Saturday, January 31, 2009

右手が動かない、

というのは、実に不便だ。

最初に異変を感じたのは、9月末だったか10月最初だったか、もう忘れてしまったが、最後にNYへ出張に行った時だった。
飛行機に乗って、バッグを座席の上の棚に入れようとした時に、「うっ、痛い!」と感じたのを覚えてる。右肩に鮮烈な痛みが走ったのだった。その時に最初に思ったのは、俗に四十肩とか五十肩とか呼ばれる現象だった。しょうがない、老化は防ぎようがない、ほっとくしかない、みたいなことをちらっと思ってそのままになっていた。

11月にキプロスとカブールへの出張が続いた。飛行機に乗って座席の上にバッグを入れるたびに右肩の痛みが増加しているような気がした。しかし、動かさない限りどうってことはないので、それでもほっておいた。

コペンハーゲンに戻った頃は年度末の予算の閉めと、新予算の準備で一年で一番忙しい時期になっていた。猛烈にエクセルを使う作業が増えてくる。ある日、マウスを使ってクリックをするたびに右腕に痛みを感じるようになった。クリックをする指が重い。痛みを避けようとして、あるいはほとんど無意識に姿勢を色々変えて仕事をするようになっていった。マウスのクリックをする作業がたまらなくなると、トラックパッドを使うのだが、それもやがて右腕の痛みを引き起こすことに変わりはなくなってきた。

そして、まったく全身微動だにせずとも、右肩と右腕のいたるところに痛みが定住するようになってきた。もう右半身を動かすどころの話ではなくなってきた。デンマークの病院に行っても実際に医者に会えるのはいつの話になるか分からない。国家の保険が適用されないプライベート・ドクターのネットワークのようなものがあるので、そこに電話をして家まで医者に来てもらった。それが12月の最初だったと思う。デンマーク人なら医者は無料なのだが、職業柄、どうせデンマーク国家の福祉制度の恩恵を受けることはまったくないので、プライベートであろうがなかろうが同じことなのだ。

医者は電話をして1時間ほどしてやってきた。若い金髪の女医さんだ。両肩のいろんな動きを試して、何がどう動かないかを調べている。右肩の関節に問題があるという結論。そ、そんなこと、言われなくても分かってるっつうに。整形外科に行って調べた方がいいと言って、プライベートの整形外科を紹介して、イププロフェンという痛み止めを600mg一日三回飲めと言って帰った。ほんの15分くらいの診察で250ドル払った。

紹介された整形外科に電話をして予約をしたが、案の定医者に実際に会うのは2週間先になった。それまでは、イププロフェンだけに頼るしかない。その日から毎日1800mgを体内に取り込んだわけだが、そのせいかどうか、あるいは単に強情な痛みのせいか、頭がずっとぼやけてる。イブプロフェンの副作用をウェブで調べてみるとこんなことが書いてある。

「低用量(200-400mg)の単発投与および1日1200mgまでの投与では副作用の発生率は低い。しかし、1200mgを超える投与量で長期間投与されている患者の中止率は10-15%である。一般的な副作用は次の通りである:吐き気、消化不良、消化器潰瘍・出血、肝臓酵素増大、下痢、頭痛、ふらつき、塩および体液停留、高血圧。まれな副作用は次の通りである:食道潰瘍、心不全、高カリウム血症、腎臓障害、混迷、気管支痙攣、発疹。」

"混迷"というのが気に入った。どうも副作用として、混迷が始まっているような気がした。そんなことで喜んでいてもしょうがない。その頃には、もう痛みでまともに寝ることもできない。少しうつらうつらしても痛みですぐに目が覚めるのだ。仕事はあと少しやれば、年が越えられるという瀬戸際まで来ていたが、いつも通り土壇場に来てありとあらゆる問題が発生してくる。

12月の一週目が終わる頃だったろうか。痛みが少し和らいでいる瞬間、ある種の諦めのような、決心のような、啓示のようなものがふと沸いてきた。仕事に対するイボのような拘りがポロっと落ちたような気がした。

有給でも無給でも病欠でもなんでもいいから、一ヶ月ほど休む、とNYに連絡した。NYの動きははやかった。すぐに応援体制を整えて、一時的な引継ぎの計画を立てて、数日後にNYから一人飛んできた。またアミールだ。彼はカブールを発ってNYに行ったばかりだったが、即仕事の内容を理解して稼動できるのは彼しかいない。

アミールがコペンハーゲンに来た頃、やっと整形外科に会う日がやって来た。この医者も僕の右肩をいろいろ動かしてみて、その後、超音波検査をして、肩の中の映像を見ている。結局、次はMRIの予約をしたが、もう子供の学校が終わると日本へ帰国することにしていたので、MRI検査日は帰国直前になってしまった。この医者はステロイドの注射を右肩にずぶっとさして終わった。

