Sunday, November 25, 2007

車のベンチ、もしくは形而上学的なベンチ

これはどうやってできたのか、というのが4歳の息子の最近の関心事だ。
ありとあらゆるものについて、それを確認しようとする。これがなかなか大変なのだ。

例えば、食べ物はどうやって出来たのか?なんて剛球を平気で投げてくる。
とりあえず、いろんな食べ物があるのだから、これは場合分けに進まざるを得ない。
そうすると、じゃがいもはどうやってできたのか?のような質問に入ってくる。
当然、これは農業全体の話をするはめになる。ほとんどない知識を総動員しても、まったく心もとない話しかできない。

しかし、食べ物の話なんてのはむしろ親に気遣った親切な質問ではないかと思う。
自動車はどうやってできたのか?何から出来ているのか?なんて話になると、素材だけで、ガラスについて、ゴムについて、プラスチックについて、鉄について等など途方もない話になるし、何百万というパーツで構成されてる車について説明するのはまったく不可能だ。

結局たいていの回答がいい加減なことになる。しかし、これでもまだ楽な質問の部類なのだ。

ある日、4歳の息子はそのキャンディはどこで買ってきたの?って調子で、

What is the world made of ?
How is the world made?

と何気に訊いた。
僕は自分の耳を一瞬疑って、自分でそれを繰り返してきいたみた。

What is the world made of ?
(世界は何でできているか?)

How is the world made?
(世界はどうやってできたか?)

すると、彼はのんきな声で、Yeah, と言って、
僕の回答をフツーに待っている。

困った。いろんな回答が存在するなんて話は回答にならないし、そもそも僕にはこれぞという回答がないのが決定的だ。自動車のパーツのようにごまかしがきく質問ではない。

「Uhhhn, I don't know. But you can find it when you grow up.(うーん、分からない。それは自分で大きくなってから見つけてくれ)」

と答えるしかなかった。
子どもの頭の中は、大人のように仕切られていないのだろうと思う。例えば、キャンディと神とたわしが同じ領域に共存したりするのだろう。

今日、彼はカラー粘土で作ったベンチと自動車、それとトミカの救急車の三つを持ってきて、説明を始めた。「This is a bench for the car (これは自動車のベンチ)。」と言ってる。聞き間違えたかと思い、A bench for the car ? と確認すると、彼は自信をもって、

「そう、車が疲れた時に座るベンチ」という。
しばらく、僕は頭の中で「車が疲れる」という概念、「車がベンチに座る」という概念をどうにかどこかに落ちつかせようとしていた。ともかく、

あーそうか、車が座るベンチか。
うまくできたね。
きれいな色のベンチだから写真を撮ろう。

と、やっと言えたのだった。

形而上学的なベンチ(↑)


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