ヨシログのページに行って、まとめて読んでみると、なんか誇張し過ぎかもと思って、19日のを少し書き直した。それと、17日に二つ書いたはずだけど、二 つ目どこかにありますか?アップしたはずなんだけど、見つからない。どこにいったんだろう?おかしいなあ、誰か見つけ方、教えてもらえます?とりあえず、 もう一度コピーしておきますが。
^---^
あった。コピー削除。
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Saturday, May 27, 2006
Saturday, May 20, 2006
ロンドンの雨
昨夜は酔っ払って、ぐっすり眠ったせいか、パチっと目が覚めた。まだ7時過ぎではないか。もっと寝ようかと思ったが、ロンドン最後の日なんだから、起きる ことにした。メールをチェックする。ダッダッダッダッダッダッダッダッダッダっとメールが受信箱の上から下へ動いて行く。気になるものをいくつか開けてみ る。なんてMessyなんだろう。カブールで留守番をしている優秀なアミールは当然孤軍奮闘し、怒りとため息の間でもだえ笑い狂ってるだろう。落ち込む。 遠くでできることは限られている。カブールに帰った時の対策の伏線として、いくつかメールを送った。
今日は、本屋をのぞいてみようと思っていた。ただ、その前に早急に一枚服を買う必要があった。ポロシャツとボタンダウンしかもって来ていなかったので寒くてしょうがなかったのだ。寒いロンドンをこの格好でうろうろするのは限界がある。だから、優先課題は服一枚だった。
9時頃に外に出たが、霧雨が風に舞っている。寒い。とにかくなんでもいいから何か服を買わないと凍ってしまいそうだ。あてもなく歩き始めたが、まだほとん どのお店が開いてないではないか。15分ほど歩いて、露出した僕の腕はもう凍ってきた。もう、だめだ、ホテルに戻るにはちょっと遠くに来過ぎた。どこか飛 び込めるお店はないかとあたりをキョロキョロ精力的に見回しながら、早歩きであてなく歩き続けると、サンドウィッチの「サブウェイ」が開いているのを発見 した。店内に入ったが、お客さんも従業員も誰もいない。まだ準備中なのか。
僕の気配をさっして奥の方から黒人のお姉さんが、ヨーッとか言いながら出てきた。
「もういいかな?」ってきくと、「オーケー」。どこまでも非イギリス的気さくさ。僕はメニューを見ながら、なんでも良かったのだが、「暖かいのはどれ?」ときくと、「全部暖かい」と言う。
イギリスの「サブウェイ」はみんな暖かいのか?まあ、どうでもいい。深く追求せず、イタリアン・クラブというのと、コーヒーを注文した。「寒いからチリをたくさん入れて欲しい」というと、ほんとにてんこ盛りに入れてくれた。
ガラス張りの壁にカウンターがついていたので、そこで僕は外を歩く人を見ながら、サンドウィッチをゆっくり食べた。お客さんは僕一人だ。黒人のお姉さんは また奥に引っ込んでなんか仕事している。誰かお客さんが入ってきたら、黒人のお姉さんに教えてあげないといけないなと思う。臨時店員になった気分で、責任 感に満ちてきた。
じっと外を見ていると、霧雨が風に翻弄されて、ふぁーっとあっちやこっちに方向を変えて舞っているのが良く分かる。やがて霧雨が大粒になり、一人前の雨に なった。もう確固とした意志をもって自分の行く先は自分で決められるとでも主張しているかのように、スパスパと地面を叩き始める。と思ったのもつかのま、 また雨は意志の弱い霧雨と化し、風の翻弄が始まる。
人々は、この変化を微妙につかまえて、霧雨になるとさっさと歩き始め、一人前の雨になると、さっとビルの陰に入ってつかのまの雨宿りをしている。そして、 また霧雨になると、素早く歩き始める。傘を持っている人は実に少ない。ロンドンの人はこうやって年がら年中雨とつきあっているのだろう。
雨になったからといって、一気に絶望する必要もなければ、霧雨になったからといって、小躍りして次回の落胆を増加させる必要もないのだ。ロンドンの雨は何百年にも渡って、心の深いところで人々に影響を与えてきたかもしれない、と思う。
* * *
ロンドン人のように雨の扱いに慣れていない僕は、結局、ずぶ濡れになり、寒さに凍え、あらゆる判断力を失い、今日限り一生着ることはないだろうすごい趣味 のセーターを一枚買って、その頃には本屋に行く気力など完全に失って、ホテルに帰ろうとしたが、もちろん、その頃にはもうどこを歩いているかさっぱり分か らなくなっており、ふとヴァージンが目に入ったので、そうだ、前から買おうと思っていたDaniel PowterのCDを買おう、という口実を捻出して、とりあえず店の中に入ったのだった。
アルファベット順におそろしく古いのから最新のまで差別せず、とりあえずあるもの全部並べてみましたという感じで並んでいるCD群を眺め始めて、いやはや 寒さを忘れて、顔がほころんでくるのを抑えることにしばらく気がつかなかった。僕を見ないふりして見ていた人は、僕のことをずぶ濡れになってCDをながめ てニタニタしている東洋の狂人と思っただろう。それにしても、Peter Green やJ.J. CaleやWet Willie が普通の顔して店頭に並んでるってのも不思議な気がしたが、日本でもヴァージンくらい巨大になるとこういうのは当たり前なのだろうか。
一番まじめに音楽を聞いた中学生の頃に聞いていたようなCDを何枚か買った。
1.1973年に出たByrdsのオリジナルメンバーによる録音の"Byrds"。これは実に名盤だと思う。Gene Clark, Chris Hillman, David Crosby, Roger McGuinn, Michael Clarke がメンバー。"See The Sky About to Rain" を聞くと、今でも中学校の正門から西に向かって田んぼの真ん中をまっすぐに進む道をはっきりと思い出す。サッカーの練習が終わってクタクタの気分と夕暮れ の景色は今日も終わった感に満ちていた。右を見ても左を見ても田んぼがずっと続き、前を見ると長い舗装した道が遠くに見える高層ビル群につながり、うしろ を振り返ると校舎だった。ウォークマンはなかったけど、頭の中では音楽がかかっていて、その時よく流れていたのが"See The Sky About to Rain" だった。その時、映画を作りたいと思ったのを今突然思い出した。
2. Peter Frampton の"Frampton Comes Alive"。二枚組みのライブ盤。ものすごくよく売れたレコードだったと思う。ピーター・フランプトンは泥臭いハンブル・パイというバンドを抜けて、い きなりこのアルバムでソロデビューしてアイドル・ロックシンガーになってしまった。僕はハンブル・パイが好きだったのだけど、そこでピーターなき後、泥臭 さ追求に専念していたスティーヴ・マリオットが、この16、17年後、僕がイギリスに行った時、まだ場末のライブハウスで頑張ってるのを知って驚いた。も ちろんロンドンのどこかへ彼のライブを見に行った。89年から90年だったと思う。彼は91年に亡くなった。
3. Focus "The Best of Hocus Pocus"。特に好きだったわけではないけど、あまりの懐かしさに買ってしまった。フルートがぴ~ひゃら入っていて、当時はプログレ・ロックという範疇 に入れられていたと思うが、今、聞いてみると、これぞポップスという音ではないか。皮肉なことにロックの大衆化でプログレッシヴだったのかもしれない。
4. Crowded House "Recurring Dream The Very Best of Crowded House"。これはそんなに古くない、と思う。20代に入ってから聞き始めたと思う。ただ好きな音で、また聞いてみたくなって買った。
5. Daniel Powter "Daniel Powter" 。彼のデビュー盤。Bad Day が爆発的ヒットになって、いろんなところで使われて、彼のことを知った。American IdolでもBad Day は落選した人のビデオを流す時に使ってる。Crowded House と、Daniel Powter を続けて聞いてみると、なんか似ている気がする。自分の趣味の範囲ということなのか。しかし、音楽の趣味といっても自覚的に説明できるほどのものもない し。
* * *
