今日も朝はスターバックス。8時半くらいに行ったのだが、日曜の朝だというのに、15席ほどしかない小さなスタバにラップトップを睨みつけている人が三人いた。
エリス島に行きたいと思っていたが、雨がしとしと降っていたのでやめた。昼が近づくとむしょうに吉野家の牛丼が食べたくなってきた。11時くらいに吉野家を目指してスタバを出た。42nd Street をひたすら西に向って歩く。ブロードウェイを越えるともう一息だ。タイムズ・スクエア周辺は観光客でごった返している。近くの公園でチベットの人たちの集会をやっている。
牛丼大盛りを食べてから、紀伊国屋に行った。外国人が日本関係の英語の本を探すなら、ここが一番早いだろうな。
自分用に、"The Bottom Billion", Paul Collier と"The Politics of Chaos in the Middle East", Olivier Royの二冊を買った。こんな本を買うなら、紀伊国屋である必要は全然なかった。
それから、本来の目的は子どもに日本語の本を見に地下に降りていった。
もうすぐ5歳になる次男に『エルマーのぼうけん』(R.S. ガネット)と『昆虫とあそぼう』(とだこうしろう)を選んだ。日本語は読めないどころか、ほとんど分からないのだが、日本語の本を読んで聞かせるとじっと聴いている。そのうち分かるかもしれないという淡い期待を持って読み続けることにしている。「エルマー」シリーズは自分が小さい時に読んでおもしろいと思った記憶がまだ残っているので、是非読ませたいと思った。
7月に9歳になる長男には『ファーブル昆虫記4:サソリの決闘』(奥本大三郎)を選んだ。今回は昆虫シリーズにすることにしたのだ。兄弟二人とも虫に興味があるのは、自分の子どもの頃のことを思い出すと、よく分かる。男の子はみんな、ある時期虫に熱中するようだ。
辞書が欲しいと言っていたので、何か買おうと思ったが、よく考えるとどういう辞書が必要なのか分からなくなってくる。ふだんは英語で勉強しているのだから、英英辞典が必要ということになるが、それならわざわざ日本製の英英辞典を買うよりも、英米で出している国語辞典みたいなもの(英語辞典)を買えばいいのだということに、いまさら気がつく。土曜日の日本語学校の教科書に出てくる日本語の意味が分からないとよくきくので、和英辞典を一冊買うことにした。ひらがなに慣れるために、Romanise していない和英辞典を選ぶことにした。いろいろあったが、『ライトハウス和英辞典』が一番印象が良かった
もう一冊長男には算数の参考書のようなものを買おうと決めていた。インターナショナル・スクールのカリキュラムで出てくる算数の内容は日本とはかなり違う。いきなり小数と分数がいっしょに出てきたりして、分かっている子には効率が良いが、分かってない子には厳しいというかんじがする。学校の宿題をいっしょにやっても、長男がどこまで分かっているのはなかなか判定するのも難しい。それで、日本ではどうやっていたかを思い出そうとしていたのだが、覚えているわけはないので、日本の参考書を見てみようと思っていたのだ。『小学3・4年算数自由自在』をパラパラとめくってみると、全部インターナショナル・スクールでやった範囲のものだった。自分が小学生の頃『自由自在』が好きだったのは覚えている。長男はどうだろうか。
Sunday, April 27, 2008
Saturday, April 26, 2008
Starbucks で仕事
8泊続けて予約できるホテルがなかったので、一泊目がAKA United Nations、二泊目から七泊目がDiplomat Hotel、八泊目がBest Western という実に面倒くさいことになった。AKA United Nations とDiplomat Hotel は長期宿泊者用のアパートで、全部スイートルーム・キッチン完備でかなり期待していたのだが、Diplomat Hotel は150ドルというNYではあり得ない価格なので用心もしていた。NYで普通にきれいなホテルに泊まろうと思えば、サービス料・税金込みで300ドル以下ではほとんどないだろう。
AKA United Nations は清潔で従業員の態度もよく、快適そのものだった。305ドルでは安いくらいだ。
そして、Diplomat Hotel に二日目にチェックイン。やってくれた。広いが内装はいまいち。そんなことは実際はほとんどどうでもよいのだが、なんとインターネットの接続がない!信じられないがない。爆発しそうなストレスを感じる。
長期滞在している住民に会ったのできいてみると、近くのスターバックスで繋いでいるという。
というわけで、今日はオフィスは休みなので朝からスターバックスに行くことにした。
どこに行ってもそういう風景を見かけることはあるけど、自分はしたくないと思っていた。が、とうとうやるはめに。
繋いでみると、ものすごいメールの洪水になっている。となりに座ったアメリカ人のおばさんが、「私はそういうのはやらないね、みんなそういうのにはまって。私はやらないから」と別にききもしないのに、一人で言っている。「もう身体の一部みたいなもんだから、はまるもはまらないもないんすよ」と言うと、「そう、そう、みんなそうなのよ」と哀れまれた。近代を憂うおばさんなのかもしれない。
しばらくして、AとBを呼んだ。昨日、し損ねたミーティングをスターバックスですることにした。契約がどうとか、入札がどうとか、資金のトラッキングがどうとか、スターバックスで男3人がラップトップをにらんで真剣にやっている姿を、自分もその一部なのに、どうしてももう一人の自分が遊離して客観的に見てしまう。実にむさくるしいというか、美しくない。
ランチをいっしょに食べるというオプションもあったはずだが、結局午後に解散して、それぞれ散らばっていくことになった。三人とも、もう十分という気分は共通していたのだと思う。Aはトイザラスにおみやげを買いに、僕はDVDを買いに出た。
"Charlie Wilson's War"が今回はあっさり見つかった。奥さんが見ていないという"007 Casino Royale"、そして次男の好きな"Cars"、それ以外に子ども用に、"The 11th Hour"、"Stardust"、"Peter Pan"も選んだ。Milla Jovovichのシリーズもの"Resident Evil"と"Resident Evil: Apocalypse"の2枚セットを自分用に買った。ストーリーにほとんど意味のない、たわいのない映画なのだけど、頭が破裂しそうに熱くなった時に、呆然とMilla Jovovichの動きを眺めるのは沈静効果があるような気がする。Ultra Violet は僕の中ではほとんどトランキライザーと化していた。
AKA United Nations は清潔で従業員の態度もよく、快適そのものだった。305ドルでは安いくらいだ。
そして、Diplomat Hotel に二日目にチェックイン。やってくれた。広いが内装はいまいち。そんなことは実際はほとんどどうでもよいのだが、なんとインターネットの接続がない!信じられないがない。爆発しそうなストレスを感じる。
長期滞在している住民に会ったのできいてみると、近くのスターバックスで繋いでいるという。
というわけで、今日はオフィスは休みなので朝からスターバックスに行くことにした。
どこに行ってもそういう風景を見かけることはあるけど、自分はしたくないと思っていた。が、とうとうやるはめに。
繋いでみると、ものすごいメールの洪水になっている。となりに座ったアメリカ人のおばさんが、「私はそういうのはやらないね、みんなそういうのにはまって。私はやらないから」と別にききもしないのに、一人で言っている。「もう身体の一部みたいなもんだから、はまるもはまらないもないんすよ」と言うと、「そう、そう、みんなそうなのよ」と哀れまれた。近代を憂うおばさんなのかもしれない。
しばらくして、AとBを呼んだ。昨日、し損ねたミーティングをスターバックスですることにした。契約がどうとか、入札がどうとか、資金のトラッキングがどうとか、スターバックスで男3人がラップトップをにらんで真剣にやっている姿を、自分もその一部なのに、どうしてももう一人の自分が遊離して客観的に見てしまう。実にむさくるしいというか、美しくない。
ランチをいっしょに食べるというオプションもあったはずだが、結局午後に解散して、それぞれ散らばっていくことになった。三人とも、もう十分という気分は共通していたのだと思う。Aはトイザラスにおみやげを買いに、僕はDVDを買いに出た。
"Charlie Wilson's War"が今回はあっさり見つかった。奥さんが見ていないという"007 Casino Royale"、そして次男の好きな"Cars"、それ以外に子ども用に、"The 11th Hour"、"Stardust"、"Peter Pan"も選んだ。Milla Jovovichのシリーズもの"Resident Evil"と"Resident Evil: Apocalypse"の2枚セットを自分用に買った。ストーリーにほとんど意味のない、たわいのない映画なのだけど、頭が破裂しそうに熱くなった時に、呆然とMilla Jovovichの動きを眺めるのは沈静効果があるような気がする。Ultra Violet は僕の中ではほとんどトランキライザーと化していた。
Friday, April 25, 2008
おっさんは不滅です
クライアントとランチを食べているとAに電話がかかってきた。Aはさっと席を立って携帯電話を耳に張り付けたまま店から出て行った。
女だな、と思った。
案の定、Aは帰ってこない。ランチはお開きとなり、店から出ると、Aはしかめっつらをして、携帯電話を耳に張り付け、道路につっ立っている。
オフィスに戻って、BにAは当分帰ってこないと思うよ、と伝えた。AとBと三人で午後全部つかってミーティングする予定だったのだ。Aに何が起こっているのか僕は何も知らないし、何をきいても解決できるわけでもないのできく気もない。
トラぶってるみたい、とだけ言って、それ以上何も言わなかったが、Bは「そういうことはあるもんだ」と言って、すべてを察したようだった。こういう時、なぜか男どうしは優しくなる。連帯感のようなものだろうか。
じゃあ、Aが戻ってからにしようということになったが、どうにもならないだろうと僕は思っていた。
結局、Aは3時間以上話していたみたいだ。
疲れ果てた様子でオフィスに戻ってきたAに「死にたいって言ってたか」と言うと、Aは何かもごもご言った後、手首を切るって言われたら、太ももの静脈を切った方が速いって言うんだというアドバイスをする友人の話をして、ヒクヒクと引きつった笑いをしていた。アーメン。
--------------
日本人おっさんA「アフガニスタンって分かる?」
日本人ネーちゃんA「あっ、南米のどこかでしょ?」
日本人おっさんA「無理しなくていいんだって」
日本人ネーちゃんA「えー、ちがうの?どこお?」
日本人おっさんA「インドとか、中央アジアとか、あっちの方の、あっ中央アジア分かる?」
日本人ネーちゃんA「えー、イラクとかあ?」
日本人おっさんB「南米、南米。アフガニスタンは南米」
日本人ネーちゃんA「ほらーっ」
日本人おっさんA「ビン・ラディンさんとかがいてね、あっビン・ラディンさんって知ってる?」
日本人ネーちゃんA「知ってますよ~」
日本人おっさんA「無理しなくっていいから。えらいことやらかした人だよ」
日本人ネーちゃんA「えー、ワールド・トレードセンターの人でしょ」
日本人おっさんA「何した?」
日本人ネーちゃんA「えー、違うの?」
日本人おっさんB「地下鉄で痴漢して捕まった人だよ」
日本人ネーちゃんA「・・・そ、そ、その人でしょ」
日本人おっさんB「うん、ワールド・トレードセンターでも痴漢したらしい」
日本人おっさんA「君はNYで何してるの?」
日本人ネーちゃんB「ダンスの勉強してるんです」
日本人おっさんA「何の?」
日本人ネーちゃんB「ヒップホップ系でえ、かなり黒いっていうかあ・・・」
日本人おっさんA「ラップか?」
日本人ネーちゃんB「???うーん、それもありますけどお」
日本人おっさんA「どこから来たの?」
日本人ネーちゃんB「舞鶴出身です」
日本人おっさんA「岸壁の母だね」
日本人ネーちゃんB「火曜サスペンスですよね」
日本人おっさんA「はあ?君、岸壁の母を知らないのか」
日本人ネーちゃんB「えー、火曜サスペンスじゃないの?」
日本人おっさんA「無理しなくていいんだって。岸壁の母というのはね、(ここから約10分続く)」
日本人おっさんB - 沈黙を貫き通す。
凄まじい。日本のおっさん会話は永遠に不滅だなあと思った。
ちなみにB は僕です。
- - - - -
懐かしいおっさん文化の復習をして外に出ると、
TokoJawsって?
確かにそう聞こえた?トコジョーズってなんだ?トムジョーンズって言ったのかな。
「TokoJawsな子がいっぱいいますよー」
うん?それは床上手?こんな言葉実際に使ってる人みるの初めてかもしれない。
古代語?Bed Goodder ?そんな英語にしてみたい一言。
ニューヨーク52番街2丁目と3丁目の間を歩いていると、そんな勧誘に次から次にからまれる。でも、大阪の東通り商店街のような強引さもあつかましさも怖さもない。非常に丁寧。
しかし、アメリカ人はきっと知らないんじゃいだろうか、こんなことがここで起こっているなんて。日本人による日本人相手の商売だからねえ。
日本は不滅だな、と思いながら宿まで歩いて帰った。
女だな、と思った。
案の定、Aは帰ってこない。ランチはお開きとなり、店から出ると、Aはしかめっつらをして、携帯電話を耳に張り付け、道路につっ立っている。
オフィスに戻って、BにAは当分帰ってこないと思うよ、と伝えた。AとBと三人で午後全部つかってミーティングする予定だったのだ。Aに何が起こっているのか僕は何も知らないし、何をきいても解決できるわけでもないのできく気もない。
トラぶってるみたい、とだけ言って、それ以上何も言わなかったが、Bは「そういうことはあるもんだ」と言って、すべてを察したようだった。こういう時、なぜか男どうしは優しくなる。連帯感のようなものだろうか。
じゃあ、Aが戻ってからにしようということになったが、どうにもならないだろうと僕は思っていた。
結局、Aは3時間以上話していたみたいだ。
疲れ果てた様子でオフィスに戻ってきたAに「死にたいって言ってたか」と言うと、Aは何かもごもご言った後、手首を切るって言われたら、太ももの静脈を切った方が速いって言うんだというアドバイスをする友人の話をして、ヒクヒクと引きつった笑いをしていた。アーメン。
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日本人おっさんA「アフガニスタンって分かる?」
日本人ネーちゃんA「あっ、南米のどこかでしょ?」
日本人おっさんA「無理しなくていいんだって」
日本人ネーちゃんA「えー、ちがうの?どこお?」
日本人おっさんA「インドとか、中央アジアとか、あっちの方の、あっ中央アジア分かる?」
日本人ネーちゃんA「えー、イラクとかあ?」
日本人おっさんB「南米、南米。アフガニスタンは南米」
日本人ネーちゃんA「ほらーっ」
日本人おっさんA「ビン・ラディンさんとかがいてね、あっビン・ラディンさんって知ってる?」
日本人ネーちゃんA「知ってますよ~」
日本人おっさんA「無理しなくっていいから。えらいことやらかした人だよ」
日本人ネーちゃんA「えー、ワールド・トレードセンターの人でしょ」
日本人おっさんA「何した?」
日本人ネーちゃんA「えー、違うの?」
日本人おっさんB「地下鉄で痴漢して捕まった人だよ」
日本人ネーちゃんA「・・・そ、そ、その人でしょ」
日本人おっさんB「うん、ワールド・トレードセンターでも痴漢したらしい」
日本人おっさんA「君はNYで何してるの?」
日本人ネーちゃんB「ダンスの勉強してるんです」
日本人おっさんA「何の?」
日本人ネーちゃんB「ヒップホップ系でえ、かなり黒いっていうかあ・・・」
日本人おっさんA「ラップか?」
日本人ネーちゃんB「???うーん、それもありますけどお」
日本人おっさんA「どこから来たの?」
日本人ネーちゃんB「舞鶴出身です」
日本人おっさんA「岸壁の母だね」
日本人ネーちゃんB「火曜サスペンスですよね」
日本人おっさんA「はあ?君、岸壁の母を知らないのか」
日本人ネーちゃんB「えー、火曜サスペンスじゃないの?」
日本人おっさんA「無理しなくていいんだって。岸壁の母というのはね、(ここから約10分続く)」
日本人おっさんB - 沈黙を貫き通す。
凄まじい。日本のおっさん会話は永遠に不滅だなあと思った。
ちなみにB は僕です。
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懐かしいおっさん文化の復習をして外に出ると、
TokoJawsって?
