Wednesday, July 24, 2002

カブール・ノート II < hard revenge - no. 3 >

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  『 カブール・ノート II』
               < hard revenge - no. 3 >
                                        ●山本芳幸
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■FM 102.4
人が歩く。たくさんの人が歩いている。
僕は車の中からそれを見ている。
みんな不揃いの服装だなと思う。
伝統的なシャルワカミーズと洋服が混在している。
身に付けることができるものをともかく身に付けている。
汚れている。破れている。つぎはぎだらけになっている。
そして、不揃い。
しかし、彼らは歩いている。
通勤途中の車の中から僕はそれを見ている。

* * *

小学生の頃、僕は自分の一枚の写真を見て、乞食みたいだと親に言ったことがある。母はそれがよほどおかしかったのか、何度もいろんな人に僕のその意見(?)を話していたので、自分の言葉としてではなく一つの事件のように僕の記憶に残っている。

それはおそらく自分が幼稚園に入る前くらいの写真だったと思う。
写真の中の自分が着ている服は、高度成長期を突っ走り始めた頃の日本の小学生には信じられないくらい粗末なものだった。あちらこちらにツギがあたっていた。我が家は金持ちでは決してなかったが、飛びぬけて貧乏だったわけでもなかったと思っていたが・・・。

戦争があった、ということに思いがいたるようになったのは、ずっと後のことだ 。
それでも、自分が成長した街にもかつて爆弾が雨のように落ちたのだということを想像することは今でもできない。写真の中の自分は戦後15年ほどの頃の日本の普通の子供だったのだろう。

今、カブールの街をツギハギだらけの服を着て人が歩いている。

* * *

ISAF Radio(国際治安支援部隊)がかけ続けるアメリカン・ポップスが車の中の空気を隙間なく満たす。いつ間にか、そんなラジオがカブールで始まっていた。

ポップミュージックは聞く者を即席のヒーローやヒロインにすることによって成り立っている。我々は一曲3分54秒の間につかの間の物語のヒーローあるいは ヒロインになり、悲劇や喜劇や勝利や敗北を体験してみる。即席の物語を生産し続けるポップ産業が人間の全生活を覆うほど膨張し続ける。それは我々が物語の ない時代を生きていることを象徴しているのかもしれない。
(注:ISAF=International Security Assistance Force。イギリスが中心となり、ドイツ、イタリア、北欧諸国などの兵隊4,500人ほどで編成されている。カブール市内の治安を維持するのが目的。)

物語のない国からやってきた自分を思い出す。
ラジオを聞きながら、3分54秒おきに別の物語の主人公になるすべを知っている自分について考えている。
週一回47分30秒のTVドラマが国民の物語を代弁してしまう国を思ってみる。
分刻みで売られる密室の空間で、歌声もしくは怒声を張り上げ、つかの間のヒーロー/ヒロインになることが国民的娯楽である国を。

すべての人に稗田阿礼のような記憶力があるわけはなく、耳なし法一のようなストーリーテリングの才能があるわけでもない。結局、陳腐で矮小な物語が生ゴミをぶちまけたように日本全国を覆ってしまう。

* * *

埃まみれの子供たちがハロー、ハローと僕の車に向かって声をかける。
僕は人格を剥奪された気分で彼らを振り返る。
この世のものではありえない白い新車のランドクルーザーを、そしてそれに乗っている異邦の人を認識したことが彼らの笑顔として現れている。ハローと声に出 すことによって、子供たちはそれを仲間の間で確認しあっている。そこに僕という人格はあるはずがない。不可視の者として僕はその前を通過しているだけだ。

誰だろう、まあカワイイーと言って彼らに近づいて行くのは。あなたじゃないのだ、彼らが声をかけているのは。

髪の毛から今にも砂がパラパラと落ちそうな子供たちの手には生ゴミがしっかり握られている。ある子はそれを時折口に入れ、またある子をはそれを誇らしげに僕に向かって高くかざしてみせる。

彼らの横には黙々と接客する屋台のキュウリ売りがいる。日本のキュウリの3倍くらいの太さのキュウリの皮を向いて彼は売っている。屋台の上にはキュウリの山があり、その横にキュウリの皮の小山が出来ている。子供達にもちろんキュウリを買う金はない。

