Saturday, March 07, 2009

自由か安定か

これは圧勝だったのだ、と思う。むしろ唖然とするというか。いや、しつこくLinuxの話ですが。
ほとんど何もわけが分からないまま、ちょろちょろと触っているだけで、その世界の広さが少しずつ見えてくると、WとかMの世界がなんとせせこましかったのかと思う。Linuxには巨大な自由がある。Free で、Openというのは、我々の住む世界の念仏と違って、文字通りLinuxではほんとの話だった。

しかし、これがなんというか、とても悩ましい現実を生んでいると思う。僕はLinuxが世界中に革命的に普及すればよいのにと願ってやまないけれど、人間は果たしてそんなに自由を望むだろうか。自由はつらいものでもある。自分で考えたり、決断したりしないといけない。自由からの逃避は、自由な社会が多数の人間にとっても現実のものとなり始めた20世紀の特質ではなかったか。もうすでに自由まみれで困っている、コンピュータごときで頭を使いたくないと思ってもおかしくない。テレビのように買った時にほとんど何もかも仕組まれていて、自由の範囲は電源とチャンネルと音量くらいで十分ではないだろうか。そうすると、WとかMは非常にいいさじ加減の拘束を与えてくれているのかもしれない。

単にマーケティングの問題だけではなく、自由を選択する人が多いのか、自由からの逃避を選択する人が多いのか、それがLinuxの普及に反映するような気がする。

* * *

ところで、今日Plasma Workspace という、ディスプレイの見栄えを管理するらしいアプリケーションがクラッシュしてしまった。画面が真っ暗になってしまって、にっちもさっちもいかない。強引に電源を落として、起動し直してみると、どうやら画面が見えない以外のことはすべてちゃんと動いているようだ。暗い画面の裏に光も見えるし、音もなるし、インターネットにまで繋がっている。しかし、どうやって直したらいいのか。Ubuntuのコミュニティに質問を送ってみたが、回答してくれた人の内容も僕にはいまいち理解できない。しょうがないから、Linuxのコマンドについて書いてあるサイトをぼちぼちと読み始めた。

しかし、直るまでこのコンピュータを遊ばせておくのももったいない気がするので、パーティションを入れて、Ubuntuを入れてみた。一つのコンピュータにKubuntu 4.2とUbuntu 8.10が入っている。

Ubuntu 8.10は、驚くべき安定さを持っている。Kubuntu と同じように、英語版をインストールして、後から日本語入力用のソフトを付け足したのだが、Kubuntuとは比べ物にならないくらいあっさりと動き始める。もちろん、普通のユーザーが使うようなアプリケーションソフトはすべて入っている。インターネットやプリンタードライバーも何も設定する必要がない。勝手に動けるようになっている。Linux陣営の中でUbuntuが急速に普及し始めているのもうなずける。すぐ使える、という状態のセットになっていること、過剰な自由を放置しないという点で、UbuntuはLinuxの世界を少し更新したのではないだろうか。

1 comment:

Anonymous said...

hei lou~