確かにそう聞こえた?トコジョーズってなんだ?トムジョーンズって言ったのかな。
「TokoJawsな子がいっぱいいますよー」
うん?それは床上手?こんな言葉実際に使ってる人みるの初めてかもしれない。
古代語?Bed Goodder ?そんな英語にしてみたい一言。
ニューヨーク52番街2丁目と3丁目の間を歩いていると、そんな勧誘に次から次にからまれる。でも、大阪の東通り商店街のような強引さもあつかましさも怖さもない。非常に丁寧。
しかし、アメリカ人はきっと知らないんじゃいだろうか、こんなことがここで起こっているなんて。日本人による日本人相手の商売だからねえ。
日本は不滅だな、と思いながら宿まで歩いて帰った。
Thursday, April 24, 2008
予定にない
朝4時くらいに目が覚めた。もう一度寝ようと頑張ったが妙に空腹感に苛まれて寝れない。
8時くらいにOmus b に行って、おむすび二つと味噌汁の朝食セットを食べたが、まだお腹がすいているので、おむすびをもう二つ食べた。朝から食べすぎだ。
オフィスに行って、いろいろと計画してたことを済まそうとするが、何一つうまく行かない。まず、ビルのカードキーとオフィス階のカードキーを手に入れるのに四苦八苦する。にっちもさっちもいかない官僚主義は慣れていても、毎回いらつく。次にオフィス内のワイヤレスのアクセスポイントが機能していないのが発覚。しかたないので、ケーブルを繋いだが、コペンハーゲンのサーバとニューヨークのサーバの間に問題があるらしく、コペンハーゲンのサーバに溜まっているメールがダウンロードできない。イライラすることが続くので、アミールと二人で近くのカフェに行って、そこで実質的なブリーフィングの開始。去年の夏まで自分がいたプログラムなのに、かなりいろんなことが変わっている。こりゃ大変という印象を持った。
午後、オフィスに戻ると大ボスのロズウィータ女史が来ていた。昨日のことを詫びると、着いた日だからしょうがないわよとあっさり流されて、いきなり仕事の話に入った。それから、全然予定にない会議に誘われ、予定にない仕事を頼まれた。予定のない会議が終わって、さあと思ったら、全然会う気もなかった同僚に当然予定のない会議に呼ばれた。計画を立てて、一つずつこなしていくという仕事の仕方が好きなら、もう切腹したくなるだろう。
夜、饗屋にルーとアミールとあと一人、予定になかったアメリカ国連協会の若い女性の四人で食事。美しく、旨いが、高い。四人で560ドルだった。
8時くらいにOmus b に行って、おむすび二つと味噌汁の朝食セットを食べたが、まだお腹がすいているので、おむすびをもう二つ食べた。朝から食べすぎだ。
オフィスに行って、いろいろと計画してたことを済まそうとするが、何一つうまく行かない。まず、ビルのカードキーとオフィス階のカードキーを手に入れるのに四苦八苦する。にっちもさっちもいかない官僚主義は慣れていても、毎回いらつく。次にオフィス内のワイヤレスのアクセスポイントが機能していないのが発覚。しかたないので、ケーブルを繋いだが、コペンハーゲンのサーバとニューヨークのサーバの間に問題があるらしく、コペンハーゲンのサーバに溜まっているメールがダウンロードできない。イライラすることが続くので、アミールと二人で近くのカフェに行って、そこで実質的なブリーフィングの開始。去年の夏まで自分がいたプログラムなのに、かなりいろんなことが変わっている。こりゃ大変という印象を持った。
午後、オフィスに戻ると大ボスのロズウィータ女史が来ていた。昨日のことを詫びると、着いた日だからしょうがないわよとあっさり流されて、いきなり仕事の話に入った。それから、全然予定にない会議に誘われ、予定にない仕事を頼まれた。予定のない会議が終わって、さあと思ったら、全然会う気もなかった同僚に当然予定のない会議に呼ばれた。計画を立てて、一つずつこなしていくという仕事の仕方が好きなら、もう切腹したくなるだろう。
夜、饗屋にルーとアミールとあと一人、予定になかったアメリカ国連協会の若い女性の四人で食事。美しく、旨いが、高い。四人で560ドルだった。
Wednesday, April 23, 2008
Newark
コペンハーゲンの家を朝7時半に出たのだが、今回は直行便だったので、昼過ぎにNewark空港に着いた。マンハッタンのホテルまでタクシーで71ドルする。JFKから来るより高い。
ホテルにチェックインしてから、直ぐにめんちゃんこ亭に行って、皿うどんとおにぎり2個セットを食った。
夕方、アミールと合流して、クリス、ルー、サイモンが飲んでいるバーに行った。
アウトドアーで、ちょうど良い気温だ。
僕とアミールは時差ぼけで眠くてしょうがない。2軒目にパブに行ったが、もうビールでお腹いっぱい。どうしてアングロ・サクソン人はあんなにビールがたくさん飲めるのだろう?アミールと僕は強いアルコールで激酔するのが好きなので、ビールの生酔いのような状態には弱い。大ボスの家に7時半に行く約束を思い出したが、もう遅い。8時半くらいにヨレヨレになって、とっととホテルに帰って寝た。
---------------------------------------------
Wed, 23.04.2008 CO 123 CPH - EWR 09:05 - 11:55
COPENHAGEN DK,COPENHAGEN APT
ホテルにチェックインしてから、直ぐにめんちゃんこ亭に行って、皿うどんとおにぎり2個セットを食った。
夕方、アミールと合流して、クリス、ルー、サイモンが飲んでいるバーに行った。
アウトドアーで、ちょうど良い気温だ。
僕とアミールは時差ぼけで眠くてしょうがない。2軒目にパブに行ったが、もうビールでお腹いっぱい。どうしてアングロ・サクソン人はあんなにビールがたくさん飲めるのだろう?アミールと僕は強いアルコールで激酔するのが好きなので、ビールの生酔いのような状態には弱い。大ボスの家に7時半に行く約束を思い出したが、もう遅い。8時半くらいにヨレヨレになって、とっととホテルに帰って寝た。
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Wed, 23.04.2008 CO 123 CPH - EWR 09:05 - 11:55
COPENHAGEN DK,COPENHAGEN APT
Monday, April 21, 2008
Gmail からっぽ
とんでもないことをしてしまった。Gmail をすっかり空っぽにしてしまった。とほほだ。大切な記録もあったはずだが、みんな消滅してしまった。IMAPの設定をしてメールソフトでGmail を読めるようにしていたのだが、メールソフトに溜まったのを全部消去したら、ウェブのも全部消えてしまったのでした。見事にIMAP設定が機能している。POPの設定でメールソフトにGmail をダウンロードしているだけだったら、こんなことにはならない。何を言っても、もう遅い。
明日からまたニューヨーク。そしてまた日本食三昧。カブールから来るアミールとも合流するので、久々に泥酔の予感がする。また、アフガニスタンを担当することになってしまった。ニューヨークから戻ってしばらくしたら、またカブールに行くだろう。わくわくするような、どうでもいいような・・・。
明日からまたニューヨーク。そしてまた日本食三昧。カブールから来るアミールとも合流するので、久々に泥酔の予感がする。また、アフガニスタンを担当することになってしまった。ニューヨークから戻ってしばらくしたら、またカブールに行くだろう。わくわくするような、どうでもいいような・・・。
Friday, April 18, 2008
クロアチア土産
お土産はBionicle が欲しいと言う息子二人に、そんなものスロベニアとかクロアチアにはないと思うよ、と言って出かけてきた。クロアチア最後の晩にホテルの中のおみやげ物屋さんを吟味してみたが、もちろんそんなものはない。
良い絵があれば買おうと思ったが、小さくプリントしたものしかない。陳列してある額の中に一つ、文字だけが額の中に入っているものがあった。見たことのない文字なので、店員にきいてみると、今は使ってない昔の文字だと言う。Glagolitic alphabet と言われるものらしい。ウィキペディアの日本版を見ると、
