Saturday, July 26, 2008

日本の映画もたまには

明日は休み、家族はいない、仕事はしないようにしようと決めていたので、夜中にテレビを見ていたら、日本の映画が出てきた。日本のテレビと同じでこっちの映画はデンマーク語に吹き替えして放映していることが多いのだけど、しばらく見ていたら字幕はデンマーク語で日本語のまま続いている。

やたら中学生が人を殺しまくる。キタノタケシが演じる登場人物の台詞のあちらこちらに日本人しから分からないような日本社会のパロディが現れている。ストーリーがあまりに荒唐無稽なので、よくこんなものを映画にしたなと思うが、解釈のしようによっては、めちゃくちゃな設定の中に日本を表現しようとしているのかもしれないとも思う。

徹底的にある一つの固有の国の映画だと思う。この映画は日本人でないといいも悪いも評価のしようもないのではないだろうか。それが悪いというわけではなく、日本という文脈を思い出す機会になった。ゲイシャもフジヤマも関係なく、日本人には、あー日本だなと分かるが、日本の外では説明するのが異様に難しいか不可能なものがある。

アメリカ映画やインド映画でもアメリカ人やインド人のみがしみじみと理解できる映画と、最初から国境を越えたaudience を想定している映画に分かれていると思う。前者の映画は日本人の僕にはとうてい理解できないものだろう。

それにしても、この映画のタイトルはなんていうのか気になったので最後まで見た。やっと最後に「バトル・ロワイアル」と出てきた。はっ!これが「バトル・ロワイアル」か、とちょっと驚いた。見たことはないが、この映画にはちょっとだけ縁があった。評判が良かったのか、ただ単に評判になっただけなのか全然知らないが、「バトル・ロワイアルII」の最後のシーンにカブール・ノートの一節を使わせて欲しいという依頼が来たことがあった。2002年か2003年だっと思う。猛烈に忙しかった上に、知らない人から毎日山ほどメールが来ていた頃だ。たぶん5%も返信できなかっただろうと思う。映画の内容も知らずにOKと返事したのは覚えてる。出来上がったらビデオくらい送ってくるかと思っていたら何も送ってこなかった。やがて、そのまま忘れてしまったのだった。

どういう映画に使われたのかが今になってやっと分かった。ウェブを見てみると、オリジナルは良かったがII は駄作という意見が多い。深作欣二監督が途中で亡くなられ、息子の深作健太が監督代行になったことを原因にあげている意見もあるが、そういうのは僕には判断のしようがない。たたし、一作目を見ただけで言うなら、「カブール・ノート」はたとえどこを切っても絶対に「バトル・ロワイアル」には合わないはずだ。バトル・ロワイアルの良さはそこにある。しかし、そういう無理な組合せをするところに監督の途中交代による映画作りの混乱が出てしまったのかもしれない。

でも、いつか機会があればII を見てみようと思った。

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