Saturday, April 30, 2005

去る人たち

明日の晩に、ゴハのお別れ会をする。5月5日に彼女はこのプログラムを去って、アルメニアに帰る。なぜなんだ?!と詰問はしなかったけど、いろいろな話を総合すると、娘の教育を優先した結果だということだろう。

ゴハの部屋には十代後半の娘さんの大きな写真が置いてある。ゴハも美形だから、信じられないことはないが、でも信じられないくらい美人だ。何を勉強したがってるの?と訊くと、即座に「彼女は女優になりたがっている」という返答が返ってきた。ああ、としか言いようがなかった。そりゃそうだろうな、この美貌じゃ、他に何も思いつかないだろう。

アメリカに連れて行くの?と訊くと、ゴハはちょっとはにかんで、「そう」と言っていた。ショービジネスならアメリカしかないだろう。NYだろうか、LAだろうか、まあ、そんなことはどうでもいいので、訊かなかった。ゴハは娘を連れてアメリカに行き、ちゃんとした学校に娘が通い始めるのを見届けて、母国に戻ってくるそうだ。

「全部で3ヶ月くらいかかるだろう」
「そう、だから、この3ヶ月が必要なの」

というわけで、彼女は仕事を辞める。
一人娘がいなくなると、彼女は母国に帰っても一人になる。夫はモスクワで仕事をしているからだ。一人でアルメニアで生活するの?と訊いたら、またゴハはちょっとはにかんで、「夫と暮らしたい、もう一人は嫌」と答えた。でも、どうするんだろう、と思ったが、大阪のおばはんみたいな質問を続けるのはやめた。

でも、彼女は自分の計画を勝手に話し始めた。娘の行き先が確定して見届けたら、自分はまたカブールに戻って来たい、その時は夫には仕事を辞めてもらっていっしょに来てもらう、そうすれば、私が働いてカブールで二人で生活することができる、そのうち夫だってカブールで仕事が見つかるかもしれない、等々。

たくましいなあ、母だなあ、妻だなあ、すごいなあ、とボーっと間抜けな顔して、ゴハに見とれていたら、空席があったらまた応募したいんだけど、いい?と言った。
えっ?えっ?何っ?もう一辺言って?
だから、またこのオフィスに来てもいいかって?
あああああ、もちろん、もちろん、もちろん、いいに決まってる。

ゴハは仕事がよくできた。献身的だった。いい人はどんどん去っていく。
ほんとに戻ってこれたらいいんだけど。

レイコも5月5日にカブールを出る。彼女はそのままNYに行って、ハンドオーバーをして、ちょっとギリシャで休暇をとって、カブールに戻ってくるそうだが、やはり辞めてしまう。6月にスーダンの新しい仕事を始めるからだ。今、スーダンにはどんどん人が吸い寄せられている。新しいポストが次々に公募されている。彼女はそこで今より高い地位のポストを得た。

レイコの穴埋めはきつい。彼女はあまりに出来すぎた。ハンドオーバーの量もはんぱじゃない。ものすごい量の仕事を一人でこなしていた。結局、彼女の穴埋めのために6人雇うことになった。1人分の穴埋めに6人採用しなければならない、という事態が彼女がどれだけとんでもない仕事をしていたかよく現している。しかし、それでも同じ質と量の仕事が維持できるかどうかは分からない。仕事というのは、人数が増えれば、単純に質が向上したり量が増加したりするもんじゃないからだ。

レイコは自分でも言っているが、集団行動が苦手だ。群れたり、つるんだりできない。連れションなんてコンセプトが理解できないだろう。日本の学校なんかとてもまっとうに行けないだろう。一人でも気ままになんでもやるのが好きなのだ。でも、責任感が日本的に強いので、なんでもちゃんと最後までやってしまう。(カレシとかいるんだろうかとふと思ったこともあるが、もちろんそんなことは訊いたことない。シゴト、シゴト)

仕事さえ動いている限り、誰がどんな格好をしていようが、どんな態度であろうが、どんな時間に仕事しようが、僕はなんとも思わないが、レイコは日本の社会には適応できないだろうし、嫌われるかもしれないし、いじめられるかもしれない。でも、本人はそんなものに適応する気なんて毛頭ないだろう。僕もそんなものはゴキブリの餌にでもしたらいいと思う。彼女の新しい上司がゴキブリとかゲンゴロウとか糞コロガシでないことを祈るばかりだ。

レイコは仕事がよくできた。献身的だった。いい人はどんどん去っていく。
ほんとに戻ってこないんだな。

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それにしても、日本でやっていたあの国際協力人材育成論議は何だったんだろう?
思いっきりピント外れてたぞ。
もういいか。関係ないし。

Women are scary.

I watched "Original Sin" on TV last night. Perhaps it's not so scary for women, but it's so, so scary for me, maybe just because I'm a man.

I watched "Hand That Rocks Cradle" today. Again it's so scary. This one also is more scary for men than for women, I think.

It seems there is a category of movies to show how women are scary. Movie producers are again and again trying to pick up this theme and compete in presenting how scary women are.