ヴィクトリア駅までタクシーで行き、そこから電車でガトウィック空港に行った。Swindon からロンドンまでと違って、電車の窓から見える景色が近代資本主義国家的に汚い。でも、隣に二人、前に一人、計三人の若い女性が座り、珍しくみんなそろっ てきれいだったので我慢することにした。ガトウィック空港駅に着き、ロンドン市内のATMで日本の円口座から引き出したポンドがたくさん余っていたので、 それをドルに両替した。少なくとも三つの銀行を数円ずつ儲けさせてしまった。無駄。
チェックインしてから、薬局でアルカセルツァー発見。20個入りのを4箱買った。カブールのPXでは長らく品切れ中で結構苦しんでいたので助かった。レストラン街に回転寿司があった。食べなかったから分からないけど、あまりおしそうには見えない。商売になるのだろうか。
EKのラウンジはとても広い。念のため書いておくと、ワイレスでインターネットに無料で繋がった。
ロンドンからドバイの機内で寝るつもりだったが、映画を三本続けて見てしまった。"Transporter 2"、"Lord of War"、"In Her Shoes"。三本ともこれまた珍しく見がいのある映画だった。ドバイには朝7時に着いたので、カブール行きの国連機の出発まで5時間、空港で人生を無駄 にした。
20 May 06 EK 010 C LGWDXB HK1 2115 0710+1
今日は、本屋をのぞいてみようと思っていた。ただ、その前に早急に一枚服を買う必要があった。ポロシャツとボタンダウンしかもって来ていなかったので寒くてしょうがなかったのだ。寒いロンドンをこの格好でうろうろするのは限界がある。だから、優先課題は服一枚だった。
9時頃に外に出たが、霧雨が風に舞っている。寒い。とにかくなんでもいいから何か服を買わないと凍ってしまいそうだ。あてもなく歩き始めたが、まだほとん どのお店が開いてないではないか。15分ほど歩いて、露出した僕の腕はもう凍ってきた。もう、だめだ、ホテルに戻るにはちょっと遠くに来過ぎた。どこか飛 び込めるお店はないかとあたりをキョロキョロ精力的に見回しながら、早歩きであてなく歩き続けると、サンドウィッチの「サブウェイ」が開いているのを発見 した。店内に入ったが、お客さんも従業員も誰もいない。まだ準備中なのか。
僕の気配をさっして奥の方から黒人のお姉さんが、ヨーッとか言いながら出てきた。
「もういいかな?」ってきくと、「オーケー」。どこまでも非イギリス的気さくさ。僕はメニューを見ながら、なんでも良かったのだが、「暖かいのはどれ?」ときくと、「全部暖かい」と言う。
イギリスの「サブウェイ」はみんな暖かいのか?まあ、どうでもいい。深く追求せず、イタリアン・クラブというのと、コーヒーを注文した。「寒いからチリをたくさん入れて欲しい」というと、ほんとにてんこ盛りに入れてくれた。
ガラス張りの壁にカウンターがついていたので、そこで僕は外を歩く人を見ながら、サンドウィッチをゆっくり食べた。お客さんは僕一人だ。黒人のお姉さんは また奥に引っ込んでなんか仕事している。誰かお客さんが入ってきたら、黒人のお姉さんに教えてあげないといけないなと思う。臨時店員になった気分で、責任 感に満ちてきた。
じっと外を見ていると、霧雨が風に翻弄されて、ふぁーっとあっちやこっちに方向を変えて舞っているのが良く分かる。やがて霧雨が大粒になり、一人前の雨に なった。もう確固とした意志をもって自分の行く先は自分で決められるとでも主張しているかのように、スパスパと地面を叩き始める。と思ったのもつかのま、 また雨は意志の弱い霧雨と化し、風の翻弄が始まる。
人々は、この変化を微妙につかまえて、霧雨になるとさっさと歩き始め、一人前の雨になると、さっとビルの陰に入ってつかのまの雨宿りをしている。そして、 また霧雨になると、素早く歩き始める。傘を持っている人は実に少ない。ロンドンの人はこうやって年がら年中雨とつきあっているのだろう。
雨になったからといって、一気に絶望する必要もなければ、霧雨になったからといって、小躍りして次回の落胆を増加させる必要もないのだ。ロンドンの雨は何百年にも渡って、心の深いところで人々に影響を与えてきたかもしれない、と思う。
* * *
ロンドン人のように雨の扱いに慣れていない僕は、結局、ずぶ濡れになり、寒さに凍え、あらゆる判断力を失い、今日限り一生着ることはないだろうすごい趣味 のセーターを一枚買って、その頃には本屋に行く気力など完全に失って、ホテルに帰ろうとしたが、もちろん、その頃にはもうどこを歩いているかさっぱり分か らなくなっており、ふとヴァージンが目に入ったので、そうだ、前から買おうと思っていたDaniel PowterのCDを買おう、という口実を捻出して、とりあえず店の中に入ったのだった。
アルファベット順におそろしく古いのから最新のまで差別せず、とりあえずあるもの全部並べてみましたという感じで並んでいるCD群を眺め始めて、いやはや 寒さを忘れて、顔がほころんでくるのを抑えることにしばらく気がつかなかった。僕を見ないふりして見ていた人は、僕のことをずぶ濡れになってCDをながめ てニタニタしている東洋の狂人と思っただろう。それにしても、Peter Green やJ.J. CaleやWet Willie が普通の顔して店頭に並んでるってのも不思議な気がしたが、日本でもヴァージンくらい巨大になるとこういうのは当たり前なのだろうか。
一番まじめに音楽を聞いた中学生の頃に聞いていたようなCDを何枚か買った。
1.1973年に出たByrdsのオリジナルメンバーによる録音の"Byrds"。これは実に名盤だと思う。Gene Clark, Chris Hillman, David Crosby, Roger McGuinn, Michael Clarke がメンバー。"See The Sky About to Rain" を聞くと、今でも中学校の正門から西に向かって田んぼの真ん中をまっすぐに進む道をはっきりと思い出す。サッカーの練習が終わってクタクタの気分と夕暮れ の景色は今日も終わった感に満ちていた。右を見ても左を見ても田んぼがずっと続き、前を見ると長い舗装した道が遠くに見える高層ビル群につながり、うしろ を振り返ると校舎だった。ウォークマンはなかったけど、頭の中では音楽がかかっていて、その時よく流れていたのが"See The Sky About to Rain" だった。その時、映画を作りたいと思ったのを今突然思い出した。
2. Peter Frampton の"Frampton Comes Alive"。二枚組みのライブ盤。ものすごくよく売れたレコードだったと思う。ピーター・フランプトンは泥臭いハンブル・パイというバンドを抜けて、い きなりこのアルバムでソロデビューしてアイドル・ロックシンガーになってしまった。僕はハンブル・パイが好きだったのだけど、そこでピーターなき後、泥臭 さ追求に専念していたスティーヴ・マリオットが、この16、17年後、僕がイギリスに行った時、まだ場末のライブハウスで頑張ってるのを知って驚いた。も ちろんロンドンのどこかへ彼のライブを見に行った。89年から90年だったと思う。彼は91年に亡くなった。
3. Focus "The Best of Hocus Pocus"。特に好きだったわけではないけど、あまりの懐かしさに買ってしまった。フルートがぴ~ひゃら入っていて、当時はプログレ・ロックという範疇 に入れられていたと思うが、今、聞いてみると、これぞポップスという音ではないか。皮肉なことにロックの大衆化でプログレッシヴだったのかもしれない。
4. Crowded House "Recurring Dream The Very Best of Crowded House"。これはそんなに古くない、と思う。20代に入ってから聞き始めたと思う。ただ好きな音で、また聞いてみたくなって買った。
5. Daniel Powter "Daniel Powter" 。彼のデビュー盤。Bad Day が爆発的ヒットになって、いろんなところで使われて、彼のことを知った。American IdolでもBad Day は落選した人のビデオを流す時に使ってる。Crowded House と、Daniel Powter を続けて聞いてみると、なんか似ている気がする。自分の趣味の範囲ということなのか。しかし、音楽の趣味といっても自覚的に説明できるほどのものもない し。
* * *
