Sunday, December 25, 2005

クリスマス

急いでインターネットでクリスマス・ディナーを検索してみるが、当日なので当たり前だが予約状況は厳しいようだ。そもそも、この歳になるまで、わざわざ人まみれでゴミゴミして、割増料金で、かつ1年で一番質が落ちるようなクリスマス時に外食をするなんてバカげていると思っていた。

とは思うものの、若い頃、僕はクリスマスにいつも何をしていたんだろう?クリスマスを節目化せずに毎晩連続して飲んだくれていたので特に記憶がないのだろうと思う。一度だけ覚えているのは、1991年のクリスマスだ。ロンドンから東京に向かうバージン・アトランティックに僕は一人で乗っていた。着いたら、日付は変わってクリスマスは終わっていた。あれ?クリスマスがなくなった、と思ったのをなぜか覚えている。モラトリアムはその年に終わってしまった。

クリスマス・イヴに上の子の学校の友達のお母さんたちでディナーに行くという話があったそうだ。だんなさん達は忙しくてそれどころじゃない日本社会の生活に我慢がならず外国人妻たちが叛乱の火の手をあげるという勢い、だったのかもしれない。

参加者はベラルーシのアナ、ドイツのルード、もう一人ブラジルの名前は知らないお母さん、そして僕の妻の四人であった。しかし、僕の妻は僕の予定が分からず確約を当日まで先延ばしにしていて、結局、他の3人はもう一人別の人を探して4人を確保してしまっていた。

心遣いが小泉八雲的なアナは、僕の妻に25日に再度他のところへ行こうと誘ったらしい。アナのだんなさんは中国に出張中で子どものカリナと二人だけで日本に残っているのだった。彼女も可愛そうな気がするが、クリスマス・イヴもクリスマスもお母さんだけどこかに出かけるというのは、子どものカリナが可愛そうな気がする。

というわけで、クリスマスは僕が妻をどこかに連れて行き、アナとカリナを大晦日に家に招いてバルコニーでバーベキューをしよう(寒すぎてできないような気もするが)ということになった。

ディナーに行くといっても、子どもを二人とも置いていくというのは初めての経験なので、おばあちゃんとおじいちゃんが見てくれるとはいえ、やや心配でもある。老夫婦よりも6歳の息子の方がすでにしっかりしているようなこともあるのだ。4人の幼児を置き去りにするようなものではないか。

しかし、一度、妻をディナーに連れて行かねばならんとはずっと思っていた。帰国するたびにオーストラリア人のお母さん、プルーデンス婦人(と呼びたくなる)がジェニファーをどこかに連れて行ってあげなさいよ、なんてことを小泉八雲の世界的に、ものすごく控えめに言うので気にはなっていた。

今年の4月、バンコクで買い物をしていた時、何が気に障ったか、妻が突然、どこにもおしゃれなんかしていく場所がない、そんな機会がないと言って、怒り出したことがあった。僕と二人の息子は途方に暮れて嵐が過ぎ去るのをショッピングモールの外のベンチに座ってただ黙って待っていたのだった。だから、おしゃれできるところを探さねばならんともずっと思っていたのだった。

クリスマス・ディナーっぽいところ、おしゃれができるところ、早い時刻に短時間で終えられるところ、という条件を総合すると、選べるレストランはホテルくらいになった。ウェスティン・ホテルは三部制になっていて、早い時間を選べるのだが、ほとんどの店が満席になっている。空いている店はいまいちだ。ヒルトン・ホテルの店は二部制になっているが、予約状況が分からない。35階にあるWindows On The World というたわけた名前のレストランなら条件をすべて満たすだろうと思い、電話してみたら、壁側(窓側)の席はないが、内側ならまだ空いているという。一度行ったことがあったので、内側でも景色はたいして変わらないのを知っていた。

