JapanMailMedia 031F号から転載。
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■ 特別寄稿 山本芳幸
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No.1 「静かなクーデター」
10月12日
携帯電話が突然通じなくなった、と思ったら、クーデター。待ってたわけではないけど、「とうとう」というか、「やっと」というか、あまり感慨がない。街は軍が制圧してるらしいが、まったく抵抗がないのだろう。とても静かだ。
パキスタン人は大喜びだろう。もちろん悲しんでいる人も中にはいるのだろうけど。
しかし、また外貨口座は凍結になりそうだ。先週解除されたばっかりだったのに。タイミング悪い。手元には3000ドルくらいしかない。家族でとりあえずバ ンコックくらいまで行けるかな。いや、空港閉鎖されてるのか。こういう時に現金が乏しいと不自由感がつのる。プラスチック・マネーは化けの皮がはがれる。 悪化しないことを祈るしかない。
ナワズ・シャリフ首相は、アイデンティ ティを模索する、国民の期待に応えられなかったようだ。危なくなってアメリカに応援を求めて国民の誇りに傷をつけてしまった。小銭で(実に大金なのだが) 右往左往する首相は、ショップ・キーパー(ガキの使い)と蔑まされ、パキスタン人の自画像に一致しなかったのだろう。
インドに一発かます、アメリカに肘鉄食らわす、そういうリーダーを国民は求めている。その点、インドも同様だ。インドでは強烈な指導者であるヴァジパイ首相がまたもや今回の選挙で地位を強固にした。
問題はその後だ。国民の誇りを守った後に、どうやって国民の飯を確保するか。
この順序を逆にしない「援助」は可能かを考える。日本だけがそれをできる立場にあると思うけれど、現実はほど遠い。惜しいことだ。
(午後9時頃)
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と書いて送信しようと思ったら、電話が不通になっていた。携帯電話だけ止めてもしょうがないことに、軍も気がついたか。とりあえず、クーデターのマニュアル通り、コミュニケーション手段は制圧したらしい。
いよいよ雲行きが怪しくなってきたのかもしれない。明朝9時からの会議はあるだろうか、なんて日常的なことを考えている自分に笑ってしまう。あるわけない だろ。今頃、セキュリティ担当はすべての連絡手段が絶たれて、大慌てのはずだ。全職員に無線機が配備されているはずだけど、それはマニュアルだけで実際に は誰も持っていない。担当者は責任問題を予想して(職員の危険ではなく)真っ青だろうな。
とりあえず、今何をすればよいだろうか。水と食糧はかなりある。1週間くらいの篭城ならもつだろう。移動となると荷物をまとめる必要があるか。しかし、あ まりやる気にならない。いつもやってるからすぐにできるだろう、という怠け心に負ける。あるいは、もっと危機感が必要なのか。しかし、車にガソリンがあま り入ってないことに気がついた。一人で出ようとしたが、妻もいっしょに行くというので、二人でクーデターの街に出てみた。
ほんとに静かだ。人が歩いていない。車もほとんど走っていない。いつもこんなに静かなら良いのにと思う。ガソリンスタンドも閉まっているかと思ったが、開いていた。
満タンにして戻ってきた。 まだ、電話は不通。
BBCとCNNもネタ切れで同じことばかり繰り返している。新鮮な情報が入らなくなると息苦しくなるもんなんだな。
とここまで書いたら、なんと電話がかかってきた。もう回復させたらしい。どうも平穏に終わりそうな気配。BBCとCNNはムシャラフの会見を生中継すると 言ってる。クーデターを阻止するような動きはまったく伝えられていない。まるでクーデターが政権を交代させる正当な手続きみたいだ。
(0時10分)
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10月13日
その後、僕はずるずると午前4時くらいまで起きていた。とりあえずムシャラフ陸軍参謀長の会見を聞いてみたいと思っていたのだが、それよりも何か重大なことを忘れているような気分で寝る気になれなかったからだ。
ムシャラフの会見は短いものだった。しかし、メッセージは非常にはっきりしており、おそらくパキスタン国民の多くが納得するだろうと思った。クーデター発 生直後に、「パキスタン人は大喜びだろう」と僕は感じたが、ムシャラフのスピーチは、そのようなパキスタン人を代弁するようにできていた。
