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Tuesday, September 15, 2009

初めてのスクールバス

  

Hymns About Her (advance) by Steven Dunston
今年の5月に6歳になった次男は9月からニューヨークで小学一年生になった。
日本では小学校入学というと、ちょっとしたイベントだったが、ここでは特に入学式のようなものもなく、何気なく始まった。ランドセルを買ったり、文房具を買いそろえたりという家族内行事もない。

それでも、これまではと少し違うという感覚を次男は持っているようだ。初めての机を買ったのだが、数少ない自分の本をちゃんと机に作り付けの本棚に入れて一人で厳かに体裁を整えている。
初日だけ母親が学校までついていったが、二日目からは黄色いスクールバスに10歳のお兄ちゃんと二人で乗って学校に行き始めた。

「初めてのスクールバス」というのは、職場でも話のネタになっている。それぞれの子供たちの「初めてのスクールバス」体験談を親たちは語って止まない。親にしがみついて離れようとせず、スクールバスに乗れない子、泣き叫ぶ子、滝つぼにとびこむような人相でバスに乗り込む子。よく考えてみれば、ほとんどの子供にとって「初めてのスクールバス」は親からはなれてどこかへ一人で行くという人生最初の体験となるのではないだろうか。

同僚のRは自分の子供が初めてスクールバスに乗って学校に向かう日、自分が泣いてしまったと言っていた。それもよく分かる。

初めてのスクールバスを体験して帰って来た日、次男は母親にスクールバスは嫌いだ、もう乗りたくないと伝えたそうだ。しかし、二回目のスクールバスの後はもう知り合いもでき安心してバスに乗るようになっていた。

しかし、三回目のスクールバスで登校した日、学校に到着してそれほど間もない頃に学校の看護婦さんから僕の携帯に電話がかかってきた。おなかが痛いといって泣いているので迎えにこれないかという。すぐに母親に学校に行ってもらった。

後で事情をきくとおなかは問題なかったようだ。担任の先生によると、教室ですわっている時、突然次男の目から涙が溢れ出て来たらしい。そして、あわてた先生は次男を保健室に連れて行く。そのどこかの時点で次男は長男と遭遇し、長男は次男をなぐさめようとしたらしい。長男によると、次男はその時、I feel lonely.と言っていたそうだ。

初めての国、初めての学校、初めてのスクールバス、そして誰も友達がいない、という状況はかなり重いだろうと思う。三分の二くらいは幼稚園部から進級してきているので、友達のいる子は多い。三分の一くらいが小学校から入って来ているのでうちの次男と同じ状況だが、その半分以上はすでにニューヨークに住んでいた子供たちなので、初めて尽くしというわけでもない。

あとになって知ったのだが、次男はスクールバスで初めて登校した日に、気の合う友達ができてとても喜んでいた。そして三回目のスクールバスにのって学校に行った日、その初めての友達は学校を休んでいた。また、次男は一人ぼっちになったと感じたのだろう。一人で教室にすわり、限界までこらえていたのだろう。そして、とうとう涙があふれてきたというわけだ。

家に戻って来て、思いっきり寝たそうだ。大人でも経験するが、初めてのことというのは何をしてもとても疲れる。忙しくいらいらする親の見えないところで、子供たちも疲れている。子供たちも結局すべてを乗り越えてタフに育っていくしかないのだろう。

四回目のスクールバス、次男はまた機嫌良く出かけて行った。

Tuesday, September 08, 2009

NYに引っ越し

(窓から見える夜景がきれいなのでiPhoneで撮ってみたがやはりいまいち)

引っ越しは実に面倒くさい作業だ。何回やっても面倒くさい。
7月25日に家族そろってコペンハーゲンからアイスランド経由でニューヨークにやってきた。
デンマークのResidence Permitをキャンセルして、アメリカのG4 Visaを取得して、最悪のタイミングで失効したパスポートを延長して、やっとパスポートを取り戻したのは出発前日の午後5時だった。
そして、買ったばかりの新車を売却したのは出発当日の午前9時、と実にジタバタしたもんだ。

出発の前日二日間は運送屋が家にやってきてパッキングをやる中でなんやからかんやらの手続きに走り回ってよれよれになったが、イラク人のモハメッドが実によく働いてくれた。こういう時は想定外の雑用が次から次に発生するものだが、そんな時になんでもやってくれる助っ人がいると実に助かる。モハメッドのいとこもやってきて、車の掃除から、パッキング後の部屋の後片付けやら、冷蔵庫の掃除、銀行へ行ってチェックの換金まで何から何まで実によくやってくれた。アルバイトのつもりで来てもらったのだが、頑なにお金は受け取らなかった。イラク人やアフガン人はそういうものなのだ。こっちがお金を払おうとすることにむしろ彼らは傷つく。しかし、彼らは同時にお金をむしりとる天性の技術も持っている。いつ彼らがその技術を行使し、いつしないかは、たぶん日本人ならつきあっているうちに分かってくる可能性が高いが、分からない人もいるかもしれない。西洋人はどうも日本人よりも、そういうことを理解するのが下手なように見える。

モハメッドと知り合ったのは、2003年の5月バグダッドで仕事をしていた時だ。ドライバーとして雇ったのだが、どういう経緯で雇ったのか全然覚えてない。スタッフの誰かが連れて来たのかもしれない。アンマンから陸路でバグダッドへ向かっていたスタッフの車が魔のスンニー三角地帯でパンクして、パニックコールを送って来た時に立ち上がったのがモハメッドだった。パンクした車に乗っていたスタッフは近辺の米軍に助けを求めたが、相手にしてもらえなかったようだ。軍はお巡りさんじゃないのだから仕方がない。上の上の方からの指令がないかぎり、勝手に動くわけがない。

その頃は戦争終結宣言の直後でまだ国連のほとんど存在しないし、NGOもまだパラパラと入って来ているだけで、活動している外国勢と言えば圧倒的に米軍であった。アンマンの米大使館で人道援助の調整をする部門が置かれていて、イラクに入る時は必ずそこに連絡していって欲しいとアメリカは念を押していたが、そんなことを知らない人もいたし、嫌米が最高に盛り上がっていた当時ではあえてそんなことをしない人たちも多かった。アンマンの米大使館でイラクへ入る人の情報を入手できれば、それをバグダッドの米軍へ送って間違って攻撃してしまう可能性を減らすという、それだけのことだったと思うが、いろいろ勘ぐる人はいるものだ。

バグダッドでは米軍が人道援助機関の合同会議を毎週開いて、いろいろな情報を提供して、なんとか人道援助が始まるようにしようとしていたが、そういう会議もやがて、米軍とは距離を置きたいという組織が離れていき、分裂状態が発生していった。原則の問題だという主張に文句を言ってもしょうがないが、当時情報源は米軍しかないというのが現実だった。その後様々な人道援助機関も自前の情報を蓄積していったと思うが、その圧倒的な差は今も埋まったとは思えない。

話がずれたが、パニックコールがやってきた後、僕はアンマンの米大使館に電話して事情を話して救援に行けないかきいてみた。直ぐにバグダッドの軍に連絡するからGPSで位置を確認して送ってくれということだった。それから、のろのろと徐行しながらバグダッドに向かうスタッフからGPSの位置情報を受け取っては、それを僕がアンマンの米大使館に送るという作業を続けていた。しかし、いったいいつになったら米軍の救援はやってくるのか、だんだんパンクした車に乗っているスタッフのパニック度が高まってくる。その時、その頃まだほとんど英語の話せなかったモハメッドが自分が助けに行くと買って出たのだった。

一人で行かせるわけにも行かないので、助手席に乗って出かけたが、モハメッドは猛烈なスピードで走り始めた。自分はバグダッドの道をすべて知っていると言って、ものすごいカーブの切り方をする。僕はあっという間に吐き気がしてきた。

それがモハメッドだった。その5年後、ひょっこりと僕はモハメッドとコペンハーゲンで出会うことになった。彼は難民認定の申請中であった。バグダッドで人道援助機関で働いていたことを弁護士に説明して欲しいというのでもちろんした。まだ彼の難民認定はまだ審査中だ。

Wednesday, July 01, 2009

MacBook Pro

先週末まで2週間、NYに出張していたのだが、NYに着いた翌日からEeePC S101が起動しなくなってしまった。正確にはそこに入っていたWindows XPが起動しなくなった。仮想メモリが足りないというメッセージがしばらく出ていたのでセーフモードで起動して仮想メモリを増加してみたが、普通に起動しようとするとやはりダメだった。しょうがないので、ITの部署の人に見てもらったが、どうにもこうにもならない。潰れたらしい。いつまでも動かないWindows XPに費やしてる時間はないので、SDカードにインストールしていたUbuntu 9.04 Notebook Remixで起動してみると、あっさりと動いた。素晴らしい!