One of the classic success is "A Woman in White Dress".

Whenever I watch this category of movies, I'm totally disturbed but at the same time I'm relieved just to know that I'm not the only one that is scared with women.

Friday, April 29, 2005

久しぶりぃ~

昨日の夜は、UNHCRのショーコさんとケイさんの料理をご馳走になった。まともなものをいつも食べてるんだなあと感心してしまった。

10時過ぎに自分のゲストハウスに帰って、自分の部屋のベッドの中でPCをあけたところで、誰かが激しくドアを叩き、僕が反応する間もなく、バタンとドアが開いて人が入ってきた。返事もしないのに、勝手に部屋に入ってくる人はまずいない。

なんと驚いたことに、入ってきたのは、2001年後半から2002年半ばまで一番大変な時にいっしょに仕事していた元同僚だった。彼は、今はジュネーヴでアフガニスタン担当のSenior Policy Advisor とかいうエライ人(当時もエライ人だったが)になっていて、時々アフガニスタンに来るらしい。

ひょえー久しぶりだなあ、と抱き合って(男だけど)、ビールでも飲もうということで、彼が泊まっている隣のゲストハウスにいった。僕はビールを持っていないのだ。彼は勝手に誰かのビールを冷蔵庫から出してきて、僕達は飲み始めた。

話の内容はとてもここに書けないが、アフガニスタンの状況から私生活まで延々と話をしているうちに午前2時になってしまった。彼はイギリス人だが奥さんはアジア人でまだ小さな娘が一人いる。何かと私生活面でも僕と共通の話があり、当時からよく政策やらなんちゃらややこしい話の合間にたわいの話をしていた仲だった。彼の知的さかげんを嫌う人もいるが、実際はとても底深いユーモアがあって、僕はおもしろい人だと思っている。

今日はなんかまともな話ができて、すっとした。

Wednesday, April 27, 2005

Heart Of Gold

今回日本からカブールに戻ってくる時、家を出る直前に、選ぶ間もなく、ガバッと何枚かのCDをつかんでバッグにほりこんで持ってきた。その中の一枚にニール・ヤングの「ハーヴェスト」 が入っていた。

何気に持ってきたCDを順番にかけながら、オフィスで仕事をしていたら、突然胸が痛くなってきた。狭心症とか心臓発作とかそういうものではなくて、強烈な郷愁みたいなものに襲われて、タイプする指が止まってしまった。

何十年も忘れていた、ある瞬間の情景がそのままくっきりとクリアに頭の中に浮かんできた。不思議だ。僕は確かに、「あの時、あの部屋で、これを聞いていた」ということをはっきりと思い出したのだ。なんなんだ、これは。

僕は高校1年生だった。その時、僕はある作家の家にいた。その作家には娘と息子がいた。その息子の部屋には僕と僕がつきあっていたかもしれない他校の女子高生がいた(その女の子と僕とのその時の関係だけがどうしても思い出せない)。

その息子はニール・ヤングの解説をしながら、その部屋で「ハーヴェスト」をかけていたのだった。やがて、高校生なら誰にでもあるような、正義とか公正とか真理とか善とか美とかそんなことに関わるちょっとした「事件」があり、僕はその息子に憎悪を持つようになった。

どう考えても、そこには教訓も意義も何もないと思う。しかし、そのすべてが圧倒的な、「あういう頃があった」という炸裂的な思いになって襲ってきた。そして、胸がギューっと収縮してしまったような体感になって現れてきた。

僕はその頃、ニール・ヤングが何を唄っていたのか何にも分かっていなかった。
今は一発目の I wanna live という出だしで、えっ?そういうことを言っていたの?と、聞き入ってしまった。a heart of gold を探して求めていた?そして、そんなことしてる間に歳をとってしまった?

突然思い出した30年も前の一瞬の情景と、この詩の取り合わせは痛い。


"Heart Of Gold" by NEIL YOUNG

I want to live,
I want to give
I've been a miner
for a heart of gold.
It's these expressions
I never give
That keep me searching
for a heart of gold
And I'm getting old.
Keeps me searching
for a heart of gold
And I'm getting old.

I've been to Hollywood
I've been to Redwood
I crossed the ocean
for a heart of gold
I've been in my mind,
it's such a fine line
That keeps me searching
for a heart of gold
And I'm getting old.
Keeps me searching
for a heart of gold
And I'm getting old.

Keep me searching
for a heart of gold
You keep me searching
for a heart of gold
And I'm getting old.
I've been a miner
for a heart of gold.

