Sunday, November 11, 2007

パスワード

コペンハーゲンに引越してから、よく「おしん」を思い出す。街全体がおしんの色をしてる。人の表情もおしんっぽい。といっても、実は僕はおしんを一度も見たことがない。いつ頃やってたのだろうか、とちょっと考えてみたが、さっぱり分からない。知っているのはNHKの朝の連続ドラマだったということだけだ。貧乏で不幸な境遇の女の子が成長していく物語という程度の認識しかない。それだけで、おしんを語るのは不遜なことかもしれない。

でも、コペンハーゲンを表すのにおしんのイメージは僕の頭の中ではぴったりなのだ。一年のほとんどの間ひどい気候の中で文句も言わずじっと耐えている人たち。街の中で見かける顔はみんな懸命に何かに耐えているように見える。僕はそんな表情を見て、おしん、おしんと思いながら歩いている。

ここはいつも風が吹いている街だ。そのせいで気温以上にものすごく寒く感じさせる。特にオフィスのあるヨットハーバーは風がすごい。誇張でなく、ほんとに風でふわっと身体が浮きそうになる。そう言えば、この2ヶ月ほどで11キロ痩せた。もちろんダイエットなんてするわけもなく、ジムに通うわけでもないが、勝手に痩せた。全身に余計な油がついていたので、それが溶けてなくなったような感じがする。痩せたというより、風船が縮んだようなものだ。

考えられる原因は毎日通勤で片道20分歩くということと、間食をまったくしないということだ。胃に入る固形物は昼のサンドウィッチと夕食だけで、カブールにいる時のように、仕事をしながらジャンクフードを食べることがない。次回、日本に帰った時に、痩せないと死ぬぞと脅していたいつもの医者に会うのが楽しみだ。

今日、オフィスに入って20歩くらい歩くと案の定警報が鳴り始めた。オフィスビルに入る時はいつも個々のスタッフに配給されている小さいコインのようなマグネットをドアについているキーボードのようなものにあてて、その上で個々のスタッフ専用のパスワードを入力して入る。それから自分のオフィスの部屋に入る時はまた別のカードキーをスライドさせて、またパスワードを入力する。そこまではいつも同じなのだけど、勤務時間外にオフィスに入る時はさらに部屋に入ってから、アラームを解除しなければいけない。それにもまた別のパスワードの入力が必要になる。

今日は日曜だけど部屋に入ってもアラームがならないので、なんだ壊れてるんだと思って歩き始めたら、やっぱり鳴り始めた。あわててアラームコントロール機まで走っていって、パスワードを入力したが、間違えたみたいだ。まだ鳴り続けてる。これが続くと、警備会社がやってきて、えらい騒ぎになってしまう。もう一度落ち着いて入力し直すと、鳴り止んだ。面倒くさい話だ。人を全然信用しないと社会は実に効率が悪くなる。子どもの学校も同じように入り口でパスワードを入力しないとドアが開かない。それも週日と週末(日本語学校)で同じ校舎だけど、パスワードが異なる。

毎日必要なイントラネット、eメール、プロジェクト予算システム、支出報告システム、人事管理システム、銀行ATM、携帯電話用SIM、携帯電話器そのもの、インターネットバンク4種類等などが日常的にパスワードが必要なものだけど、頭の中がパスワードだらけで、もう覚えられない。ワイヤレスネットワークや、インターネットで使ういろんなサービスのパスワードなんかを数え始めるともうきりがない。全部同じパスワードにしようとしているのだけど、変更できないものや、異なったルールを要求するのがあって、ちょっと変えるだけで、もうこんがらがってしまう。

サインや印鑑がパスワードになっただけの話だろうが、生体認証システムがもっと進んで、個々のアイデンティティを証明するものが自分の身体以外何も必要なくなるようになった方がもう楽だと思う。そんなことを言うと、完全管理社会を警戒する人たちにボコボコにされるだろうし、そういう警戒感はよく分かるけど、今さらそんなこと言っても、もう遅いではないかと思う。パスワードに人格を乗っ取られているような気分ではそんな議論をする気にもならない。

オフィスを出ると、雪が降っていた。強い風に流されて、雪が正面から顔に当たる。なんて冷たいんだろう。おしん、おしんとつぶやきながら、暗く冷たい道を家まで歩いて帰った。明日の夜明けナイロビに向う。

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