しかし、本体が屍と化したコンピュータをSDカードに入ったシステムで動かしているというのも妙なもんだ。いずれ時間があったら、本体を徹底的にチェックするか、完全に諦めてEeePCのSSDからWindowsを削除してUbuntuを入れてしまおうとも思ったが、その前にちゃんと動くコンピュータが欲しくてたまらなくなってきた。SDカード脆弱説があるので、いつこれも終わってしまうかわからないではないかという正当化も一応ないことはない。

ちょうど同僚のカレンもコンピュータを買う必要があるというので、週末に五番街のBest Buyにコンピュータを見に行った.....
が、どうもパッとしない。ヨドバシカメラならあれもこれも欲しくなるのだが、ここにはどうも物欲をそそるものが見当たらない。カレンも同じ意見なので、五番街でももっとセントラルパークよりにあるMac Shopに行ってみることにした。

おーっという人だかり。パッとし過ぎなくらいパッとしてる。一気に物欲の権化と化す。もう当然Macを買うしかないという状況になったが、どれを買うべきか、しばし悩む。MacBook Airが軽くて一番かっこいいのだが、どうせ買うなら現時点で最高の力量をもっているのにしたい、と欲望はとどまるところを知らない。カレンも同じ意見で結局、まったく同じコンピュータを買った。

買ったのは、MacBook Pro 13 inch のメモリ4GBヴァージョンで、1499ドルだった。
[仕様]
MAC OS X Version 10.5.7
Processor 2.53 GHz Intel Core 2 Duo
Memory 4GB 1067 MHz DDR
250 GB 5400-rpm hard drive
NVIDIA GeForce 9400M graphic processor
13.3 inch backlit glossy widescreen display
Multi-Touch trackpad

それとあまり乗り気はしないが仕事で使うために、Microsoft Office 2008 for Mac Home and Student Edition を二人とも買った(134.95ドル)。それとFileMaker を僕は買うつもりだったのだが、FileMakerの子供のようなBento 2というソフトをカレンが見つけてきて、内容を見ると単純なデータベースを作るだけならこれでも十分そうだったので、結局これも二人とも買った(49.95ドル)。しめて、1810ドル。

その後カレンは別の買い物に向かっていったが、僕はすぐにホテルに戻って箱を開けて使い始めた。
すごい、素晴らしい、あまりのきびきびした動きにしばし感動する。最後に使っていたMacは、Powerbook 5300というやつだった。


[Powebook 5300の仕様]
Introduced: August 25, 1995
Discontinued: August 3, 1996
Price: 2300 - 6800 USD
CPU: PowerPC 603e, 100 - 117 MHz
RAM: 8 MiB, expandable to 64 MiB, 70 ns unique DRAM card
OS: System 7.5.2


なかなか評判の悪い機種だったが、一番のネックは互換性だった。職場でWindows、家でMacという生活はソフトにほとんど互換性のない状況では悩ましいものだった。それにしても、メモリのサイズが10年ちょっとで500倍になったわけだ。すごい進化だ。



使い始めてまだ2週間も経たないが、今までで間違いなく最高のコンピュータだと思う。ちょっとした動作の仕方にUbuntuというか、Linuxに似ているなあと思うところがあるのがおもしろい。

Friday, October 10, 2008

また慰安旅行かと陰口を叩かれています

今日NYから帰ってきた。昨日の午後3時にLong Island のMontauk というところからバスでQueens まで行き、そこからタクシーでJFK空港に行って、パリ経由でコペンハーゲンに着いたら、ちょうど1日後の午後3時だった。6時間の時差があるので、16時間移動していたことになる。意外と疲れていない。

JFKからの出発便はいつも遅れるが今回も遅れた。離陸してから機内で、パリの乗り継ぎ時間が1時間しかないことを考えると、もうコペンハーゲンまでの乗り継ぎ便は諦めるしかないな、パリで一泊してこの前行って感動した『円』という蕎麦屋に行こうかなどと考え始めていた。

パリからEU圏内に入るので、ジャルル・ドゴール空港で入国(入EU)審査を通過することになる。世界中から観光客を集める国なので、これが結構長い列になる。それからまたEU内便の搭乗のためにセキュリティのチェックの長い列に並ぶ。そんなステップを考えると、パリに到着した時間がコペンハーゲンまでの乗り継ぎ便の出発時刻だったので、もう100%乗り遅れただろうと思いながら、搭乗ゲートまで一応行ってみたら、もう誰も乗客はいなかったが、そこにいる空港職員の人にきいてみると、僕が乗る予定の便はまだ離陸していなかった。これに乗ることを全然想定していなかったので、かえってあわてた。乗り継ぎ客のためにわざと遅らしたのかなと思ったが、真相は闇の中だ。

それにしてもフランス人はずっと英語が下手なままだとつくづく思う。フランス語に誇りを持っているから、英語を熱心に学ばないという説があるが、それが本当なら相当に強情ではないか。インターネットの普及は一気に英語の帝国主義的拡張を加速したと思うのだが、フランス人はそれに抵抗して必死にふんばっているのだろうか。日本は必死に迎合しようとしているにもかかわらず、結果的にはフランスと同じように英語の浸透が永久に不可能な国だと思う。

デンマークのように誰でも流暢に英語を使う国に慣れてしまうと、フランスとか日本はかなり特殊に見える。しかし、デンマークでも街の中の表示などは徹底してデンマーク語でつっぱるし、英語の新聞や雑誌も出版していない。日本でさえ英字新聞が何紙もあるというのに、これまた強情だと思う。英語を喋るだけなら喋ってやるが、書くものまで英語に侵略させてたまるかという意気込みを感じる。これもやはり、フランス人のように、デンマーク人の誇りから来ているのだと思う。

NYに1週間いたので、いろいろと会いたい人もいたのだが、結局半分は計画倒れに終わってしまった。出張に行くと、僕のような通常業務が続く仕事では、それに出張先の仕事を積み上げられるわけだから、当然全体の仕事量は増えてしまう。出張の時は出張の仕事だけという仕事をやれたらいいなといつも思う。それならいくらでも出張するのだが、固定コストのように常に付いて回る業務がある身ではそれははかない夢にしか過ぎない。

しかし、今からでも遅くないかも。どなたがそんな仕事斡旋してもらえませんか?