[ www.azlyrics.com ] より。

記念日、記念日。(訂正版)

4/27(水曜日):ソ連撤退完了日。←全然違うって。コミュニスト・クーデタが起きた日だって。なんか他もあやしくなってきた。
4/28(木曜日):ムジャヒディンがカブールを落した日。
4/29(金曜日):カルザイがカブールに入った日。

というわけで、国連は木・金・土とまた三連休。
厳密に言うと、木曜日は休みというわけではないのだが、軍事パレードがあるとかで市内の道路はあちこち封鎖で、現実的にはオフィスに行けないので、自宅待機ということになった。

全然関係ないけど、援助プロジェクトなんかに関わったことのある人なら、吹き出さざるを得ない漫画を同僚が送ってきた。一つだけアップする。

Monday, April 25, 2005

カブールの銀行

今日初めてカブールの銀行に行った。閉まっていた。空いているのは日曜から水曜日までの四日間は午前10時から午後1時半まで、木曜日は午前10時から11時半までだった。なんと一週間で15時間半しか開いていない。

はるばるオフィスから遠く離れたところまで来たので、帰りにPXによって買い物をした。いいアボガドが入っていたので6個一入り一袋を買った。後はバナナとリンゴと豚肉と冷凍ホウレンソウとチーズを二種類買って帰った。

今日は寒い。のどが痛い。嫌な予感がする。

*4月10日と11日の分をアップした。

Saturday, April 23, 2005

アップデート

4月15、16、19、20、21、22日の分をアップデートした。15日分は前にも書いていたので二つになってしまった。

今日はカブール初めての韓国料理を食べに行く。

Friday, April 22, 2005

覚えてないっ?

今日は僕が思いっきりcurfew を破って、午前2時半頃に帰ってきた。リビングルームの電気がついているので、のぞくとラースがPCに向かっている。今日はまったく素面だ。さわやかに僕の方に振り向き、
「Hi, Yoshi, Welcome back ! Long time not see you !」だって。彼は昨日も一昨日も僕に会ったのに全然覚えてないようだ。あれだけ泥酔していれば、しょうがないだろう。僕も20代の記憶の半分くらいは酔っ払ってるうちに失ってしまったのだけど。

Thursday, April 21, 2005

また酔ってる

今日からアフガニスタンの国連事務所は三連休だ。今日は昼間寝てしまったので、夕方事務所に行き、少しだけ仕事をしたが、その後、日本のNGOの人と晩御飯を食べに行った。クロアチアレストランに行き、生ハム・シーフードサラダ・ニョキ・カルツォーネを頼んだ。メニュー的には前菜だけ頼んだことになるが、少食の日本人にはこれだけで十分だ。
NGOの日本人の中には時々非常におもしろい人がいるが、この人の人生もかなりおもしろかった。

ゲストハウスに帰って、一人で映画Rookie を見ていると、11時半頃、またラースが酔っ払って帰ってきた。

ふらふらしながら、「So ? Sooooooooooooooo ?」とか訳の分からないこと言っている。「Where the hell did you drink so much ?」ときいたが、答える間もなく、うぐーっとか言いながらソファにへたり込み、そのまま寝てしまった。よく帰ってこれたものだ。

Rookie を最後まで見終わっても、ラースはまだ寝ている。ここのソファで寝ても死ぬことはない、そのうち起きるだろうと思って、そのままほったらかしにして僕は自分のベッドルームに戻った。

Wednesday, April 20, 2005

Old friends

4月末でカブールを去るスティーヴンと二人で中華料理屋へ晩飯を食べに行くと、UNHCRのスタッフ(ショーコさん、ケイさん)にばったり会った。夕食の後、スティーヴンと別れて、ラフマットがいるというので、一人でショーコさんの家に行くと、フィリッポとカタリーナもいた。
9・11前後の大騒ぎの話で花が咲いた。

ゲストハウスに戻る途中、フラフラと歩いている外人がいた。UNHCRのニアジだ。「もうCurfew過ぎているよ」と言うと、「I'm like this!」と訳の分からないことを行っていた。かなり酔っ払ってる。乗れよと行ってもなかなか強情で乗らない。押し問答をしていると回りの武装警備兵たちが出てきたのでようやく乗ることになった。ほんの20mほどなんだが。

ゲストハウスに戻ると、アルジュンが一人でサッカーを見ていた。チェルシーとマンUの試合だった。これを見たかったので、ずっと待っていたとか。

しばらくすると、ラースがべろんべろんに酔っ払って帰ってきた。何を言ってるのか全然分からないが大声でなんかいいながら自分の部屋からウイスキーを持ってきてさらに飲もうとしていた。

が、ソファに座った瞬間もう動けなくなっていた。
親切なアルジュンがグラス持ってこようかと言っている。ラースはうー、うー、と言ってうなずいているだけ。

アルジュンがグラスを持ってきてテーブルに置いたが、ぼーっとそれをみながらなんか訳の分からないことをつぶやいている。また、アルジュンがついでやろうかと親切に訊いている。ラースはうー、うー。

アルジュンがしょうがないなという顔でにこにこしながらウイスキーをつごうとすると、No, No, You drink.とか言ってる。アルジュンは僕は今日は飲まないといいながら、ついでやっていた。

僕は冷酷なので自分のベッドルームにさっさと引き上げ、Generation Kill の続きを読み始めた。結局、朝まで止められず、朝の6時頃読み終わってから寝た。

Tuesday, April 19, 2005

忘れ者

ドバイのホテルをチェックアウトして、空港までのリムジンについて訊いていると、金髪のおばさんも同じことを訊いていた。何の根拠もなく、カブールに行くの?と訊いたら、ほんとにそうだった。カナダ人のこのおばさんは娘が大きくなって手が離れたので、外に出る仕事をし始めたそうだ。この前はコソボに行っていたと言っていた。今回は9月のアフガニスタンの選挙の仕事で来たそうだ。30年くらい前に一度アフガニスタンには来たことがあるそうだ。おっ、フラワーチルドレンか?って訊くと、そうねと言って笑っていた。

カブール空港について、彼女は要領が分からないみたいなので、彼女が乗るべき国連の車が見つかって乗り込むまで、相手をしていた。その後、僕は自分の迎えの車に乗って一人でゲストハウスに向かった。

が、同じ飛行機でカブールまで来た同僚を乗せてくるのを忘れてしまった。まったく。おばさんに気を取られ過ぎていた。

荷物をゲストハウスに置いて、とりあえずオフィスに行った。メールにつないだら、2045通たまっていた。読めるわけないので、帰ることにした。

Saturday, April 16, 2005

吐きそう

昨日はやはり少し飲み過ぎた。酔っ払っているのでパッキングできないと思い、朝5時に目覚ましを合わせて、すぐに寝た。

結局、目覚ましを殴り倒して、寝続け、目が覚めたら6時だった。すぐにシャワーを浴びてパッキングを始めたが、間に合わずタクシーが来てしまった。ちょっと待ってもらって、やっとスーツケースを閉める段になってキーがないことに気がついた。あちこちひっくり返してみたが見つからない。イライラする。妻にキーがない、どこにあるか知らないかと怒鳴ってもしょうがないが怒鳴っていた。もうしょうがない、もう一回り大きいスーツケースを引っ張り出してきて、そのキーがあるのを確認して、荷物を全部そこにほりこんだ。もうむちゃくちゃだ。

わーわー言ってるので、子どもが起きだしてきた。今年6歳になる上の子はもう大丈夫だが、来月2歳になる下の子はまだ事情が呑みこめず、また僕がいなくなると悲しくなるのだろうと思うと、つらい気分になる。重いバッグを持ってエレベーターに乗る僕を母親の腕の中でキョトンとした顔で見ている。バイバイと言って手を振ると、呆然とこっちを見ながら、自分も反射的に力なくバイバイと言って手を振っている。

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搭乗した頃にちゃんと気分が悪くなってきた。ずっと若い頃、飲み過ぎた翌朝にきまって吐いていたのを思い出した。自分の席に着いてすぐにバッグからアルカセルツァーを取り出して、乗客がどんどん乗り込んでくる狭い通路を逆流して、スチュワーデスの基地まで水をもらいにいった。カップが小さいので水が足りない。二杯もらってアルカセルツァーを一錠ずつ入れた。水が冷たいのでなかなか溶けない。指を入れてかきましていると、「What's this?」とタイ人のスチュワーデスが興味深そうに覗き込んで訊いてきた。「I just drank too much last night.」と答えたら笑って自分の業務に戻っていった。

離陸すると、すぐに昼食だが、お腹はすいているのだが食べたら気分が悪くなるかもしれない。微妙なところだ。さっきのスチュワーデスがワインを持って回ってきた。飲めるわけないだろという顔で笑いながら「No, I don't need it. Thank you.」と言うと、「So you don't drink today, ha ?」 と言って彼女も笑っていた。

食事は少しだけ食べて、読みかけのGeneration Kill を取り出し、読み始めようとしたところで、「すみません、山本さんですか」と声をかけられた。見覚えのある顔。でも、一瞬誰だか分からない。彼が自己紹介をして、はっきりした。大学の時の友人だった。同じ列の端の席に彼は座っていたのだ。

今は、インドのニューデリーに住んでいるということだった。その前はサウジアラビアで、その前は香港に住んでいたのだそうだ。エアコンを作っている会社に勤めていることは知っていたので、インドとかサウジアラビアは暑いからよく売れそうだなと思ったが、そんなに単純なもんでもないらしい。

1時間ほど話をしていたが、とても興味深い人生を送ってきたようだ。名刺にはManaging Director と書いてあったので支店長とかそういうエライ人なんだろう。一度インドに行ってみようと思った。

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16-Apr Sat Osaka - Bangkok TG 623 1145 1535

Friday, April 15, 2005

ハリウッド的なドストエフスキー

半島を出よ 』を一気に読み終わった。
とんと忘れていたが、フィクションを読んでいる瞬間の幸福を味わっていた。
僕の基準では、村上龍の最高傑作だと思う。

膨大な情報収集に基づいた、しっかり計算された構成などを見ていると、村上龍は、欧米のブロックバスター系作家に拮抗する作品を生産できる現存する日本の唯一の作家だと思う。最高のエンターテイナーでしょ。