キュウリの皮をむいて売る人と、それを買って食べる人。
余ったキュウリの皮をあげる人と、余った皮をもらって食べる子供たち。
誰もが躍起になって把握しようとしている経済行為と、決してどこにも記録されない行為。
それらがほぼ同時にここにはある。

キュウリに塩を少しつけて、それをかじり、また人々は歩いていく。たくさんの歩く人。どこに向かって歩くのか。まちがいなく生存に向かって歩いているのだ、と僕はただ感じている。物言わず歩き続けるこの人たちの姿に僕は見入っている。

2500 万人のアフガン人の誰一人として親や子供や兄弟や姉妹を殺されたり、犯されたり、さらわれたりしたことがない者はいないだろう。そして、それは今も続いて いる。その歩く姿の遠い背後に、哀しみや絶望、裏切られ続けたであろう今度こそはという期待や夢を想像してみようとしては必ず深い憂鬱に陥る。

底なしのシニシズムにとらわれる特権を持つことができるのは、観察者に過ぎない我々部外者だけだ。頭の悪いハツカネズミのように出口の見えなくなった我々部 外者は、それにさえ気づかす、百万回のシニシズムを乗り越えて生きる人々を助けようと、焼け爛れた街にノコノコやってくる。

* * *

ISAF Radioの流しつづけるアメリカン・ポップスが生ゴミのように身体にまとわりつく。
僕はラジオを切った。そして窓を開けた。砂埃と悪臭と乾いた騒音が奔流のように入ってくる。
僕は歩く人々を見る。歩く人々は僕を見ない。

写真の中の自分、日本の子供はこうやって物言わず歩き続ける親を持っていたのだろう。物語を捏造する必要も暇もない人々が日本にもかつていたのだろう。

アフガン人ドライバーは、決してFM 102.4にカーラジオを合わせない。

■Long Distance Affairs
もうアフガニスタンの話、全然出てこなくなったよ。
なんとかってNGOがなんとかって会議に出られなくなって、
それがなんとかって政治家のせいらしくて、
でもそうじゃないってその政治家は言い張って、
でもマキコさんはそうだって言うんだけど、
なぜだかガイムダイジンを辞めなきゃいけなくなって、
ムネオさんもなんかリトーしちゃって、
なんかもう全然訳がわからないんだけど、
とにかくアフガニスタンの話はどっか行っちゃったわけ。
分かる?
で、アフガニスタンどう?
と、彼女は言った。

僕から音沙汰がないと、もう死んだかと思うらしいので、まだ生きてることを彼女には時々連絡する、などと書けば、まるで母国に残した恋人に素直に連絡できな い兵士のようだが、もちろん、そんなカッコイイ話は現実にはなくて、オフィスから新しい携帯衛星電話を支給された今年の2月頃、ためしに東京にいる人間を 探して電話をした時のことだった。

部屋の中から電話したのに、ちゃんと繋がったのでやはりちょっとびっくりした。water-proof, shock-proof, おまけにidiot-proofのこの電話はなかなか凄い。この電話はある携帯電話会社が無料でカブールの暫定行政機構と国連機関に配布し始めたものだ。

最初の三ヶ月間は通話料も無料なので、地球の果てから果てまで電話をかけまくって仕事が手につかなかなくなるバカや、外国との通信手段が不便で苦労してる外国人に有料貸出して稼ぐ不埒者等々が出るかもしれないと懸念されたが、まだそういう事件は表面化していない。

それでも、オフィス内の電話が整備されてないので、ちょっと離れた部屋の同僚なんかによくかける。衛星電話のこれ以上バカらしい使い方はないかもしれないが、電話は遠くに繋がれば役に立つというものでもない。

大英帝国下の植民地の役所にはpeonという職種の人がたくさんいた。メールはもちろん、インターフォンなどなかった時代に、部屋から部屋へとpeonが走 り回って伝言をしたり、文書を運んだりしていたのだ。数は減ってきたかもしれないが、今でもパキスタンの役所ではpeonが健在だ。

peonのいない国連事務所でメールもインターフォンも整備されてないと、どうにもこうにも時間の浪費が多すぎる。そんなカブールで、どこでもかけられる携帯衛星電話は、今、peon的な凄さを発揮しているというわけだ。

