Saturday, December 10, 2005

孝行息子は3カ衝撃を乗り越えなければならない

アミールは結婚していないが二歳の息子がいて産みの親である元彼女がボスニアで育てているが、本人はカブールで別の彼女と住んでいる。それがどうした?アミールは息子思いで、かつ孝行息子でもあるのだ。

休暇になるとアミールはボスニアに帰って息子と過ごす時間に最大のプライオリティを置いている。たまたまそこには元彼女である息子の母がいるのだろうけど、それがどうした?息子との失われた時間に対するなんとも言えず痛い感じはよく分かる。失われてしまった時間は、もう戻ってこないのだ、みたいなことを年中怒り狂ってる僕とは正反対にとてもマチュアで情緒のバランスが良いアミールがポツンと言ったことがあって、その時はちょっとドキッとした。

でも、彼は今、ジレンマ中でもある。両親をどこか外国に連れて行きたいと思ってもいるのだが、そうすると息子との時間が減少してしまうからだ。休暇一回分は確実に消滅するだろう。内戦中はスイスに逃れたり、戻ったりしていたそうだが、あまり詳しいことは知らない。「で、戦ったのか?えっ?どう?」なんて下品な訊き方になりそうで、どうにも話のもっていきようがなく、その辺の話は戦争があった、で、戦争が終わった、で通り過ぎる。

で、戦争が終わって、アミールの両親は息子二人(彼には弟が一人いる)に何か残さなければいけないと思い、なけなしのお金をはたいて、巨大な家を買ったそうだ。親というのは世界中どこでも子供に何か残さなければいけないと思うものなのだろうか。僕の親もよくそんなことを言っていた。僕も妹も何にもいらないというのに頑張って、結局借金だけ残してくれたが。

アミールの親が買った巨大な家というのは完成品ではなく、壊れた家だった。戦争があったのだから、なにもかも修理が必要だったとすれば、それも珍しいことではなかったのかもしれない。その壊れた家をお父さんは少しずつ修理しているそうだ。いずれ、息子二人がそこに住むことを夢見て。

「問題は」とアミールは言う。「まず、巨大過ぎて、おそらく全部修理するのは不可能か、可能としてもこの先何十年かかるか分からないということ。次に弟と二人で住むという可能性はまったくない。そして、どちらか一方がボスニアの片田舎に帰ってきて、その家で生活するということも考えれない。そんなところに仕事がないのだから、不可能なのだ」ということらしい。

アミールが両親にそう説明しても、「さあ、次はあそこのドアをつけよう」ってな具合で話にならないらしい。そんなこと聞きたくもないのだろう。もういいではないか、それが生きがいなら、そうやっていたら、と僕が言うと、アミールももうそう思うと言っていた。

そんな親にアミールがどこか行きたいところはないかと訊いたことがあるらしい。無口で黙々と家の修理をしている、彼のお父さんは普段何も要求するとか頼むとか好みを言ってうるさいとかそういうことがない人なのでまた何も答えないだろうとアミールは思っていた。ところが、お父さんは、一言恥ずかしげに、

「ピラミッド。」

と言ったらしい。何がなんだかさっぱり分からないが、ふだん何にも言わない父親がそんなことを密かに思っていたなら実現したいと思うだろう。よく出来た息子であるアミールは「なんで?」なんて野暮なことは訊き返さずに、両親をピラミッドに連れて行こうと思った。

僕も興奮して絶対連れて行ってあげるべきだと強行に主張した。僕の父親は入退院を繰り返して、酸素ボンベをつけて寝るらしいので、もう飛行機には乗れないだろう。そんなことにいつなるか分からないと思うと、ひとの親の話なのについ断固おせっかいになった。

しかし、いきなりカイロに突入するわけか。かなりの困難も予想される。カイロ、カラチ、カルカッタ、俗に言う「3カ・ショック」の街だからなあ。僕の第三世界体験はカラチで開始したのだけど、あれはホントにすごかった。あれほど呆然自失という言葉がぴったり当てはめる瞬間もそんなにはないだろうと思う。

しかも、年老いた親というのはまったく予測不可能な動きをするものだ。いやはや大変だろうけど、ここはアミールが奮闘するしかないだろう。

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