Monday, September 24, 2001

イスラム・コラム No.10 「息子の世界」

JapanMailMedia 133号から転載。

2001年9月25日配信

■ イスラム・コラム No.10 山本 芳幸

「息子の世界」


龍さんへ

お元気ですか。大変ご無沙汰してます。去年の2月からカブールに駐在しており、ほ とんどネットとは縁のない生活を送っていたのですが、たまにはイスラマバードに戻 ります。その時はネットに繋いで日本を探したりするのですが、ウェブだけではなか なか掴めません。逆に言うと、ウェブを通して世界が見えるなんて信仰があるとする と、とんでもない勘違いなんでしょうね。

今年の夏、2歳になった息子は今あらゆるものの名前を知りたがります。英語、現地 語、日本語が混ざると混乱するのではないかと思い、息子に話し掛ける時は今のとこ ろほぼ英語で統一するようにしているのですが(そもそも唯一日本語を話す私がほと んど家にいないせいもあるのですが)、親のそんな小賢しさをあざ笑うように、息子 は言語に関係なくあらゆる音と事物を結び付けていきます。

風船を見たらバルーン(英語)、肉が食べたければゴーシュ(ウルドゥー語)、花は フラワー(英語)で葉はハッパ (日本語)、 頭上に飛行機が飛んでくればヒコーキ (日本語)です。また、わずかな動詞を駆使してなんとか意志を伝えようとします。 アリが死ねばGone、 誰かが出かけてしまうとGone、モノがなくなれば Gone、そして 私が外出しようとするとGoing ? と尋ねる。彼の動詞の使い分けの的確さにはほと んど驚愕しています。人間が先天的にもっている能力というのはおそろしく素晴らし いものなんでしょう。それを我々はなんと無駄にしていることか。

息子のお気に入りはヒコーキです。雑誌が目に入ると片っ端からページをめくりはじ め必ず飛行機の写真を見つけては、ヒコーキ、ヒコーキと連呼しながら歓喜にふるえ て報告しにきます。それを黙ってニコニコ見ていては、いつまで経っても息子の ヒコーキ、ヒコーキ、ヒコーキは終りません。私のそんな反応に納得しないのです。 そう、それはヒコーキだと言ってもまだ不十分です。彼はやがて私の指をつかみ、そ れを写真の上に持っていきます。そして、私がその指をしっかりと飛行機の写真の上 に押し付け、そう、これはヒコーキだと言った瞬間に、彼は納得するのです。ウムと 息子は満足気にうなずき、ヒコーキの連発を終えます。確実に一つのことを伝達し得 たという確認が、彼には必要だったのでしょう。

今回アメリカでテロがあった9月11日の翌日に、私はカブールからイスラマバード に戻ってきたのですが、今日事務所から戻るとその週に出た雑誌を息子は検討してい ました。私を見つけると、やはりヒコーキを連呼しながら雑誌を持ってきます。その ヒコーキはいつものように航空会社の鮮やかな広告ページのものではなく、今まさに 世界貿易センタービルに突入しようとする飛行機でした。

私は確認しました。そう、それはヒコーキだ、と。息子はページをくります。ビルか ら吹き出る炎を指して、This? This? This? とききます。それは、fire だと私は 応える。すると、息子はハッと自分の知識に気が付き、Hot! Hot! Hot! と連呼し ます。そしてまた次のページ。息子は新しい発見を私に報告します。A man! A man! A man!と言いながら、ビルから落下する人を指差しています。そう、それはa man だ と私は確認してやります。すると、息子はその落下する人を指差しながら、 Going, Going, Going! と連呼します。一瞬、falling だと訂正しようかと思いまし たが、やめました。そう、He is going と私は息子に確認してやることにしました。

イスラマバードにいるかぎり、このようにして一日一時間くらいは雑誌や本を前にして私と息子は会話(?)します。コミュニケートするということが大変な喜びを息子 にもたらしているのだろうということは息子の顔の輝きからはっきりと信じられます。 この時間は私にとっても、今もっとも幸福な一瞬です。

しかし、世界貿易センタービルに突入するヒコーキをめぐる会話を継続させるにはか なりのエネルギーを必要としました。息子を失望させたくないので、できるかぎり私 も快活に受け答えをしようとしていたのですが、私があまりのっていないのをおそら く息子は感じ取っていたでしょう。

このテロがあまりに大規模な惨事であったこと、しかも私の仕事にダイレクトに関わ ること、それだけで重い気分を作るには十分でしょうが、このテロへの対応しだいで は、この世界はもう二度と取り返しのつかない地点に踏み込んでしまうかもしれない という思いが、もっとも幸せなはずの瞬間でさえだいなしにしてしまうのです。

私が自由に動き回り、失望と希望の間を行き来した空間は永久に失われるかもしれな い。この世はかつてそんなことが可能であったのだ、という年寄りの思い出話を聞い て悔しい思いをすることだけが息子を待っているとしたら、なんて悲惨なことだろう。


今、私たち、国連機関は今後起こり得るあらゆるシナリオを想定し、それぞれに対応 したコンティンジェンシー・プランを立てるという、重い気分にふさわしくない、極 めてテクニカルな作業に追われている。

