Wednesday, May 17, 2006

臭く餓死する、か。

EK011便の機内に入って、自分の席にすわると、いきなり鋭い郷愁に襲われた。シートに使われているピンク・パープル・ブルーが入り混じった生地を見て突如思い出したのだ、2003年イラク攻撃の騒動を。

あの頃、何度も大阪とアンマンの間を往復していたが、北回りの時もあれば(アムステルダムやパリ経由)、南回りの時もあって、南の時は関空・ドバイ・アン マンというルートが多かった。関空・ドバイ直行便のEK機のシートの生地の柄が、ほぼ三年間まったく思い出したこともなかったが、記憶の底にこびりついて いたらしい。

あれから三年間イラクは出口なし。2002年9月、僕はもう仕事を辞めるつもりで特別無給休暇というのをとって日本に帰ったのだが、いつの間にか、妙な形 でイラク戦争に巻き込まれていく一人になっていた。2002年暮れから、NYやジュネーヴやアンマンで、いつ始まるのか、ほんとに始まるのかどうか、未だ に分からなかった戦争の準備のために調査をしていたのだが、行く先々で、この今の状態を予測する人はとても多かった。そして、その通りになったではない か。戦争の準備と書いてから、おかしな言い方かもしれないと思ったが、やっぱりそのままにしとこう。結局、戦争の表の準備と裏の準備のようなものではない か。

とんでもないことがいっぱいあったが、すぐに思い出すのは、砂のことばかりだ。砂嵐の恐ろしさ、砂を吸い込んだ赤い空気の色、砂漠の息ができないような暑 さ、砂で次々に壊れていくPC。砂はすごい、砂はすごい、という思いが、EK機のシートの生地と同じくらい深く記憶にへばりついている。こんなところで戦 争?バカじゃないのと思ったことを、夜になると驚くほど下がる砂漠の気温、圧倒的な暗黒の中で光たおす星くず、テロリストなわけないでしょって顔をした美 形のパレスチナ人の女性たちとともに思い出す。

映画を見る気にも、音楽を聴く気にも、本を読む気にもならない。ロンドンまで7時間35分かかるらしい。寝ることにした。

* * *

イギリスに来るのはとても久しぶりだ。何年ぶりか考えてみると、約15年経っていた。ちょっと前だと思っていたが、15年間何をしていたんだろうと思うと、死の恐怖のようなものを感じる。

ガトウィック空港は何度か通過しているはずだけど、何を見ても何にも思い出さない。建て替えしたんだろうかと思ってみるが、どこも新しく見えないので、そのまんまなのだろう。ただ完璧に忘れただけか。

通関で「どこに行くのか」と訊かれたが、あれっ、どこに行くのだ?よく分からない。誰かが迎えに来てくれるはずでぇ、その人がぁ、どこかにぃ、連れて行っ てくれてぇ、それでぇ、あれっ?・・・と痴呆まるだしで、もごもご言ってると、生ごみでも見るような顔で「何をしに来たのか」ときかれた。え~っと何しに 来たんだったかな。

なんか形勢不利だ、いかん、イギリスはテロを警戒しまくってるはずだから、ちゃんと答えないと入国できずに強制送還されてしまうかもしれない。でも頭がぼけていて、話せば話すほどややこしくなってくる。

ある大学でぇ、な、なんか研究やっててぇ、そのお手伝いに来てぇ、と言ってると、入国審査官のおねえさんは僕の言葉を無残に遮って「なんで手伝うのだ?」だって。

だからあ、その研究はぁ、国連がぁ、元々頼んだんだけどぉ、でもぉ、頼まれた人だけでぇやってもぉ、ほら、わかんないこともあるでしょお、だからぁ、そのぉ、このぉ、でえぇ、えーっと、何話してたんだっけ?

あ~だめだ、おねえさんの顔はますます険しくなってくる、でも、なんでこの人こんなに美人なんだろう?機嫌がよければもっときれいなんだろうな、なんて考 えてる場合かと思うが考えてしまう。彼女の顔に見とれながら、もう一度最初から詳しく話しをして、やっと納得してもらった。アホまるだし。

さて、外に出ると、迎えの人たちが名前を書いたボードなんかをもって並んでいる。おなじみの風景で少し安心する。で、一通り見てみたが、ない。僕の名前は どこにもない。遅刻したのかな、よくあることだ、少し待てばきっとやってくるに違いない、ここは先進国のイギリスなんだ、奴隷にされて売り飛ばされたりす ることはなかろう、安心すればいいんだ、でも、どうして行き先くらい聞いてこなかったんだろう。万が一誰も現れなかったら、自力でどこか分からないがたど り着かなければいけないじゃないか、どこに行くか知らないとどうしようもない・・・しみじみ心の奥底でまったくの不手際を後悔しながら、もう一度迎え人た ちを一人ずつ検証していくことにした。

