Tuesday, January 03, 2006

今日はノリコ家の人々がやってきた。自家製の米10キロと交換にスワットの木窓を引き取りに来たのだ。

スワットというのはガンダーラ美術で有名なところなのだが、どこでも掘り起こせば紀元前2世紀の仏像が出てくるという時代はとっくに終わっていて、今はガ ラクタを磨いて売り飛ばすというのが商売になっている。この辺は隣接するアフガニスタンのカフィリスタン(今はヌーリスタン県)と呼ばれる地域同様、樹木 が豊富なので、木彫りが盛んな地域で、窓やドアやその他家具なんでも木のものは彫り物だらけになってる。

そんなものはスワット人には当たり前なのだろうけど、外国人が見るとおっ!ということで、なんでもかんでも売り飛ばすことが20世紀後半に始まった。それ に目をつけてかたっぱしから、古い家具や家の一部の木彫り部分を引き剥がしては買い叩いて、ちょこっと磨いて売る専門の商人もやがて現れた。

イスラマバードに住んでいた時、僕も木窓を二つ買ったのだが、日本に持って帰っても飾る場所がない。一つは玄関を入ったところの壁にかけたのだが、もう一つは埃まみれになって捨てられる日を待つのみであった。

年末にウメ一族の一味としてノリコさんがやってきた時、彼女は目ざとく玄関にある木窓を見つけていたのだ。この一見汚らしい木窓に関心を寄せる人はめったにいないのだが、さすがに建築家だけあって、汚いとは思わなかったようだ。

使いようのない一つは邪魔になるだけなので、何度も捨てようかと思ったのだが、いざ捨てるとなると惜しい気がしてなかなか捨てられなかった。かといって、 どうせ誰かにあげるなら価値の分かる人に引き取って欲しいという欲もわいてくる。そもそも欲しがる人がいないという根本的な問題もあったのだが。

だから、ノリコさんが木窓に気がついたという時点ですぐにあげようと思ったのだった。但し、家で米を作っているということを聞いていたので、とっさにそのかわり米をくれと言ったのだった。

三つくらい年上のヒカリちゃんとうちの息子二人はすぐに遊び始めた。言語的コミュニケーションはそれほどうまく行かないはずなのに、子どもにはそういうことはあまり障害にはならないようだ。

夕方になると上の子の学校の友達のパキスタン人一家が遊びに来た。ここのお父さんはNational Bank of Pakistan (日本の日銀にあたる)のエライ人なのだが、毎朝、上の子を学校まで車で送ってくれるからとても助かっている。彼の二人の息子と一人の娘の三人が合流して 子どもが全部で6人になって、みんなで遊んでいるが、やはり言語はあまり関係ないようだ。

みんなが帰ってから、妻が焼きそばを食べたいというので、上の子とピーコックに材料を買いに行った。豚肉とエビと竹輪とキャベツともやしとピーマンで作り 始めたのだが、年末に買ってあまっていた竹の子も使えと妻が言うので、やや不安もあったが、それも入れたら意外にもおいしかった。焼きそばの作り方を教え て欲しいというが、そもそも焼きそばにも作り方があるのかと思ってしまう。見れば分かるだろうなんて言わずに、見て分かるように作る以外なさそうだ。

みんな帰ってから、上の子はヒカリちゃんは次いつ来るのかと訊いていた。またいっしょに遊びたいということだ。やはりコミュニケーションは存在したのだろう。

No comments: