Monday, May 08, 2006

Quixotic な、あまりにQuixotic な

「これはドン・キホーテ的営みではないだろうか」という一節が締め切りを5日遅れて昨日やっと送った「フォーサイト」の原稿の中にあるのだけど、またも怒 涛の一日から帰ってベッドに仰向けに横たわって、白い壁に両足の裏をつけて足と壁とベッドの直角三角形を作って、ぼんやりと天井を見ていたら、ふと「ド ン・キホーテ的」っていうのは日本語として意味が通じないのではないかということに気がついた。書いている時は、ただまったくもう Quixotic だなあという気分を日本語に翻訳したつもりだったのだけど、アルファベットをカタカナにしただけで翻訳になっていないではないか。

でも、日本語にすると何が当てはまるのだろうかと考えても何も出てこない。電子辞書に入っている「ジーニアス英和大辞典」を見てみると、

1.[時に Q~]ドン・キホーテ式の。
2.空想的な、紳士気取りの、幻想的な、現実離れした。
3.衝撃的な。

となっているが、どれもぴったしこない。「空想的な」と「現実離れした」が近そうだけど、「空想する」という行為が前面に出てしまうと、それさえ気づかな いトンチンカンさの味が出てこないし、「現実離れ」にすると、現実との距離の大小が問題なのではなく、現実との絶対的絶縁が問題なので quixotic の本質からずれてしまう。辞書を作る人に quixotic な気分は似合わないからしょうがないかもしれない。ついでに同じ電子辞書に入っている「Oxford Advanced Learner's Dictionary」も見てみると、

「having or involving imaginative ideas or plans that are usually not practical」

と書いてある。言語間で単語を一対一対応させないと気がすまないらしい辞書よりは親切だと思うけど、こうやってきっちり定義的に書かれてしまうと、やはり 漏れるものも出てくる。理想的なのは、現実に使われているケースを100個くらい列挙して、辞書を引いた人に体得してもらう(感得か)ことだろうけど、そ うなると辞書が分厚く成りすぎる。しかし、電子辞書なら分厚くならないのだから、もう辞書の成り立ち方を根本的に変えてしまっても良さそうな気もする。 IT会社の若い社長が辞書業界に殴り込みをかけて、単語を定義せず、感じさせるだけの電子辞書を作って老舗の辞書編纂会社を蹴散らしていただきたいもの だ。

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20代半ばの頃のことだから、20年以上前のことだけど、大阪のミナミにQuixotic Bar というバーがあった。御堂筋の西側の、つまり貧乏臭い方の(東側には心斎橋筋が通っていてそのまた東側にはおしゃれな、というかバブリーなお店が当時は次 々出来ていた)、汚いビルの地下に幅1.5メートルくらいの通路が通っていて、その両側にみっちりと小さなお店が並んでいた。いつも臭くて、じっとりと 湿っていて、照明はたいてい半分くらいは切れているような薄暗い通路で、こんなところにわざわざ飲みに来る奴はどんな人間なのだとよく思ったものだが、ど うも自分のことを振り返る余裕はなかったようだ。Quixotic Bar は開店するのが午前二時くらいなので、当然その頃にはもう泥酔しているわけで、まともな思考力が撲滅した後でしか Quixotic Bar には行ったことはなかったはずだ。

Quixotic Bar の中は通路よりもさらに暗く、目がなれるまでは深海の洞窟に潜む盲ウナギの気分を味わうことができる。と書けば、完璧な静寂を思い浮かべてしまうかもしれ ないが、実際は爆音なのか音楽なのか分からないような大音響で60年代から70年代初期のロックやブルースがうなりまくっていた。例えば、Allman Brothers とか Grateful Dead とか。たぶん6畳くらいしかない店内に小さなテーブルが二つあり、壁際にワンルーム・マンションのキッチンのように小さなバーがへばり付いていた。いった いどうやってみんなこの場所を嗅ぎつけてやってきたのか分からないが、Quixotic Bar には常にびっしりと人が入っていた。この爆音の中で、まだ会話をしようとするバカ者も当然少数はいたが、ほとんどは声を出すことを諦めて、ただ暗黒と爆音 の中で沈黙して、グラスを握り締め、泥酔の身体に鞭打ってゆれながら突っ立っていた。目の前にどれだけ人がいようが、お互いに会話することを諦めているの だから、他人の存在は礼を失することなく無視できる。今から思えば、この爆音の中でのみ得られる静寂が人を寄せ集めていたのかもしれない。時代はまだ、ひ きこもりという手を発見していなかったのだ。

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先週、ゲストハウスのキッチンでグリーンアスパラガスとサーモンのスパゲティを作っていたら、いつものようにひょっこりとユワン・マクロードが現れた。 ジュネーヴが拠点なのだが、2、3ヶ月に一回カブールにやってくる。いつも1週間くらいしか滞在しないが、その間に一晩くらいはかなりみっちりと話し込む のが慣例になっている。スパゲティを食べた後、今回も庭に旧ソ連人(アゼルバイジャン人)のニアジのウォッカを勝手に一本冷蔵庫から持ってきて1時くらい まで、いろんな話をした。ユワンは今や希少化する一方の大英帝国的・古典的知識人であるので話したいことはいくらでも出てくる。それに、現在のアフガニス タンのバカ騒ぎが始まる以前の艱難辛苦を共有していること、自分の国籍とは違う人と結婚し、子供の年齢が近いこと、かつてイギリスのライバル校に在籍した こと、などの理由でユワンと話し出したら、ネタはつきない。ただ、話を続ければ続けるほど、この世界を思春期の青年のように憂い、お互いに抑うつ的な状況 にはまり込みがちなのだが、別に眉間に皺を寄せて深刻な顔で話しているわけでもない。話は常にジョークで次へ移る。

「結局、」と言って彼はちょっと間を置き、「僕は、the best part of the last 200 years を過ごしたのだから、ハッハッハ」と彼はよく話を締める。彼は青春を60年代に過ごしたということを言っているのだ。一番おいしいところを取ったのだか ら、今、何がどうであろうと、それがどうした、ハッハッハ、というわけだ。それを聞くたびに、彼の勝ち誇った顔を見て、僕は負け惜しみ笑いで顔を醜く歪ま せ、もだえ苦しむしかないではないか。Quixotic Bar には、過去200年間で一番おいしいところの残りカスがあったもん、なんて口が裂けても言えない。

ユアンの経験と知識と考察を世間で共有できたらいいのにと僕はいつも思いながら、最終的には酔っ払って何が何だか分からなくなって、具体的な話になったこ とはなかったが、今回は、彼が9月にケンブリッジ大学でする講演原稿を僕が翻訳して日本界にデビューするということ、そして日本のどっかの大学で彼の講演 をする、という二大決議をしたのであった。これは是非とも実現したいものだ。決議一はともかく、決議二は僕が大学を探してこないといけない。大学の講堂な んてしょぼいので、今度帰国したらサトーセンセに東京ドームで彼の講演を企画する気はないかきいてみよう。


モスクの改修工事。あんな足場でええんか?労災なんてないんだろうな・・・

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