Friday, April 24, 2009

Flock というブラウザーのこと

まだ使い始めて3日目だけど、その使いやすさにうれしい驚き。Facebook, Digg, Twitter, Blogger, Youtube, Flickr, Yahoo, Gmail, RSS, の中に一つでも身に覚えののある人は、速攻でFlock をダウンロードして使うがよい。中身はFirefox なので、すでにFirefox を使っている人は同じAdd-onsが使えるので安心してよい。IEから脱出するなら尚よい。少しヴァージョンは落ちるが日本語版もあるので、ローマ字が嫌いな人も使える。デスクトップにでもダウンロードして、それをダブルクリックしてトイレに行って帰ってきたら夢の世界が開いているでしょう。

無料ダウンロードはこちら(→)


いろいろ使い勝手を試しているところ(↓)。

Tuesday, April 21, 2009

夢の小便

5歳の次男を夜中におしっこに連れていくという重要任務がある。言うまでもなく、オネショ防止策だ。だいたい12時から1時の間に僕が連れていくのだが、熟睡している子供を起すのは気が引けるものだ。

何語か分からないが、次男はおしっこのことをピシと呼んでいるので、耳元でピシ、ピシとささやいてみる。まったく微動だにしない。肩をもって少しゆすってみるが、まったく変化なし。しかたないので、両腕の下に手を入れて次男を持ち上げる。すると、猿のようにくるっと両足を僕の胴体に巻きつけてくる。夢と意識の間くらいにいるのかもしれない。

倒れないように、両わきの下を支えたままトイレの便器の前に立たせると、ふらふらしながらも自分でパンツをさげる。僕がそこで、またピシ、ピシというと、ちょろちょろちょろっとおしっこを始める。その間にも頭はたら~っと横に倒れ、身体も倒れそうになるので、しっかり支えておかないといけない。

去年の12月、僕の右肩の痛みが激しくなるにつれ、この毎晩の日課がだんだん厳しくなってきた。次男の体重は20キロほどだ。だんだん重くなってきたように思った。子供はすぐに大きくなる。なるべく右肩に力が入らないように工夫して、この日課を続けていた。うっかり忘れると半分くらいの確率でオネショをする。そして母親の機嫌を朝から台無しにする。これを避けたくないものは歴史上、世界中に一人も登場していないだろう。

こんなに重くなってきては、いずれこれも続けられなくなる。早く自分でめざめて自分でおしっこに行けるようにならないとダメだと何度も次男には言うが、いったいどういうきっかけで人間はそういうことを覚えるようになるのか、そこのところが分からない。

しかし、絶体絶命の日がとうとうやってきた。右肩の手術の前の日、次男に予告しておくことにした。明日の朝、お父さんは右肩の手術をするのを知ってる?明日の夜はお父さんは右腕がつかえないから、もうだっこしてトイレに連れていけないよ。自分でちゃんと起き上がってトイレに行かないとダメだよと。

手術の夜、ちょうど麻酔切れの痛みがピークに達している頃、次男の耳元でピシ、ピシとささやいた。すると、なんと驚いたことに、自分でむくっと起き上がったではないか。ベッドからはい出てふらふらとトイレに向かって歩き始めた。こけるのではないかと、思わず右手を出しそうになって、激痛に叩きのめされ、一人頭の中で悲鳴をあげた。左手で次男の身体を支えようとするが、どうもそんな必要もなく、目をつぶった酔っ払いのようにふらふらしながら、次男はちょろちょろちょろっとおしっこをしていた。まだ夢の中なのだろう。

今日いつものようにピシ、ピシと耳元で囁いたがまったく動こうとしない。しょうがないので、また抱きかかえてトイレに連れて行った。ふと気がついた。なんだ、まだこんなに軽かったのだ。重くなってきたと感じたのは自分の右肩のせいだったのだろう。

