Sunday, May 01, 2005

中央アジアの高麗人

昨日のゴハのお別れ会はアリランという高麗料理の店でやった。わざわざ高麗料理なんて書いたけど、日本でいうと、普通の韓国料理の店だ。ブルゴギ、カルビ、ビビンバ、チゲ鍋、巻き寿司なんかを頼んだ。

中央アジアにはたくさん韓国人が住んでいる、というのはドシャンベ(タジキスタン)やタシケント(ウズベキスタン)のオフィスから時々やってくる人に聞いて知っていたが、カブールにアリランというレストラン兼ゲストハウス兼会社を開いたのも、中央アジアからやってきた韓国人だ。

なんとなく、習慣的に韓国人と書いてしまっているが、彼らは1930年代、つまり第二次世界大戦中にスターリンによって、対日協力の疑いがあるという理由で、沿海州から中央アジアに強制移住させられた朝鮮族の人々の末裔だ。今の北朝鮮や韓国に住む朝鮮族は当時は日本国籍だったから、スターリンが疑い深くなるのも仕方ないだろう。沿海州に住む朝鮮族にとっては、日本のえらいとばっちりを受けたことになる。

現在も中央アジア全体で50万人くらいの朝鮮族が住んでいるそうだが、ロシア語ではコレーチと彼らのことを呼んでいるそうだ。朝鮮族自身は自分達を高麗人と呼ぶらしい。英語のコリアンもロシア語のコレーチも、音的にはチョーセンやカンコクよりもコウライにずっと近い。

中央アジアで朝鮮族の人と言えば勤勉で豊かで成功した人の代名詞だそうだから、中央アジアに強制移住させられた後も、高麗人たちはたくましく生きていったようだ。

一昨日はアングロサクソン6人+東洋人1人という組み合わせで、文化的多様性は低かったが、昨日は、アルメニア人1、パキスタンとイギリスのハーフ1、スーダン人1、ウガンダ人1、アフガン人2、スペイン人1、日本人2の計9人で、はるかに多様であった。どれか一つの単一民族が圧倒的であるより、こういう多様な状態の方が居心地がいい。

たぶん、各人のsensibility のレベルをかなり上げないといけないからではないだろうか。それぞれの個人というのはいろんな属性の集積みたいなものだけど、ある属性に対する非難とか中傷というのが、いかに馬鹿げているかということが目の前で具体化されることに誰でも気がつくだろう。

ある個人の属性というのは、国籍、宗教、性別、身体、文化、教育、肌・髪・目の色その他いろんなもののことを言っているのだけど、例えば、Aという国籍はバカだとか、Bという宗教はバカだとか、Cという性別はバカだとか、Dという体型はバカだとか、Eという教育はバカだとか、Fという色はバカだとか言いだしたら、多種多様な人の中にいれば、回りにいるほとんどの人が、どれかに当てはまってしまう可能性が非常に高いだろう。ACという組み合わせの人、BDEの人、CBDFの人とか、いろいろあり得る。つまり、そんなこと言い出したら、その人は孤立無援で生存していけなくなるだろう。

それよりも、属性批判が馬鹿げていることに気づくはずだ。最初に、Xさんや、Yさんや、Zさんという個人がいて、その人たちとのコミュニケーションが成立し始めたら、属性とは関係なく、好きになったり、気が合ったり、あるいはその反対に嫌いになったり、気が合わなかったりするだろう。その後で、XさんはACだということが分かったから、好きだったけど、嫌いになろうとか、YさんはBDEだということが分かったから、気が合ったけど、気が合わないことにしようとか、そういうことを考えるだろうか。考えたとしたら、ほんとにアホだから、虫のように踏み潰されるかもしれない。

属性によって区別して扱うことが差別の基本にあるのだろう。個人を相手にする限り、個人の好き嫌いはあっても、差別はあり得ない。

ゴハは「韓国語も喋れるのよ」とか言って、アリランのウェイトレスとなんか喋っていた。しかし、最後に二人が発した言葉は、「スパシーバ」だった。十数年前まで二人は同国人だったのだ。

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