Sunday, January 20, 2008

サッカーボール

足が痛い。今日、8歳の長男の友達が家に遊びに来たので、一緒にサッカーをしたら、案の定、足首と膝と腰が痛くなってきた。全身が単に歳のせいで弱くなっているのだろうが、36年前に一度痛めた右のアキレス腱が鬱陶しいのだ。アキレス腱は20年前にまた痛めてからちゃんとボールを蹴れなくなった。インサイド・キックならなんとかなるが、インステップ・キックをするとアキレス腱を握りつぶされたような衝撃を感じる。まだ同じだろうかと、今日ちょっとやってみたら、やっぱり同じで、思わず悲鳴をあげそうになった。

ボールというのは飛行機に乗せてくれない。気圧の変化で爆発したりしたら困るからだろう。というわけで、旅行をしたりすると、行く先々で子どもにボールを買うはめになる。船便ならいいだろうと思ったが、引越し荷物でも当然ボールは嫌われた。というわけで、長男は4ヶ月以上に渡ってサッカーボールを買って欲しいと粘り強く言い続けていた。

昨日、土曜日の日本語学校の後、長男を向えに行き、やっと買い物に行くことができた。長男はいつか来る、その日のために、何番のバスにのって、どのバス停で降りて、どの店とどの店をチェックすればいいかということを調べていた。僕がまったくそういうことに関心がないことをよく分かっているらしい。

土曜日の日本語学校は午前中で終わる時と午後2時45分までの日が隔週でやってくる。昨日は午後まである日だった。学校へ行って先生と少しだけ話しをして、さっそく長男の先導にしたがって店に向った。

一軒目はBRというおもちゃ屋でトイザラスの縮小版みたいな感じだ。このBRは既に三軒くらい見たので、かなり大きいチェーンなのかもしれない。BRに着くとガラス張りの壁を通して人が中にいるのが見える。サッカーボールが置いてあるのも見えた。しかし、無情にもドアは閉まっていた。なんだ、なんだ、と思ってドアの張り紙を見ると、日程表みたいなものがある。デンマーク語なのでよく分からないが、曜日くらいは想像できる。月曜日から金曜日が朝10時から午後6時まで、土曜日は朝10時から午後3時まで、そして日曜日が休み。時計を見ると、午後3時20分だった。

土曜日の午後とか日曜日って、おもちゃ屋が一番儲かりそうな時間じゃないのか、それに週日にしても6時に閉まったら、仕事をしている親と子どもがいっしょに買い物に来るのはほぼ絶望的じゃないか、などなど少し憤ったが、こういうのももう慣れてしまうと怒りにも勢いがなくなる。

そこで虚脱していてもしょうがないので、すぐに長男が見当をつけていた二件目の店に向った。こっちはスポーツ・マスターというスポーツ用品の専門店だった。これももうすでにコペンハーゲンで何軒か見た店名なのでチェーン店なのだろう。

その日は風が強く、大人の身体も時々ふわっと浮くような気がするくらいだった。浮いてもいいのだが、これくらい強い風が吹くと寒さが厳しい。ボールも心配だが、長男が風邪をひかないか心配になってきた。デンマーク語の新聞に、今全国民の三分の一が風邪をひいているという記事が出ていたらしい。日本の学校なら学級閉鎖じゃないだろうか。国家閉鎖でもしなければいけない事態ではないのかと思うが、おしんの国はそんなことでは負けないのだろう。

スポーツ・マスターは閉まっていた。息子は放心していた。きっと明日友達が来るのでサッカーをするという計画を立てていたのだろう。子どもを見ていると不憫で、午後3時に閉まるおもちゃ屋を狙ったテロがいつ起こってもおかしくないなんて考えてみた。

目の前にマクドナルドがあったので、とりあえずそこで何か食べて対策を練ることにした。学校が終わるといつもお腹をすかしているのだが、今日はサッカーボールのことで頭がいっぱいだったらしく、何か食べたいということは一言も言わなかった。

マクドナルド指数なんてものを『 Economist 』(雑誌)が使っていたと思うけど、別の意味で異なった国でマクドナルドを試してみるのは結構おもしろい。まず、味が微妙に違うことやメニューの工夫に国の特徴が出ている。しかし、もっとも大きな違いが出るのは従業員の対応の差ではないだろうか。素早さ、丁寧さ、オーダーを受ける効率の良さなど、従業員の錬度で言えば、日本のマクドナルドは世界のマクドナルドの中で断トツで一位だろう。これまで行ったマクドナルドの中では、おそらくインドとデンマークが最下位だろう。おもちゃ屋テロ事件の直後だったので、もう少しで爆発しそうになった。

思ったとおり、息子は猛烈な勢いで自分のチキンハンバーガーに加えて、僕が食べようと思っていたチキン・ウィングスまで全部食べてしまった。僕はその間、衰えた記憶力を奮い立たせて、なんとかサッカーボールのイメージを頭の中で探り当てようとしていた。

コペンハーゲンの中心部にコンゲンス・ニュートロフというところがある。直訳すれば、「王の新広場」みたいなことになりそうだが、勘なので正式翻訳名はもっとまともなものがあるのだろう。そこに行けば、マガジン・デパートという一番高級らしいデパートがある。そのすぐそばに歩行者天国のようなストリートがあり、そこは土曜や日曜でも観光客でにぎわっているという印象が残っていた。ほとんどうっすらとした記憶しかないのだが、その当たりでBRを見たような気がしていた。その辺りのお店なら、チェーン店でも少し遅くまで開けているのではないだろうか。

息子にそのことを話したら、直ぐにでも行こうと賛成した。来週まで、ここのBRが開くのを待つのは耐え難いと僕も思っていた。むしろ、土曜日午後3時で閉まるBRには一生行かないという誓いを立てた方ましだ。

コンゲンス・ニュートロフに着くと、まずマガジン・デパートがどーんと目にはいってくる。開いている。そこが目当てじゃないのだが、もしBRが見つからなくて、その後マガジンに戻ってきた頃には閉まってるなんてことになると目も当てられない。とりあえず、開いている時間を確認しにメインドアまで行くと、なんと5時で閉まると書いてある。玄関の巨大なガラスのドアに頭突きを入れようと思ったが、時計を見るとまだ4時45分。まだ間に合うかもしれないと「スポーツ」と書いてある階に直行したが、ボールは売っていなかった。そこでしおれてもしかたない、次はおもちゃ部門だと息子に言って直行した。

しかし、サッカーボールはなかった。マガジンで売ってるサッカーボールはどうせ法外な値段だろう、それでもしょうがないと覚悟していたのに、おー、そうか、女もんパンツはフロア占領するくらい売っても、子どものサッカーボールは売りたくないか、それならもう何にも買ってやらないよ、と肩で風を切ってマガジンから、また寒風吹きすさぶ街へ出た。もう街は真っ暗になっている。

息子はもう言葉が少なくなっていて、ボーとしがちになってきた。そんなことで諦めてはダメだ、四ヶ月も諦めなかったんだから、今日がダメでも、明日がある、それに今日はまだ終わってない。もうこの段階でこのサッカーボール購入プロジェクトは僕のものになっていただろう。

子どもに、確かこの辺でBRを見たことがあるのだ、この通りをもう少し行ったところだと言いながら、頭の中ではいっこうに記憶がよみがえらないのだが、見当をつけて歩き始めた。気分悪いことに通りの店はどんどん閉め始めている。息子はもう一人諦めているのだろうか。

10分ほど歩いて、アッタッ!と息子が大声をあげた。10メートルほど先にBRが見える。ほら、あっただろう、この辺で見たと思ったのだ、という大人の自慢話は無視して、息子は通りを隔てた向こう側にある店の中の様子をなんとか確認しようとしている。また閉まっているのではないかという疑念があったからだろう。

そして、日本語で「あけてる!あけてる!おとうさん、あけてる!」とその場でぴょんぴょん跳んで怒鳴り始めた。「開いてる」っていうの、こういう時は、と言うと、また全部「あいてる!あいてる!、おとうさん、あいてる!」と言い直して、信号が青になるやいなや、全速で店に向って走っていった。

ほっとした。良かった、今日中に手に入って。妻に電話して、「あった」と伝えると、彼女もほっとしていた。時刻はもう5時45分。晩御飯を何か考えて材料を買ってきて欲しいと頼まれていたが、もうそんな気力が残っていない。話し合いの末、結局、一度家に帰って、晩御飯対策は別にすることにした。

帰り道、息子が、Papa, thank you for the soccer ball, と何度もいうのを聞いて、4ヶ月間の放置の罪に苛まれた。

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