Thursday, May 26, 2005

American Idol again

American Idol はカブール時間の午後8時に始まるので、昨日は7時半になってあわてて僕はオフィスを出た。10分でゲストハウスについて、冷凍のホワイト・アスパラガスとブラウン・マッシュルームを解凍して、スパゲティを11分間茹でて、スパゲティの入ったボールとアスパラガス・マッシュルーム・ソテーの入ったお皿とパルメザン・チーズとミネラル・ウォーターをテーブルに置いて、テレビの前に陣取った。

ヴォンジー(Vonzell Solomon をみんなそう呼ぶようになっていた)がいなくなって、僕にとってAmerican Idol の魅力は、もう半減していたのだが、それでも、最後まで見届けたかった。それにヴォンジーはこのコンテストとは関係なく、いずれプロのシンガーとしてデビューするだろうと思う。

アラバマ出身の29歳長髪完璧男のボー(Bo Bice。昨日はBoo って書いてしまったけど、Bo のまちがい)には、Southern Rocker というニックネームがつけられている。プライベート・ジェットで故郷のアラバマに帰った時は、なんとほんもののレイナード・スキナードの生き残りをバックに、Sweet Home Alabama を歌って、ぴったりはまっていた。先週はステージでは演奏なしで歌うという賭けにもで出て、そのあまりの正確無比な絶唱に審査員は圧倒されていた。彼には確かにgift があると思う。そして、何より彼は既にものすごい人気者になってしまった。ちゃらちゃらしていない米南部の男で素朴でしかもソフトだから、かなり射程範囲が広いと思う。

キャリー(Carrie Underwood)には、Country Girl というニックネームがつけられている。文字通り、オクラホマの田舎娘という意味と、音楽のジャンルのカントリーを歌わせると、もうどうしようもなくうまいという点をかけているのだろう。彼女もボーに負けず、ほんとに素朴さがにじみ出ている。考えてみると、ヴォンジーを入れて三人ともほんとに素朴な普通の人だった。こういう市井の中から才能が発掘される過程というのがおもしろい。

キャリーは、ボーの完璧さに比べると、時々弱く聞こえたりすることがある。nervous になりがちなのだ。審査員も時々それを指摘して、僕はキャリーはもっと早く脱落するかもしれないと思っていた。しかし、キャリーはいつもその緊張感を懸命に振り切って歌いきろうする。そして最後には出だしの若干の乱れを常に乗り切ってきた。そのプロセスにキャリーの一所懸命さとか真面目さがあふれてきて、たぶん結果的にはそれがキャリーの人気に繋がってきたのだろうと思う。しかし、今日の対戦相手はあまりに強敵だ。順当に行けば、キャリーに勝ち目はないだろうと僕は思っていた。

今日は、両者とも三曲ずつ歌う。ハリウッドの巨大なコンサート・ホールは3階席までぎっしり埋まっている。司会者、ボー、キャリーの三人がステージに現れると歓声がすでに爆音のように響き渡っていた。歌う順番を決めるために、司会者は一面がボーの顔、もう一面がキャリーの顔になっているコインを持ってきた。

司会者はそのコインをポーンとトスした。が、彼はそのコインを落してしまった。コインはころころとステージの上をころがり、なんと鉄格子のようなものがはまっているフロアーのところに行って、ステージの下に落ちていってしまった。司会者はあわてて鉄格子に指を突っ込もうとするが、指が入るわけがない。ステージのスタッフも何人か集まってきて、鉄格子ごと取り外そうとするがはずれない。

なんというマヌケな出だしだろう。初っ端から波乱の幕開けとなった。結局、トスはやりなおしとなり、ボーから歌うことになった。一曲目は両者とも、誰もほとんど知らないような地味な曲を指定されている。

コマーシャルが終わって、ボーの歌が始まった。
えっ?僕は自分の目と耳を疑った。あのボーがキーをハズシタ。ピッチが乱れている。どういうことなんだ?今までの彼にはありえなかった。う~む、オリンピックの決勝みたいだと僕は思った。信じられないが、あの完璧ミスなし男がミスした。明らかに緊張している。しかも、聞いている方が肩がこりそうな、ものすごく難しい歌だ。ボーが苦労しているのがテレビ画面からひしひしと伝わってくる。10万人のトップ0.002% というほぼ頂点に立った男でもこういうことがあるとは。

しかし、さすがにボーは後半はその歌をきっちり自分のものにしてうまくまとめていた。3人の審査員も一様にボーが乱れたことに驚いていた。審査員の一人はこの歌は嫌いだと言っていた。言いたいことは僕もよく分かった。ほんと分かりにくいメロディだった。でも、最後にはちゃんと持ち直したことも審査員は評価していた。

続いて、キャリーが登場した。あれ~~~っ!キャリーも同じミスで歌に突入してしまった。キーが定まらない。なんてこった。それにしても、誰だこんな難しい歌を作ったのは?キャリーも懸命に持ち直そうとする。不思議なことに、ミスをしたことのないボーに比べると、どちらかというと、ミスなれしているキャリーの方が落ち着いて処理しているように見える。そして、彼女も最後には、ちゃんとキャリーの歌として歌いきっていた。

やっと歌い終わったキャリーに司会者が近づいて何か訊いたが、キャリーの声は震えていた。一所懸命に涙をこらえている。失敗して悲しんでいるようには見えなかった。やっと一曲歌いきったという大事業に感極まったという感じだった。

審査員も3人とも同様にキャリーが一曲目のボーとまったく同じ経過を辿ったことを指摘していた。この曲は嫌いだと同じことを言っている審査員がいた。ものすごい接戦になってきたと言っている。しかし、毒舌審査員のサイモンは、第一ラウンドはキャリーの勝ちだと、あくまでも彼の評価だが、宣言していた。

二曲目は両者とも自分の選んだ曲を歌う。ボーはアップテンポのロックを選んだ。Southern Rocker の見せ所だ。もう場内騒然、拍手喝さい、雨あられ状態になってしまった。こういうのをやらせると、ボーは渋く、かっこよく、しかもちゃらちゃらせずに決めてしまう。完璧なパフォーマンスだった。

審査員はWelcome back ! と言っていた。一曲目は失敗だったけど、二曲目で本来のボーに戻ったからだ。もう言うことなし、素晴らし過ぎ、みたいな評価だった。

次はキャリーだ。キャリーは当然カントリーから曲を選んだ。キャリーの透き通るような声がカントリー節になって場内に満ちていくのを見ていると、すがすがしくなる。とても気持ちがいい。でも、やはりキャリーは緊張している。それがところどころでピッチを乱す。21歳の田舎娘と29歳の南部ロッカーの違いかもしれない。

それでも、審査員はキャリーにWelcome back ! と言っていた。キャリーもやはり一曲目の失敗を乗り越えて、二曲目で自分を取り戻していたのは明らかだった。でも、毒舌サイモンは第二ラウンドはボーの勝ちと言っていた。

この時点で、キャリーにはまず勝ち目がなくなってしまった。ボーが二回失敗するということは、まず考えられない。となると、キャリーは三曲目で差をつけられてしまう。キャリー危うしだ。

そして、三曲目、ボーの歌が始まった。一転して、今度はスローな歌。う~む、これはうますぎる。聴衆はうっとりして聞き入っている。いつものボーだ。歌が完全にボーのものになっている。予測された展開とは言え、やっぱり素晴らしい。この人はプロになるべき人なのだ。

審査員一同やっぱりボーだねって感じでほとんど言葉がない。そして、この半年に渡って続いてきた10万人の戦いの最後の歌をキャリーが歌う番が回ってきた。

だだっ広いステージの真ん中にキャリーが一人ポツンと立っている。すべてがのしかかってくる一瞬に、飛行機に乗ったことがなかった、牛馬の世話をしている21歳のCountry Girl が全米に中継されているテレビカメラの前で、たった一人で立っている。緊張なんて簡単なものじゃないだろうと思った。

たいてい薄汚れたジーンズにTシャツみたいな簡単な格好をしているキャリーが真っ黒のワンピースを着て、静かに歌い始めた。とんでもないミスをしても、僕はきっと驚かなかったと思う。むしろ、そんなことを予想してしまいがちで、僕はキャリーを見ながら緊張していた。

キャリーの歌は静かに静かに入って、しかし確実に少しずつ熱くなっていった。どこにもミスはない。キャリーの歌が完璧に続いていく。だんだんと事態の展開がいつもと違うと思い始めた。あの緊張ばっかりして、いつも涙をこらえていたキャリーが歌を完全に牛耳っていた。僕の両頬には鳥肌が立ってきた。すごい歌になってきた。いかん、僕の目に急速に涙がたまってきた。キャリーの歌はピークに入ってきた。ものすごい絶唱だ。なんてことだろう。キャリーは爆発したのだ。ステージの上はすごいことになってる。場内の異様な雰囲気がテレビ画面からも伝わってくる。もう、この世界はすべて私のものよ、と今キャリーが言っても誰も逆らえないだろう。こんなことになるなんて、いくら決勝だといっても、誰も予想していなかっただろう。歌を終えた時、キャリーは世界の支配者になっていた。