「グラゴル文字(ロシア語:Глаголица、グラゴーリツァ)は、主にスラヴ系言語を記述するために作られたアルファベットで、スラヴ圏最古の文字である。正教会のキュリロス(827年-869年)とメトディオス(826年-885年)が、855年か862年から863年のころ、聖書やその他の文書をスラブ諸語に翻訳するために作成した。ギリシア文字を元にして作られたものと思われるが、極めて独特の外見を持つ。 「グラゴル」の名前は古スラヴ語の「音」を表す「Глаголъ(glagolə)」から来ている。また、Gに相当する文字の名称にもなっている。「グラゴル」から派生した動詞「グラゴラーティ」は「話す」を意味するので、「グラゴーリツァ」は「話すための印」程度の意味になる。 現在スラヴ圏で広く用いられているキリル文字(その名称はキュリロスに因む)は、キュリロスの弟子らがグラゴル文字を改良して作ったものだとされ、グラゴル文字とはほぼ一対一で対応している。グラゴル文字は、正教会の勢力圏では間もなくキリル文字に取って代わられたが、カトリック圏に属するクロアチアに伝わり、クロアチア語の表記に近代まで一部で用いられた。」
バランスがよく、相当変な格好をさせても立っていることができる。
人体の骨格をよく研究してデザインされているのだろう。
一つ作ってみると、他のも欲しくなってしまう。
-----------------------------------------------------------------
Fri, 18.04.2008: SPLIT - VIENNA OS 746 1525 1645
Fri, 18.04.2008: VIENNA - COPENHAGEN OS 305 1730 1925
13.04.2008: Stay at Hotel Austria Trend, Ljubljana, Slovenia
14.04.2008: Stay at Hotel Austria Trend, Ljubljana, Slovenia
15.04.2008: Stay at Hotel Ivan, Solaris Complex, Sibenik, Croatia
16.04.2008: Stay at Hotel Ivan, Solaris Complex, Sibenik, Croatia
17.04.2008: Stay at Hotel Ivan, Solaris Complex, Sibenik, Croatia
このあたりの家を模倣した10センチ四方くらいの小さな石造りの家は興味深いので買おうかと思ったが、荷物が重くなるのと、家に着いた頃には潰れてそうな気がするので断念した。
他のコーナーを見ると海綿がたくさん売っていた。あわびのような貝殻を添えて、それを網に入れたりしておみやげ物らしく工夫している。家のバスルームに一つくらいあってもいいだろうと思って、貝殻のついてない海綿だけのものを一つ買った。
こういうの↑。(ウェブにあったので取ってきた)他のコーナーを見ると海綿がたくさん売っていた。あわびのような貝殻を添えて、それを網に入れたりしておみやげ物らしく工夫している。家のバスルームに一つくらいあってもいいだろうと思って、貝殻のついてない海綿だけのものを一つ買った。
良い絵があれば買おうと思ったが、小さくプリントしたものしかない。陳列してある額の中に一つ、文字だけが額の中に入っているものがあった。見たことのない文字なので、店員にきいてみると、今は使ってない昔の文字だと言う。Glagolitic alphabet と言われるものらしい。ウィキペディアの日本版を見ると、
「グラゴル文字(ロシア語:Глаголица、グラゴーリツァ)は、主にスラヴ系言語を記述するために作られたアルファベットで、スラヴ圏最古の文字である。正教会のキュリロス(827年-869年)とメトディオス(826年-885年)が、855年か862年から863年のころ、聖書やその他の文書をスラブ諸語に翻訳するために作成した。ギリシア文字を元にして作られたものと思われるが、極めて独特の外見を持つ。 「グラゴル」の名前は古スラヴ語の「音」を表す「Глаголъ(glagolə)」から来ている。また、Gに相当する文字の名称にもなっている。「グラゴル」から派生した動詞「グラゴラーティ」は「話す」を意味するので、「グラゴーリツァ」は「話すための印」程度の意味になる。 現在スラヴ圏で広く用いられているキリル文字(その名称はキュリロスに因む)は、キュリロスの弟子らがグラゴル文字を改良して作ったものだとされ、グラゴル文字とはほぼ一対一で対応している。グラゴル文字は、正教会の勢力圏では間もなくキリル文字に取って代わられたが、カトリック圏に属するクロアチアに伝わり、クロアチア語の表記に近代まで一部で用いられた。」
スプリット空港のDuty Free をのぞいて見ると、なんとBionicle が売っている。世界中の子どもがBionicle で遊んでいるのだろうか。それとも、そもそもクロアチアもヨーロッパだから、LEGO社の勢力範囲に深く取り込まれているということなのだろうか。二人の息子に一つずつ、二つ買った。
全部揃えてみると、実に奇妙な取り合わせのお土産だ。
Bionicle の一例(↑)。実に良く出来ている。全部揃えてみると、実に奇妙な取り合わせのお土産だ。
バランスがよく、相当変な格好をさせても立っていることができる。
人体の骨格をよく研究してデザインされているのだろう。
一つ作ってみると、他のも欲しくなってしまう。
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Fri, 18.04.2008: SPLIT - VIENNA OS 746 1525 1645
Fri, 18.04.2008: VIENNA - COPENHAGEN OS 305 1730 1925
13.04.2008: Stay at Hotel Austria Trend, Ljubljana, Slovenia
14.04.2008: Stay at Hotel Austria Trend, Ljubljana, Slovenia
15.04.2008: Stay at Hotel Ivan, Solaris Complex, Sibenik, Croatia
16.04.2008: Stay at Hotel Ivan, Solaris Complex, Sibenik, Croatia
17.04.2008: Stay at Hotel Ivan, Solaris Complex, Sibenik, Croatia
Thursday, April 17, 2008
Croatia
という国に初めて来た。
リュブリアナから4台の大きな観光バスに分乗してやって来た。いったい我々の一行様は全部で何人くらいいるのだろう?何をやってるかは、ここに載っている。道中の景色をほとんど見ることがなかった。ちらちらっと見る景色はちょっとアフガニスタンに似ているなと思ったが、それ以上追求することもなく、シベニクという街の近くのSolaris Holiday Resort Complex という、たわけた場所に到着した。ビーチ沿いに何軒かのホテルが点在している。その全体をまとめてリゾート・コンプレックスと呼んでいるようだ。
バスの中でリュブリアナ最後の晩に買った『S.― A Novel about the Balkans』という本にどっぷりとはまった。景色なんかどうでも良くなった。一番後部の座席を全部一人占めして、寝転んでずっとそれを読んでいた。小説だから真実を書けるという見事な例だと思う。
クロアチアは、スロベニアに比べるとまた一段と素朴な雰囲気がある。物価もはるかに安い。ビーチで見る海水はとても澄んでいた。
今日は一人でタクシーに乗ってシベニクまで出かけてみた。海岸ぎりぎりの丘陵に石造りの家がぎっちりと張り付いている風景はとても興味深い。15世紀に建てられたというCathedral を見た。これも石以外何も使っていない。UNESCOの世界遺産に登録されているそうだ。
アドリア海がすぐ目の前に見える。シベニクの前の海でアドリア海から来る海水と川の真水が混ざり、いちばんいい魚がここでたくさん獲れると、タクシーの運転手は自慢気に話していた。イタリア側ではいい魚が獲れない、ヒッヒッヒ、みたいなことを言っていた。これ(↓)がシベニクの街。
* * * * * * * * * * * *
Editorial Reviews
Amazon.com
"While she was in the warehouse S. feared uncertainty. Any kind of certainty seemed preferable to her. Now she was at least rid of that fear. There was no more uncertainty. She was in a storehouse of women, in a room where female bodies were stored for the use of men."