MRIは人間の身体がちょうど入るくらいのカマボコ型の棺おけみたいなところに入ってするのだが、途中で気分が悪くなるかもしれないと警告された。どうして気分が悪くなるのだろうと思ったが、実際始まってみると、意外にもこんな嫌なものはなかった。たぶん、まったく気がつかなかったが僕にも閉所恐怖症のようなものが少しはあったのだろうと思う。どうしようもない不安のような恐怖のようなものが腹の底の方が上がってきたのはびっくりした。そんなバカなと思う一方で、これは抑えようがない。油汗が手にいっぱい出てくる。頭が狂ってしまうんじゃないだろうかと思い、それも恐怖をまた煽る。中止したければ、このボタンを押してくださいと言われて、小さなボタンを持たされているので、もう押そうかと思うが、せっかくなので、この右肩の痛みの原因をちゃんと追究したいとも思い、なかなか押せない。それよりも、中断することの恥ずかしさも大きい。それに加えて、棺おけの中に全身を固定されているようなこの体勢が右肩の痛みを増幅させて、脂汗がたらたらと垂れてくる。不安と恐怖と恥辱と激痛、これは拷問ではないか、いつか読んだグアンタナモ本の収容者のことを思い出していた。

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日本に帰国して、いつも行く医者に行って右肩がおかしいと訴えたら、すぐにレントゲン写真を撮って見せてくれた。
「あ~石灰が固まって石ができてますね~、ほらっ」。

そのレントゲン写真を見ると、確かにマカデミアナッツくらいの大きさの白い塊が映ってる。なるほど、これが諸悪の根源か。正式名は石灰沈着性腱板炎というらしい。医者はステロイドで溶かすことができるだろうと言う。それなら、ということでその日から1週間に一度ステロイドの注射を肩に打ってもらうことになった。コペンハーゲンではどこにステロイド注射を打ったかときくので、ここだと指で注射を打った場所を示すと、おかしいなあ、そこじゃないんだけどなあ、と首をかしげながら、背中の側から右肩のかなり上の方に注射針を指しこんだ。コペンハーゲンでステロイド注射を打った時は、思わず悲鳴がもれるほど痛かったので、かなり緊張したのだが、今回はほとんど痛みもなく終わってしまった。注射の痛さというのは何で決まるんだろうか。

しかし、どうしてコペンハーゲンでは最初にレントゲンを撮らなかったのだろうか。レントゲンはよくないあるかね。

3回目のステロイド注射の時、またレントゲン写真を撮った。なんと石が大きくなってる。ど、どういうことなんですか。説明していただきたい。医者はおかしいなあ、一回で消えることもあるんだけどなあと言ってる。とりあえず、もう少し様子を見ることになった。痛みはかなり小さくなってきたが、やはり右肩を動かせないことに変わりはない。

5回目のステロイド注射でまたレントゲンを撮った。今度は少し小さくなっているが、医者はその写真を食い入るように見て、インピンジメントになってますねえと言う。なんですか、それは?医者は本を出してきて説明してくれたが、要は石がどこかにひっかかって肩が動かなくなってるということのようだ。もう手術した方が良さそうですね、という。そうだろうな、僕もそう思う、と心の中でつぶやいた。もうウェブでいろいろ見て、手術というオプションについてもいろいろ読んでいたので、最後はこれしかないんだろうなとは思っていた。

手術するのはよいだろう。しかし、その後どうなるんだろうか。どれくらいの期間右肩は使えないのか、リハビリの期間はどれくらいなのか、失敗したら右腕はなくなるのだろうか、などいろいろ考えることが出てくる。医者は日本でしますか、デンマークでしますか、と軽くきくが、手術以後のことを考えるとコペンハーゲンでやった方がよいとも思うし、でも肩専門のうまい整形外科医がデンマークにいるのかどうか、そもそもデンマークで手術の番が回ってくるのは1年先くらいではないのかなどと考え出すと、なかなか簡単に結論がでない。

そもそも気がかりなのはとっくにコペンハーゲンに戻った家族のことだ。それに、いくらなんでも、こんなにいつまでも仕事を休んでいるわけにもいかない。右肩以外はぴんぴんしているので、実に歯がゆい。このまま仕事できないだろうかと、コンピュータをテーブルにおいて、ちょっと仕事するふりをしてみるが、右腕をテーブルに置くという姿勢が10分もするともたなくなってくる。これでは、どもならん。ソファやベッドにすわって、コンピュータをヒザの上に置いてタイプしてみると、これなら右肩をあまり上にあげてないので大丈夫なのだが、そもそもこういう姿勢ではタイプがかなりしにくく、あまり長続きしない。実に面倒くさいことになってしまった。


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第184回 Brown Bag Lunch Seminar 「カブール再考」のご案内
日 時 2009年2月4日(水) 開場12:00 講演 12:30-14:00
場 所 FASID 4階セミナールーム(千代田会館4階)
参加ご希望の方は、2月3日(火)までに、お名前、ご所属先名、電話番号を添えて、bbls@fasid.or.jpまでお申込ください。なお昼食は各自ご持参ください。