ヴィクトリア駅までタクシーで行き、そこから電車でガトウィック空港に行った。Swindon からロンドンまでと違って、電車の窓から見える景色が近代資本主義国家的に汚い。でも、隣に二人、前に一人、計三人の若い女性が座り、珍しくみんなそろっ てきれいだったので我慢することにした。ガトウィック空港駅に着き、ロンドン市内のATMで日本の円口座から引き出したポンドがたくさん余っていたので、 それをドルに両替した。少なくとも三つの銀行を数円ずつ儲けさせてしまった。無駄。
チェックインしてから、薬局でアルカセルツァー発見。20個入りのを4箱買った。カブールのPXでは長らく品切れ中で結構苦しんでいたので助かった。レストラン街に回転寿司があった。食べなかったから分からないけど、あまりおしそうには見えない。商売になるのだろうか。
EKのラウンジはとても広い。念のため書いておくと、ワイレスでインターネットに無料で繋がった。
ロンドンからドバイの機内で寝るつもりだったが、映画を三本続けて見てしまった。"Transporter 2"、"Lord of War"、"In Her Shoes"。三本ともこれまた珍しく見がいのある映画だった。ドバイには朝7時に着いたので、カブール行きの国連機の出発まで5時間、空港で人生を無駄 にした。
20 May 06 EK 010 C LGWDXB HK1 2115 0710+1
Friday, May 19, 2006
ソフトシェルクラブ
午前中はまたディスカッション。今後三年間の戦略ペーパーなるものを作っているのだが、サンディとマットと僕の三人で同時に違うところを書き分けて、それ を一つにするという作業を繰り返すので、頓馬なことをするといくつも変形version ができてしまう。事故を避けるために、僕のPCで常にマスターversion を維持することにして、今朝の時点では、Version 4.0 だったのが、それでも何度も右往左往し、正午にはVersion 9.0 に達していた。しかし、完成にはほど遠い。
日曜日にはカブールに着くので、月曜日にカブールで皆の衆を召集してブリーフィングをし、皆の衆のインプットを募り、月末までに完成するという空想を立て ている。たぶん、無理だろう。結局、最後には一人で暗い屋根裏部屋に閉じこもって、何の勝算もない賭けに全財産をつっこむようなペーパーを形だけでも完成 せざるを得ない苦しみにもだえる図が僕の頭の中では着々と完成しつつあった。
最後にDisaster Management Centre 所長のアラスター氏に、この二日間の成果(?)のブリーフィングをし、12時きっかりに終了した。サンディは自分の車で来ていたので、家まで5時間のドラ イブに出発した。僕はSwindon という駅から電車に乗ってロンドンに向かった。昼ごはんを食べてなかったので、Swindon 駅で、バゲットのサンドウィッチとコーヒーを買った。6ポンドほどした。1000円くらいだ。高いなあ。
ロンドンのパディントン駅には1時間ほどで着いた。ハリーポッターを思い出すような、古めかしく大きな駅だ。少し見覚えがある。15年前に通過したのだろ う。そこから黒いタクシーに乗って、インターネットで予約したThe Westbury Mayfair Hotel に向かった。この黒いタクシーはそのまんまだ。15年前も一台欲しいと思ったが、また今も一台欲しいと思った。
ホテルはとてもイギリス的な石壁に内部は質素でダークな色合い。けばけばしさが微塵もない。部屋はこじんまりとしている。これで一泊128ポンド(2万5千円くらい)は高いような気がするが、ロンドンの相場ではこれくらいなのだろう。
今回の出張は、仕事はどうでもよいわけでもないけど、まあ個人の心情的にはどうでもよくて、それよりも、若くしてケンブリッジに学徒出陣したAさん に会うのを僕は楽しみにしていた。ショーコさんと同じ歳だから、かるく二世代くらい年下なのだが、彼が日々重ねているインプットや、それに対する彼自身の リアクションの話は、僕にとってもおもしろい。僕がするひまがなくなったインプットを彼を通してすることもできるというもんだ。
夕方、ホテルを訪れたAさんととりあえず近くのパブへ二人で行った。Aさんは何を気を使ったのか、カブールを発つ前、何通りかの組み合わせの 同行者について打診してきたのだが、今から思うと、日本人ゲストには若い女の子を連れて行くというような気も一応使わないと、なんだ気のつかない男だ!あ いつは仕事ができない!なんて、日本のまっとうな男社会人世界では思われたりしかねないからだったのかもしれない。商社に勤める友人に聞いた、日本からの お客さんを迎える苦労話を思い出した。
パブではビールを一杯だけ飲んで、次にAさんが予約していた『馳走』というお店に行った。そんなに高くない居酒屋のようなところと聞いていたが、 行ってみると、小さいけど、小ぎれいなインテリアに、小ぎれいな日本人ウェイトレスに、小ぎれいなイギリス人の女二人組みが僕とAさんの席の隣にい た。カブールのごつい世界に目が慣れているせいか、みんなどうしてこんなにちっちゃくなっちゃったんだろうとしばらく考えていた。とても華奢な身体つき に、小さな顔に、小さな服を着た女な子たちを見て、小人の世界に入ってきたような気分だった。
メニューを見ると、かなり好きなソフトシェルクラブがあったので、まっさきにそれを注文した。15年前も僕は中華料理屋でソフトシェルクラブだけを注文し、ワインを一本頼んで、一人で本を読むというのが習慣化していたのだった。
今日のメニューは、
ソフトシェルクラブ唐揚
あんこうの肝
寿司特上盛り合わせ
鮭皮巻き
牛肉のたたき
キムチ奴豆腐
豚ばらキムチ
こんにゃく味噌田楽
五目そば
五目うどん
サッポロビール小瓶1本
ミネラルウォーター小1本
焼酎ロック・ダブル無数
10時頃に店を出たのだが、僕はかなり酔っ払っていた。全部で、163.13ポンド(約3万円)。Aさんはあれっ?という顔をしていた。一人当たり 80ポンドを超えたのは初めてだとつぶやいていた。つまり、思ったより高かったらしい。ロンドンの物価事情が分からない僕としては高いのか安いのか分から ない。後でレシートを見ると、
Food: 85.70
Drink: 59.30
Service: 18.13
Total: 163.13
となっているから、食べ物的にはそんなに高くないんだろう。飲みすぎただけじゃないだろうか。何杯飲んだか覚えてないし。
外に出ると、とても寒い。小雨がパラパラと降って、夜の路面が光っている。とてもロンドンだなあと思った。また、この数日間、頭の中に繰り返し出てきた 「石文化は強い」というフレーズが訳もなく出てくる。ホテルの部屋にたどり着くと、僕はびしゃびしゃになった服を脱ぎ捨てて、すぐにベッドに入った。
日曜日にはカブールに着くので、月曜日にカブールで皆の衆を召集してブリーフィングをし、皆の衆のインプットを募り、月末までに完成するという空想を立て ている。たぶん、無理だろう。結局、最後には一人で暗い屋根裏部屋に閉じこもって、何の勝算もない賭けに全財産をつっこむようなペーパーを形だけでも完成 せざるを得ない苦しみにもだえる図が僕の頭の中では着々と完成しつつあった。
最後にDisaster Management Centre 所長のアラスター氏に、この二日間の成果(?)のブリーフィングをし、12時きっかりに終了した。サンディは自分の車で来ていたので、家まで5時間のドラ イブに出発した。僕はSwindon という駅から電車に乗ってロンドンに向かった。昼ごはんを食べてなかったので、Swindon 駅で、バゲットのサンドウィッチとコーヒーを買った。6ポンドほどした。1000円くらいだ。高いなあ。
ロンドンのパディントン駅には1時間ほどで着いた。ハリーポッターを思い出すような、古めかしく大きな駅だ。少し見覚えがある。15年前に通過したのだろ う。そこから黒いタクシーに乗って、インターネットで予約したThe Westbury Mayfair Hotel に向かった。この黒いタクシーはそのまんまだ。15年前も一台欲しいと思ったが、また今も一台欲しいと思った。
ホテルはとてもイギリス的な石壁に内部は質素でダークな色合い。けばけばしさが微塵もない。部屋はこじんまりとしている。これで一泊128ポンド(2万5千円くらい)は高いような気がするが、ロンドンの相場ではこれくらいなのだろう。
