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『 カブール・ノート II 』
< hard revenge - no. 2 >
●山本芳幸
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Dear everyone,
Sorry for my long silence.
I came back in Kabul on 18 Nov. and lost contact with the outside world to a large extent. There have been too much to do here in Kabul in order for us to be fully functional. My Afghan colleagues and I have made all the efforts to recover the communication system first at the full speed. Now we have got the satellite-connected wireless LAN in the office, and the back-up direct connections with satellite, and a radio-e-mail system. It's a big relief. This feeling is somehow similar to breathing.
Please do NOT send any mail to my addresses, particularly HTML mails, images, attachments and any other big mails !!!
It is technically possible to download mails from commercial ISPs through the satellite, but since the assistance agencies here in Kabul are working in a very fragile and tight communication environment, we have to refrain from adding extra-burdens on the satellite network. Already hundreds of journalists have come in Kabul and keep on using the satellite phones ruthlessly, and thus our critically important communication system (, which is the almost sole life-line for us) is badly disturbed. Apparently the satellite phone network cannot cope with hundreds of phones at one small location.
Knowing there are over two hundred mails in my mailbox at the moment, I cannot download them, and therefore I cannot reply. I'm sorry for the inconvenience, but I want to try to reduce the traffic. If the situation improves, I will let you all know.
Kabul is quiet. The night is dark because most of shops and restaurants are closed, and no one is walking at night. Afghan people are not so naive as the international media describes. Every Afghan knows peace would not be falling down miraculously from heaven with bombs. Anybody who has a little brain can see still a long way to go until ordinary Afghans can feel secure. Afghans' prudent patience is a striking contrast to the international media's stupidity.
Kabul is surrounded by different forces, who do never compromise each other. Media people talk about "happiness of Afghans" cheerfully like fools as if they cannot see the fact that there is no way-out from Kabul. It's just stand-off, which can collapse anytime. I don't care, though. As long as we can stay here, we just try to do anything we can for dying people. I don't know what else we can think about.
It's not a few in Afghanistan that are irritated with the paralyzing UN bureaucracy. Perhaps for the people crawling for food, UN seems to be just playing with words, paper and meetings, and the fact remains that people are dying day by day. No wonder I hear some whispering that it is a crime. If I fail to reach out those people, I cannot or should not even try to justify myself being alive in an assistance agency. Then I'm quite sure that I would not be able to fool myself any more.
It is a historical moment now in the sense that, at such high frequency, all kinds of crimes like massacre, looting, etc., are happening in Afghanistan, and the international community is happy about "the progress report" or just close the eyes conveniently. What a laughable notion "civilization" is ! I see "hope" rather only in Afghans than in the international community, which is also laughable notion, by the way.
I'm fine, or much finer now than I was in Japan.
I will continue to live a funny life in Kabul. Let us hope to get something done for Afghans !
Yoshiyuki Yamamoto
in Kabul
29 November 2001
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<i-NEXUS 編集部による非公式訳>
皆さん、ご無沙汰しています。11月18日にカブールに戻って以来、すっかり外の世界との接触がなくなってしまっていた。本来の仕事をする前に、やるべきことが膨大にあって、アフガン人の同僚と僕はとにかくまず通信システムを回復させることに全ての力を注いでいたけれど、やっとオフィスに通信衛星を使ったワ イヤレスのLANと衛星との”back-up direct Connections”と無線Eメール・システムが整った。とにかくほっとした。やっと息ができるようになったような感じ。
でもしばらくは、僕のメールアドレスにメール送らないでください。特にHTMLメールや画像などを添付した容量の大きいメールはくれぐれも送らないように!
衛星を通して民間のISPからメールをダウンロードすることも技術的には可能だけれど、カブールの回線は非常に不安定で、かつ飽和状態なため、衛星回線に余 計な負担をかけないようにしなきゃいけない。既に何百人ものジャーナリストがカブールに来ていて、衛星電話をがんがん使いまくっているから、僕らにとって 決定的に重要なコミュニケーションシステム(ほとんど唯一のライフラインといってもいい)がぐじゃぐじゃになっている。衛星電話回線がこんな小さな地域で 何百もの電話を処理できるはずがない。
200通以上のメールがサーバーに溜まっているみたいだけど、今はそれをダウンロードできないし、返事も出せない状況。申し訳ないけど、とにかく僕はこの混乱状況を少しでも緩和したい。改善したら、知らせます。
カブールはとても静かだ。ほとんど店もレストランも閉まっているため、夜になると真っ暗で、誰も外を歩いていない。アフガン人はメディアが言うほどアホ じゃない。爆弾と一緒に天国から奇跡みたいに平和が降ってくるなんて思っちゃいない。ちょっとでも脳ミソがある奴なら誰でも、一般市民が安心できる状態に なるまで、まだ長い時間がかかることを知っている。アフガン人の慎重な忍耐力と国際メディアの軽率さは極めて対象的だと思う。
カブールは今、お互いに永遠に理解しあえないさまざまな勢力に囲まれている。ジャーナリストは、彼らがカブールからもう逃げ場がないからいるだけという事実 にまるで気づかずに、アホみたいに“アフガン人の和平”について楽しそうに語っている。彼らはただ攻撃を避けているだけであって、それがいつまでもつかわ からない。まあメディアなんてどうでもいいけど。とにかく僕はここにいられる限り、死んでいく人たちのためにできることを何でもやる。そのこと以外他に何 が考えられる?
アフガニスタンでは国連の機能不全に苛立っている人が少なく ない。飢えている人にとって、国連は言葉と紙と会議で遊んでいるようにしか見えず、事実毎日毎日人々は死んでいく。これは一つの犯罪だと言う人がいてもお かしくない。窮地に追い込まれた人たちのもとへ確実に近づいてやることができなければ、僕は援助機関で生きていくことを自分に許せないし、許すべきじゃないと思っている。
今は歴史的な瞬間といえるかもしれない。こんなに頻繁に大 虐殺や略奪のような犯罪的行為がアフガニスタンに起きているのに、国際社会は”復興レポート“で一喜一憂し、都合のいい所にだけ目を向ける。文明?まった くばかばかしい。僕は国際社会よりもむしろアフガニスタンにこそ”希望“があると思う。もっともこの考えもばかばかしいと言われるかもしれないけれど。
とにかく僕は元気にやっています。日本に居る時よりもずっとまし。
カブールでヘンテコな人生を続けます。アフガン人に何かできるという希望をもって!
山本芳幸
11月29日 カブールにて
(注:日本語訳は他にもJMM編集部によるものがあります。)
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本文で表明されている見解はすべて筆者個人のものであり、筆者の所属する組織の見解とは一切関係ありません。
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Thursday, November 29, 2001
Saturday, November 17, 2001
カブール・ノート II < hard revenge - no. 1 >
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『 カブール・ノート II』
< hard revenge - no. 1 >
●山本芳幸
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11月17日土曜日、妻がマーボー豆腐を作るというので、午後3時半、とうふを中国人の家に買いに行く。
中国人の家に向かって運転していたら、3時45分、携帯に電話がかかってくる。
オフィスの無線室からだった。
明日の朝8時に国連人道調整官事務所のフライト・オペレーション部に行くこと、その15分前に車が迎えに行く、という簡単なメッセージ。
やっとカブールへ戻れる。明日ラフマットの席は取れないらしく、彼は一日遅れで続くことになった。