・・・あった、僕の名前だ、なんとピシッとしたダークスーツにネクタイ、短い髪、高い背、がっしりした体格。ハンサムなおにいさんが僕の名前を書いた紙を もって静かにたたずんでいるではないか。おお、『トランスポーター』だと僕は思った。『トランスポーター』の主人公そっくりではないか。ヨレヨレのジーン ズをはいて、機内ですっかりくしゃくしゃになったコットンのボタンダウンシャツしか着てない自分をふりかえると、急に可哀相な浮浪者の気分になってきた。 いきなり萎縮してしまう自分に情けなくなり、いっそう浮浪者気分が高まってしまう。

やっと空港ビルを出たあたりで、『トランスポーター』に「どこかでタバコ吸えないだろうか」って訊くと、ちゃんとした英語で「車をとってくるから、そこで 待っててくれ、その間にそこで吸えばいい」と言う。おお、どこで習ったんだ、その英語。ちゃんとし過ぎ、そんな英語しゃべる奴、国連には3人くらいしかい ないぞ、と不必要に心の中でうそをついてみたが、この『トランスポーター』の粗探しはどうも実りそうにない。

タバコを吸いながら、しばらく待っていると、キャー、なに、それ?アウディの新型かよ、それでスーツ着て何?『トランスポーター』そのまんま?まいったな あ、もういいよ、あんたはかっこいいって、分かったから、もう少し手加減した方が恨まれなくていいよって思っていると、さっとドアをあけて、「プリー ズ」ってか、おいおい映画じゃないんだからさ、調子に乗るのもいいかげんにした方がいいよ。そのうち鬱屈した日本人に殴られるよ。あっ、でも『トランス ポーター』は喧嘩強いんだな、これが。

ハイウェイの両側はずーっと緑が続く。どこもかしこも圧倒的に土色の国から来ると、緑がとても贅沢に思える。緑は美しい。緑が豊かさの象徴であると思う。 どれくらいかかるの?って『トランスポーター』に訊くと、「それは道路事情しだいだ。1時間30分から1時間45分の間に着くだろう」だって。そんな細か いこと訊いてねえよ。で、それだけ?もうちょっとなんか、こう軽くくだけた世間話とかしないわけ?無口なんだね。仕事だからね。でも、パキスタンとかドバ イのドライバーはうるさいよ。子供は何人いる?とか、月給いくら?とかそんなことまで訊いてくるもんね、それがプロというもんだろ、えっ違うか?って思っ たけど、絶対不利になるので、黙って寝ることにした。

眠りこけていたら、『トランスポーター』に起こされた。ああ、よく寝た。「あそこでパスをもらわないとここから先は入れない、あなたの名前は分かっている はずだ」とかなんとか、『トランスポーター』が言ってる。そういうのって、あんたの仕事じゃないのかなあ、なんかよく分からないけど、僕は車を降りて、 ゲートに併設されてるビルに入っていった。

ここはどこなんだろう?とまだ寝ぼけながら、「パスがいるって運転手が言ってるんだけど」、バカでしょ、あいつ、お客さんにパスとってこいなんて、まった く近頃の若者はダメだね、なんて顔をして、おばさんに声をかけると、「イエッサー」だって。いやはや、それほどでもないんだけど、で、パスってもらえる の?

「あっ、これですね、ミスター・ヤマモト、あなたの名前は連絡を受けております、キッチュナー・ホールまで行って下さい。ここをまっすぐ行って、あっちま がって、こっちまがって、どうのこうのです。ゲートを通過する時は、これを見せてください。敷地から出る時は必ずこのパスを持って出てください。パスを 持ってないと、戻れなくなりますから。最終日にはゲートにまた返してください」。なんだ、なんだ、厳重だなあ。

「おーい、パスもらったよ、キッチュナー・ホールってとこに行くんだって」と『トランスポーター』に声をかけると、オーケー、それならすぐそこだ、とかなり無愛想に『トランスポーター』は答えて、ゲートに向かって発進した。

軍人がゲートを見張ってる。どこもかしこも最近は軍人が大はやりだなあ、でも、ここはイギリスでしょ、アフガニスタンとかイラクとかそんな物騒なとこじゃ ないのに、どうして軍人がゲートで見張ってるんだ?と、ちらっと思ったが、美しく緑で充満した広大な敷地に息をのんだ。緑と緑の間にレンガ作りの古典的な 建物がポツン、ポツンと建っている。