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3:00 pm Shuttle Bus from Montauk Yacht Harbor to Montauk Busstop
3:45 pm Hampton Jitney from Montauk to Qeens, $30
6:50 pm Taxi $28 to JFK
AF09 2250 1250+1 JFK - CDG
AF2350 1250 1445 CDG - CPH

Sunday, October 05, 2008

NYの日曜

身体の重さで目が覚めた。今日は日曜なので仕事にはいっさいタッチしないぞという概念にすでに興奮している、興奮力を利用してなんとか重いからだを立ち上がらせた。
今日の第一目標をラーメン屋の『一風堂』に絞った。
博多系のラーメンが久しぶりにおいしかった。

NYUの周辺をぶらぶら歩いていると何件かのコスチューム屋があった。当然ハロウィーンが目前に迫り、かき入れ時なのだろう。どの店も込み合ってる。息子二人の忍者コスチュームを買った。きっと大喜びするだろう、と父は思う。自分用には仮面を一つ買った。奥さんには以前怪しい黒いワンピースと黒い大きなつばのついた帽子を買ったのでいらないだろう。

その後、お決まりのBarns & Nobles に子供の本を買いに行った。しょっちゅう本は買っているような気がしたが、もう読む本がないといつもいっている。息子は二人とも本好きになっていくようだ。

息子の本を5、6冊かってから、自分の本もやはりほしくなる。買ったら重いからという抑制はあるのだがどうしても数冊は買ってしまう。


Wounded Warriors - those for whom the war never ends", mike sager, 2008.
強烈でしみじみと来ます。NYとパリの間はほとんどこれを読んでいた。








"THE WORLD WITHOUT US"
, Alan Weisman, 2007.











In the Land of Invisible Women: A Female Doctor's Journey in the Saudi Kingdom, Qnta A. Ahmed, MD, 2008.
奥さんにあげるつもりで買ったが、ちょっと読んでみるとおもしろい。全部読んでみよう。







その後に奥さんに頼まれていたセーターを買いに行くつもりだったが、もう時間がなくなった。一人でイロハ寿司で晩ごはんを食べて、ホテルに帰った。

Sunday, April 27, 2008

本を買う

今日も朝はスターバックス。8時半くらいに行ったのだが、日曜の朝だというのに、15席ほどしかない小さなスタバにラップトップを睨みつけている人が三人いた。

エリス島に行きたいと思っていたが、雨がしとしと降っていたのでやめた。昼が近づくとむしょうに吉野家の牛丼が食べたくなってきた。11時くらいに吉野家を目指してスタバを出た。42nd Street をひたすら西に向って歩く。ブロードウェイを越えるともう一息だ。タイムズ・スクエア周辺は観光客でごった返している。近くの公園でチベットの人たちの集会をやっている。

牛丼大盛りを食べてから、紀伊国屋に行った。外国人が日本関係の英語の本を探すなら、ここが一番早いだろうな。
自分用に、"The Bottom Billion", Paul Collier と"The Politics of Chaos in the Middle East", Olivier Royの二冊を買った。こんな本を買うなら、紀伊国屋である必要は全然なかった。
それから、本来の目的は子どもに日本語の本を見に地下に降りていった。
もうすぐ5歳になる次男に『エルマーのぼうけん』(R.S. ガネット)と『昆虫とあそぼう』(とだこうしろう)を選んだ。日本語は読めないどころか、ほとんど分からないのだが、日本語の本を読んで聞かせるとじっと聴いている。そのうち分かるかもしれないという淡い期待を持って読み続けることにしている。「エルマー」シリーズは自分が小さい時に読んでおもしろいと思った記憶がまだ残っているので、是非読ませたいと思った。

7月に9歳になる長男には『ファーブル昆虫記4:サソリの決闘』(奥本大三郎)を選んだ。今回は昆虫シリーズにすることにしたのだ。兄弟二人とも虫に興味があるのは、自分の子どもの頃のことを思い出すと、よく分かる。男の子はみんな、ある時期虫に熱中するようだ。

辞書が欲しいと言っていたので、何か買おうと思ったが、よく考えるとどういう辞書が必要なのか分からなくなってくる。ふだんは英語で勉強しているのだから、英英辞典が必要ということになるが、それならわざわざ日本製の英英辞典を買うよりも、英米で出している国語辞典みたいなもの(英語辞典)を買えばいいのだということに、いまさら気がつく。土曜日の日本語学校の教科書に出てくる日本語の意味が分からないとよくきくので、和英辞典を一冊買うことにした。ひらがなに慣れるために、Romanise していない和英辞典を選ぶことにした。いろいろあったが、『ライトハウス和英辞典』が一番印象が良かった

もう一冊長男には算数の参考書のようなものを買おうと決めていた。インターナショナル・スクールのカリキュラムで出てくる算数の内容は日本とはかなり違う。いきなり小数と分数がいっしょに出てきたりして、分かっている子には効率が良いが、分かってない子には厳しいというかんじがする。学校の宿題をいっしょにやっても、長男がどこまで分かっているのはなかなか判定するのも難しい。それで、日本ではどうやっていたかを思い出そうとしていたのだが、覚えているわけはないので、日本の参考書を見てみようと思っていたのだ。『小学3・4年算数自由自在』をパラパラとめくってみると、全部インターナショナル・スクールでやった範囲のものだった。自分が小学生の頃『自由自在』が好きだったのは覚えている。長男はどうだろうか。

Saturday, April 26, 2008

Starbucks で仕事

8泊続けて予約できるホテルがなかったので、一泊目がAKA United Nations、二泊目から七泊目がDiplomat Hotel、八泊目がBest Western という実に面倒くさいことになった。AKA United Nations とDiplomat Hotel は長期宿泊者用のアパートで、全部スイートルーム・キッチン完備でかなり期待していたのだが、Diplomat Hotel は150ドルというNYではあり得ない価格なので用心もしていた。NYで普通にきれいなホテルに泊まろうと思えば、サービス料・税金込みで300ドル以下ではほとんどないだろう。
AKA United Nations は清潔で従業員の態度もよく、快適そのものだった。305ドルでは安いくらいだ。
そして、Diplomat Hotel に二日目にチェックイン。やってくれた。広いが内装はいまいち。そんなことは実際はほとんどどうでもよいのだが、なんとインターネットの接続がない!信じられないがない。爆発しそうなストレスを感じる。

長期滞在している住民に会ったのできいてみると、近くのスターバックスで繋いでいるという。
というわけで、今日はオフィスは休みなので朝からスターバックスに行くことにした。
どこに行ってもそういう風景を見かけることはあるけど、自分はしたくないと思っていた。が、とうとうやるはめに。

繋いでみると、ものすごいメールの洪水になっている。となりに座ったアメリカ人のおばさんが、「私はそういうのはやらないね、みんなそういうのにはまって。私はやらないから」と別にききもしないのに、一人で言っている。「もう身体の一部みたいなもんだから、はまるもはまらないもないんすよ」と言うと、「そう、そう、みんなそうなのよ」と哀れまれた。近代を憂うおばさんなのかもしれない。

しばらくして、AとBを呼んだ。昨日、し損ねたミーティングをスターバックスですることにした。契約がどうとか、入札がどうとか、資金のトラッキングがどうとか、スターバックスで男3人がラップトップをにらんで真剣にやっている姿を、自分もその一部なのに、どうしてももう一人の自分が遊離して客観的に見てしまう。実にむさくるしいというか、美しくない。

ランチをいっしょに食べるというオプションもあったはずだが、結局午後に解散して、それぞれ散らばっていくことになった。三人とも、もう十分という気分は共通していたのだと思う。Aはトイザラスにおみやげを買いに、僕はDVDを買いに出た。

"Charlie Wilson's War"が今回はあっさり見つかった。奥さんが見ていないという"007 Casino Royale"、そして次男の好きな"Cars"、それ以外に子ども用に、"The 11th Hour"、"Stardust"、"Peter Pan"も選んだ。Milla Jovovichのシリーズもの"Resident Evil"と"Resident Evil: Apocalypse"の2枚セットを自分用に買った。ストーリーにほとんど意味のない、たわいのない映画なのだけど、頭が破裂しそうに熱くなった時に、呆然とMilla Jovovichの動きを眺めるのは沈静効果があるような気がする。Ultra Violet は僕の中ではほとんどトランキライザーと化していた。