Thursday, April 16, 2009

きつっ

イースター開けからオフィスに行き始めた。最近は太陽が出ているので、外を歩くのは気持ちいい。夕方になるとちょっと寒いのだが、すでに7時くらい迄明るい季節になってきた。

Physiotherapy は毎週三回行ってるにも関わらず、医者の楽観的な予測をはるかに下回るさんざんな進捗しかない。右肩がもう一つの固まった物体となってしまって、それを破壊しなければいけないのだが、どんな拷問、元へエクササイズをしたところで、結局、その塊全体をまわりの筋肉を使って動かしているだけで、なんの効果もなくても当然ではないかと思うのだが、いかがなもんか。

Physiotherapist のトロールって兄ちゃんは、今僕の家族の次にダントツでもっとも頻繁に会う人だ。普通、週三回以上も会うってのは家族以外では職場の人くらいになるだろうけど、職場では顔を見てちょろっと挨拶するだけってのも多いから、週三回、二人で汗かいて真剣勝負になるとどうしても情がわいてくる。こんなの効かないよなんてことは絶対言えない。ほんとに分からないんだし。

でも、もうこれは十中八九確実にもう一回手術するはめになるだろうと思う。次回は日本でしたい。肩ならまかせろっていう良い医者・病院情報、大歓迎です。

机の上に右腕を置きつづけている姿勢はやはり予想通り、みかけによらず重労働であった。腕をまっすぐ下におろしてぶらぶら歩くだけなら何も感じないのだが、机の上となると、やはり右肩全体で漬物石を担ぎ上げるような筋肉の使い方をしている。これではなかなか持ちそうにない。今日は首のうしろが痛くなったが、これは首やその回りの筋肉をつかって重い右腕業界を支えていたからだろう。

おー、先は長そうだ。

Sunday, April 12, 2009

読書めも - Children are from Heaven

ほんと同感なので。
CHILDREN ARE FROM HEAVEN, John Gray, Ph.D. (pp. xxiv-xxv)より。

---Past parenting approaches sought to create obedient children. The goal of positive parenting is to create strong-willed but cooperative children. A child's will doesn't have to be broken in order to create cooperation. Children are from heaven. When their hearts are open and their will is nurtured, they actually are more willing to cooperate.

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The goal of positive parenting is to create
willful but cooperative children.
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---Past parenting approaches were aimed at creating good children. Positive parenting creates compassionate children, who don't have to be threatened to follow rules, but spontaneously act and make decisions from an open heart. They do not lie or cheat because it is against the rules, but they are fair and just. Morality is not imposed on these children from outside, but emerges from within and is learned by cooperating with their parents.

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Rather than seeking to create good children,
positive parenting seeks to create
compassionate children.
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---Past parenting approaches focused on creating submission; positive parenting aims to develop confident leaders, who are capable of creating their own destiny, not just passively following in the footsteps of others before them. These confident children are aware of who they are and what they want to accomplish.

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Confident children are not easily swayed by peer
pressure nor do they feel the need to revel.
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(PP xxxii-xxxiii)

---The five positive messages are:
1. It's okay to be different.
2. It's okay to make mistakes.
3. It's okay to express negative emotions.
4. It's okay to want more.
5. It's okay to say no, but remember mom and dad are the bosses.

これは、ここだけ取り出すと誤解の可能性大なので、要注意。

---These five messages will set your children free to develop their God-given abilities. When practiced correctly with the different skills of positive parenting, your child will develop the necessary skills for successful living. Some of these skills are: forgiveness of others and themselves, sharing, delayed gratification, self-esteem, patience, persistence, respect for others and themselves, cooperation, compassion, confidence, and the ability to be happy....

そうあって欲しい。

Friday, April 10, 2009

Future

五歳の次男はどうも最近、無限という概念に突き当たっているように思える。
いつだったか、1、2か月前だったと思うが、「数はいつ終わるの?」ときかれた。

数が終わる?直接的にはいつ数え終わるかという当面の問題を抱えているうちに、数はどこまで行くのかという疑問に発展したのだろう。

終わらないよ。いつまでも続く。永久に続く。という僕の回答は実は回答になっていない、ということは分かっている。彼の頭の中にある疑問は、終わらないということはどういうことなのか、いつまでも続くということはどういうことなのか、ということなのだ。ほとんどの大人の訳知り顔で子供にする説明は底が抜けたバケツのようにマヌケなもんだ。また一発僕もここでマヌケをかましたわけですが。

この疑問は僕にとっても解けずにずーっと心の中にしまっていたものだと白状する時期がいつか来るだろう。その時には二人で無限の恐怖と希望に立ち向かえたらいい。

一つ去ってしばらく立った頃に、もう寝るよというベッドの中で、ひょこっと、次男がきく。

"Papa, when is going to be future?" (いつ未来になるの?とでも訳すか)
"Uhhhhnn, future is..., ahh, uhh, for example, tomorrow is future, next week is also future, next month is also future. Any time after now is future.

たぶん、いや確実にこの回答では彼のもっと根本的な疑問の回答にはなっている。次男はしばらく考えて、

"Then they are going to make a flying car in future? ときく。
"We don't know when, but maybe somebody will make it. When I was a small child, we didn't have a computer. But then somebody made it, and now everybody uses it."
"So who will make a flying car?"
"You, make it. You can make it if you want."
"But I don't know how to make it. I know how to make a cup with clay, and I know how to make a stamp with clay, and I know..."

(そしたら、未来に飛ぶ車ができるの?
(いつか分からないけど、でも誰か作るでしょう。僕が子供の時はコンピュータなんてなかった。でも、誰かが作って、今はみんなが使ってる。)
(じゃあ、誰が飛ぶ車を作るの?)
(おまえが作ればいい。作りたければ作れるよ)
(でも、作り方が分からないよ。粘土でコップを作れるけどね。粘土でスタンプも作れる。他にも、何があったかなあ・・・。)

なんとも可愛いではないか。自分のできること一覧が彼の頭の中にはあるのだ。おもしろい、でもまだ未来という概念については解決していない。

"Then when was the past? "
"Yesterday is the past, last week is also past, Any time till now is the past. Papa was born in the past."
"So you didn't have anything? No car? No washing machines? No TV? God just made the world?"
"Ah, I was born long, long after the world was created. When I was a child, there were already TV, car, washing machines etc. but just not computer yet."
(じゃあ、いつが過去?
(昨日は過去、先週も過去、今より前は全部過去。パパは過去に生まれた。)
(そしたら、パパは何もなかったの?車も、洗濯機も、テレビも。神様が世界を作った時でしょ。)
(あー、パパは世界ができてから、ずっと後に生まれた。だから子供の頃にはもうテレビも車も洗濯機もあった。でもコンピュータはなかった。)

"I think you should go to sleep now"
"Un, I will make something else with clay next time"
"Ah, you talked about future. You just said that you will make something in future. Next time is future."
"Oh, yeah, next is future? OK, I got it."

(もう寝た方がいいよ。)
(うん、次は粘土で何か他のもの作る)
(あ、未来について話した。何か未来に作るって言ったんだよ。次ってのは未来ってこと。)
(あー、そうか、次は未来か。分かった。)

数分後にはすやすやと寝息を立てていた。彼の頭の中で今何かが繋がって行ってるのだろうか。

カブール再考

帰国している時に茶色袋昼食で話したことがウェブに出ていた。ここ↓
http://www.fasid.or.jp/chosa/forum/bbl/bbl_20.html

テープ起こしという作業もかなりグアンタナモ系な、つらい仕事だし、話ももたもたしていたのに手際よくまとめてくれている。
プレゼン資料は重すぎたのか、クリックしたら固まってしまった。

グアンタナモ系の日々

フィジオセラピーとグアンタナモの関係についてはっきりさせておいてほしい。動かないものを動かそうとして苦痛を与えることと、動くはずだが動かないものを苦痛を乗り越えて動くようにすることの間に、当事者的にはほとんど違いがない。


