Sunday, February 22, 2009

エタノールとKubuntuと革命

日本にきこく中、NHKの「沸騰都市」というシリーズものの第6回「サンパウロ 富豪は空を飛ぶ−」というのを見たのだけど、これはおもしろかった。製作者の意図とはかなり違うかもしれないところで、高揚感みたいなものが沸いてくる。

ブラジルでは25年くらい前からサトウキビ畑を大量に増やしているそうだ。サトウキビジュースを大量に飲むようになったからではなく、サトウキビから作るエタノールを大量に作ることを国策として推進してきたからだそうだ。その頃に、国家全体の産業政策として化石燃料の代替燃料としてエタノールにターゲットを絞ったというのはすごいと思う。その当時、エタノールや水素エンジンについて議論されていたのは覚えているが、そこまで大胆な決断をできる人や企業や国家はとても少なかったのではないだろうか。

現在ブラジルの車はすべてエタノール車かエタノール混合燃料車なのだそうだ。ブラジルはホントにエタノール大国になったのだ。ブラジル以外でエタノールを大量に生産している国はまだアメリカしかない。アメリカではいわゆる石油関連の利益団体が強い影響力をもっているので、代替燃料策に真剣に取り組もうとしても、エタノール推進は難しかったのかもしれない。しかし、オバマ政権下ではこれも変わってくるかもしれない。

今、全世界を覆う経済危機に対してもブラジルの大統領は、我々は乗り切ることができる、ととても自信に満ちた演説をしていた。ここまでグローバルな依存関係が進んでいる以上、この不況は一国単位でなんとかできるというものではないだろう。しかし、ブラジルの大統領の対岸の火事を眺めるような態度は象徴的であった。

今、ブラジルにはエタノール生産のノウハウを求めて、アフリカの国からたくさんの訪問者がやってくるそうだ。アフリカには土地はたくさんあり、サトウキビを大量に栽培することも可能なのだろう。彼らも大きな収入をもたらす産業を作りたいという熱望を持っている。石油がなくても、先進技術がなくても、サトウキビでエタノールができるなら、輸出できるくらい作れると思うではないか。そんなアフリカ各国の政府からやってくる人たちを迎えるブラジル側のコメントがブラジルという国の熱意の源を示しているような気がした。だいたいこんなことを言っていたと思う。

「石油は世界に争いをもたらしてきた。エタノールは違う。エタノールは平和だ。石油の時代は中東とアメリカが世界の権力を握っていた。しかし、石油はなくなる。アフリカにサトウキビを植えてエタノールを生産し始めれば、世界の権力構造は変わる。これからはアフリカとブラジルが世界を動かすのだ。」

これは革命だ、と実際に言ったかどうかは覚えていないのだが、自分の記憶の中では「これは革命だ」というセンテンスが残っている。上の方で書いたように、ブラジルの大統領が、対岸の火事的態度をとれたのは、今彼らが描く世界の未来像が強固にあったからではないだろうか。石油からエタノールへの交代、それに伴う世界の権力構造の交代、なんてことを実現しつつある渦中にあるなんて思えたら、自信がつくどころではない。舞い上がってしまってもおかしくないではないか。

第三者としてテレビに流れる映像を呆然と眺めているに過ぎないので、いろいろと「そうは言っても」的なネガティブな可能性のことも頭の片隅に浮かびつづけるのだが、それにしても、かなり遠い先の未来までを含む、一つのヴィジョンをもって、国家の政策を作り、それに従ってそれを着々と実施していく、そんな国家の姿を見ていると、幸せに近い気分になってくる。是非ともアフリカの国々でもサトウキビ・エタノール作戦を実施して成功して欲しいものだと思う。

アラブの石油産出国がこのような事態をボーッと眺めているだろうか、と途中で思ったのだが、やはり彼らも近未来の自分達の姿を見ているのだろう。今、ブラジルのサトウキビ・エタノール産業に積極的な投資をし始めているのは、なんとアラブの石油産出国なのだと言う。石油からエタノールは権力を奪おうとしているのに、なぜ、彼らは自分で自分の首を絞めるようなことをするのだろうか。