今回の出張は、仕事はどうでもよいわけでもないけど、まあ個人の心情的にはどうでもよくて、それよりも、若くしてケンブリッジに学徒出陣したAさん に会うのを僕は楽しみにしていた。ショーコさんと同じ歳だから、かるく二世代くらい年下なのだが、彼が日々重ねているインプットや、それに対する彼自身の リアクションの話は、僕にとってもおもしろい。僕がするひまがなくなったインプットを彼を通してすることもできるというもんだ。
夕方、ホテルを訪れたAさんととりあえず近くのパブへ二人で行った。Aさんは何を気を使ったのか、カブールを発つ前、何通りかの組み合わせの 同行者について打診してきたのだが、今から思うと、日本人ゲストには若い女の子を連れて行くというような気も一応使わないと、なんだ気のつかない男だ!あ いつは仕事ができない!なんて、日本のまっとうな男社会人世界では思われたりしかねないからだったのかもしれない。商社に勤める友人に聞いた、日本からの お客さんを迎える苦労話を思い出した。
パブではビールを一杯だけ飲んで、次にAさんが予約していた『馳走』というお店に行った。そんなに高くない居酒屋のようなところと聞いていたが、 行ってみると、小さいけど、小ぎれいなインテリアに、小ぎれいな日本人ウェイトレスに、小ぎれいなイギリス人の女二人組みが僕とAさんの席の隣にい た。カブールのごつい世界に目が慣れているせいか、みんなどうしてこんなにちっちゃくなっちゃったんだろうとしばらく考えていた。とても華奢な身体つき に、小さな顔に、小さな服を着た女な子たちを見て、小人の世界に入ってきたような気分だった。
メニューを見ると、かなり好きなソフトシェルクラブがあったので、まっさきにそれを注文した。15年前も僕は中華料理屋でソフトシェルクラブだけを注文し、ワインを一本頼んで、一人で本を読むというのが習慣化していたのだった。
今日のメニューは、
ソフトシェルクラブ唐揚
あんこうの肝
寿司特上盛り合わせ
鮭皮巻き
牛肉のたたき
キムチ奴豆腐
豚ばらキムチ
こんにゃく味噌田楽
五目そば
五目うどん
サッポロビール小瓶1本
ミネラルウォーター小1本
焼酎ロック・ダブル無数
10時頃に店を出たのだが、僕はかなり酔っ払っていた。全部で、163.13ポンド(約3万円)。Aさんはあれっ?という顔をしていた。一人当たり 80ポンドを超えたのは初めてだとつぶやいていた。つまり、思ったより高かったらしい。ロンドンの物価事情が分からない僕としては高いのか安いのか分から ない。後でレシートを見ると、
Food: 85.70
Drink: 59.30
Service: 18.13
Total: 163.13
となっているから、食べ物的にはそんなに高くないんだろう。飲みすぎただけじゃないだろうか。何杯飲んだか覚えてないし。
外に出ると、とても寒い。小雨がパラパラと降って、夜の路面が光っている。とてもロンドンだなあと思った。また、この数日間、頭の中に繰り返し出てきた 「石文化は強い」というフレーズが訳もなく出てくる。ホテルの部屋にたどり着くと、僕はびしゃびしゃになった服を脱ぎ捨てて、すぐにベッドに入った。
Thursday, May 18, 2006
美しき村
目が覚めるとまだ午前4時過ぎだった。
もう一度寝ようと思うが、そう簡単に眠れるものでもない。しばらく暗い部屋の中で何か考えることはないか考えていた。ろくでもないことしか頭に浮かんでこ ない。シャワーを浴びる時も部屋の外に出るわけだから、やはりきっちりした服を着て行かなければならないのか、シャワーを浴びた後またすぐに服を着て戻っ てくるのか、近頃髪の毛が茶色くなってきたのは歳のせいか、カブールのシャワー水のせいか、そんなこと。
今日は陽がさして、緑がとてもきれいだ。午前中に今後三年間のコスト計算を済ませて、ランチタイムにマットの運転でサンディと三人で、Defense Academy の敷地の外にサンドウィッチを買いに行った。サンディは休暇でイギリスに戻っていたのだが、その後に続けて、ここで二泊三日の仕事をするためにやってき た。マットはイギリス防衛庁の訓練プログラムを請負う25年契約を落札したばかりの大学の人。サンディは元々軍隊に30年間もいたので、ここは居心地良さ そうだ。ミリタリー経験のない僕とマットは、どうもしっくりいかない感が抜けない。
近所の村の中を通って、サンドウィッチ屋さんに行ったのだが、実にきれいな村だ。16世紀頃に立てられた家がそのまま残っている。そういう家の価値がもの すごく高いのだそうだ。新しい家でもとんでもなく場違いな建物は一軒もないし、道の両側に果てしなく広がる緑の草原や水平線まで黄色くなっている菜の花畑 のどこにも、風景をだいなしにするようなものがない。日本の美しい風景で悲しいのはどこに行っても、まったく場違いな清涼飲料水や家電の広告看板が立って いることだ。美しい一幅の絵に、噛み倒した後のチューインガムをなすり付けるような、あの感覚は訳が分からない。
時々藁葺き屋根の家があるのに気がついた。この藁、もしくは藁葺き屋根全体をthatch というらしい。Thacher 首相は藁葺き職人が先祖だったんだろうか。マットはこういう美しい村の風景がとても好きらしく、ロンドンに住みたくないと言っていた。マットでなくても、 そういう人がたくさんいるから、村に住んで、通勤時間が1時間とか1時間半でも我慢する人が多いのだそうだ。

(↑)Thatch の家。
こうやって地域全体の風景をぶち壊さないことによって得られるものはとても大きいと思う。個々の家の価格が上がることにマットは悲鳴を上げているが、村全 体の価値の上昇率は計り知れないと思う。どうすれば、こういうことが実現するのか?この資本主義の世界では看板立てるなって言っても、ちょろっと土地を貸 してお金になれば立ててしまうだろう。そういうことを制限する法律でもあるのかと訊いたら、サンディとマットは声をそろえて、「ある!」と断言した。景観 を守ることにイギリス人はとても敏感なのだと説明する。しつこくイギリス中どこでもそうなのかと訊くと、二人ともほとんどそうだと言う。ここがイギリスで 特別きれいなところではないかと、さらにしつこく訊いたら、もっときれいなところはいっぱいあると来たもんだ。
僕はだんだん元気がなくなってきた。近代化はイギリスを破壊しなかったんだな、とつぶやくと、サンディがすかさず「しなかった」と答えた。もっとも最初に 近代化を開始した国だからこその知恵なのか?景観をぶち壊すという痛い失敗をすでに繰り返した後なのか?全然分からないが、近代化と景観の関係の研究が あったら、いつか調べてみたいものだと思う。
19世紀末に日本にやってきた西欧人が残している書き物は必ず日本の美しさを絶賛しまくっているので、近代化の過程とそれに伴う資本主義の猛威が日本の景 色をここまで醜くして、日本人の美的感覚を狂わせてしまったのは、ほぼまちがいないと思うのだけど、それは21世紀の今になっても、なんとか近代化の入り 口に手をかけたような国の場合でも共通している。タイでもパキスタンでもアフガニスタンでも景色の美しさなんて巨大なお金の流れの前では吹き飛んでしまう のだ。パキスタン北部の勇壮で美しい山岳地帯にペプシの看板がポツンと立っているだけで、どれだけペプシの売り上げが上がるか知らないが、景色の破壊の大 きさは絶対的に大きい。
今日の食べ物が手に入るかどうか分からないような境遇で、景観がどうのこうの言ってられるかい、というのはよく分かる。それでも、こうやって遅れてやって きた国は、貧乏くじを引かされてるような気がしてならない。グローバリゼーションなんて音頭に乗って、キャッシュを追いかけた末に、少し長期的にやってく るのは、醜くボロボロになった国家じゃないんだろうか。美しい村の土地の価格は、醜い村の土地の価格よりずっと高くなるだろう。国家全体で景観を破壊した ら、その国家の価値はどんどん下がってしまうんじゃないだろうか。そして、それはさらなる貧困の原因とは考えられないのだろうか。貧乏は貧乏を招くしかな いのだろうか。
また日本に戻るけど、村興しなんて言って、どっちみち元の取れない産業振興策に莫大な税金を突っ込むくらいなら、景観を整える法律を作って、すでに醜く歪 んでしまった景色を少しずつ直すことにお金を使った方が、長期的には経済効果は高いんじゃないだろうか。どこか小さい村の村長になってみたいと、また空想 壁が出てきた。