というわけで、これはなかなかうまい「援助」だとみんな言っている。広告宣伝費にしては企業がメディアに使う莫大な金額に比べればかなり安上がりだろうし、 実際、援助関係者のコミュニケーションが大幅に向上し、人道援助にも貢献してるし(?)、そして、将来、いろんな援助機関がこの便利さに味をしめて、今後 のオペレーションでこの電話を大量発注して、この電話会社はきっと元を取り返せるだろう、と夢見ることもできる。

部屋の中から電話したのに、と書き出したがこれも説明がいるかもしれない。テレビで衛星放送を見たければ、アンテナを家の外のどこかにつけるように衛星電話もアンテナを衛星に向けて設置するのが普通だった。

去年の11月18日カブールに帰ってきた頃は、まだノートパソコンくらいの大きさの衛星電話をみんなぶら下げてやってきていたものだ。その時は、とりあえず、それで通話もし、メールもつなぐというのが最新式コミュニケーションだった。

12 月になると携帯電話をちょっと大きくしたくらいの衛星電話が出回り始めた。大きなアンテナをセットする必要がない。その携帯電話についているアスパラガス 程度の大きさの棒(アンテナだろうな)を衛星に向ければすぐにかけられる。もちろん、メールにつなぐこともできる。これはかなり大きな衝撃だった。しか し、今から思えばそれも石器時代のようなものだったかもしれない。

それに続 いてすぐにドカーンと一辺1mくらいの立方体のジュラルミンらしき箱が二つ、オフィスに空輸された。それをあけるとディスプレイやらCPUやら、なんか知 らないがこれはまさにIT関係らしいと思われる機械がつまっていて、そのままアンテナを部屋の外にセットするだけで、サーバとして機能し始めた。

その二つの立方体といっしょにワイヤレスランがセットされたノートパソコンも10台ほど着いて、なんといっきょにオフィスは世界とネットワークされたのだっ た。これは文字通り革命的に仕事の効率を高めたと思う。なんせそれまではスタッフ間でコミュニケーションを取ろうと思えば、みんなオフィスの中を走り回る しか手がなかったのだから。しかし、それも今から思えばやっと青銅器時代ってところだったかもしれない。

年が明けると、とうとうあのどこでも普通にかけられる、つまりアンテナなんて気にしなくていい携帯衛星電話の時代となったのだった。テクノロジーはすごい。 というよりお金の落ちるところにはテクノロジーが集まってくるってことなのかもしれない。しかし、これもやはり今から思えば鉄器時代に到達した程度のこと だったのだ。

今やとうとう直径4mくらいのアンテナが事務所に固定され、イ ンターネット24時間つなぎっぱなしの時代になったのだった。あの立方体の箱では不安定だしスピードが遅いしインターネットは無理だった。アフガニスタン 中の電話線は寸断されたままだが、カブールのオフィスのIT環境だけはもう農耕時代の夜明けを迎えたのだ。

とうとうインターネットで日本のメディアをのぞくことも可能になった。どうやら冒頭の彼女の言っていたことはホントらしい。

■ Greed Game
とうとう群集が僕の乗っているランドクルーザーを取り囲み、その屋根を思いっきり怒りを込めて鉄棒で叩きつけ始めた、かと思うような凄まじい音の激波で、 僕は思わず空を見上げた。編隊を組んだ十数機の軍用ヘリコプターが爆音をまき散らして、ゆっくりと低空を移動している。意地悪な顔をした巨大鬼ヤンマのよ うだ。

うるさい。実にうるさい。ただうるさいということに、猛烈な怒りがわいてくる。なんという腹立たしい音だ!映画とは違うぞと思う。戦争映画の中のヘリコプ ターはもっといい音だしてたぞ。ステッペンウルフの「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」なんかがバックにかかると結構合いそうな、そんないい音だったではな いか・・・。こうして目の前にある現実は、ShowBizが補給し続けた物語でろ過しないと消化できない。

もう一度ISAF Radioをかけてみる。ボリュームを上げる。頭上でヘリコプターが爆裂させる騒音と、ラジオががなり立てるポップスの怒鳴りあいになる。凄まじい騒音の 中で、まるで自分が真空の中にいるような気分になる。窓の外の世界が自分の存在する世界とはまったく別の世界になる。人々は今動いているのだろうか、と まっているのだろうか。