静寂が場内を覆った。審査員も場内もあっけにとられている。いったい何が起こったのか理解しかねているのだ。誰も言葉がない。ステージの上ではキャリーがまたいつものキャリーに戻って、今にも号泣しそうなのを一所懸命におさえ、きっちり両手を前でそろえて立っている。審査員のコメントを待っているのだ。そして、ようやく思い出したかのように場内からは圧倒的な歓声が地響きのようにわきあがってきた。

審査員にはほんとに文字通り言葉がなかったのだ。いつも一番手でしゃべる審査員の一人が、まったくお手上げといった感じでなんども首をふり、ワーオ、ワーオと独り言のように繰り返している。彼はようやく正気を取り戻したかのような観衆の大歓声の中で一人立ち上がって、拍手をしながら、まだワーオ、ワーオと言って首をなんども振っているだけで何も言えない。となりのポーラ・アブドルもただ放心したように首をふっているだけだ。最後の毒舌サイモンまで、もうまいったと言った顔で、一言、I should say you have done enough to win と言った。

今や、あのボーはどこかにふっとんでしまった。このキャリーの最後の一曲、この瞬間のキャリーを凌駕するシンガーはこの世に存在しないだろうと思った。そういう一瞬の中に神は存在するのだ、軽々しくディーヴァを連発するもんじゃないよ、ったく、と思うが、そんなことはどうでもいいか。

二人の歌が終わって4時間だけ全米から投票の電話がかかってくる。一人で何度でも投票できるし、すでに組織票という選挙みたいなことも始まっているようだから、結果はどうなるか分からない。結果がどうなろうと、才能あふれた女性カントリー・シンガーと男性ロック・シンガーがまた一人ずつアメリカに誕生したことに変わりはないだろう。

そして、この稀にみる才能の発掘はすべて10万人のお笑いに始まっていることに僕はあらためてアメリカの強さの根拠を見てしまう。そして同時に日本の弱さの根源がどこにあるかを。もし、あなたに子どもがいるなら、否定ではなく、まずは肯定から始めましょう。

Wednesday, May 25, 2005

Likable

今日は次男の誕生日だ。あれほど気になっていたにもかかわらず、一昨日の夜にはっと気がついた。こどもの日のプレゼントを注文する時に、結局まだ時間があると思って先延ばしにしたのがいけなかった。あわてて注文したが、25日中には着かなかっただろうな。
選んだのは、「ミッフィーのやわらかブロック」と「わくわくサウンドボール」。

今日は、American Idol の最終決戦の日だ。なんとなく見始めたテレビ番組だけど、これは実に興味深いし、アメリカという国の活力源の一面を象徴的に現しているように見える。

日本でいうと「スター誕生」のような番組なのだけど、もう何ヶ月にも渡って、審査員一行様が全米を渡り歩いている。それぞれの街でアメリカのアイドルになりたい人に片っ端から歌を歌ってもらうのだが、この段階が凄まじい。どう考えても、どう見ても、絶対どんな国のアイドルにもなれそうにない人がわんさとやってくる。その数、トータルで10万人。そして、そのほとんどがとんでもない歌を披露して、テレビを見ている人は爆笑で死にそうになり、3人の審査員は頭を抱えたり、腹筋をつかんだりして、耐えている。

毎週異なった街で行われるこのわけの分からないコンテストをみて、僕も最初はただゲラゲラ笑っていたのだが、だんだんなんか変だなあと思い始めた。それは何なのかはっきり分からないが、気がついたのは10万人のアメリカ人がことごとく自信満々だということだった。審査員は毒舌と言っていいほど、はっきり評価するのだが、それでも10万人の誰一人として懲りた様子がない。

あまりに有名な番組なので、自分が世間の笑い者になっているということも、知りたくなくても知れそうなものだが、そういうことを恐れているふうにもまったく見えない。なんなんだろう、これは。まったく周りが見えないバカなのか。10万人のバカ集団?

この奇妙な気分を感じる自分は日本人だなあとつくづく思う。この10万人には「世間」というコンセプトが存在しないということだろう。そして、完全に自分が自分の世界の主人公なのだ。

自分が卒業した高校の新聞に何か書いてくれと頼まれて、「いろんなことはまあ、どうでもいいから、自分の人生の主人公を目指したらどう?」みたいなことを書いたことあるけど、そんなふうに言葉で言えても、やはりこの10万人の主人公集団を目の前にすると、うわっ、なんか変と思ってしまうのだった。

そもそも僕が「自分の人生の主人公」なんてコンセプトをもてあそぶようになったのは、15,6年前にNYに住み始めた時だった。初めての外国の生活、というよりも初めての大阪以外の生活で、NYに住む人たちの態度というか、姿勢というか、全身から染み出ている何かに強烈な印象を持ったのだった。その頃のNYは今よりもずっと汚くて、身なりも挙動もほんとに変わった人がかなりウロウロしていて、僕はそういう人がいつか襲ってくるのではないかと最初の頃はかなり怯えていた。

ところが、そういう人たち-ホームレス系-が、明らかに見た目でアメリカ人と思えない僕に、話かけてきて、それがまた延々と続くのだった。ほんとに不思議な気分がしたものだ。誰に話しかけられてもほとんと何を言ってるのか分からなかったのだが、そのうちにいろんな人が話しかけてくる街だということに気がつき始めた。例えば、大きなコンドミニアムのドアマンが延々と僕に向かって、自分がいかに経済に詳しくて、株で儲けたり損したりしているかという話をする。この人にとって、僕はなんなのだろう?この人にとって、そんなことは眼中になくて、自分の世界しかないのではないかと思ったものだ。

日本なら、「ナリキリ野郎」というコンセプトが使えるが、NYの人はみんなそうではないかと思ったのだ。みんななんかになりきってる。自分の世界で。すべての人が現実の世界の主人公とかスターとかアイドルになれるわけではないのだから、少なくとも自分の世界だけでも、そうやって主人公になりきってた方が幸せなんだろう、いや、自分の世界でも自分が主人公でないなら、いったい自分の世界ってなんなんだ?と思い始めたのだった。日本にはそんなものはない、あるのは世間だけ、と言ってしまえばおしまいなのだけど。

American Idol に戻ると、10万人のうち、ほんの20人くらいがハリウッドで行われる決勝に残る。そして、この決勝に残った人たちがすごい、すご過ぎるのだ。もうそのままでそれぞれ昨日CD 100万枚売りましたと言っても、まったく不思議じゃないくらいレベルが高い。僕はここから一人に絞るのは不可能じゃないかと思った。

決勝戦からは毎週一人ずつ消えていくのだが、決勝戦では審査員に誰かを落す権限はなくて、コメントだけで、後はテレビの視聴者の投票で決まっていく。だから、毎週のパフォーマンスがとても重要になってくる。毎週、毎週、全米のテレビ視聴者の厳しい目にさらされて選ばれていくわけだから、もうすでにホントのアイドルと化していく。最後の3人になると、プライベート・ジェット機で故郷の街まで帰って、空港にはリムジンが待っていて、市長が出迎え、そして、1万人ものファンが待っていたりする。

そうやって故郷訪問みたいなイベントをはさんでまたハリウッドに戻ってきてコンテスタントは歌い続ける。決勝に残った人が10人くらいになってからは、みんなあまりに歌はうまいし、もう僕は誰がいいのかさっぱり分からなくってきた。しかし、10万人の集団をどんどんさばいていた頃に、すごいうまいなあと思った人に対しても、審査員はそれはカラオケかとか、場末のバーのシンガーかとかボロクソに言っていた意味が少し理解できるようになってきた。決勝集団はそんなレベルをはるかに超えてしまってる。

ただ単にぼやーっとテレビの前でねそべって、その中で歌っている人を見ているだけで、涙が出そうになったことが何度もある。歌というのはこういうものなのかと思ってしまう。誰が歌っても同じ、なんてものじゃないのだ、と当たり前かもしれないがあらためて思った。

先週、最後に残った3人が歌ったのだが、これは苦しかった。その中の一人、Vonzell Solomon にAmerican Idol になって欲しいと、いつの頃からか僕は思い始めたのだが、後の二人、Carrie Underwood と Boo Bice もすごい。Carrie Underwood のことはよく覚えていた。まだ、10万人集団の中の一人だった頃、21歳の彼女はオクラホマの片田舎で住んでいて、牛とか馬の世話をしている。そして、ハリウッド行きが決まった時、飛行機に乗れる、乗ったことがなかったと言って大喜びしたところが、すごいさわやかな感じだった。金髪で美人でスタイルがよくて、好印象を与えて、歌がめちゃくちゃうまくて、どこを探しても欠点がない。

ところが、Boo Bice はそれの上を行っているかもしれない。まるで70年代のヒッピーみたいなストレートな長髪で29歳の今までいったい何やってたのかと思わせるのだが、彼にはミスというものがない。決勝ではいろんな条件の歌を歌わないといけないのだが、彼は絶対ミスをせず、あらゆるタイプの歌を完璧に自分ふうにアレンジして歌う。審査員も言っていたが、コンテスト全体がまるで彼のコンサートをしているような感じになってしまう。

この二人にVonzell Solomon は勝たなければいけなかった。最後に残った3人の中では彼女だけが黒人だった。毎週、会場には家族や親戚や友人がいっぱい応援に来ていて、カメラは必ず彼らを写すのだが、お父さんが真っ赤のスーツを着ていたりする。彼女はフロリダの郵便局で仕事をしていて、歌が好きで勝手に歌っていたそうだ。ところが、このうまさははんぱじゃなかった。僕は彼女の歌を聞いていて、なんどもじわーっとしてきた。ホィットニー・ヒューストンよりうまいんじゃないかと思う。でも、彼女には一つ欠点があって、時々emotional になって、よく聞けば、ほんの少しだけどキーをはずすことがある。でも、そうなってもいつも最後には持ち直す。彼女も美人だし、スタイル抜群だし、そのまま今でもアイドル状態なのだが、他の二人もコマネチみたいに完璧だし、僕は心配だった。

でも、ほぼ完璧な三人の中で、僕にはVonzell Solomon だけが何か特別に見えていた。なんと言えばいいのか分からないが、彼女が出てくると胸騒ぎがするというか、なんかそわそわしてしまうというか、Vonzell Solomon のまわりはいつもキラキラしているように見えたのだ。

先週、特別審査員がVonzell Solomon はとてもlikable だと言った。ああ、そうだ、それだと僕はひざを叩いた。他の審査員もきっと同じことを思っていたのだと思う。いつも罵るのが仕事みたいなサイモンという審査員も、あなたには likability factor がある、と続けた。

そうなのだ、彼女はとてもlikable なのだ。それに見ている人間はひきつけられてしまう。これこそ、スターとかアイドルだけが持っているものではないだろうか。

この胸さわぎは彼女のlikability が起こしていたのだ。この言葉は、なんとなく「好感」って訳してしまいそうだけど、僕はそんな生易しいものではないように思う。これはむしろ「恋」みたいなものだと思う。日本語の愛も恋も英和辞書的にはにlove 関連のフレーズになってしまうけど、それでは恋の微妙さが出てこない。likable を使えば、あの微妙さは可能じゃないだろうか。実際、僕は審査員たちはみんな僕と同じようにVonzell Solomon に恋をしていると思った。

でも、先週、その彼女が落ちてしまった。今日の夜は、Boo Bice とCarrie Underwood が壮絶な決勝戦を展開するだろう。

Friday, May 20, 2005

買い物デーかBBQデーか。

今日は金曜日。休みのはずの日。
最近、みんな疲れぎみで、機嫌も悪い。
今日は僕のセクションはみんなで休むことにした。他のセクションはそもそも金曜日にほとんど来ない。休日だから、休むのが当たり前なのだが、このところ仕事の障害が多く、先延ばししてる案件が山積みになっていて、イベント化でもしないと、僕のセクションでは誰もなかなか休む気にならない。休日に出勤しろとは僕は一言も言ったことないのだが。

セキュリティが悪化すると、いろんな規制が実施されて身動きとれなくなるが、それで一番困るのは買い物にいけないことかもしれない。料理人を雇っている場合は、少なくとも食事には全然支障はないだろうが、僕の住んでいるところは料理人は必要ないという意見で全員一致していて、各自が勝手になんか作って食べている。冷凍庫が一つと冷蔵庫が二つあるので、みんなかなり買いだめしているのだが、それでも2週間ほど買い物に行かないと、だんだん材料が不揃いになって苦境に近づいてくる。

街の中の一般の店に行くことはまだ禁止されているのだけど、PX には行くことができる。日本にも昔、進駐軍がいた頃は、PXという単語は日本人にもなじみ深いものだったようだけど、現代日本ではほとんど使われない単語だろう。今でも、日本国内の米軍基地にはあると思うけど。

PCに入ってる辞書を見ると、「post exchange 〔米陸軍〕 酒保」と書いてあった。なんのこっちゃ?軍の下請けで業者が入って営業している免税店と言えば分かりやすいかな。カブールにはISAF(International Security Assitance Force)と呼ばれる、いわゆる国連平和維持軍が委託して経営されているPX が、4件(?)あるらしい。今日は、リチャードとウチェンナを誘って、PX 巡りをすることにした。

まず一軒目のブルーと呼ばれるPX で、フィリップスのミニコンポが半額で売っていたので、それを一番最初にショッピング・カートに入れてしまった。食糧を買うお金が足りなくなるかもしれないと思って、やや不安になるが、自分のベッドルームでPCから流れるしょぼい音じゃなくて、もう少しまともな音で音楽を聴きたいと思っていたので、やはり買うことにした。

次にお湯を沸かす電気ポットも半額になっていたので、これも買うことにした。オフィスでコーヒーやお茶を飲む時に使うのだが、もう半年近く誰のものか知らないポットを借りて使っていた。なんとかこの状態を脱出したいと思っていたのだ。

あとは、スパゲティを5キロとか冷凍の野菜や魚を買って、レジに行くと合計297ドルだった。ポケットには残ってるお金は73ドルになってしまった。これではPX 巡りどころか、二軒目に行く意味もないと思ったのだが、リチャードとウチェンナは、どうしても最低もう一軒は行きたいというので、ついて行くことにした。

■Blue PXでの買い物
Philips Micro Audio System :119.00 ドル
電気ポット : 19.00 ドル
V8 野菜ジュース 330ml X 24 缶 : 31.00 ドル
Walkers ショートブレッド・ビスケット : 2.80 ドル
Grisbi Coffee Cookie : 1.50 ドル
Kleenex フェイシャル・ティッシュ : 2.60 ドル
Barilla スパゲティ 1キロ X 5個 : 5.00 ドル
Camel Light 1カートン : 15.00 ドル
Marlboro Menthol 1カートン : 14.00 ドル
冷凍ホワイト・アスパラガス : 9.00 ドル
マーガリン 250グラム X 2個 : 3.10 ドル
Soppressata Spicy サラミ : 7.35 ドル
冷凍皮なしメルルーサ(魚) : 14.60 ドル
冷凍スライス・食パン : 1.99 ドル
アンチョビ・フィレ 2缶 : 4.40 ドル
Macleans ハミガキペースト : 2.90 ドル
Panadol Extra 16個(鎮痛剤) : 4.00 ドル
ストレプシル 1箱 : 4.50 ドル
SAXA グラウンド・ペッパー : 1.25 ドル
Funsize Mixed Mini Chocolate : 5.49 ドル
Danzka Lemon Vodka 1L : 10.49 ドル
Barilla Pesto Sicilian : 4.40 ドル
Barilla Pest Genove : 4.00 ドル
San Pellegrino Orange : 0.69 ドル
Lo Salt 350グラム : 2.28 ドル
Rounding(切り捨て) : 0.05 ドル
小計 :297.00 ドル

次のお店はシュープリームというところだ。なんと、ここにいつもは品切れのMarlboro Menthol Light があるではないか。今買っておかないといつ買えるか分からないので、とりあえず控えめに4カートン買っておくことにした。別のコーナーに行くと、あれっ、新鮮な野菜が入荷している。冷凍野菜ばかり食べていると、こういうのにどうしても弱くなる。冷凍でない、アボガドとセロリとマッシュルームを買うことにした。ウチェンナが「なんだ何にも買わないのかと思ってたら、いっぱい買ってる」とか言って笑ってる。僕はそれを無視して「金貸してくれ」と答えた。

肉のコーナーに行くとベーコンも入荷していた。豚肉のベーコンは貴重なのだ。これも1キロ分買うことにした。もう手持ちの73ドルでまかなおうなんて気はとっくになくなっていた。結局、合計85.6ドルで、リチャードとウチェンナの共同金庫(二人は同じ家に住んでいる)から100ドル借りた。


■SUPREME PXでの買い物
アボガド 1キロ : 8.50 ドル
セロリ 1キロ : 8.50 ドル
マッシュルーム 250グラム : 1.50 ドル(レジの人の計算間違い)
Marlboro Menthol Light 4カートン : 48.00 ドル
プリッツエル 2パック : 2.60 ドル
スモークベーコン 200グラムX5 : 15.00 ドル
石鹸ピンクバランス 1個 : 1.50 ドル
小計 : 85.60 ドル

今日のお買い物合計 :382.60 ドル(約4万円)


今日の夜は、どこかの国際機関の日本人の誰かがどこかに転任になるとかいうので(いったい誰なんだ?)、BBQパーティをやるらしく、そこに行こうと誘われていたが、どうも動く気にならないので、パスした。それで、今晩はゆっくり家にいようと思っていたが、なんか忘れ物をしているような気分が続いていた。と思ったら、チャールズから電話がかかってきた。そうだ、彼の家でもBBQパーティを今晩するから来いと言われていたのだった。一つだけ断るのも変だと思って、これも行かないことにした。そしたら、今度は日本のNGOの人から電話がかかってきた、明日の昼BBQパーティをするから来ませんかだと。不思議な日だ。みんな急にBBQが食べたくなったらしい。僕は全然食べたくないので、これもやはりお断りした。今日の僕の催しものは買い物でもう終わったいたのだ。

Tuesday, May 17, 2005

White City

昨日の夜9時過ぎ、リビングルームでテレビを見ていたら、オフィスのセキュリティ担当官から電話がかかってきた。「無線を聞いてないのか?」というから、あはっ、えへっ、聞いてない、リビング・ルームでテレビ見ていたしぃ、ともぞもぞこたえると、今日はもう外には出るな、インストラクションが入ってくるから無線を聞くように、ということだった。

あわてて、ベッドルームにVHF無線のハンドセットを取りに行くと、ちょうど僕のコールサインを呼んでいるところだった。無線室が全員の所在の確認を始めていたのだった。無線による安全確認は7時にすでに一回やってるから、カブールで何か起こったのだろう。

とりあえず、ハウスメートのラースに連絡しにいくと、彼のところにはまだ連絡が来ていない。セキュリティのインストラクションは、UNDP内にオフィスをおいているセキュリテの責任者から出て、それが各国連機関のオフィスに、夜間なら無線室に伝えられる。そこから、各オフィスのスタッフに伝えられる。ラースはすぐに自分のオフィスのセキュリティ担当官に確認の電話をし始めた。当たり前だが、彼のオフィスも同じインストラクションを受け取っていたが、回ってくるのが僕のところより遅かっただけだった。

それから、彼はあっちこっちに電話して、自分の国のデンマークの大使館にも電話して、情報を集めていた。彼の集めた情報を総合すると、シャリ・ナウでイタリア人の女性が誘拐された、ジャララバード・ロードと呼ばれているところの国連施設にロケット弾が15発ほど撃ち込まれたということだった。

う~む、なんか不穏な動きだな、と思っていたら、また無線による指示が入ってきた。カブールにホワイト・シティが適用された、よって明日はessential staff のみ事務所に行くことが許可される。必ず二台の車で移動。ということだった。そのあと延々と国際スタッフ全員がそれを聞いたことを確認するメッセージを返す声が無線から流れてる。

3日間ほどessential staff だけという日が続いて、やっと解除されたと思ったら、また一日で逆戻りだ。同時並行して進んでいる仕事がたくさんあるので、こういう事態はすごい障害になる。ほんとは身の安全とかそういうことをいろいろ考えるべきなのだろうが、真っ先に頭に浮かぶのは、あれが止まるとか、これが遅れる、とかそういう仕事のことばかりだ。

とりあえず、リビングルームに備え付けのPCから明日予定されてるミーティングやら仕事についての指示とか言い訳とか申し開きとか弁解とか謝罪とかごまかしとかのメールを送ることにした。

それから、数日前にこのゲストハウスに来た日本人の女性のことを思い出した。カンダハルに赴任するらしく、ちょうどセキュリティが悪化している時に初めてアフガニスタンに来てしまい、カブールで足止めをくらっていたのだった。

どういうわけか、この前会った時はまだVHF無線機を支給されてなくて(これってホントは大問題なのだけど)、何にも知らないかもしれないと思ったので、一応を寝込みを襲いに、いや連絡をしようと思って、彼女の部屋をノックしたが、応答なし。ラースも連絡しなきゃとか言って、うろうろしているが、男二人なので、どうしたらいいものか、いまやセクハラと言えば、国連名物みたいで、いろいろ指示されていて、男の職員は萎縮しがちなのだ。

しばらくラースとリビング・ルームで話をしていると、シャワーを浴びた彼女がひらひらと登場した。ラースは極めて事務的に事態の連絡をした。僕はもう一度VHF無線はもう支給されたか訊いたが、まだなのおぉ~、だった。

一夜明けて、今日も静かなオフィスだ。
所長とセキュリティ担当官は元軍人だから、こういう時、妙に高揚して張り切る。僕は自分の部屋で一人で仕事する。昨日の朝、同僚のチャールスが3日間ゆっくり休めたか、なんて訊くのでびっくりしたが、彼らは静かなオフィスどころか、ずっとオフィスに来ていなかったのだということをあらためて認識した。そして、また今日は自宅待機だ。これでは、やはりオペレーションに支障が出てしまう。僕は結局、毎日オフィスに来てるけど、いろんなことが中途半端に遅れてしまってる。なんか気持ちよくない。

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オフィスにいても、ぼやっとする時間が多くなってきた。これなら家で寝ていた方がましだと思う。昨日のイタリア人女性のことは日本の新聞に出ているだろうかと思って、インターネットを見ていたら、なんか日本では長者番付が出る季節らしく、誰それがランキング入りとかなんとか何本も記事が出ている。

テレビにたくさん出ている人は儲かってるってことなのだなと思う。ある芸能人は、一日あたり1000万円になるとか書いてあった。あんなくだらないこと言って、そんなにもらえるなら、若い人が学校なんか行ってもしょうがないと思っても、しょうがないと思うが、そういうこと言うと単に妬んでいるだけだと思われるんだろうな。なんにせよ、僕にはまったく関係のない世界だ。

イラクで誘拐された日本人の人の話もどうなったのかなと思うが、あんまり新しい情報はないようだ。ウェブの上でそうやってうろうろするうちに、「豪歌姫ミノーグさん、乳がんに」という文字が目に飛び込んできた。最初「豪歌姫」ってとこにひっかかって何か分からなかったが、カイリー・ミノーグのことではないか。なんと、とうとうそういうことになってしまったか。容姿が重要な仕事の人にとって、これはかなり打撃を受けるだろうな。気落ちしないで、ずっとキャピキャピ歌っていて欲しいと思うが。

ジェフ・ベックが7月に来日するという嬉しいニュースも見つけた。なんとかいけないものだろうか。なんとか対策を立てよう。

その後、Ansar Al-Sunnah のことをもっと知りたいと思って、ウェブを見ていると、あるわ、あるわ、ものすごい量の情報が流れている。どこまで行ってもきりがない。そうこうしているうちに、バグダッドにいるアメリカ人・ジャーナリストのブログに迷い込んでいた。

そこで見た一枚の写真。すぐに僕は" Generation Kill "に出てきた米兵たちを思い出した。ブログのその先が読めなくなった。


From http://michaelyon.blogspot.com/

Saturday, May 14, 2005

アルバニア

アルバニア人の女性がオフィスに来た。最近オフィスのスタッフを公募しているので、ちょくちょく問合せがある。なかにはアフガニスタンに住んでいる人もいるので、ひょっこり話を聞きにきたりする。今日来たアルバニア人の人は、知り合いの紹介でやってきた。

ほんとはこれまでの経歴とか将来の野望とか、あるいは必要とされている仕事の内容とか、そういう話をするべきなのだが、どうもアルバニアのことが気になってしかたなくて、結局2時間くらいアルバニアの話を聞きまくって、次回は英語で書いたアルバニアの本を持ってきてくれるように頼んでしまった。

アルバニアの話はおもしろかった。全然知らなかったが、アルバニアは部族社会なのだ。彼女はアフガニスタンのパシュトゥーン族の部族規範がよく分かる、アルバニアの部族規範とそっくりだと言っていた。ほーーーーーーーーーーーーーっと、僕は息をのんで彼女の話を聞いていた。

ひょっとしてと思って、『ゲルマニア』を読んだ時も僕は一人でほーーーーーーーーーーを連発していた。古代ゲルマン人の規範は、パシュトゥーン族の部族規範とそっくりなのだった。ヨルダンに8ヶ月ほど住んでいた時も、アラブの規範を知れば知るほど、僕はパシュトゥーン族の部族規範を思い出したものだった。そっくりなのだ。