The use of rape as a mode of warfare was one of the atrocities that made "ethnic cleansing" such a horrifying euphemism in the '90s. The number of Muslim rape victims has been hard to establish (estimates are as high as 60,000), and the depths of the damage even more difficult to comprehend. Hidden behind the newspaper accounts--the mind-numbing policy changes, drawn and redrawn borders, and fluctuating statistics--are the stories of what happened to thousands of Muslim women and how they have since dealt with their experience. In S: A Novel About the Balkans, the journalist Slavenka Drakulic uses a fictional everywoman, S., to convey the complex psychological torture of the victims of large-scale, systematic rape during the Bosnian War.
Drakulic's plain, graphic prose is starkly effective; not surprisingly, her book is most powerful in the passages detailing the women's treatment by the cadres of Serbian soldiers. But S. is not just a passive victim: even in such conditions, there are moral choices that must be made and consequences to one's actions. S. discovers this through her "arrangement" with the camp commander, who chooses her for a more elaborate form of rape that involves candlelight dinners and her playing the role of a seductress. Submitting to the fantasy in order to remove herself from the gang rapes of the "women's room," S. refrains from using her new status to improve the lot of the other prisoners. The tradeoff risks the respect of her fellow victims ("You've sold yourself cheap," one of them says to her), and the future psychological cost isn't clear. When she discovers she is pregnant--the father could be any one of a hundred soldiers--she faces another set of difficult decisions. Should she bring a child born of such hate into the world? And should she tell the child about its origins? Or is she instead obliged to tell the truth about the war? "Which is the greater," she wonders, "the right to a father or the right to the truth." Though not overtly political, S. forces us to consider the long-term tragedy of the female victims of the Bosnian War, and is all the more valuable for its inclusion of these gray-area compromises and their painful aftereffects. --John Ponyicsanyi --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
From Publishers Weekly
S. lies in the Karolinska Hospital in Sweden, where she has just given birth to a baby boy. She refuses to nurse him. Maj, in the next bed, is worried and shocked, but she is not aware of the trauma in which the baby was conceived. It is March of 1993, and S. spent the previous summer in a Bosnian prison camp. She cannot guess which of the men who raped her there was the baby's father. As she lies in the hospital bed, S. remembers the summer of 1992, from the day when the soldiers rounded up the occupants of the Muslim village of B., shot the men and herded the shocked, obedient women onto buses. She remembers life in the camp, where she was assigned to help E., the nurse, tend the sick, and the horrible rumors about the "women's room," where women are taken for the Serbian soldiers to rape. Soon it is her turn for the "women's room"; surviving rape and dehumanization, she develops a protective need to forget. But she cannot forget the other women in the room, their struggles, their wounds, their deaths. All she has succeeded in obliterating is her previous life, in which she was a teacher, with parents and a sister who once lived in Sarajevo. They have vanished, and she would have disappeared, too, if she had stayed with them. She has vanished, anyway, into the depersonalized world of the raped, the refugee, the woman without a country. This novel by journalist and novelist Drakulic (The Balkan Express; The Taste of a Man) is a terrifying, graphic story of a country's lost identity, told through the suffering of the nameless inmates of the camp and their attempts to rebuild their lives after liberation. (Feb.)
Copyright 1999 Reed Business Information, Inc. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
From Library Journal
The anger that echoes through this review is the natural reaction of a feminist sensitive to the subject of rape. But how else can any woman react to the barbaric treatment of women during the Balkan civil war? Drakulic once again explores the bigotry of the Balkan mentality (as in Caf? Europa, for instance), here coming unbearably close to the actual truth of the rapes of Bosnian women between 1992 and 1995. The simple story unfolds from the protagonist's perspective: before she can rebuild her life after surviving unthinkable physical abuse in a Serbian concentration camp, S. first has to face its consequence and give birth to an unwanted child. Drakulic delineates the most intimate moments with controlled precision and stops your pulse with sentences like this: "She was in a storehouse of women...where female bodies were stored for the use of men." A fully authentic novel, S. is also an important historical document at times reminiscent of Primo Levi's Survival in Auschwitz (1949). Readers may try to comfort themselves that this kind of savagery happens only far away from home, but that is not true--which is precisely the bitter point. Every paragraph makes you fearfully aware of the unpredictable nature of even the most civilized human conduct. Highly recommended.
---Mirela Roncevic, "Library Journal"
Copyright 1999 Reed Business Information, Inc. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
The New York Times Book Review, Rand Richards Cooper
Drakulic has set out to convey the experience of captivity in conditions of physical and psychological torment so extreme that, as we commonly say, they defy description. The prose she brings to this task is plain and unmetaphoric, and at times the novel achieves a terse factuality, letting the terror speak for itself. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
From Booklist
When Serbian forces overrun her village, a young Muslim schoolteacher, S., is taken prisoner and transported to a death camp for Bosnians. At first unable to believe what is happening, S. slowly adapts to life in the camp, trying to ignore the horrors around her. When, however, she is chosen to live in the "Women's Room," in which the more attractive prisoners are kept for the pleasure of Serbian soldiers, her sanity begins to slip, and she finds that she is increasingly uncertain of her identity. Tortured and repeatedly raped, the young woman is eventually released and sent to a refugee camp, pregnant with a child who constantly reminds her of her time as a prisoner. This deeply moving story of courage and renewal shockingly demonstrates the power of war to dehumanize aggressor and victim alike. Drakulic explores the psychology of captivity, documenting the soul's struggle to remember itself despite the body's degradation. Bonnie Johnston --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
From Kirkus Reviews
Justly acclaimed as a journalist and an essayist, Drakuli chose the novel for her latest tale of the terrors of the breakup of the former Yugoslavia. While the authors reputation in the US is largely based on her reporting (Cafe Europa, 1997, etc.), work typically marked by a certain dry, black humor, her fourth novel (after Holograms of Fear, 1992, etc.) is somber, relentlessly bleak, until its disappointingly predictable life-affirming close, which is regrettably rather flat. S., the title character, is a young schoolteacher living and working in a small Bosnian village when the Serbs overrun it in late May 1992. She and all of the towns women are taken prisoner and removed to a concentration camp, where shes raped repeatedly by Serb soldiers. When the survivors of this nightmarish experience are exchanged for Serb prisoners, S. finds herself pregnant, goes to Sweden, and gives birth to a boy whose father could be any of the many men who brutalized her. The story opens in the hours after the infants delivery, as S. fights against her nurturing instincts toward the child, whom she plans to put up for adoption. This grim account will be familiar to anyone whos been reading the newspapers in the past decade or whos dipped into the copious literature of the Holocaust. Sadly, Drakuli is unable to give voice to S.s plight in a fashion that doesnt continually remind you of other, better works of this sort. S.s narrative, in first- as well as third-person, never rises above the clichs of the genre, and Drakuli is ill-served by a translation that is both banal and clumsy. Its always depressing when a serious book by a gifted author on an important topic is a failure. This one is more painful than most. -- Copyright ©1999, Kirkus Associates, LP. All rights reserved. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
The Nation
...Slavenka Drakulic has given the world a gift, digging into the twisted reality of war...a novel of cataclysmic power.