最近の文壇(?)と言えば、やたらと賞をばらまき、若い才能(?)の登場をはやし立て、なんとか売り上げを上げたい出版業界につくしているようにみえるけど(そんなことはどの業界でも同じなのかもしれないが)、肝心のそういう作品がどうも今や大昔の私小説の焼き直しにしか見えない。彼らはみんなマスターベイターでしょ。

今や、村上龍は日本最後のエンターテイナーになってしまったのかもしれない。

半島を出よ 』ではロゴスがパトスを殺していない、と言えば陳腐だけど、村上龍が欧米ブロックバスター生産業者の上を行っているのは、作品のディテールに現れる彼の人間の理解だ。デビュー作のブルーからトパーズを経て延々と彼がやってきた仕事はここに現れる。ブロックバスター生産者はそんなこと無視する。そういう描写を私小説化せずに表現すれば、ドストエフスキーになるのではないだろうか。あるいは世界化した私小説。

村上龍はハリウッド的なドストエフスキーなんだろう。とても稀有な作家だと思う。

とは言え、ごちゃごちゃ言わず、『半島を出よ 』はまず読んで楽しむ作品だと思う。

正しい日本人

結局、帰国してから今まで、大学に勤務していた時の学生以外は、友人には誰にも会わなかったが、今日は子どもが寝てから、中学・高校時代の友人Aに南千里で会うことになった。
そこに高校時代の同級生がやっている居酒屋があるらしく、僕は行ったことがなかったが、同窓生達は結構よく行くようだ。

南千里駅までタクシーで行き、Aと合流して、店に向かった。Aはいつもスーツを着ている。コンピュータを売り続けて、もう四半世紀だ。その間ずっとスーツを着ていたのだろう。普段着というものはないのかと一度きいたことがあるが、パジャマは持っている、という変な返答をしていた。

店に入ると、我々の同級生である女子(じょし)がいた。高校時代の友人には、なぜか女性という言葉を使うといやらしく聞こえてしまいそうで、女子という言葉を使わざるを得ないような気がする。微かに見覚えがあるが、たぶんもともと高校時代も話したことないだろうから、覚えてるのか忘れているのかも分からない。お上さんの貫禄のある女子だった。

僕は高校時代、友人がとても少なかった、と言えば、すごくおとなしく内向的で目立たず日陰でひっそりと高校生活を送っていたと主張しているように聞こえるかもしれないが、そんなことは全然なくて、ただ誰とでも友達だったような気がするが、誰ともそれほど密着する間もなく高校時代が終わってしまい、卒業後30年近く経って気がついたら冷酷無残なことに名前がとんと思い出せないという意味では、友人がとても少なかったというのが適切だと思う。

僕はふだんはまったくアルコールを飲まなくなってしまったのだが、飲む人間とお店に行けば特に拒絶するわけもなく飲む。ただ何を飲むか考えるのが異様に面倒くさくなった。どっちみち酔う道具ではないか、と言えばみもふたもないが、若い頃のバカ飲みはまさに酔うため、酔って現れる(かもしれない)非日常を期待していただけで、酒を味わっていたとはとても言えない。今日はAがビールを頼んだので僕もビールを頼んだ。二杯目はAが樽酒を頼んだので僕も樽酒を頼んだ。三杯目はAが一番安い焼酎を一本頼んだので、僕もそれを飲んだ。

しばらくすると、近所に住む別の同級生Bがやってきた。彼は足の側面にストライプの入ったジャージを来て、サンダル履きでやってきた。近所のおっさんの雰囲気をよく醸し出していた。Bは高校生の頃、いつもほっぺが赤かったが今も赤い。別の理由で赤いのかもしれないが。

Bは以前、銀行に勤めていたらしいが、ある日突然やめて一人旅に出た、というようなことをちらっと一度聞いたことがある。それ以上詳しく聞いてはいけないような気がしたので、何も分からないが、その後、証券会社に入って今はそこの研究所みたいなところの長らしい。時々テレビに出て解説なんかしているらしいが僕は見たことない。株に興味がないのでまず永久に見ることはないだろう。

AやBは高校時代に吹き込まれた、いや教えられた日本の正しい社会の構成員なのだろうと思う。僕はものの見事にそこからドロップアウトしてしまった。日本にいると、しばしば目が点になって絶句するしかない瞬間に遭遇するのだが、AやBと話をしていても、そんなことはなく、彼らが怪物のように見えるわけでもないし、言葉が通じないわけでもない。同級生相手だから、彼らは擬装しているのだろうか。いや、そんな器用な奴らではない。

とすれば、逆にそんな人間が日本の正しい社会で正しく生きるのは苦しくないだろうか、と思うが、苦しいからといって、それがどうした!ということなのかもしれない。

ライブドアの堀江さんはどうしていじめられるんだろう、と僕が言うと、Aはお前がそんな話題を出すとはね、アハハと笑い、Bはまじめに背景を解説してくれた。堀江さん一派が悪玉、フジテレビ一派が善玉という構図は馬鹿げているという疑いはどうやら正しいらしかった。

焼酎がなくなり、Bが明日はゴルフだというので、12時頃店を出た。飲みすぎたかもしれない。明日は7時半にタクシーを予約した。まだパッキングもしていない。大丈夫かな。