カブール空港が使えないらしく、バグラム空港へ国連機は飛ぶ。
テレビでは、イギリス兵がバグラム空港を整備中、数週間はかかる、と言っている。
明日行くのに、と思う。
国連のプレゼンスをカブールで確保するべきだという国際社会からのプレッシャーが大きいそうだ。
カブール陥落後、48時間以内にカブールに戻るべく、国連の人たちは走り回っていた。
メディアは「権力の空白」という言葉を頻繁に使って、現在のカブールを描写している。
アナーキーな状態へ戻ったり、北部同盟どうしの内乱状態が発生したりする前に、 カブールへ国連人道援助機関が戻って、そういう事態の発生を抑止することが狙いだとか。
すでに北部同盟支配地域での略奪、処刑、北部同盟内での分裂を報告するメディア。アフガン女性の人権を訴えてきたRAWAは早くも北部同盟批判の声明を出している。マザリ・シャリフは三派に分割され互いに小競り合いを続けている。
保険が異様に高くなり、国連機一つ飛ばすのに5万ドルだとか。ほんの10名前後しか乗れない小さな飛行機なので、一人分の負担が大きい。
保険手続きが遅れ、最初に飛ぶはずのセキュリティ調査機の出発が遅れていた。やっと今朝それが飛んだ。
セキュリティ担当官はバグラム空港からカブール市内への30キロほどの道の安全を確認してカブールから電話をすることになっていた。
その確認がとれて、今日の午後、各国連機関のトップを載せた機がカブールに飛んだ。これには象徴的な意味が持たせられているのだろう。国際社会が見ていますから、もう悪いことはできませんよ・・・。
いよいよ明日は各機関の実働部隊がカブールに出発する。
* * *
イスラマバードへ戻った翌週、ペシャワルに行ってカブールで仕事をしていたアフガンNGOの代表たち32人に会った。
ペシャワルからカブールへ物資を陸路で輸送することは可能、治安は安定している、タリバンは協力的、早く国連は動くべきだ、等々、彼らは熱く語った。
なんだ、ペシャワルからなんとかできそうではないか、どうして今まで・・・という疑問が沸き起こる。でも、そんなこと言っていてもしょうがない。
タジキスタンへ行くよりも、ペシャワルから打開の道を探した方が早いとUNHCRの代表に説明した。じゃあ誰がタジキスタンに行くんだという話になってし まった。人が足りない。タジキスタンをよく知っている人はオフィスに誰もいないから、誰がいっても同じだ。カブールを含む中央部も誰かが担当しないといけ ない。それなら、カブール周辺をよく知っている人間をタジキスタンに送るのは損失だということになる。結局、僕はペシャワルへ移動して、そこからカブール を含む中央部へのクロス・ボーダー・オペレーションの準備をすることになった。ジュネーブから応援に来た人がタジキスタンに行った。
ところが、カブールが陥落し、また状況が変わってしまった。今度は一刻も早くカブールへ行かなければならない。ペシャワルにベースを作る作業は中途半端なま まだけど、それは一時中断せざるを得ない。カブールの話しか書いていないが、アフガニスタン全土で毎日、状況が変わっているので、あちらこちらで立てる予 定が次から次に反故になっていく。
* * *
次々にタリバン支配下の街が陥落していく。で、タリバンはどこへ行ったのか、という報道はあまり見ない。山にこもって戦闘を続けるというような話で納得しているのだろうか。
タリバンが去った後、タリバンもいない、北部同盟もいない地域がたくさんある。これも「権力の空白」と表現していいのだろうか。
アフガニスタンから衛星電話をかけてくるスタッフの話はちょっと違う。それぞれの村には長老たちがおり、そのまた上の階層の村々を束ねた区域にも長老たち がいる。そういう伝統的な権力構造は崩れずに残っていた。それが今、機能しているということだ。彼らは自警団を作り、自分達の郷土を略奪や強姦や虐殺やか ら守り、アナーキーな状態にならないように必死に防衛しているそうだ。彼らにとっては、政権を取るのがタリバンであろうがラバニ派であろうがドストム派で あろうがハリリ派であろうがそんなことは今の段階では関係ないことだ。とにかくもう一度アフガニスタン全体に秩序が取り戻されるまで自衛しないといけな い。なんか痛々しい感じをもってしまう。ほんとにアフガン人、打たれても撃たれても討たれても頑張ってるなあとしか言いようがない。