いろいろ話を聞いたけど、またいつかまとめて書こう。せっかく来てくれたのだから、最後に30分くらい焦っていろいろ仕事の話を説明した。しつこくアルバニアに行ってみたいと思いながら。

Friday, May 13, 2005

静かなオフィス

午前10時に始まったミーティングは午後1時前に終わった。出席者5人のうち3人はすぐにミーティングルームを出たが、僕はまた別件で続けて所長と二人でミーティング。二人とも、直前の3時間のミーティングでもうかなりうんざりしているので、さっさと終えようという気分がはっきりとしている。

まず、別件の書類を一読して、僕がコメントを箇条書きふうに言う。所長がそれをメモする。次に所長が彼のコメントを箇条書きふうに言う。それを僕がメモする。それぞれ確認して、次のアクションを決める。それで終わり。それでも20分ほどかかった。でも、これ(別件Xとしておこう)は、長引きそうだ。アクションの一つが他機関とのミーティングなので、その時間が決まるまで、僕は部屋に戻って仕事することにした。

自分の部屋に戻って、昨日作ったおにぎりを食べながら、メールをチェックして、昨夜書いたメールを発信した。今日のオフィスはとても静かだ。午前中ミーティングに出ていた3人はゲストハウスに戻ったようだ。所長と僕以外、誰もいない。

ふと時計を見ると、5時を回っている。今日中に例のミーティングは設定できなかったのだろうか、と思っていると、所長が部屋に入ってきて、僕の机の上のチョコレート・チャンク・ヘーゼルナッツ・ビスケットを一枚さっと口に入れて、なんかもごもご言っている。何かに怒っているらしいが、はっきりしない。彼は、ビスケットが口に入ってなくても、何訛りか知らないが、とても分かりにくい英語を喋るカナダ人だから、さらに分かりにくい。

もごもご、ぐしゃぐしゃと言いながら、手招きで自分の部屋に来いというので、行ったら、一本のメールを見せられた。それはものすごく緊急に処理しなければいけない件についてのある人からの返答だったのだが、一読しても何を言いたいのかさっぱり分からない。僕はPCの前に立って読んでいたのだが、とにかく座ってゆっくり読めと所長が言うので、もう一度読んだが、だんだん腹が立ってきた。

「コイツハ何モ分カッテナイ・・・」という言葉しか思い浮かばない。完全に事態を把握しそこなってトンチンカンな提案をしている。まったく、アホか、というかうんざりする。もうなんど緊急だといってきたことか。メールも何本も行ってるし、何度も電話でも話をしている。にもかかわらず、分かってない。そして、この人間が適切なアクションを起こさないとどうにもならないというのに。所長の怒りもごもっとも。

所長が書いた返信のドラフトも読んだが、すでに何度も何度も説明して合意したはずのことをもう一度丁寧に説明している。この返信をどう思う?と所長は訊くが、This is what we understand. としか言いようがない。しかし、ほんとどうすればいいんだろう。どこかにバカにつける薬を売ってないだろうか。僕も所長もしばらく考えあぐねてボーっと沈黙していた。

ともかく、所長はそのメールを送って、僕は別ルートで同じことを試みることにして、僕は部屋に戻った。

部屋に戻ると、どっとメールが増えていた。5時を過ぎるとNYが朝になるので、こっちから送ったメールの返信がNYから入り始めるのだ。どこかで切らないといつ家に帰れるか分からない。暗くなる前に帰ろうと思っていたが、もう暗くなってきた。

あれっ?僕の部屋の窓から駐車場が見えるのだけど、所長の車がない。一人になったのか。もう帰ろ、帰ろ。

Thursday, May 12, 2005

だらだら・・・

昨日の夜、気になるテレビ番組「American Idol」を見ていると、ラースがリビングルームにどどっと入ってくるなり、アメリカでなんか変なこと起こってるぞ、ライブ中継してる、と言うので、ニュースチャンネルにかえると、BBCもFoxもホワイトハウス周辺を映しっぱなしにしてる。

ホワイトハウスはevacuation, 上下院ともevacuation, とか、なんだか物騒な気配が漂っている。未確認の飛行機がホワイトハウスに近づき、確認しようとしたが応答がなかったためだそうだ。F-16がスクランブル発進し、ブラックホークも飛んでいる。

なんだかよく分からないので、リビングルームにあるPCでCNNのサイトを見ると、なんと第一面は、ジャララバードのデモの記事だった(日本とはえらい扱いが違う)。その上に、緊急ニュースとして、ホワイトハウスでevacuation、詳細はこの後すぐに、みたいなことが書いてある。何が起こっているか、まだよく分からないらしい。

911以後、GWOTという変な言葉がよく使われるようになったけど、どうせなら第三次世界大戦中とかなんかもっとはっきりした言葉使った方がいいんじゃないのかな。言葉はどうでもいいとしても、確かに僕らは今GWOT中なのだと思う。

しばらくすると、ワシントンDCには、All clear が発令されて、ホワイトハウスにも人が戻り始めた。

と思ったら、見たことない人がリビングルームに入ってきた。ヤーァといって簡単に挨拶して、どこから来たのか訊くと、ジャララバードだった。なんとか混乱を脱出したグループの一人だった。今日、彼を含めて6人が飛行機で退避してきたそうだ。ヘリコプターで出てきた人たちもいるので全部で何人ジャララバードからカブールへ来たのか分からない。

ゲストハウスが略奪されて燃やされた、全部なくなった、と彼はボソッと言って、リビングルームのPCに向かった。きっと誰かに連絡するのだろう。

今日、オフィスに行くと、すぐに国際スタッフを全員集めてセキュリティのミーティングが行われた。最新の状況のブリーフィング。コーランの侮辱に対する抗議で始まったデモだったが、デモ中に四人殺されたことで、今はそれに対する怒りがデモの目的になってきているとか。

まだ、ジャララバードには二十数人取り残されている。午前中に国連機を二便飛ばして全員カブールに移動を終える予定。今日からカブール市内の一切の移動に許可が必要になった。ちょっとタバコを買いに行ったり、ゲストハウスにランチを食べに行ったりなんてのも許可が必要。オフィスの時間もいつものようにだらだらと10時頃まで仕事するわけには行かなくなった。定時通りに8時から5時の間に仕事をして帰宅するようにということだった。(その1時間後に帰宅時間は4時に引き上げられた。)

明日は金曜日でオフィスは休みのはずだが、国際スタッフはオフィスに来て仕事していることが多い。しかし、金曜日はモスクに人が集まる日なので、お祈りの後、自然発生的なデモのような状態になることが多いから、明日はessential staff のみ出勤ということになった。誰がessential staff なのかという質問。セキュリティ担当と所長の二人という回答だった。

ミーティングの後、続いて所長と別件のミーティング。他機関も関係している話なので、そこと別のミーティングが今日5時に設定された。えっ?5時?話が違うと思ったが、こんなもんだ。続いて、同じ場所で別件のミーティングのために、もう二人スタッフが入ってきた。これも30分ほどで終えて、続きは明日の朝6時からと所長が言った。えっ?明日?金曜日に?朝6時に?という僕の質問に彼はすべてうなずいた。笑って、OK と言うしかない。でも、なんだったんだ、朝のセキュリティミーティングは。しばらくして、不満気な雰囲気を察した所長は10時からでもいいけどと言い出したので、結局10時からになった。

それから急いで自分の部屋に戻ったら、ミーティングをする予定のアフガンNGOの人がすでに待っていた。セキュリティにお金を使ったがどこにチャージしたらいいのか分からないという話。また、セキュリティか、と思う。もう一つの話は、承認されたばかりの予算にまちがいがあったので、なおして欲しいという話。

NGOといっても、一つのプロジェクト予算だけで10億円を超えているし、職員は1500人もいるから、中小企業といってもいいだろう。こういう組織をちゃんと経営するのも企業社会がまだまだ根付いていないアフガニスタンの人にとっては、なかなか大変なのだ。

二つが解決して、また今度は別のビルにいるITシステム担当の人とのミーティングに行った。途中で、渉外担当のスタッフを誘って行った。最近、あるドナーが新しいウェブベースのデータシステムを作ったので、資金を提供しているすべての組織にそれにデータを入力して欲しいと頼んでいる。

このドナーの資金のプロジェクトを担当している人がいるので、僕はその人がやればいいと思うのだが、いや、これは外の人と関わるので、渉外担当者がやるべきだとか、ITが関係しているので、IT担当者がするべきだとか、いや、契約とか財務関係は誰も分からないからプログラム担当者がするべきだとか、いや、プロジェクト進行中の財務情報を要求されているなら、それは極秘情報だから誰にも見せずに断るべきだとか、いろんな意見が出て、何にも決まらない。ドナーが、Absolutely required といって頼んできたことで、しかも昨日中に担当者を伝えなければいけないのに、こうやってほんの些細なことでもなかなか決まらない。国連らしいと言えば、国連らしいだろう。