これ(例えば↑みたいなこと)を三ヶ月続けてもきっと何も変わらないだろうと思う。今日は金曜日だが、水曜日の痛みが残って昨日はなかなか眠れなかった。

* * *

ところで、Linux 関係の話は単なる備忘録になっているので、別枠で保存していくことにした。こっちにあります→ yobuntu

Sunday, April 05, 2009

しょぼっ

全然あかんわ。やっぱり13日金曜日という日付が効いたか。
手術から3週間経ったが、改善の気配はなし。痛かっただけかいな、ほんまに。
いやぁ、痛かったなあ、手術の後。深夜一人で家の中をのたうち歩き回りました。

3月13日金曜日の朝7時15分に集合ということなので、遅刻してはいけないと前日からはりきり過ぎてほとんど寝ずに病院に行った。病院に着くと、他に手術する人が二人いた。僕を入れたこの3人が今日の第一ラウンドらしい。

アレルギーはないかとか、薬は飲んでないかとか、すでに紙に書いて提出したことをまた二人の人に別々に一回ずつきかれる。右肩か左肩かどちらの手術かという質問をするのでやや笑えるが、間違えられると困るので、真面目に答える。

右肩から先を完全に麻酔で麻痺させるために肩というより右胸の上の方に、麻酔医が何か差し込んだ。ディスプレイに写っている画像を見ながら、神経を探しているらしい。ぼーっとその画像を見ていると、無意識にギャッと叫んでしまった。神経を探り当てたらしい。そこで止まって、麻酔薬を注入し始めた。

15分ほどすると、腕の感覚がなくなった。手術室に移動するのだが、誰かが僕の右腕をもたないと、右腕だけ付いてこない。これはかなりやっかいだなと。

手術室に入ると、3人ほど女の人がいた。「ハーイ、私は○○よ、お元気〜?」みたいな調子に乗った挨拶をそれぞれがする。こっちは右腕が自分に付いてきているかどうかが気がかりで、そんな気分じゃないんだって。

手術だからてっきり全身裸にされて、エプロンみたいなものを着せられるのかと思っていたが、脱ぐのは上半身だけで、下はジーンズをはいたまま。日本でもこういうものなのだろうか。

手術室に入ってくる前にすでに、左腕に注射針が突っ込まれて固定されていて、胸には三箇所くらい吸盤に電線が付いたようなものを付けられていたのだが、手術室ではさらに鼻の穴に酸素チューブを突っ込まれた。完全武装をしたような気分になる。

また、テレビ画面のようなものがあり、それで右肩の中身を見ながら手術を受けるかどうか、音楽を聞きたいかどうか、そんなことを訊かれるが、前夜からの興奮状態がピークを越えていて、すでに疲れて、やや吐き気がしていたので、眠りたいと答えた。そしたら、また素っ頓狂に景気良く、「わかったわぁ、じゃあ、眠らせてあげるわネ」みたいな返答が女の人から返ってくるので、やや不安になって、「いつ起きれますか?」と即座に訊いた。すると「手術が終わったら直ぐよ、直ぐに起こしてあげる」というではないか。ますます不安になる。眠り薬を腕から入れるのか鼻の穴から入れるのか知らないけど、そんなに簡単にスイッチを入れたり切ったりするみたいに寝かしたり起こしたりできるのだろうか。そんなことを考え始めたが途中ですでに意識はなくなっていた。

* * *

パッと目が覚めた。妙に鮮やかな目覚め。まわりを見渡してみる。手術室に行く前の部屋だ。壁時計を見ると、最後に見た時から、ちょうど1時間しか経ってない。そんなバカな、と思うが、僕のまわりの事態は実に普通に続いているので、その通りなんだろう。確かに医者は1時間くらいで終わるとは言っていたが、いろいろな手間も入れると1時間ちょうどというのは早すぎるのではないか。