で、 タリバンはどうしてるんだろうと僕も思った。それを聞いた同僚のアフガン人二人がケラケラと笑った。今日からタリバンじゃないと言えば、また村人に戻るだ けさ、元々田舎の村から来たんだから、と言う。そりゃ、そうだ。故郷の村に帰れば、タリバンかどうかなんて分からなくなるし、そんなことはどこそこの村の 何々家出身ほどの意味もはないのだろう。タリバンは砂のように消えてしまった。
外国からタリバンの戦闘に参加していた人はそうは行かないだろう。アラブ人やパキスタン人やチェチェン人はどこまでも追い詰められる。彼らは発見されしだい殺されているそうだ。こういう状況はいつか明らかにされるだろうか。
* * *
タリバンにスパイ容疑で捕まっていた日本人のカメラマンが今日解放された。日本の自衛隊が攻撃してくると聞いたので、彼はそのためのスパイだと思ったとタリバンの大使が言っていた。思わず、吹き出しそうになったが、そんな見方さえ出てくるのは不気味な話だ。
ある会議でアフガニスタンで緊急に必要な援助物資について議論していた時、アフガンNGOの人が、USAのマークの入った物資はダメだと言った。ちょっと質 問の趣旨とは違うのだけど、じゃあ日本のマークはどうだと訊けば、まだ大丈夫だと言う。まだって?と再度訊くと、彼はニタニタして何も言わなかった。
先週の金曜日はイクバルというイスラム詩人の誕生日だか亡くなった日だかで大事な日だったらしい。ジャミアテ・イスラミという原理主義政党が全国的な反米デ モを呼びかけ、ペシャワルにいた僕はイスラマバードへ戻る予定を変更して嵐が通り過ぎるのを待っていた。その間、アフガンNGOの人たちが国境近くの部族 支配地域のある部族長の家に連れて行ってくれた。昼食時に大量のカバブが出てきた。その中に羊の目玉が山盛りになっていた、と僕は思ったのだが、これはシ ンワーリー・カバブというものだと説明してくれた。シンワーリーというのはパシュトゥーン族の一つでパキスタン・アフガニスタン国境地域を支配している強 力な部族だ。
シンワーリー・カバブは羊の油身を直径2センチくらいの固まりに切って、その中に羊の臓物を詰めてある。だから、油が白目、臓物が黒目に見える。食べてみると熱く溶けた油がよい味になって臓物にからまりおいしかった。
部族長は武器と麻薬を売っていた。大麻は10グラム1ドルで売ってるそうだ。ヨーロッパ人の若者がよく来ると言っていた。 壁にはカラシニコフ銃が二本かかっていた。アメリカ人が来たらこれで撃つんだと言ってニコニコしていた。72発連発で撃てるマガジンを自慢気に見せてくれ た。ここではいろんなマガジンを製造しているということだった。そんな話をしながら、カバブをむさぼっているとつけっ放しのテレビから日本の自衛隊がとう とう出動しましたみたいなニュースを流し始めた。自衛隊のイージス艦とやらが画面に映っている。僕をそこへ連れてきたアフガンNGOの人達はニュースが聞 こえないふりをしている。気まずい沈黙になった。同僚のアフガン人は僕をちらっと見てニタっと笑った。部族長がジロッと僕の方を見て、やっと口を開いた。 これを見ろ、と首をふってテレビの方を指す。うわっ、いかん、カラシニコフで撃たれたらどうしよう、もう思いっきりアホになったふりをしてごまかすしかない、と思っていたところへ、部族長は、海で何するんだ?アフガン人は陸にいる、と言った。ほっとした。アホなふりをするまでもなく、アホだと思われている のかもしれない。
* * *
カブールへ行くと当分メールは使えなくなる。当初の企画が早くも挫折してしまった。また、戻ってきたら、何か発信できるでしょう。
(2001年11月17日 イスラマバード)
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本文で表明されている見解はすべて筆者個人のものであり、筆者の所属する組織の見解とは一切関係ありません。
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『 カブール・ノート II』
< hard revenge - no. 1 >
●山本芳幸
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11月17日土曜日、妻がマーボー豆腐を作るというので、午後3時半、とうふを中国人の家に買いに行く。