今日、妻は朝から髪を染めたりして、なんかいろいろ準備をしていたので、着ていく服はあるのだろうかとちょっと心配になってきた。何を着ていくのか訊いたら、バンコクで買ったブルーのやつという。そんなの買ったか?全然思い出せないが追求するとややこしいことになりそうなので、ああそうとだけ言った。

Windows On The World は、天井が高く、ガラスでできた壁一面に夜景が広がり、実にすがすがしい。妻は料理をとてもおいしそうに食べている。こんなの初めてだを何回も連発していて、そうかこういうのは知らなかったのかと思うと若干自責の念にかられた。

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http://hiltonjapan.ehotel-reserve.com/Japan/HiltonOsaka/RestaurantAndBar/restaurants_skylounge.asp

飲み物は何にするかと訊かれても、とりあえずシャンペンを楽しむかないでしょうという雰囲気なので、シャンペンのメニューを見たが、1種類しかない。グラス1杯3700円。ケッ、と思ったが、飲んでみるとおいしかった。母の買ったシャンメリーとはかなり違う。良い葡萄ができた時しか作らず、これは1997 年もので、007の第三作目からずっと使われているシャンペンです、とシャンペン屋さんが言うのでそれを全部訳した。

カニの前菜のあと、帆立貝と伊勢海老のカルパッチョが出てきた。うーむ、これはいかんかも。妻は生ものを食べないのだ。しかし、おいしいと言ってペロッと全部食べてしまった。帆立貝にキャビアをのせたら、確かにおいしいが、それなら今までの寿司嫌いはなんだったんだとも思う。

シャンペンはあっという間になくなり、他の飲み物を頼まなければならない状況が迫ってきた。もう僕はやけくそになっていたので、ソムリエっぽい人の講釈を素直に聞いて、数万円の赤ワインを1本頼んだのであった。1万円以下のものが一つもなかっただけなのだが。

蕎麦粉で作ったラビオリが3枚にフォアグラとトリュフが併せて出てきた。えっ?ラビオリっ?と思ったが、一応イタリアン・ディナーと名称がついていたのを思い出した。妻は蕎麦粉のラビオリの味に妙に関心している。これがおいしいと思うなら、どうして蕎麦は食べないんだと思ったが、やはり黙っておくことにした。

フォアグラは軽く表面が焼いてあり、日本の焼肉屋でいうと、刺身にするもち肝を焙ったかんじに出来上がっている。こういうまったりしたものはあまり好きじゃない僕もこれはおいしいと思った。妻は元々こういう味が好きなのは知っている。トリュフが何か知らないというので、ブタが発見するキノコだと言うと、話は聞いたことがあったようだった。

その次に小さなワイングラスに入ったシャーベットに星型のチョコレートがのっかったものが出てきて、そこにウェイターがシャンペンをぶっかけにやってきた。いきなりデザートが出てきたのではなく、お口直しだという。フォアグラやラビオリがこってりしていたので、確かにちょうど良いと思った。

最後はフィレステーキにまたトリュフをのせて出てきた。こんどのトリュフは生で、追加のトリュフはいかがですかとトリュフと小さなおろし金のようなものをもってウェイターが回ってきた。1グラム1200円だそうだ。追加料理というよりも、こういうのもアトラクションの一つなのだろう。

インテリアにしろ、料理の一つ一つにしろ、いろんな人が知恵を絞ってる様子が分かる。レストラン業界の競争を勝ち抜くのも大変なんだろう。グローバリズムの毒には納得せざるを得ないことが多いのだけど、資本主義の健全さはこういう民間レベルに現れるんだなと思う。これが役所システムではこいう細かい点で努力するというインセンティヴが存在しない。その結果、総体としてろくでもないことになる。いや、自分の職場の話なんですが。

チェックを見て笑ってしまった。妻も笑っている。今日のディナーの料金は我が家のほぼ一か月分の食費と同じだったのだ。1年が13ヶ月と思えばいいではないか。

二人の息子を引き取りに行くと、泣かずに遊んでいた。下の子はさすがに時々思い出しては、ママ、ママと探していたそうだが。

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