Iris Chang, bestselling author of The Rape of Nanking
"I shuddered as I read each page of this terrifying, brilliant novel. Slavenka Drakulic forced me to inhabit the soul of S., a Bosnian woman made pregnant by months of gang rape in a Serbian prison camp. Every chapter resonates with truth, horror and remarkably, even -- hope." --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
Los Angeles Times, February 6, 2000
Slavenka Drakulic is the very voice of pain. She is dripping with pain. Her novel "Marble Skin" housed the pain of a girl's sexual competition with her mother. "The Taste of Man" contained all the pain a woman could feel from a man. All her books contain the political pain of being born in Croatia in 1949 and living for the last 50 years in the Balkans. "S." is about the pain of rape in concentration camps created by the Serbs in the early 1990s. It is told in the voice of a woman who in 1992 is taken from her village and placed in a camp. Shortly thereafter, she is chosen with eight others to live in "the woman's room," from which Serb soldiers choose each night whom they will rape. The novel is about what she sees: the 13-year-old girls who are raped, the fathers who are forced to rape their sons, the mothers who kill their newborn infants born from rape. Reading these things is nothing like living through them but conveys some of the same gut reactions: shame for being human, for being safe and warm, for knowing about these things and doing nothing. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
Book Description
Set in 1992, during the height of the Bosnian war, S. reveals one of the most horrifying aspects of any war: the rape and torture of civilian women by occupying forces. S. is the story of a Bosnian woman in exile who has just given birth to an unwanted child-one without a country, a name, a father, or a language. Its birth only reminds her of an even more grueling experience: being repeatedly raped by Serbian soldiers in the women's room of a prison camp. Through a series of flashbacks, S. relives the unspeakable crimes she has endured, and in telling her story-timely, strangely compelling, and ultimately about survival-depicts the darkest side of human nature during wartime.
Language Notes
Text: English (translation)
Original Language: Serbo-Croation --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
About the Author
Slavenka Drakulic is a world renowned journalist and novelist. She contributes to The New York Times, The Nation, The New Republic, and other international newspapers and magazines. She divides her time among Sweden, Austria, and Croatia. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
リュブリアナから4台の大きな観光バスに分乗してやって来た。いったい我々の一行様は全部で何人くらいいるのだろう?何をやってるかは、ここに載っている。道中の景色をほとんど見ることがなかった。ちらちらっと見る景色はちょっとアフガニスタンに似ているなと思ったが、それ以上追求することもなく、シベニクという街の近くのSolaris Holiday Resort Complex という、たわけた場所に到着した。ビーチ沿いに何軒かのホテルが点在している。その全体をまとめてリゾート・コンプレックスと呼んでいるようだ。
バスの中でリュブリアナ最後の晩に買った『S.― A Novel about the Balkans』という本にどっぷりとはまった。景色なんかどうでも良くなった。一番後部の座席を全部一人占めして、寝転んでずっとそれを読んでいた。小説だから真実を書けるという見事な例だと思う。
クロアチアは、スロベニアに比べるとまた一段と素朴な雰囲気がある。物価もはるかに安い。ビーチで見る海水はとても澄んでいた。
今日は一人でタクシーに乗ってシベニクまで出かけてみた。海岸ぎりぎりの丘陵に石造りの家がぎっちりと張り付いている風景はとても興味深い。15世紀に建てられたというCathedral を見た。これも石以外何も使っていない。UNESCOの世界遺産に登録されているそうだ。
アドリア海がすぐ目の前に見える。シベニクの前の海でアドリア海から来る海水と川の真水が混ざり、いちばんいい魚がここでたくさん獲れると、タクシーの運転手は自慢気に話していた。イタリア側ではいい魚が獲れない、ヒッヒッヒ、みたいなことを言っていた。これ(↓)がシベニクの街。
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Editorial Reviews
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"While she was in the warehouse S. feared uncertainty. Any kind of certainty seemed preferable to her. Now she was at least rid of that fear. There was no more uncertainty. She was in a storehouse of women, in a room where female bodies were stored for the use of men."
The use of rape as a mode of warfare was one of the atrocities that made "ethnic cleansing" such a horrifying euphemism in the '90s. The number of Muslim rape victims has been hard to establish (estimates are as high as 60,000), and the depths of the damage even more difficult to comprehend. Hidden behind the newspaper accounts--the mind-numbing policy changes, drawn and redrawn borders, and fluctuating statistics--are the stories of what happened to thousands of Muslim women and how they have since dealt with their experience. In S: A Novel About the Balkans, the journalist Slavenka Drakulic uses a fictional everywoman, S., to convey the complex psychological torture of the victims of large-scale, systematic rape during the Bosnian War.
Drakulic's plain, graphic prose is starkly effective; not surprisingly, her book is most powerful in the passages detailing the women's treatment by the cadres of Serbian soldiers. But S. is not just a passive victim: even in such conditions, there are moral choices that must be made and consequences to one's actions. S. discovers this through her "arrangement" with the camp commander, who chooses her for a more elaborate form of rape that involves candlelight dinners and her playing the role of a seductress. Submitting to the fantasy in order to remove herself from the gang rapes of the "women's room," S. refrains from using her new status to improve the lot of the other prisoners. The tradeoff risks the respect of her fellow victims ("You've sold yourself cheap," one of them says to her), and the future psychological cost isn't clear. When she discovers she is pregnant--the father could be any one of a hundred soldiers--she faces another set of difficult decisions. Should she bring a child born of such hate into the world? And should she tell the child about its origins? Or is she instead obliged to tell the truth about the war? "Which is the greater," she wonders, "the right to a father or the right to the truth." Though not overtly political, S. forces us to consider the long-term tragedy of the female victims of the Bosnian War, and is all the more valuable for its inclusion of these gray-area compromises and their painful aftereffects. --John Ponyicsanyi --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
From Publishers Weekly
S. lies in the Karolinska Hospital in Sweden, where she has just given birth to a baby boy. She refuses to nurse him. Maj, in the next bed, is worried and shocked, but she is not aware of the trauma in which the baby was conceived. It is March of 1993, and S. spent the previous summer in a Bosnian prison camp. She cannot guess which of the men who raped her there was the baby's father. As she lies in the hospital bed, S. remembers the summer of 1992, from the day when the soldiers rounded up the occupants of the Muslim village of B., shot the men and herded the shocked, obedient women onto buses. She remembers life in the camp, where she was assigned to help E., the nurse, tend the sick, and the horrible rumors about the "women's room," where women are taken for the Serbian soldiers to rape. Soon it is her turn for the "women's room"; surviving rape and dehumanization, she develops a protective need to forget. But she cannot forget the other women in the room, their struggles, their wounds, their deaths. All she has succeeded in obliterating is her previous life, in which she was a teacher, with parents and a sister who once lived in Sarajevo. They have vanished, and she would have disappeared, too, if she had stayed with them. She has vanished, anyway, into the depersonalized world of the raped, the refugee, the woman without a country. This novel by journalist and novelist Drakulic (The Balkan Express; The Taste of a Man) is a terrifying, graphic story of a country's lost identity, told through the suffering of the nameless inmates of the camp and their attempts to rebuild their lives after liberation. (Feb.)