Tuesday, April 12, 2005

半島を出よ

昨日、『半島を出よ 』が到着した。
カブールに持って帰って読もうと思っていたが、早速読み始めてしまった。
おもしろい!
止められない。

Monday, April 11, 2005

今日こそは・・・

今日こそは確定申告を済まそうと思っていたが、結局行けなかった。また昨日の三人と遊べて子ども二人は大喜びだ。

僕は昼頃、哲也といっしょに昼寝をしたが、いつの間にか哲也の方が先に起きて、三人組とのお遊びに合流していた。

晩御飯をみんなで食べて、そろそろ三人が帰る時間が近づいてくると上の子はそういうことを敏感に察して、なんとか幸せな瞬間を引き伸ばそうと画策し始める。そして、その時が結局やってくると、もっと小さい頃は大泣きしたものだが、今はそういうことは諦めなければならないということを理解しているらしい。

しかし、三人組が外に出てバイバイと言い始めた時は、上の子は目にいっぱい涙を溜めていた。

みんなが帰ったその日の夜は、1歳10ヶ月の哲也はベッドの上で飛び跳ねている。興奮するといつまでもベッドの上ではしゃぎまわって寝ない。お母さんにとっては、えらい迷惑なのだけど、ベッドの上で身体をぶつけ合ってじゃれあうというのはほんとに楽しいひとときだったという自分の微かな記憶が戻ってきて、自分も哲也といっしょに遊んでしまう。

5歳8ヶ月の凱也は、ふとんの中にもぐりこんでからも、昨日・今日遊んでくれた3人の名前を確認しようとして、ブツブツとつぶやいているがどうも記憶が怪しくなってきたようだ。お母さんのジェニファーがそれを手伝おうとするが、さらにややこしくなってくる。外国人の名前を正確に覚えるのは難しいものなのだ。僕が介入してやっと3人の名前を自信を持って発音できるようになった凱也はベッドの中でみんなの名前をいつまでも復唱していた。
ヒロコ、シンスケ、レイコ、ヒロコ、シンスケ、レイコ、ヒロコ、シンスケ、レイコ、・・・・・・・・・・・・・・

Sunday, April 10, 2005

お客さん

今日は大学勤務時代に知り合った学生達が三人家にやってきた。三人のうちの一人が就職活動のために大阪にやってくるという大義名分があったが、こちらとしては一泊二日で子どもの世話をしてもらうという魂胆は隠しようもない。

案の定、子供達は大喜びだ。といっても、今年の夏には6歳になる上の子は、すぐに知らない人がやってきても遊び相手にしてしまおうと果敢にアタックするが、まだ1歳10ヶ月の下の子は、最初はとても用心深く観察している。打ち解けるまでしばらく時間がかかるのだ。

やがて、子どもは二人とも三人組になつき、はしゃぎまわりはじめた。部外者には見えないだろうが、それがどれだけ助かることか。この間に、さっさと晩飯の用意をすることも、ちょっとした郵便物のチェックをすることも簡単にできるが、これが親だけだと、ましてや母親だけだと、もう大変だ。

子どもは誰でもいいから相手になる人間をつかまえて遊びたがる。しかし、大人にはしなければいけない用事というものがある。ご飯の用意をするだけで、僕はいちいちそれに参加しようとしてやってくる子どもに癇癪を起こすことがある。そして落ち込む。今日はそんな心配なしに子どもたちをほったらかしにしていられるのだから、なんて楽なんだろう。

8時を過ぎると子どもたちは寝ないといけないので、三人組と僕はゲストルームに移動した。マンションの敷地内の会議室やフィットネス・ルームやキッヅルームのある別棟にゲストルームというのがあって、一泊2千円(+一人につき千円)で泊まることができるようになっている。田舎から冠婚葬祭なんかで親戚がたくさんやってきたりした時に便利だろうが、僕には田舎がないので使ったことがなかった。今回が初使用ということになる。

ゲストルームに移ってからは、日本の未来と三人の若人の未来について深く真剣に語り合ったような気もするが、実は何を話したのかとんと覚えてない。つまり、久しぶりに飲んで酔っ払ったのだった。

Saturday, April 09, 2005

Elbow Room

カブールで一番よく行くレストランが国連職員出入り禁止になった。Area Field Security Coordination Officer がUN staff に送ってくるSecurity Advisory のメールを見ると、

"---- the "Elbow Room " will be temporarily off limits to the UN staff until further notice. ---" だって(AFSCOが何する人で、どういう構造の中のどこに位置して、誰にreportする人か、僕の授業を受けていた人は分かりますね・・・?)。

Elbow Room に対して、Bomb Threat があったからだそうだが、なんか臭いなあ。Elbow Room はUNDPのすぐ隣にあって、街の中心部だから便利で、しかも料理もまあまあおいしいから、いつも外人客で賑わっている。