いつまでも同じ話を繰り返していてもしょうがないので、セキュリティでばたばたとしている混乱に乗じて、このミーティングでさっさと担当者を決めてしまおうと思っていた。一応、なんとか進みそうな気配で話は終わった。

部屋に戻ると、所長が部屋に入ってきた。バグランのIPのオフィスが襲撃され、車が全部破壊された、ワルダクでdeminer が人質にとられた、ヘラートでdeminer が三人死んだ、と言う。次から次に・・・。何も言葉がない。

カブールもevacuation になるかもしれないなあと思いながら、やっとPCに向かおうとしていたら、セキュリティ担当官が血相を変えて部屋に入ってくるなり、Aに移動の許可を出したのかと怒鳴っている。はあ?Aというのは、部下の一人なのだが、許可も何もずっとミーティングでそれ以外は誰とも話す時間がなかった。すべての移動は許可がなければ禁止なのに、Aは勝手にゲストハウスに帰って荷造りを始めたということだった。セキュリティ担当官は彼の権限を越えて、僕が勝手に許可を出したと思ったらしい。彼は、Aをアフガニスタンからほりだしてやるとプリプリしながら出て行った。

どうでもいいけど、早くメールをチェックしようと思って、PCにたどり着いたら、部下のBが、ランチに帰りそこねたから、お腹がすいたと言って、僕の部屋に入ってきた。いきなり僕の机の上にあったプリッツェルを食べ始めた。バリバリと音を立てながら、なんで我々は今ここにいるのだ?と言っている。確かに、他のUNはもう帰宅しろという指令が出て戻ったところもある。

Bがプリッツェルを全部食べきったので、トルティア・チップをあげたら部屋から出て行った。と思ったら、午前中にミーティングをしたNGOの財務担当者が訂正した予算書とディレクターの訂正申請のレターを持って現れた。合意したとおりであるのを確かめて、帰ってもらった。僕がもたもたしている間に、このNGOは着々と仕事していたんだなと思う。

NGOの人と入れ替わりに、新入りの部下のCがひょろっと入ってきた。あるドナーがIPに導入しようとしている財務処理のソフトウェアについて何か意見があるらしい。部下のうち三人は公認会計士なので、そういうことには細かい。しばらく話して、これまでの経緯も同じ専門の人から聞いた方がいいだろうと思って、Cを連れてBの部屋に行った。そしたら、別の部下のDも入ってきた。公認会計士三人でいろいろ話していたが、僕がそのドナーと彼らのミーティングを設定することで話は終わった。

やっと、と思ったら、ドイツ人の一団がやってきた。そんなアポをした覚えがない。ある省に顧問として派遣されているドイツ人と、そこのプロジェクトに資金を提供するドイツ政府に雇われた人たちだった。ダムを建設する前の地雷除去をしたいらしいが、国連とかアフガン政府とかNGOとかの関わり方やら、資金の流れ方の複雑さに困惑していた。確かにややこしくて全部分かっている人なんているんだろうかと思う。僕も全貌はさっぱり理解できないが、分かっていることだけ説明した。契約書の見本を欲しいというので、後で送ることにした。とかなんとか話していたら、It's 4 o'clock, we gonna shut down ! と叫びながら、ゲーリーが入ってきた。

えっ?うそっ?もう4時?もう終わり?5時のミーティングが、と言いかけると、分かってる、一応連絡しただけ、と言ってゲーリーは家に帰っていった。ドイツ人が帰った後、またAがちょろちょろすると面倒なので、早く家に帰るようにと言いに行った。

結局、ゲストハウスに帰ったのは、7時5分前だった。7時に無線による安全確認が終わったあと、テレビで、"American Idol" と "Growing Up Gotti" と "Simple Life 2" を見た。三つともカテゴリーとしては、「リアリティもの」に入るのだと思う。アメリカの今が少し見えて興味深い。

カブールのこの季節の最大の楽しみである、野生キノコを昨日手に入れたので、キノコとチキンのオイスターソース味の炒め物とズッキーニのにんにくソテーを作って食べた。ごはんを炊き過ぎたので、ワカメ明太子おにぎりにして明日オフィスにもって行くことにした。

ベッドの中で今日ほとんど読めなかったメールを読んで必要なレスポンスを書いていたら、あっという間に午前3時になってしまった。とりあえず寝ることにした。


GWOT=Global War On Terror

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BBCはジャララバードの様子をこんなふうに(↓)報道している。

Riots over US Koran 'desecration'


BBC News / Wednesday, 11 May, 2005
At least four people have been killed and many injured after police opened fire to break up an anti-US protest in eastern Afghanistan, officials say.

Hundreds of students rioted in the city of Jalalabad over reports that the Koran was desecrated at the US prison camp in Guantanamo Bay, Cuba.

President Hamid Karzai has said the violence showed the inability of Afghan authorities to handle such protests.

The US authorities have said they are investigating the allegations.

"Obviously the destruction of any kind of holy book... is something that is reprehensible and not in keeping with US policies and practices," state department spokesman Tom Casey said.

President Karzai, who is in Brussels, told Nato that his country would need international assistance "for many, many years to come".

Buildings burned down

Afghan National Army soldiers, supported by US units, are out on the streets of Jalalabad to try and control the situation.

Protests also spread to the south-eastern city of Khost, where hundreds of students took to the streets.

In Jalalabad, buildings belonging to the United Nations are reported to have been attacked and the offices of two international aid groups are said to have been destroyed.

Pakistani ambassador to Afghanistan, Rustam Shah Mohmand, told the BBC the Pakistani consul's house had also been burned down and two cars torched.

One international aid worker in Jalalabad told the BBC that he could see smoke rising from points across the city.

He said there were groups of people running along the streets, reportedly looking for foreigners and anyone working for non-governmental organisations.

The BBC's Andrew North in Kabul says the violence comes after several months of mounting concern among foreign aid workers in Afghanistan over their security.

All UN and other foreign aid workers in the city have been told to move to safe areas.

The protesters chanted "Death to America" and smashed car windows and damaged shops.

"Police opened fire in the air to control the mob, and some people were injured," Jalalabad police chief, Abdul Rehman, told the AFP news agency.

Jalalabad is 130km (80 miles) east of the Afghan capital, Kabul, close to the Pakistani border.

Reports of abuse

The unrest follows a report in the American magazine, Newsweek, that interrogators at Guantanamo Bay had placed copies of the Koran on toilets in order to put pressure on Muslim prisoners.

Former Guantanamo inmates told the BBC Urdu service earlier this month that some Arab prisoners had still not spoken to their interrogators after three years to protest at the desecration of the Koran by guards at the camp.

On Sunday, the Pakistani government said it was "deeply dismayed" over the reports about the Koran.

Islamist parties there have called for a nationwide strike on Friday.

Both Pakistan and Afghanistan are close allies of the US in its war against terror.

Insulting the Koran or Islam's Prophet Mohammed is regarded as blasphemy and punishable by death in both Pakistan and Afghanistan.

The US is holding about 520 inmates at Guantanamo Bay, many of them al-Qaeda and Taleban suspects captured in Pakistan and Afghanistan following the 11 September 2001 attacks in the US and subsequent US-led invasion of Afghanistan

Wednesday, May 11, 2005

甘いフルーツ「ぶさいくやけど愛嬌」-国際支援の現場から・・・きゃっ。

ってな記事を発見(ここ↓)。
http://www.asahi.com/international/shien/TKY200505090115.html

アフガニスタン東部のジャララバードで、昨日から始まったデモが暴動化し、ジャララバードの国連事務所がすべて略奪される。暴徒化した群集に発砲があったと思われ、二十数人が負傷したというニュース。発砲したのは、米軍だといううわさが流れるが確認はされていない。
そもそものデモの原因は、グアンタナモに収容されているアフガン人のコーランを看守の米軍兵がとりあげ、便所に捨てたことに対する抗議だという話。
国連はジャララバードから職員を evacuate しようとしているが、どうなったのか、現実的に可能な状態なのかどうか分からない。

日本の新聞に載ってるかなあと思ってみてみたが、やっぱり出ていないね。
カブールはインターネット・カフェ・テロ事件で国連職員が一人亡くなってから、セキュリティの規制が厳戒になって、身動き取れないかんじ。50mの移動も車二台が必要。レストランその他公共の場所はすべて出入り禁止になった。歩行はもちろん禁止。エクササイズのために毎朝近所の丘まで歩いて往復していた人ももう歩けなくなった。

Monday, May 09, 2005

まちがい

インターネット・カフェでの爆発は午後6時10分前だったそうだ。Curfew を破っていたわけではなかった。娘さんがカナダのMecial School に合格して、その入学準備に合わせて帰国するところだったとか。なんかなあ・・・。

Sunday, May 08, 2005

再び忘れるということ

昨日、10時過ぎくらいにゲストハウスの居間で、いつものようにぼんやりとテレビを見ていたら、ラースが入ってきて、「どこも行かないと思うけど、外に出ないようにって無線室から連絡があった」と伝えた。一応同じゲストハウスの住民みんなに連絡するようにと言われたのだろう。

「今頃から外には出ないけど、なんで?」と訊くと、「カブール市内で爆発が起こってるらしい」と、またいつものことだよといいたげな顔で言って、居間から出て行った。

確かに、どこそこで爆発があったとかどうとか、米兵が殺されたとか、そんなことは毎日どこかで起こってるし、だからどうしようと言っても何もすることがないし、結局、そういう情報が無意味なものと化していく。

爆発音は聞こえるだろうかと、僕は耳をすませてみたが何も聞こえない。そして、また、僕の注意はテレビの方にもどっていった。

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オフィスに来て、ミーティングを一つ終えて、メールを開くと、セキュリティ関係のメールが続けて入っている。このところ毎日入っているので、ほとんど読まないのだが、昨日なんかあったのだろうかと思って開いてみた。

えっ?うそっ?!

国連の国際職員が一人爆発で死んでいた。なんでや?昨日の夜中の12時頃、カブール市内のシャリ・ナウという一応高級な地域の中心部にあるインターネット・カフェで爆発があり、重傷者多数、死者3人、うち一名は国連の国際職員と書いてあった。

なんで、そんな時間に、そんなところに?
Curfew は11時だし、昨日の夜12時と言えば、ラースが律儀に警告を伝達に来た時刻よりも後だ。この人は連絡をもらってなかったのだろうか。Curfew も破ってる。

帰国休暇の直前で大金を銀行から引きおろして持っていたが、残念ながら、そのお金はすべて発見できなかったと書いてある。さらに、身体の損傷が激しく、IDカードを発見するまで誰か特定することができなかったとも。

分かっているのは、昨日の夜12時頃、爆弾をもって一人の男がインターネット・カフェに入ってきた。彼はトイレの中で爆弾の操作を誤り、そこで爆発してしまう、ということくらいのようだ。これもかなり憶測がまじっているような気がするが。

アフガン政府はこの爆発をテロと断定して、捜査は内務省管轄から国家安全保障部に移行した。

日本の新聞をインターネットで見てみたが、この爆発はどこにも載っていなかった。

去った人

昨日の夜は、スティーヴンのお別れディナーだった。今日の飛行機で彼はカブールを去っていった。

とてもユニークな人だった。日本的にいうと、小うるさいという感じで敬遠する人も多かったが、なぜか僕は彼にまとわりつかれて、いろんな話(ほとんど不平・不満・怒り・挫折、そんな感じの話)を聞かされていた。ある意味でほっとしたが、オフィスの名物が一つ減ったような感じもする。

彼は、オフィス主催のお別れ会を頑なに拒否して、自分でお別れディナーを企画した。その気分は分かる。僕もそういう公式お別れ会みたいなものの、あの作り笑顔に満ちた雰囲気がなんか嫌いだ。

そのディナーに行ってみると、なんと同じオフィスから来ているのは僕一人だった。苦笑する。結局、最後には彼はみんなと衝突してしまったんだなあ。かといって、僕と意見があったわけでもないのだが。

僕以外に5人いたが、みんなアングロサクソンだった。スティーヴンもオーストラリア人だから、やはり同族はかたまる傾向があるみたいだ。5人のうち2人は僕の近くにすわっていたので、話をして分かったが、アメリカ人だった。でも、タバコを吸っていた。タバコを吸うアメリカ人というのは近頃レアものだ。

Thursday, May 05, 2005

記念日・祝日・記念日・・・・

結婚記念日とか彼女の誕生日とかなんとか記念日みたいなものを覚えてる男はアホだと思っていたし、もちろんそんなことのために何日も何週間も何ヶ月も前からプレゼントを考えたり、催しものを計画したり、ホテルやレストランを予約したり、その時に着る服を考えたり、シミュレーションをして聞く音楽やセリフまで考えたり、そういうことするメンタリティはきっと狂気に近いに違いないとさえ思っていた・・・確かに独身の頃は。

しかし、今はものすごく注意深くなった。そういうことを忘れて、あるいは無視して発生する事態のコストの大きさを思えば、少しくらい神経を張り詰めて1年のうちほんの数日を覚えている方がよっぽど楽だと思い至ったからだ。

このところ若干の緊張を必要とする日が続く。4月26日は結婚記念日だし、5月5日はこどもの日だし、5月8日は母の日だし、5月25日は次男の誕生日だ。でも、僕はずっと家にいない。

いかんでしょう。でも、今はインターネットでものを買って送ることができるという便利な時代になったのだ。

去年の結婚記念日は日本にいたので妻に指輪を買った・・・というか、そのずっと前に僕が自分の結婚指輪をどこかでなくしていたので(3回目)、なんとかせねばいかんと思いつめていて、とうとうまとめてセットで買うことにしたのだった。

せっかく新しいセットを買ったのだから、古い結婚指輪はもうやめて新しいのだけ使えばいいと思うのだが、オリジナルの方は牧師さんにblessing されているけど、新しい方はblessing されていないからとか言って、妻は頑なに古いオリジナル結婚指輪に拘っている。

神もへったくれもあるか、こっちの方がずっと高いんだぞ、なんて泥沼に頭から突っ込むようなことは言わず、僕はいかにして、自分の新しい指輪をなくさないかについて考えることにした。結論は僕が毎日一番長く見つめるところに飾っておくということであった。それなら消滅したらかなり迅速に気がつくはずだ。

それはたぶんコンピュータのディスプレイだった(わびしっ)。僕の結婚指輪は今も日本の家にある僕のPCのディスプレイとキーボードの狭間で光り輝いているはずだ。そういうわけで、僕が指輪をしないという一貫した姿勢は、ひょっとしたらなにかと有利かもしれないというさもしいスケベ根性から出たものではなく、もう同じような指輪を二度と買いたくないという貧乏根性から出たものであった。そこんとこ訂正お願いします。

今年はやばかった。結婚記念日が迫っていることに気がついたのがその3日前だった。アマゾンの本でも注文してから2,3日かかる。もう何を贈るかなんて考えている余裕はなかった。花だ、とりあえず花を送らねば。長男もどういうわけか花が家にやってくると喜ぶ。花だ、花だ、と思ってインターネットの花屋を走り回ったが、どいつもこいつもだった。

確かにいろんな花の写真がサイトには載っている。これはいいと思ってクリックすると、「注文受付から配達まで1週間かかります」なんてやつばかりだ。ほとんどパニックになっていたので、後でチェックしようと思っていた花なんかどこに行ったのか分からなくなってしまう。

そうこうするうちに「おまかせメニュー」というのを見つけた。値段を決めて山盛り一杯みたいな感じで注文すれば、むこうが勝手に在庫にある花を取り合わせて送ってくれるということだった。これなら翌日配達可と書いてあった。僕は数少なくない選択肢の中から「バラと小花」を選び、中くらいの値段を選んだ。もちろん写真はない。税・送料込みで8,925円だった。どんな花が届くかも分からないので、安いのか高いのかも分からない。

これで一息ついた後、僕はこどもの日のプレゼントと母の日の花を忘れないうちに次々と注文していった。もうすぐ6歳になる長男にはあまりつまらないオモチャは買いたくないし、最近せっかく本に目覚めてきたので、長男には本だけを贈って、本にまだあまり関心のない次男にはオモチャだけを贈るというのが最適だと思うのだが、そうはうまくいかない。

次男がオモチャをもらうと長男もオモチャを欲しがる、長男が本をもらうと次男もその本を奪取しに行こうとする。結果は壮絶な争いとなってしまう。兄弟喧嘩というものがもう始まっているのだ。僕も高校生になるくらいまでは、一歳違いの妹とほんとによく喧嘩したのだが、今こうやって兄弟喧嘩を見ると、親は哀しい気がするのだなということに気がついた。

まだ二歳に届かないというのに、次男の攻撃力には目を見張るものがある。次男には歳の違いというコンセプトはまだないのだろうと思う。幼児とか子供とか大人とかそういう区分がなくて、みんなといつも同じことをしないと気がすまないように見える。

人間はいつ頃から、こういうことを認識し、さらに微妙に「分をわきまえ」たりするようになるんだろうか。僕は、子ども達にはなるべくわきまえ過ぎないように育ってほしいと思う。そうすると、いつか日本から出さないといけないだろうが。

悩んだあげくの結論は、二人ともオモチャと本を買う、しかし比重を変える、ということだった。最少の組み合わせを考えても、長男に本二冊とオモチャ一つ、次男に本一冊とオモチャ二つで、全部で6点になる。なんか多すぎるような気がする。自分の不在をおもちゃでカバーしようとしているのだろうか、こうやって子どもは甘やかされてダメになるのだろうかとか、またくよくよしてしまう。しかし、悠長に考えているひまはなく、結局注文してしまった。

■凱也(長男)に。
おもちゃ部門:「ウルトラマンネクサス・ナイトレイダー・アタッシュセット」
書籍部門:「Shark (Eyewitness Books)」Miranda MacQuitty (著), Dk (著).
「National Geographic Dinosaurs (For the Junior Rockhound)」Paul M. Barrett (著), Paul Barrett (著), Raul Martin (イラスト), Kevin Padian (序論).