Copyright 1999 Reed Business Information, Inc. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
From Library Journal
The anger that echoes through this review is the natural reaction of a feminist sensitive to the subject of rape. But how else can any woman react to the barbaric treatment of women during the Balkan civil war? Drakulic once again explores the bigotry of the Balkan mentality (as in Caf? Europa, for instance), here coming unbearably close to the actual truth of the rapes of Bosnian women between 1992 and 1995. The simple story unfolds from the protagonist's perspective: before she can rebuild her life after surviving unthinkable physical abuse in a Serbian concentration camp, S. first has to face its consequence and give birth to an unwanted child. Drakulic delineates the most intimate moments with controlled precision and stops your pulse with sentences like this: "She was in a storehouse of women...where female bodies were stored for the use of men." A fully authentic novel, S. is also an important historical document at times reminiscent of Primo Levi's Survival in Auschwitz (1949). Readers may try to comfort themselves that this kind of savagery happens only far away from home, but that is not true--which is precisely the bitter point. Every paragraph makes you fearfully aware of the unpredictable nature of even the most civilized human conduct. Highly recommended.
---Mirela Roncevic, "Library Journal"
Copyright 1999 Reed Business Information, Inc. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
The New York Times Book Review, Rand Richards Cooper
Drakulic has set out to convey the experience of captivity in conditions of physical and psychological torment so extreme that, as we commonly say, they defy description. The prose she brings to this task is plain and unmetaphoric, and at times the novel achieves a terse factuality, letting the terror speak for itself. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
From Booklist
When Serbian forces overrun her village, a young Muslim schoolteacher, S., is taken prisoner and transported to a death camp for Bosnians. At first unable to believe what is happening, S. slowly adapts to life in the camp, trying to ignore the horrors around her. When, however, she is chosen to live in the "Women's Room," in which the more attractive prisoners are kept for the pleasure of Serbian soldiers, her sanity begins to slip, and she finds that she is increasingly uncertain of her identity. Tortured and repeatedly raped, the young woman is eventually released and sent to a refugee camp, pregnant with a child who constantly reminds her of her time as a prisoner. This deeply moving story of courage and renewal shockingly demonstrates the power of war to dehumanize aggressor and victim alike. Drakulic explores the psychology of captivity, documenting the soul's struggle to remember itself despite the body's degradation. Bonnie Johnston --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
From Kirkus Reviews
Justly acclaimed as a journalist and an essayist, Drakuli chose the novel for her latest tale of the terrors of the breakup of the former Yugoslavia. While the authors reputation in the US is largely based on her reporting (Cafe Europa, 1997, etc.), work typically marked by a certain dry, black humor, her fourth novel (after Holograms of Fear, 1992, etc.) is somber, relentlessly bleak, until its disappointingly predictable life-affirming close, which is regrettably rather flat. S., the title character, is a young schoolteacher living and working in a small Bosnian village when the Serbs overrun it in late May 1992. She and all of the towns women are taken prisoner and removed to a concentration camp, where shes raped repeatedly by Serb soldiers. When the survivors of this nightmarish experience are exchanged for Serb prisoners, S. finds herself pregnant, goes to Sweden, and gives birth to a boy whose father could be any of the many men who brutalized her. The story opens in the hours after the infants delivery, as S. fights against her nurturing instincts toward the child, whom she plans to put up for adoption. This grim account will be familiar to anyone whos been reading the newspapers in the past decade or whos dipped into the copious literature of the Holocaust. Sadly, Drakuli is unable to give voice to S.s plight in a fashion that doesnt continually remind you of other, better works of this sort. S.s narrative, in first- as well as third-person, never rises above the clichs of the genre, and Drakuli is ill-served by a translation that is both banal and clumsy. Its always depressing when a serious book by a gifted author on an important topic is a failure. This one is more painful than most. -- Copyright ©1999, Kirkus Associates, LP. All rights reserved. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
The Nation
...Slavenka Drakulic has given the world a gift, digging into the twisted reality of war...a novel of cataclysmic power.
Iris Chang, bestselling author of The Rape of Nanking
"I shuddered as I read each page of this terrifying, brilliant novel. Slavenka Drakulic forced me to inhabit the soul of S., a Bosnian woman made pregnant by months of gang rape in a Serbian prison camp. Every chapter resonates with truth, horror and remarkably, even -- hope." --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
Los Angeles Times, February 6, 2000
Slavenka Drakulic is the very voice of pain. She is dripping with pain. Her novel "Marble Skin" housed the pain of a girl's sexual competition with her mother. "The Taste of Man" contained all the pain a woman could feel from a man. All her books contain the political pain of being born in Croatia in 1949 and living for the last 50 years in the Balkans. "S." is about the pain of rape in concentration camps created by the Serbs in the early 1990s. It is told in the voice of a woman who in 1992 is taken from her village and placed in a camp. Shortly thereafter, she is chosen with eight others to live in "the woman's room," from which Serb soldiers choose each night whom they will rape. The novel is about what she sees: the 13-year-old girls who are raped, the fathers who are forced to rape their sons, the mothers who kill their newborn infants born from rape. Reading these things is nothing like living through them but conveys some of the same gut reactions: shame for being human, for being safe and warm, for knowing about these things and doing nothing. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
Book Description
Set in 1992, during the height of the Bosnian war, S. reveals one of the most horrifying aspects of any war: the rape and torture of civilian women by occupying forces. S. is the story of a Bosnian woman in exile who has just given birth to an unwanted child-one without a country, a name, a father, or a language. Its birth only reminds her of an even more grueling experience: being repeatedly raped by Serbian soldiers in the women's room of a prison camp. Through a series of flashbacks, S. relives the unspeakable crimes she has endured, and in telling her story-timely, strangely compelling, and ultimately about survival-depicts the darkest side of human nature during wartime.