* * *

今年になってカブールはどこもかしこも渋滞だらけになってきた。カブールもアジアの都市らしくなってきたということかもしれない。宿舎から事務所まで歩けば20分もかからないのに、車で行くと40分かかることがある。でも歩いちゃいけない。これは全然アジアらしくない。

国連に雇われた安全担当官は、国連の女性職員が外出する時は、必ず同数の男性を同行することという指示を今年になってご丁寧にプリントして配布してしまっ た。もちろん、女性職員の総攻撃に会う。オーストラリアの軍隊からやってきた彼はカブールでの仕事が初めての国連での仕事だ。ジェンダーもへったくれも 知ったこっちゃないだろう。国連職員はそんなヘマは決してしない。責任回避には予め万全の手を打つし、責任逃れには驚異的な能力を発揮する。クロコダイル・ダンディな彼はきっともう国連での仕事が嫌になってるだろう。

国際治安支援部隊の装甲車とジープが渋滞にはまってしまい、身動きが取れなくなっている。僕の乗っているランドクルーザーから兵士達の顔が間近に見える。まるで戦 闘中の最前線にいるかのように、M4コンバットライフルやMP-5サブマシンガンを握り締め、ベレッタを腰に下げ、ALICEパックらしきものを背負い、 張り詰めた顔を隠すかのように皆サングラスをして、全方位に注意を集中し警戒して いる。
(注:ALICE=All purpose Lightweight Individual Carrying Equipment)

それにしても、みんな若い。紅顔の少年のようだ。シルベスタ・スタローンやジャン・クロード・ヴァン・ダムのように日焼けして、いかつい顔をした兵士は一人もいない。みんな白くホッペが赤い。緊張と不安が顔に張り付いている。きっとアフガニスタンのことなんて何も知らないだろう。とにかく職場に運ばれてきたんだろう。タリバンがカブールから去って以来、突然団体旅行ツアーのように 大挙してやってきた援助関係者やジャーナリストだってほとんどなんにも知らない。兵士が何にも知らなくても不思議はない。

緊張で爆発しそうな兵士の顔を見ながら、突然自分の息子を思い出す。15年くらい経てば、彼も彼らと同じくらいの年齢になる。自分は息子をこういう仕事に送り出すだろうか。親が止めようとしても、行きたいなら行ってしまうだろう。

僕は何を言えるだろうか。15年後の万が一の時に間に合うように今から考え始めようと思ってみる。

* * *

国連の定めるカブールの危険度は最高の5から3に下げられた。各国が独自に決める危険度も同様に下げられた。今カブールはアフガニスタンで一番安全なところ ということになっている。しかし、国際治安部隊の兵士たちはよく知っているはずだ。彼らが何者かに常に狙われているということを。いや、彼らだけではな い。外国人みんな狙われている。外人の首には賞金がかかっているらしい。誰でもいいから殺したら、1万5千ドルの賞金が払われるという。最初は4000ド ルだった。それがどんどん上がってきた。最近は5万ドルになったとか、アメリカ人の値段は特別高いとかいう話も聞く。反米勢力が展開する単なる情報戦の一 つに過ぎないのかもしれないが。

アメリカはアフガン兵を月給200ドルで 雇って最前線に投入するというニュースが出ていた。下級公務員の月給が5ドルから10ドルの国で200ドルはものすごい額だ。ジャーナリストがそうやって 雇われているアフガン兵にインタビューする。アメリカは現金を我々に直接渡してくれるのでありがたい、誰もピンはねしないから200ドル全部もらえる、と いう喜びの談話が記事になっていた。

実際はピンはねする必要がなかったのだ。英国紙オブザーバーがその辺の事情をリポートしている("West pays warlords to stain line", Jason Burke and Peter Braumont, The Observer, Sunday July 21, 2002 )。

イギリスとアメリカは密かに莫大なお金をアフガニスタン各地の軍閥の長に配給し続けて、新政権への協力を取り付けようとしている、というのがリポートの骨子 だ。イギリスの新聞だから、もちろんイギリスのお金が本当にそういうことに使われているのかどうかということが焦点になっている。記者は英国外務省を問い 詰め、結局、英国外務省側は、これがこの地域のものごとのやり方なのだと説明をして、お金が軍閥の長たちにばらまかれているのは事実だということを認めた。しかし、イギリスのお金は使われていないと英国外務省は主張する。

