い。誰にも話しかけられずに仕事に専念できる時間が取れるというのもかなり威力がある。

このパイロット、乗らせていただきましょう。

Sunday, December 09, 2007

Helicobacter pylori

最初、医者の口からHelicobacter pylori という言葉が出てきた時はまったく何も思い浮かばなかったが、後でウェブをみると、これは日本語でいうピロリ菌のことではないか。といっても、それについて詳しく知っているわけでも何でもないが、このピロリ菌という音の感触は耳に残っている。数年前日本の新聞を賑わしていたことがあったのではないか。ただ、その時も今も何も知らない。

ちょろちょろとウェブを見て、「この菌を起因として、いろんなことが起こり得る」ということは分かったが、具体的に妻の身体に今何が起こってそれが様々な症状にいかに結びついているかはまだ分からない。とにかく体内からこのHelicobacter pylori を殲滅しないといけないのは確かなのだろう。

それにしても、ようやく先が見えてきたというのに、「もう緊急ではないから、この後は別の医者で検査を続けてくれ」とは、なんと中途半端なのだろう?ともかく、そういうことで金曜日中に妻は退院し、来週別の医者に行くことになった。

* * *

昨日(土曜日)は、長男の通っている土曜日だけの日本語補習校でのクリスマス会だった。12時からだというので、午前中は家にいると、長男の担任の先生から電話がかかってきた。なんと午前中は普通通りの時間で授業があったのだ。そういう連絡を僕はメールで受け取っていたらしいがまったく記憶にない。あやまるしかない。

これはほんの一例で僕は子どもの学校で何が起きているかまったくフォローできていない。一日30分くらいは子どもの学校の勉強を見ようという斬新なアイデアはあるのだが、実際は1週間に一度みることができるかどうかという程度だ。平日のインターナショナル・スクールも宿題が山ほどあるし、日本語補習校の方は1週間に一日でい週間分を進もうとするのでこれも宿題がたくさんある。かなり困ったものだ。

クリスマス会では長男のクラスは劇をやったのだが、我が家の長男は一階もリハーサルというものに参加していない。金曜日の夜あわてて台詞を覚え、父親と少し練習しただけで、ぶっつけ本番ということになった。

一夜漬けで覚えた台詞をちゃんと舞台上で喋っている長男を見て、ちょっと感動した。劇の構成もシンプルで分かりやすくできていて、観客にはかなり受けていた。担任の先生がかなり頑張ったのだろうと思う。ほったらかしでも、こうやって子どもは育っていくものなのかと思いながら、長男の演じる劇を見ていた。

* * *

最近、新聞で「カブールノート」の紹介記事を読んで本を探したが、見つからないのでなんとかならないかという問い合わせが来た。本が見つからない、なんとかしてほしいという問い合わせがくることは時々ある。しかし、もう6年も前の本だし、爆発的に売れる見込みはないわけだし、出版社としても再版に踏み切りにくいだろう。

中古品を探してもらうしかないのが現状だけど、今アマゾンを見たら、なんと古本が一冊7,000円で売っているではないか!(→ここ。)1,000冊くらい手元においておけばよかった。

でも、今頃になって紹介記事を出すというのはどういうことなのだろう?どなたかご存知ですか?

Saturday, December 08, 2007

初めての夜

昨日の朝、ミケーラは1時間ほど電話しまくって、病院と話をつけ、彼女もいっしょに病院に行くことになった。結局、妻は検査のためそのまま一泊することになった。ミケーラはオフィスに戻り、僕はその後、医者に会ってから、その日は次男のクラスのオープン・ハウスだったので、子どもの学校へ行くことにした。

とはいうものの、実はオープン・ハウスが具体的に何を意味するのか僕は分かっていなかった。日本でいう参観日みたいなものだろうと思っていたが、少し違った。親もクラスの活動の一部とみなされているようで、まあ、なんというか、親と子どもがまじってごちゃごちゃと過ごすという感じだった。

学校が終了してから、子ども二人を連れて、病院へ向った。今日はお母さんは家に帰ってこないのだということをどうやって伝えるかをずっと考えていたのだが、結局何も思いつかず、駅へ向う道であっさりと今日はお母さんは病院に泊まるからねと言うと、何も反応がなかった。今から思うと意味が分からなかったのだろう。僕が覚えている限りでは、二人とも生まれてから今までお母さんなしで過ごす夜は一日もなかったと思う。

それから、4歳の次男の方はずっと何か考えている様子で、何も喋らなくなった。8歳の長男の方は具体的にはいつ帰ってくるのかということを何度もきく。実はその時点では僕も分からなかったのだけど、明日か明後日と答えた。

病室に着くと、長男はすぐに母親が横たわっているベッドに駆け寄って行ったが、次男はまるで人見知りをしているような感じで、母親のいるベッドになかなか近寄ろうとしない。なにかいつもと違うという状況は認知しても、それがなんなのか理解できず圧倒されていたのではないだろうか。いつもは長男よりもずっと賑やかな次男が今は黙りこくっている。

母親に促されてやっと母親に抱きついたが、またすぐにベッドの横のイスに腰掛けたまま黙っている。病室に1時間ほどいたが、その間喋っていたのはほとんど長男だった。帰る準備を始めた時に一階の玄関まで送っていくためにベッドから出ようとした母親を見て、今までじっとしていた次男が即座に反応をした。危ないっ!とでもいうように、母親の動きを止めようとしたのだ。

次男は病院のベッドに横たわっている母親を見て、足に何か異常が起こっているのだと考えていたようなのだ。彼なりに懸命に事態を把握しようとしていたのだろう。それで急に起き上がろうとしたものだから、思わず止めようとしたらしい。4歳なりの思考がなんとも言えずおかしいのだが、子どもといっても大人の想像をはるかにこえた思考が存在するのだと思った。

その後、息子二人とスーパーマーケットで買い物をして、家に帰って豚のしょうが焼きを作っていると、次男が一人で泣いていると長男が報告に来た。彼にとっては、お母さんのいない初めての夜なのだ。見に行くと、次男は床にすわってじっとして涙ぐんでいる。明日は帰ってくると言って、三人でごはんを食べた。その日は次男のベッドでいっしょに寝た。

Wednesday, December 05, 2007

どういうこと?