中国人の家に向かって運転していたら、3時45分、携帯に電話がかかってくる。
オフィスの無線室からだった。
明日の朝8時に国連人道調整官事務所のフライト・オペレーション部に行くこと、その15分前に車が迎えに行く、という簡単なメッセージ。
やっとカブールへ戻れる。明日ラフマットの席は取れないらしく、彼は一日遅れで続くことになった。
カブール空港が使えないらしく、バグラム空港へ国連機は飛ぶ。
テレビでは、イギリス兵がバグラム空港を整備中、数週間はかかる、と言っている。
明日行くのに、と思う。
国連のプレゼンスをカブールで確保するべきだという国際社会からのプレッシャーが大きいそうだ。
カブール陥落後、48時間以内にカブールに戻るべく、国連の人たちは走り回っていた。
メディアは「権力の空白」という言葉を頻繁に使って、現在のカブールを描写している。
アナーキーな状態へ戻ったり、北部同盟どうしの内乱状態が発生したりする前に、 カブールへ国連人道援助機関が戻って、そういう事態の発生を抑止することが狙いだとか。
すでに北部同盟支配地域での略奪、処刑、北部同盟内での分裂を報告するメディア。アフガン女性の人権を訴えてきたRAWAは早くも北部同盟批判の声明を出している。マザリ・シャリフは三派に分割され互いに小競り合いを続けている。
保険が異様に高くなり、国連機一つ飛ばすのに5万ドルだとか。ほんの10名前後しか乗れない小さな飛行機なので、一人分の負担が大きい。
保険手続きが遅れ、最初に飛ぶはずのセキュリティ調査機の出発が遅れていた。やっと今朝それが飛んだ。
セキュリティ担当官はバグラム空港からカブール市内への30キロほどの道の安全を確認してカブールから電話をすることになっていた。
その確認がとれて、今日の午後、各国連機関のトップを載せた機がカブールに飛んだ。これには象徴的な意味が持たせられているのだろう。国際社会が見ていますから、もう悪いことはできませんよ・・・。
いよいよ明日は各機関の実働部隊がカブールに出発する。
* * *
イスラマバードへ戻った翌週、ペシャワルに行ってカブールで仕事をしていたアフガンNGOの代表たち32人に会った。
ペシャワルからカブールへ物資を陸路で輸送することは可能、治安は安定している、タリバンは協力的、早く国連は動くべきだ、等々、彼らは熱く語った。
なんだ、ペシャワルからなんとかできそうではないか、どうして今まで・・・という疑問が沸き起こる。でも、そんなこと言っていてもしょうがない。
タジキスタンへ行くよりも、ペシャワルから打開の道を探した方が早いとUNHCRの代表に説明した。じゃあ誰がタジキスタンに行くんだという話になってし まった。人が足りない。タジキスタンをよく知っている人はオフィスに誰もいないから、誰がいっても同じだ。カブールを含む中央部も誰かが担当しないといけ ない。それなら、カブール周辺をよく知っている人間をタジキスタンに送るのは損失だということになる。結局、僕はペシャワルへ移動して、そこからカブール を含む中央部へのクロス・ボーダー・オペレーションの準備をすることになった。ジュネーブから応援に来た人がタジキスタンに行った。
ところが、カブールが陥落し、また状況が変わってしまった。今度は一刻も早くカブールへ行かなければならない。ペシャワルにベースを作る作業は中途半端なま まだけど、それは一時中断せざるを得ない。カブールの話しか書いていないが、アフガニスタン全土で毎日、状況が変わっているので、あちらこちらで立てる予 定が次から次に反故になっていく。
* * *
次々にタリバン支配下の街が陥落していく。で、タリバンはどこへ行ったのか、という報道はあまり見ない。山にこもって戦闘を続けるというような話で納得しているのだろうか。
タリバンが去った後、タリバンもいない、北部同盟もいない地域がたくさんある。これも「権力の空白」と表現していいのだろうか。
アフガニスタンから衛星電話をかけてくるスタッフの話はちょっと違う。それぞれの村には長老たちがおり、そのまた上の階層の村々を束ねた区域にも長老たち がいる。そういう伝統的な権力構造は崩れずに残っていた。それが今、機能しているということだ。彼らは自警団を作り、自分達の郷土を略奪や強姦や虐殺やか ら守り、アナーキーな状態にならないように必死に防衛しているそうだ。彼らにとっては、政権を取るのがタリバンであろうがラバニ派であろうがドストム派で あろうがハリリ派であろうがそんなことは今の段階では関係ないことだ。とにかくもう一度アフガニスタン全体に秩序が取り戻されるまで自衛しないといけな い。なんか痛々しい感じをもってしまう。ほんとにアフガン人、打たれても撃たれても討たれても頑張ってるなあとしか言いようがない。
で、 タリバンはどうしてるんだろうと僕も思った。それを聞いた同僚のアフガン人二人がケラケラと笑った。今日からタリバンじゃないと言えば、また村人に戻るだ けさ、元々田舎の村から来たんだから、と言う。そりゃ、そうだ。故郷の村に帰れば、タリバンかどうかなんて分からなくなるし、そんなことはどこそこの村の 何々家出身ほどの意味もはないのだろう。タリバンは砂のように消えてしまった。
外国からタリバンの戦闘に参加していた人はそうは行かないだろう。アラブ人やパキスタン人やチェチェン人はどこまでも追い詰められる。彼らは発見されしだい殺されているそうだ。こういう状況はいつか明らかにされるだろうか。
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タリバンにスパイ容疑で捕まっていた日本人のカメラマンが今日解放された。日本の自衛隊が攻撃してくると聞いたので、彼はそのためのスパイだと思ったとタリバンの大使が言っていた。思わず、吹き出しそうになったが、そんな見方さえ出てくるのは不気味な話だ。
ある会議でアフガニスタンで緊急に必要な援助物資について議論していた時、アフガンNGOの人が、USAのマークの入った物資はダメだと言った。ちょっと質 問の趣旨とは違うのだけど、じゃあ日本のマークはどうだと訊けば、まだ大丈夫だと言う。まだって?と再度訊くと、彼はニタニタして何も言わなかった。
先週の金曜日はイクバルというイスラム詩人の誕生日だか亡くなった日だかで大事な日だったらしい。ジャミアテ・イスラミという原理主義政党が全国的な反米デ モを呼びかけ、ペシャワルにいた僕はイスラマバードへ戻る予定を変更して嵐が通り過ぎるのを待っていた。その間、アフガンNGOの人たちが国境近くの部族 支配地域のある部族長の家に連れて行ってくれた。昼食時に大量のカバブが出てきた。その中に羊の目玉が山盛りになっていた、と僕は思ったのだが、これはシ ンワーリー・カバブというものだと説明してくれた。シンワーリーというのはパシュトゥーン族の一つでパキスタン・アフガニスタン国境地域を支配している強 力な部族だ。
シンワーリー・カバブは羊の油身を直径2センチくらいの固まりに切って、その中に羊の臓物を詰めてある。だから、油が白目、臓物が黒目に見える。食べてみると熱く溶けた油がよい味になって臓物にからまりおいしかった。
部族長は武器と麻薬を売っていた。大麻は10グラム1ドルで売ってるそうだ。ヨーロッパ人の若者がよく来ると言っていた。 壁にはカラシニコフ銃が二本かかっていた。アメリカ人が来たらこれで撃つんだと言ってニコニコしていた。72発連発で撃てるマガジンを自慢気に見せてくれ た。ここではいろんなマガジンを製造しているということだった。そんな話をしながら、カバブをむさぼっているとつけっ放しのテレビから日本の自衛隊がとう とう出動しましたみたいなニュースを流し始めた。自衛隊のイージス艦とやらが画面に映っている。僕をそこへ連れてきたアフガンNGOの人達はニュースが聞 こえないふりをしている。気まずい沈黙になった。同僚のアフガン人は僕をちらっと見てニタっと笑った。部族長がジロッと僕の方を見て、やっと口を開いた。 これを見ろ、と首をふってテレビの方を指す。うわっ、いかん、カラシニコフで撃たれたらどうしよう、もう思いっきりアホになったふりをしてごまかすしかない、と思っていたところへ、部族長は、海で何するんだ?アフガン人は陸にいる、と言った。ほっとした。アホなふりをするまでもなく、アホだと思われている のかもしれない。
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カブールへ行くと当分メールは使えなくなる。当初の企画が早くも挫折してしまった。また、戻ってきたら、何か発信できるでしょう。
(2001年11月17日 イスラマバード)
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