もう一度寝ようと思うが、そう簡単に眠れるものでもない。しばらく暗い部屋の中で何か考えることはないか考えていた。ろくでもないことしか頭に浮かんでこ ない。シャワーを浴びる時も部屋の外に出るわけだから、やはりきっちりした服を着て行かなければならないのか、シャワーを浴びた後またすぐに服を着て戻っ てくるのか、近頃髪の毛が茶色くなってきたのは歳のせいか、カブールのシャワー水のせいか、そんなこと。
今日は陽がさして、緑がとてもきれいだ。午前中に今後三年間のコスト計算を済ませて、ランチタイムにマットの運転でサンディと三人で、Defense Academy の敷地の外にサンドウィッチを買いに行った。サンディは休暇でイギリスに戻っていたのだが、その後に続けて、ここで二泊三日の仕事をするためにやってき た。マットはイギリス防衛庁の訓練プログラムを請負う25年契約を落札したばかりの大学の人。サンディは元々軍隊に30年間もいたので、ここは居心地良さ そうだ。ミリタリー経験のない僕とマットは、どうもしっくりいかない感が抜けない。
近所の村の中を通って、サンドウィッチ屋さんに行ったのだが、実にきれいな村だ。16世紀頃に立てられた家がそのまま残っている。そういう家の価値がもの すごく高いのだそうだ。新しい家でもとんでもなく場違いな建物は一軒もないし、道の両側に果てしなく広がる緑の草原や水平線まで黄色くなっている菜の花畑 のどこにも、風景をだいなしにするようなものがない。日本の美しい風景で悲しいのはどこに行っても、まったく場違いな清涼飲料水や家電の広告看板が立って いることだ。美しい一幅の絵に、噛み倒した後のチューインガムをなすり付けるような、あの感覚は訳が分からない。
時々藁葺き屋根の家があるのに気がついた。この藁、もしくは藁葺き屋根全体をthatch というらしい。Thacher 首相は藁葺き職人が先祖だったんだろうか。マットはこういう美しい村の風景がとても好きらしく、ロンドンに住みたくないと言っていた。マットでなくても、 そういう人がたくさんいるから、村に住んで、通勤時間が1時間とか1時間半でも我慢する人が多いのだそうだ。

(↑)Thatch の家。
こうやって地域全体の風景をぶち壊さないことによって得られるものはとても大きいと思う。個々の家の価格が上がることにマットは悲鳴を上げているが、村全 体の価値の上昇率は計り知れないと思う。どうすれば、こういうことが実現するのか?この資本主義の世界では看板立てるなって言っても、ちょろっと土地を貸 してお金になれば立ててしまうだろう。そういうことを制限する法律でもあるのかと訊いたら、サンディとマットは声をそろえて、「ある!」と断言した。景観 を守ることにイギリス人はとても敏感なのだと説明する。しつこくイギリス中どこでもそうなのかと訊くと、二人ともほとんどそうだと言う。ここがイギリスで 特別きれいなところではないかと、さらにしつこく訊いたら、もっときれいなところはいっぱいあると来たもんだ。
僕はだんだん元気がなくなってきた。近代化はイギリスを破壊しなかったんだな、とつぶやくと、サンディがすかさず「しなかった」と答えた。もっとも最初に 近代化を開始した国だからこその知恵なのか?景観をぶち壊すという痛い失敗をすでに繰り返した後なのか?全然分からないが、近代化と景観の関係の研究が あったら、いつか調べてみたいものだと思う。
19世紀末に日本にやってきた西欧人が残している書き物は必ず日本の美しさを絶賛しまくっているので、近代化の過程とそれに伴う資本主義の猛威が日本の景 色をここまで醜くして、日本人の美的感覚を狂わせてしまったのは、ほぼまちがいないと思うのだけど、それは21世紀の今になっても、なんとか近代化の入り 口に手をかけたような国の場合でも共通している。タイでもパキスタンでもアフガニスタンでも景色の美しさなんて巨大なお金の流れの前では吹き飛んでしまう のだ。パキスタン北部の勇壮で美しい山岳地帯にペプシの看板がポツンと立っているだけで、どれだけペプシの売り上げが上がるか知らないが、景色の破壊の大 きさは絶対的に大きい。
今日の食べ物が手に入るかどうか分からないような境遇で、景観がどうのこうの言ってられるかい、というのはよく分かる。それでも、こうやって遅れてやって きた国は、貧乏くじを引かされてるような気がしてならない。グローバリゼーションなんて音頭に乗って、キャッシュを追いかけた末に、少し長期的にやってく るのは、醜くボロボロになった国家じゃないんだろうか。美しい村の土地の価格は、醜い村の土地の価格よりずっと高くなるだろう。国家全体で景観を破壊した ら、その国家の価値はどんどん下がってしまうんじゃないだろうか。そして、それはさらなる貧困の原因とは考えられないのだろうか。貧乏は貧乏を招くしかな いのだろうか。
また日本に戻るけど、村興しなんて言って、どっちみち元の取れない産業振興策に莫大な税金を突っ込むくらいなら、景観を整える法律を作って、すでに醜く歪 んでしまった景色を少しずつ直すことにお金を使った方が、長期的には経済効果は高いんじゃないだろうか。どこか小さい村の村長になってみたいと、また空想 壁が出てきた。
Wednesday, May 17, 2006
臭く餓死する、か。
EK011便の機内に入って、自分の席にすわると、いきなり鋭い郷愁に襲われた。シートに使われているピンク・パープル・ブルーが入り混じった生地を見て突如思い出したのだ、2003年イラク攻撃の騒動を。
あの頃、何度も大阪とアンマンの間を往復していたが、北回りの時もあれば(アムステルダムやパリ経由)、南回りの時もあって、南の時は関空・ドバイ・アン マンというルートが多かった。関空・ドバイ直行便のEK機のシートの生地の柄が、ほぼ三年間まったく思い出したこともなかったが、記憶の底にこびりついて いたらしい。
あれから三年間イラクは出口なし。2002年9月、僕はもう仕事を辞めるつもりで特別無給休暇というのをとって日本に帰ったのだが、いつの間にか、妙な形 でイラク戦争に巻き込まれていく一人になっていた。2002年暮れから、NYやジュネーヴやアンマンで、いつ始まるのか、ほんとに始まるのかどうか、未だ に分からなかった戦争の準備のために調査をしていたのだが、行く先々で、この今の状態を予測する人はとても多かった。そして、その通りになったではない か。戦争の準備と書いてから、おかしな言い方かもしれないと思ったが、やっぱりそのままにしとこう。結局、戦争の表の準備と裏の準備のようなものではない か。
とんでもないことがいっぱいあったが、すぐに思い出すのは、砂のことばかりだ。砂嵐の恐ろしさ、砂を吸い込んだ赤い空気の色、砂漠の息ができないような暑 さ、砂で次々に壊れていくPC。砂はすごい、砂はすごい、という思いが、EK機のシートの生地と同じくらい深く記憶にへばりついている。こんなところで戦 争?バカじゃないのと思ったことを、夜になると驚くほど下がる砂漠の気温、圧倒的な暗黒の中で光たおす星くず、テロリストなわけないでしょって顔をした美 形のパレスチナ人の女性たちとともに思い出す。
映画を見る気にも、音楽を聴く気にも、本を読む気にもならない。ロンドンまで7時間35分かかるらしい。寝ることにした。
* * *
イギリスに来るのはとても久しぶりだ。何年ぶりか考えてみると、約15年経っていた。ちょっと前だと思っていたが、15年間何をしていたんだろうと思うと、死の恐怖のようなものを感じる。
ガトウィック空港は何度か通過しているはずだけど、何を見ても何にも思い出さない。建て替えしたんだろうかと思ってみるが、どこも新しく見えないので、そのまんまなのだろう。ただ完璧に忘れただけか。
通関で「どこに行くのか」と訊かれたが、あれっ、どこに行くのだ?よく分からない。誰かが迎えに来てくれるはずでぇ、その人がぁ、どこかにぃ、連れて行っ てくれてぇ、それでぇ、あれっ?・・・と痴呆まるだしで、もごもご言ってると、生ごみでも見るような顔で「何をしに来たのか」ときかれた。え~っと何しに 来たんだったかな。
なんか形勢不利だ、いかん、イギリスはテロを警戒しまくってるはずだから、ちゃんと答えないと入国できずに強制送還されてしまうかもしれない。でも頭がぼけていて、話せば話すほどややこしくなってくる。
ある大学でぇ、な、なんか研究やっててぇ、そのお手伝いに来てぇ、と言ってると、入国審査官のおねえさんは僕の言葉を無残に遮って「なんで手伝うのだ?」だって。
だからあ、その研究はぁ、国連がぁ、元々頼んだんだけどぉ、でもぉ、頼まれた人だけでぇやってもぉ、ほら、わかんないこともあるでしょお、だからぁ、そのぉ、このぉ、でえぇ、えーっと、何話してたんだっけ?