僕の会う外国人はみんなデンマークの医療制度に不平たらたらだし、その片鱗を見始めたところだったので、期待はしていなかったけど、ここまでひどいとは。

先週妻が受けた検査の結果を医者に聞きに行ったのは昨日だった。結果のレポートを見ながら医者と10分くらい話し、その場では医者は抗生剤を出そうと思うが他のことも考えて後で電話するという話で終わった。これだけで、払ったのは約1万円くらいだった。

その後オフィスに言ってから午後になって、その医者から電話がかかってきた。別の検査を緊急にした方がいいので、明日別の大きな病院に朝8時半に行けという。その病院の住所と電話番号を聞いて、電話をきった。

今日、子どもを二人とも学校を休ませて、その大きな病院に行った。まず敷地が大きくてなかなか行くべき建物が見つからない。インフォメーションの小屋のようなものを見つけたので、そこできいてやっと目当ての建物に到着した。しかし、それからが悲惨だった。受付に行っても、全然情報がシステムに入ってない、何もできない、の一点張り。ここに来いというから来たのに、どういうこと?

別の階に行って聞いてみろというから行って見たが、同じこと。システムに情報がないというだけ。また他の場所に行って聞いてみたが、そこでも何も分からない。もうここでテロリストになりたい気分でいっぱいになっていた。

結局、子ども二人は学校に行かず、往復のタクシーに一万円ほど使って、僕は仕事を半日遅れて、妻は医者に会うことも新たな検査とやらを受けることもなく、何一つ得るものもなく家に帰った

今日はオフィスでみんなでランチをもってきて食べる日だったので、僕は一度家に帰ってから、近所の寿司屋で寿司を買ってオフィスに向った。

(↑)寿司とスウェーデンのミートボール。


(↑)オフィスの中にある部屋の白いテーブルに今日だけクリスマスふうの紙を貼り付けてある。

僕が医者に行っていたことはみんな知っているので、どうだった?とみんなきくから、あーもう悲惨とちょっと話をすると、ジェニーがやたらと親切になんとかしようとしてくれる。ランチのあと、結局彼女が二時間くらいかけてあちこちに25回くらい電話をして、ようやく全貌が見え始めた。

要約すると、今日の朝になって、妻についての情報がこの大きな病院のどこかに到着したらしい、少なくとも医者一人はそれについて認識していた、ところがその病院のほかの人はシステムに入ってないの一点張りを続ける、そのために結局医者にたどり着くことは不可能だということになる。

なんて素晴らしいアホさかげんだろう。ジェニーとこれからどうするか対策を考えていると、デンマーク人のミケーラが介入してきた。ジェニーが彼女にこれまでの経緯を説明すると、彼女が自分が明日電話しまくって、話をつけて妻を連れて病院に行って叫んでくると言い出した。どうも自分の国の医療制度だから、という気持ちもあるようだ。

さて、どうなることやら。

(↑)左端がミケーラ、右端がジェニー。感謝、感謝。

Saturday, December 01, 2007

アートな夜

高校の同級生が偶然デンマークに住んでいて、アーティストである彼女の展覧会がなんと僕が住んでいる建物の並びにあるギャラリーで始まったので息子二人と見にいってきた。

この人がどういう人かはこのウェブ(↓)を見るのが早いと思う。

ちいちゃいカメラでカシャカシャと撮っても芸術的な写真には程遠いのだけど、一応こんなものがありましたということで載せておく。

(↑)このくらいのサイズのものを室内で撮るにはしょぼいフラッシュ一つでは光が足りてないですね。

(↑)これもまた暗い。黄色いセーターが4歳の次男(哲也)、赤いジャケットが8歳の長男(凱也)。長髪の子がアーティストの息子、ニコラス、その隣が彼の友達のシモン(だったかな?)。みんな日本の血は半分ずつのよう。彼らはすぐに友達になっていた。

子どもはみんなそうなのだけど、外国にいると、日本の子どもは特に敵対的なところがないように思う。外国にいると、やみくもに攻撃的な子どもたちを見てびっくりすることもある。僕が知らないだけで、日本でもひょっとして同じなのだろうか。

ところで、ニコラスはアーティストの母を「かーちゃん」と呼んでいた。関西から直接外国に引っ越して、非関西語をあまり必要としない生活を送ってきた人の場合は、関西弁の保存状態が非常に高いが、この親子のケースもそうなのだろう。

東京事務所からナオリさんが来ていたので、ギャラリーで会うことにした。ちゃんと時間をとって話ができればよかったのだけど、時間のやりくりがどうにもこうにもいかない。明日はNYに向かうということなので、1週間ほどで世界1週するはめになるのだろう。僕もやったことがあるがこれはとてもきつい。

一泊400ドル以上もするホテルに戻るナオリさんをタクシー乗り場まで息子二人と送っていった。決して贅沢しているわけではなく、単純にすべてのホテルが高く、かつ少しでも安い目の部屋は最低3ヶ月くらい前から予約しないととれないのだ。同じ目にあったのでよーく知ってる。出張費だけでは当然足りなくて赤字で仕事をしている。おかしな話だ。