僕が目覚めたことに気づいた看護婦さんが、「ハーイ、気分はどう?何か欲しいものある?」と訊く。気分は悪くない。3日間寝たくらいすっきりしてる。しかし、やけに喉が乾いている、と言うと、水を入れたコップを持ってきてくれた。思わず意識ではそれをとろうと右腕を動かすのだが、何も起こらない。右腕がなくなったのかと思って、見てみると右腕はまだそこにある。が、まったく微動だにしない。コップをもった看護婦はニコニコしながら、ストローを口まで持ってきてくれた。

「手術はどうだった?」ともっともあり得べき質問をすると、医者がすぐ来るから彼に訊いてちょ、だと。まあ、それもそうだと納得。

しばらくすると手術をしたタコに似た顔の医者が来た。気分はどうだとまた訊かれる。いいよ、いいよ、それより手術はどうだった?ときくと、石灰化した部分が見つからなかった、と言うではないか。はあ?手術前にレントゲン写真を見て、あれほど確認したのに、見つけ損ねたのか、このタコ。

なんか形勢不利と感じたのか、即座に医者は、「いや三箇所から入って調べたんだ、でも・・・」と言って、ちょっと肩を落としてうつむいてから、「それでも関節の部分をきれいに削ったから、もう肩は動くよ、ほら」と言って、まったく感覚のない僕の右腕をつかんで上に上げてみる。で、次に医者に会うのは三ヶ月後だという。そんなもの?せめて一週間くらいしたら、手術がどうだったか見てみるとかそういうことにはならないんですかね。

で、月曜日からフィジオセラピーに行けだと。それって、3日後でしょ。人の体に三箇所も穴開けた人の言うことかね。穴から一斉に血吹き出したりしたらどうすんの?いやぁ、ダメ臭い。これはダメ臭いと思った。でも、もう終わったことだから、しばらくそれなりに経過を見てみるしかないと強引に納得。

* * * 

昼頃には退院。直前に看護婦から12時間から14時間で麻酔が切れるから、痛くなったら、これとこれを飲んでと二種類の薬を渡された。そして、かなーり、もったいぶって、どうしても痛みが耐えられなくなったら、これを飲んでともう一種類カプセルを渡される。

そんな話をしている時に、なにかゴトンと漬物石のように重みのあるものが落ちる気配がしたので、はっと下を見ると自分の腕ではないか。看護婦が笑って、「あなたの腕よ、まだあるわよ」と言って、僕の右腕をつかんで持ち上げる。まったく感覚がないので、異物のように扱わないといけない。これはかなり注意しないと家に到着するまでに右腕を傷つけてしまいそうだ。

家に到着すると、大成功という喜びはなかったものの、やっと終わったという興奮が続いていて、落ち着かない。右腕を左腕で保護しながら、立ったり座ったり歩いてみたりする。そのうちに子供が帰ってきて、不思議そうに見ながら、腕をどうしたときくが、なんとこたえても納得させられそうにないので、右肩の中からゴミをとったと答えた。

晩ご飯が終わった頃から、右腕の感覚が本格的に戻ってきた、と同時に、なんとも説明不可能な痛みが右肩全体に沸いてきた。鮮烈な痛みではなく、そこ深く意地悪いおもーい痛みだ。右肩三箇所に釘を打ち込んで抜いてみるとこんな感じで痛むんだろうと思う。拷問反対。

みんな寝静まった夜中に痛みがピークに来たようだ。そんな怪しげなもの飲んでたまるかと思っていた三種類目のカプセルにとうとう手を出してしまった。これはなんなのだろう。頭をどこかでゴーンとぶつけた時にくらっとする、あのくらっによく似た感じを覚えた。そして確かに痛みは和らいだような気がする。しかし、完全除去というわけにはいかない。結局、朝まで何もできず、家の中をうろうろして、ただ痛みをしのいでいた。