Friday, April 25, 2008

おっさんは不滅です

クライアントとランチを食べているとAに電話がかかってきた。Aはさっと席を立って携帯電話を耳に張り付けたまま店から出て行った。
女だな、と思った。
案の定、Aは帰ってこない。ランチはお開きとなり、店から出ると、Aはしかめっつらをして、携帯電話を耳に張り付け、道路につっ立っている。
オフィスに戻って、BにAは当分帰ってこないと思うよ、と伝えた。AとBと三人で午後全部つかってミーティングする予定だったのだ。
Aに何が起こっているのか僕は何も知らないし、何をきいても解決できるわけでもないのできく気もない。
トラぶってるみたい、とだけ言って、それ以上何も言わなかったが、Bは「そういうことはあるもんだ」と言って、すべてを察したようだった。こういう時、なぜか男どうしは優しくなる。連帯感のようなものだろうか。
じゃあ、Aが戻ってからにしようということになったが、どうにもならないだろうと僕は思っていた。
結局、Aは3時間以上話していたみたいだ。
疲れ果てた様子でオフィスに戻ってきたAに「死にたいって言ってたか」と言うと、Aは何かもごもご言った後、手首を切るって言われたら、太ももの静脈を切った方が速いって言うんだというアドバイスをする友人の話をして、ヒクヒクと引きつった笑いをしていた。アーメン。

--------------

日本人おっさんA
「アフガニスタンって分かる?」
日本人ネーちゃんA「あっ、南米のどこかでしょ?」
日本人おっさんA「無理しなくていいんだって」
日本人ネーちゃんA「えー、ちがうの?どこお?」
日本人おっさんA「インドとか、中央アジアとか、あっちの方の、あっ中央アジア分かる?」
日本人ネーちゃんA「えー、イラクとかあ?」
日本人おっさんB「南米、南米。アフガニスタンは南米」
日本人ネーちゃんA「ほらーっ」

日本人おっさんA「ビン・ラディンさんとかがいてね、あっビン・ラディンさんって知ってる?」
日本人ネーちゃんA「知ってますよ~」
日本人おっさんA「無理しなくっていいから。えらいことやらかした人だよ」
日本人ネーちゃんA「えー、ワールド・トレードセンターの人でしょ」
日本人おっさんA「何した?」
日本人ネーちゃんA「えー、違うの?」
日本人おっさんB「地下鉄で痴漢して捕まった人だよ」
日本人ネーちゃんA「・・・そ、そ、その人でしょ」
日本人おっさんB「うん、ワールド・トレードセンターでも痴漢したらしい」

日本人おっさんA「君はNYで何してるの?」
日本人ネーちゃんB「ダンスの勉強してるんです」
日本人おっさんA「何の?」
日本人ネーちゃんB「ヒップホップ系でえ、かなり黒いっていうかあ・・・」
日本人おっさんA「ラップか?」
日本人ネーちゃんB「???うーん、それもありますけどお」
日本人おっさんA「どこから来たの?」
日本人ネーちゃんB「舞鶴出身です」
日本人おっさんA「岸壁の母だね」
日本人ネーちゃんB「火曜サスペンスですよね」
日本人おっさんA「はあ?君、岸壁の母を知らないのか」
日本人ネーちゃんB「えー、火曜サスペンスじゃないの?」
日本人おっさんA「無理しなくていいんだって。岸壁の母というのはね、(ここから約10分続く)」
日本人おっさんB - 沈黙を貫き通す。

凄まじい。日本のおっさん会話は永遠に不滅だなあと思った。
ちなみにB は僕です。

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懐かしいおっさん文化の復習をして外に出ると、
TokoJawsって?
確かにそう聞こえた?トコジョーズってなんだ?トムジョーンズって言ったのかな。
「TokoJawsな子がいっぱいいますよー」
うん?それは床上手?こんな言葉実際に使ってる人みるの初めてかもしれない。
古代語?Bed Goodder ?そんな英語にしてみたい一言。
ニューヨーク52番街2丁目と3丁目の間を歩いていると、そんな勧誘に次から次にからまれる。でも、大阪の東通り商店街のような強引さもあつかましさも怖さもない。非常に丁寧。
しかし、アメリカ人はきっと知らないんじゃいだろうか、こんなことがここで起こっているなんて。日本人による日本人相手の商売だからねえ。

日本は不滅だな、と思いながら宿まで歩いて帰った。

Thursday, April 24, 2008

予定にない

朝4時くらいに目が覚めた。もう一度寝ようと頑張ったが妙に空腹感に苛まれて寝れない。
8時くらいにOmus b に行って、おむすび二つと味噌汁の朝食セットを食べたが、まだお腹がすいているので、おむすびをもう二つ食べた。朝から食べすぎだ。

オフィスに行って、いろいろと計画してたことを済まそうとするが、何一つうまく行かない。まず、ビルのカードキーとオフィス階のカードキーを手に入れるのに四苦八苦する。にっちもさっちもいかない官僚主義は慣れていても、毎回いらつく。次にオフィス内のワイヤレスのアクセスポイントが機能していないのが発覚。しかたないので、ケーブルを繋いだが、コペンハーゲンのサーバとニューヨークのサーバの間に問題があるらしく、コペンハーゲンのサーバに溜まっているメールがダウンロードできない。イライラすることが続くので、アミールと二人で近くのカフェに行って、そこで実質的なブリーフィングの開始。去年の夏まで自分がいたプログラムなのに、かなりいろんなことが変わっている。こりゃ大変という印象を持った。

午後、オフィスに戻ると大ボスのロズウィータ女史が来ていた。昨日のことを詫びると、着いた日だからしょうがないわよとあっさり流されて、いきなり仕事の話に入った。それから、全然予定にない会議に誘われ、予定にない仕事を頼まれた。予定のない会議が終わって、さあと思ったら、全然会う気もなかった同僚に当然予定のない会議に呼ばれた。計画を立てて、一つずつこなしていくという仕事の仕方が好きなら、もう切腹したくなるだろう。

夜、饗屋にルーとアミールとあと一人、予定になかったアメリカ国連協会の若い女性の四人で食事。美しく、旨いが、高い。四人で560ドルだった。

Wednesday, April 23, 2008

Newark

コペンハーゲンの家を朝7時半に出たのだが、今回は直行便だったので、昼過ぎにNewark空港に着いた。マンハッタンのホテルまでタクシーで71ドルする。JFKから来るより高い。
ホテルにチェックインしてから、直ぐにめんちゃんこ亭に行って、皿うどんとおにぎり2個セットを食った。
夕方、アミールと合流して、クリス、ルー、サイモンが飲んでいるバーに行った。
アウトドアーで、ちょうど良い気温だ。
僕とアミールは時差ぼけで眠くてしょうがない。2軒目にパブに行ったが、もうビールでお腹いっぱい。どうしてアングロ・サクソン人はあんなにビールがたくさん飲めるのだろう?アミールと僕は強いアルコールで激酔するのが好きなので、ビールの生酔いのような状態には弱い。大ボスの家に7時半に行く約束を思い出したが、もう遅い。8時半くらいにヨレヨレになって、とっととホテルに帰って寝た。

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Wed, 23.04.2008 CO 123 CPH - EWR 09:05 - 11:55
COPENHAGEN DK,COPENHAGEN APT

Sunday, February 03, 2008

惜しい。

NYに着いた。予想(予報?)通り、全然寒くない。
Door-to-door の時間を計算すれば、全部で16時間くらいかかっている。疲れるわなあ。

アムステルダムの空港が全面禁煙になっていた。去年の11月に通過した時はまだすえたのに。
乗り継ぎの時間が6時間近くあったので、空港ビルの外に出てすうことにした。しかし、タバコを2本すうためだけに入国と出国の手続きをするはめになった。

『神様のプレゼント 永沢光雄・生きた 書いた 飲んだ』 永沢光雄/永沢昌子 (著)を読んだ。アムステルダムを発つ前に読み終わってしまった。

惜しい。ほんとに惜しい才能がまた一つ地上から消えて行った。

Wednesday, October 31, 2007

慰安旅行

かなり小さい頃、小学校の低学年の頃だったと思うが、父の会社の慰安旅行というものに1回か2回くらいついていったことがある。日本が先進国になる前の時代、会社が村落共同体であった頃の話だ。今はもうそんなものはなくなっただろう。

観光バスに乗って缶ビールを飲む大人の男の人たち、日本海側のどこかの民宿の畳、ほんの少ししか記憶に残っていないが、僕と同じように父親の慰安旅行についてきた、ちょっと年上の数人の少年達がヤドカリをたくさんとってくれたのは非常に鮮明に覚えている。ヤドカリというものを見たのはその時が初めてだった。

国連はよくRetreat というものをやる。文字通り解釈すれば、日々の喧騒からちょっと後ろへ下がってみて、頭を冷やして考え直す会みたいなことだと思うが、同業者が集まってしまえば、そういうのは現実的でないように思う。頭を冷やすどころか、カッカしてしまう論争になるか、もう遊ぶ場だと諦めてしまうかどちらかではないだろうか。

ロングアイランドにあるMontauk Yacht Club というところで、二泊三日のRetreat があった。マンハッタンから同業者みんなで観光バスにのって3時間ほどかけてやってきたのだが、なんでこの場所にしたのか、何をしに来たのか、みんなよく分からない。これはRetreat ということだけはみんな知っている。

Facilitator の人が外部から雇われて、いろんな話をする、というか参加者にさせる。まだ数日しか経っていないが、覚えてるのはemotional space の話だけだ。同業者といえども、ふだんはほとんど話もしない人たちはたくさんいる。そういう人たちと話す機会になったのは、それなりによかったと思う。しかし、みんな仕事のことが気になってしかたない。90分くらいのセッションの合間に15分くらいの休憩があるのだけど、その間にもラップトップにかじりつく人が多い。そういう気持ちはよく分かる。どうしても、追いかけておかないといけないケースがあるのだろう。

意外なことに、あまり知らない人たちの話を聞いているのはそれほど退屈ではなかった。それよりも、退屈を通り越して苦痛だったのは、夜の飲み会だった。夕食からだらだらと飲み続けるのだが、同じ種類のジョーク、同じ世界の話、それだけがぐるぐる回り続けている。何がおもしろいのか全然分からない。その時に、これは慰安旅行なんだなと思った。こういう飲み会も仲間であることを確認し合う儀式なのだろう。村落共同体はこうやって形を変えていろんなところに残っているのだと思う。

* * *

慰安旅行最後の日、夜8時35分発の便でロンドンまで飛んで、そこからコペンハーゲンへ戻る予定だった。JFKに着いたのは7時半くらいだった。やっと間に合ったと思ったら、出発が3時間も遅れた。

ロンドンでの乗り継ぎの時間は2時間しかなかったので、もうJFKを発つ時点でコペンハーゲンへ行く便には乗り遅れることが分かってしまった。中途半端にぎりぎりに着いてヒースロー空港で走り回るはめになるよりも、気が楽になった。

ヒースローに着いて、British Airways のカウンターに行き、乗り遅れた!と宣言すると、カウンターのおばさんが「American Airlines が次の便にあなたの席を予約している」と言って、すぐに新しい搭乗券を用意してくれた。American Airlines のせいで遅れたのだから、そんなことをするのは当たり前かもしれないけど、全然期待しない習慣が深く身についているのでちょっと感心した。

コペンハーゲンに着くと、ほぼ100%あきらめていたバッグまでちゃんと出てきたので、幸運に恵まれている気がした。旅行者や関係者の投票でヒースロー空港は世界最悪の空港として君臨している。チェックインした荷物が行方不明になる確率はチューリッヒと同じくらい高い。ましてや、土壇場で乗り継ぎ便が変わったらほぼ絶望するのが正気というものだろう。

コペンハーゲンの空港ビルの外に出てタバコを吸うとふらっとして倒れそうになった。近くのベンチに腰かけて、ひんやりした空気の中でblue grey の空を見ていると、home という気分がした。

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30 OCT 07 AA 104: 20:35-07:40 JFK LHR+1
31 OCT 07 BA 815: 09:40-12:30 LHR-CPH → BA 816: 12:00-14:50 LHR-CPH

Monday, October 29, 2007

秋刀魚の棒寿司

朝・昼・晩とか週日・週末とか、そんな区切りのない生活を延々と続けていたので、「あー、やっと土曜日っ♪」なんて感慨を持つことはなかったものだけど、昨日はそれを感じた。それを感じたことに少し驚いた。

今週(10月21日-28日)はマンハッタンのホテルがことこどく満室で、到着日の一泊しかホテルが取れなかった。翌日からは僕がNYに来るのと入れ替わりにバンコクに出張に行くカレンの部屋を借りることになった。それが分かったのも、自分が乗る飛行機が分かったのも、コペンハーゲンを出る直前の金曜日(10月19日)だった。こういうことをするために雇われている人がいるのに、相変わらずどうにもこうにもかったるい。

カレンの部屋はルーズベルト島の素敵なコンドミニアムだった。カレンらしく、きれいに整理整頓されている。ルーズベルト島にはマンハッタンからケーブルカー(ここの人はトラムと呼ぶけど)に乗って渡る。最初はいちいち面倒くさいなあと思ったが、乗ってみるとあっという間に着いてしまうし、イーストリバーの上を渡るケーブルカーからの夜景がとてもきれいなことに気づいた。一瞬だけ、観光旅行をしている気分になる。

今日は昼くらいまでだるくてベッドの上でごろごろしていた。立ち上がる力がなかなか出てこない。やっと休みなんだから、このままずっとボーッとしていたいと思うが、夜中にカレンがバンコクから帰ってくるので、部屋を出なければならない。今日だけ8月に2週間止まっていた42丁目のHelmsley Hotel に泊まる。メアリーがマンハッタン中のありとあらゆるホテルに電話してやっと土曜日の一泊分をここに確保してくれた。値段は8月の約2倍だった。出張費より100ドルほど高い。アメリカ人のメアリーはNYのホテル事情をcrazy, madness と何度も口走っていたがどうしようもない。

* * * 

ホテルにチェックインしたら、もう午後3時くらいだった。一日が早く終わってしまう。フロントの女性が8月にチェックインした時と同じ女性だった。この人は日本でも2年ほど仕事をしていたことがあると言っていたのを思い出した。日本語を少し喋るので重宝されてそうだ。日本人のお客さんが次から次にチェックインしにくる。

登録されている住所をデンマークに変えてもらったら、デンマークにも仕事で行ったことがあるらしく、しばらくたわいのない話を続けていた。これはいい部屋よと言ってカードキーを渡してくれた。前回、喫煙の部屋が一階のあまりよくない部屋にしかなくて、どうするか迷っていたことを彼女は覚えていた。今回は 38階の部屋だった。

その日はまだ何も食べていなかったので、チェックインしてすぐに、めんちゃんこ亭に遅い朝兼昼ごはんを食べに行った。ここの皿うどん(硬焼きソバ)がおいしいので、NYにいる間に何度も食べる。それから、Best Buy に行ってMS Office Standard 07 を買った。先月アフリカからの帰りにアムステルダムの空港で家族用にVaio を買ってかえったのだが、それに入っていたお試し版のOffice が変な動きをするので、NYでまともなのを買おうと思っていたのだった。

それだけですぐに帰ろうと思っていたが、DVDが安いのでぶらぶらと見て歩いたら、「ROME」というDVDを見つけた。エミー賞の8部門にノミネートされたとかいてある。テレビのシリーズだったのだろうか。全部で11枚ある。塩野七生の『ローマ人の物語』の映像版みたいなことを想像して、全部買うことにした。それから、永久保存版にしておきたいと思っていた「V For Vendetta」と「crash」も買った。

その後で、Barnes & Noble に子どもの本を買いに行った。二人とも本が好きなので、いつも本をおもちゃと同じように持ち歩いてる。8歳の長男は絶対読めないような難しい本を学校から借りてくる。4歳の次男は僕が長男の宿題を見ている間ずっと自分の本を脇にかかえて自分の番が来るのを待っている。同じ本を何度も何度も読んでいる。なんかかわいそうなので新しい本を買って帰ろうと思っていた。それにしても、長男の勉強を見ていると学校の勉強のシステムにちゃんとのってないのがよく分かる。そんなものどうせすぐにできるようになるから心配しなくていいと思うのだけど、宿題くらいはできないと学校で片身が狭いだろう。やり方くらいは家で見ないといけないのかもしれないと思う。

Barnes & Noble は、本屋さんというコンセプト、そこで一日中を本を見て回る、そんな時代の化石のような本屋さんだ。時間があれば、自分の興味のある本を見て回りたいが、もう疲れていたのでホテルに戻った。またうとうとし始めた。寝れる時に寝ようと思って、まだ夕方だったがそのまま寝た。

* * *

当然、妙な時間に目がさめた。当然、お腹もすいていた。せっかくの休みなので、このままボーとしていたいが、やがて空腹に耐え切れなくなるだろう。ZENGO のタクさんに前の日連れてきてもらった蘭(LAN)というお店がとても気に入っていたので、そこに一人で行くことにした。店員の人たちも板前さんもとても感じいい。肉料理がおいしくて、寿司もおいしいので、便利な店だと思う。

問題は客だけかもしれない。寿司のカウンターに座ったのだけど、すぐに隣の席に日本人女とアメリカン人(らしい)男のカップルが入ってきた。この男は日本語を流暢に話す。しかし、この女の日本語はいったいどこで習ったのだろう?突拍子もない抑揚であまりにまぬけなやりとりを右耳のすぐ横でやられて、頭がガンガンしてきた。こういう会話はメモしておいて、ライバル店でサクラ客にやらせたら営業妨害に使えるだろう。アメリカン人(らしい)男の方は懸命に爆発を抑えようとしているように見える。ちらっと横を見ると、この男と目が合ってしまった。ご愁傷さまですと、目で合図を送ったら、彼も、これが地球の最後ですと目で合図を返してきた。

焼酎を二杯飲んだら、もう酔っ払ってしまった。なんとなく明け方にまた目が覚めてお腹がすくような気がしたので、秋刀魚の棒寿司をお土産に頼んだ。店員の人が感じいいので、棒寿司を待っている間に焼酎をまた一杯頼んでしまった。

店を出ると、マンハッタンはもうハロウィーン騒ぎの真っ最中だった。

Sunday, July 29, 2007

眩暈

もう止めようかな、
と雨に濡れたホテルの部屋の窓から 3rd Avenue と42nd Street の交差点を見おろして考えていた。

雨はそんなにひどくないようだけど、窓から見える街は全体が淡いグレーに霞んでいる。
ほんとにそうなのだろうか、とふと考える。
疲れると視力が下がる。今はよく見えてないのは分かっている。
それ以上に、頭の中そのものが霞んでいる。
寝たのか寝なかったのか分からなかった朝によくある状態だ。

ホントは今快晴で街はキラキラと輝いているのに、
僕の頭のせいでこんなに薄暗く見えるだけなのかもしれない。

今は朝のはずだけど、何時だろう?
ここに何しに来たんだったかな・・・。
とにかく寝ないと・・・。
明日することは?何か急ぎの件は?と、
寝ようと思うと同時にそんなことが頭に出てくる。
そういうのが寝る前の習慣になってしまってる。

そして、「あっ、もういいんだ。少なくともしばらくは」と気がつく。

もう考えなくてもいい、と思うのはとても不思議な気分だ。
2年7ヶ月、休みなんて結局一瞬もなかった。
もう休みなんてものはこの世に存在しなくなったと思う。
これだけ通信手段が発達してしまうと、地球上のどこにいたって常に連絡は入ってくる。
そして、入ってこないと心配になる。何かがおかしいと考え始める。

* * *

カブールを発ってから、何時間経ったのかよく分からない。
もう何日も前のような気がする。
7月28日午前5時半にピックアップというのが、この旅程の開始だった。
そして6時にカブール空港にチェックイン。
7時半に搭乗した。
飛行機は8時ちょっと前に離陸した。

カブールはこれが最後かもしれない。
と思いながら、飛行機の窓から外をちらっと見てみた。
窓側に座っているディッテが、
「これが自分の国以外でもっとも長く住んだ国」と言いながら、窓の外を見ている。
「またカブールに帰ってくることある?」と訊くので、
「当分はないと思う。でも、5年くらいしたら帰ってきてみたい」と答えた。
まったくウソでもない。

* * *

Moevenpick Hotel at Dubai on 28 July 2007
国連機のパイロットはドバイには2時間半で着くと豪語していた。そんなに速いかな。
しかし、カブール時間では10時、ドバイ時間では9時半にちゃんとドバイに着陸した。
夜中までドバイの街でブラブラするなんて気力も体力も精力もないので、ホテルにチェックインした。
それが10時(カブール時間の10時半)だったので、カブールの宿からドバイの宿までちょうど5時間かかったということだ。

シャワーを浴びて、ルームサービスでサラダとハンバーガーを頼んだ。
夜中まで時間はたっぷりあるので、食後に軽い精神安定剤のようなものをのんだ。
この一週間はほとんど寝た気がしない。疲れていた。

目が覚めたら、7時間経っていた。その間一度も目覚めなかった。
こんなことはほんとに珍しい。3年に一回くらいしかない一大事だ。

ルームサービスを運んできたトロリーがなくなっている。どういうこと?
僕が寝ている間に入って来て、下げたということだろうけど、
宿泊客が寝ているのに入ってくるかな、ふつー。
しかし、どうやって入ったんだ?半ドアになっていたのかもしれない。
さすがインド人。やるねぇ、かる~く。
ドバイはインド人、パキスタン人、バングラデシュ人等など、南アジア人の宝庫。

* * *

Emirates 航空には Chauffeur サービスがあるということをセレブ事情に詳しいユカリ嬢が教えてくれたので、
頼んでもらっていたが、念のためホテルにチェックインした時に確認してほしいと言ったら、
フィリピン人らしい、可愛く感じの良いホテルウーマンは大丈夫、と豪語していた。
近頃豪語する人が多いような気がする。
いや、そんなことはないか。
全然、人の言葉をあてにしない習慣が自分の中に深く根付いてしまっているので、
豪語にはことごとく予めカチンと来るだけなのか。
ものごとが想定通り進んでしまうとそわそわしてしまうのだ。
そんなはずはない、何かはめられているに違いない、どこかでどんでん返しが待っているはず・・・。
どうせ来るなら、早く来てくれと焦り始める。
そして、ようやく問題が発生するとホッとする。
さあ、解決しよう・・・
頭がおかしくなってしまったのかもしれない。

午後11時半にChauffeur さんはホテルに来て待っていたらしい。
部屋に荷物を取りに来たベルボーイが車がもう来てるから先に車にのせて置くと言ってあくせくと出て行った。
午前0時ちょうどに車に乗って空港に向ったけど、出発が午前2時なのでちょっと遅かったかもしれない。