あ~だめだ、おねえさんの顔はますます険しくなってくる、でも、なんでこの人こんなに美人なんだろう?機嫌がよければもっときれいなんだろうな、なんて考 えてる場合かと思うが考えてしまう。彼女の顔に見とれながら、もう一度最初から詳しく話しをして、やっと納得してもらった。アホまるだし。
さて、外に出ると、迎えの人たちが名前を書いたボードなんかをもって並んでいる。おなじみの風景で少し安心する。で、一通り見てみたが、ない。僕の名前は どこにもない。遅刻したのかな、よくあることだ、少し待てばきっとやってくるに違いない、ここは先進国のイギリスなんだ、奴隷にされて売り飛ばされたりす ることはなかろう、安心すればいいんだ、でも、どうして行き先くらい聞いてこなかったんだろう。万が一誰も現れなかったら、自力でどこか分からないがたど り着かなければいけないじゃないか、どこに行くか知らないとどうしようもない・・・しみじみ心の奥底でまったくの不手際を後悔しながら、もう一度迎え人た ちを一人ずつ検証していくことにした。
・・・あった、僕の名前だ、なんとピシッとしたダークスーツにネクタイ、短い髪、高い背、がっしりした体格。ハンサムなおにいさんが僕の名前を書いた紙を もって静かにたたずんでいるではないか。おお、『トランスポーター』だと僕は思った。『トランスポーター』の主人公そっくりではないか。ヨレヨレのジーン ズをはいて、機内ですっかりくしゃくしゃになったコットンのボタンダウンシャツしか着てない自分をふりかえると、急に可哀相な浮浪者の気分になってきた。 いきなり萎縮してしまう自分に情けなくなり、いっそう浮浪者気分が高まってしまう。
やっと空港ビルを出たあたりで、『トランスポーター』に「どこかでタバコ吸えないだろうか」って訊くと、ちゃんとした英語で「車をとってくるから、そこで 待っててくれ、その間にそこで吸えばいい」と言う。おお、どこで習ったんだ、その英語。ちゃんとし過ぎ、そんな英語しゃべる奴、国連には3人くらいしかい ないぞ、と不必要に心の中でうそをついてみたが、この『トランスポーター』の粗探しはどうも実りそうにない。
タバコを吸いながら、しばらく待っていると、キャー、なに、それ?アウディの新型かよ、それでスーツ着て何?『トランスポーター』そのまんま?まいったな あ、もういいよ、あんたはかっこいいって、分かったから、もう少し手加減した方が恨まれなくていいよって思っていると、さっとドアをあけて、「プリー ズ」ってか、おいおい映画じゃないんだからさ、調子に乗るのもいいかげんにした方がいいよ。そのうち鬱屈した日本人に殴られるよ。あっ、でも『トランス ポーター』は喧嘩強いんだな、これが。
ハイウェイの両側はずーっと緑が続く。どこもかしこも圧倒的に土色の国から来ると、緑がとても贅沢に思える。緑は美しい。緑が豊かさの象徴であると思う。 どれくらいかかるの?って『トランスポーター』に訊くと、「それは道路事情しだいだ。1時間30分から1時間45分の間に着くだろう」だって。そんな細か いこと訊いてねえよ。で、それだけ?もうちょっとなんか、こう軽くくだけた世間話とかしないわけ?無口なんだね。仕事だからね。でも、パキスタンとかドバ イのドライバーはうるさいよ。子供は何人いる?とか、月給いくら?とかそんなことまで訊いてくるもんね、それがプロというもんだろ、えっ違うか?って思っ たけど、絶対不利になるので、黙って寝ることにした。
眠りこけていたら、『トランスポーター』に起こされた。ああ、よく寝た。「あそこでパスをもらわないとここから先は入れない、あなたの名前は分かっている はずだ」とかなんとか、『トランスポーター』が言ってる。そういうのって、あんたの仕事じゃないのかなあ、なんかよく分からないけど、僕は車を降りて、 ゲートに併設されてるビルに入っていった。
ここはどこなんだろう?とまだ寝ぼけながら、「パスがいるって運転手が言ってるんだけど」、バカでしょ、あいつ、お客さんにパスとってこいなんて、まった く近頃の若者はダメだね、なんて顔をして、おばさんに声をかけると、「イエッサー」だって。いやはや、それほどでもないんだけど、で、パスってもらえる の?
「あっ、これですね、ミスター・ヤマモト、あなたの名前は連絡を受けております、キッチュナー・ホールまで行って下さい。ここをまっすぐ行って、あっちま がって、こっちまがって、どうのこうのです。ゲートを通過する時は、これを見せてください。敷地から出る時は必ずこのパスを持って出てください。パスを 持ってないと、戻れなくなりますから。最終日にはゲートにまた返してください」。なんだ、なんだ、厳重だなあ。
「おーい、パスもらったよ、キッチュナー・ホールってとこに行くんだって」と『トランスポーター』に声をかけると、オーケー、それならすぐそこだ、とかなり無愛想に『トランスポーター』は答えて、ゲートに向かって発進した。
軍人がゲートを見張ってる。どこもかしこも最近は軍人が大はやりだなあ、でも、ここはイギリスでしょ、アフガニスタンとかイラクとかそんな物騒なとこじゃ ないのに、どうして軍人がゲートで見張ってるんだ?と、ちらっと思ったが、美しく緑で充満した広大な敷地に息をのんだ。緑と緑の間にレンガ作りの古典的な 建物がポツン、ポツンと建っている。
で、ところどころに異様な物体。戦車、ロケット、などなど・・・なんだ、これは?ここはどこ?ひょっとして、軍事基地?突然気分がそわそわしてきた。『ト ランスポーター』は相変わらず無言で運転しているが、キッチュナー・ホールにはすぐに着いた。そこで、僕をおろすと、『トランスポーター』は、ではここ で、とかなんとか言って、さっと消えてしまった。ここでって、ここで何をすればいいんだよ?まったく。
とりあえず、キッチュナー・ホールとやらの中に入って、受付のようなところに行ってみる。「あのぉ、田吾作田舎ノ介ってぇもんですがぁ、ここに来るように 言われたんだけど、ひょっとして、僕のこと連絡されてたりしますうっ?」と訊くと、この受付のおばさんも、また「イエッサー」だって。不気味なんだよ、そ れ。やめてくんない?と思ってる間もなく「あなたはここに二泊して19日に出発です。417号室があなたの部屋です。これが部屋のカギ、これが建物全体の カード・キー、そしてこのカードがダイニング・ホールのパスです。チェックアウトの時にすべて返却してください」。キッチュナー・ホールって旅館だったの か、それならそうと早く言ってくれたらいいのに、まあ、いいか、まだ眠たいし、とりあえず部屋に行ってみよう。

(↑)部屋の窓から外を撮った写真。この敷地には、こんな緑の景色がこの百倍続いている。
質素な部屋。電話もテレビもLANもなんにもない。ひぇーこんな環境久しぶり。「いらっしゃいませキット」一式のようなものが部屋の机の上にあったので、とりあえず手にとってみる。表紙を見て、えっ?えっ?えっ?と?が連発。
Officer's Mess (将校宿舎)だって?Defence Academy(防衛大学)だって?どういうこと?なんで僕はここにいるの?読み始めると、とんでもないことが書いてある。
ドレス・コード:最低限の基準:常にカラーのあるシャツとズボン。スポーツシャツ・ジャージ・フリース・リクラなどの素材を使ったものは不許可。ジーンズ は全敷地内で一切許可されない。ダイニング・ホール、バーでは、ネクタイとジャケット、もしくは制服を着用しなければいけない・・・
延々と細かな規則が書いてある。困った。ここは正真正銘の軍人の館ではないか。そんなことはどうでもいい。僕はすでに規則を破っているではないか。ジーン ズをはいてのこのこ入ってきたのだ。そして、着替えのズボンはない。つまりジーンズ一つだけでやってきたのだ。ネクタイもジャケットももちろんあるわけな い。困った。どうしよう。ここで二泊三日部屋の中に閉じこもって餓死するべきだろうか。
部屋の中を見渡しても備品のようなものは何もない。うわっ、軍人さんはきっと生活に必要なものはなにもかも一式持ってるんだろうな。僕はタオルさえ持ってない。どうしよう、二泊三日シャワーも浴びれない。どうして、こういうことを前もって連絡してくれないんだ?