それにしても、ナワズ・シャリフ首相はせこいことをしたもんだ。気に入らない奴(ムシャラフ)を外国出張中にクビにしたりしたら、一国の指導者としての威信に傷をつけると思わなかったのだろうか。
しかも、帰国するムシャラフの載っている民間航空機をパキスタン国内に着陸することを阻止しようとしたという。幼稚であるだけでなく、政治のために一般乗客の生命を危険に陥れたのだから、彼のやったことは犯罪でもある。
朝刊は一面クーデターに関する記事で埋まっていた。
「アメリカ大使館と国連オフィスは閉鎖」という小さな記事を発見した。やっぱり9時からの会議はないのかと思いながらも一応事務所に電話してみた。新聞 記事は疑うべし。やはり通常通り開いているのだが、新聞の誤報で混乱してまだ、誰も来ていないということだった。なんだか、のんびりした空気が伝わってき た。
実に静かなクーデターだ。クーデターが静かというのは、妙な話である。
それは、転覆される国家が抱える問題が底無しに深かったということだ。国家は法によってある秩序と構造を維持している。問題があれば、その法秩序の定める手続きにしたがって解決することになっている。
首相が気に入らないなら、手続きに従ってクビをすげ替えればよいのだ。
この法秩序というのは、一つの小さなコスモスといってもよいだろう。
その小コスモスの中でいろんなゲームが行われるのだ。クーデターというのは、このコスモスの外からやって来る。コスモス内の一切のルールを無視して、コ スモスの変革を迫る。クーデターのクー(coup)は一撃という意味だ。クーデターは、法秩序としての国家に対する一撃という意味だ。
従って、コスモス内でどのような激しいゲームを行っていようと、(例えば、CTBTをめぐって、カシミール問題をめぐって、アフガン政策をめぐって、イス ラム原理主義をめぐって、テロリストをめぐって、宗派間抗争をめぐって等々)コスモス自体の破壊者が現れたら、プレーヤー達は一致団結して戦うべきなの だ。プレイグラウンド自体が消滅するかもしれないのだから。「軍がconstitutional limit を越えないことを望む」というアメリカの声明も、「constitutional order を尊重することを望む」というドイツ、フランス、イランの声明も同じ意味である。
コスモスの法秩序と構造を定めているのがconstitution だ。
つまり、コスモス自体を破壊するな、と言ってるのだ。
とすると、静かなクーデターとは何なのだろうか。今日の新聞が載せている財界、政党、宗教団体などの談話は一様に、このクーデターの責任はナワズ・シャリ フ自身にあると言っている。もちろん、クーデターという事態は悲しむべきだが、という留保をつけて。街には何事もなかったかのように、普通の日常が続いて いる。
守るべきコスモス内のルール、法秩序、つまり国家が正当に持つべき 制度、それに対する期待が国民の中にはもうなかったのだ。パキスタン人はそれらがウソだと諦めていた。クーデターに対する抵抗が一切見られなかったのは、 破壊から守るべきもの、それを国民は誰も見出さなかったということだ。今のところ、パキスタン国民は、Let it go 的な態度で一貫している。
「制度とリアリティが究極まで乖離した国家では、クーデターがいとも静かに達成される。」
これは日本人も覚えておいた方がよいかもしれない。
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山本芳幸
・UN Coordinator's Office for Afghanistan
(国連アフガニスタン調整官事務所)
・Programme Manager
(プログラム・マネージャー)
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山本芳幸氏は友人です。文藝春秋に連載中の『希望の国のエクソダス』のパキ スタン北西辺境州の取材の際にもお世話になりました。氏のレポートは
龍声感冒 http://www.ryu-disease.com/jp/kabul/でもご覧になれます。
パキスタンのクーデターだけではなく、イスラム世界の現状について、山本氏 のレポートを不定期連載します。わたしのとのメール交換の形になるかも知れ ません。
村上龍
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