で、ところどころに異様な物体。戦車、ロケット、などなど・・・なんだ、これは?ここはどこ?ひょっとして、軍事基地?突然気分がそわそわしてきた。『ト ランスポーター』は相変わらず無言で運転しているが、キッチュナー・ホールにはすぐに着いた。そこで、僕をおろすと、『トランスポーター』は、ではここ で、とかなんとか言って、さっと消えてしまった。ここでって、ここで何をすればいいんだよ?まったく。

とりあえず、キッチュナー・ホールとやらの中に入って、受付のようなところに行ってみる。「あのぉ、田吾作田舎ノ介ってぇもんですがぁ、ここに来るように 言われたんだけど、ひょっとして、僕のこと連絡されてたりしますうっ?」と訊くと、この受付のおばさんも、また「イエッサー」だって。不気味なんだよ、そ れ。やめてくんない?と思ってる間もなく「あなたはここに二泊して19日に出発です。417号室があなたの部屋です。これが部屋のカギ、これが建物全体の カード・キー、そしてこのカードがダイニング・ホールのパスです。チェックアウトの時にすべて返却してください」。キッチュナー・ホールって旅館だったの か、それならそうと早く言ってくれたらいいのに、まあ、いいか、まだ眠たいし、とりあえず部屋に行ってみよう。


(↑)部屋の窓から外を撮った写真。この敷地には、こんな緑の景色がこの百倍続いている。

質素な部屋。電話もテレビもLANもなんにもない。ひぇーこんな環境久しぶり。「いらっしゃいませキット」一式のようなものが部屋の机の上にあったので、とりあえず手にとってみる。表紙を見て、えっ?えっ?えっ?と?が連発。

Officer's Mess (将校宿舎)だって?Defence Academy(防衛大学)だって?どういうこと?なんで僕はここにいるの?読み始めると、とんでもないことが書いてある。

ドレス・コード:最低限の基準:常にカラーのあるシャツとズボン。スポーツシャツ・ジャージ・フリース・リクラなどの素材を使ったものは不許可。ジーンズ は全敷地内で一切許可されない。ダイニング・ホール、バーでは、ネクタイとジャケット、もしくは制服を着用しなければいけない・・・

延々と細かな規則が書いてある。困った。ここは正真正銘の軍人の館ではないか。そんなことはどうでもいい。僕はすでに規則を破っているではないか。ジーン ズをはいてのこのこ入ってきたのだ。そして、着替えのズボンはない。つまりジーンズ一つだけでやってきたのだ。ネクタイもジャケットももちろんあるわけな い。困った。どうしよう。ここで二泊三日部屋の中に閉じこもって餓死するべきだろうか。

部屋の中を見渡しても備品のようなものは何もない。うわっ、軍人さんはきっと生活に必要なものはなにもかも一式持ってるんだろうな。僕はタオルさえ持ってない。どうしよう、二泊三日シャワーも浴びれない。どうして、こういうことを前もって連絡してくれないんだ?

ここで途方に暮れていてもしょうがない。僕は善後策を立てるために受付に戻った。まず、軽く「タオルを借りることはできるだろうか?」って訊くと、おばさんはあっさり貸してくれた。次にさらに深刻な問題をとりあげた。

「ジーンズは許可されないって書いてあったんだけど、そうなんですか」
「許可されません」
「アハ、ジーンズしか持ってないんだけど、どうしたもんでしょう?オホ」
「誰かにズボンを借りるか、どこかで買うかしないとしょうがないですね。誰か知り合いの人はいませんか?」
「もう一人来ると思うんだけど、彼は僕より小さいし。あっそうだ、マットって人に会うことになってるんだけど、彼に連絡をする方法はないでしょうか?」

憐れみに満ち溢れた微笑を満面にたたえて、おばさんは電話を貸してくれた。

「マット、着いたよ。今、キッチュナーホールにいる。ジーンズ許可されないんだけど、ジーンズしかないんだよ。ネクタイとジャケットがないと食事もできないらしい。」と言うと、とりあえずこっちまで来ると言って、マットは電話を切った。

結局、僕はその日から三日間、マットのズボンをはいて過ごしたのでした。そして食事はすべて外食。昼はサンドウィッチを買って、きれいな緑の芝生の上で食べて、夜は外に出かけて、一日目はインド料理、二日目はイギリス伝統料理。

美しく広大な敷地に村上春樹みたいに過不足なく整理整頓が行く届いた施設。過剰と欠乏が恋しくなった。僕に軍人は向いてない、死ぬまでヘラヘラしていたい、と思った。

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