空港とホテルの間の送り迎えは、各航空会社間のサービス競争であるだけでなく、
航空会社業界とホテル業界の業界間の競争になっているような気がする。
ホテル・空港間を無料で送迎する航空会社がある一方で、
送迎に課金するホテルもあるのはおかしな話だ。
そういうホテルはやがて絶滅の危機に瀕するのではないだろうか。

ドバイ空港はDeparture のビルがクラス別に完全に分離されているけど、
さらにNew York へ向う便だけ恒久的に分離されている。
なぜだろう?
アラブからNew York へ一直線ということを考えると、テロ対策と関係あるのだろうかと思ってしまうが、そうでもないかもしれない。
New York へ行く便はOnline Check-in ができないというのもむずむずさせる。
考えてもしょうがない、世界はもうこうなってしまったのだと思う。

イラク戦争のあった年、つまり2003年はEmirates の飛行機によく乗ったが、今回は久しぶりだ。
Emirates のマイレージカード(Skyward)の個人情報が古くなっているのでアップデートしようと思ってウェブサイトに行ったが、パスワードを忘れてしまって入れない。
なんどかごちゃごちゃ触っているうちにめちゃくちゃにしてしまった。

ドバイ空港のSkyward Office に行って調べてもらったら、案の定収拾がつかない状態になっていた。
しかたないので新しい番号をもらって一からSkayward の人生をやり直すことにした。
意気消沈した僕に同情したSkyward Office のインド人は、
普通は6週間から8週間かかるが、24時間ですべてやってあげると豪語した。
また豪語しやがったと思ったが、素直に、ありがとう、期待している、と言って撤退した。

搭乗時刻が1時15分なのに空港に着いたのは12時半で、こんなことしてると、空港ではほとんど時間がなかった。
Duty Free Shop でMarlboro Light Menthol を2カートン買って搭乗ゲートに向った。

* * *

EK 203 DXB JFK 02:00-07:50 29JUL07
「日本人の方珍しいですねえぇ~」、と一人だけいた日本人のスチュワーデスさんが言う。
外国の航空会社のスチュワーデスはJALやANAに比べると異様に気さくに見える。
ドバイ・ニューヨーク便にはほとんど日本人が乗ることはないと彼女は言っていた。
日本からいらしたんですか、って訊くから、「いえ、カブールからです」と言うと話はそこで終わった。

14時間は長い。実に長い。睡眠薬をのんで一度熟睡しても良かったかもしれない。
でも、なぜか飛行機ではのむ気になれない。
統計的には飛行機の非常事態が起きる確率はどんな移動手段よりも小さいと思っていても、
かついったん何かが起こったらほぼ生存の望みはないのだから同じことだと思っていても、
それでも万が一何かが起こった時に睡眠薬が効いていた状態ではまずいと思ってしまうからだ。

On-demand のビデオやマッサージ機で遊ぶのも限界がある。
ラップトップでインターネットに繋ぐことも可能になっていたけど、
使えるのはメールだけらしいので、いまさら仕事のメールを読む気にもならない。
読みかけの"Twice As Good" を開いたが、頭に入らない。
結局、いろんなことを考えることに14時間のほぼすべてを費やしていた。

カブールで起こったこと、話したこと、いろんな場面を頭の中で再現していた。
自分のセクションのことがやはりどうしても一番気にかかってくる。
サジアが泣いていた情景が何度も頭に出てくる。
彼女はブルーのシャツとそれに合うネクタイのセットをくれた。
聡明で美人で性格が良い女の子だった。
こういうアフガン人女性が幸せになれる場所にはアフガニスタンはまだなってない。
あと、数百年のスパンで考えるべきだろう。
サジアの時代には何も変わらない。とすれば、彼女は外に出るのが最善策なのだけど、
まっとうな家庭の独身女性が外国に一人で出るというのはアフガン的にはあり得ない話だ。
もったいない。もったいなさ過ぎる。

JFKに着く直前に、あの日本人のスチュワーデスがまたやってきた。
「日本人のお客さん、珍しいのでこれをあげます」と言って、
Godiva のチョコレートを一箱くれた。なんのこっちゃ?と思ったが、
ものすごく人恋しかったのかもしれない。
もっとちゃんと話すべきだったと思った。
降りる時に名刺をあげようかとも思ったが、よく考えると、
もう使わない電話番号とEmail アドレスしか載っていない名刺をあげても意味がないのでやめた。

* * *

The New York Helmsley Hotel on 29 July 07
空港ビルの外へ出ると、ここでもEmirates 航空のChauffeur が待っていた。
黒いスーツを着たちょっと長い目の金髪の男だった。
黒塗りの、いかにも"アメ車"っぽい車なので、マフィアの出迎えの一場面のような気もする。
タバコをすいたいのでちょっと待ってもらえるかと訊いたら、
もちろんどうぞと答える。New York なのに英語が分かるらしい。

一服すると、くらっとした。こんなところで倒れると恥ずかしいので、
今でてきたばかりの空港ビルの壁にもたれて、めまいが去るのを待った。
14時間経ってすうとこんな効き目があるのか。
こんなものを立て続けに何本もすっていたとは恐ろしい。

黒いスーツの男は実はmusician だと言っていた。
ふだんはドライバーをやって働き、週末はどこかでライブをやってるのだそうだ。
いかにもNY っぽい話だ。
高校生の頃は僕もそんなことしてたよと言うと、
Steve Vai はどうだ?Stevie Ray Vaughan はどうだ?Jimi Hendrix はどうだ?
と延々とギタリストの名前を列挙し始めた。
全部好きだと言った。

* * *

そんな話をしていると、マンハッタンまではすぐに着いた。
Smoking room は空いてないというので、しかたなく入った部屋だったけど、
14時間に一回だけすって、毎回あのめまいを感じるというのもいいかもしれない。
毎日14時間の禁煙をして快楽は大幅増。
一挙両得ではないか。
窓から 雨のNew York を見ながら、そんなことを考えていた。
もう止めようかな、タバコ。

Tuesday, December 14, 2004

着いた

一昨日(12日)カブールに着いた。ゲストハウスになんとワイヤレスLANがあった。変わったもんだ。でも、curfew は夜10時から朝6時まで。レストランでの食事は禁止。買い物も禁止。歩行も禁止。security は悪化している。

カブールへ行く前の日にドバイで書いたのだがPCに残っていたので追加。
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041210
Emirates Airlines 202 New York JFK Dubay 2330 2105 (+1)

今日は朝からずっと霧雨だった。傘を持っていないので、あちこちうろうろするたびに濡れるがすぐに乾く。DPKOのオフィスで朝からミーティング。カブールとNYをつないでTele-conference をするのだが、なかなか繋がらず、繋がってもすぐ切れて、frustrating なミーティング。その後、NYのスタッフだけでミーティングをやって午前中にすべて終わる予定だったが、結局全部終わったら午後3時半になっていた。それから、UNFCUという国連の人だけを顧客にしている銀行に行って口座を開いた。ジュネーヴが本部の時はスイス銀行の口座に給料などは振り込まれていたが、今回はNYが本部になるのでそれでは不便ということで新しく口座を開いた。

早い目の夕食をとってJFKに向かった。ラウンジにはなぜかビーチにあるようなパラソルとリクライニングチェアのセットが並んでいる一角があり、そこで横になることにした。一応PCを開いてみると、やはりWireless LANが繋がったけど、場所が悪いのか、電波が弱くてどもならん。すぐ諦めて、コートを頭からかぶって寝た。ドバイ行きのアナウンスが耳に入ってふと目覚めると、なんと2時間もそこで寝ていた。不思議だ。半分寝て、半分覚醒していたのだろうか。ちょうどゲートに行く時間だ。