ここで途方に暮れていてもしょうがない。僕は善後策を立てるために受付に戻った。まず、軽く「タオルを借りることはできるだろうか?」って訊くと、おばさんはあっさり貸してくれた。次にさらに深刻な問題をとりあげた。
「ジーンズは許可されないって書いてあったんだけど、そうなんですか」
「許可されません」
「アハ、ジーンズしか持ってないんだけど、どうしたもんでしょう?オホ」
「誰かにズボンを借りるか、どこかで買うかしないとしょうがないですね。誰か知り合いの人はいませんか?」
「もう一人来ると思うんだけど、彼は僕より小さいし。あっそうだ、マットって人に会うことになってるんだけど、彼に連絡をする方法はないでしょうか?」
憐れみに満ち溢れた微笑を満面にたたえて、おばさんは電話を貸してくれた。
「マット、着いたよ。今、キッチュナーホールにいる。ジーンズ許可されないんだけど、ジーンズしかないんだよ。ネクタイとジャケットがないと食事もできないらしい。」と言うと、とりあえずこっちまで来ると言って、マットは電話を切った。
結局、僕はその日から三日間、マットのズボンをはいて過ごしたのでした。そして食事はすべて外食。昼はサンドウィッチを買って、きれいな緑の芝生の上で食べて、夜は外に出かけて、一日目はインド料理、二日目はイギリス伝統料理。
美しく広大な敷地に村上春樹みたいに過不足なく整理整頓が行く届いた施設。過剰と欠乏が恋しくなった。僕に軍人は向いてない、死ぬまでヘラヘラしていたい、と思った。
あの頃、何度も大阪とアンマンの間を往復していたが、北回りの時もあれば(アムステルダムやパリ経由)、南回りの時もあって、南の時は関空・ドバイ・アン マンというルートが多かった。関空・ドバイ直行便のEK機のシートの生地の柄が、ほぼ三年間まったく思い出したこともなかったが、記憶の底にこびりついて いたらしい。
あれから三年間イラクは出口なし。2002年9月、僕はもう仕事を辞めるつもりで特別無給休暇というのをとって日本に帰ったのだが、いつの間にか、妙な形 でイラク戦争に巻き込まれていく一人になっていた。2002年暮れから、NYやジュネーヴやアンマンで、いつ始まるのか、ほんとに始まるのかどうか、未だ に分からなかった戦争の準備のために調査をしていたのだが、行く先々で、この今の状態を予測する人はとても多かった。そして、その通りになったではない か。戦争の準備と書いてから、おかしな言い方かもしれないと思ったが、やっぱりそのままにしとこう。結局、戦争の表の準備と裏の準備のようなものではない か。
とんでもないことがいっぱいあったが、すぐに思い出すのは、砂のことばかりだ。砂嵐の恐ろしさ、砂を吸い込んだ赤い空気の色、砂漠の息ができないような暑 さ、砂で次々に壊れていくPC。砂はすごい、砂はすごい、という思いが、EK機のシートの生地と同じくらい深く記憶にへばりついている。こんなところで戦 争?バカじゃないのと思ったことを、夜になると驚くほど下がる砂漠の気温、圧倒的な暗黒の中で光たおす星くず、テロリストなわけないでしょって顔をした美 形のパレスチナ人の女性たちとともに思い出す。
映画を見る気にも、音楽を聴く気にも、本を読む気にもならない。ロンドンまで7時間35分かかるらしい。寝ることにした。
* * *
イギリスに来るのはとても久しぶりだ。何年ぶりか考えてみると、約15年経っていた。ちょっと前だと思っていたが、15年間何をしていたんだろうと思うと、死の恐怖のようなものを感じる。
ガトウィック空港は何度か通過しているはずだけど、何を見ても何にも思い出さない。建て替えしたんだろうかと思ってみるが、どこも新しく見えないので、そのまんまなのだろう。ただ完璧に忘れただけか。
通関で「どこに行くのか」と訊かれたが、あれっ、どこに行くのだ?よく分からない。誰かが迎えに来てくれるはずでぇ、その人がぁ、どこかにぃ、連れて行っ てくれてぇ、それでぇ、あれっ?・・・と痴呆まるだしで、もごもご言ってると、生ごみでも見るような顔で「何をしに来たのか」ときかれた。え~っと何しに 来たんだったかな。
なんか形勢不利だ、いかん、イギリスはテロを警戒しまくってるはずだから、ちゃんと答えないと入国できずに強制送還されてしまうかもしれない。でも頭がぼけていて、話せば話すほどややこしくなってくる。
ある大学でぇ、な、なんか研究やっててぇ、そのお手伝いに来てぇ、と言ってると、入国審査官のおねえさんは僕の言葉を無残に遮って「なんで手伝うのだ?」だって。
だからあ、その研究はぁ、国連がぁ、元々頼んだんだけどぉ、でもぉ、頼まれた人だけでぇやってもぉ、ほら、わかんないこともあるでしょお、だからぁ、そのぉ、このぉ、でえぇ、えーっと、何話してたんだっけ?