石油はいつかはなくなるだろう、しかし、彼らの考えは、エタノール混合という使い方をすることによって、石油の寿命を伸ばすということらしいのだ。実際、番組の中でも出ていたが、従来のガソリンとエタノールを混合して走る車がブラジルでも主流のようなのだ。とりあえず、石油の寿命を伸ばす、そしてその間に何かしなくてはならないってとこだろうか。エタノールへの投資という権力延命策っていうのはなかなかおもしろい。どこの国もどうやって生きていくか必死なのだ、と思った。日本は・・・と書き出すと陰々滅々となるので止めよう。なんせ世界は革命中なんですから。

(それにしても「富豪は空を飛ぶ」っていうタイトルはいかがなもんか。ちょっとポイントが違うような気がするが、僕が違うポイントにフォーカスし過ぎていたとも言える。)

* * *

ちゃんと椅子に座って机の上にコンピュータを置いてタイプするという姿勢が取れないことは前に書いたような気がするが、日本にいる間にやけに安いネットブックとやらを一つ買ってそれを膝の上において(まさにラップトップ)ちょろちょろとコンピュータをさわっていた。と言っても、長い文章をこの姿勢で書きつづけるのは不可能で、ネットを徘徊する程度でも結構くたびれる。

たいていの携帯電話より安いと思うのだが、このネットブックは思っていたよりはるかに使える。StarSuiteが無料で入っていたし(MS Officeみたいなもの)、セキュリティ対策は、フリーソフトのAvastとZoneAlarm Firewallをダウンロードして入れたので、追加費用はまったくかかっていないのだけど、なにもかも十分だ。なんなんだ今までの高いコンピュータはと思ってしまう。せいぜいマイクロソフトのワード、エクセル、パワーポイントを使う程度の仕事を前提に考えるなら、今お店で売ってるコンピュータならどれを買っても十分過ぎる以上の性能を持ってるから、そもそもコンピュータの品定めをする意味もほとんどない。酒なら何を飲んでも酔っ払うのだから、どれを飲んでもいっしょだという境地に似てきた。

というわけで、一番よく使ってるラップトップがもう古いし(だから、どうなんだ?)、動きが重くなりすぎて(HDを掃除しろ)、ともかく買い換えようと思っていたのだが、それを思い直して、時間のあるうちにOSをWindows以外のものに、ごっそり入れ替えてみることにした。以前から、というよりも10年ほど前から、ずっと考えていて一度も実行しなかったことにようやく手をつけることになった。

コンピュータを使い始めたのは20年ほど前だが、最初の10年間はずっとMacを使っていた。10年前に職場でWindows、家でMacという二重生活に疲れ果てて、とうとう家でもWindows を使うという生活に堕ちてしまった。その頃、第三のOSを試してみようと考えはじめ、当時はBeOSというものを入れようと考えていた。Windowsや、 Macよりはるかに優れていると聞いたものだが、今、あれは実質的に商業的には屠殺されてしまったらしい。惜しいことをしたものだ。(http://en.wikipedia.org/wiki/BeOSに無残な歴史が載っている)。

去年、Ubuntu というLinux をベースにしたOSがあることを知って、一度試してみたいと思っていた。ネットをいろいろ見てみると、なんとUbuntuには派生OSがいろいろあるではないか。Kubuntu、 Edubuntu、 Xubuntuなどなど。ちょろちょろっと説明を読んだり、見栄えを比べたりして、Kubuntuを入れることにした。

ところで、Ubuntuって変な、ききれない音だが、元はズールー語で意味は 'Humanity to others'、もしくは 'I am what I am because of who we all are'ということだ。これはかなり美しいではないか。これがUbuntuの基本哲学なのだそうだ。フリーでオープンなコミュニティによって維持され発展しいくOSだと。