■哲也(次男)に。
おもちゃ部門:「イモ虫のチャーリー」と「ミッフィーのボールテント」
書籍部門:「Brown Bear, Brown Bear, What Do You See?」Bill Martin (著), Eric Carle (イラスト).

■母の日に。
カーネーションの鉢。

Tuesday, May 03, 2005

レイチェル・ヤマガタ

ずっと前にも書いたと思うけど、レイチェル・ヤマガタはかなりいいと思う。一大ブレークしてもよさそうな気がするが、絶対しないとも思う。

デュカキスという名前の人が米大統領候補で、ものすごくいいところまで行ったことがあるけど、絶対に大統領にはなれないだろうと予測する人がいて、その根拠がデュカキスという名前が悪いということだったのを妙によく覚えている。

デュカキスというのはギリシャ系の名前らしく、そういう変な発音をしなければいけない名前の人は大統領に選ばれないという、笑ってしまうというか、真剣に聞いているとまったくバカバカしくなるような話だった。でも、小難しい解説よりも、ずっと信憑性が高い話に思えたものだ。

で、実際デュカキスは落選したわけだけど、落選してみるともちろん敗因分析みたいな話がまたいっそう小難しく出てくる中で、デュカキスが惜しいところで敗れたのは、選挙キャンペーン中にどこかで米軍を訪問し、そこでヘルメットをかぶったからだという話があった。

これは最近読んだブッシュものの本(どれか忘れた)にも書いてあったけど、ヘルメットとか帽子をかぶるというのは、よっぽど計算しつして演出しないと、どうしても間抜けに見えてしまうそうだ。デュカキスのヘルメットかぶりのパフォーマンスは完全に裏目に出て、全米にテレビ中継を通して、私は間抜けですと宣伝することになってしまったということだ。なんかこれも納得してしまえる。

僕もイラクの米軍の兵隊さんたちと話をしている時、これを着てみないか重いよとか言って渡された防弾チョッキみたいなものを着て、ついでだからこれもと言って渡されたヘルメットをかぶって撮った写真があるのだけど、これはもうどこの阿呆だ?としか言いようのない超マヌケな写真になってる。「コンバット」のサンダース軍曹のようにヘルメットをかぶってカッコよくなるには相当年季がいるのだ。

でも、名前とヘルメットでデュカキスはあと一歩のところで大統領になれなかった、と思うと、ほんの少し人生のつらいことも忘れることができるような気がするのが不思議だ。全然そんな効果ないってか?僕にだけあればいいのだ。

何を書こうとしていたかというと、レイチェル・ヤマガタはヤマガタが付いているかぎり絶対ブレークしないと僕は思ってしまうということだった。マライア・キャリーがマライア・サイトウだったり、カイリー・ミノーグがカイリー・ハシモトだったりしたら、通算数千万枚も売り飛ばすシンガーになっていたとはとても思えないのだけど。

僕がそんなこと言わなくても、レイチェル・ヤマガタを売り出さなければいけないプロデューサーなんかは、そういうことは百も承知だったのだろうと思う。ショービジネスの世界に生きてる人たちなんだから、そういうイメージみたいなものには十分に敏感だろう。

レイチェルさんがヤマガタというアイデンティティを維持したかったのか、プロデューサーが意外性を狙ったのか、あるいは会社側がセールスよりもPolitically Correctness に拘ったのか、全然分からないが、どこかになんらかの悩みは存在したのではないだろうか。

バカ売れしなくてもいいけど、レイチェル・ヤマガタさんには消滅しない程度に続けて欲しい。買っても損したとは思わないと思いますよ。みなさんも一枚いかがですか?眠れない夜なんかに最適です。Rachael Yamagata "Happenstance".

でも、レイチェル・ヤマガタさんに山形県の名誉知事になってもらうとか、山形県のテーマソングを作ってもらうとか、ミス山形になってもらうとか、レイチェル・ヤマガタ饅頭を作って山形名物として売り出すとか、そういうアイデアは却下した方がいいと思う。

Sunday, May 01, 2005

中央アジアの高麗人

昨日のゴハのお別れ会はアリランという高麗料理の店でやった。わざわざ高麗料理なんて書いたけど、日本でいうと、普通の韓国料理の店だ。ブルゴギ、カルビ、ビビンバ、チゲ鍋、巻き寿司なんかを頼んだ。

中央アジアにはたくさん韓国人が住んでいる、というのはドシャンベ(タジキスタン)やタシケント(ウズベキスタン)のオフィスから時々やってくる人に聞いて知っていたが、カブールにアリランというレストラン兼ゲストハウス兼会社を開いたのも、中央アジアからやってきた韓国人だ。

なんとなく、習慣的に韓国人と書いてしまっているが、彼らは1930年代、つまり第二次世界大戦中にスターリンによって、対日協力の疑いがあるという理由で、沿海州から中央アジアに強制移住させられた朝鮮族の人々の末裔だ。今の北朝鮮や韓国に住む朝鮮族は当時は日本国籍だったから、スターリンが疑い深くなるのも仕方ないだろう。沿海州に住む朝鮮族にとっては、日本のえらいとばっちりを受けたことになる。

現在も中央アジア全体で50万人くらいの朝鮮族が住んでいるそうだが、ロシア語ではコレーチと彼らのことを呼んでいるそうだ。朝鮮族自身は自分達を高麗人と呼ぶらしい。英語のコリアンもロシア語のコレーチも、音的にはチョーセンやカンコクよりもコウライにずっと近い。

中央アジアで朝鮮族の人と言えば勤勉で豊かで成功した人の代名詞だそうだから、中央アジアに強制移住させられた後も、高麗人たちはたくましく生きていったようだ。

一昨日はアングロサクソン6人+東洋人1人という組み合わせで、文化的多様性は低かったが、昨日は、アルメニア人1、パキスタンとイギリスのハーフ1、スーダン人1、ウガンダ人1、アフガン人2、スペイン人1、日本人2の計9人で、はるかに多様であった。どれか一つの単一民族が圧倒的であるより、こういう多様な状態の方が居心地がいい。

たぶん、各人のsensibility のレベルをかなり上げないといけないからではないだろうか。それぞれの個人というのはいろんな属性の集積みたいなものだけど、ある属性に対する非難とか中傷というのが、いかに馬鹿げているかということが目の前で具体化されることに誰でも気がつくだろう。

ある個人の属性というのは、国籍、宗教、性別、身体、文化、教育、肌・髪・目の色その他いろんなもののことを言っているのだけど、例えば、Aという国籍はバカだとか、Bという宗教はバカだとか、Cという性別はバカだとか、Dという体型はバカだとか、Eという教育はバカだとか、Fという色はバカだとか言いだしたら、多種多様な人の中にいれば、回りにいるほとんどの人が、どれかに当てはまってしまう可能性が非常に高いだろう。ACという組み合わせの人、BDEの人、CBDFの人とか、いろいろあり得る。つまり、そんなこと言い出したら、その人は孤立無援で生存していけなくなるだろう。

それよりも、属性批判が馬鹿げていることに気づくはずだ。最初に、Xさんや、Yさんや、Zさんという個人がいて、その人たちとのコミュニケーションが成立し始めたら、属性とは関係なく、好きになったり、気が合ったり、あるいはその反対に嫌いになったり、気が合わなかったりするだろう。その後で、XさんはACだということが分かったから、好きだったけど、嫌いになろうとか、YさんはBDEだということが分かったから、気が合ったけど、気が合わないことにしようとか、そういうことを考えるだろうか。考えたとしたら、ほんとにアホだから、虫のように踏み潰されるかもしれない。

属性によって区別して扱うことが差別の基本にあるのだろう。個人を相手にする限り、個人の好き嫌いはあっても、差別はあり得ない。

ゴハは「韓国語も喋れるのよ」とか言って、アリランのウェイトレスとなんか喋っていた。しかし、最後に二人が発した言葉は、「スパシーバ」だった。十数年前まで二人は同国人だったのだ。