いかなるシナリオを想定しても数百万という単位の人々の生命が危機にさらされる。 そんな大袈裟な、と思う人もいるかもしれない。私たちは何度も何度も世界に訴えてきた。数百万単位のアフガン人が餓死の危機に瀕していると。しかし、もちろん、それが日本語のメディアを通して日本に到達したかどうか、日本に住んでいない以上、 私には心細い想像しかできない。

今、アフガニスタンでは、20年に及ぶ戦闘で自分の家を失い、田畑を失い、まったく生活の糧もなく、彷徨い歩き、あるいは土漠に穴を掘り、その上にありったけの布をかぶせ、なんとか生き長らえている人々の数が約100万人になろうとしている。 記録に残るかぎり最悪と言われる旱魃に三年連続して見舞われ、田畑が全滅し、家畜が全滅し、それでもなんとか自分の村に踏みとどまっている人たちが約450万人。 彼らにしても農地からは何も収穫はない。

そのような人々、550万人が援助機関の配給する小麦でなんとか生き延びている。 そして、近づきつつある厳しい冬に備えて、私たちは越冬対策を懸命に準備しているところであった。今のままでは、子供や老人はあっけなく凍え、そして死んでいくだろう。

9月11日のアメリカでのテロの直後、国連もNGOもアフガン人以外の職員は皆アフガニスタンから撤退してしまった。アフガニスタン内に備蓄されている小麦は今後2週間分しかない。2週間後、550万人の人々は何も食べるものがなくなる。私たちは今、食糧をアフガニスタン国内に運ぶあらゆる手段を検討している。アフガニスタンは広い、道は悪い。国境は閉鎖されている。現地職員も自分と家族の生存のために全力を尽くしているところだ。彼らにいったい何を頼めよう?輸送機からの落下も検討してみよう・・・。八方塞がりかもしれない。それでも考え続けるしかない。

しかし、何を考えても私たちが直面しているのは、おそらく大規模な武力による殺人・破壊行為なのだ。アフガニスタンへのアクセスは少なくともある期間、まったく不可能になるであろう。状況しだいでは私たちはパキスタンからも撤退せざるをえなくなるだろう。パキスタンの外、別の国へ国連援助機関のベースを移し、そこからの援助活動ももちろんオプションとして検討している。しかし、それがどこまで現実的な、実効性が伴ったオプションであり得るか。

ソ連侵攻時、イラン及びパキスタンへ逃げ出し難民となった人々の数は600万人に上る。今も400万人近くのアフガン人が難民として二つの隣国に住んでいる。すでにアフガニスタン国内からは、国境へ向かって大規模な人口移動が始まっていると報告されている。国外へ膨大な数の人々が流出してくるだろう・・・。しかし、イラン側もパキスタン側もすでに国境は閉鎖されている。彼らは難民になることもできない。国境近辺には自然発生的なキャンプがいくつも現れるだろう。しかし、そこには水も食物もない。私たちは、なんとかそこへ援助物資を届ける方策を今考え続けている。

数百万の生命が危機にさらされるというのは大袈裟だろうか。戦闘行為の犠牲になって命を落とす人、そして戦闘とはまったく関係なく餓死していく人々、私はそれは非常に現実的な危機と感じている。あらゆるシナリオに対して立てるコンティンジェンシー・プラン、これらの方がどんどん現実的なものから空想に近づいていくように感じる。奇跡的なオペレーションを考え出さないかぎり、この危機は回避できない・・。

この戦争は終らないだろう。ある地域に限定して考えるなら、そこで始まった戦闘行為はやがて終るだろう。私は軍事専門家ではない。どこでどのような戦闘行為が始まり、どのように展開し、終結するか等を議論したり、予想したりする資格はない。私が、この戦争は終らないだろう、と言うのは、原理的に、ということだ。原理的に、この戦争は終らないだろうと私は思う。

私はこれまでいろんな形でその理屈を書こうとしてきたつもりだ。関心のある人は
http://www.i-nexus.org ですべて読めるのでそれを見て欲しい。今、とりあえず、これから始まる可能性の大きい戦争の当事者になるかもしれない国の人に考えて欲しいのは、ある信念を物理的な暴力で破壊することは不可能だ、ということだ。特定の個人を抹殺しても何の意味もない。叩けば叩くほど、それはより強固にさらに広範に増殖していくだろう。そしてそれは、次のテロとして発現してくるだろう。

そもそもアメリカもしくはアメリカが象徴するものに対して、なぜこれほどまでの憎悪が発生したのか、それを解明することに真剣に取り組まず、物理的な報復に訴えれば、我々はテロから永久に逃れられない世界を作ってしまうだろう。私は私の息子にそのような世界を受け渡すわけにはいかない。

日本は今、本当に慎重に進路を決定しなければいけない。一方でとてつもない規模の人を殺す行動、戦争、の準備が進んでいる。他方で上に書いたように膨大な数の人の生命を救うための途方もない仕事がすぐ目の前に押し寄せてきている。私たちはどちらの仕事に従事したいのか。終らない戦争の一方の当事者として、今後生きていきたいのか、あるいはそのような当事者になることを回避したいのか。

今、アメリカが宣言している報復攻撃への対応に日本はもたついているようだ。もっ ともたつけばよいのだ。日本人にとってもっとも利益のある行動を発見するまでもた つき続ければよいのだ、と私は思っている。


山本芳幸
・UNHCR FO Kabul, Officer-in-Charge