普通のアフガンめしのランチなら50円で間に合うカブールで、Elbow Room でランチを食べると、2000円くらいになるから、法外な値段であるのだが、なんせ国連職員に許可されているレストランは、今のところ9箇所しかないし、他にお金の使い道もほとんどない外人にとっては、値段なんでどうでもいいのかもしれない。

オフィスから歩いていける唯一のレストランだし、気の持ちようで、一瞬カブールにいることを忘れて、普通の街、例えばNYにいるんだと思い込むことも可能かもしれない(?)という利点があるので、僕もよく行くのだけど、このオプションがしばらくなくなったわけだ。

しかし、Bomb Threat ?商売敵の嫌がらせみたいなもんじゃないのかなあ。国連職員がいつもたくさんいるから、まとめて吹き飛ばせるから便利なお店というなら、Threat なんて出さずに、静かに爆破させてたんじゃないだろうか。まあ、こういうsecurity advice は従わないとしょうがないんだけど。

ついでに書くと、僕が比較的よく行くのは、昼は、Vila Velebita というCroatian レストラン、夜は、L'Atmosphere というフレンチレストラン。別にクロアチア料理とフランス料理が好きだというわけではなくて、単に前者は割と静かで、後者は庭が広くて気持ちがいいという理由です。

しかし、圧倒的に多いのは、自分で作って食べるメシです。これがもんくなく一番おいしい。二番目に多いのが食べないこと、三番目が上記レストラン、四番目がUNDPの社員食堂みたいなところ、五番目が出前のサンドウィッチとか中華料理。

追記:3月22日の分を追加した。

Friday, April 08, 2005

ライブドア

カブールではとんと忘れていた話題だが、ライブドアの堀江とかいう人をやっぱり「世間」は目の仇のように扱っているように見えてしかたない。球団の時もそうだったけど、今度のメディア買収(?)に関しても、ニッポン放送の社員がぞくそく辞めるだろうとか、フジテレビの買収がいったん挫折して社員が大喜びしたとか、そんな記事が出てるけど、ほんとにそうだとしたら、やっぱりそういう会社はもうどこかに買収されてしまって、なくなってもいいんじゃないだろうか。

ニッポン放送とフジテレビが消滅したところで、日本のメディアにとって、いったいどのような損失があるだろうかって考えても、何も思い浮かんでこない。それなら、ライブドアみたいな会社がかき回しにくるというのは、何もかも一新する良い機会だと思うのだが、そんなふうに思う人は社内にはいないのだろうか。

堀江貴文という人の言ってることは極めてまともというか、普通のことにしか僕には聞こえない。それに比べると、防戦側に立って登場する人たちが言ってることはどうも醜く聞こえる。内容というより、単なる印象の問題なんだろうが、そうだとすると、世間的にはこういう印象は共有されているのだろうか。やはりまったく反対に堀江ってヤロウはとんでもないってのが世間での評価なんだろうか。

バンコクからの帰りに読み始めたRichard Clarke, Against All Enemies のペーパーバック用序文の中に、9/11の二の舞を繰り返さないためには、新しい情報機関を次々作るんじゃなくて、今あるCIAとFBIを改造しなければいけないという主張が出てくるんだけど、そこで、Richard Clark は、CIAとFBIのことをこんなふうに言っている。

"They cannot continue to be dominated by careerists who have carefully managed their promotions and ensured their retirement benefits by avoiding risk and innovation for decades. The agencies need regular infusions throughout their supervisory ranks of managers and thinkers from other, more creative organizational cultures."

昇進と年金のことしか考えず、まったくリスクも改革もどうでもいいようなやからはどこにでもいるようだが、こういうのを読むとすぐに僕の場合は、自分の職場を思い出し、どこでも同じかとため息が出てしまうのだが、フジテレビの場合は、単に、"other, more creative organizational cultures"を自社に吹き込む良いチャンスをみすみす無駄にしているとしか思えない。

堀江さんの言動によってあぶりだされてるのは、日本の社会は急速に変わりつつあるなんて言う人は多いけど、実際のところは、Richard Clark がCIAとFBIに関して描写しているような状態からまだ一歩も出ていないってことなんだろう。
なんて書くと、CIAとFBIとフジテレビがいっしょ!なんて喜ぶアホがいそうで、またこわい。

Wednesday, April 06, 2005

寒い

カブールを出た頃(3月22日)は、少し暖かくなってきていて、春が来たなあなんて話していた。帰国途中によったタイの島はもちろん夏だった。
日本がとても寒く感じる。日本の4月ってこんなもんだったろうか。

Generation Kill を読み始めたが、これはかなりひきこまれる。イラク戦争をめぐる政治的意味などとはまったく関係ないところで、イラク戦争の渦中にあるアメリカの兵士たちに焦点が合されているのだが、現代のアメリカという国が「アメリカ兵士」という形で現れる部分がとても興味深い。古代ローマの兵士たちがローマ的精神をいやおうなく体現している部分があったように、やはり兵士という形で現れる国家の特質みたいなものがあるのだろう。

