Saturday, January 27, 2007

宇宙のゴミ

こんな時じゃないとできないことをやろうと思って、あちこちに作ってしまったブログをすべて閉鎖しようとしたら、システムが変わってログインが簡単にできないとか、その他いろいろな理由でなかなかはかどらない。IDとかパスワードをもう一度取り寄せたりしたが、その後にまた別の手続きが待っている。そんなに厳重にしていったい何を守るんだろう。個人情報?ブログに登録するような情報が漏れたからって騒ぐ人がいるんだろうか?そんなもの全世界にくれてやるよ、って思ってるのは僕一人なのだろうか。
こんなことに時間を費やすのは、アホらしいのでほったらかしにすることにした。

こうやってウェブ空間には凄まじい勢いでゴミが増加しているんだろう。小さい頃に聞いた、古い人口衛星がゴミになって宇宙に溜まっていく話を思い出した。

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朝食を頼んだら、ジュースを持ってこなかった。「今ないので明日持ってくる」と言われた。面白すぎて怒るのを忘れて一人爆笑してしまった。そのパキスタン人も何か褒められたとでも思った様子でニコニコしている。この国は永久に何も変わらず、ある意味で永久に幸せなのではないだろうか。

日本の食卓で、「ちょっと醤油とって」、「うん、明日渡す」なんて会話をしてみたいものだと思った。

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コインランドリーで「マリ・クレール」を読んで涙ぐんでいたゴトー・ケンジが、またアフガニスタンの企画をたくらんでいる。世界標準でやって欲しいものだ。日本語世界(活字・ウェブ・映像)で日本に知らされてるアフガニスタンを見ると、まったく知られてない方がましだったのではないかとよく思う。これだけはアフガン人に隠し続けないと。知ってしまったら怒り狂うだろう。

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音楽を聴きながら本を読みながら、かつつけっぱなしにしていたテレビでリチャード・ギアの映画「Intersection」(放題「わかれ路」)をやっていたので、それもチラチラと見ていたら、どうも途中で気になり始めて、最後まで見てしまった。ストーリーは三分の一くらいしか分からなかったけど、これはきっと同じような悩みに遭遇した人たちが寄ってたかって作ったんじゃないだろうかなんて思った。

「妻」と「愛人」の間で揺れ動き、そして結局死んでしまう「男」の映画と言ってしまえば、もう終わりなんだけど、出演している俳優も女優もみんな微妙な感情をうまく出し過ぎ。演出する人たちもとても微妙にやってるんだろう。全員がこの主題をよく理解していないとこんなふうには作れないだろうと思う。

価値基準とか善悪の基準なんて無限にあるとしても、とりあえず一つ採用してそれぞれの社会制度はできてる。完全な無秩序と混沌を生みたくなければそうするしかないという知恵なんだろうけど、それを受け入れたからといって、人間の中にはそれですべて納まりきれないものがあるのも事実だから、必ず制度と人間の間にギャップができる。

人間はずっとそれに気づいているから、古代ギリシャから現代まで何度も何度も繰り返し、それが神話や文学の主題になって登場するのだろう。ウェブでこの映画を検索してみると、「妻」を悪く思う人も、「愛人」を悪く思う人も、「男」を悪く思う人もいるのがよく分かる。しかし、根本的な問題は社会制度(例えば、近代的婚姻制度)と人間の間にあるずれなのだから、誰かを悪く思ってもしょうがない。結局、「妻」、「愛人」、「男」の三者に同情してしまった。

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