Language Notes
Text: English (translation)
Original Language: Serbo-Croation --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
About the Author
Slavenka Drakulic is a world renowned journalist and novelist. She contributes to The New York Times, The Nation, The New Republic, and other international newspapers and magazines. She divides her time among Sweden, Austria, and Croatia. --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
Monday, April 14, 2008
Slovenia
という国に初めて来た。
たった二日間の滞在だし、ミーティングばっかりなので、ほとんど何も見れないけど、そこはかとなく好感の持てる国だ。タクシー・ドライバーのちょっとした対応とか、ホテルの従業員の態度とか、レストランのウェートレスの愛想とか、そんな部分で国の印象というのは大幅に変わってしまう。たかがそんな表面的なことで、とも思うが、そもそも好感なんてものはそんなところで左右されるものだし、しょうがない。
Ljubljana(リュブリアナ)という街に泊まっているのだが、とても静かできれいな街だ。建物の概観はコペンハーゲンと共通するものがあるが、道にゴミが散在していない。風のきついコペンハーゲンの街はいつも紙くずが舞っている。日本人の目にはおそろしく汚く見える。久しぶりにゴミくずが舞ってない静かな石畳の街、リュブリアナを見ると、とても新鮮に感じる。
今回の出張中は毎晩レセプションが入っている。毎晩同じようなパーティ料理では飽きてしまう。今晩はレセプションを早めに出て、街の中心部を見に行った。ホテルを出る前に、まさかここに日本料理の店なんてあるかな、と若いホテルマンにきいてみたら、一軒だけある!とうれしそうな答えが返って来た。すぐにお店に電話をして予約を入れて、タクシーを手配をする。そういう動きがすべてテキパキしている。小さいが自分の国が出来た喜び、これからもっと良くしていこうという意欲、そんなものがこの国にはあるように見える。
Sushimama(寿司ママ、と書いてあった)というお店に、たいして期待もせず入った。これが大当たり。最初に出てきたお吸い物がちゃんとした味でまず驚く。次に寿司はネタが豊富でこれにまた驚く。コペンハーゲンは海に囲まれているというのに、どうしてあんなにネタの種類が貧しいのだろうとまた思う。あれだけの経済力があるのだがら、やる気になればどんなネタでも手に入るはずだし、やたらとあちこちに寿司屋があるところを見ればコペンハーゲンの寿司市場は小さくないはずだ。しかし、どこに行っても、マグロ、サーモン、エビ程度のものしかない。勢いというものをまったく感じない国から、こういう若々しい国に来ると、国家の年齢みたいなものを考えてしまう。
スロベニアは今夜が最後だし、次回いつ来るかはまったく分からないので、是非とも本屋をのぞいてみたかったのだが、寿司ママを出ると、もう9時半だった。本屋は開いてないだろうなと思って、石畳の町並みをぶらぶらと歩き始めると、なんと5秒で開いている本屋が見つかった。それほど大きくないが、お店に入った瞬間に、ああここには本好きがいると思った。そういうことを感じる本屋が日本でもめっきり少なくなった。本屋に限らずあらゆるお店が量販店のようになってしまうと店の味がなくなってしまう。
スロベニアの歴史について何か英語で書いたものはないだろうかと聞くと、いかにも知的美人という言葉が似合いそうな黒ブチのメガネをしたおねえさんが、にっこり笑って数冊あるわと言って、さっと立ち上がり、その本の場所まで連れていってくれた。一冊ずつとりあげて、簡単に内容を説明する。素敵だな、この人、メガネの奥の目が意外とセクシーだなんて思いながら聞き流してしまった。説明が終わるとさっと彼女は自分の持ち場に帰っていってしまった。
結局、しばらくその場に立ち尽くし、彼女の紹介してくれた本すべて、それ以外にも数冊とりあげて、中味を比べてみた。全部欲しくなるが、重くなるので三冊だけ選んで買って帰った。
明日はクロアチアに行く。
今日買った本。
The Making of Slovenia, Ljubljana, 2006.
Slovenia 1945 - Memories of Death and Survival After World War II, John Corsellis and Marcus Ferrar, 2005.
S. - A Novel About the Balkans, Slavenka Drakulic, Penguin Books, 2001.
-----------------------
Sun, 13.04.2008: COPENHAGEN - VIENNA OS 302 1050 1235
Sun, 13.04.2008: VIENNA - LJUBLJANA OS 7037 1340 1430
たった二日間の滞在だし、ミーティングばっかりなので、ほとんど何も見れないけど、そこはかとなく好感の持てる国だ。タクシー・ドライバーのちょっとした対応とか、ホテルの従業員の態度とか、レストランのウェートレスの愛想とか、そんな部分で国の印象というのは大幅に変わってしまう。たかがそんな表面的なことで、とも思うが、そもそも好感なんてものはそんなところで左右されるものだし、しょうがない。
Ljubljana(リュブリアナ)という街に泊まっているのだが、とても静かできれいな街だ。建物の概観はコペンハーゲンと共通するものがあるが、道にゴミが散在していない。風のきついコペンハーゲンの街はいつも紙くずが舞っている。日本人の目にはおそろしく汚く見える。久しぶりにゴミくずが舞ってない静かな石畳の街、リュブリアナを見ると、とても新鮮に感じる。
今回の出張中は毎晩レセプションが入っている。毎晩同じようなパーティ料理では飽きてしまう。今晩はレセプションを早めに出て、街の中心部を見に行った。ホテルを出る前に、まさかここに日本料理の店なんてあるかな、と若いホテルマンにきいてみたら、一軒だけある!とうれしそうな答えが返って来た。すぐにお店に電話をして予約を入れて、タクシーを手配をする。そういう動きがすべてテキパキしている。小さいが自分の国が出来た喜び、これからもっと良くしていこうという意欲、そんなものがこの国にはあるように見える。
Sushimama(寿司ママ、と書いてあった)というお店に、たいして期待もせず入った。これが大当たり。最初に出てきたお吸い物がちゃんとした味でまず驚く。次に寿司はネタが豊富でこれにまた驚く。コペンハーゲンは海に囲まれているというのに、どうしてあんなにネタの種類が貧しいのだろうとまた思う。あれだけの経済力があるのだがら、やる気になればどんなネタでも手に入るはずだし、やたらとあちこちに寿司屋があるところを見ればコペンハーゲンの寿司市場は小さくないはずだ。しかし、どこに行っても、マグロ、サーモン、エビ程度のものしかない。勢いというものをまったく感じない国から、こういう若々しい国に来ると、国家の年齢みたいなものを考えてしまう。
スロベニアは今夜が最後だし、次回いつ来るかはまったく分からないので、是非とも本屋をのぞいてみたかったのだが、寿司ママを出ると、もう9時半だった。本屋は開いてないだろうなと思って、石畳の町並みをぶらぶらと歩き始めると、なんと5秒で開いている本屋が見つかった。それほど大きくないが、お店に入った瞬間に、ああここには本好きがいると思った。そういうことを感じる本屋が日本でもめっきり少なくなった。本屋に限らずあらゆるお店が量販店のようになってしまうと店の味がなくなってしまう。
スロベニアの歴史について何か英語で書いたものはないだろうかと聞くと、いかにも知的美人という言葉が似合いそうな黒ブチのメガネをしたおねえさんが、にっこり笑って数冊あるわと言って、さっと立ち上がり、その本の場所まで連れていってくれた。一冊ずつとりあげて、簡単に内容を説明する。素敵だな、この人、メガネの奥の目が意外とセクシーだなんて思いながら聞き流してしまった。説明が終わるとさっと彼女は自分の持ち場に帰っていってしまった。
結局、しばらくその場に立ち尽くし、彼女の紹介してくれた本すべて、それ以外にも数冊とりあげて、中味を比べてみた。全部欲しくなるが、重くなるので三冊だけ選んで買って帰った。
明日はクロアチアに行く。
今日買った本。
The Making of Slovenia, Ljubljana, 2006.
Slovenia 1945 - Memories of Death and Survival After World War II, John Corsellis and Marcus Ferrar, 2005.
S. - A Novel About the Balkans, Slavenka Drakulic, Penguin Books, 2001.
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Sun, 13.04.2008: COPENHAGEN - VIENNA OS 302 1050 1235
Sun, 13.04.2008: VIENNA - LJUBLJANA OS 7037 1340 1430
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