あ~だめだ、おねえさんの顔はますます険しくなってくる、でも、なんでこの人こんなに美人なんだろう?機嫌がよければもっときれいなんだろうな、なんて考 えてる場合かと思うが考えてしまう。彼女の顔に見とれながら、もう一度最初から詳しく話しをして、やっと納得してもらった。アホまるだし。
さて、外に出ると、迎えの人たちが名前を書いたボードなんかをもって並んでいる。おなじみの風景で少し安心する。で、一通り見てみたが、ない。僕の名前は どこにもない。遅刻したのかな、よくあることだ、少し待てばきっとやってくるに違いない、ここは先進国のイギリスなんだ、奴隷にされて売り飛ばされたりす ることはなかろう、安心すればいいんだ、でも、どうして行き先くらい聞いてこなかったんだろう。万が一誰も現れなかったら、自力でどこか分からないがたど り着かなければいけないじゃないか、どこに行くか知らないとどうしようもない・・・しみじみ心の奥底でまったくの不手際を後悔しながら、もう一度迎え人た ちを一人ずつ検証していくことにした。
・・・あった、僕の名前だ、なんとピシッとしたダークスーツにネクタイ、短い髪、高い背、がっしりした体格。ハンサムなおにいさんが僕の名前を書いた紙を もって静かにたたずんでいるではないか。おお、『トランスポーター』だと僕は思った。『トランスポーター』の主人公そっくりではないか。ヨレヨレのジーン ズをはいて、機内ですっかりくしゃくしゃになったコットンのボタンダウンシャツしか着てない自分をふりかえると、急に可哀相な浮浪者の気分になってきた。 いきなり萎縮してしまう自分に情けなくなり、いっそう浮浪者気分が高まってしまう。
やっと空港ビルを出たあたりで、『トランスポーター』に「どこかでタバコ吸えないだろうか」って訊くと、ちゃんとした英語で「車をとってくるから、そこで 待っててくれ、その間にそこで吸えばいい」と言う。おお、どこで習ったんだ、その英語。ちゃんとし過ぎ、そんな英語しゃべる奴、国連には3人くらいしかい ないぞ、と不必要に心の中でうそをついてみたが、この『トランスポーター』の粗探しはどうも実りそうにない。
タバコを吸いながら、しばらく待っていると、キャー、なに、それ?アウディの新型かよ、それでスーツ着て何?『トランスポーター』そのまんま?まいったな あ、もういいよ、あんたはかっこいいって、分かったから、もう少し手加減した方が恨まれなくていいよって思っていると、さっとドアをあけて、「プリー ズ」ってか、おいおい映画じゃないんだからさ、調子に乗るのもいいかげんにした方がいいよ。そのうち鬱屈した日本人に殴られるよ。あっ、でも『トランス ポーター』は喧嘩強いんだな、これが。
ハイウェイの両側はずーっと緑が続く。どこもかしこも圧倒的に土色の国から来ると、緑がとても贅沢に思える。緑は美しい。緑が豊かさの象徴であると思う。 どれくらいかかるの?って『トランスポーター』に訊くと、「それは道路事情しだいだ。1時間30分から1時間45分の間に着くだろう」だって。そんな細か いこと訊いてねえよ。で、それだけ?もうちょっとなんか、こう軽くくだけた世間話とかしないわけ?無口なんだね。仕事だからね。でも、パキスタンとかドバ イのドライバーはうるさいよ。子供は何人いる?とか、月給いくら?とかそんなことまで訊いてくるもんね、それがプロというもんだろ、えっ違うか?って思っ たけど、絶対不利になるので、黙って寝ることにした。
眠りこけていたら、『トランスポーター』に起こされた。ああ、よく寝た。「あそこでパスをもらわないとここから先は入れない、あなたの名前は分かっている はずだ」とかなんとか、『トランスポーター』が言ってる。そういうのって、あんたの仕事じゃないのかなあ、なんかよく分からないけど、僕は車を降りて、 ゲートに併設されてるビルに入っていった。
ここはどこなんだろう?とまだ寝ぼけながら、「パスがいるって運転手が言ってるんだけど」、バカでしょ、あいつ、お客さんにパスとってこいなんて、まった く近頃の若者はダメだね、なんて顔をして、おばさんに声をかけると、「イエッサー」だって。いやはや、それほどでもないんだけど、で、パスってもらえる の?
「あっ、これですね、ミスター・ヤマモト、あなたの名前は連絡を受けております、キッチュナー・ホールまで行って下さい。ここをまっすぐ行って、あっちま がって、こっちまがって、どうのこうのです。ゲートを通過する時は、これを見せてください。敷地から出る時は必ずこのパスを持って出てください。パスを 持ってないと、戻れなくなりますから。最終日にはゲートにまた返してください」。なんだ、なんだ、厳重だなあ。
「おーい、パスもらったよ、キッチュナー・ホールってとこに行くんだって」と『トランスポーター』に声をかけると、オーケー、それならすぐそこだ、とかなり無愛想に『トランスポーター』は答えて、ゲートに向かって発進した。
軍人がゲートを見張ってる。どこもかしこも最近は軍人が大はやりだなあ、でも、ここはイギリスでしょ、アフガニスタンとかイラクとかそんな物騒なとこじゃ ないのに、どうして軍人がゲートで見張ってるんだ?と、ちらっと思ったが、美しく緑で充満した広大な敷地に息をのんだ。緑と緑の間にレンガ作りの古典的な 建物がポツン、ポツンと建っている。
で、ところどころに異様な物体。戦車、ロケット、などなど・・・なんだ、これは?ここはどこ?ひょっとして、軍事基地?突然気分がそわそわしてきた。『ト ランスポーター』は相変わらず無言で運転しているが、キッチュナー・ホールにはすぐに着いた。そこで、僕をおろすと、『トランスポーター』は、ではここ で、とかなんとか言って、さっと消えてしまった。ここでって、ここで何をすればいいんだよ?まったく。
とりあえず、キッチュナー・ホールとやらの中に入って、受付のようなところに行ってみる。「あのぉ、田吾作田舎ノ介ってぇもんですがぁ、ここに来るように 言われたんだけど、ひょっとして、僕のこと連絡されてたりしますうっ?」と訊くと、この受付のおばさんも、また「イエッサー」だって。不気味なんだよ、そ れ。やめてくんない?と思ってる間もなく「あなたはここに二泊して19日に出発です。417号室があなたの部屋です。これが部屋のカギ、これが建物全体の カード・キー、そしてこのカードがダイニング・ホールのパスです。チェックアウトの時にすべて返却してください」。キッチュナー・ホールって旅館だったの か、それならそうと早く言ってくれたらいいのに、まあ、いいか、まだ眠たいし、とりあえず部屋に行ってみよう。

(↑)部屋の窓から外を撮った写真。この敷地には、こんな緑の景色がこの百倍続いている。
質素な部屋。電話もテレビもLANもなんにもない。ひぇーこんな環境久しぶり。「いらっしゃいませキット」一式のようなものが部屋の机の上にあったので、とりあえず手にとってみる。表紙を見て、えっ?えっ?えっ?と?が連発。
Officer's Mess (将校宿舎)だって?Defence Academy(防衛大学)だって?どういうこと?なんで僕はここにいるの?読み始めると、とんでもないことが書いてある。
ドレス・コード:最低限の基準:常にカラーのあるシャツとズボン。スポーツシャツ・ジャージ・フリース・リクラなどの素材を使ったものは不許可。ジーンズ は全敷地内で一切許可されない。ダイニング・ホール、バーでは、ネクタイとジャケット、もしくは制服を着用しなければいけない・・・
延々と細かな規則が書いてある。困った。ここは正真正銘の軍人の館ではないか。そんなことはどうでもいい。僕はすでに規則を破っているではないか。ジーン ズをはいてのこのこ入ってきたのだ。そして、着替えのズボンはない。つまりジーンズ一つだけでやってきたのだ。ネクタイもジャケットももちろんあるわけな い。困った。どうしよう。ここで二泊三日部屋の中に閉じこもって餓死するべきだろうか。
部屋の中を見渡しても備品のようなものは何もない。うわっ、軍人さんはきっと生活に必要なものはなにもかも一式持ってるんだろうな。僕はタオルさえ持ってない。どうしよう、二泊三日シャワーも浴びれない。どうして、こういうことを前もって連絡してくれないんだ?
ここで途方に暮れていてもしょうがない。僕は善後策を立てるために受付に戻った。まず、軽く「タオルを借りることはできるだろうか?」って訊くと、おばさんはあっさり貸してくれた。次にさらに深刻な問題をとりあげた。
「ジーンズは許可されないって書いてあったんだけど、そうなんですか」
「許可されません」
「アハ、ジーンズしか持ってないんだけど、どうしたもんでしょう?オホ」
「誰かにズボンを借りるか、どこかで買うかしないとしょうがないですね。誰か知り合いの人はいませんか?」
「もう一人来ると思うんだけど、彼は僕より小さいし。あっそうだ、マットって人に会うことになってるんだけど、彼に連絡をする方法はないでしょうか?」
憐れみに満ち溢れた微笑を満面にたたえて、おばさんは電話を貸してくれた。
「マット、着いたよ。今、キッチュナーホールにいる。ジーンズ許可されないんだけど、ジーンズしかないんだよ。ネクタイとジャケットがないと食事もできないらしい。」と言うと、とりあえずこっちまで来ると言って、マットは電話を切った。
結局、僕はその日から三日間、マットのズボンをはいて過ごしたのでした。そして食事はすべて外食。昼はサンドウィッチを買って、きれいな緑の芝生の上で食べて、夜は外に出かけて、一日目はインド料理、二日目はイギリス伝統料理。
美しく広大な敷地に村上春樹みたいに過不足なく整理整頓が行く届いた施設。過剰と欠乏が恋しくなった。僕に軍人は向いてない、死ぬまでヘラヘラしていたい、と思った。
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