オブザーバーの記者は納得しなかったのだろう。パキスタンとアフガニスタンで取材を続け、軍閥にばらまかれているのは、ほとんどはアメリカのお金だがイギリスのお金も使われていると結論する。

* * *

4 月のトラ・ボラでのアル・カイダ掃討作戦では地元の軍閥の長たちが巨額のドルと引き換えに彼らの軍隊を提供した。結果は壮大な失敗に終わった。アル・カイ ダ側からさらに巨額の金を受け取って、アル・カイダ勢の逃げ道を確保した軍閥の長がいるからだと言われている。その後、軍閥の長たちはお互いにお前が裏 切ったと非難しあっているが結論は分からないままだろう。アフガン人のアフガン的健闘が目立つ、とてもアフガン的な事態だ。

パキスタンとの国境に接するパクティア県では去年のまだ11月頃に地元の軍閥の長パチャ・カーン・ザドランがアメリカから5000万円ほど受け取って国境警 備の仕事を請け負ったが、その後暫定行政機構が発足してパクティア県の知事に別の人間が任命され、ザドランは山奥へ追い込まれてしまった。怒り狂った彼は 新政権を不安定化させる決意をしたかのようにパクティア市街地に爆弾の雨を降らせ始めた。この事態の責任を追及するジャーナリストに、アメリカは昨日の友 も今日は敵になるかもしれないみたいなことを言っていた。笑いをとるのも仕事の一つなのだろう。

パクティアに住む普通のアフガン人は、アメリカが軍閥にお金を払ったりするから、そのお金欲しさに軍閥たちがお互いに争い始め、地域の安全が脅かされるはめになってしまったとアメリカを非難する。

東部の有力軍閥の一人ハズラト・アリや、南部のカンダハル県知事におさまっているグル・アガ・シェルザイら各地の強力な軍閥の長たちはアメリカとイギリスに よって数億円のお金で買い取られたとオブザーバーのリポートは書いている。それと共に、金の切れ目が縁の切れ目であるということを大きな犠牲を払ってソ連 は学んだというイギリスっぽい皮肉なコメントもつけている。

お金が降ってくるのは戦闘要員のところだけではない。文字通り、アメリカ軍によって空からお金がばらまかれたという記事も数ヶ月前のニュースに出ていた。
アメリカの戦闘に協力するようにというビラといっしょにアフガン紙幣が飛行機からばら撒かれたらしい。最初はドルだったが、都会から離れた農村地域では両 替ができないことにアメリカは気付き、アフガン通貨の紙幣をばらまくようになったというような細かいことまで記事になっていたので、たぶん本当なのだろう 。

■再び、FM 102.4
乾燥したカブールの街に風が吹くと視界が悪くなるくらい砂埃が舞う。ランドクルーザーの窓を締め切り、エアコンの効いた車内から砂埃でぼやけた風景の先のブルーに僕の視線は留まっている。

ゴミの収集などという公的事業がまだ整備されていないカブールでは、あちらこちらに自然発生的なゴミ捨て場ができている。生ゴミが腐り、ひどい悪臭を放っている。そんなゴミの山のふもとのブルーの固まりを僕はさっきから見ている。

定番になっている鮮やかなブルーのブルカをまとった女性が赤ん坊を抱え、うずくまっているのだ。気分が悪くてうずくまっているわけではない。彼女は食べ物を 求めてゴミをあさっているのだ。ブルーの背中から真剣さが伝わってくる。せわしなく生ゴミの山から何かを手にとり、少し吟味しては捨てるという作業を繰り 返している。五回に一度くらいはその何かをビニール袋に入れている。

彼女は食べ物を発見しなければいけない。彼女は何かを食べて生きていかなければならない。そして乳を出し、赤ん坊に飲ませなければならない。

やがて彼女は立ち上がった。赤ん坊を左手に抱え、右手にビニール袋を持って背筋を伸ばした。迷いや躊躇や不安、そんなj情緒はまったくの贅沢なのだろう。あ らゆる曖昧さからまったく無縁の姿が地面から巻き上がる砂埃の中に立つ。彼女は歩き始めた。やがて通りを歩く多くのアフガン人にまぎれていった。

アフガン人は歩き続けている。有り余る物語と共に。

                    (UNHCR カブールオフィスより 2002.7.24 )

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本文で表明されている見解はすべて筆者個人のものであり、筆者の所属する組織の見解とは一切関係ありません。
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