Friday, December 09, 2005

壊れた・・・

年末になると、恒例の決算という一大行事でてんやわんやになるのはもうなじみ深くなってるけど、いまさらアホではないかと思わざるを得ないこと続出で、怒るべきなのか笑うべきなのかもう分からなくなってきた。

ずーっと深酒をしていなかったけど、ボスニア人のアミールが故郷からもってきた手製のラキア(焼酎みたいなもの)がおいしくて、彼にちょっと飲まないかと勧められると、一杯だけのつもりで始めて、もう途中で何もかもどうでもよくなって、門限もへったくれもあるか状態で、アミールも僕も舌が回らなくて何を言ってるかさっぱり分からないはずだが、へべれけになりながらもなんか話していて、最後はカラシニコフをぶらぶら下げて、つま楊枝をいつも口に入れてる警備兵に護衛してもらいながら、ふらふらと自分の家まで歩いて帰るということが最近何回かあった。

みんな荒れている。
アミールは、ここの毎日は映画になると怒りをかみ締め笑いながら言ってたけど、ほんとにそうだと思うと、僕も笑いが止まらなくなった。よくもここまで奇想天外なことが毎日起こるものだ。もう腹も立たず、ただ笑いで腹筋が痛いだけになってきた。

すごーく久しぶりに、UNICAという国連のゲストハウスに行った。昔々は国連の人はそこにしか住めなかったので、僕もかつてそこに2年くらい住んでいたから、すごく懐かしいので行ってみようかなとは何度も思っていたのだが、今の状況を聞くにつけ行きたいという気持ちが失せていた。遊び場所みたいなのが何にもないので、夜な夜なUNICAにわんさと外国人がつめかけて、ガールハント・ボーイハント用の、いわば漁場みたいなことになって、「えらいことなってまっせ」という話だけ聞いていたのだ。

ある晩ふとビリヤードをやりたいと思い立って、迷いをふりきり、逡巡する身体に鞭打って、アミールを誘いUNICAに行くことにした。行ってみると、外見はかなりそのままで安心した。が、肝心のビリヤード台は壊れていた。なんか意気消沈。晩飯を食う気にもならず、サンドウィッチとかなんか簡単なものを作ってくれないかなときいたが、今は晩飯用ビュッフェの準備で忙しいからと断られた。

しょうがないから、バーにちょっと寄ってみようかと思っていると、アフガン人の男がタッタッタと寄って来た。視力が思いっきり落ちたので、2メートル離れているともう誰か僕は分からないのだ。

ミスターヨシ!
と言う。おおおお、ハミドではないか。彼はずーっとここのバーテンダーをやっているのだ。どれくらいずーっとかというと、国連がここをゲストハウスにするよりもずっと前、ソ連の社交界がカブールにあって、社交の場の一つとしてここが使われていた頃からずーっとなのだ。生き延びていたのだなあ。

バーに行ってカウンターにつくと、ハミドは昔は良かった、みたいな話をポツポツとし始めた。今はクレージーになってしまって・・・バカな西洋の若造が酔って暴れる・・・ビリヤード台を壊したのもあいつらだ・・・。彼は僕が毎晩ビリヤードをしていたのを知っている。ビリヤード台が壊れたのは彼のせいではないのに、なんか申し訳なさそうな顔をしていた。ビリヤードなんか全然やりたくなかったふうに見せようとちょっと努力してみた。

僕はかつてキッチンとバーのマネージャーをしていたので(当時、UNICAの住人で責任分担していた)、キッチンに行ってみたくなった。それに何かつまみになるものを作りたいとも思ったので、みんな忙しいのなら自分で作ろうと思ったのだ。

そこに住んでいた頃、片目のシェフがいて、彼に僕は中華風の料理をかなり真剣に教えようとしていた。彼は英語はいまいちなのだが、フランスで仕事をしていたことがあって、フランス語は得意だった。それでも英語の料理本を20冊くらいパキスタンで買ってきて、彼にあげて、いろいろ試していたのだった。やっと彼が覚えた中華あんかけ風焼きソバはその頃のカブールではほとんど革命に匹敵した。同じものに150%くらい食傷していた住人にも大好評だった。

キッチンに行って何か作ってこようと言って席を立ちかけると、ハミドの顔が暗くなった。

「死んだよ、あの片目。みんな新しい。行かなくていい・・・。」
と言う。

そうか。もう昔と違うのだな。いろいろ変わって当然なのだ。外国人みんなで寄ってたかって変えようとしているんだから。

なんかずうずうしいことになりそうだから、おとなしくしていることにした。その後で、ハミドはフライド・ポテトとサンドウィッチとサラダをバーのカウンターに持ってきてくれた。

習慣的にアルコールを飲んでいないせいか、すぐに酔っ払ってしまう。何も言わないのに、ハミドは僕のグラスが空になるとすぐに新しいのをついでしまう。結局、どれくらい飲んでいたのか、というか、お金を払った記憶がない。困ったもんだ。

かなりヘロヘロし始めてから、フブがやってきた。ヒューバートというオランダ人の白髪のおじさんなのだが、みんな彼をフブと呼ぶ。

ニコッとアミールと僕に笑顔をみせて片手を軽くあげて、近寄ってきた。そして、「ああ、今日は最悪の日だった」が彼の最初の言葉だった。誰もかれもみんな毎日、最悪の記録を更新しているような気がする。

彼はCapacity-Building の専門家で世界中を回って、現地の民間人や新しい現地政府のキャパビルを設計している人なのだ。言葉ばっかりで、全然現実離れした議論が蔓延している援助業界の中では、彼はとても珍しく、現地の状況を反映して、現実的でものすごく緻密な仕事をする人なのだ。彼と話をするのはとても楽しい。

ところが、彼のやってることを全然理解しない人も少なくなく、日々彼が絶望と落胆にめげず戦っているところを見ると、凄惨な拷問でも見ているような気分になる。年末になってバタバタと痴呆のように走り回るはめになるのは、彼のようにちゃんと現状を分析して、その対応策を長期的に設計しないからなのに、そんなことは微塵も考えず、目の前1.5メートルくらいのことしか考えず、ギャーギャー言ってる連中がこの世では常に多数派なのだろうか。

フブはフォト・ジャーナリストという側面もあり、美しいものに敏感で、かつ哲学にも若い頃、相当はまっていたようで、写真や文学や哲学の話をまるで学生に戻ったような気分ですることができて、とてもおもしろい。

でも、彼もいつか完全に切れてしまうのではないだろうか、とハラハラする。僕は自分はもう完全に精神衛生を壊していると思うが、もし専門の精神科医がここに来たら、そんな人はゴロゴロ見つかるだろう。

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壊れたか、フブ?(オフィスの敷地内で。バックに見えるは有名な土嚢)

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