同時に、昨日ぶらりと立ち寄った北千里の本屋で買った『子どもが育つ魔法の言葉 』(ドロシー・ロー・ノールト)をぱらぱらとめくっていると、アメリカ兵士というアメリカの子どもの成立事情-Generation Kill はこれにかなりスペースを割いている-を思わざるを得ない。

このドロシーさんの書いた詩自体は、22ヶ国語に翻訳されているらしく、日本でも『アメリカインディアンの教え』という書物でインディアンの教えとまちがって紹介されたり、皇太子が誕生日の記者会見で朗読したりして、とても有名らしいが僕は全然知らなかった。この詩は、あちらこちらのウェブサイトで紹介されているので、ここで採録しても問題ないだろう。

子は親の鏡 by ドロシー・ロー・ノールト

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

これは良い詩だと思う。
というよりも、反省することしきり。あぶら汗が垂れるというか。
約半世紀前にドロシーさんは、この詩を書いたのだが、結局、事態はこのようには行かず、その結果、Generation Kill で描かれているようなアメリカの子どもが大量生産されてしまったということになるのか・・・。

これはとても他人事とは思えない。
日本全体のことを憂えている余裕などまったくないが、少なくとも自分の子どもだけは Generation Kill にしたくないと思う。

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余談だが、上記の詩の翻訳はものすごく良くできている。
原文は以下のようなものだが、こっちはかなり注釈が必要な気がする。だからこそ、詩一つでその解説書が成立したのだろうけど。

Children Learn What They Live
By Dorothy Law Nolte, Ph.D.

If children live with criticism, they learn to condemn.
If children live with hostility, they learn to fight.
If children live with fear, they learn to be apprehensive.
If children live with pity, they learn to feel sorry for themselves.
If children live with ridicule, they learn to feel shy.
If children live with jealousy, they learn to feel envy.
If children live with shame, they learn to feel guilty.
If children live with encouragement, they learn confidence.
If children live with tolerance, they learn patience.
If children live with praise, they learn appreciation.
If children live with acceptance, they learn to love.
If children live with approval, they learn to like themselves.
If children live with recognition, they learn it is good to have a goal.
If children live with sharing, they learn generosity.
If children live with honesty, they learn truthfulness.
If children live with fairness, they learn justice.
If children live with kindness and consideration, they learn respect.
If children live with security, they learn to have faith in themselves and in those about them.
If children live with friendliness, they learn the world is a nice place in which to live.

Tuesday, April 05, 2005

忘れてしまった

散髪に行き、医者に行き、銀行に行き、一日が終わる。明日は税務署に行き、市役所に行く。明後日は、長男の学校の行事で水族館に行く。北千里のスタバで本日のコーヒー・トールを飲みならがら、日常ってこんな感じだったなあとしみじみ。カブールの生活とのなんという違い。

久しぶりに帰宅してみると、すべての道具にあるように、家にも使い方というものがあるのだと思った。いろんなことをすっかり忘れているのだ。まず、郵便受けの錠の番号を忘れてしまったので、開けられない。それぞれの部屋の電気をつけるのに、いちいち一瞬考えないとどこにスイッチがあるのか分からない。自分の部屋に入ってみると、まるで他人の部屋のような気がした。きっと最後に部屋を出た時の状態から比べると、かなりきれいに掃除されているのだろう。脱ぎ散らかした衣類やあたりいちめんにちらかった紙類ががないのでしっくりこないのかもしれない。

家を離れていたのは、ほんの二ヵ月半なのに、そうとう深く仕事に没頭していたんだなと思う。これはほとんど精神の病のようなもんではないか。しかも、帰国途中で10日間ほどタイで過ごしただけで、カブールにいた二ヵ月半がもう一昔前のような気がする。まったく違う三つの次元みたいだ。これが同じ世界とはねえ。

久しぶりに自分の机の前にすわって、たまりまくった郵便物を開き始める。延々と封筒を開き続けながら、もう何もかもインターネットでできないだろうかと思う。全部チェックし終わった頃には、僕の部屋は紙だらけの元の木阿弥になっていた。

最後に、アマゾンからの箱やら封筒を開ける。カブールでちょこちょこっと注文していたので、それが到着していたのだ。

Alain De Botton の The Art of TravelOn Love
Karen Armstrong の A History of JerusalemThe Battle for God
ずーっと前に予約注文した Evan Wright, Generation Kill が到着していた。

カブールで見て感動した映画の翻訳本も二冊着いていた。ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡アバウト・ア・ボーイ

本をパラパラとめくっていると、やっぱりもう一度映画も見てみたくなったので、今日両方ともDVDを注文した。(注文したDVD: A Beautiful MindAbout A Boy

村上龍の新作『半島を出よ(上)半島を出よ(下) 』とDVDの Lost in Translation がまだ着いてない。

Sunday, April 03, 2005

着いた。が・・・

4月3日の早朝、関空に着いた。
思いっきり体調悪い。熱がある。めまいがする。関節が痛い。咳がのどに痛い。
あ~、最悪。なんでこうなるかなあ???

Saturday, April 02, 2005

帰国

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TG 622 BKK KIX 23:59 07:30