また12時間半のフライトはつらい。隣はタンザニアの女の人。気さくな人だけど、うるさくなくて助かった。それでも、これだけ長いと、いろいろ話すこともある。フライトも半分も過ぎると、もう同じ苦難(フライト)を乗り越える同志という感じだった。

ドバイに着くと、30軒くらいのホテルの迎えが来ているが、僕のホテルの向かえは案の定来ていない。30分ほど待ったが、もう諦めて勝手に違うホテルに行く決心をして最後の一回りをしていたら、全然違うホテルの人がどこのホテルを探しているんだと訊くので、もらったメールのプリントをそのまま見せたら、その人が自分の携帯でそのホテルに電話してやるという。彼はまるで僕の代理人のように、そのホテルに電話して、もう1時間も待っているのに(誇張している)何してるんだ!と抗議している。ホテルの人に向かえに来ているはずのドライバーの携帯の番号を訊いて、今度はそのドライバーに電話して、いったいどこにいるんだと怒っている。どうやら、ドライバーは空港に着いたとこらしい。僕のいる場所と服装を説明して、すぐに来いといっている。電話を切った後10秒くらいでドライバーはあたふたとやってきた。そのドライバーと歩き始めると、また別のホテルの人たちが口々にあっちにもいるぞ、こっちにもいるぞと、そのドライバーに告げている。このホテルを待っていた人たちが他にも何人かいて、だれかれに訊いていたのだろう。そのドライバーはひどく恐縮した顔で自分の顧客を拾い集めていた。

ホテルに着くと、もう午後11時だった。飛行機に乗ったのが10日の夜だったが、11日はこうして実感することなく終わった。

Thursday, December 09, 2004

ヨシログ開始!

ヨシログをよろしぐ、なんて絶対書いてたまるかなんて思いつめていると、いつまで経ってもこのフレーズが頭から離れないので、やっぱり一度書いておくことにした。

12時間半のフライトは長過ぎ。背骨折れるかと思た。JFKに着いて、入国審査の列にぼーっとした頭で並んでいると、どっかで見たことある顔がある。じろじろ見ていると、それを感じているらしいが決してこっちを見ようとしない。いろんな人にじろじろ見られることに慣れているようだ。でも、不機嫌な顔をせず、微笑が顔に浮かんでいる。性格良さそう。アディダスのバッグを背中に背負って、黒いセーターに黒いパンツに黒い運動靴(っていうかなんというかしらんが上等そうなスポーツもんの靴)。足はスラッと長く、どこにも贅肉がついていない。ショートカットが似合う。う~む、これはやはりあの人だ、と思うが、それがどうした?うん?

やがてBaggage Claim のところに行くと、カートに今から引越しでっか?と訊きたくなるような荷物。それでもまだ待っている。すべての荷物からスポーツもんの臭いがぷんぷんする。やはり、これはあの人にちがいない。でも、あまりジロジロ見て嫌われたくないので(嫌いもへったくれもないとは思うけど)、あえて目をそらして横を通り過ぎて出て行くことにした。伊達公子は可愛い。

やっと外へ出て、即タバコに火をつけた。と思ったら、タクシーの客引きがうるさく寄ってくる。二年前のちょうど今頃、JFKに来た時と同じや。もううるさいなあ、と思いつつも、さっきの伊達公子を思い出し、笑顔で「ちょっと待って。タバコくらい吸わせてくれ」と言うと、タクシーの中で吸ってもいいという返事。しかも、僕のバッグを持ってスタコラサッサとタクシーの方へ持っていく。まるでパキスタンやがな。

最近白タク被害が多いので気をつけてくださいというアナウンスが入国審査の時にやってたのを思い出した。もううっとうしいなぁ、白タクぅ?ウソやろぉ?こんな朝っぱらからぁ、的不愉快な気分で客引きの方を見ると、やはりタクシーが並んでいるところとは違うところへ向かっている。「タクシー乗り場あっちやで」と忠告してあげると、「ああ、あれはブルックリンに行くタクシー」というウソまるだしのウソ。一瞬伊達公子を捨てるかどうか迷ったが、「どれに乗るねん?」と訊くと、パーキングビルの中でひっそり一台だけ停まってるタクシーを指差す。なんやイエローキャブやないかえ。抜け駆けして客を取るタクシーやったわけや。

「ほんまにタクシーの中でタバコ吸うてもええんか?」と念を押すと、ええという返事。もうええか、どうせ、マンハッタンまではflat rate や、抜け駆けタクシーに乗ったからって乗客の犯罪でもあるまいし、ということで乗ることにした。

NYのイエローキャブは公共政策の教科書によく出てくるので、アメリカの大学院におる時にちょっと読んだことを思い出した。イエローキャブは許可制になっている。誰でも勝手に黄色い車にメーターをつけてタクシー業に参入できるわけではない。その許可の数というのが制限されていて、例えば許可数が100なら、タクシードライバーが1000人いても、そのほとんどはタクシー業にはつけない。たいてい1台を二人くらいで交代で使ってるから、タクシードライバーになれるのは200人だけということになる。タクシードライバーになれたら、人によって差はあっても、ある一定の収入は確保できるということでもある。それが例えば、年収5万ドルなら、タクシーの許可というのは年に5万ドルを生み出す価値があるということになる。そこで、この許可が売買されるということになる。あるいは許可が通貨のように流通すると見ることもできる。

だから、イエローキャブが悪いことをするなんてことはめったにない。許可を失う損失よりも大きな利益が得られると思えばなんかしでかすこともあるかもしれないが、そんな大きな(やばい)仕事をするなら、もっと他の手段でとっくの昔にやらかしてるやろう。イエローキャブなら一応安心するというのはそういうことなんだけど、常に例外はあるから、抜け駆けするようなタクシーには乗ることを勧めようとは思わない。(ちなみに、公共政策でイエローキャブを取り上げるのは、許可数を制限することは社会全体にとってどのような(良い・悪い)効果があるのかということで、抜け駆けタクシーに乗るべきかどうかということは何の関係もない話。)

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ホテルに着いたら、早すぎてチェックインまで二時間ほど待ってくれと言われた。眠くて死にそうだったが、お腹もすいていたので、荷物だけ預けて近所をブラブラすることにした。ホテルはブロードウェイと47th St.の交差するあたりにあるので、マンハッタンのど真ん中。アメリカ中の田舎もんが集まってきているような場所だ。どこもかしこも観光客でごった返して歩きづらい。まだ11時前なので、ピザとかハンバーガーの店以外は、まだランチが始まってない。ファーストフードは食う気せんなあと思いながらぶらついていると、今まさに暖簾を出そうとしているラーメン屋があった。のぞいて見ると、ごはんもありそうだった。NYに来ていきなりラーメン屋も風情がないが、そんなことにはあんまり拘らないので、そこに入って親子丼を食べた。感動のない味だったけど、まあどうでもええかという気分で店を出て、ロックフェラーセンターのアイススケートを見たり、おもちゃ屋をのぞいたりして、なんとか時間をつぶしてホテルにもどった。ああ、これからミーティングなんて行っても、また生ゴミ状態やなあと思いつつ、オフィスに電話してみると、今日はゆっくり休んでくれという美しくも人間愛に満ちたお言葉。即、ベッドに入って爆睡。

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6時半頃、ブルックリンに住む友人から電話があり、いっしょに韓国焼肉を食べに行くことになった。いっしょにバグダッドへ行った友人なので、その頃の話に花が咲く。ちょっと食い過ぎた。32丁目はどこもかしこも韓国語が氾濫していた。アカスリという看板がいくつかあったので、焼肉を食べた後、少し散歩をして、一人で行ってみた。思いっきり本格的。アンマンのトルコ風呂に出てきた筋骨隆々のにいちゃん達に負けないくらいすごい筋肉質の韓国人のにいちゃんにしごきまくられた。これで、12時間半のフライトで腐った身体が少し楽になったような気がする。