これを支えているのはCanonical Ltd.,という南アフリカの会社なのだが、Ubuntu自体は無償で配布され続けている。Canonical Ltd.の経営者、Mark Shuttlewortもかなり変わった経歴を持つ、興味深い人物だ。1973年9月に生まれということだから、まだ35歳だ。彼は95年にdigital certificates と Internet security を専門にするThawteという会社を設立し、99年にその会社をVeriSignに売った。インターネットでお買い物をしたことがある人なら、VeriSignのロゴをたいてい何度か見かけたことがあるだろうと思う。VeriSignが、digital certificatesのほとんど標準になっているような気がする。この時に、彼は5億7500万ドル儲けたそうだ。当時のレートでたぶん600億円くらいだろう。そして、2000年にCanonical Ltd.を設立した。それから、社会改革に献身するNGOを作ったりするのだが、2002年にはなんと宇宙旅行までしている。ロシアのソユーズに乗って国際宇宙ステーションまで行ってそこで8日間滞在し、エイズとゲノムに関する実験をしてきたそうだ。旅費は20億円くらいらしい。ただお金を払ったら行けるってわけでもなく、ちゃんと1年間のトレーニングがあったそうだ。

話が逸れてしまったが、BeOSのパーソナル版や、Linuxのように無償で使えるOSが僕のような普通のユーザーにちゃんと使えるものなら、世の中には無料のアプリケーションソフトは腐るほどあるわけだから、コンピュータという機材、モノの部分以外はすべて無料でいいではないか、どうしてわざわざMicrosoftや、Macに高いお金を我々は払い続けているのか、そして世界一のお金持ちを作ることに貢献しているのか、という疑問を持っているのは僕だけじゃないだろうと思う。

僕の仕事しているような国際機関や各国政府の官庁や企業など世界中のほとんどといっていい組織がほぼ一社にOSとアプリケーションソフトのライセンス料を払い続けているというのは異常だと思う。無料の代替物、しかももっと優れいているかもしれないものが存在するというのに。これは役所なら公的な調達の精神からすると本来おかしいはずだ。法技術的にはなんとでもすりぬけられるのは分かっているが、ほっといていいのだろうか。シーザーならほっとかなかったと思う。

富の偏在は情報の偏在に直結しているけれど、それがコンピュータ+インターネットの普及によってものすごい勢いで加速されてきた様子はちょっと恐ろしい感じもする。貧富の格差が社会の不安定要因である、というのが援助の議論によく使われるが、富める国と貧しい国の間での情報量の格差、一国内での情報格差など、情報の圧倒的な偏在が国家間や一国内の不安定要因になっていることは確実だろうと思う。何も根拠にするデータがあるわけではないが、先進国と貧困国の間を頻繁に往復する生活を15年以上続けていると、直感に過ぎないとしても、かなり頑固なものになる。

今の世の中にはとりあえず今日食べるものがあるかどうか分からない人が何億人もいる。世界の人口の約半分(30億人以上)は一日2ドル以下で生活しているそうだ。一年間の生活費が約7万円の人が世界の人口の半分!そして、その一方で金持ち国には一回のボーナスに10億円とか20億円とかもらう人もいるのだから、そりゃ不穏になってもしょうがないと思うのだが。

だからといって、ちょっとやそっとの”援助”で事態が改善されるとはとても思えない。貧困国に自前で富を蓄える力が備わらない限り、根本的には何も変わらないだろう。そのためにはこれ以上情報格差が広がらないように、貧困国の次の世代が知恵をつかって勝負ができるような環境ができないと何も始まらない。道具の一つに過ぎないがコンピュータ及びインターネット環境というのは、貧困国の次の世代が自分の国を貧困のぬかるみからを救いだしていくための最低限の条件ではないだろうか。フリーのOSとかソフトというのは、長〜〜〜い目で見れば、国連よりもはるかに国際社会の平和と安全に貢献するのではないだろうか。

エタノールとKubuntuで革命かあ、いいですねえ。

No comments: